梗 概
すみれ工場と常春の島
その島には人工的な春がつねに保たれている。無性生殖でふえる穏和な農民が、種子や苗などを工場内の環境に計画的にさらして育成し、つぼみのほころびかけた植物を毎月のように新しく大地に植えつけながら生活している。
農民たちはキャベツや豆や菜の花を大量に収穫して日々豊かな食卓を大勢でかこんで愉しみ、食事の毎にその腕や頬から丸い芽が顔を出す。大部分の芽は指先で潰されるが、子どもをほしがるひとはそれを丁寧に切除し、花瓶に挿し、ひとの形に育つのを待つ。
主人公は二人の親と二人のきょうだいとともに暮らしつつ(だれがどの親の芽だったのか判然としない)、すみれ工場で働いている。毎月の春に備えて苗を育て、丘いちめんにひろがるすみれ畑の花を植え替えにゆく。みずみずしいすみれを掘り起こして回収し、花びらにそれ自身の蜜を結晶させて砂糖漬けを作る。
大部分の民にとってすみれは猛毒であり、その花びらが混入した食事を摂ったもののほとんどが息絶える。しかしごく稀に高熱に何日も浮かされたすえ生還する者がおり、かれらは碧ひなと呼ばれ穏やかに崇拝されていた。碧ひなになった者は平地を離れて丘のうえの屋敷に移り住む。すみれの花しか食べず、それ以外の食事を受け付けない。
月に一度、主人公は丘のうえの屋敷まですみれの砂糖漬けを届けにゆく。あるとき配達にゆくと、クラリサという名の見知らぬ碧ひなが玄関に現れる。ちいさな嵐が来たあとにまたすみれ中毒が起き、家族が死んだあとひとりだけ生き残ったのだという。クラリサがさみしげだったので、主人公はすみれ畑の散歩に誘う。クラリサはすこし明るさを取り戻す。
主人公はクラリサにあこがれ、急速に食欲を無くしてゆく。農民たちはまいにちのように芽を潰すためあばただらけの顔をしているが、碧ひなの肌は常になめらかで美しい。家族は心配し、ゆたかな料理のかずかずを主人公に勧める。
きょうだいのひとりがみずからの芽を切除し育て始め、やがて姪がすがたを現す。快活な姪は主人公によく懐く。
クラリサと仲を深めた主人公は、丘のうえの屋敷の宴に誘われる。参加者の大部分が碧ひなで、全身を花であざやかに飾って愉しむのだという。主人公は心細く感じるが、出席することに決める。
主人公は姪とともに、からだに飾るための花を摘みに出かける。野をかけまわる姪とは対照的に、痩せ衰えた主人公は手近な花を摘むことしかできない。姪が主人公に花をあしらったが、本人は自分の見た目に自信がない。
それでも主人公は屋敷をおとずれる。たくさんの美しい碧ひなが歓談しているなか、クラリサを探して右往左往する。やっと見つけたクラリサが振り向いたとき、そのあまりの気品に圧倒される。
主人公は手にしていたすみれの花びらを衝動的に口にふくむ。かすみゆく視界にクラリサの姿が最後まで映りつづける。
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内容に関するアピール
春野菜をぜいたくに使ったゆたかな料理の数々も、宝石のようなすみれの砂糖漬けも、それぞれ違う方法で魅力的にえがいてみたいです。この物語を読んで、春野菜を食べたくなる人もいれば、すみれの砂糖漬けを食べたくなる人もいればいいなと思います(私はできることならどちらも食べたいです。実際にはほとんどのすみれに毒はありません)。
食べることはそれ自身をあたらしく作り替えてしまう変身の行為です。もしも毎日すみれの砂糖漬けだけを食べて生きてゆくことができたならきっとすてきな霊的存在になれるのに、とたまに思ってしまいます。『銀河鉄道の夜』に、くるくると剥いた苹果の皮が床に落ちる間に「すうっと、灰いろに光って蒸発してしまう」シーンがありますが、すみれならばそういう霊的・神秘的な食べ物の仲間入りができるに違いないと思います。
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