はじめましてSci-Fiさん、エイリアンより

印刷

はじめましてSci-Fiさん、エイリアンより

1.ファースト・コンタクト
2.スペースオペラ
3.タイムトラベル
4.ディストピア

 

1.ファースト・コンタクト

「ヒュウゴくん、今日の放課後、空いてる?」
 男子中学生のヒュウゴは、自分の名前を呼ばれて目を白黒させた。音楽室から自分の教室に戻る途中、廊下で女子生徒に声をかけられたのだ。
 振り返ると、女子生徒がひらひらと手を振っていた。彼女は、3か月前に転校してきたばかりの転校生、名を絵理好(エリス)と言った。すらりと長い黒髪と、大人っぽい容姿、ものしずかな性格で、普段はほかの男子生徒でも話しかけにくい雰囲気を漂わせている。なのに、今この時は、クラスの中でも特に目立っていないヒュウゴに話しかけてきたのである。
「え、あ、うん」
「じゃ、旧校舎の美術室って、空いてたよね。そこで話そうか。さっきの休み時間にきみが話してたこと、興味あるんだ」
 ヒュウゴは視線を宙に漂わせた。
「う、うん。じゃ、授業が終わったらすぐ行くよ」
 ヒュウゴがようやく答えると、エリスは微笑んで手を振り、ヒュウゴの先を歩いて教室に入っていった。何人かのクラスメイトが珍しそうにこちらを見ている。ヒュウゴは教科書と文庫数冊を抱えた手を震わせ、廊下の壁にもたれかかった。
 後ろから追いついてきた、眼鏡をかけた男子生徒が声をかける。
「ヒュウゴ、どうしてスライムのようにふやけてるんです」
 ヒュウゴは力なく首を振った。
「いや、なんか……異星人とファーストコンタクトが起きて」
「それならふやけもしますね。これから異星人と交渉ですか。それともすぐに戦争?」
「今日の放課後に密会だって。そこで僕がエイリアンに脳を乗っとられても、カジー、僕を見捨てないで」
「異星人検知器の用意をしておきます。君がエイリアンに乗っ取られたら、迷わず消火器をぶっ刺します」
 友人のカジオに促され、ヒュウゴはようやく廊下の壁から体を起こした。おぼつかない足取りで教室に向かう途中、ヒュウゴは先ほどの彼女の言葉を思い出す。
(さっきあの子、『休み時間に話してたことに興味ある』って言ってたかな……)
 隣を歩くおかっぱ頭の眼鏡少年、カジオを見やる。
「カジ―、僕、授業前の休み時間、なに話してたっけ?」
「銀河帝国の話でしょう? 君がその設定を妄想してたら寝不足になって、小テストの成績がさんざんだったと」
「その話、興味が出るようなところある?」
「さあ。君にとっては興味しかないでしょう。つまり君と同じSFオタクなら、興味が出るんじゃないですか?」
 ヒュウゴはうなずいた。そうか、彼女は自分に興味を持ったんじゃなくて、自分の話していたことに興味を持ったんだった。少しだけ残念に思ったが、すぐにヒュウゴは考え直した。

 ヒュウゴはSFマニアだが、恋愛にうといわけではなかった。謎めいた美人の転校生に呼ばれたら、色々と期待するくらいには男の子だった。恋愛どうこうもあったが、同じ話ができるのは最高である。
 放課後、緊張しながら旧校舎の美術室の扉を開くと、学習机の上に彼女が座っていた。すらっと長い髪が背中に流れている。絵になる、とヒュウゴは思った。夕日が木造の古い教室を照らす。床はきしみ、並べられた机と椅子は傷み、そこかしこに生徒が置いていった彫刻刀や絵の具のチューブが転がっている。
 エリスは振り向いて手招きをする。
「ヒュウゴくん、宇宙に興味があるんだってね」
「あ、うん。スター・ウォーズとかスタートレックとか。ひょっとして君も?」
 エリスはあいまいにうなずいた。ヒュウゴは心の中で飛び上がり、嬉しさを表情に出ないようにするのが難しかった。
「宇宙人とかについても知ってる?」
「まあね、だてにSF研究会の部長やってないよ。子どもの頃から宇宙人と戦ってきたし、いろんな生物の宇宙人見てきたし」
「じゃあ、地球に対してはどう思う?」
「僕から言わせたら、宇宙人に対する侵攻の備えがまだまだかな。宇宙人にスパイに来られたらどうするつもりなんだろう? スパイがすぐそこまで来てるかもしれないのにーー」
 ふと、首筋に冷たい感触があった。慌ててヒュウゴが手で払おうとすると、指がちくりと痛んだ。
「動くな」
 ヒュウゴの首元にあるのは、床に転がっていた彫刻刀だった。
 ヒュウゴは一瞬状況が把握できず、ぐっと彫刻刀を握った。
「動くなと言っている」
 その瞬間、壁際のロッカーの上から、1本の彫刻刀がふわふわと浮かんで、ヒュウゴの目の前に飛んできた。
 鋭い刃先をヒュウゴの瞳に向けて。
 ヒュウゴは目を白黒させながら、転校生の表情を見た。さっきまでの柔らかな表情とは違い、その顔からは笑みが消えている。
 エリスは立ち上がって、手を空中に伸ばす。ヒュウゴの首元の彫刻刀が震え、刃が肉を刺す。
「どこの惑星から来たスパイだ? エメット星か? デッカード星か?」
「えっ、えっ」
「言わぬと死ぬまでだぞ。事故に見せかける方法はいくらでもある」
 変わったエリスの口調に、ヒュウゴは彼女が何かに取り憑かれたのではないかと思った。つまりこの彫刻刀もポルターガイストで、なにか霊的なものが作用としているのではないかと。
 しかしどう考えても、目の前の彫刻刀は彼女が操っている。どちらにせよ、この喉元の痛みが本物であることは間違いなさそうだった。
 ヒュウゴは慎重につぶやいた。喉が動いて刃がちくちくと喉を刺す。
「きみ、もしかして……」
「私のことに気づいていなかったのか? どこのスパイだ」
「きみ、もしかして、宇宙人なの?」
 エリスはわずかに目を見開いた。口の端を上げる。ヒュウゴは場違いに、かわいい、と思った。
「なかなか笑えるジョークだな。宇宙人に宇宙人呼ばわりされるとは」
「本当に!? すごい。生きてる間にこんな体験があるなんて。僕もう死んでもいいかも」
 ヒュウゴは興奮してまくしたてた。両手をあげたまま、彫刻刀を首筋に突きつけられながら、目をキラキラさせている少年。エリスは渋い顔をした。
「死ぬ前に、お前がどこの星の生まれかを言え。連盟側か、連邦側か」
「すげえ。どこの星の生まれかって、一度聞かれたかったんだ。もう最高」
「いい加減にしないと殺すぞ!」
「待って待って。殺すなら超能力で殺して。普通の彫刻刀で死ぬなんてやだ」
 ヒュウゴは目を閉じた。死ぬならもっと複雑な感じで死にたい。脳に信号を送られて発狂して死ぬか、操られて窓から飛び降りて死ぬか、いっそのこと体内に卵を植えつけられて死ぬでもいい。いややっぱりそれは嫌だ。
「うるさい。情報を吐けば死なずにすむ。まずお前が何星人か言え」
「ぼ、僕は地球人です。ああ悲しい。地球生まれなんて本当につまんない」
「嘘をつけ。さっきおまえは、地球の侵攻がどうかと言ってただろう。休み時間中もペラペラとほかの惑星のことを話していたはずだ。地球はまだそこまで文明が発達していない。つまりおまえは別の惑星のスパイだ。そうだろう」
 ヒュウゴはこれまでの自分の言動を思い出した。ようやく、彼女が何を勘違いしているか、自分が何と間違われているかを理解した。しかしそれは全てSFのちからである。SF最高。いままで見捨てなくてよかった。SFの神様ありがとう!
 思わずSFへの感謝を話そうとしたが、エリスの顔がものすごくイラついていたと、首筋にあてがわれている彫刻刀が震えだして首筋がズキズキ痛みはじめたので、(たぶん少し血が出てる)、正直に告白した。
「あれは小説の話だって。SFの」
 エリスはしかめっ面をさらにしかめて言った。
「SF? なんだそれは」
 
 
 旧校舎の上の階、古くてせまい部室には先客がいた。隅の席で本に視線を落としている男子生徒である。部室には本がぎっしりと並べられた本棚、古い水道、ごちゃごちゃと書かれた黒板がある。
「やっと来ましたかヒュウゴ」
 カジオは顔を上げてヒュウゴを見、続いて後ろからついてきたエリスを見やる。
「あ、ええと、部活見学希望だって。知ってるでしょ、転校生のエリスさん」
「それはそれは珍しい。カジオです」
 カジオは席についたまま会釈をし、また読書に戻った。カジオはあまり人付き合いに興味がないタイプだった。これは『部の説明はまかせましたよ』というメッセージであり、長い付き合いのヒュウゴはそれをわかっている。
 ヒュウゴはエリスを、壁際の本棚に案内した。本棚にはびっしりと本が並べられている。SF研究会の部費は微々たるもので、これらの書籍のほとんどが部員の私物である。手狭になってきたのでカンパで新しい本棚も買おうかと検討中だった。本棚の3分の1はヒュウゴの私物である。
「これが全部SF」
 エリスは無言のまま本の陳列を凝視する。それから本を読みふけっているカジオのほうを見やった。
「あ、大丈夫。カジーは読書に没頭してたら何も聞いてないから」
「ここはどういう場所だ?」
「SF研究会の部室。SFはサイエンスフィクションの略。エリスの星では、こういうのないの?」
 ヒュウゴは本棚から『2001年宇宙の旅』を手に取り、エリスに手渡す。エリスは手に持ったまま表紙をにらみ、反対の手でこめかみのあたりをつっつく。
 エリスは、本の表紙を凝視している。ヒュウゴは苦笑した。
「そんなに変? 表紙」
「私はこのまま中を見ることができる。アナログの文字を読むよりは早い」
 エリスの目が青く光る。ヒュウゴはぽかんと口を開けた。
 彼女はセンサーで本の中の情報を読み取っている。もしかすると、彼女の脳には機械が埋め込まれているのかもしれない。目が監視カメラのようにぐいぐいと動く。
 
 突然、木造の床が揺れた。
 ヒュウゴは一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、すぐにエリスが尻もちをついただけだとわかった。彼女が手に持っていた本は、部屋の隅にふっとばされていた。
「ど、どうしたの?」
 エリスは床を這い、よろよろと立ち上がって部屋の隅にある汚れた水道に飛びつく。
 そして激しく咳き込んだ。
 一瞬、古い本に虫でも挟まっていたのかと思ったが、エリスの様子はそうでもなかった。
 エリスは蛇口を握ったまま肩で息をし、歯を食いしばった。
「……これは、どこの惑星のことなんだ?」
「え? どこっていうか、空想のお話だから……」
「空想?」
 エリスはヒュウゴをにらむ。
「そう、空想。この本棚のなか、ほとんどがフィクションだよ」
 そんなまさか、という表情で、エリスは本棚を見やる。
「もしかして、彼女は初めてSFを読んだのでは?」
 突然、横から少年の声が聞こえてきた。読書にふけっていたカジオが眼鏡を上げている。
「聞いてたの?」
「SFワードを聞いて反応しました。宇宙人と聞いて黙ってはいられません。転校生さん、あなたの母星では、SFが禁じられていたのでは?」
「カジー、飲み込み早い……」
 しばらく無言だったエリスは、ハンカチで口元を拭いて、拳をぎゅっと握った。
「……そのとおりだ。我が母星では禁じられている。こんなものを読むことも、考えることも禁止だ。いや、こんなものが蔓延している地球のほうがおかしいのだ。全宇宙のなかでこんなものが許されているのは地球だけだ!」
「そんなことはないと思うけど……」
 ヒュウゴは苦笑しながら、内心では混乱していた。本当は彼女の星についてとても聞きたい。けれど、聞いたら聞いたで話してはくれなさそうだし、彼女が不機嫌になるのも嫌だ。何より、また彫刻刀で脅されては困る。
 エリスは床に落ちた本を拾い、にらみつけた。
「こんなもの、存在してはいけないものなのだッ!」
 ぼしゅっ。
 奇妙な音がしたあと、本は火がついたようにめらめらとゆらめき、突然こまかな「ちり」みたいにばらばらになり、最終的にエリスの手元から消滅した。
 ヒュウゴはそれをぽかんと見つめていた。
 横のカジオが顔をしかめた。彼は本を汚されると、非常に怒るのだ。
「異星人といえど、SF研究会で大事な書物を消すとは…・・・」
「お、おちついて、カジ-。宇宙人だから、しょうがないよね。ほら、すごい念力も見られたじゃん。
 エリスさん、お願いだから本を燃やすのは、ね?」
 ヒュウゴがなだめようとするが、エリスのするどい目つきは変わらない。本当に本を憎んでいるようだった。放っておけば、部室の本棚ぜんぶ、燃やされるかもしれない。
「……でも今まで、SFをまったく見てこなかったってわけじゃないよね? エリスさんが転校してきてから何ヶ月も経ってるし、町中にSF映画のポスターだって貼られてるよ」
 エリスが下唇を噛む。横でカジオが頭を指さす。
「……おそらく彼女の電脳には、フィルターがかけられているのではないでしょうか。エリスさんを派遣した人々は、地球に調査に行くのはいいが、余計な文化を学んでしまっては困ると。SF的なものを見ても聞いても、おそらく無意識に知覚しないようになっているのでは。先ほどの症状もフィルターによるものかと」
 ヒュウゴは自分の首筋を指で触る。彫刻刀でつけられた傷が痛い。
「でも、SFを禁止するのはなんで?」
「そういう文化なのでしょう。『華氏451度』のように、SFには有害な情報があると決めつけ、国民に読むのを禁止しているのかも。平和と秩序を保つために。とりわけ星が戦争中だったり、政治体制が独裁国家だったりすればなおさらです。鎖国状態なら、他の惑星について学ぶことも禁止しているかもしれない」
 ヒュウゴとカジオは、2人でエリスを見つめる。彼女はそうだとも違うとも言わなかったが、図星だったようだ。
 エリスは口元を手でぬぐった。その瞬間、部屋の真ん中に置かれていた学習イスが、ガタガタと揺れ始め、今にも浮きそうになった。
「やはりここは、他惑星のスパイの集まりだな? お前らの理解力はおかしい」
「あ、念力も使えるのですか。物体を浮かせるタイプでしょうか」
「カジー、どんどん勘違いされるから黙ってて」
 カジオはくいくいと眼鏡を押さえる。
「我々がスパイの集まりにしろ、何にしろ、SFを読んでみるというのはいかがですか。地球の文化を学ぶというのなら、母星ともっとも遠く離れた文化を学ぶのが一番です」
 エリスはそれを聞いたか聞いていないのか、荒い呼吸を整えて首を振る。
「反乱分子の集会場に、なぜ私が来なければいけない。仮にお前たちが地球人だったとして、危険因子の集まりなのだろう?」
「危険因子の集団だって。僕たちそうなのかな?」
「ずいぶんと小規模な集団ですね。ほかの部員はセナぐらいです」
 エリスはよろめきながら部室の扉を開け、廊下に出ていった。不規則で危なっかしい足音が聞こえる。
 ヒュウゴとカジオが顔を見合わせる。
「彼女、宇宙人であることを僕たちに話してよかったのでしょうか。一応スパイなんでしょう?」
「うーん。でも、僕らがほかの人に「宇宙人のスパイがいる!」って言っても、誰も信用しないよね」
 その後の研究会は、もっぱら「エリスがどんな惑星から来たか」で話が盛り上がった。が、つきつめて考えるほど、「明日、記憶を消されるか、存在を消されるのでは?」という不安がどんどんもたげてきた。ヒュウゴはノートに日記を書きつけ、これも記憶を消されたら意味がなくなるのかな、とぼんやり思っていた。
 よって次の日の休み時間、青ざめた顔のエリスが、ヒュウゴの元にやってきて、震える声で告げたとき、ヒュウゴはとても安堵した。
「ヒュウゴ。私にSFを教えろ」

 

2.スペースオペラ
  
 ヒュウゴは驚いたものの、部員不足のSF研究会の部員が増えることはありがたい。それが美人の女子転校生とならばなおさらだし、記憶を消される心配もなくなった。
 ただ彼女は宇宙人で、念力が使えて、SFの禁断症状もちで、ヒュウゴを殺そうとした子だけれど。
 どうして入る気になったの? と彼女に聞くつもりはなかったが、聞かなくても向こうから答えてくれた。
「確かに地球のことを学ぶには、母星から一番離れたところを学ぶほうがいい」
「エリスさん、読むの、大丈夫? 昨日みたいにならない?」
「エリスでいい。おそらく大丈夫だ。訓練に比べればあんなものは何でもない」
 放課後、昨日と同じメンバーがSF研究会の部室に集まり、ヒュウゴとカジオが本棚を眺めた。エリスにまず何を読んでもらうか、授業中も休み時間も考えていたが、まとまらなかった。
「もしかしてこれがエリスにとって、一番最初に読むSFになるのかな」
「それは責任重大です。慎重に決めなければ」
 カジオがメガネを外して目をこする。どんなものがいいか、本人に聞くのも手だと思ったが、エリス本人がSFを読んだことがないし、読みたい、と思うことすら禁じられている。結局いろいろと議論したあと、『スペースオペラ』が彼女にとって一番とっつきやすいのではないかと結論になった。
「スペースオペラ、とはなんだ」
「宇宙もののこと」
「日本ではSFといえばスペースオペラ、と言う人もいるほどポピュラーです。映画やアニメでも映えますからね。スターウォーズやドラえもん、ガンダムや宇宙戦艦ヤマト、子どもにも人気です」
 何冊かを手に取り、エリスに渡していく。
「まあ、君にとっては未来の話じゃなくて、現実のことかもしれないけど……」
「別の惑星から来た宇宙人の方に読んで頂くのは、いささか恐縮ですが、身近であることに間違いないのでは」
「ええと、『星界の紋章』、『銀河英雄伝説』、『月は無慈悲な夜の女王』……海外物もあったほうがいいかな。新しいやつのほうがいい?」
 エリスはまた眼球のセンサーを使って読むのかもしれない。そうであれば、読むのもほぼ一瞬だろう。読書マニアにとってはうらやましい限りだ。 
「まあやっぱり、映像作品と親和性があるよね。僕、データも持ってるよ」
「……読んでくる」
 エリスが本の山を両手で抱え、部室から出ていく。部室の扉は念力で勝手に開いた。
 部室の隣の部屋は、学校の備品置き場として使われていた。パイプ椅子や古い折りたたみ机が積まれている。
 扉を開閉する音が聞こえてからしばらくして、隣の部屋からうめき声が聞こえてきた。
 ヒュウゴとカジオは顔を合わせる。
「……あんなに命がけでSF読んでる人、はじめてみた。もっと楽しんで読めればいいのにね」
「それだけ厳しいのでしょう。彼女のフィルターがどれだけきついのかわかりませんが、徐々に慣れてくるかもしれません」
 ヒュウゴは振り返って本棚を眺めながら、自分がSFと出会った頃のことを思い出した。
 自分がいつSFと出会ったか、正確な時期は覚えていない。おそらくハマった時期は小学生のころで、市立図書館でたまたま見たSFマガジンがきっかけである。そのときはアニメや漫画目当てだったが、だんだんと活字にも興味が出てきた。
 いまヒュウゴは中学2年生。このSF研究会も、実はヒュウゴが立ち上げたものである。たまたま同じクラスにいたカジオと意気投合し、部員をかき集めて立ち上げた。この学校が朝の読書を推進していることもあって、申請は驚くほどすんなり通った。クラブ創設には部員が最低5人必要だったが、いま毎日来ているのはカジオくらいで、たまに来るのは女子生徒のセナである。
 そんな弱小クラブに、SFに興味を持ってくれた生徒が来てくれるのはありがたいことである。それが自称宇宙人というのならなおさら。
 自分は幸せ者だな、とヒュウゴは思う。毎日SFばかり読んで、周りにもそれについて話せる友人がいて、勉強はテキトーにしておいて。これほど好き勝手しているときはないな、と思う。
 けど、そろそろ受験のことも考えないといけないし、進路のことも考えないといけない。本当はエリスに構っている場合ではないのである。
(……エリスのことが終わったらまじめに考えよう) 
 なるべくエリスには長くいてほしいな、ヒュウゴはぼんやりと思った。

 

*** 

 

 2時間後。夕日がだいぶ傾き、多くの生徒が帰路につこうとする頃。
 エリスは部室の隣室にこもったまま、姿を見せなかった。ヒュウゴは様子を見に行こうかと、廊下をうろうろしていたが、なんとなく気が乗らなくて足が運ばなかった。
 いや、新入部員の面倒を見るのは部長として当然のことである。決してやましい気持ちはない。
 と自分に言い聞かせながら、隣の部屋の扉をノックする。
「入りまーす……」
 がら、と扉を開けると、部屋の真ん中の席にエリスが座っていた。
 彼女の目が泣き腫れていた。

 どうしよう、とヒュウゴは思ったが、あわてて部屋を出ていくというのも変だし、扉の前で固まっていた。
 エリスは本を閉じ、ハンカチで涙を拭いた。
「かん違いするな。決して感動して泣いているわけではないぞ」
 ヒュウゴは頷きながら、向かいの席に座る。机には、ヒュウゴが渡したSF本が積み上げられている。
「わけのわからぬ言葉が飛び交ってるし、本当かどうかわからぬ科学が成り立ってるし、都合がいい話は多いし。故郷は思い出すし、頭痛はひどくて吐き気はすごいし、頭がどうにかなりそうだ」
 ヒュウゴは頭を抱えた。今まで「良からぬもの」として信じていたものを読まされたのだ。ヒュウゴが想像していた、「SFが好きになってくれそうな女の子」というイメージが、音を立てて崩れていく。
「やっぱり、合わない?」
「最悪だ。信じられん。今すぐこの本を燃やしてしまいたい。この校舎ごとすべて燃やしてしまいたい」
 エリスが過激なことを話し始めたので、ヒュウゴはあわてて話題を変えた。
「エリスの故郷のこと、聞かせてほしいな。戦争中なんだっけ」
「ああ」
「じゃ、歴史改変ものはまずいね……」
「歴史改変?」
「SFのジャンルの1つなんだけどね。たとえば、もし第2次世界大戦で日本やドイツが勝っていたら、とか。もし織田信長が本能寺で死ななかったらとか、関ヶ原で徳川家康が負けたらとか」
「なぜそんなことを考える必要がある? 本当の歴史はひとつだろう」
「あ、いや、もしそうなったらどうなるかなっていうロマンみたいなもので……。それとか、戦国時代に自衛隊がタイムスリップしたらどうなるかなとか、中世ヨーロッパにもし機械の発明があったらどうなるかなとか」
「……」
 エリスが眉間にしわを寄せる。やはりどうしても話題がSFになってしまう。
「エリスの星では、そういう本を読むのは禁止されてるんだね」
 ヒュウゴが尋ねると、エリスが拳をぎゅっと握るのが見えた。
「私の星には、検閲捜査官という役職がある。国民が、よからぬ空想やニセ科学に洗脳されていないか、常に監視している。監視対象は国民だけではない。同僚や、上司や、組織のなかの人間もすべて」
 ヒュウゴは想像して気持ちが悪くなった。そんな世界では、このSF研究会なんて、まっさきにつぶされる大将になる。
「……すごく怖そうだね。その検閲捜査官って人」
「私はもともと検閲捜査官だった」
 えっ、とヒュウゴは目を見開いた。
「じゃあ……」
「私は文字通り、本を燃やすのが仕事だった。データも、コンテンツも、人があらゆる創造したものを、壊すのが仕事だった。法を破ったものに罰を与えた。友人や上司を告発したこともある。法を破った者がどうなるか、私は知っている。キミに話すことはないだろうが」
 エリスは自嘲気味に笑ったあと、苦悶した表情でヒュウゴを見つめた。
「だから嫌いなのだ。SFというやつは」
 それだけを言って、エリスは本を手に持ち、教室から出て行った。
 ヒュウゴは目を閉じた。文化が違うことは、ある程度、覚悟していたが、予想以上だと思った。

3.タイムトラベル

 

「それで、そのエリスという子は、SFをなにも知らないんですか?」
 ヒュウゴは、SF研究会の紅一点、セナに問い詰められていた。助けを求めて、読書にふけるカジオに視線を送る。
「知らないというか、むしろ嫌っているまでありますね。SFを読んだら発狂するようです」
「そんな人を、どうして私に相談なく入部させるのかしら? 部長のヒュウゴさん?」
 ごめん、とヒュウゴは両手を合わせる。
 セナは部室の学習机の上で足を組み、ショートカットの髪をさらりとかきあげた。いつも人を誘惑しているような瞳で、ヒュウゴらをどぎまぎさせている。ヒュウゴと同学年とは思えない、大人っぽさがあった。
 彼女がSF研究会に入部してきたのはつい数か月前なのに、もう古株の態度をとっている。確かにSF研究会の部員はほぼ最低人数で、誰に抜けられても困るのだけど。
「でもありがたいことじゃん。SFキライな子が、興味もって入ってきてくれたんだし」
「甘すぎますわね。そういう子がサークルの仲を破壊するんですのよ」
 そうかなあ、とヒュウゴは苦笑する。セナは数少ない部員の中でも、わりと熱心に部室に来る方である。
「その子は、どうしてSF嫌いなんですか?」
 ヒュウゴは再びカジオのほうを見た。事前にエリスについて決めておいたことを話すときだ。
「エリスはお嬢様らしいよ。家庭の事情で、こういうものを読んじゃいけないって厳しく教育されてたんだって」
 なにそれ、とセナは笑う。
 じつはエリスは宇宙人でね、なんてことは、口が裂けても言えない。もし喋ったことをエリスに知られたら、自分は学校の屋上から落とされるか、変なウイルスを体に入れられて殺されてしまう。
 なにより、エリスが地球からいなくなってしまうだろう。それはSF研究会にとっても困ることだし、なによりヒュウゴが嫌だった。
「変わった人もいますわね」
「君に言われたくはないと思うよ」
 セナはクラスのなかでも美人と評判で、運動神経もばつぐんで、成績も良い。どうして彼女がこんな研究会に来てくれているのか、ヒュウゴは不思議でしょうがない。
 入部のときのあいさつでは、どうも彼女も本が好きで、昔からいろいろな本を読むのが趣味だったらしい。しかしSFについてはあまり読んだことがないらしく、興味があるから、というのが入部の理由だった。
「家庭の事情……とても興味ありますわね」
 セナが薄く笑うと、校舎のどこかで派手な音が聞こえた。
 SF研究会の部室は、古い旧校舎の上階に位置している。建物全体が古いので、誰かが乱暴に校舎に入ると、音が響いて丸聞こえになる。
「噂をすればなんとやらです」
 カジオが言うとおり、廊下からどすどすと、人が足音うるさく歩く音が聞こえる。
 ヒュウゴはなんとなく嫌な予感がして、指で耳をふさいだ。
 大きな音をたてて部室の扉が開かれると、エリスの声がとどろいた。
「ヒュウゴ! おまえが昨日貸してくれた小説、あれはなんだ!! 人間の脳のなかに、虐殺の機関があるというのは本当か!?」
 新入部員は肩で息をしていた。顔は紅潮していた。
「きさま、私をバカにするのもいい加減にしろ。いくら私が地球の文化を知らないとはいえ、空想の話といえども限度があるぞっ! こんなもの宇宙法廷にかければ即、焼却だからな!」
 エリスはヒュウゴのほうに詰め寄り、手に持っていた黒い本を彼の顔に押しつける。
「エリス、人、人!」
 顔面に本を押しつけられながら、ヒュウゴはセナのほうを指さした。エリスはぎろっとセナのほうをにらむと、そこでようやく彼女の存在に気づいた。
 セナは学習机から飛びおり、新入部員に握手を求めた。
「いきなり元気ですわね、新入部員のエリスさん」
「す、すまない。いまの言葉は忘れてくれ。今日は朝から、この小説のことで頭がいっぱいだったんだ。ちょっと混乱していた」
 エリスは本をヒュウゴに押しつけて、セナの握手に応じる。
「この部に女の子がいなくて寂しかったですわ。歓迎いたします」
 セナは天使のように微笑み、エリスをハグする。ヒュウゴは体をぶるっと震わせた。
 セナったら、さっきまでさんざん文句言ってたのに、女の子ってやっぱりこわい。
「別の教室の本棚は見ました? じつは私たちが隠れて使ってるんですの。案内しますわ。
 連れてっていいですわね、ヒュウゴ?」
 エリスと手をつないだまま、セナはヒュウゴに了解を求める。ヒュウゴの頷きもそこそこに、セナはエリスをひっぱって部室を出て行く。エリスの表情は少し困った様子だったが、さすがのエリスも、先輩の誘いを無碍に断れないようだった。
 嵐のようなふたりが部室から出て行くと、廊下からふたりの話し声が聞こえる。やがてそれが聞こえなくなると、ヒュウゴはどっと疲れて、学習机にもたれた。
「なんだかんだでセナ、うれしそうだったね。やっぱり女の子がいたらうれしいよね」
「どうでしょうか。セナが初心者に優しい人だと良いのですが」
 いやなこと言わないでよ、とヒュウゴは苦笑した。
  
 SFというのは、こんな女の子にも読まれているのか。
 エリスは、セナたちが『旧美術室』と呼んでいる教室に案内されながら、ぼんやりとそう思っていた。
 性別に偏見があるわけではない。今まで読んだ少しのSF小説のことを考えて、別に女の子が読んだって良いではないか。いや、ヒュウゴが以前に言っていた、「SF研究会に女の子が来なくって」という言葉を真に受けていたのかもしれない。自分だって、地球で言われている「女」の部類だし、軍人だし、元検閲捜査官だし。
 セナがごちゃごちゃと美術道具が積まれている机をどかすと、奥の方に本棚が見えた。どうやらこの教室は、ほぼ物置として使われているらしく、SF研究室がこっそり利用させてもらっているらしい。
「SFを初めて読んだのですって? いかがでした?」
「いや、なんというか……自分にはなかなか理解が及ばない。難しいよ」
 セナが奥の本棚から何冊か引っ張りだし、机の上に並べていく。古くて埃をかぶったもの、まだ新しいもの、カバー付きのもの、文庫本、いろいろ。
「わたくしが好きなのは、いわゆるタイムトラベルものですわね」
 セナに言われて、エリスがきょとんとしていると、彼女は補足してくれた。
「過去に言ったり未来に行ったりすることですわ。自分の意思で行くのはタイムトラベル。偶発的に行くのがタイムスリップ。ずっとおなじ時間を繰り返すのはタイムループ。
 人と人の時間が離れてしまうものが多いからか、ラブロマンスものが多いですわね」
 エリスが本をぱらぱらとめくると、確かにそのようなものが多いようだった。
 恋愛は苦手だった。そういう空想にとらわれてはいけないと、よく両親から叱責されたものだった。
「すまないな。SFについては、本当に何にも知らなくて。教えてくれてありがたいよ」
 エリスはセナに向かってお礼を言った。
 セナはくすくすと笑い、ハグを求めてきたので、エリスは仕方なく彼女の背に腕を回した。
 初めて会ったときはどうなるかと思ったが、セナはわりと後輩に親切らしい。
 これからも友達でいてくれるかもしれない。
 そうエリスが思ったときだった。
 セナが耳元でささやいた。
 
「あなたの母星ではSFが禁止されているとは聞いてましたが、本当だったのですわね」

エリスは体をあいまいに笑った。どう反応すればいいのかわからず、首をかしげたりした
「とぼけなくても良いですわ。エメット星のスパイであるエリスさん」
 表情が固まった。
 体を離して、ただ相手の瞳を見つめた。
 彼女が冗談を言っているかどうか、わからなかった。さっきまでの柔和な表情は変わらず、ただエリスを見つめている。
「こんなところでお会いできるとは思いませんでしたわ。私の素性はおわかり? あなたに近いところなのですけれど」
「……まさか、デッカード星か?」
 セナは眉を上げた。デッカード星は、エリスの母星が戦争をしている相手の星の名前だった。
 エリスは口の中がからからになるのを感じた。自分がスパイに来て、違う星の人間に見破られるのは初めてだった。
 しかも、よりによって敵国のスパイに。
 脳をフル回転させて、必死に現状を分析し、対抗策を練った。この状況をどうすればいいのか、まったくわからない。
 エリスの頭の中に、音声が入り込んでくる。

〈安心しなさい。ここでいさかいを起こすつもりはありませんわ。あくまであなたとは、SF研究会のいち部員として話したいですから〉
〈……何を企んでいる?〉

 宇宙人特有のテレパシーだった。いつの間にプロテクトまで突破されたのだろう。この通信は、通常の人間には聞き取れないものだ。
 エリスは体を離して後ずさり、反射的に距離をとった。いつ殺されてもおかしくない状況だった。
「エメット星のスパイであるあなたが地球に来た理由は、長く続いている我が母星との戦争の、早期決着のためかしら。地球がどの程度の文明レベルなのか、調査するために。
 はたして地球は仲間にするべき星なのか、敵にするべきか、それとも侵攻して支配するべきか」
 セナが学習机の上で足を組み、くるくると指をまわす。エリスは答えられなかった。黙っていることが肯定の意味になることはわかっていたものの、ここまで筒抜けなら答えようがない。
「ほかの部員たちの反応ですと、あなたが宇宙人であることは知っているけど、その本当の目的は知らないようですわね。
 ウフフ、母星で禁止されているSFを読むために、スパイが学校のSF研究会に通う……。涙ぐましいですわね。あなたの星は文明レベルが低くて、戦争でも苦戦していますもの」
「黙れ! それ以上言うと命の保証はないぞ」
 エリスは身構えたが、すぐに体の動きを止めた。
「よろしいのかしら。私を殺せば、十中八九、ヒュウゴたちはあなたを疑いますわ。あなたはここにはいられなくなり、SFの研究もできず、地球の調査もパーですわね」
 セナはフフッと微笑みを返す。
「お互い、敵国のスパイですけれど、生かしておいたほうが得策ではありません?」
「それならなぜ、私に素性を明かしたのだ? 宇宙人というのは黙っていればいいはずだ。なぜヒュウゴたちに近づいている?」
 エリス自身は、SFを学ぶためにSF研究会に所属している。単に地球の調査が目的なら、こんな部活に身を置く意味がない。セナがここにいる理由は別にあるはずだ。
「ひみつ、ですわね」
 セナはふふっと笑って、教室の扉を指さした。今日はここまで、という意味らしかった。 

***
 
 敵国のスパイ。
 エリスにとっては、いますぐ存在を消したい人物であったが、彼女の言ったとおり、いまはセナに手出しはできなかった。
 いや、任務を最優先にするなら、いますぐ本部に報告して、判断を仰いだほうがいい。
 ただ、相手の目的もわからないことには、手出しのしようがない。
 どうしてセナは、自分がスパイだということを明かしたのか。
 いくら考えてもその答えはわからなかったが、その日からセナは、妙に態度が悪くなった。
「ウフフ、エリスさん。こんなものも読んでいませんの? まだまだですわね」
 セナは部室の学習机の上で足を組み、ぱたぱたと手で自分をあおぐ。
「タイムトラベルものだけでもまだまだありますわね。『夏への扉』は? 『タイムマシン』は? 『時をかける少女』は?」
 エリスはエリスで罵りたいものの、まわりにヒュウゴやカジオがいるので、まともに相手ができない。
『セナが宇宙人であること』も、『お互いが宇宙人だと知っていること』も、ヒュウゴたちにはまだ話していない。
 話せばこのSF研究会の均衡が崩れそうで、エリスは怖かった。
「ふん、だいたい、タイムトラベルなんてものは実際にできるわけないのだろう。なぜできないことについて物語を書く?」
「あら、本当にできないと思っていますの? これだから想像力が足りない方は困りますわねぇ」
 セナがふんぞりかえっているのを、まわりのヒュウゴとカジオは困った顔で見つめている。
「ではメトセラものはどうかしら? 不老不死や不老長寿のことですわ。『おもいでエマノン』とか『百年法』とか」
「……不老不死も、現実的には難しいだろう」
「わかってませんわねえ。想像できるから楽しいのですわよ。ずっと生きるほうと生きられないほうのすれ違い、不死のほうが無茶をしてしまうロマンス。
 あら、もしかしてエリスさんはまだ不老不死ができないと思っていて? まだまだSFファンとは言えませんわねえ」
 いちいち言葉がしゃくに障る。
 というか、会話を通して、セナがこちらの情報を探ろうとしてきているように思えて、油断ならない。もしかすると、こちらの母星の文明レベルを探ろうとしているのかもしれない。
 ……いや、もしかして、彼女が自分を宇宙人であることを明かしたのは、いやがらせをするためなのだろうか。
 そうだとしてら、なんとなく腹が立つ。
 そのとき、ヒュウゴが口を挟んだ。 
「セナ、それぐらいにしてあげなよ。エリスがパンクしそう」
「あら、親切に教えてさしあげようと思いましたのに」
 ヒュウゴが苦笑する。
「そういうのは良くないオタクの典型例だよ。『あれまだ読んでないの?』とかさ。初めての人には初めての人のペースがあるし」
「あーらら、ヒュウゴさんはお優しいですわね。読んでいないものを読んでいないと言って何が悪いのですの」
「初心者に冷たいジャンルは、衰退していく一方だよ。あたたかく見守らなきゃ」
 そうですか、とセナは肩をすくめる。
 エリスは首を振ると、ふと、ある考えに至った。
 もしかして、セナは羨ましがってるのかもしれない。
 エリスはヒュウゴたちに、自分が宇宙人だと明かしている。だけど、セナはそれができない。
 宇宙人だとばれていても、親切にされている自分が、妬ましいのかもしれない。
 エリスは立ち上がって、腰に手をあて、セナの前に進んだ。
「セナ、私は宇宙人だ」
 部室がしんと静かになった。
 ヒュウゴも、カジオも、セナも、びっくりした目でエリスを見つめている。
「私は地球の文化を知らない。もっと言えば、SFは全く知らないし、嫌いですらある。本当は、いまでも本棚ごとすべて燃やしたい。何がいいのかさっぱりわからん。
 ……が、おまえの案内には感謝するぞ。セナ」
 いきなりの発表に驚いたのか、セナは目を白黒させている。
 ちょっとだけ、気分がいい。 
「ふ、ふふ。わかりましたわ。ま、ご自分のペースでよろしいんじゃないかしら」
「セナ、エリスが宇宙人だってこと、知ってたの?」
「知りませんでしたわよ。でも、ヒュウゴが勧誘してきた人なら、宇宙人のひとりやふたりいてもおかしくないでしょう」
「どういう風に見られてるの僕は」
 ヒュウゴが口をとがらせているのを尻目に、エリスはセナにテレパシーを送った。
〈セナ、もうすぐおまえが宇宙人であることも、ヒュウゴにばらすぞ〉
〈……やってくれましたわね。カミングアウトされるとは思ってませんでしたわ。
 さすがに私の素性がバラされるのはよろしくないですわね。そんなことをすれば、さすがにヒュウゴが怪しみます>
 セナはつーんと向いている。ヒュウゴたちには何も聞こえておらず、急にふたりが黙り込んだように見えるだろう。
〈それなら、もう一度聞く。なぜおまえはヒュウゴに近づく?〉
〈……ここからのことは、他言無用ですわ〉
 テレパシー越しに、緊張感が伝わってくる。ノイズがちりちりと脳内ではじける。  
〈我が母星、デッカード星では、すこしだけ未来が見通せますの〉
 エリスは思わず顔をあげた。誰にも聞かれていないはずだが、周りを見渡す。
〈ウソだな。宇宙の発達した文明でも、未来予知はまだまだ未知の技術だ〉
〈ウソだと思って頂いて結構ですわ。そちらのほうがありがたいですもの。ではここからの話は、あなたの好きな「想像とお話」にしましょう。
 デッカード星では、長引く戦争の結果、まだ技術的に未熟な未来予知に頼ることにしました。正確に言うと、膨大な計算による未来のシミュレーション、あらゆる特異なパラメータを入力として、どんな突拍子もない未来でも否定しない。
 未来予知の結果は、いろいろありましたけれど、可能性の一つとして、ヒュウゴの名前があがりましたわ。この戦争の未来を左右する人間のひとりに、彼の名前が挙がりましたの〉
 思わずヒュウゴを見やる。彼は本から目線をあげて、不思議そうに首をかしげている。
〈といっても、こんな辺境の星、地球でできることなんてたかが知れていますわ。可能性としてはとても小さく、本人すら一生気がつかないでしょう。ほんとうにわずかな選択を、彼は握っています。そこで私は、ヒュウゴの調査を行い、彼の根本がSFでできていることを見つけましたわ。おそらくSFが、彼の行動のカギになるのではないかと〉
〈・・・・・・信じられんな。あのヒュウゴが戦争の未来を左右するなど・・・・・・〉
〈信じて頂かなくて結構です。ですが、私は自分が宇宙人であることを、ヒュウゴに明かすわけにはいきません。彼の行動が変わってしまえば、未来が変わってしまうかも知れませんもの。私の任務は、ヒュウゴがつつがなく生きられるように見守り、観察すること。そして、できるだけ彼が執着している、『SF』について調査すること〉
 つまり、彼女がSF研究会に所属しているのは、そのため。
〈あなたにスパイであることを話したのは、そのほうがヒュウゴの安全が守られそうだったからですわ。あなたもあの人を失いたくはないでしょう?〉
〈……私がヒュウゴを拉致したらどうだ? おまえたちの星の未来がかかっている彼を〉
〈あら、彼を拉致したところで、あなたたちの星が有利になるとは限りませんわね。彼を死なせず、このまま見守ることがお互いに最善ではなくて?〉
 エリスは頭をフル回転させたが、その通りだと思った。ヒュウゴを失うことが、どちらの国に有利に運ぶかわからない。それがわかるまでは、静観するしか方法がない。
 エリスは立ち上がって、セナの前に立った。
「セナ、おまえには負けんからな。おまえの知識、全部こっちにぶつけてこい」
 セナは薄く笑って、指でマルをつくった。
 それを見ていた男子生徒ふたりは、明らかにほっとした顔になった。

 

 

4.ディストピア

※ ◯月△日 スペースオペラ
 宇宙もの、らしい。正直、宇宙開発もほとんど進んでいない地球の、なにが宇宙ものだ、と思っていた。しかし、地球の今の文明にしては、宇宙についてよく書けている。ときどきよくわからない理論が出てくるが、これは実在する理論なのだろうか? ヒュウゴには、よくわからないところは飛ばして読んでいいと言われたが、気になってしょうがない。読み進めるごとに、頭のフィルタが鳴り響いて、吐き気がひどくなる。

※某日 タイムトラベル
 過去と未来を行ったり来たりする、らしい。セナはタイムトラベルというより、それにまつわるロマンスが好きなようだ。私はあまり興味はないが、読んでおくことにする。あとで教えてくれたメトセラ(不老不死)ものは良かった。我が星でも、不老不死の研究は行われている、と思う。おそらく秘密研究で、私が詳細を知るところではないが。

※某日 アンドロイドSF
 巨大ロボットものやAIもの、その他人気のジャンルらしい。カジオはこのジャンルが好きなようだ。地球のロボット技術は、正直、まだ発展途上だが、空想上のロボットについては悪くない。というか、我が星ではほとんど、ロボットは戦争に使われるものなので、なぜ地球でこんなに人気があるのかわからない。特に子どもから人気があるのは不思議でしょうがない。

※某日 ディストピア
 ユートピアの反対語で、あらゆるものが監視された未来の社会のようだ。このジャンルはどうしても読めなかった。読もうとするとフィルターが激しく鳴り響き、吐き気が止まらなかった。理由はわかっている。

 
 エリスはノートのページをめくった手で、ぎゅっと紙面の端を握った。握った部分がしわになる。
 いつになったら自分はこのページを破れるのだろう。こんなもの、残しておいていいはずがない。
 
 ***
 
 エリスがSF研究会にきて、3か月が経った。
 ヒュウゴとカジオがだらだらと部室で過ごすなか、ヒュウゴはカジオの名を呼んだ。
「ねえカジー、僕、エリスになんかまずいこと言ったかな?」
「まずいと言えば毎日まずいですし、存在がまずいのでは」
「そんなにへこむこと言わないでよ」
 何があったのです、カジオは眼鏡をずりあげる。
「今日さ、エリスに、『しばらくSF研究会に来れない』って言われて……へこみすぎて死にそう……」
 ヒュウゴは机につっぷし、エリスと初めて出会ったときのように、スライムのごとくふやけていた。ふやける理由は、あのときはまったく違ったけれど。
 そのとき、廊下からどたばたと足音が聞こえた。それが誰なのか、声を聞くまでもなかった。がらりと部室の扉が開かれる。
「重大ニュースですわ、ヒュウゴ!」
 まさか、とヒュウゴが顔を上げ、現れたセナの顔を見る。
「今日の授業で、私のクラスに教育実習生の先生が来たんですの、それが、それが……」
 ぱたぱたとジェスチャーを続けるセナを見て、ヒュウゴとカジオは顔を見合わせる。部室に台風が到来したようだった。
「で、その先生がどうかしたの?」
「その先生がアレですの。実はアレですの。本当は本当は……」
 本当は? とヒュウゴが尋ねるが、セナはもどかしそうに首を振る。
「エリスはどこにいますの!? 大至急、話すことがありますの!」
「エリスはまだ来てないね。その先生がどうかしたの? なんて名前?」
「『アサクラ』と名乗ってましたが、どうせ違うにきまってますわ!」
 ヒュウゴとカジオは顔を見合わせた。この女子学生が何を慌てているのか、さっぱりわからなかった。

***

 エリスは強烈な違和感を抱いた。
 それは、ここにいてはいけない存在の。
 周りの背景が異世界のようで、その男だけ、こちらの世界に来ているような。
 いや、その逆だったか。
 旧校舎の廊下で、スーツ姿の男は、エリスが寄ってくるのが当然というようにぴたりと止まり、窓際にもたれかかった。
 エリスは無視することもできず、ずるずると男のそばに歩いて行く。
「ヴォルデ、久しぶりだ。ここではエリスと言ったか」
「――長官」
「女子高生の格好もサマになっているな。周りの若い連中の中にうまく溶け込んでいるよ。友人は作ったか?」
「『アサクラ先生』こそ、とてもお若い教育実習生に見えますよ」
 軽口を叩く余裕は、自分にあったようだった。いや本当は、本題に入るのが怖かった。
 なぜこちらに? エリスが尋ねると、アサクラと呼ばれた男は、手に持っていたファイルをぱらりとめくった。
「状況が変わった。おまえには地球への観察を任務にしていたが、本国が焦りだしている。今後、早急に地球への侵攻が可能か否かの結論を早くしてほしいと」
「まさか。本国はそんなに危機的な状況なのですか」
「旗色が悪い。敵国が地球に目をつけるかもしれぬ。実際、スパイがここに来ていてもおかしくはない。早急に観察報告をするため、任務を終えて帰還する必要がある」
 早すぎる。地球から母星へは連絡はできないものの、最初の連絡時期は早くても半年後だったはずだ。エリスは混乱していたが、この男に聞いても無駄だと思い、素直にうなずく。
「……わかりました。報告をまとめます」
「ひとつ聞く。君の生徒資料を見させてもらったが、君が所属しているSF研究会とはなんだ?」
 この男から、「SF研究会」という言葉が発せられるのがおかしかった。どこまで調べられているのだろう。まさか、ここ最近の学校生活を観察されていたのだとしたら、相当にまずい。
「私が地球の文化レベルを測るには、ちょうどいいかと」
「ほう、まさか、フィルターは解除したのか?」
「私にフィルターをかけたのは長官ですか」
 さてな、とアサクラは肩をすくめる。
 どうやら、ヒュウゴやカジオと話していたところは見られていないようだ。
 自分が信頼されているのか。それとも、それをする暇がないほど、時間が差し迫っているのか。
「わかってはいると思うが、いざというとき、君の正体を知った人間は消せねばならんぞ」
「わかっています。そんな人間はいません」
 自分の声が不自然でないかどうか、エリスには自信がなかった。
「ふむ、では早急に帰還準備をしたまえ。明後日、出発する」
 アサクラはそれだけを言い残し、踵を返した。
「アサクラ先生」
 エリスは彼を呼び止める。アサクラはフリ勝った。
「ディストピア、というのを知っていますか」
「なんだね、それは」
「SFのジャンルのひとつだそうです。ユートピアの反対語で、あらゆるものが管理された未来の社会だとか」
「フム、それが何か?」
 いえ、別に。エリスは頭を振った。

*****

昼。
 授業中、旧校舎の部室に呼び出されたヒュウゴは、久しぶりにエリスと話すことができた。実際、話せなかった時間はとても短かったのだが、ヒュウゴにはとても長く感じられた。
 エリスは着いていた席から立ち上がり、肩をすくめた。
「ヒュウゴ。私はまた転校することになった」
 ヒュウゴは目を見開く。校舎は授業中特有の、独特の静寂に包まれている。
「うそ? このあいだ来たばっかりなのに」
「ああ、親の仕事の都合だ。転勤族はつらいな」
 その一言で、ヒュウゴは全てを悟った。
 エリスは何かを隠している。彼女自身もその白々しい嘘に気づいている。それでもこの芝居に付き合えと言っている。
「他の部員にはよろしく言っておいてくれ」
 まるで普通の人間の生徒のように振るまっている。
 誰かに見られているのかもしれない。
「そうだ。このあいだ貸してくれたSF小説、面白かったぞ」
 何を貸したっけ、とヒュウゴは考えを巡らせる。
 エリスは壁際の本棚をなでた。
「こういう話だったな。『ある宇宙人は、観察のために地球に来た。だがそれは、母星が地球に攻め込むかどうか、地球の文明レベルを見るためだった』」
 ヒュウゴは肩の力を抜く。
「『宇宙人は地球でSFと出会い、友と出会った。宇宙人は地球との交戦を阻止するため、母星に帰ることになる』」
 結末が読めなかったのが残念だな、とエリスは笑った。
「また会えるさ。手紙でも書こう」
 エリスは部室の扉を開き、ひらひらと手を振った。
「うん。手紙で」
 ヒュウゴが手を振ると、エリスは部室から出ていった。
 出会ったときと同じように、彼女はふいにいなくなる。
 ヒュウゴは呆然と宙を眺めていると、机の上にあるノートを見つけた。
 ヒュウゴはぱらりとノートをめくった。

        (終)

文字数:20369

内容に関するアピール

SF作品の紹介、SFのおもしろさ、SFの変なところ、を紹介しながら、これ自体もSFエンタメとして読めるように、というのが目的でした。ストーリーを多くすると、SF紹介が少なくなりがちでちょっと困ります。

自分の目標としてはまだまだ達成できていないですが、ここ最近あんまりにも調子が悪いなか、ぎりぎりでなにかをつかんで、指が動いてキーボ-ドが叩けたことだけで幸せです。まじめにそんな感じでした。これからもがんばります。

文字数:206

課題提出者一覧