林檎でおやすみ

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梗 概

林檎でおやすみ

冬の長い地方。ゴゾは、以前集落のあった高台に戻ってきた。かって、その集落はゴゾの属する少数民族のものだった。儀式に使われる変異した林檎は毒性があり、もとからの住民には耐性があって美味なものだったが、国の支配が及んだ時に皆伐させられ、抵抗した住民が強制徴用されて遠い地域で肉体労働に回された。ゴゾも徴用された一人で、老人になってから国の帰郷政策で戻されたのだった。
 ゴゾは肉体労働用に体を強化改造されていた。戻されたときに、ある程度復元はされたが、体表は熱に強く、筋力も強かったし、味覚も鈍かった。
 国の政策はころころ変わっていて、いまゴゾは、長く国に貢献した、滅びた民族の文化を持つ最後の純血、として扱われていた。
 高台には、下の町から、若い配達員マルが数日後ごとに様子を見に通った。彼の祖母リタは、先住民保護委員会のひとりであった。
 雑木林になってしまったむかしの集落を、毎日丹念にゴゾは掘り返し自分の家を探していた。そして、少し掘ると炭が出てくるのに気づく。
 話をきいたマルは、町で調べようとするが、記録が見つからない。祖母リタに相談すると、ゴゾが徴用されてから、強制同化政策がとられて旧住民は分散し、集落は倒され、多くが焼き払われたという。リタは、旧住民の少女を助けられなかったことを覚えていた。もらった林檎の形の粘土細工はもう古くてぼろぼろで、久しぶりにいじりまわしていると、崩れた中から数字を彫り付けた金属片が出てくる。
 ゴゾは、かっての自分の家の土台をみつけ、一日の半分はそこで安楽椅子に座り、周りの家も堀りかえしていく。ある家の土台に、埋め込まれた扉と番号式の錠に気づく。その話をきき、マルに助けられてリタは高台に上がる。
 数字で錠は開き、そこが自分の家で、幼いころの記憶は同化させられ思い込んだものとリタは思い出す。地下倉庫の土壁はなかば凍り、掘り下げた収容庫には多くの林檎が原型をとどめていた。禁止産物なので処理されるが、ゴゾはいくつも隠し持つ。
 数年後。予算がついて、いくつか簡単な復元家屋がつくられ、見物人もたまに来る。ゴゾはかっての自宅で、生活そのものは現代風にくらしていた。マルは委員会職員に正式に採用されて文化の再現も試みているが資料が少ない。ゴゾも、ほとんど覚えていないが、中心となる儀式の再現のためにと、通常の林檎の植樹をマルに依頼する。植樹が根付いて翌年、マルは、その木にいくつも接ぎ木があるのに気づく。
 やがて実がなる。こっそり種から育てた禁じられた実であった。気づいたマルはリタとともにゴゾを訪れる。自分たちの文化にはこの林檎が不可欠だというゴゾは、その美味しさを説き、手を伸ばして実をもぎ取ってみせる。マルは、ドローンで木々に火を放つ。燃え上がる木々をうしろに、ゴゾは、林檎を口にするが、すぐ気持ちが悪くなって吐き出した。改造された体はこの林檎を受け入れない。ゴゾは呆然と座り込む。リタは、林檎をかじって呑み込んでみせる。マルも、おそるおそるかじり、味わい、呑み込んでみせる。リタの体質はマルにも遺伝していた。
 昔の文化を伝えたあなたにはもう昔の体はなく、昔の体の私たちにはもう昔の文化はないと、あきらめたように語るリタ。ゴゾは、林檎を奪い取って貪り食い、息絶える。

文字数:1353

内容に関するアピール

おいしいものを食いたくなるとは、と考え、具体的な料理より単純な食い物の方がかきやすい、ところから、林檎をかじりたくなる話をつくろうと思いました。
 しかし、なぜか毒林檎の話ができてしまいました。
 今期3作実作し、なんとなく救いらしいものがどれにもそれなりにあったのですが、今回は、いろんなものをなくしたままの人たちがなくしたままである、という、どうしようもない話にたどり着いてしまいました。イメージしている場所は旧ソ連や中国の少数民族地域です。
 おいしいものは、おいしく食えるうちに食えたらいいよね、という話です、とこじつけておきます。実作では、この毒林檎が、その体質の人たちにはいかにおいしいか強調して書きたいと思います。

文字数:311

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林檎でおやすみ

2人乗りドローンフライヤーを操縦するのはマルタである。
 到着して早々の私をのせ、彼女は、町から飛び上がり、高台に向かう。
 高台のふもと、海の側にある町は、もともと浅い入江だったところが、北へ向かう航路が開発されて、立ち寄り地としてつくられたものだった。
 一時は数千人まで人口が増えたものだったが、航続距離の長い船が主流になって、立寄る船も減って町も小さくなってしまった。
 はじめに港がつくられたころまで、高台にもひとつ、集落があった。
 そののちの「国民同一化運動」時代に、ほかの少数民族同様、その集落の人たちも、強制的に高台から引き出され、各地へばらばらに移住させられた。多民族国家のこの国で、これは最大多数民族への同化と等しかった。
 そして数十年、こんどは、政府からやってきたのが、「かってその高台に居住した少数民族の最後のひとりを帰還させる。民族協和のシンボルとして扱え」という命令だった。
 国民同一化運動の末期は、大混乱と、差別を禁止するため各人の履歴を抹消するという顛末で、移住させられた人たちの記録は、ほぼない。それどころか、養子縁組の記録すら残らなかった。
 ところが、その運動前に、この高台から、農園に出て最終的に鉱山に出稼ぎに出た男が見つかった。この、鉱山労働のため体中が強化されたゴゾという、非常に体力のある老人を、政府は高台に戻した。
 そして、その「最後のひとり」をサポートする担当の役目として、数日に一度は、ふもとの町に暮らすマルタが高台にあがり、様子を見て、報告することになっている。
 私は、首都の大学から、少数民族研究に派遣されたのである。

高台はひろい平地であり、そのむこうに山があって北からの風を遮る。この山は、町からは高台への斜面が邪魔で見えない。この高台にあがる道は非常に険しい。
 高台は、ブナの緑が覆って、その一部が居住用に伐採されて、軽規格の小住居が置かれている。数十mはなれたところには、湧き水のあつまって、ちいさな瀬がある。高台の切れ目の手前で地面に吸い込まれ、斜面の下から海に流れ込んでいる。
 夏であるが、太陽はこのあたりでは、それほど高くあがらない。その分昼間の時間は長い。
 上空の風はかなり冷たい。
「寒くないかい?」
マルタが私に声をかけた。
 天気がいいのでシールドを外している。水色の薄い上着の袖をはためかせるマルタは、背が高くやや肉付きのいい、日に焼けた、中年女性であった。すこし年下の筈の私は、温度調整ブルゾンを身につけている。
「大丈夫」
 マルタは、いちど高めにあがって高台全体を見まわしてから、居住区のそのそばの、10mほどの円形の整地にドローンを下ろした。
 どこにいるのかわからなかったゴゾが、すぐそばの木立から、コンテナをかかえてでてきた。
「いつもいうだろう、あんなに高く上がるのはバッテリの無駄だ」
 ゴゾはマルタに言ってから、私の方を見た。
「客か、珍しいな」
「首都から、ここの様子をみにきたんだって」
「監視じゃありません」
 マルタに続いて降機しながら私は説明した。
「大学で、この地区が研究領域に指定されたんですよ」
 私は男の中でも背が高い方だが、ゴゾはさらに、すこし高い。
 鼻から息を吹いて、ゴゾは、回転翼プロテクタのわきにコンテナをおいて蓋を開ける。マルタは、
「予算が通ったものをもってきたわ」
と言いながらキャリアケースを開け、ゴゾが先月申請した物品を、コンテナに下ろしていく。大柄小太りのマルトよりさらに幅も高さも優る、がっしりしたゴゾは、手元にタブレットを出して、漏れがないかチェックした。
 ゴゾは、チェンソーをチェックし、
「もう一段大きいのがよかったんだけどな」
「ゴゾ、あなたの優良人民度がまだ上がりきってないの。おとなしく仕事してたら、通るようになるわ」
ゴゾは首をすくめた。
「ここの村を守りたかったら徴用に応じて貢献しろといわれて、体をいじくって働き続けて、何十年もしていきなり今度は体をなるべく元に戻してやるからこんどは地元に戻って貢献しろといわれ、戻ってみたら、村はもうなくなってたんだ、文句を言いたくもなるだろう」
 ゴゾの体は、強化された黒い皮膚がほとんど全体を覆い、機械のはりつけられていた腕や肩のみやや色が薄く、耳や目も、それぞれ人口角膜や集音器が貼り付けられていた。黒い顔にときどき並びのいい歯が白く見え、ここも強化されているらしかった。鉱山を中心に働くための改造が行われ、元に戻すといっても、戻らない部分は大きかった。
「上のやることは仕方ないわ、あの時期にいろんなものが変わったから」
 マルタは、注意深く言葉を選んだ。自分の優良人民度を下げたくないのがよくわかった。
「最近また、その前の時代に戻そうという動きも出てるわ、でも、まるっきり戻れるわけがない、それなりに新しい形になるしかないんだから」
「仕方ないな」
 それ以上はゴゾも言わない。すべての国民には音声受容チップが埋められ、自主診断プロトコールに従って、優良人民度が上下することになる。生活にかかわるのである。特に僻地はそれ以外での評価は難しかった。
 都会ではもうすこし評価が甘い。行動や対人接触が多いので判断材料が多いのと、不特定多数との会話自体が多い都会でいちいちひっかかっていては事務作業がどうしようもないのが理由である。特に私の場合、相手から情報を引き出すにあたって自分の言葉がひっかかってしまっては困るので、周囲1mの発言をキャンセルできるようになっている。私の、政府への貢献の賜物である。
「体をもとにもどしてくれたら道具なしでいくらでも作業できるんだ」
「あなたは、今が、もとの状態よ」
 マルタは首を振った。チェックも終わり、ゴゾは、コンテナのふたを閉め、そのわきのハンドルをもって軽々と自分の小屋の入り口にもっていった。
 マルタは私に向かって、
「私の作業は終わりよ、あとはあなたが、ゴゾにいろいろきいたらいいわ、ちょっと休んでるから」
 そのままフライヤーにあがって椅子に座り、リクラインさせて、日を浴びたまま目を閉じた。私が小屋に向かうと、ちょうど、中からゴゾがでてきた。
「いいですか」
「いいもなにも、上の許可とってやってるんだろう」
 私は首をすくめた。
「ここの再生が、あなたの移住のテーマだったと思うんですが、いまの状況はどうです」
「どうやって再生させたもんだかさっぱりだ」
 ゴゾは、フライヤーに背を向け、小屋の脇の木立に入っていった。
 ひとかかえほどの太さのブナの木立のなか、教育施設のちいさなグラウンド程度の面積の地面が、下草もなくきれいにされている。空き地ではない、木立はそのままで、林床だけきれいにされているのである。掃き清められたような林床には、縦横にでこぼこな筋がついていた。
「よく覚えてないんだよ、小屋のそばに岩があって、そこと、奥の瀬の位置から、このへんに何軒か家があって、ひとつは長のものだったんだ、木が邪魔でな、チェンソーがやっと来たから作業がすすめられる」
「この集落が消えたのが40年くらい前と記録にあります、一冊だけ残った印刷記録です、あなたは」
「50年近く前に出たんだ」
 ゴゾは私を見てため息をついた。
「下にできた港にくる連中がうるさくてな、あの頃はいろんなことが起こったよ」
 そして、手で地面を掘り始めた。
「強化されたままにしてくれていたら、このへんの作業も進むんだけどなあ」
 さきほどマルタに言った話と、同じ話のようだった。
「今でも、ふつうよりは強いんだけどな」
 林床の筋をそのまま掘っていく。
「どこを掘っても、まず、黒い、炭の層がある。焼けたんだろうけど、その下に」
 ゴゾはそのまま手を動かす。
「ほら。ここにも」
 漆喰の床のようなものが出てきた。
「あちこちにあるんだ、家のあとだよ、これに木の根が入り込んでるところもある。上の土をどけてこれを全部出す」
「大変な作業ですね」
「長の家がたしかあっちにあったと思うんだ、そこをいまやってる」
 ゴゾは体をおこし、小屋から離れた方にいく。木々のむこうに、瀬がみえた。漆喰の10m四方の漆喰の床がむき出しにされ、その隅に、2m四方の、土の部分があった。すこし掘り下げられている。
「このあいだからここを掘ってるんだけどな、土の中から出てくるよ」
 そばに、いくつもの薄茶色のかたまりが置かれている。もとは丸かったように見える。
「なんですか」
「林檎だよ」
 それだけ言って、ゴゾは黙ってしまった。
「林檎の形の素焼きに見えますね」
「そう、ここにはいっぱい林檎があって、おいしいものだったんだ」
 今見渡すまわりは、一面のブナ林であった。

フライヤーで下の町に戻り、割り当てられた、宿舎に当たる空き家に案内され、
「食事はうちで出すわ、そうしたら手当も出るからそうしてちょうだい」
と、マルタが言ってくれた。
 地方時刻で20時になっても、空はすこし暗くなるが、星はみえない。
 薄い強化断熱材でできた家の、戸をあけてすぐのところにはベッドがあり、ベッドより小さい空間に1m四方のテーブルがある。テーブルについた椅子には老女がひとり座っている。
「母よ、リタ」
 小柄で、猫背のつよいマルタの母、リタは、毛布にくるまれ、黙って私を見上げ、また、何も載っていないテーブルに視線を戻した。大柄なマルタには似ていない。厚い上着を、うすいカーディガンにかえたマルタは、部屋の隅の炉から、蓋つき鍋を取り出し、2本の木片をテーブルにわたしてその上に置いた。
 シチューを食いながら、私は今日ゴゾに見せられたものの話を2人にした。
「掘るのは苦労だといってるが、掘ること自体が驚きだよ、強化人間てのは、復元処置うけても、強いものだね」
「もうじきスコップだかシャベルだかもくるから、もうちょっと楽になると思うわ」
「長(おさ)の家は出てきたそうだ、そこから、素焼きの林檎がでてきたよ、文献もほとんど残ってないんだけど、2次資料によると、上に住んでいた一族は、林檎をつかった儀式をしていたらしいんだ」
「なにそれ」
「ここから先は法律の問題になる」
 私は二人を見渡した。
「いまになっては何のためにあるのかわからない条文があるんだ、特定の種の林檎の所持を一切禁じるという内容で、適用記録はこのあたりなんだ」
「ゴゾは知ってるんじゃない?」
「それも知りたいんだが、ゴゾは何も言わなかった」
「訊けば?」
「誘導はもっとあとだよ」
 私は、鍋から皿に入れられたシチュを、スプーンですくって口に運びながら答えた。
「何もいわないところで、語り始めたら、それはその人間にとってたぶんそのときの真実に近いんだろう」
 鼻で少し笑い、マルタは、奥の台におかれたモニターをオンにした。都市部から地方の話まで、この国の話題がまんべんなく出る。もちろん政府の認めた情報に限る。
 各世帯に配給されるモニターは、双方向にも使え、教育から、政府の指導まで、あらゆることに使われた。この田舎にあっても、マルタがある程度の資格を持ち、他人と社会性をもってやりとりできるのもこのためだった。ただ、モニター経由のやりとりが多いため、むしろ、都会在住者より、身振りが派手で、声も大きい。リタの耳が遠いようで、よけい声が大きくなるのだろう。
 リタのシチュは半分残っている。私が食べ終わった後も、手を付けようとしない。モニターから目を離したマルタは、
「母さん、食べないの」
と声をかけた、ゆっくりマルタに向いて、リタはゆっくり、
「その、、、林檎」
「もうあんまりしゃべれないのに無理しないでよ、食べさせてあげようか」
 リタは首を横に振って、ゆっくり手をあげ、ベッドのむこうの棚のうえに節くれだった指を向けた。
「、、、、持っておいで」
 訝し気にマルタはその先を見た。きたない木箱がおかれている。
「あれ、おきっぱなしで、触るなって言ってたやつね」
「高いからとろうか」
「ありがとう」
 私はベッドを回りこんで、ゆっくりその箱を一番上の棚から抜き出した。そして、ほこりだらけでどこにおいたものか迷った。
「母さん、食べないのね」
 マルタは、半分残ったリタのシチュを鍋に戻してしまった。鍋は炉に戻し、炉の火は最小にゆるめた。私は、身振りでうながされるままに、箱をテーブルの上に置いた。
 金具をはずして箱をあける。中には、もとは赤と白の格子と思われる、いまは色あせた厚い毛糸の、幼児にしか着れそうもない服があった。触るだけで、手が古くて弱った毛屑と埃でかゆくなりそうである。マルタがリタにそれをみせるとリタはまた首を横に振った。
 マルタは首を傾げ、箱の底を見た。ゴゾの掘り出した、素焼きの林檎のようなものが、そこにもあった。
「これだ、こんなのが、上にあったんだよ」
「なにこれ」
 リタは、目を閉じて首を横に振り続けている。
「これじゃないの?」
「、、、いや、それなんだよ、お前のものだ、もらったのはお前だからね」
「母さん」
 すこし肩を落としてマルタはいう。
「ずいぶん前から、なんども私、夢見るの」
 夢の内容はこうであった。
 薄暗い中、年寄りも、若い人も、子供も、男も女も、ごわごわの服を着せられ、港に向かって並んでいて、そのなかの髪の長い若い女性がマルタのところに走り寄って、なにかをもたせる。女性はうしろから近づく黒い服の男に、もとの列に追いやられる。マルタは列に向かって何か言う。何を言ったか覚えていない。振り返ると、崖があり、その上は赤々と火が上がっていた。
「もらったのはこれよ。本当にあったことを夢見てたのね、上のひとたちが強制移住させられるところ」
 リタは身じろぎもせず、うわずったマルタの声をきいている。私は、
「これはすばらしい資料だな、またみせてもらっていいかい」
「来た甲斐あったでしょう、お貸ししてもいいわ」
 肉付きよく愛想のいいマルタは、細い目をさらに細くして、私に笑って見せた。

翌日のマルタは、ドローン漁で忙しいと、ほかの男たちと、船に乗って出てしまった。彼女は、母親が高齢でこの地から離れる踏ん切りがつかず、要領もよかったので、いろんな仕事の雑用係によく声をかけられるのである。複数のドローンに灯火をつけて操作し、海生生物の漁につかうというのも、この町での彼女の役目のひとつだった。
 私は、割り当ての空き家の中心炉に火を入れた後、昨夜もらっておいたパンと酢漬けの魚を貴重な茶で流し込み、マルタの家にいった。
 リタは、戸に背を向けてあいかわらずテーブルについている。モニターはつけっぱなしである。挨拶して、大き目の声で、昨日のものをまた見せてください、と頼んでみた。リタは、私を見て、
「よく、見るといいよ」
とゆっくり言って、頷いた。
「こういうものをもって移住してきた人たちの話が、むかしちらっと資料に出たことがあります」
モニターをさえぎらないように気をつけながら、私は素焼き林檎をまたテーブルに載せた。
「リタさん、これを手に入れた経緯は、きのうの話でいいのですか?」
リタは私に目を向け、またモニターに目を戻した。
「あのコがもらった、あのコのもんだよ、ずっと隠していたけれど、もうそろそろ持つべき人が持たないといけないねえ」
「これ、ちょっと割れてますね」
からからに乾いた素焼きであるが、ふたつに割れたものを張り付けさらに周囲に似た色の粘土をこすりつけてある。
「はじめからそうよ、調べてごらんな」
思いのほかリタが饒舌になったので私は驚いた。
「もう黙っているのもねえ」
 私は黙って、割れた痕を真ん中に、左右それぞれをつかんだ。おもいのほか林檎は二つに分かれた。中に、ブレスレットのような金属片が押し込まれていた。私はそれを取り出して、部屋の窓から入る光に透かした。いくつもの数字が入っていた。
 リタは、私をじっと見ていた。
「これはなんでしょう」
 リタは首を振り、私は金属片を戻した。
「私の若いころのことだった、国民同一化が、いきなり強くなったのよ、大変な時代だった」
「私は、この会話を、あなたのチップからキャンセルできますよ」
「それはそれは」
 リタは大きく目を見開いた。
「じゃあ、正直にいってあげないとね、、それまでもいろんな動きはじわじわきてたの、だから、上から徴用される人とかいたし、子供も離されてこの町で養子になったりね。あの人たち、儀式に林檎を使うの、それが、私たちが食べるととんでもない毒でね、あの人たちには大丈夫で、すごくいい気持になるもんだったというの」
こうやって、誰にも言われず消えていく歴史がどれくらいあるだろうと私は思った。
「でもとうとう国民一斉同化の掛け声がきて、上の人たちはあつめておろされてきたわ。あとはマルタが見た通りよ、港から、全国に散り散りにされて、上にあった林檎の林は火をかけられて、家も焼かれて、、ブナの林になったわ、そのころはそれでよかったのよ、でも何十年もたって、そんなことしない国だという出来合いの歴史がまかり通って、その話もできないし、私は黙っているばかりよ、ひとりごとだって喋ったら、マルタにもなにがおこるかわからない、時代がかわってこの林檎でもあの子の役に立つというなら、使ってやっておくれよ、あの子はたぶん、何も考えず、触りもせず、放っておくだろう」
リタはそこで、黙り込んでしまった。

その翌日、マルタと私はふたたびフライヤーで高台に上がった。
「はやくスコップでもシャベルでも持ってきてほしいもんだ」
「申請中よ」
 泥だらけの手のゴゾに、マルタは短く答えた。
「進んでいるかい」
 私の、前よりラフな言葉遣いの質問にゴゾは答える。
「かなり深く掘ったら、戸のようなものが出てきたよ」
 この2日で、すでに何本もの木がチェンソーで倒され、空が明るくなっていた。
 長(おさ)の敷地に3人で向かう。隅の部分がかなり掘り下げられ、そのわきに、土の山ができていた。一段がかなり高い段差で土の中に階段がおりている。その奥に、這って子供が入れるくらいの小さな木の扉が、空の光で見えた。
 扉には、半ば青く錆びた金属枠がついて、いくつもの環が回り込んでいる。そのひとつひとつに数字がたくさんついている。
「数字錠がかかってるね」
 私はゴゾに声をかけた。ゴゾは、
「扉ごとぶちこわしてもいいし、真上からどんどん掘ってもいいぞ」
と答え、私は気づいた。
「ちょっと待ってください、一度試したい」
 私は、控えておいた金属片の数字を、ゴゾに言う。土と錆で回りにくい環を何とか回すと、がたんという音がした。
 扉をこちらに引くと、そのまま開き、なかば凍った泥がなかから出てきた。同時に、かすかに甘く発酵した下水のような匂いがした。
「なんだかおいしそうな匂いね」
 上から見下ろすマルタの、のんきな声を遮るように、ゴゾは言った。
「いや、腐ってやがるよ、ひどい匂いだ」
「泥だな」
 私は、腰につけてあった保安棒で扉の中をかき回した。
「まだちょっと形が残ってるな、半分冷凍状態でのこったんだろう、これはあれだよ、林檎の貯蔵庫だよ」
 ゴゾは何も言わず、扉の中を見ている。
「まだあの法律は生きてるんだ、腐っていようが、もとがもとなんだから、これ、泥ごと、焼いて処理するしかないよ、あとで書類を出してください」
 私は、念を押すようにゴゾに言い、マルタを見上げた。
「この扉の番号は、君の林檎から出てきたんだ」
 全く不思議そうに、マルタが訊いた。
「私の林檎って?」
「こないだリタが出してきたやつだよ」
 なんのことを言っているのかわからないという表情は、嘘には思えなかった。

数年たって、私は再び、マルタのフライヤーに乗っていた。
 あのときは夏だった。今回は秋である。かなり寒く、フライヤーのシールドも防寒仕様、マルタも私も、厚めの服を着ている。
 自動運転モードになっていて、まずかなり上がる。むこうの山は、空気が澄んで高い。
「このルートなら少々風で流されても大丈夫なのよ、夜だって飛べるわ」
 みおろすと、前と違い、かなり広い範囲で林がなくなっていた。規則的に、家の土台が露出している。
「報告したでしょう、ゴゾ、道具がそろったらあっという間でしたよ、まあ、私がいいように報告したからあのひとの優良人民度も上がったんだけど」
 瀬のそばには、まわりと色の違う木が植えられ、いくつか建物があった。発着場に降りていくと、かぎ状に折れた、黒いパネルの張られた屋根がおおきくなっていった。中からゴゾが出てきた。
「ずいぶんきれいになったものだ」
「昔通りにはならないが、見かけはちょっと似せたかな、俺のもとすんでいたのはずっと向こうなんだが」
「ここは長(おさ)の家のあった敷地ですか」
 地上で、ゴゾは私に説明する。
「昔なら俺の住めるところじゃなかったんだ」
「あんたが、いまの長(おさ)ですよ」
 材質はいまのものであるが、色や形を組み合わせて、むかしふうにつくったらしいことのわかる平屋がいくつか建っている。復元住宅ということらしい。
「外見は似せたんだけどな、暮らすのは、いまふうがいいよ」
 彼自身の住む、長(おさ)の敷地の建物の中を少し見せてくれたが、組み立て住居のカタログにあるような、伝統も何もないまったくあたらしい空間である。ガードをあけた窓は外からの光が差し込んでいる。
「便利な方にどうしてもいくな、そもそも、ここでどう暮らしていたかも、憶えてないことも多いんだ」
「それでも祭祀を復活させようというのかい」
 ゴゾは、私に顔だけ向けた。
「形だけでもね、道具が掘ったところからちょっとは出てきたもので」
「あなたもそうでしたが、全国で、少数民族帰還運動が行われましてね、まあ、国がやってるわけですが、ここはなかなかうまくいってる。モデルケースなんだ」
「俺ひとりで、帰還もなにも」
 それ以上は言わない。
「あなたが、整地して、たくさん林檎の若木を移植したのだね」
「ここの林檎はもうないけれど、形だけでも復活させようと思ったんだ」
「復活文化施設としても登録できるかもしれない、どこの地域も、なかなかそこまでもっていけないんだ」
 私はゴゾにうなずいてみせたが、ゴゾはそれを聞いても、特にうれしそうでもなく、口の中であいまいに返事するだけであった。
「かかわっていた私としてもうれしいと思うね、まえに来た後、ここのことを報告したらけっこうウケましてね、大学はやめて、そちらの役員にもしてもらいました。今回は調査じゃなく、視察でしてね」
「ゴゾ、どこまで入っていいのかしら」
 マルタが、家の外から声をかけてきた。
 ゴゾは、私をちらっと見て、家からでていった。私もそのあとをついていく。
「あいかわらず、地面、このへんゆるいわね」
 瀬のそばの木立に近づこうとして、足をとられそうになったらしい。
「あんまり近づくんじゃないよ」
「きれいに実がなってるわね」
 そのあたりの低い木立には、林檎がなっていた。
「木を根付かせて、これで5年目だっけ」
「あんたに苗木をとりよせてもらったのがそうだったな」
 ゴゾの背丈ほどの林檎の木が並んでいる。
「はじめに、いろんなもの買ってたものね、苗木じゃなく、種からそだててみたいとかいっていろんなキットと種も買ってたっけ」
「ありゃ全滅したよ」
「折れそうな枝も、バンド巻いて補強してたわね、いろんな種類植えたのね」
「林檎はそういうもんだからな」
「なんとなくいいにおいがするわ」
「そうかな」
 風がないのでわからない。マルタは木に近づこうとして、ゴゾは、
「ところどころ足場が悪いよ」
と声をかけた。私も、マルタが歩いたところを通って、ゆっくり木々に近づいて行った。
 あちこちに緑の実がなっている。ゆるい風が吹いた。
「いい匂いね」
「育ち切らないものは、なんだか匂いが変だろう」
「そうかしらね」
 私にもかすかにわかった。饐えた発酵臭のように思えた。ゴゾに訊く。
「ゴミは近所に捨ててるのかい」
「なるべく燃やして、埋めているよ」
「私にはわからないわ、よく育てたわね、儀式とかの再現はどうなの」
「ぜんぜん憶えてないんだよ、だいたいたくさんの人数でやるもんで」
 ゴゾは苦笑して答えた。3人でフライヤーに戻りながら、私は言った。
「林檎も儀式も、そこにそれがあったというシンボルみたいなもんだからね、それらしいものができたら、観光資源にもなる」
 黙ってゴゾはきいていた。

前と同様に空き家が用意されていた。食事はまた、マルタが用意してくれる。
 リタは、さらに小さくなっていた。もう椅子にも座らず、部屋の半分を占領するベッドに入って、首だけシーツから出していた。やや恰幅のいいマルタの母とも思えなかった。
 テーブルには、素焼きの林檎に並べて、まえにその中からみつかった数字の入った金属片が置かれている。椅子について、それらをみながら
「なつかしいな」
 私が声をあげると、
「これのおかげで、ほかの素焼きからも数字が出ることがわかって、ゴゾがあちこち掘っていくつも倉庫をみつけて、そっちにはなんとなくいろいろな道具が出てきたのよね」
「その報告は上がってきていたし、昼にゴゾがいってたのもそれだな」
 私は金属片を手に取る。これをもとにした報告は大きくウケたことを思い出した。いまの立場のもとになったといえる。マルタは話をつづけた。
「私の立場もよくなったわ。町から出る前に、目の前にいるからって、あんなところをあけるための数字を私に渡しておいておこうとするなんて、なぜそんなことしたのかわからないけど、ここにおいておきたいものだったのね、あの人たち、そのあとどうなったのさ?」
 炉においた鍋の底に杓子をつっこんで、マルタは私に訊いた。
「わからないね、記録がないんだ、あの時代、そういうことばかりで、あちこちの作業所にいれられたりしたらしい、家族もばらばらにされてしまった、引き取ったといってもそれについてなにかいうと優良国民度が下がるからって、けっきょく自分がそうやって連れられてきたということを知らないものも、いまだにいっぱいいると思うよ」
「それ、言っていいのかい?」
 マルタは、手を止めて私を見ている。
「大丈夫、いまキャンセルシステムが動いてるからね」
「いきなり始まったわけじゃないんだよ」
 リタが急に声を出した。
「少しづつはじまって、だれも止められなくなるんだよ」
「母さん、びっくりするわ」
 マルタは鍋をもって、テーブルに運んだ。
 リタはまた、黙ってしまった。マルタは、何もいわず鍋の中身を皿に分け入れ、私に渡し、自分にも用意した。もうひとつの皿にも入れたのは、リタのために、冷ましておこうとしているのだろう。
 スプーンで芋のかたまりをつぶして口に運ぶ私に、すこし小さな声でマルタがいう。
「なにかおかしいと思わなかった?」
 私は、手を止めて、向かいに座ったマルタの顔を見つめた」
「キャンセルシステムは作動した方がいいか?」
「大丈夫、むしろ私の優良度が上がる」
 すこし頷きながら、マルタはつづけた。
「ゴゾなの、私にはよくわからないんだけど、あの林檎の木、変なの」
 私は表情を変えないようにして、そのまま聞き続ける。
「私が運んだ苗木より多いのよ、それに、ものによって接ぎ木もしてたみたい」
「あの倉庫の腐った林檎はぜんぶ焼いたんじゃないのか」
「ゴゾはそう言ってるのさ、怪しいと思うの、あの林檎がヘンな林檎だったらどうなるのかしら」
「それはマズいな、あんなところから出てきた林檎の種に発芽能力があるとは思えないが、しかしそのための倉庫だから」
 私は、スプーンを皿に戻して、背もたれに体をおいて、腕を組んだ。そしてマルタに顔を向けた。
「そもそも何を監視してたんだということになるよ、本当にそうなら、木の方は即刻焼却処分になるし、そのあとで君にも処罰がくるかもしれない」
「先に私がなんとかしたらどう」
 すこしぼんやりと、私はマルタの顔を見た。マルタはにこやかである。
「かなりのお手柄じゃないかね、明日朝、ちょっと暗いうちからいって、ゴゾに確かめて、はっきりしなかったらもう焼いてしまおうかと思うから、一緒にお願い」
 話の急な展開に、なにもいえないでいると、
「ゴゾ相手に、私ひとりじゃきついのよ、証人もほしいし、あなたがきたなら早いうちがいいわ」
「焼くってどうやって」
 マルタは、私に、口を閉じたわざとらしい笑顔をみせて、頷いて見せた。
 リタは、すっかり眠ってしまっているらしかった。

すでに夜のほうが長い時期である。朝が来るのは遅いし、なかなか明るくもならない。
 フライヤーから下りると、音を聴いたゴゾが、厚い外套を頭からひっかけて、建物から出てきた。
「知らせもくれずにいきなりどうしたんだね」
「気になっていたのよ、もういちど林檎をみせてほしいんだけど」
 そしてそのまま、瀬のそばの木々のほうに歩いていく。
「そこは歩きにくいぞ」
「今日はちゃんとした長靴よ」
 薄暗い中で、マルタは林檎の木の周りを歩く。追いついたゴゾは、文句を言った。
「一体何が気になるのかね」
 私は、ゴゾのあとからマルタを見ていると、マルタは私を見た。
「困ったわ、何もわからない」
 私は少し呆れた。
「勢いだけできたのか」
 そして、林檎の木に近づくと、饐えた匂いがする。
 匂いのもとは、林檎の実である。いくつかの林檎に近づいては匂いを確かめる。ゴゾが、じっと私を見ているのがわかった。
「ときどき、変な匂いのものがかたまって成ってるな」
 つくったような笑顔でゴゾが言った。
「実りが悪いのか、ちょっとおいて様子見ているのだよ」
 変な匂いの実の集まりに私は顔を寄せて、ひとつの実を外した。小さい実だが、しっかり成っている。ゴゾが小さい声をあげた。
 マルタに、それを渡す。
「いい匂いじゃないの、すっかり熟してると思う」
 戸惑うような顔で、ゴゾはそれに鼻を近づけた。
「ひどい匂いだ」
「ゴゾ、私もそう思うんだよ、それは、あんたが、あの倉庫から救った種から生えた苗だか、そこからとった枝だかになったものだろう」
 ゴゾは凍ったように動かない。やがて、私にゆっくり返事した。
「ここに植わっていた、昔の林檎ということか、俺はむかし、儀式のたびに食ったんだ、子供のころ、でも、こんな変な匂いの代物ではなかった」
 私は、マルタに声をかけた。
「そんなに変な匂いかね」
「二人とも何を言ってるの、すごくおいしそうじゃないかね、これがここの昔の林檎なのかい?なんでこんなものが禁止されたのさ?」
「食えばわかるよ」
「冗談でしょう、毒じゃないの」
「多分、君にはそうじゃない」
 マルタは、懐からハンカチをとりだして、林檎の表を、磨くように拭いた。薄暗い中で、私は足元のためにもってきた明かりをそれに向けた。林檎はきらきら光った。
「農薬は」
「実にはほとんどかかっていない」
 不満そうにゴゾが答え、マルタは林檎を齧った。
「甘い、おいしいよ」
 薄暗い中でも、マルタが笑顔で声をあげているのがわかった。
「ゴゾ、あんたは肉体改造を受けたんだろう、そのうえ正常化処理も受けてる、その標準は、ここにいた人たちじゃない、もっと広い範囲での一般的な形質だ」
 私の言葉を聞いて、黙ってゴゾは、そばの林檎を枝を割いて手にして、歯にあてた。
「口にするだけでしびれて痛い」
 それ以上口に近づけようとせず、唾を吐いた。マルタが不思議そうにいう。
「こんなに甘くておいしいのにさ」
「それぐらいにしておかないと、つらくなるよ、焼かなくっちゃいけないから」
 私は、林檎の木々からゆっくりとフライヤーに向かい、ゴゾも、マルタも、手にそれぞれ林檎をもって、私についてきた。
「あんたはあの林檎を育てていた、間違いないね」
 間をあけてゴゾが答えた。
「そうだ」
「マルタ、あれは禁止されてる。打ち合わせ通りに、焼いてくれ、これは視察官の緊急命令と考えてくれ」
 マルタは、外套の前を開け、腰に付けた装具袋から端末を取り出して操作した。そして手にした、かじりかけた林檎をぼんやり見た。
「これが、禁止された林檎なのかい?」
「そう、あんたの親はあんたに食わせたかったんだ」
 マルタは私をぼんやりみた。意味が分かったのか、顔をいきなりあげた。
「私が、ここからもらわれた養子っていうの?」
「強制移住の前に、長(おさ)が保険をかけたんだろう」
 海側から、いくつもの光が飛来してきた。プロペラが空気を切る音もやがて聞こえてきた。
 マルタの小型ドローンが10台ほど林檎の木の上空までやってきて、火を放った。
 ドローンは、そのまま上昇気流を避けて、林檎の木のこちら側に降りてきた。そのままゆっくり、列をつくり我々やフライヤーを避けて、海の方に動き始めた。
 燃える木々の光をうけ、薄暗い中で、ドローンの黒い影が、並んで動いていく。人々の群れがゆっくりだまって歩いているようだ。
 マルタが目を見開いて、言った。
「思い出した、そっくりよ、あの時、私は、おかあさんと、叫んだのよ」
ドローンの列は、プログラムと自主判断Aiに従って、海側に去り、高度を下げて見えなくなった。ゴゾは、手にした林檎をみつめている。
「俺はもうこれを食えないのか、あんたには食えるのにな」
 マルタは、林檎とゴゾを交互に見た。
「あんたはここの文化を背負ってきたのに体がそうじゃないのね、でも、私は、体がそうでも、ここのことなんかなんにもわかっちゃいないのよ、そんなの、今更、知ったことじゃないに決まってるじゃないの」
マルタははじめつぶやくように、そして吐き出すように答え、ゴゾは、手にした林檎を自分の口に押し付けた。顔をしかめ、呻きながら、噛み下し、膝をついて倒れた。
 叫び声をあけてマルタはゴゾをゆさぶった。それを静かに制して、私は言った。
「ダメなものには毒で、もう絶命しているよ。完全な禁止植物なんだから、そんなものをここまで育てたなら困ったスキャンダルだ。それをちゃんと処分したのが、ここの長(おさ)の血を引くあんたなんだ、何も問題ない、一連の行動で、優良度も爆上げしたはずだ。禁止植物もなくなったし、ここは復興文化施設として、一号登録できるだろう、いい業績になる。私に任せればいい」
 マルタは、絶望的な目で私を見上げた。

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