ドパルデューのパズル

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梗 概

ドパルデューのパズル

地方新聞社で働く編集者ドパルデューは、つねに新聞会社の仲間たちからの視線を気にして生きていた。ドパルデューがあるパズル問題を新聞に載せたところ、とある著名人が問題に欠陥があるといって新聞自体をこき下ろした。仲間たちの手前、新聞を守るために公開書簡によるやりとりが行われ、引っ込みがつかなくなったドパルデューはついに相手と決闘をすることになった。決闘当日、嵐が来て、決闘相手はやってこず、うやむやになってドパルデューは命拾いする。

五十年後、ドパルデューの孫クロードは外交官として活躍していた。祖父とは違い、クロードは外聞よりも実を取る性格だった。やがて隣国との関係が悪化して国は戦争に突入する。長い戦争のすえ、停戦協定が行われようとするが、嵐のせいで相手国の外交官が乗る飛行機が飛ばなかった。停戦協定は延期され、それが原因となって祖父ドパルデューが住む故郷の街に戦火が及び、ドパルデューは亡くなってしまう。
終戦ののち、クロードは科学者となっていた。晩年クロードは地球の気候変動を予見して、気象を操作する人工衛星のアイディアを発表する。嵐のせいで祖父を救えなかったという思いもあった。

二百年後、科学者キアステンは廃墟になったバーで雨を眺めながら酒を飲んでいた。
今や地球の衛星軌道には十万機の気象操作人工衛星が回っている。世界は全面戦争に突入し、雨雲が武器として使われた。戦争が終わりわずかな人々だけが生き残った。
制御を失った人工衛星は動き続け、各国独自の奇妙な雨が、誰もいなくなった土地に降りつづけた。宇宙技術は失われ、誰も人工衛星を止めることができなかった。
ドパルデューが載せたパズルの問題は「ある街にかかる七つの橋を 2度通らずに、すべて渡る経路が存在するか」というイラスト付きのものだった。それを偶然見たキアステンは、人工衛星をぶつけて連鎖させ、全ての人工衛星を一筆書きで破壊するというアイディアを思いつく。衛星軌道をモデル化しコンピュータで計算するが原理的に一筆書きは不可能だった。記事のパズルには答えが存在しないことを数学者オイラーがすでに証明していたが、ドパルデューは答えは存在すると言い張った。その答えは「気球を使って橋を飛び越える」という屁理屈であった。これを知ったキアステンは、衛星軌道を二次元の面ではなく、高さを持つ三次元の空間として扱い再計算を行った。一つだけ存在する一筆書きのルートが見つかった。

キアステンは人工衛星を破壊するミサイルを準備し、作戦の日を待つ。作戦当日、嵐がやってくる。この日を逃せばチャンスはあと三十年後だ。しかしキアステンは何もせずバーで酒を飲んでいる。
ミサイルは今日ぶつかるように計算された上で、すでに衛星軌道に投入されていた。嵐のために延期してしまうだろうことは分かっていたからだ。
その日を境に世界中に降っていた奇妙な雨が止んだ。一筆書きが成功したのだ。

文字数:1198

内容に関するアピール

雨で物事が延期される話を書こうと思いました。延期されたら嬉しいものとして「ほんとはやりたくはない決闘」、延期されたら嫌なものとして「戦争の停戦協定」を選びました。
流体や雨粒の描写が好きなので、たくさん雨を描きたいです。
決闘相手を待つ人の顔に雨粒が当たって、鼻の横を通ってあごからしたたり落ちる描写とか、
相手国の外交官を車の中で待っているときに窓ガラスにあたる雨粒の描写とか、
人工衛星が物理的なメカニズムによって降らす機械的な雨などを描きたいです。

文字数:223

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ドパルデューのパズル

会場中の人が僕を見ている。僕はまっすぐステージを横切って歩く。他の選手たちも会場のすみにかたまって僕を見ている。何度も大会に出てきたから、人からの視線はもう気にならない。いつもどおり頭の中でイメージしたキューブを解きながら、それに合わせて指を動かした。大丈夫、指は回るし緊張はしていない。今日はいける気がする。
ステージの中央に置かれたテーブルに向かって座る。となりにはストップウォッチを手に持った審判が座っていて、僕の目の前にある赤い紙の箱に手をかけた。箱が取り去られると、中からカラフルな立方体があらわれる。一つの面が3×3の9マスに分割され、それぞれのパーツに色がついている。ハンガリーの建築学者が生み出した回転する立体パズル。
ルービックキューブだ。
僕は2022年ルービックキューブ世界大会3×3部門決勝の選手として、カナダはトロントの会場のステージに立っていた。決勝に進出した16人の中で一番の成績を出せば、世界一位になれるのだ。僕の競技の順番は16人中15番目で、それは僕がすでに16年と18年大会の二回優勝しているシード選手だからだ。
日本人選手として活躍し、世界中のルービックキューブ愛好家に僕は知られている。今日だって、僕なら勝てるはずだ。この日のために練習を積んできた。だから勝つんだ。
僕の次に控えているのは、今大会の優勝最有力候補、フランス出身で三十五歳のドパルデューだ。彼は二連覇していた僕を20年大会でひきずりおろして優勝した。つまり現在の世界チャンピオンだ。僕は彼に勝って再び世界一位の座を取り戻さなければいけない。
これまでの14人の結果では、カナダ出身のジャスティンが6.61秒の成績で一位につけている。まずはジャスティンのタイムを超えなければ優勝の可能性はない。 
競技ルービックキューブのタイムの算出方法は、五回の試技を行い、速いものと遅いものをのぞいた三回の平均タイムを使う。一回限りの運で速いタイムが出せたとしても成績への影響は薄く、安定したタイムを出せる実力が試される。
実のところ、ほとんどの選手の実力は拮抗していて、僕が二回優勝しているからといって今回も勝てるとは限らなかった。だけど僕は今、勝つことだけを考えている。
目の前のキューブを手にとると、審判がストップウォッチを押して時間を計りはじめる。まだ実際にキューブをそろえるわけではない。キューブを観察して解法を考えるための時間が15秒間与えられるのだ。
キューブは事前にランダムな手順によってバラバラな配置にされている。キューブを指で持って全ての面を確認する。
実際のキューブと重なる位置に、イメージのキューブを生み出し、そのイメージの中でキューブを回転させる。頭が今までになく回っている。
分割された各列を回転させて、六つある面すべての色をそろえるのがルービックキューブの目的だ。キューブを高速でそろえるためには、数百パターンある配置替えの手順を記憶し、それらを素早く実行するための反復練習が必要だ。だから食事のとき以外はずっとキューブを回す生活を送っている。いや、食事のときも触っているかもしれない。
「12秒」と審判が告げた。すでに解法は頭の中で出来上がっている。
15秒経過し、キューブをテーブルの上に置く。両手の手のひらをタイマーの上に慎重に置く。タイマーから手を離せば自動で計測が始まる仕組みになっている。いよいよだ。
タイマーから手を離すまでの一瞬で呼吸を整える。会場中の視線が僕に集まる。
タイマーから手を離し、キューブを手に取る。
まずはじめに青の十字を作る。
F2L、OLLと呼ばれる組み立てアルゴリズムを流れるように実行する。キューブはひっかかることなくスルスルと動きつづける。
下から二段が完成し、残るは上段、緑の面の位置を変えるだけだ。僕の無意識が瞬時にパターンを認識して、対応したアルゴリズムを指に伝える。
A-パーム、これはかなり運がいい。21種類ある上面の配置パターンの中でも、最小の9手で完成させられるパターンだからだ。
キューブの完成とともに手を離し、叩きつけるように両手をタイマーの上に置き時間を止める。
5.70秒。
小さくガッツポーズをした。会場からも拍手が聞こえる。
出だしとしては申し分がないタイムだ。この調子がつづけば優勝が見えるだろう。ジャスティンを突き放し、ドパルデューにも追いつかれずに優勝を決めるのだ。
続く二回目の試技を行ったが、完成に手こずった僕はあせってミスをした。キューブを離してタイマーを止めたとき、キューブが一手ずれていたのだ。完成状態から45°以上ずれていた場合、2秒のペナルティが課される。そのため7.01秒に2秒をプラスして、9.01秒という大幅に遅い記録になってしまった。遅いタイムをあと一回でも出してしまえば優勝を逃す可能性は大きくなる。
しかし、僕は攻める気持ちを保ちつづけた。ここで気後れしては、悪い方向に進むことが今までの経験から分かっていた。
そのおかげか三回目は調子を取り戻し、6.55秒のタイムを出すことができた。続く四回目は6.92秒とまずまずの記録だった。
残された試技はあと一回。タイムが6.36秒よりも速ければ、一位に躍り出ることができる。
ステージの天井をあおぎ見て、大きく息を吐く。余計なことは考えない。
音が消え、世界が僕とルービックキューブだけになる。タイマーの上に手を置き、最後の試技がはじまる。
イメージの中で回転させるキューブと、実際に指が回すキューブが一分の狂いもなく一致する。キューブが完成したとき、まるで一瞬で出来上がったように感じた。
タイムは5.05秒。ジャスティンに大差をつけて暫定一位だ。会場から大きな歓声が聞こえた。
用紙に記録を記入する。
Shoma Nakanishi 平均6.17秒。
審判と握手をして、会場に手を振ってステージを去る。
他の選手たちが待機している会場のすみへと向かうと、みんなが僕を褒めたたえるように肩を叩いたり握手をしたりしてくる。彼らはみなライバルであり、それと同時にルービックキューブを通じて交流をする仲間だった。記録を越されたジャスティンでさえ、笑顔で近づいてきてハグをした。
あとはドパルデューの結果を待つだけだ。
ステージの端からドパルデューが歩いてあらわれると、会場は静まりかえった。選手たちを含め会場にいた全ての人の好奇の目が一人の男に注がれる。
二年前、競技シーンに突如あらわれた謎のプレイヤーが3×3部門の決勝で平均タイム6.23秒を出して優勝した。それがドパルデューだ。
ルービックキューブの競技シーンで活躍するのは、二十歳に満たない若いプレイヤーが多い。そんな中、それまで何の成績も残していなかった三十台のドパルデューが突然あらわれて優勝をした。それにくわえ、ドパルデューは3×3以外の部門にエントリーをしていなかった。
競技ルービックキューブでは、3×3以外にも4×4、5×5などの多段キューブ、片手、目隠しなどの部門があり、たいていの選手は複数の部門にエントリーしている。今回の大会では、僕はすでに4×4、5×5、片手で優勝し、三冠を獲得している。しかし、ほとんどの選手が目標とし、注目しているのは最も人気のある3×3部門だった。3×3で良い成績を出せたのならば他の部門の成績は何でもよし、と考えている選手も多かった。
他の部門には目もくれずに3×3のみに出場し、そして優勝をさらったドパルデューは謎のプレイヤーとして人々の好奇心をかき立てた。
今やルービックキューブで有名な選手はSNSやYouTubeチャンネルを持ち、自身の活動を世界中に公開し、フォロワーもたくさんいるが、ドパルデューはネットでの活動を一切しておらず、全てが謎であった。
今回僕が出した平均6.17秒というタイムは前回ドパルデューが優勝したときの6.23秒をわずかだが上回っている。悪くはないタイムだ。
長身で痩せた体つきのドパルデューがステージの上で椅子に座った。僕はだんだん落ち着かない気持ちになり、となりに立っているジャスティンの顔を見る。
ジャスティンはこちらを向いて、「気持ちが分かるよ」とでも言いたげな顔をしてうなずき、僕の肩をやさしく叩いた。
審判が箱を取り去ってキューブがあらわれると、ドパルデューは親指と人差し指でキューブをつまみ、手をスナップさせるようにして回転させてキューブの裏側を見た。そして、なんとドパルデューはすぐにキューブをテーブルの上に置くと、人差し指を目の横にあて、何かを考えるような表情で上を見た。そのまま観察時間いっぱいまで、ドパルデューが再びキューブを見ることはなかった。ドパルデューの表情が余裕そうに見えることが僕を不安にさせた。
タイマーに両手を置いたドパルデューが手を離し、カウントがはじまる。キューブをつかむと表情を変えずに回転させはじめ、一瞬で手を離して再びタイマーに手を置いた。
3.23秒。
会場から悲鳴のような音が聞こえ、それから大きな叫び声に変わった。まわりにいた選手たちもとびはねて大声を出している。ドパルデューは喜びもせずに落ち着いて椅子に座ったままだ。
ドパルデューが出した記録は3×3単発の世界記録を大幅に更新するものだった。
会場は世界記録を目撃することができた歓喜に包まれていたが、僕だけがショックを感じていた。
3.23秒ほど速いタイムを出すためには、キューブの初期配置における相当な運の良さが絡んでくる。もはや実力なんて関係ない。決勝の大事な場面で運で負けるなんてことは絶対にいやだった。しかしまだ終わったわけではない。たとえ世界記録を出したとしても、5回平均においては最速と最遅のタイムは除外して計算される。残りの4回でドパルデューの実力が試されるのだ。
会場の興奮が冷めないまま、ドパルデューは二回目の試技に移った。ドパルデューはまたもやキューブを一瞬ちらりと見ただけで、観察時間のほとんどを上を見ながら考え込むような表情をして過ごした。
ドパルデューがキューブを両手で持ったとき、僕は何か嫌な予感がした。一瞬ののち、ドパルデューはキューブから手を離してタイマーを止めた。
3.18秒。
何が起きたのか分からなかった。ありえない。
会場が一瞬静まったのち、さきほどを超える大絶叫に包まれた。こんなに運がよいことがあってよいものなのか。一つの大会の中で、一人の選手が次々に世界記録を更新していくなんてことがあってもよいのか。
会場の騒ぎが静かにならないまま三回目の試技がはじまった。そしてドパルデューは、またもやとてつもないタイムを叩き出した。
3.55秒。
世界記録にはならないものの、他の選手よりも圧倒的に速いタイムだった。運ではなく、実力だというのだろうか。ここまで速いのはありえない。
結局ドパルデューは残りのタイムを3.70秒、3.39秒と記録し、平均タイム3.39秒によって、単発記録だけでなく5回平均での世界記録をも大幅更新した。
会場から歓声と共に拍手が送られ、選手たちも興奮していた。
僕は、全身から力が抜け、拍手なんてできなかったしする気も起きなかった。僕が勝つはずだったのに、おかしいことが起きたのだ。
それから、二位として表彰台に登るまで、記憶がない。

 

大会が終わり、選手控室でぼうぜんと座っていた。競技がはじまる前にも後にもなぜかドパルデューは控室に来なかった。前の大会のときにもドパルデューと話したことがある人はいないようだった。
「ショーマ、おめでとう。僕が三位で君は二位だ」
ジャスティンが声をかけてきた。ジャスティンとは、16年大会で会ったときからライバルであり、親友だった。会うのは二年に一度だがSNSを通じてメッセージを送りあい、ビデオ通話でルービックキューブの解法について話し合った。
「あれは、イカサマなんじゃないか」僕は納得がいっていない。
「そうかもしれない。でも、分からない。あんなに速いのは見たことがないよ。世界記録を連発するやつが大会に参加してきた。分かるのはそれだけ」
「観察時間もほとんどキューブを見ていなかった。イカサマか何かで、はじめからあいつはキューブの配置を知っていたんだ」僕は強い語気でジャスティンにイライラをぶつける。
「キューブの混ぜ崩しは、選手に見られない場所で行い本番までは箱で隠す。そういう規定だ。イカサマなんだとしたら審判もグルになる」
「どうやって3秒台を連発したのか、あいつ自身が説明すべきだ。じゃないとイカサマだと疑われてもしょうがないと思う。今まで、あそこまで速いタイムを安定して出した人はいない。新しいテクニックを使ったのなら、それを発表してイカサマでないことを説明してもらわないと納得できないよ」
「その通りだな。僕もそれがいいと思う。だけど、ドパルデューは大会が終わったらすぐに会場から出て行ったみたいだし。YouTubeにもTwitterにもアカウントは持っていなさそうだ。連絡先を知ってるのは事務局ぐらいだろうね」
「だったら今から事務局に連絡先を聞きに行くよ」
「やめとけよショーマ。選手の個人情報を事務局は教えてくれないさ」
「ジャスティン、君は悔しくないのか。突然現れたやつにイカサマで大会を荒らされて」
「イカサマかどうかはまだ決まったわけじゃない。まずは待とう。不正の疑いのあるのなら事務局が動くはずさ」
僕はそれからも延々とジャスティンと話しつづけた。
そろそろ会場から撤収しなければいけない時間が迫り、僕とジャスティンは「ともかく、二年後にまた会おう」と言ってハグをして別れた。

 

ホテルに戻った僕は緊張と混乱で積もった疲れの中で、シャワーも浴びずにベッドに倒れ込んで泥のように眠った。
カナダでの滞在は余裕を持ったスケジュールにしていて、大会が終わっても丸々二日は観光をして過ごす予定だった。
次の日、目覚めた僕は熱いシャワーを浴びて、テーブルの上に置いてあったキューブを手に取り、気が済むまで回しつづけた。色を崩しては何度もそろえ、そろえたそばから色を崩した。朝食がとれるぎりぎりの時間になっていることに気づき、部屋を出て急いでレストランへと向かった。
カナダに来てからは落ち着いてちゃんと食事をした覚えがなかったが、今になってようやく満腹になるまで食べることができた。
部屋に戻って、キューブをもう一度そろえる。落ち着いて冷静になった僕は、何が起きたのか調べよう、と思った。
ドパルデューが世界記録を出した瞬間の動画がネットにアップロードされていないか確認する。それはすぐに見つかった。会場にいた人が撮影した映像がYouTubeにあったからだ。
クリックして再生してみる。ドパルデューが椅子に座って上を見上げる。やはりほとんどキューブを見ていない。ドパルデューは何度もキューブを一瞬で完成させる。会場からの映像だと、大きなタイマーに表示されている記録は分かるけれど、手元の細かい動きが分からない。もっと近くで撮影した映像が必要だ。
Twitterで呼びかけてみると、大会のスタッフをしていた知り合いからメッセージと共にURLが送られてきた。当日に大会の様子を配信していたTwitchのアーカイブ動画だった。
再生してみると、選手の手元が大きく写されて何が起きているのかも分かりやすい。ドパルデューが登場するシーンまで動画をスキップさせる。キューブをつかむドパルデューの細長い指が写る。
ドパルデューがキューブをつかむと、やはり一瞬で完成する。いずれの試技も3秒台だ。どういう手順で組み立てているのだろうか。僕も同様ほとんどの選手が用いているCFOPと呼ばれるアルゴリズムではなさそうだった。CFOPで最初に行う、パーツを十字架のように配置する工程がないからだ。下から上に順番に組み立てているといった様子もなく、とつぜん六面が完成しているようにも見える。手が止まる瞬間もなさそうだ。まるで全ての回転が事前に計算されているようだ。
動画を繰り返し再生する。手数を数えてみる。信じられない。どの試技も二十五回前後の回転で完成している。ルービックキューブを完成させるために必要な最短の手数にほとんど迫っている。コンピューターで計算したかのような解法だ。
ドパルデューは事前にキューブの配置を知っていた。そうとしか考えられない。これはやはり不正だ。
元々は観光にをして過ごそうと思っていたが、いてもたってもいられず、ドパルデューの不正を告発するべきだという考えにいたった。
動画にするのがよさそうだ。話すのは得意だし、動画を撮るのには慣れている。ルービックキューブの解説動画や大会の様子を伝える動画はいつもアップロードしているし、編集もすぐにできる。
簡単な台本を書いて、すぐにスマホのカメラで撮影をする。要点だけを簡単に説明する5分ぐらいの動画を撮った。
「ルービックキューブ世界大会で起きた出来事について話します———」
怒りの感情のまま勢いで編集し、ネットにアップロードする。昼食の時間を過ぎている。そろそろ外に出かけよう。

 

夕方、レストランで一人で食事をしていると、SNSにメッセージがあった。
「こちらはドパルデュー。動画を見たよ。私が不正をしているという話は本当だ。実のところ、前回の20年大会で優勝できたのも少しだけ不正をしていたからだ。私が一番尊敬しているキューバーのショーマがそれを最初に指摘してくれて、私は嬉しい。君はまだトロントにいるんだろう? 僕がした不正の方法を教えるから、今から会わないか」
何だこのメッセージは、馬鹿にしているのか、ふざけるな。一気に頭に血が上る。不正の告白を、一体なぜ僕にするのか。わざわざ不正をしておいて、それをばらすぐらいならはじめからそんなことをするな。世界大会を汚しておいて、こいつは何がしたいんだ。そう思った。
そもそもこのメッセージは本物のドパルデューからなのだろうか。いいだろう、出向いて確かめてやる。
僕はすぐにジャスティンにメッセージを送った。
「ドパルデューは不正だった。本人が認めた。今から話をしてくる」

 

ドパルデューが指定した場所は、ホテルの一室だった。外には雨が降ってきて、僕はタクシーでホテルに向かった。タクシーに乗っている間、ガラスの窓に雨粒が当たるのを眺めていた。雨粒が集まって、大きな粒になると、それまでガラスに張り付くのを耐えていた水滴が一気に下に流れ落ちる。僕はその雨粒を眺めながら、不穏なことが起きるかもしれないことを覚悟していた。
20時ちょうどに部屋をノックしろということで、ホテルのロビーで少し時間を調整してから、伝えられた部屋へと向かった。ノックをすると扉が開いて、細長い男が現れた。ドパルデュー本人だ。
「よく怪しまないで来てくれたね」
ゆっくりと部屋の中へと入る。部屋の奥へと進もうとすると、足に何かがひっかかって転びそうになった。部屋の入り口に加湿器が置いてあって、その電源ケーブルが張っていたのだ。
「ごめん。そんなところに加湿器を置いていた私が悪かった。怪我はないかい」ドパルデューが申し訳なさそうに顔をしかめた。
僕は「大丈夫」というふうに手のひらを向ける。
ドパルデューが部屋の奥の椅子に座った。
テーブルをはさんで向かいの椅子に無言のまま座る。テーブルの上には完成しているルービックキューブが置いてある。一呼吸おいて僕は声を出した。
「怪しまないで来ただって? ここに来るまでに十分怪しんださ。なぜ不正なんてしたんだ。それを聞きに来た」僕は怒りで大きな声になってしまわないように声を抑えた。
「私は君のファンだったんだ、ショーマ。君がキューブを攻略するのを見て、その姿に打たれてしまった。私も君みたいに世界最強のキューバーになりたかったんだよ」
「それならどうして練習して強くなろうとしないんだ。僕は練習で強くなる。何時間も、何万時間も練習して世界大会で優勝したんだ。そうとは思えないが、本当に僕のファンなのだとしたら不正なんてするべきじゃない」
「ところで、私がした不正は何だと思う?」ドパルデューはテーブルの上にあったキューブを手に取って、手の中で遊ばせている。
「キューブの配置を事前に知ったんだ。方法は分からないが、審判に金を渡したりしたんだろう」
「君の推理はそうなのか。僕がしたのはもっと驚くべきことさ」
ドパルデューはもったいぶるようにゆっくりと言った。ドパルデューは癖なのか顔を上に向けてゆらゆらと揺らした。そして、上を見上げたまま静かにつぶやいた。
「タイムマシンだ」
一体どういうことだ。何かの比喩か。詐術にでも巻き込もうとしているのだろうか。
「僕が作ったタイムマシンは人間の意識を過去に送ることができる。君に見せてあげよう」
ドパルデューは部屋の奥からケースを持ってきてテーブルの上に広げた。ケースの中からクリーム色のヘッドフォンがあらわれた。
「ヘッドフォンだと思ったね? これはヘッドフォンじゃあない。正真正銘のタイムマシンさ」
ルービックキューブで不正をした上に、意味の分からない嘘をつくドパルデューに嫌気がさしてきた。
実は部屋に入る前に、スマホのボイスレコーダーを起動していて、ドパルデューとの会話は録音していた。不正の方法に関する決定的な発言が録れたら、すぐにでも立ち去ろうと思っていた。
「このタイムマシンは12時間だけ意識を過去に飛ばすことができる。君も試したら信じてもらえると思うよ」
ドパルデューが訳のわからない話をしている以上、ここは話に付き合った方が早そうだと思った。
「12時間以上は戻せないのか?」
「技術的にも不可能だし、それに人間の意識が時間の移動に耐えられない。12時間戻った先で、もう一度タイムマシンを使うというのも不可能だ。連続で使うには12時間待たなきゃいけない。12時間よりも過去にはどうしたって戻れないってことだね」
「そうか。じゃあ、試してみるよ。どうすればいい」僕は話に乗っかり続ける。
「これを頭につけてボタンを押すだけなんだ。簡単だよ。危険はない」
ここにくる前に、ジャスティンにはドパルデューの部屋の場所を伝えていた。僕に万一があって僕から連絡がこなければ、ジャスティンが警察に通報してくれるだろう。
「OK、貸してくれ」
ドパルデューの手からやはりヘッドフォンだとしか思えない機械を受け取り、頭につける。危険な何かが起こりそうな感じはしない。
「いいかい、信じられないと思うけど、このボタンを押せば君は12時間前に戻る。そしたら僕がどうやって不正をしたのか、君にはヒントになるだろう」
ドパルデューはヘッドフォンの横についているボタンを押した。部屋の照明が一瞬揺らいで、壁の模様が走り出した。視界が暗転する。

 

意識が回転している。気分がすごく悪い。体が動かない。気がつくとホテルの部屋にいる。ドパルデューがいた部屋ではない。僕が泊まっている部屋だ。カーテンのすきまから朝日のような光が差し込んでいる。僕は時間をたっぷりかけて呼吸を整えた。ようやく落ち着いて、時刻を確認すると朝の九時前だ。おかしい、日付が変わっていない。大会の次の日だ。顔がべたべたしている。早くシャワーを浴びたい。まるで今日の朝のような感じだ。
ドパルデューは部屋の中にはいない。Twitterを見るとタイムラインは今朝のものと全く同じだった。タイムマシンは本当なのか。まだ信じるには早い。何かのトリックの可能性がある。
あのヘッドフォンが睡眠装置か何かになっていて、僕を眠らせてこの部屋まで運ぶ。時計の日付をずらして、どうやったのかは分からないがスマホにも細工をする。時間が戻ったかのように思わせればいいだけだ。そうだとして何のためにそんなことをするのだろうか。そういう疑問が浮かび、シャワーを浴びながら考えることにする。
知り合いに直接電話をして、日付を聞けばよいのではないか。ジャスティンに電話してみよう。
ジャスティンがドパルデューに脅されて嘘をついている光景を一瞬思い浮かべたが、タイムマシンを信じ込ませるためだとしても非効率的過ぎる思い至った。僕の知り合い全員を脅して嘘をつかせるなんて現実的に不可能だ。
シャワーを浴び終わり、体を拭いて服を着る。YouTubeを確認してみるが、僕がアップロードしたドパルデューの告発動画はなかった。スマホの中にもデータはない。
ジャスティンに電話をかける。二、三回呼び出し音が鳴ってジャスティンが出る。
「おはようショーマ。大会が終わって気分はどう?」
「変な気分だよジャスティン。それと、変な質問なんだけど、今日って大会が終わった二日後であってる?」
「いいや、大会は昨日だった。寝過ぎたかもしれないと心配でもしてるのか?」
「うーむ、信じてもらえないかもしれないが、変なことが起きたんだ」
僕はジャスティンに事の顛末を説明した。
「ショーマ、その話だけだと、君と同じく僕もタイムマシンを信じることはできない。何か証拠はないのか? これから起きることが分かるとか。もし分かるのならタイムマシンは本当なのかもしれないし」
「これといって大きな事件があったわけでもないし。何だろう、夕方には雨が降るね。それとTwitterの話題ぐらいしか話せることはないかな。そういえばジャスティン、君はあのベルギーの選手と一緒にランチを食べてたよ」
「どうして知ってるんだ? さっきピーターから昼に会わないかと連絡があった。こうなってくるとタイムマシンは少し本当の話のように思えてくるな」
「タイムマシンなんてあるわけない。何かトリックがある」僕は頑なに否定した。
「だけど、ドパルデューがやった不正というのはタイムマシンを使ったことじゃないのか? ドパルデューはキューブの配置をはじめから知っていたと君は考えてるんだろ?」
「確かにその通りだね。タイムマシンを仮定すると話の辻褄が合う。手順はこうだ。ドパルデューは一度大会に出場し、五回の試技でキューブの配置を覚える。最適な解法を用意し、タイムマシンを使って大会の時間に戻り、その手順を実行する」
「タイムマシンを不正に使ったということになってくると、不正を告発するのは難しいだろうね。まずタイムマシンの存在を証明しなきゃいけないだろうし、誰も信じない。ドパルデューが不正の方法を君に教えたのは、教えたとしても問題ないからで、君を挑発しているのかもしれない」
僕は一瞬考え込む。
「タイムマシンを盗む」
「おい、何言ってるんだ。やめとけよ、ショーマ」
「ドパルデューにもう一度会ってタイムマシンを盗むんだ。タイムマシンが本当なのなら、僕にはアドバンテージがある。ドパルデューは僕と会うことをまだ知らないけど、僕は今日の夜ドパルデューと会うことを知っている」
「そんなにうまくいくかな」
「やってみるしかない。僕はまだ色々納得がいっていない。納得するためにはなんだってやるよ。ジャスティン、話を聞いてくれてありがとう。何かあったらすぐにまた電話するよ」
「危険なことはするなよ、ショーマ。友達がいなくなったら悲劇だぞ」
「OK、ジャスティン」

 

僕は、タイムマシンで時間が戻る前の今日(説明がややこしい)に撮っていたドパルデューの告発ビデオと全く同じ動画を撮り、全く同じタイトルをつけて全く同じ時間に投稿した。これでドパルデューから連絡が来るはずだ。
今度は外には出かけずに、ホテルでドパルデューからの連絡を待つことにした。万全の状態で迎え撃ちたかった。
夜になるまでしばらく時間があったので、大会の動画を見直してみることにした。
おそらくドパルデューの不正の方法はこうだ。まず大会に出場し、普通に競技を行う。ドパルデューは一回目に出場したときは優勝しなかったはずだ。もしも優勝していたのならわざわざタイムマシンを使う必要はないからだ。そして大会が終わった後、ホテルに戻り、配信された録画の動画か何かを見返して、キューブの配置を確認する。プログラムを使って最小手となる解法を探索し、その方法を覚える。そうしたらタイムマシンを使って時間を戻し、再び競技を行う。キューブの解法の再現に失敗したとしても問題はない。タイムマシンを使って何度もチャレンジすることができるからだ。
おそらくドパルデューは何度も何度もチャレンジしたはずだ。あんなに速くキューブを完成させるのは、解法を覚えていたとしてもかなり難しいことだ。それに五回分の最速の手順を覚えるのにも一苦労するだろう。タイムマシンで戻せる時間が最長で12時間なのだとしたら、大会が終わったあとにもう一度タイムマシンを使うまでの間にそれを覚えなければいけないからだ。ドパルデューは12時間以上は戻れないと言っていた。一度でも競技の時間から12時間後を超えてしまえば、二度と大会に参加できる時間には戻れない。本番で試技を成功させるためにも、手順を覚えるためにも何度も時間を行き来したはずだ。

 

夜になった。時間通りにドパルデューから同じ文面のメッセージが来た。
「今からドパルデューのところに行ってくるよ」とジャスティンにメッセージを送る。「何かあったらすぐ呼ぶんだ」と返ってくる。ジャスティンはやはり親友だ。
タクシーを呼んでドパルデューがいるホテルに向かう。二度目なので辿り着けるかどうかという不安はなかったが、心臓は高鳴る。やはり、雨が降ってきて、僕は雨粒を眺めながら気を落ち着かせた。
20時ちょうどにドパルデューの部屋をノックした。
前回と同じように、ドパルデューが部屋の中からあらわれ、同じ言葉を口にした。
「よく怪しまないで来てくれたね」
「怪しんださ。話を聞きに来た」
僕の作戦は単純だった。ドパルデューが僕にタイムマシンを使わせようとしたその瞬間に、タイムマシンを奪い、走って逃げる。それが僕の単純な作戦だった。その時になるまでそのそぶりを見せてはいけない。
ドパルデューが奥の椅子に座り、やはり僕はテーブルをはさんだ向かいの椅子に座る。
「君は、ここに来るのは2回目だね」
僕は驚いて顔がひきつりそうになるのをこらえた。ドパルデューはどうしてそんなことを言ったのか。一回目はそんなことを言っていなかった。ここでバレてはいけない。知らないふりをしなくてはいけない。
「どういうことだ。君に呼ばれて来たんだ。はじめてだよこのホテルは」
「君はあの電源ケーブルを避けた」
しまった、と思った。部屋の入り口にある加湿器の電源ケーブルは、一回目かどうかを見破るためのトラップだったのだ。前にこの部屋に入った時にひっかかってしまい、無意識のうちにひっかからないように避けてしまっていた。
「タイムマシンは本物だと信じてもらえたかい」
僕は出鼻をくじかれた思いで、ドパルデューをにらみつけた。
「信じてもらえたようだね」ドパルデューは顔を上に向けて揺らしている。
「君は、僕がタイムマシンを使ってやった不正についてどういうものだと考えている」
やられっぱなしだと感じた僕は、段々とドパルデューをくじきたい気分になってきた。
「五回ある試技の配置を覚えたんだ。大会は配信しているから、その録画の映像を見てもいい。プログラムを使って最小手順を見つけて、それを特訓する。何度もタイムマシンを使って覚えるんだ。タイムマシンを使えば時間はいくらでもある。これが不正の方法だ。そうだろ?」
僕は一気にまくしたてた。ドパルデューはこちらを見ずに上を見上げたまま黙っている。しかし唐突に口を開いた。
「私は昔からパズルが得意だった。子供の頃、はじめはジグソーパズルを遊んでいたんだ。ずっと、何時間だってピースをはめることに夢中だった。ご飯を食べるときもピースを手に持っていて、親に怒られた」
僕は、食事中にルービックキューブを回していて親に怒られていたのを思い出した。この話は一体何なのだろう。
「それから、数字をスライドさせてそろえるパズルや、ハノイの塔という名前の円形のブロックを動かすもの、数学や論理を使うもの。パズルという名前がつくものは何だって解いていきた。解いたパズルの数だけ強くなれると思っていたんだ。私はパズルと同じように勉強もよく出来た。解ければ何だってよかったんだ」
僕は相槌を打ちもせずにドパルデューの話を黙って聞き続けた。ドパルデューはまるで独り言かのように話をつづけた。
「天才だともてはやされた僕は大学に入って、物理学と脳科学を研究した。主に時間と記憶についての研究だ。ある日私は、記憶が時間を遡行するという現象に出会った。私の目の前に現れた人生最大のパズルだと思った。この現象を究明しなければいけない。このパズルを他の人に奪われるわけにはいかない。私だけのパズルだ。私は表向きは別の研究成果を発表しつづけ、何年も秘密の研究をつづけた。そしてついに、二年前、その原理を応用して、タイムマシンが完成した。私は研究以外で特にタイムマシンを使うことはしなかった。私の興味はパズルを解くことであり、タイムマシン自体ではなかったからだ。そんな時、私はネットで君を見つけたんだ、ショーマ」
それまで上を見て話つづけていたドパルデューがこちらに顔を向けた。僕はドパルデューとはじめて目が合った気がした。グレーの澄んだ瞳だった。
「僕がその話にどう関係してくるんだ」
「君は、ルービックキューブ世界王者だった。そして、ルービックキューブというのは、元々は六面の色をそろえられるかというパズルだった」
「元々?」ルービックキューブは今でもそのはずだ。
「私はパズルというのは一度解いてしまえば満足するものだと考えていた。それなのに、ルービックキューブに熱中している人たちは何度も同じパズルを解きつづけている。それが僕には不思議なものとして目に映った。その頂点が君なんだよショーマ。僕は君のYouTubeの動画を漁り見た。君は一日中練習をしつづけて、コンマ数秒のタイムを縮めるのに何年もかけた。私はそんな君を見ていると、なぜだか感動していたんだ。そして、私は変われるかもしれないと思いはじめた」
「変われる、ってどういうことだ」
「実のところ私はこの人生にうんざりしていた。私はどんなパズルでも解いてきた。タイムマシンを完成させてしまった今、もう私が解きたいパズルはないのではないかと思っていた。人生の目標がなかったんだ。そして、君がやっている、一回のパズルを解くわけではなく、練習を積み重ねて上達する、というのものに可能性を感じたんだ。私も練習をしたら君みたいになれるのかもしれない。世界大会の決勝でガッツポーズを決める君を見て、僕はそう思ったんだ」
「それならどうして、不正なんてしたんだ」
「君の推理には欠陥がある」
「どういうことだ」
「それは、私が大会で3秒台のタイムを連発して優勝するまでに、何回タイムマシンを使ったのかということだ。君もキューブの手順を完璧に覚えるためにどのぐらいの練習量が必要か知っているだろう」
「確かに、初期の配置を知っていたとしてもあのタイムを出すためには、何ヶ月も練習が必要だ。もしかしたら数年かもしれない。でもそれがどうしたんだ」
「君がたまたまいるこの時間軸では、キューブが見事五回も三秒台で完成したわけだが、それ以外の全ての時間軸では私は完璧なタイムを出せていないはずだ。君にとってそれは確率が低すぎる。何千回とある時間軸の中でたまたま君が、私の成功したこの時間軸にいるのは偶然が過ぎやしないか?」
「それは詭弁だドパルデュー。この時間軸にいる僕にとっては主観的にはこの時間軸だけが存在していて、他の時間軸に関する確率を考えることはできない。もしも大会で優勝した後に、その質問を僕にすることにしていたと仮定すれば、100%の確率で僕はその偶然のパターンに一致するわけだ。僕の推理の欠陥にはならない」
「ショーマ、君はやはり頭がいい。その通り、これはひっかけのための推論だ。君の推理に欠陥はない。しかし、練習量というのは一つのヒントだよ。今から君の推理の前提を崩す」
ドパルデューはルービックキューブを僕に手渡した。
「僕は目を瞑る。今からそれを崩して、僕に渡してみてくれ」
どういうことなのか分からなかったが、言われた通りにキューブをランダムに回してドパルデューに返す。
ドパルデューは目を開いて一瞬キューブを見ると、再び目を瞑って、手の中でキューブを回した。キューブは一瞬で完成した。それは三秒か四秒ぐらいの出来事だった。僕は一瞬驚いたが、語気を荒げて言った。
「タイムマシンを使えば何度だって同じことができる。大会でやったのと同じことだ」
「だったら、君は、私がどのタイミングで未来から戻って来ていんだと思う」
「僕が部屋に来る直前だ」
「君は私にキューブを手渡されて崩したわけだが、それが毎回同じパターンになっていると思うかい?」
その通り、ならないだろう。ドパルデューの言う通りだ。キューブを崩すときの手順はその瞬間の気分や雰囲気でいかようにも変わりうる。ここまで話をしてきて、その間に物理的な条件は何もかも乱雑に変わりうる。キューブの配置はランダムだ。
「それなら、キューブを解く直前だ」
「私のタイムマシンは、そこまで正確に狙って過去へと戻れるわけではない。それに、君も体感したと思うが、タイムマシンで過去に戻った直後はすぐには体が動かない。何回やったとしてもあれは慣れるものではないんだ。気づいているんだろう、ショーマ? 私がやった不正がどいうものなのか」
僕は何も言い返すことができない。それを言って当たってしまうのが恐ろしい。
「『タイムマシンを使えば時間はいくらでもある』と、君はさっき推理の中で言った。まさにその通り、タイムマシンを使えば衰えない肉体の中で無限の時間が手に入る。君たちは有限の時間しか持っていないが、私には無限の時間があった。私がやった不正とは、無限の練習時間を手に入れることなんだ。私はどんなキューブの配置だとしても今や三秒台でそろえることができる。君たちが持っていない解法や、アルゴリズムを無数に知っている。あれはプログラムで計算した最小の手順ではなく、私が練習によって獲得した思考で生み出したものなんだ。私も君みたいに世界最強のキューバーになりたかった。その夢が叶ったんだ」
僕は、言葉にならずただ口を開けた。ドパルデューは僕に見せつけるようにキューブを手の中で回転させ、何度も何度も一瞬で完成させた。練習によって獲得した能力をもはや不正と呼んでよいのかどうか僕は分からなくなっていた。
「どうして僕にタイムマシンの存在を教えたんだ」
「私に人生の目標を与えてくれたお礼なのかもしれないし、あるいはルービックキューブが君よりうまいと言うことを自慢したかっただけのかもしれない。練習をたくさんして、人より速いタイムを出すのは気持ちがいい。君なら分かるだろう。ありがとうショーマ、本当に感謝をしている」
僕は何と言い返せばいいのか分からない。
「そろそろ夜も遅い。ここからホテルに戻るのも面倒だろうから、もう一度だけタイムマシンを体感させてあげるよ」ドパルデューは、やはりどうみてもヘッドフォンにしか見えないタイムマシンをケースから取り出して、僕の頭に取り付けた。
「ちょっと待ってくれ、僕はこれから、どうすればいいんだろうか。君の圧倒的なタイムを目の前にしてルービックキューブを続けられるのだろうか」我ながら弱気な声だった。
ドパルデューは真っ直ぐ僕の目を見て言った。
「君は自分よりとてつもなく速くキューブを完成させられるやつがいたら、ルービックキューブをやらないのか? ルービックキューブの喜びはそうではない。練習を積み重ねて、前の自分よりも成長することだ。君が教えてくれた。そうだろう?」
そしてドパルデューはタイムマシンのスイッチを押した。
最後に言うのが正論かよ、と僕は思った。

 

日本に帰国して一ヶ月が経った。僕はルービックキューブの練習を続けている。食事の最中でもキューブを回す。ルービックキューブは生活に染み付きすぎて、もう手放すことができない。
たいていの競技ルービックキューブの選手は、大人になると仕事や生活に時間が取られて活躍する機会を減らす。僕の人生にもこれから色んな困難があるのかもしれない。そうだとしても、どんなことがあってもルービックキューブを回し続けたい。今、僕はそう思っている。
あれからドパルデューは僕に連絡してきたSNSのアカウントを消し、ネットの世界にも現れていない。それと、タイムマシンについて検索しても、実現したという話は一切出てこないし、ドパルデューの名前で検索しても論文すら出てこない。今となってはドパルデューが研究者だったという話すら怪しい。
だけど、ドパルデューが世界大会で残した3×3部門の平均タイム3.55秒というとてつもない記録だけは公式に認められることになった。念のために不正に関する調査が行われ、大会の運営スタッフの複数人の証言によって不正がないことが確かめられたからだ。
ジャスティンにはまわりには内緒にしてくれと釘を刺して、全ての話を打ち明けた。タイムマシンを体験していないジャスティンにとっては半信半疑のようだったが、まじめに話を聞いてくれたことには感謝した。やはりジャスティンは親友だ。
僕はドパルデューが残した3.55秒という記録にどれだけ近づくことができるのだろうか。一生かかったとしても辿り着くことができないのかもしれない。しかし僕は、いつまでだってその記録を追い抜くチャレンジをやめない。
それは、ドパルデューが僕に残した、大きなパズルだからだ。

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