二人の縁

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梗 概

二人の縁

慶長20年、大阪夏の陣。主人公、小平太は後藤又兵衛率いる浪人衆として、豊臣方に加勢していた。

道明寺の戦いで、敵方の政宗隊に同郷の友人・三郎次を見つけ相争うが、乱戦のさなか主君又兵衛は戦死、小平太は命からがら戦場を脱出する。
もはや豊臣家滅亡は確定的、小平太の立身出世の夢も立たれた。大坂から逃げ延びようとするなか、小平太は乱取りに遭いかけていた子供・ウメを救う。ウメは両親を殺され、腕を切り落とされてしまっていた。

厳しい幕府方の浪人探索のなか、親子に化けて逃げる二人。やがて紀州山中にあばら家を見つけ落ち着く。
ウメは、助けてもらったお礼がしたいと小平太にいう。自分は大坂の茶屋の娘だったが、すべてを無くしてしまった。もし腕があったなら、どんなことでもして働いて恩返しできるのに、と悲しむ。
それを聞き、小平太は木材を加工し雑な義手を誂えた。喜ぶウメは、義手をぎこちなく使い、山菜と味噌で料理を作る。その美味しさに感動した小平太は、ウメを褒める。ウメは、この料理はかかさまに教わったのだ、と応え泣く。

ウメは料理に両親との記憶を重ね、小平太は料理によって荒れた心を癒やしていく。
もともと手先が器用だった小平太は、自分の小手先の能力を嫌い、刀によって出世を目指していた。こんな小手先の技が人を救うとは、と最初は自嘲気味に笑っていたが、じきにウメの義手の改善に熱が入り才能を開花させていく。最初は削り出しただけだったが、ウメが快適に過ごすための複雑な関節やフックなども作っていき、ウメもそれに応えるべく料理の腕を取り戻していく。

やがて、小平太は同じように手足をなくした人々に対して、義手や義足を作ってやるからくり技師となった。
紀州山中にからくり技師あり。評判となった家に、救いを求める人々が集まる。ウメは礼として持ち寄られる食材を料理し、皆に振る舞い銭を稼ぐ。あばら家は立派な茶屋へと成長していった。
小平太の義手によって人々は救われ、そしてウメの料理によっても救われていく。小平太も、こうして人を救うことが自分の生きる道だと思うようになり、ウメの笑顔も増えていった。

ある日、一人の男が訪ねてくる。それはかつて争った同郷の三郎次だった。幕命で浪人方探索の任についていることを告げられる。覚悟は良いか、と問われ、小平太は逃れられないことを悟り、決闘の前にウメの料理を所望する。
ウメはからくりの義手で料理を作る。最初に作った、山菜の味噌汁。
小平太は三郎次にも料理を進め、二人は刀を置いてそれを飲む。
幼きころの記憶を呼び覚まされるような、優しく懐かしい味。二人は料理を食べるなか、共に遊んだ思い出を語らう。

やがて、椀を置いた二人は刀を持ち構える。現役を退いた小平太に勝機はなく、決闘は三郎次の勝利に終わった。
悲しむウメに、三郎次は自分と共に来るか、生活の保証はすると告げる。
ウメはそれを断り、ここで小平太の作った義手と共に生きていくと言う。

茶屋で出されるウメの料理は、今日も人々を癒やし続ける。その手は精緻極まる義手でできている。

文字数:1255

内容に関するアピール

味覚とは記憶の積み重ねだと思います。特に両親の作った料理の味はいつまで経っても忘れられず、親から子へと継承されていくものです。今回課題に応えるにあたって、この「味覚の記憶と継承」をうまく表現できればと思いました。

登場させた小平太は、戦国時代で出世できなかった浪人です。元和偃武のなか彼らがどのように消えていったのか、大量に発生したであろう傷病者が一体どうなったのかを調べながら、その代表者として描きました。

梗概では若干薄くなってしまいましたが、ウメが覚えている両親の料理の味、そしてそれに紐付いた記憶について、もう少し大切に描写したいと考えています。

よろしくお願いします!

文字数:286

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