眩しい闇の名前はひかり

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梗 概

眩しい闇の名前はひかり

 東京で働くみちるは、母が自宅で亡くなったことを警察からの電話で知った。母は病に倒れ、十日ほど前に息を引き取ったとのことだった。父は幼少期に他界しており、母は小さなアパートで一人暮らしだった。上京以来疎遠だったことへの後悔の中、小さな鉢植えだけが置かれた母の簡素な部屋で警察官から遺書を手渡される。そこには自身の葬儀を「堆肥葬」で行ってほしいと書かれていた。

 少子高齢化に伴う無縁墓の増加・環境配慮の重要性の高まりから堆肥葬が合法化されたのは二十年前。やたらと話題になったため、みちるも存在は知っていた。当時はヴィーガニズムに向ける視線同様、新興文化に対するメディアの論調は冷ややかだった。
 母の意図を測り兼ねながらもその想いを尊重したいみちるはweb検索から堆肥葬企業「みらいコンポーズ」を見つける。サイトの説明は丁寧で料金も普通の葬儀に比べると安い。想像よりも堆肥葬は合理的なものに思えた。親族らしい親族もなく葬法で揉めることもない。みちるは、みらいコンポーズに葬儀を依頼する。
 堆肥葬は荘厳で、スタッフの対応も丁寧だった。仏教葬しか経験のなかったみちるは感銘を受ける。東京に戻り、同僚に堆肥葬のことを話すが、みちるの熱意とは裏腹に同僚たちは怪しい視線を向けてみちるのもとを離れていく。友人も多くないみちるは徐々に都会で孤立していく。 
 半年後、退職し地元に帰ったみちるは、母の堆肥の眠る「みらいの森」で行われる合同セレモニーに招待された。堆肥葬の魅力を共有する他の遺族たちとみちるは意気投合する。そして彼らの「命はみな同じ場所から生まれ、同じ場所に還ってゆく。孤独はどこにもない」という思想に共鳴し、彼らと共に堆肥葬の普及に取り組む。

 独居の高齢者の家を訪ね、終活の一環として遺書の執筆、そして堆肥葬の利用を薦める。みちるは彼らに母を投影させた。相手もみちるを娘のように可愛がり、言われるがままに遺書を書いた。次々と話を纏めるみちるは、みらいコンポーズからも評価される。個人のSNSでも発信を始めたが、次第に「高齢者詐欺」「自分が堆肥になれば?」などのアンチコメントばかりが増えた。

 堆肥葬の普及が生き甲斐になっていたみちるは現実とのギャップに義憤を感じ、自ら堆肥カプセルに入る。批判に打ち勝ち、自身の思想を正当化するために。

 みちるの死は、若い女性の殉教とメディアに書き立てられ、次々とみらいコンポーズの実態が暴かれていく。警察も捜査に入り、その売上の漸進的な増加とは裏腹にみらいコンポーズは水面下で膨大な顧客を獲得していたことが判明する。いずれも独居老人とその家族だった。高齢化・環境配慮・核家族化、そのどれもがみらいコンポーズの追い風になっていた。葬儀自体の数は年間限りがある。しかし水面下で合法的に増えた「信者」は数字に表れない影響力を物語っていた。

翌年一つの新しい政党が議席を取った。

文字数:1200

内容に関するアピール

 最小限の嘘は、「日本で堆肥葬が合法化された」で、最大限の効果は「一企業が巧みなビジネスで膨大な支持者を集める」です。「みらいコンポーズ」は、あくまでもビジネスをただ粛々と進めただけで、思想や布教などという活動は、みちるたち(堆肥葬に魅了された人々)が勝手に見出だしたものです。
どうしても人は断面を切り取ってしまうし、自分の見たいようにものを見てしまうという現実と向き合っていきたいです。自戒を込めて。また、死や孤独を持ち出されたときの人の脆さや思い込みの激しさなども描き出せればと思います。ちなみに、堆肥葬はアメリカで合法化されていて、わたし自身は選べるのなら堆肥葬を選択したいなと思っています。

文字数:299

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花を食む子どもたち

1. 花守
 重たげな灰色の雲の隙間から零れた細い光の筋が、いくつも波の中に吸いこまれてゆく。島の端にある岬からは、大海原が一望できた。スコップを堆肥に突き刺して、身体をもたれかける。ひと仕事終えた朝は、気怠さで身体が余計に重く感じる。ぬるくてからっぽな風がわたしの足元をひと撫でして消えていった。海も、静かなのに暗い色をして、どこか油断ならない雰囲気だ。この島はいつもそう。人の胸をざわざわと不安にさせる。わたしは、足元に絡みついた不快感を拭うように、小刻みにスコップを蹴飛ばして泥を落とす。遠くで海鳴りが聞こえたような気がした。
 
 この島は南北に伸ばされた涙の形をしていて、南側には広々と美しい丘があり、北側には寂しげな岬と〈ホール〉がある。ここでは、島の「どちら側で生まれるか」によって人生が大きく変わる。南側で生まれたものは豊かで不自由のない暮らしが与えられるのに対して、北側で生まれたものは貧しく厳しい生活を強いられ、孤児となる者も多い。北側はごつごつとした岩肌の枯れた大地ばかりで、作物が育ちにくく、生き物も少ない。そのため北側の人々は、小さな土地で細々と麦や野菜をつくりつつ、〈ホール〉で働いてわずかな日銭を稼いでいる。
 食堂につくと、もうお祈りが始まっていて、院長先生の非難がましい視線が痛かった。わたしはナツの隣にするりと身体をすべり込ませる。ナツはわたしの顔を見ると、目だけをほころばせてふにゃりと笑った。
 「ハル、また海みてたんでしょう?」
ナツは耳元で囁きながら、わたしの脇腹をそっと小突いた。わたしもすかさずナツの太ももをつねる。ナツとは、同じ日にこの孤児院の前に捨てられてから13年、片時も離れず一緒にいる。
 「今日の引き渡しは?」
わたしはクスクス笑いが漏れないよう気を付けながら小声で尋ねる。
 「えっと、水仙と薔薇と…あと百合だったかな、たしか」
 「ふうん、今日はそんなに多くないね」
 「そうね」
ナツの投げやりな相槌がすこし不満だったけれど、院長先生のこれみよがしな咳払いが聞こえたので、わたしは口をつぐんで食事に集中した。
 
 孤児院の裏には森があって、そこを抜けると真っ白なドーム型の建物、〈ホール〉が現れる。〈ホール〉の裏手から岬の先端まで、孤児院が丸々2つ分くらい入りそうな広さの豊かな花畑がある。春・夏・秋・冬とそれぞれの季節ごとに細かくレンガで区分けされた花壇が並ぶ。ひとつとして同じ花の植えられている花壇はなく、種類も大小も様々な色とりどりの花たちが一年中咲き乱れている。どれもこの花畑のために季節を問わず咲くよう品種改良されていた。この場所の管理を担っているのが、わたしたちの孤児院だ。7歳から植物や園芸の基礎を叩きこまれ、10歳になると「担当の花」が与えられ、いちから育てたり、手入れをしたりといった仕事を任される。
 ナツが、花畑の横にある小屋の前にみんなを集めた。
 「それじゃ、水仙と薔薇と百合の担当の子はそれぞれ良さそうなのを見繕って持って来て。その他のみんなはい 
  つも通り。がんばりましょう」
わたしが声をかけると、みな一斉に花畑の中へと走り出した。無邪気な姿に胸がぎゅっと締め付けられる。みんな、まだ自分たちが何を育てさせられているのか知らない。かつてのわたしと同じように。
 「ハルねえさま!」
10歳になったばかりのマリが駆け寄ってくる。おさげに結った黒髪がぴょこぴょこ揺れて可愛らしい。
 「あの、百合なんですが、選ぶの初めてで、どれがいいのかわからなくて……」
走ってきたせいか、頬が赤くなっている。
 「そうだったね、ごめん。今から一緒に選ぼう」
マリはわたしの言葉にぱっと明るい顔をして、「はい!」と元気よく言った。
 曇り空からこぼれるひかりは淡いのに眩しくて、マリの持つスコップの白さが目に痛かった。マリのまだ新品のスコップに胸の奥がざわざわした。――マリもいつか「秘密」を知ってしまう日が来るのだろうか。かつてのわたしたちのように、マリもわたしを恨んだりするのだろうか。思考は水路を流れる水のようにどこからともなく溢れてはゆるゆると緩慢な動きで時間さえも溶かしてゆく。
 「ハル!アカリさんが呼んでる!」
ナツの声でふと現実に引き戻された。花畑の入口にナツとアカリさんが並んで立っている。ナツは両脇に水仙と薔薇の鉢植えを抱えている。わたしも、マリと選んだ百合の鉢植えを持って、ふたりのもとへ向かった。
 
 いつもの道を並んで歩く。
 「みんなはどう?元気してる?」
アカリさんが遠慮がちに尋ねた。わたしは、ええ、とかまあ、とか適当な返事をした。
 「アカリさんは?お元気ですか?」
ナツが気を遣って、わざとらしいほど明るい声音で言うと、アカリさんは小さく笑った。アカリさんは2年前に孤児院を出て、〈ホール〉で働いている。
 黙々と歩いていたら〈ホール〉についた。〈ホール〉の天井は吹き抜けになっていて、透明なひかりが真っ白な床に反射すると一層あかるく見えた。ホールの壁には無数の穴が開いていて、時折、細長い船のようなものを抱えた人たちがやってきては、それを穴の中に差し込んでゆく。アカリさんは、手元のデバイスを確認しながら、ホールの真ん中を突っ切った。アカリさんが壁に表示された「52」という数字に触れると、壁から真っ白な船のようなものがせり出してきた。アカリさんはそれを慎重に開ける。中には土がたっぷり詰め込まれていて、むっと、雨の日の朝のような濃い香りが立ち込めた。アカリさんは、体温計のようなものをその中の土と、ナツが抱えている水仙の鉢植えの中の土との両方に差し込み、ディスプレイを見比べた。同じことを「38」の壁の中の土と薔薇の鉢植えの土、「13」の壁の中の土と百合の鉢植えの土でも繰り返すと、ようやく、「はい、ご苦労様。すべて問題ありません」と言って笑った。
 
 アカリさんは、わたしたちを〈ホール〉の出口まで見送ってくれた。
 「ごめんね、面倒な役割押し付けて」
アカリさんが俯きながら、震える声で言った。
 「別にアカリさんのせいじゃないですよ。誰かがやんなきゃどうしようもないんだから」
思いのほか冷たい声音になってしまう。すかさずナツが、「わたしたちふたりですし、全然平気ですよ」とアカリさんの手をとってフォローしてくれた。
 
 この島の人たちは死んだら〈ホール〉で遺体を堆肥化され、森へ還る。けれど、丘の上のお屋敷に住んでいる一族だけは例外で、堆肥を森に還さずに、その堆肥で花を咲かせる。それが、わたしたちの育てている花たち。そして、これが孤児院の最年長者に伝えられる「秘密」。わたしたちはアカリさんから受け継いだ。大人たちがしたくない仕事は何も知らない子どもたちに回されるのだ。わたしたちの仕事は死んだ丘の一族の堆肥から花を咲かせて育てること、アカリさんの仕事は孤児院の子どもたちがきちんと花の世話をしているか監視することと、その花をしっかり届けさせること。アカリさんの意志ではないとわかっていても、やはり信頼していたアカリさんにずっと欺かれていたというわだかまりが拭えずにいる。アカリさんと同じ立場になって、アカリさんの気持ちが痛いほどわかったとしても。
 
 海からのぬるい風が、岬をゆっくりと流れてゆく。わたしとナツは並んで花畑に戻る。〈ホール〉から帰るのはふたりともいつも気が重かった。ナツが、わたしの手を握った。わたしもやわらかく握り返した。風にはすこし、秋の匂いが混じっていた。
 
 
2. 花盗人
 この灰色の島の中で、岬に咲く花たちだけが鮮やかな色をもっていた。花たちは雲の間から差し込むほんの少しの光の中でも競うように輝いている。けれど、どんな色の中からでもあたしの黄色、あたしが育てている百合の黄色だけは何よりも特別に見えた。
 この島はいつも曇っているから、朝も薄暗い。あたしは朝に強いから平気だけれど、同室のリサはいつまでたっても起きてこない。肩まで伸ばした黒髪を三つ編みに結いながら、バスルームからリサの名前を呼んだ。
 
 自分の花壇と担当の花をもらってから、あたしは毎日の仕事が楽しくてたまらなかった。あたしは、お日様の色をまるごと溶かしたような、とてもきれいな黄色の百合を育てている。ふかふかの土の中から新しい芽がひょっこり出てくること、茎や葉がぐんぐん伸びること、つぼみがゆっくりとふくらんでゆくことが、うれしくてたまらなかった。そしてなにより、淡い日のひかりを何倍も輝かせるような、まぶしい黄色の花が咲くことが一番あたしの胸をときめかせた。
 
 いつものようにみんなで花畑に来た日、あたしの百合の中から一番良いものを鉢植えに移してハルねえさまに渡すようにと言いつけられた。ハルねえさまに選ぶのを手伝ってもらって、いちばんきれいで大きい百合を鉢植えに入れた。ハルねえさまが鉢植えを持っていってしまったあと、地面にぽっかりと空いた穴を眺めていたら、自然と涙が出てきた。岬の風に揺れる百合たちが、さわさわとささやき声のような音を立てた。なぐさめてくれているみたいだった。あたしは、急に百合のことをめちゃくちゃに抱きしめてやりたくなって、はなびらをぎゅっとにぎった。すると、はなびらは、音もなくあたしの手のひらに落ちた。あたしはただ、呆然と手の中の花びらを見つめ、ふと、そのまま口に入れて飲み込んだ。眩暈に似た薫りにあたしは身体を震わせた。今でも、どうしてそんなことをしたのかわからない。けれど、その時のあたしは、その場で百合の花を食べてしまうことが一番しぜんなことに思えて勝手に身体が動いたのだ。
 その日の真夜中、限界を超えた空腹が痛みとなってあたしを襲った。みんなで夕食を食べたはずなのに。身体の真ん中からきりきりと引き絞られるような痛み。自分で自分の身体を抱きしめながら、目をぎゅっと閉じる。自分の皮膚の感覚や温度を強く強く意識した。そうしないと、意識がまるごと自分の中心に、痛みに、落ちていってしまいそうだった。――百合。百合を食べたい。あたしは震える身体を引きずるようにして百合の元へ向かった。
月の光に照らされた百合は、いっそう幸せそうに輝いていた。今まで見た何よりもみずみずしく、月の雫のようだった。あたしは、はなびらを一枚もぎとって、口に含むと、ゆっくりと飲み込んだ。百合が、あたしの身体の真ん中をまっすぐに落ちてゆくのを感じた。身体が切り裂かれるような痛みがすうっと引いて、代わりにじんわりと幸せな気持ちが溢れた。
 それからのことは、あまり覚えていない。あたしは花壇の中の百合をすべて食べつくしていた。朝方、ハルねえさまが見回りに来た時、花壇で倒れているあたしを見つけてくれたらしい。院長先生も、リサも、みんなあたしを見るなり悲鳴をあげた。あたしも、目を覚ましてバスルームで自分の姿を見た瞬間、絶叫した。あたしの真っ黒だった髪が月の光のような淡い金色に、明るい茶色だった瞳がブルーグレーに変わっていた。あたしの声を聞いたハルねえさまが部屋に飛び込んできて、あたしをずっと抱きしめてくれた。ねえさまの胸があたたかくて、そのまま安心して寝てしまった。次に目を覚ましたとき、あたしは真っ白な部屋で、大勢の大人たちに囲まれていた。怖くて声を上げようとすると、ひとりがあたしの腕に注射針を刺した。あたしはまた深い深い眠りに落ちて、次に目を覚ましたのは、知らない子どもの匂いのする、広すぎるベッドの上だった。
 
3. 乳母
 旦那様がマリ様を抱えてお戻りになった日のことは、今でも鮮明に覚えております。マリ様は本当に坊ちゃまに生き写しで、お姿を見るなり腰を抜かした者もいるほどでした。旦那様と奥様とわたくしの3人だけは、マリ様の秘密を知っておりました。けれど、はじめはまったく信じられませんでした。どこからどう見ても坊ちゃまなのですから!しかも、見た目だけではなくて、時折、わたしたちふたりだけの秘密をぽつりぽつりとお話になることもありました。ツバメの巣の場所や、森で食べた木苺の話など、他愛のないものではありましたが。けれど、そのときは本当に、坊ちゃまが帰ってきてくださったのだと胸がいっぱいになりました。え?奥様ですか?そうですね、奥様はあまりマリ様とお話になりませんでした。奥様は、坊ちゃまのことを、ご自分のせいだと責めていらっしゃいましたから。マリ様を受け入れがたかったんでしょうね。マリ様がいらしてからは、一層ふさぎこまれてしまって。今おもいますと、皆で寄ってたかってマリ様と奥様を苦しめていただけでした。
 マリ様のお世話をしばらくしていますと、マリ様が常にぼんやりとなさっているのが気になりました。時折、坊ちゃまの口調で何かおっしゃるのですが、不明瞭なことも多くて。まるで廃人のように、いつも遠くを眺めてらっしゃいました。ただ、坊ちゃまの黄色い百合を召し上がるときだけは、違いました。目に昏い光が宿るのです。手づかみで口いっぱいに頬張って。普段の可愛らしいお顔からは考えられないほど、乱れたお顔をなさって、わたくしは恐怖と罪の意識とに胸が圧し潰されるようでした。
 ある真夜中、わたくしが暖炉に薪を足しにお部屋に入ると、マリ様が窓辺に座って中庭を眺めてらっしゃって。その横顔がひどく気にかかりましてね。なんというか、輪郭が滲むとでも言いましょうか、ひどく心許なく見えました。思わずおそばに寄ったのですが、何を申し上げたらよいのかわからなくて。ただぼんやり立っているのも滑稽なので、一緒に中庭を眺めました。月の明るい夜でしたから、花の色も鮮明に見えました。花たちは日の光も、月の光も見境なく浴びて、ひどく貪欲な生き物に思えました。すると、マリ様が、ぽつりと、「ふたりきりのときはマリと呼んで」とおっしゃったのです。マリ様は、いつもの遠くを見る目ではなく、わたくしをまっすぐに見つめていました。どこまでも深く昏い瞳で、月の光すら吸いこまれて消えるようでした。わたくしは、マリ様のお顔を胸に押し当てて、強く抱きしめました。マリ様を愛おしく思ったのと同時に、マリ様の瞳が怖かったのです。その時、わたくしたちが幼いマリ様になんとむごい仕打ちをしているのか、改めて痛感いたしました。その夜、マリ様が眠るまで、わたくしはマリ様の名前を何度も何度もお呼びいたしました。そして、どうかこれ以上、マリ様を、子どもたちを苦しめないでくださいと神様にお祈りしました。
 けれど、その祈りは届きませんでした。マリ様がお屋敷に来てちょうど半年ほど経った頃、街で病が流行りました。幼い子どもばかりが感染するたちの悪い病でした。お屋敷の子どもたちも何人も亡くなりました。あとは、もう、ご想像のとおりです。孤児院から、花を食べる子どもたちが次々にやってきたのです。
 
 
4. さいごの花守たち
 マリが連れていかれてから、孤児院の子どもたちは次々にいなくなっていった。残ったのは、わたしとナツだけだった。わたしたちは、たった二人だけになっても、花の手入れを疎かにしなかった。それが、いなくなってしまった子たちへわたしたちが唯一できることだった。
 大人たちは決して説明してくれなかったけれど、孤児院の仲間たちが次々に消えていく理由を、わたしもナツもぼんやりと理解していた。マリが、お屋敷の坊ちゃまの堆肥から咲いた百合を食べてしまったことがすべての始まりだということも。
 ある日、お屋敷に連れていかれた子どもたちに花を届けているのがアカリさんだと聞いて、わたしとナツは〈ホール〉へ向かった。案内係の眼鏡をかけた男の人に、アカリさんを呼んでもらうよう頼むと、「その人は死んだよ」とあっさり言い捨てられた。わたしたちは、ひどく狼狽して、〈ホール〉から逃げるように帰った。わたしたちの異変に気付いた院長先生は一瞬何か言いたげな顔をしたが、すぐに目を逸らしてどこかへ行ってしまった。
 「ねえ、どういうことだと思う?」
ナツの声が震えていた。
 「わからない……けど、お屋敷にいる子たちと何か関係があるのかも」
わたしはいなくなった子たちの顔を思い浮かべた。ナツの瞳が不安げに揺れていた。わたしはただ、ナツを抱きしめることしかできなかった。
 
 次の日、わたしたちは重い足取りで花畑に向かった。軍手やスコップなど、いつもの道具を取り出そうと、花畑の隣の小屋に入ったナツが小さく叫んだ。書き置きと共に、アカリさんからの手紙が置いてあった。どうやら、昨日の案内係の男の人がアカリさんから手紙を預かっていて、もしわたしたちがアカリさんの元を訪ねてきたときには、決して誰にも見つからないように届けてほしいとお願いされていたとのことだった。わたしたちは、アカリさんの手紙を慎重に開けた。
 
 その晩、わたしはなかなか寝付けずに、天井をぼんやりと眺めていた。ナツが寝返りをうつたびに、ベッドがギシギシと鳴った。ナツも眠れないようだった。
 「ねえ、そっち行っていい?」
小声で尋ねると、ナツの動きがぴたりと止まった。
 「うん」
窓から月明かりが差し込んで、ナツの顔を照らした。ナツの目からは涙が零れていた。わたしは音を立てないよう気を付けながら、ナツのベッドに入った。お互い向かい合って、わたしはそっとナツの手に触れた。熱くて柔らかい、ナツの体温がゆっくりと流れ込んでくる。ナツの涙は月の光を閉じ込めて、静かにひかる。人差し指で頬をなぞると、ひかりは、頬と指の間にゆっくりと消えていった。
 「ぜんぶ燃やしてしまおうか」
わたしの声に、ナツは小さく頷いた。
 「燃やそう、ぜんぶ」
ナツはそう言ってわたしの手を強く握った。
 
 新月の夜、わたしは花畑に火をつけた。鮮やかさを競うように咲き乱れていた色の氾濫は、炎に包まれてどれも真っ黒になった。いつも岬を、花畑を、わたしたちを撫でてゆくからっぽな風が炎を高く舞い上げる。火は絨毯のように岬全体に広がり、やがて森に達した。森がごうごうと音を立てて崩れてゆく。わたしは後ろを振り向かずに走った。風のように走りながら、〈ホール〉に、孤児院に、次々に火を放った。建物や木々に真っ赤な炎が蛇のように絡みついて、あたりがぱっと明るくなった。おかげで、岩だらけの道も足をとられずに走ることができた。わたしは島の中央にある港を目指してさらに速度を上げた。
 港からは丘の上のお屋敷が見えた。高い丘の上で真っ赤に燃えるお屋敷は灯台のように島を照らしている。お屋敷に火をつけたのはナツだった。ナツの頬は煤で黒く汚れていた。わたしたちは予め目をつけていた小さな船に乗り込むと、一気に沖を目指した。
 アカリさんの手紙には、お屋敷に連れていかれた子たちがみんな廃人になって死んでしまったこと、お屋敷の人たちは懲りずに、どうにかして身代わりの子どもたちを調達しようとしていること、どこからか買われてきた子どもたちが〈ホール〉での実験台にされていること、そして、そのすべてを目の当たりにしたアカリさんがもう耐えられなくなってしまったことが書かれていた。アカリさんは、手紙の中でも、何度も何度もわたしたちに謝っていた。手紙を読み終わったあと、わたしとナツは抱きしめ合い、互いの目を見つめた。そのときから、わたしたちの心はひとつだった。今日のために何度もルートを確認し、効率の良い炎のつけ方や、船の操縦の仕方を学んだ。
 
 暗闇の中で、島は煌々とひかりを放っていた。はなびらのように鮮やかで綺麗だった。島の炎が水面に反射して、きらきらと揺らめいている。握ったままのナツの手のひらは燃えるように熱かった。沖は静かで、時が止まっているように思えた。わたしはナツの熱を右手に感じながら、燃え盛る島をずっとずっと見つめていた。
 
 
 

文字数:8053

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