梗 概
食べない人
作り終えたばかりの常備菜を若い女がタッパーに詰めている。「那智」と彼女が呼ぶと男が台所にやってくる。那智は与えられた茄子の南蛮漬けを咀嚼し、口に当てたハンカチに吐き捨てる。食べものの残骸を見つめ、彼は「美味しいです」と呟く。蛍光灯に照らされる整った横顔に女は「嘘ね」と囁いて、作業を続ける。別室で電話が鳴る。「菜々さん」と那智が促す。菜々がこたえずに冷蔵庫を閉めたとき、電話は鳴り止む。
料理教室からの帰路、菜々は八百屋に那智を呼び出す。西瓜が安くなっていたのだ。やってきた那智に嬉しげに荷物を持たせたとき、年配の女性が菜々を呼び止める。菜々が通っている教室に彼女も通っている。「旦那様がいらっしゃったのね」と興味深く言う彼女に、菜々は那智を同居しているヒューマノイドだと紹介する。女性は那智の首元で光るインジケータを見つめ、気まずそうに退散する。
家に戻った二人がサイダーの栓をあけると祝祭的な空気が現れる。部屋着になった菜々は「ロボットに料理作ってあげてる変人って思われちゃったかな」と笑い、那智も彼女に微笑みかける。人間を模したロボットは廃れて久しく、那智は相当な旧型だ。電話がかかってくる。『遥』と表示されている。鳴り続ける電話を見つめながら「どう思う?」と菜々は呟く。「私、料理、上手くなったと思う?」と切迫したように聞く菜々に「はい」と那智がこたえると、彼女はようやく電話を取る。
遥は菜々の大学以来の親友で、二人のルームシェアを長年支えてきたのがもともと遥の実家で使われていた家事ロボットの那智だった。遥が結婚して二人の家がなくなったあと、彼は家事が全くできなかった菜々に与えられたのだ。菜々は今や生活を自分で回せるようになり、那智は一日の大半をぼうっと過ごしていた。
遥が持ち込んだスパークリングワインの乾杯でホームパーティははじまる。遥はふくよかでやさしげな女性だ。菜々が作ったイタリアンを遥は次々にたいらげて菜々の成長に感動する。那智は会話に参加しながら、時折菜々を手伝う。デザートの西瓜ゼリーを食べ終わったあと「泊まっていったら」と何気なく言った菜々に、遥は子どもの世話を理由に首を振る。後片付けをする菜々を残して那智は遥を駅まで送る。「びっくりした。那智があんまり暇そうだから」と言った遥に「何かできることはありますか?」と那智が聞くと、遥は那智の頬に口づけする。「祈ってあげて。幸福を」と言い、遥は改札の奥へと消えていく。
まっくらな寝室で菜々は布団に突っ伏している。「どうすればあの頃の私たちが戻ってくると思う?」と菜々がくぐもった声で聞く。「祈り続けていれば」と那智はこたえる。インジケーターの青い光は那智を見上げた菜々の頬を輝かせている。菜々は「嘘つき」と囁く。那智は黙ったまま、菜々の頬にハンカチを当てる。
文字数:1165
内容に関するアピール
これ以上どこにも進めなくなった関係を、ただ祈りながら見つめることしかできない存在の話かなと感じていて、実際に書くとしたら那智視点の語りになりそうだと思いました。
文字数:80