梗 概
言の葉の龍
雨は言葉である。意味を持った文字の連なりを含んだ水が、雲から地上へ落ちてくるのが雨である。地上に落ちた雨は、一文字一文字に分解されて川から海へ流れる。山上の湖に降った雨は龍神が飲み込んで空の雲へと戻され、ふたたび雨となって循環するという。人は雨を体で受けると、その言葉が沁みて人格形成に影響を受ける。
男は、母から龍夫と名付けられ愛情をもって育てられたが、成人前に大雨で両親を失った。かろうじて生き残った龍夫だが、濁流と共に流れて来た、意味を失った言葉が凝った幻獣〈あいつ〉に襲われて濁り、奪悪と呼ばれるようになった。半身の皮膚が剥け言葉が表面に滲んだ醜い身体となった。心も濁って、成長して粗暴な男になった。
雲行きが怪しい夏の日、引退した巫女である村の最年長の老婆がダツオに語った。大雨による濁流がまた村を襲えば、被害が繰り返される。湖へ行き、大雨を元から絶つのだ。ダツオは村に古来より伝わる剣を託された。龍神の髭を磨いて造られた剣で、この世の生き物を斬ることはできないが、言葉の濁った水を自ら求め、分解することができるという。〈あいつ〉とも戦うことができる。
「ただし気をつけろ、この剣は生きておる。お前の体から滲む言葉も分解し、身体を中まで貫ぬこうとするだろう」
ダツオは村を出て旅する。道中、泥に沈んだ村の跡で、小さな〈あいつ〉の群れを斬りつけて倒した。濁りの中に閉じ込められていた水の精が女の姿をとって現れる。龍の髭がさらに濁りを欲しダツオを求めるが、水の精は剣の力を抑えることができた。精はダツオに同行する。旅を続ける二人は、空から降ってくる雨の言葉そのものが濁っていることに気づく。
湖にやってきた二人の前に、龍神が現れる。想像していた鱗が輝く神々しい姿ではなく、肥大化し醜く汚れ、溢れる湖水を飲んでは大量に吐き出す化け物であった。水の精は語る。父もまた濁流に汚されてしまった、大雨を降らせているのは醜く濁った龍神そのもので、倒さないと下流の村々に平安は来ない。ダツオと水の精は協力して龍神を倒す。濁った龍神は大昔の澄んだ存在だった自分の髭に斬り裂かれて、湖に沈んだ。
湖には新たな龍神が必要だ。水の精はダツオに語る。
「その剣で自らを貫きなさい。そして分解されたあなたの言葉をわたしは浴びる。わたしたちは一つになり一体の龍神になる」
逡巡するダツオの決断を待たず、剣は自ら彼の濁った皮膚に斬りつけた。水の精の言葉どおり、ふたりは生まれ変わって龍神となった。
龍神の一部となったダツオは想う。俺は一人で暴れていたが孤独ではなかったのだ、水と言葉の循環の中に生かされていたのだと。おおきな流れの中に包まれて幸福だ。それは真実か、都合よく人身御供として捧げられただけではないのか。答えはなかった。龍神は、ときどきダツオであったときの感情を思いだし、暴れ、大雨を降らせるのであった。
文字数:1200
内容に関するアピール
雨の中、時に激しく降る豪雨の山中を、主人公は旅してゆきます。そして、この世界の雨は、言葉なのです。旅や戦いのアクションと共に雨の激しさを描写したいと思います。また、言の葉の雨をタイポグラフィで表現したいとも考えています。
水の循環のエコシステムを、言葉と文字のエコシステムとしたのが、この物語の世界です。エコシステムの中には、無論、人間も含まれます。物語の最後において、ダツオは変化を受け入れて人間から別の階層の存在となることで世界を支えますが、人間一人ひとりが個人であろうとする意思と、エコシステムの維持は時に相反します。また、ダツオの旅は身体にスティグマを負った英雄の旅のように見えますが、村のつまはじき者が体良く追い出されただけでもあります。全体と個の矛盾を残したままで、龍神の代替わりを語りたいと思います。
文字数:356