おしゃべりしましょう

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梗 概

おしゃべりしましょう

板垣死すとも、なには死ななかったのか。
これが日本史上最大の謎かけであり続けるのは、板垣退助が叫んだまさにそのとき、雑音ノイズが始まったからだといわれている。刺された板垣を取り囲み人々は揃って「なんて?」と聞き返したという。

1882年、謎の音が鳴り始めた。屋外はもちろん、屋内でも、世界中どこにいても休みなく音は聞こえる。川のせせらぎ、風にそよぐ葉のささやき、ショパンのピアノ。そんなものであればよかった。しかし音は完全な雑音であった。全く聞いたことのない種類の音で、何に似ているかと言われると難しかったが、その不快感は皆知っていた。つまらない自慢話、興味のない惚気話、上司が休日に何をしていたか、人の悪口・・・雑音ノイズに晒され、人々は疲弊していった。

結局、生活に耳栓が必須となった。耳栓をすれば雑音ノイズは防ぐことができた。
しかし、隣人の声もまた聞こえなくなった。聞きたくないおしゃべりだけでなく、楽しいおしゃべりもできなくなってしまった。要件は筆談で済ませることはできるが、それではリズムがない。おしゃべり好きな国民たち、イタリアのちょいワル親父に中国の親戚、アフリカの酋長たちにニューヨークの女子会、いたるところで自然発生的に独自の手話が生まれた。手話は意外と楽しかった。体全体を使って物語を表現する。おしゃべりは劇場。人々は新しい言語を楽しみ、口語は徐々に廃れていった。

それから百五十年、人々は耳栓で音を防ぎ続けていたが、ようやく雑音を消すためノイズキャンセリングの方法が開発され、今まさに実行されようとしていた。世界各地に設置された発信機から、空中に向かってもう一つの雑音ノイズが発せられる。世紀の瞬間を体験すべく、耳栓をとり、固唾を飲んで見守っていた人々が、二倍になった不快感に耳を覆った刹那、ふっつりと、世界から音が消えた。
百五十年ぶりに世界は静けさを取り戻した。しかしそれは一瞬の出来事。歓喜する人々の声で世界は音を取り戻す。割れんばかりの喜びの声。しかし、声があるばかりでもうそこに言葉はなかった。

空中に発せられた雑音ノイズに喜びの声をあげるのは地球だけではなかった。
「ようやく私たちとおしゃべりしてくれる星が見つかった!」
「返事してくれる星があるなんてね、長いこと待った甲斐があった」
「『おしゃべりしましょう』って私たちがいったのに対して『おしゃべりしましょう!』って返してくれたのよ」
どんな星なのか、どんな生き物がいるのか、なんの話をすれば盛り上がるか。おしゃべりは止まらない。雑音ノイズを発する生き物たちは、地球に着くまで飽きることなく雑音ノイズを交わし続けた。
地球につくと、彼らは興奮して急いで船から降りたつ。歓喜の声をあげる地球人が彼らに近づいてくる。その瞬間、異星の生き物たちはどこかで感じたことのある不快感に襲われたのだった。

文字数:1203

内容に関するアピール

明治維新の際、首都を東京でなく大阪にしていたとしたら、京都人の嫌味がうるさすぎて耳栓しないとやっていけなかっただろうな、というのが出発点です(実際には京都人は異星人になってしまいましたが)。
現実のドミノ倒しのロジックといえば真っ先に、コロナ禍からお肉券配布に至る道筋を思い出すのでそれを超える展開を作りたかったのですが、とても難しい課題でした。

文字数:172

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the one

それと同じものはもう売っていないというので、社長はご立腹であった。

真っ赤な表紙に金字で『亀』、裏表紙に『鶴』と彫られているバインダー。これに重要な書類を挟み、北に設置した棚の一番高い位置にしまっておけば事業が拡大する。そういう評判を得て一時期流行した文具だった。

年末の大掃除で、新入社員がゴミ箱へ投げ入れたのを知っていたけれど黙っていた。黙ってみな、あっちの棚やこっちの棚、個人デスクの袖机に給湯室の納戸、郵便受けに靴箱、トイレの便座まで、二度、三度と見てまわった。もう何日も前に灰になっているだろう鶴と亀を、大勢の大人が腰をかがめて探している姿は、滑稽というよりむしろ儀式めいていた。

かがむたびにスカートの裾が床に擦れるし、膝には小さな痛みが走る。先日五十歳の健診で、痛風の疑いをいい渡されたばかりだった。しかし事務所を見渡す大きなデスクでは社長が不動の姿で腰掛けて儀式に興じる社員たちを見守っており、作業を続けるしかない。
 社長の傍らにはファイルを捨てた当の本人がお茶を出しにきてそのまま佇んでいた。
「きっと出てきます。僕、年末の大掃除のとき確かに見ましたから」
 そのあと君が捨ててしまっただろう、といいたい気持ちを、誰もがこらえて作業を続ける。純粋な儀式とは行いそのものが目的であるべきなのだ。
 それにあのバインダーは三年前、『万人不同』が失われたときに購入されていたことをみな知っていた。だから社長がこだわっているのであれば見つけてあげたい、とも思っていた。新入社員が捨てるところを見ていながら、誰も止めなかった罪悪感もある。
 しかしそもそも、社長がまだそんなにこだわっているとは誰も思っていなかった。

 

 指紋は、生まれてから死ぬまでその形を変えない『終生不変』であると同時に、世界に同じ指紋を持つ者は存在しない『万人不同』のものとされてきた。両の特性は二〇〇年以上前に、指紋を何度もナイフで削ってみたり、数千もの指紋の判を収集して手作業で調べて証明したというのだから感服である。
 一番の功績は犯罪捜査への導入であった。犯人が触れた場所には必ず残され、そして、一致すれば言い逃れはできない。新しく強力な証拠の登場に、各国の捜査機関は飛びつき、そしてあっという間に広がっていた。そしてこの新しい証拠が一番活躍したのは、戦時中であった。指紋は、暗躍するスパイたちの流入流出を食い止めるための大きな手がかりとなった。各国で指紋は重要な情報として収集され、日本の警視庁でさえ1951年で五百万人分の指紋を保有していたと言われている。
 戦後も引き続き、指紋の収集は秘密裏に行われていた。二次大戦中から冷戦時にかけてドイツ、東ドイツが収集したデータをソビエト連邦、そしてロシアが引き継いだ。指紋による生体認証が一般化し、スマートフォンをはじめとしたあらゆるセキュリティを自らの指紋を鍵にして解除することが一般的になってからは、さらにその数は加速度的に増えていった。各機器に登録された人々の指紋データは、通信・政治的ネットワークを通じて収集され、コンピューターによって日夜、照合が行われる。指紋の数は、紙にインクで押したものもいれて世界人口八十億の二倍を超えていた。それだけのデータの保管と、照合のためのコンピューターを設置するには、それなりの広さが必要なはずだったが、そんな場所はインターネット上の地図をくまなく探してみても見当たらなかった。

それが人々の前に初めて姿をあらわしたのは、アマゾンの神秘を伝えるイギリスのネイチャー番組だった。生い茂る木々の中に映り込んだ美しいほど無機質で巨大な白い直方体はSNS上で話題となった。その正体についての議論が収拾つかぬほど白熱したと言えど、この重大であったはずの秘密は随分あっさりと公にされた。
 そして、それと同時に発表されたのが『万人不同』の否定であった。
 確率はごくごく低いけれど世界に同じ指紋が存在しないわけではない、つまり『万人不同』と見えたのは単にサンプル数の不足によるものであった、というわけだったのである。
 個人情報の流出、国家による収集、ナチスからの遺産、そして『万人不同』の否定。長く隠されてきた秘密には論点が多すぎて、一般人が正しく反応するのは難しかった。大衆向けのメディアは一番わかりやすい「指紋の常識、くつがえる!」を見出しにした。

指紋の『万人不同』の原則が覆されたといっても、結局一般人の生活はなにが変わるわけでもなかった。自分と同じ指紋を持つ人は、確率的には、同時代の世界に多くても一人というのだから、隣の人が同じ指紋かもしれない、なんてことは宝くじに当たるよりもっと低い確率であり、だから電子機器の指紋認証も引き続き変わることなく使われた。そもそも機器による指紋認証の誤認による、本人拒否や他者受入の確率に比べれば、同じ指紋を持つものがたまたま開けてしまう確率など、ゼロも同然だった。警察の捜査にしたって、指紋が重要な手掛かりとされる状況は変わりなかった。もともと指紋だけで犯人を探すことなどほとんどない。指紋の一致に加え、その他いくつかの条件を鑑みて人物特定を行う。それらが全て一致するなんてことは・・・まあそういうことがあってから考えればよかった。

つまり『万人不同』を喪失しても、私たちはなにも失わなかったのだ。
 なのになぜか、そんな明るい世界の中でさえ、なにかを見失った人々がいた。

『人間は時の移ろいとともにその姿形を変えていきます。赤ん坊が子供になり、思春期、青年期を過ぎ、やがて老いさらばえていく。横一列に並んだ老人を前にして、彼らの赤ん坊時代の写真をピッタリ当てることができるでしょうか。時間とともに変化していく外見に、我々を我々たらしめる証拠は存在しません。
ならば心は? 
記憶は?
いわんやおや。人生のフィルムがあるとして、その断片を見て、これが自分のフィルムだと誤りなく手に取ることができる人が一体どれほどいるでしょうか。それは本当に私だけのものでしょうか? 他人も似たような記憶を持っていないか、自分のものだと思っている記憶は本当に自分のものなのか。そんな、常に変わりゆく不確実なわたしがこのわたしであることを証明するもの、それこそが指紋だったのです。けれど、わたしたちはそれさえも失ってしまいました。時間や空間によらず、わたしをわたしだと証明してくれるものなどもう、存在しないということなのです』

社長だけが誰にもバレていないと思っている、社長のプライベートSNS。定期的にチェックしている者もいれば一度も見たことがない者もいるけれど、社員はみんなそのアカウントの存在を認識し、どんなことが書き込まれているかもだいたい把握している。
 この書き込みについてもすぐに話題になった。精神世界に心を開きすぎるきらいのある社長のこと、いつものことと言えばいつものことだったが、極端にすぎないか、という議論が社員の間で繰り広げられた。

指紋での個体認証が不可能になったからといって、「わたし」の証明が完全になくなってしまうわけがない。
他の認証方法もあるし、複数方法の組み合わせが「わたし」を作るんじゃないか。
外見の話はまだしも、自分の人生フィルムを選べないなんてことは簡単には頷けない。
全然意味がわからない。
大袈裟で悲観的なものいいで自身をあおってるんだよ。
そうしたいんでしょう。

どれも頷ける意見だったし、社長の言い分よりよっぽど合理的で論理的に思われた。しかし、皆がそうというわけではなかった。
老いて若き日の美しさや強健さを失った人、心変わりをして去っていった恋人に取り残された人、物忘れがひどく子供に怒られてばかりいる人、自分探しの旅の途中の人。
 人生の裏路地に一人ひっそり佇んで「わたし」という人間の存在証明を求める人々の前に社長の言葉はトカゲの姿をして現れる。彼らはその薄暗い場所にいて、塀を這いまわる漆黒のトカゲから目を離せなくなるようだった。そして、社長の書き込みに❤︎を押したり、より熱心で過激なコメントを残したりしていた。
 社長というのは得てして悪い人間とみなされがちだが、この社長は悪い人間というわけではない。鶴とか亀とかを信じるタイプの人間、というだけなのである。
 うつろい易い顧客のご機嫌伺いをあの手この手で日々繰り返し続けることが人生だった社長にとって『万人不同』の否定は、わたしたちと全く別の意味を持っているようだった。暮れなずむ窓の外の街を背に、自分の人差し指をじっと見つめる恰幅の良い壮年男の侘しさをわたしは今でも思い描くことができる。そのとき、今後はどんな儀式でも黙って受け入れようと思ったのだった。

『万人不同』が覆されたことで社長のように何かを失った人がいる一方、新しいものを得た人もいた。
 運命の人である。
 世界のどこかにいるかもしれないという、自分と同じ指紋を持つ者。それは前世やソウルなどという不確実なものによらぬ誰の目にも明らかな証拠であり、人々はたちまち運命の人探しに熱中した。指紋マッチングアプリケーション『the one』は、あっという間に全世界登録指紋数、十億を超えた。スマートフォンにアプリケーションをダウンロードし、自分の指紋を登録すれば、同じ指紋をもった人を探し出してくれるといういたって簡単な仕組みで、既に登録されている人の中に運命の人が見つからなかったとしても、一度登録しておけば、その後追加された指紋の中に合致するものが見つかれば知らせが来るようになっている。見事運命の人が見つかり、さらに双方の合意が得られればコミュニケーションも可能、会うことも夢ではない。しかし十億の人がいても、運命の人を得られる確率は二十分の一ほど、さらにその相手が簡単に会いに行けるほどの距離(物理的にも心理的にも)にいることはさらに稀なケースであった。

あの日、社長の鶴と亀が見つからず、重苦しい空気で新年の宴席を囲んでいた。
 仕切り直そうと新入社員が張り切って注文した鯛の焼き物に、おどけた顔の鶴と亀の飾りが添えられていて、場の空気はさらに重くなった。もうずっと前から、宴席でも手酌の習わしがすすんでおり、さしつさされつ、、、、、、、で間をつなぐことができない。ふと会話が途切れたおりに誰かがスマートフォンを出そうものなら引きずられるように一斉にみなが同じようにして、同じテーブルにいながらそれぞれが一人で来店したような具合になった。
 そして取り出したスマートフォンを見てわたしは声を上げることとなる。
「どうしましたか」
 隣のメガネの男がこちらへ顔を向けた。異様につるりとした白い肌である。
「見つかりました」
「なにが」
「運命の人」
 うつむいていた顔が一斉に持ち上がってこちらを向き、一斉に話し始めた。
おめでとう、
どんな人ですか、
男ですか、
女ですか、
いくつですか、
ビールもう一本、
写真ありますか、
ナニジンデスカ、
ほんとうですか、
誕生日はいつですか、
何色が好きですか、
お新香ください、
え、あじゃあきゅうりでお願い致します
 ようやく新年の様相をえて宴席は活気づいた。みなの見守るなか、自分の基本情報の公開を一つずつ承認して、全ての項目を選択し終わると、相手の情報も見ることができるようになった。
 わたしの運命の相手は二十一歳の女性、日本に住んでいるとのことだった。
「なんとまあ、本当に運命ですね」
 向かいの女が眉を上げる。彼女の相手は、ボリビアの大きな湖で漁師をしているのである。
「でも最近は、詐欺もあるって聞きますから近すぎるのはちょっと警戒した方がいいかもしれません」
 まだ運命の人を得ない別の男が、斜め向こうからいう。詐欺があるというのはニュースで見たことがある。the oneの指紋認証は光学式、つまり指紋の写真であるから、その写真が何らかの事情で流出、または入手する機会があればそのデータを使って運命の人を装うことができるというのだった。
「甘い言葉をささやいてきたら、気をつけてくださいね」
 五十歳の独り身の女なんて詐欺には最高のカモですよ、と思われているに違いない。心配してくれるのはありがたいけれど、可哀そうな年寄り扱いされるのは耐えがたい。大災以降、そういう扱いに敏感になっている。最初の頃はみな気を付け合っていたのに、もうすぐ十年にもなると、それぞれの喪ったものの差みたいなものが、こうやって形になって現れている気がした。こんなちょっとした言動をきっかけに、すぐ深い疑いに手を伸ばしそうになる。
 背筋を伸ばし、深く呼吸をする。迷い込まない、やり過ごすしかない。
「うまくいけば会えるじゃあないですか」
 また別の人がいうと、その向かいで鶴と亀を捨てた新入社員が首をかしげた。
「会いたいですか」
 わたしはうなずく。
「会ってどうするんですか」
 そういわれてみれば、会ってどうするかは分からないけれど、「運命の人」と「会う」は、「あおによし」「奈良」なんであって、どうするこうするの問題ではない。
「君も運命の人が見つかったらまあ、そうは言っていられまいよ」
 答えられずにいるわたしに替わって隣のメガネの男がいった。この男は運命の人に会いにニューヨークまで行ったのである。
「会いに行ったことで我々は特別な絆のようなものを得たんだよ、そうでなければこの感じはきっともてなかったと思うよ」
 といつもの言葉を続けた。
「でも、それ以来連絡をとってないんでしょう?」
「ああ、特に必要がないから」
 新入社員はあざけているのか、全く理解できないのか、判断しかねる表情で
「僕には必要ないものですね」
 といった。

年の頃から考えて、彼女も新入社員と同じように考えるかもしれないと思いながらメッセージのやりとりを続けた。彼女について知っていることは、富山県の海に面した街で一人暮らしをしている、両親は大災で失った、幼馴染や親戚が近くにたくさんいるから寂しくはない、金沢で働く兄がいる。そしてダイビングをする。
 日々のやりとりは、彼女が撮った海の写真が中心で、それにわたしが感想を述べたり、質問をしたりした。通勤途中に撮ったつまらない写真をわたしから送ることもあったが、彼女からの反応はなかった。でも嫌というわけでもないらしい、となんの根拠もなく思った。

 インターネット上の地図で彼女の住む街を徘徊し、彼女が撮る写真を自分の視界に重ねると、えもいわれぬ心地がした。さらに彼女がわたしの送った写真を視界に重ねているところを想像すれば、さらにえも言われぬ思いがした。
 好みが合うわけでも気が合うわけでもない。年齢も母と娘ほど離れている(実際、彼女は息子と同じ年の生まれだった)。そもそもそれほどお互いのことを知らない。それでもわたしは彼女であり、彼女はわたしであるような気がした。自分と同じ指紋を持つ者。こことは違う場所で違う生活をしているもうひとりのわたし。そんな感覚が強くなるのと反比例するように、会いたいという気持ちは消えていった。メッセージのやりとりだけで十分に満足していることもあったけれど、実際会ってしまえば、わたしたちが違う二人の人間であることを認めなければならない。それを知ってか知らずかわたしたちは互いの外見が分かる写真を見せ合うことはしなかった。分かちがたい感覚で繋がれたこの関係を壊さぬよう、互いに少しずつ注意を払っていた。積み上げてきた心地よい運命を手放したくなかった。

 社長は運命の人を恐れていた。わたしが運命の人を得た次の日、デスクの上にニンニクを六つ麻紐で連ねたものが置いてあった。それを袖机の中にしまってから社長の元へ行き、礼を伝えたときには咳払いともつかぬ返答が返ってきただけだったが、昼休みに食事に誘われ、たわいない会話の合間に「大丈夫なのか」と聞かれた。彼女の簡単な情報を伝えると「そうか」といってそれから、
「あれを部屋の一番大きな窓の上に飾るといい」
と教えてくれた。
 社長が恐れるものを理解はできなかったが、家に帰ったら言われた通り西側の掃き出し窓の上に飾った。知らない宗教のお正月飾りのようで少しエキゾチックに見えたけれど、一週間もすると臭いがひどくて捨ててしまった。

それから五年ほど、彼女とのやりとりは続いた。途切れることもあったけれど忘れた頃にどちらかが思い出したように写真を送り、その間に二十一歳の女の子は女性に成長し、結婚の報告もあった。高砂から来賓たちが熱心にコース料理を平らげている姿を撮った写真を、わたしは待ち受け画面にした。仕事の合間に盗み見てはニヤニヤするわたしを、新入社員(ももう新入社員ではなく、新しい新入社員がいたのだけど)は怪訝な顔で見ていた。

彼女との連絡が完全に途切れてしまったのは、彼女が子供を産んだあとだった。結婚した彼女は海辺の街から山へと引っ越していた。立山連峰を望む高原地帯。写真を彩っていた海の青は、草木の緑へと移り変わり、日に日に膨らんでいく腹の写真が定点観測で送られてきた。
 東京にその年初めの雪が降った日、目覚めると枕元のスマートフォンが彼女からの知らせを伝えていた。小さな画面の中に、薄灰色の皮でおおわれた、まだ人間とは言いづらい生き物の姿があった。
 外の雪はあらゆる世界の音をすいこんで、部屋の中にいても空気はするどく冷たかった。悴む指で画面をタップする。
「おめでとう」
 あふれでる思いを言葉にすることは難しかった。
「わたしもまた、母になったような気持ちです」
 彼女からの返事はなかったが、新しい子への訪問客を受け入れたり、泣きやまぬを抱きあやしたり、乳をやる練習に悪戦苦闘しているだろうことを思うと、しんしんと降りつもる雪が、東京の街をあの日本海の高原へと変えてしまうようだった。

そして一週間後、彼女から最後のメッセージが届いたのだった。

『こどもというのは確かに世界のものかもしれません。先の大災で多くの人が亡くなって、人口が減って、こどもは世界のものだといわれるようになって、わたしもそう思ってきました。けれど、こうして今自分のこどもを手に抱いてみると、このこどもはわたしのものだ、という思いが強くあります。わたしの所有物、というのではありません。ただ、この子を育てる責任をとるのはわたしだけだ、という思いです。
 わたしは大災で両親を亡くし、あなたは夫とこどもを失いました。ほとんどの人が身近な人を失った後を生きる中で、失ったことが特別でない生活の中で、もうひとりのわたしとして、わたしを求めてくれるあなたはどれだけ心の支えだったでしょう。どうしても寂しいとき、みんなも寂しんだからいっても仕方ない、で済ますことができないとき、あなたがわたしになってくれました。あなたにわたしを預ける間、わたしは誰でもないものになって、もう具体的な理由を失ってしまったただの寂しさに泣くことができました。面倒をのぞいた親子関係のようでもありました。あなたが送ってくる写真のピンボケ具合や、背景が多すぎる感じが、死んだ母の撮った写真を思い起こさせるせいもあったかもしれません。
 けれど今、わたしは母になりました。もう、わたしでないものにわたしを預けることはできません。わたしは他の誰でもないわたしであり、わたしが母としてこの子を守っていかなければならないのです。
 お体を大切に長生きしてください、わたしの運命の人my one

こうしてわたしは、再びひとりになった。
 もうひとりのわたしはわたしであることを否定し、わたしはまた世界にただひとり、万人不同の存在になった。もうずっと前から馴染んでいたはずの大災との距離の取り方がうまくいかなくなり、大きな何もない空洞が日中夜問わず襲うようになった。彼女がいうように、大災で失った息子と彼女を混同していたのかもしれなかった。
 会社でパソコンに向かってキーボードを打っているときも知らぬうちに涙が流れていることがあった。そのたびに、もうすっかり中年の風格をえた新入社員がティッシュを差し出し、わたしは黙ってそれを引っ張った。彼は来年、運命の人と暮らすために韓国へ移住することになっていた。彼の言葉を気にして運命の人と会うことを躊躇したわたしがこんな結末を迎え、自分はちゃっかり兆の確率といわれる運命の人とのパートナー成立をしようとしていることが腹立たしく思えてくると、ティッシュを渡すのもせせら笑っているかのようにみえて、わたしは社長に鶴亀のファイルは彼が捨てたのだと告げ口をした。嫌な女である。もう五年も前のことであるのに、社長はよく覚えていてわたしの穢らわしい言葉に咳払いともつかぬ返事をした。その声とも音ともつかぬものが辛く、わたしはまた泣きだしてしまった。わたしが泣く間、社長はただ黙って見ていたが、次の日出社すると、デスクの上にはピンク色の小さなブリザーブドフラワーの箱が置かれていた。

五十七歳の誕生日にわたしは二度目の結婚をした。風水的に良いレストランで社員と互いの親しい友人だけを招いた小さな食事会をひらいた。出席者たちはみなまるで自分のことのように喜んでくれた。彼女に写真を送りたくて何度もスマートフォンを開いては閉じるを繰り返すわたしの手を、夫は、若い人たちがやるような恋人つなぎをしてとった。一致しない、親指の指紋が重なり合う。運命の人を得た日に夫からもらったニンニクを思い出す。
 彼女は今、他の誰とも違う「わたし」としてひとり、世界に立ち向かおうとしている。スマートフォンを手から離して二つの手で夫の手をとると、夫は向こうを向いたまま小さく「ん」といった。

年甲斐もなく浮かれていたせいで、わたしはそのニュースを二日も遅れて受け取った。
 溶岩と土石流に押し流され、火山灰の降りつもった町の様子は変わり果ててはいても、背後に聳える白く鮮明で強靭な山の連なりには見覚えがあった。彼女のメッセージに散りばめられたいくつかの情報をもとに地図を調べてみると、噴火した火山はまさに彼女の住む高原であった。そう大きくもない町で死傷者は数十名に上り、行方不明者もまだ少なくない数いるようで、助かった人々も避難所で寒さと戦いながら怯える日々を過ごしているという。
 こんなときぐらい連絡してもいいのではないか、連絡などしてもなにができるわけじゃないのに仕方ないじゃないか、こどもは大丈夫だろうか、怪我はしていないだろうか、お腹を空かせていないだろうか、暖かくしているだろうか、おしめはあるのだろうか、またひとりになってはいないだろうか。

新入社員を韓国へ送り出すための壮行会でも、わたしは上の空だった。
 会の中盤、運命の人に会いにニューヨークへ行った男が隣へ移動してきて、「ま、ま」といってわたしのグラスにビールを注いだ。この男はわたしと同じ年の生まれで大災に愛犬を失っていた。もうずっと昔に失われた風習が目の前で再現されるのを懐かしいような恐ろしいような気持ちで見ていたが、グラスを持ち上げて見せられると、思わずこちらも手に取ってグラスを重ねてしまった。
 互いに半分ほどを飲み干したところで男がいった。
「行かれてはどうですか」
 なんのことか分からずにいると、男が続けた。
「火山、彼女の町なんでしょう」
 どうして知っているのかと問うと、夫に聞いたのだという。夫にも何も話してはいなかったが、夫は『万人不同』を大切にする人間であるから、わたしが普段と違うことに気づいていたのかもしれなかった。
「会いに行ったことでわたしは特別な絆のようなものを得たんです、そうでなければこの感じはきっともてなかったと思います」
 男はそう、いつもの口上を述べた。
「行ったところでわたしは彼女と会うことはできません。彼女は嫌がると思うし、それにそもそも見た目を知らないんです」
「わたしも会ってはいませんよ」
 そういった男の頬は、妙に白くつるりとしていた。どこかで見たことがある気がするが思い出せない。
「行くには行ったんですが、会えなかったのです。後でわかったことですが、直前に交通事故で亡くなっていたんだそうです」
 それは、といったものの続く言葉が思いつかない。
「約束の場所に立ち、彼が散歩していた道を歩き、同じ言語で話し、美味しいというレストランで食事をし、いつもの教会で礼拝に参加しました。あのとき、わたしはもうひとりのわたしでした。えもいわれぬ時間でした」
 そして男は手酌で自分のグラスにビールを注ぎ足して
「行かれるといいと思います」
 といった。
 この男と共に鶴と亀を探したときのことを思い出す。ないと分かっているものを探す、純粋な行為に支配された時間。生まれて死んでゆくだけのわたしたちが、生きるということそのもの。

そうして今、わたしは列車に乗っている。
 背負い慣れないリュックサックと大きなボストンバックには、まくらに菓子パン、絹のソックス、子どもの肌着に、おしめ、絵本、化粧水にくし、カイロと春雨、ビタミン剤、とにかく思いつくもの全部がパンパンにつまっている。
 こうして会いに行けるのだからやはり、彼女はわたしの運命の人といって過言ではない。

文字数:10223

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