太陽は野暮

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梗 概

太陽は野暮

生まれた時から人生で失敗する回数が決まっている。その回数は人によってそれぞれであるが、失敗を推奨する教育プログラムによっておおよそは成人までに失敗回数上限に達する。その後は失敗することのない人生が待っている。

ちゃんと確認したわけではないけれど、僕は他人より失敗する回数が多いんだと思う。クラスメイトの数人はもう上限に達したらしい。あと何回失敗しなければならないのか、はっきりとしたことはわからない。けれど、失敗回数が増えることに反比例して減少していくはずの焦燥感のようなものは、まわりを見ていると日々増加しているように感じる。本当に、失敗しなくなる日が僕にも来るのだろうか。

今日もきちんと寝坊し、電車を間違え、教科書を忘れた。しかしまわりから遅れている感覚はますます強まっていく。

 
「なにがしたいの?」

先生は問う。僕は何がしたいのだろう。何がしたいのかわからないままだと、いくら失敗を重ねても仕方ないのだという。そんなことは小さな頃から知っている。しかし僕は何がしたいのかわからない。僕は「失敗がしたい」という。先生は頭を振るばかり。僕が何をしたいかは、僕にしか見つけられないのだという。

希望する大学へ、希望する会社へ、みんなは進んでいく。僕は何がしたいのかわからないまま、居場所をなくし、旅に出た。

いろんな土地を歩きながら、僕は何を探しているのだろうと考える。いく先々で失敗を繰り返す。それは僕にとって、たいへんだけれども楽しい生活だった。学校に通っていたときに、僕は「失敗がしたい」と先生にいった。だから、僕はもしかするとずっと「失敗をする」ということに成功していたのかもしれない。焦燥感は常についてまわり、どうしようもなく終わりにしてしまいたい日もある。けれどそれも、僕が望んでやっていることなのかもしれない。

生まれ育った町に帰ると、友人たちは学生時代に語っていた通りの充実した人生を歩んでいるようだった。みんなは僕のことを心配し、慰めてくれたが、そのあとに語られる「失敗をしない人生」はあまり魅力的な話ではなかった。この世界の一部として完成した人々は、この世界を続けていくために貢献し続けている。一方僕は、この世界に対して何の価値も提供していない。ふと、自分がそういう存在として世界に利用されていることを思う。世界の一部として正しい営みを続ける人々と同じように、自分は世界の一部にならないということを初めから決められていたのではないかと。

その日から、どこで何をしていても自由を感じなくなった。好きに生きているつもりでも、実際に生きている感覚は希薄だった。取り返しのつかないことをしているような焦燥に襲われる。この世界は作り物で、シナリオがあるという考えを昔から持っていた。それは間違っていたのかもしれない。どちらにせよ、僕はしあわせではなかった。誰かになりたかった。

文字数:1187

内容に関するアピール

もしも失敗する回数が決まっていたらの設定でお話を作ろうとしたのですが何も思い浮かばなかったので申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。

何も物語が立ち上がらなかったので主に個人的なダメな部分や言い訳を綴ったかたちになります。これから頑張って生きていきたいと思います。ポップな人間になれますように。

文字数:150

課題提出者一覧