禁断の缶蹴り

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梗 概

禁断の缶蹴り

 ある夜、沼田慎吾は十歳の娘マリコの作り話を聞く。
「その街では缶蹴りは禁止なの。缶蹴りをすると鬼がいつの間にか本物の鬼になって隠れている人を地獄に連れていっちゃうの。だからお父さん、絶対に缶蹴りはやらないでね」
「大人は缶蹴りなんかしないよ」と慎吾は妄想癖のあるマリコに言う。
「道に落ちている空缶を蹴っちゃダメだよ」そう言ってマリコは寝てしまう。
 翌朝、慎吾はマリコに、昨夜の缶蹴りの話はどこから思いついたんだ?と訊いてみた。マリコは無言で首を振る。

 今どきの子供が缶蹴り?と不思議に思いながら慎吾は職場へ。自販機の前に立って驚く。缶コーヒーがない。他のジュースも缶はない。ペットボトルならある。慎吾は不吉な違和感に襲われる。

 その夜、慎吾は小学生のころからの友人と会う。マリコの空想話のことが頭にあった慎吾は小学生のころ一緒に缶蹴りをした話をする。するとその友人は顔色が変わりすぐに帰ってしまう。

 次の日の朝、慎吾はテレビのニュースを見て驚く。缶を密造していたという男が逮捕されていた。一緒に見ていた妻の奈津美が「なんで缶なんて怖い物を作るんだろう?」とつぶやく。
 
 慎吾は思う。マリコの空想話を聞いてから自分は異世界に入ってしまったのではないか?缶蹴り禁止の世界に。缶の製造も禁止されている世界に。缶蹴りをすると本物の鬼が現れて地獄に連れていかれてしまう世界に。
 そんな莫迦なことがあるか、と自分を笑い飛ばしながら慎吾は職場に向かう。

 職場では社員の一人が自宅で缶を所持していたため全員が警察の事情調査を受けることに。慎吾は缶取り締まり警察の存在を初めて知る。慎吾はネットで状況を調べると娘の空想話が現実になっていた。缶蹴り禁止法という法律があり缶の製造も禁止されている。

 その日の帰り、慎吾は夜道に落ちている空缶を見つける。缶取り締まり警察に通報しないといけない。しかし、慎吾はこんな世界を信じたくなかった。鬼が来るなら来てみろ!という思いでその空缶を蹴る。

 すべての始まりはマリコの空想話からだ。慎吾は娘と話す。
「マサル君が冗談で言った嘘が本当になっちゃったみたい」「マサル君って誰?何処にいるの?」「ずいぶん前に死んじゃったよ」

 この街はマサル君の邪念に支配されている。霊感の強いマリコが彼の想いを引き寄せたのかもしれない、と慎吾は推測する。確実なことは分からない。いま分かっていることは目の前に鬼が迫ってきていること。捕まれば地獄行きだ。慎吾はこの世界を受け入れ始めていた。昨夜、缶を蹴ったことでゲームが始まったのなら、缶は昨夜と同じ場所に置かれているはず。慎吾は鬼から身を隠しながら缶を探すが蹴った場所を忘れている。慎吾は鬼にわざと見つかる。鬼は缶を目指して走る。慎吾は鬼を追いかける。鬼のほうがはるかに速い。缶が見えてくる。鬼は缶の前で止まり右足を上げて缶を踏む。
 慎吾は地獄へ落ちる。

文字数:1200

内容に関するアピール

最小限の嘘は「缶蹴りをすると本物の鬼が現れる」です。
この嘘からドミノ倒し的に主人公の沼田慎吾の恐怖心が膨れ上がっていくという話です。
全然SFではないのですが、実作では、荒唐無稽な嘘をどれだけリアルな話に描けるか挑戦したいと思います。それから、最後に主人公は地獄に落ちてしまいますが、もっといい結末を考えたいと思います。

文字数:159

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禁断の缶蹴り

カーンと缶を蹴る音が青い夏空の下に響いた。そして、歓声とともに一斉に四方八方へ走り出す子供たち。
 沼田慎吾は会社へ行く朝の電車の中で子供の頃の記憶をよみがえらせていた。慎吾の頭の中は昭和四十年代にさかのぼり、放課後、友達数人と学校前の公園で缶蹴りをしている。慎吾は缶蹴りが得意だった。隠れるのも上手く、鬼の隙を狙って缶を蹴るのが誰よりも卓越していた。鬼になったときも、あっという間に全員を見つけて捕まえることができた。最後の缶蹴りは小学六年生のときの夏休み。あのときは自分をいれて五人でやった。山根と鈴木と浜村と小杉だったはず。いや、まてよ、もう一人いたような気がする。そうだ、最後に鬼になったのは山根でも鈴木でも浜村でも小杉でもなかった。もちろん僕でもない。そのことは鮮明に覚えている。なぜならあの時、山根たち四人が鬼に捕まって、一人になった僕は鬼の隙を狙って缶を蹴ることができたんだ。悔しそうにしていた鬼は誰だったのか、慎吾は思い出せなかった。
 子どもの頃の記憶なんて普段は思い出すことのない真悟だけれど、今朝は沈んでいた記憶が意識の表面に浮上していた。その理由を慎吾は分かっていた。昨夜、十歳になる娘のマリコと交わした会話のせいだ。

「その街では缶蹴りは禁止なの。缶蹴りをすると鬼がいつの間にか本物の鬼になって、隠れている人を見つけて地獄に連れていっちゃうの。だからお父さん、絶対に缶蹴りはやらないでね」
「大人は缶蹴りなんかしないよ」と慎吾は妄想癖のあるマリコに言う。
「道に落ちている空缶を蹴っちゃダメだよ」そう言ってマリコは寝てしまう。
 翌朝、慎吾はマリコに、昨夜の缶蹴りの話はどこから思いついたんだ? と訊いてみた。マリコは無言で首を振る。

電車が降りるべき駅に着いた。現実に意識を戻した慎吾は多くの人と一緒にホームに吐き出された。そこは、夏の暑い思い出とは正反対の、冬の寒い朝の現実だった。

慎吾は会社につくと休憩エリアに設置されている自動販売機に向かった。毎朝のルーチンになっていて体が自然に動く。歩きながら上着の内ポケットから財布を取り出して、自動販売機の前で立ち止まり、小銭をつまんで投入口に入れる。そして、いつものボタンを押そうとしたところで、機械的な動作が止まった。突発的なエラーが発生して緊急停止した機械のように体が固まった。いつも買う缶コーヒーがない。位置が変わったのかと思って、商品全部を見回したけれど、真悟お気に入りの缶コーヒーは見当たらなかった。仕方ない、今朝は他の缶コーヒーにしようと思って、真悟はもう一度商品全部を見た。不思議なことに缶コーヒーはひとつもなかった。それどころか、缶ジュースが皆無だった。全部ペットボトル、または紙パックだ。慎吾は不吉な違和感を感じながらペットボトルの暖かいコーヒーを買って自分の机に向かった。
 その日の夜、慎吾は幼友達の山根と数年ぶりに再会した。朝の電車の中で子供のころの記憶がよみがえった直後だったから、昼休みに山根から、今夜久しぶりに会わないか? というメールがきたとき、真悟はこんな偶然もあるもんなんだな、とちょっと驚いた。久しぶりに見る幼友達の顔は思いのほか老けて見えた。お互いまだ四十代になったばかりなのに山根の頭はかなり寂しくなっていた。
「俺、それなりのおっさんに見えるだろ。大丈夫だ、お前はまだまだ若々しいよ」
 慎吾は心を読まれたのかと思って怖くなった。
「山根はたしか海外に長期の出張してんだろ? 中国だっけ?」
「ああ、そうだよ。先週日本に帰ってきた。十年ぶりの東京だよ。相変わらず人が多いな」
「中国も多いだろ」
「うん、そうだな」
 ほどよくアルコールがまわってきたところで慎吾は今朝思い出した記憶を口にした。
「なぁ、山根、小学生最後の夏休みに缶蹴りしたこと覚えてるかな? あの時いたのは確か、山根と鈴木と浜村と小杉だったよな。でも、なんかもう一人いたような気がするんだよ」
 山根をみると青ざめた顔をして震えている。
「山根、どうしたんだ?」
 山根は、何かに怯えるような表情でかすれ声で言った。
「か、か、缶蹴りの話なんてするな」
「え、どうして?」
「命が惜しくないのか?」
 その言葉を残して山根は帰っていった。

翌朝、慎吾はテレビのニュースを見て現実が自分から乖離していくような奇妙な気分を味わった。
『缶密造男逮捕!男は年齢四十五歳の無職。自宅アパートでアルミ缶、スチール缶を合わせて数百個密造して保持していた。
男は生活苦からやむを得ず禁止されている缶を製造して闇サイトで販売。今までに数人に販売した模様。缶取締り警察は購入者を確保すべく全国的に捜査を開始した。販売された缶が市中に出回らぬように全力を尽くしている。
缶取締り警察署長は、万が一街中で缶を発見したときは速やかに缶取締り警察に連絡すること。間違っても絶対に蹴らないように、と厳重警告を発令した』
 テレビ画面には、真悟が見たことのない黒ずくめの制服を着た男たちが、押収した缶が入っていると思われる段ボール箱を車に積み込む様子が映り出されている。
「なんで缶なんて怖いものを作るんだろう?」という妻の奈津美の声を背中で聞きながら慎吾は家を出た。
 慎吾はいつもと同じ朝の電車の揺れに身を任せている。そして、昨日からのことを考えている。最後の缶蹴りにいたもう一人の名前を慎吾はまだ思い出せないでいた。自分の思い過ごしなのだろうか? いや、そんなことはない、絶対もう一人いた。昨日はあやふやな記憶だったけれど、今朝の慎吾は記憶に間違いはないという確信に変わっていた。昨夜家に帰ってから慎吾は、どうしても気になるので子供のころのアルバムを見返してみた。小学生最後の夏休みの缶蹴りだからといって、写真を撮ったことを思い出したのだ。写真はあった。三脚を立ててセルフタイマーで撮ったそのセピア色になった古い写真には、六人の小学生の顔が写っている。慎吾と山根、それから、鈴木と浜村と小杉、そしてもう一人、慎吾がどうしても思い出せない野球帽をかぶった少年の無表情な顔がそこにあった。
 慎吾が会社に着くと予想もしていなかった光景が目に飛び込んできた。さっきテレビで見た黒づくめ制服の男数人が会社の出入り口を塞いでいる。慎吾は立ち止まり、どうしようかと一瞬躊躇していると、黒づくめ制服の男の一人と目があってしまった。その男が近づいてくる。「この会社の人ですか?」「そうです」と応えると連行されるように車に乗せられた。連れて行かれたのはテレビドラマで見るような窓のない薄暗い取調室のような部屋だった。黒づくめ制服の男が言うには、どうやら慎吾とは他部署の課長が、今朝のニュースで報道されていた缶密造男から缶を購入していたらしい。その課長とあなたはどういう関係ですか? と何度もしつこく詰問された。慎吾は、その課長とは会社で仕事上の話しかしたことなく、プライベートな関係は全く無いと何度も言って、ようやく解放された。
 尋問されていた建物から外に出ると夕暮れ時になっていた。とりあえず会社に戻ろうと慎吾は思って駅を探すことにした。ここへ連れてこられたとき車に乗っていたのは十分ほどだった。だから東京の街を適当に歩けば地下鉄の駅に行き当たるだろう、と慎吾は楽感していた。ところが十分、二十分歩いても駅はなかった。慎吾は携帯電話を取り出して現在地を確認しようとした。地図を見るのが苦手な慎吾は、初めての場所でも事前に地図を調べて暗記して、あとは自分の勘を頼りに歩くようにしていた。携帯電話の地図は慎吾にとっては最終手段だった。慎吾が今いる場所は、新宿でも渋谷でも銀座でもなかった。聞いたこともない知らない地名が携帯電話の小さな画面に映っている。
 昨日からだ。慎吾の周りで奇妙なことが起こり始めたのは。自動販売機から缶がなくなり缶取締り警察などというふざけた名前の国家組織が存在している。でも、他の人は全く驚きも戸惑いも見せていない。ということは、自分だけがこの世界では異分子ということなのか? 混乱する頭を抱えながら慎吾は知らない街を家路を求めて彷徨い歩き続けた。
 いつしか慎吾は公園のベンチに座っていた。数時間歩きまわったのに、地下鉄の駅はおろかタクシーも路線バスの停留所も見つけることができなかった。携帯電話から家に電話をしてみたけれど、呼び出し音が聞こえるだけで誰も出ない。会社に電話しても同じだった。ここは本当に東京なのか? 真悟は歩き疲れた足を休ませながら途方に暮れていた。
 そこは住宅地の中にある小さな公園だった。ブランコが二つと滑り台が一つ、それから畳一畳ほどの砂場があるだけだった。慎吾が座っているベンチの横に電燈が一本立っている。蛍光灯の弱い光が公園を夜の闇から浮かび上がらせていた。その薄暗い光の中で真悟は掲示板があることに気づいた。慎吾が座っているベンチから五、六メートル離れている。ポスターが二枚貼られていることはわかるけれど、その内容までは薄暗くて分からなかった。慎吾は立ち上がり掲示板に向かって歩いた。ここが何処なのかポスターを見れば分かるかもしれない、という淡い希望を持って。子供によく見えるようになのか、掲示板は慎吾の胸の高さだった。ポスターの一枚は『なかよく遊びましょう』という文字と、子供が描いたのであろうと思える絵だった。もう一枚に目を移すと慎吾は息が止まるほど驚いた。『缶蹴り禁止!』と大きな赤い字で書かれている。そして、鬼のような恐い形相の男が子供たちを捕まえようとしている絵が書かれている。
 真悟はベンチに戻って考えた。どう考えてもこの世界は異様だ。夢なら納得するけれど、こんなにリアルな夢なんてありえない。足は疲れているし腹も減っている。僕はやっぱりマリコの妄想話を聞いてから、缶蹴りをしたら本物の鬼が現れる世界に迷い込んでしまったようだ。受け入れ難いことだけれど事実を認めないといけないのか、と真悟は思い始めていた。
 朝までここにいるか、それとも、もう少し歩いてみるか、と真悟は迷っていると、ある物が目に入った。小さな砂場の前にポツンと置かれている。缶のように見える。さっき、掲示板を見に立ち上がったときには気がつかなかった。薄暗いから見えなかったのか、それとも、突然出現したのだろうか? 慎吾はベンチから立ち上がり恐る恐る缶のような物に近づいた。間違いなく缶だった。報道されている密造された缶だろうか? 慎吾は缶取り締まり警察に通報しようとして携帯電話を取り出した。しかし、番号がわからない。110番でいいのか? 気持ちを落ち着かせようと慎吾は深呼吸をした。しゃがんで缶を観察する。触らないように注意しながら。表面に写真や絵は無く黒の無地だ。桃やパイナップルの缶詰の大きさで、缶蹴りするのに最適なサイズだ。慎吾は立ち上がり缶を見下ろす。すると、缶を中心にして、直径三十センチほどの円が書かれている。缶蹴りの缶を置く位置を指定する、爪先で地面を引っ掻いて書いたような線だ。真悟は周囲を見回した。近くに鬼がいるような気がして。時刻は午後十一時を回っている。人の気配はなく公園は静寂の中に沈んでいるようだった。
 しばらくの間、真悟は缶を見つめていた。心の中の何かが破裂した。慎吾は「鬼がどうしたっていうんだ、来るなら来てみろ!」と叫びながら助走をつけて缶を力任せに蹴っ飛ばした。甲高い音が深夜の住宅地に響き渡った。

慎吾は公園から逃げるように駆け出した。缶蹴りがスタートした時の鬼から逃げるようにして、隠れ場所を探して疲れた足を必死に動かして走った。しかし、見知らぬ深夜の街中のどこに隠れたらいいのか、慎吾には分からなかった。走り疲れて慎吾は立ち止まり道路に座り込んだ。こんなに走ったのは何年ぶりだろう? 息が切れて胸が苦しい。めちゃくちゃに走ったからあの公園が何処にあったのか慎吾にはもう分からない。鬼が来る気配はなかった。鬼なんていない。実在するわけがないんだ。今、僕は夢を見ているんだ。恐ろしくリアルな夢を。これだけ走って息もこんなに切れているのだから、もうすぐ目が覚める筈だ。慎吾はそう自分に言い聞かせてみた。しかし、慎吾の本心はこの奇妙な世界を受け入れ始めていた。あのセピア色の写真に写っていた、どうしても名前を思い出せない野球帽の少年が、あの最後の夏休みの日からずっと鬼を続けているのかもしれない。そんな莫迦な話があるものかと、慎吾は笑い飛ばしたかったけれど出来なかった。
 慎吾は荒い呼吸がおさまるのを待って、無駄だと思いながらもう一度家に電話をした。時刻は午前一時を回っている。冬の冷たい夜風に慎吾は震えていた。
 呼び出し音を右耳で聞きながら慎吾は呼吸を整えた。一分は経過したと思う。やっぱり奈津美もマリコも出ない。あきらめて切ろうとしたとき受話器を取る音がした。聞こえてきたのは娘のマリコの声だった。
「お父さん、今どこにいるの?」
「あ、マリコか。お母さんに変わってくれ」
「いないよ」
「いない? こんな時間にどこにいったんだ?」
「わからない。連れていかれちゃった」
「缶取締り警察にか?」
「違うよ」
「じゃあ、誰に連れていかれたんだ?」
「鬼」
「え、何を言ってるんだ?」
「誰かが缶を蹴ってゲームが始まっちゃったみたい」
「どういうことだ?」
「お母さん、鬼に捕まっちゃった」

                                   了

文字数:5491

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