秘伝隠岐七番歌合
頬に感じるのが褥の柔らかさではないことに気付き、目が覚めた。
視界がはっきりするよりも先に、土の匂いが鼻を突く。身を撫でていく風も、明らかに室内のものではない。
何故地面に横たわっているのか。つい先ほど、寝殿に向かおうと自邸の廊下を歩いていたのではなかったか。不審に思いつつ、身を起こした。老いた細腕が身体を支えるだけで情けなく震える。手の平から、土の感触がありありと伝わってきた。
衣服をたしかめると、やはり床につくための小袖を着ている。それがどうして、外に寝そべっていたのだろう。
かたしきの、とつい口ずさみそうになり苦笑する。歌など詠じている場合ではない。まず、ここはどこなのか確かめなければなるまい。
立ち上がり、手掛かりを求めて辺りを見回す。木々の生い茂った様子からして、明らかに自邸の庭などではない。
ひとまず、夜であることは変わりなかった。かたわらには池があり、目覚める前に見上げたのと同じ満月が映りこんでいる。不覚をしたのはそう長い間のことではないらしい。あちこちから聞こえる鈴虫の声が、ここにも都と同じく秋が来ていることを教えていた。
嵐山の山奥とでも言われれば頷けないこともない。しかし、そもそもどうやってここまで来たというのか。
夢だ、というならば話は早い。しかし、夢とうつつのあわいならば、何度となく歌に詠じてきた自分だ。だからこそかえって、うつつは夢と明らかに異なる重みを持つことを知っている。そうして、いま感じるのはうつつの重みであった。これは夢ではない。
周囲は明るかった。月明かりのおかげではない。目の前に一軒の苫屋があり、その手前に置かれた燃え盛るかがり火が夜陰を遠ざけている。自分の影が、炎が揺れ動くのに合わせてゆらめいているのを見ているうち、突然、不安におそわれた。次第に頭が働きだし、自分は盗賊にさらわれたのではないかと考えたのである。
都にはびこる夜盗の数は増え続けており、近頃では検非違使を恐れるどころか松明をかかげて往来を歩き回り、狙いをつけた家の前には堂々とかがり火を立てて強盗におよぶのを思い出したのだ。隣家も被害に遭っているし、自邸も一度襲われかけている。ありえない話ではない。
知らぬ間に昏倒させられ、ここに置き捨てられたのではないか。それなら家は、妻や子はどうしただろう。焦りが募る。
ふたたび苫屋に目をやる。助けを求めるべきだろうか。さては盗賊のねぐらではないかと耳をすましてみる。
家の中からは何の物音もしない。しかしそれとは別に、信じられない音が耳に届いた。都では聞こえるはずのない、かすかな波の音が聞こえたのだ。
おどろいて、闇に目をこらす。
どうやらここは小高い丘の上らしい。炎の明るさに目がくらんだのと老いからくる眼疾とで見逃していたが、夜陰の向こうを見透かせば星空の下半分を黒々とした闇が切り取っているのが分かった。あれは海なのだ。つまり、ここは都ではありえない。
「久しいな。いまは、明静と名乗っているのだったか」
海を見た衝撃が強かったせいで、突然声がかかったことにすぐ心が追い付かなかった。その声に聞き覚えがある、と気が付くのにもさらに時間が要った。当然だろう。十五年前――鎌倉との戦があった後は一度も言葉を交わすことのなかった相手の声なのだから。今様の上手でもある人の、深みのある声。忘れるべくもない。もう聞きたくもない、と何度も思わされた声である。
しかし。ありえぬ、と浮かんだ相手の顔を振り払う。かの御方は、遠く隠岐へと遷幸されたのだ。自分の目の前に現れるはずがない。
苫屋の陰から、ざ、ざ、と足音がこちらへ近づいてきた。
刹那、闇が歩み寄ってきたように錯覚して後ずさる。相手が墨染の僧衣を着ていたためにそう見えたのである。
やがて、足音の主の顔が炎に照らしだされた。
法名明静――藤原定家は、硬直した。
かつては都でその権勢をふるった上皇――後鳥羽院そのひとがそこに立っていたのだ。
定家は思わず烏帽子を正し、その場に着座して平伏した。冷たいものが背筋を流れていく。
(では、とうとう京へ戻られたのか!)
先ほど耳にした波の音も忘れ、定家は慄いた。鎌倉によって隠岐へ流された院が帰還し、自分を逐いやった鎌倉や京を呪うのではないかという噂は都で根強く囁かれており、もしそうなれば、自分も無事では済むまいと定家は思っていたからだ。
鎌倉の北条義時を誅殺せよ、という院の勅命が各地の御家人に発せられて始まったかの戦で、自分の縁戚である西園寺家は鎌倉方に味方した。乱の知らせをいち早く鎌倉に伝えたのだ。このために一時はいとこで義弟の西園寺公経があわや死罪というところまでいったが、鎌倉の勝利によってすべてが吉へと転じた。鎌倉の威光で公経は太政大臣にまで昇進、定家もその余禄を受けて、院が上皇として君臨していた頃には望むべくもなかった権中納言という位階を得ている。院にとって自分は、乱に敗れる一因を作った人間に連座する者だ。顔も見たくない相手であろう。
激しい譴責が飛んでくるのを覚悟したが、聞こえてきたのは穏やかな声であった。
「そう畏まるな。小袖姿で礼もあるまい」
おそるおそる顔を上げると、もう六十にならんとする院は、かつての肉付きは失っていたものの、思い描いていたより穏やかな様子をしていた。都にいた頃、いつも口の端に浮かべていた暗い笑みは鳴りを潜めている。
「先に申しておくが、ここは京ではない。ここは、隠岐だ」
院の言葉に、先ほど耳にした波の砕ける音をようやく思い出す。
院と海。二つの証がある以上、信じられぬという思いよりも、どうやって、というが疑問がわいた。都にいたはずの我が身が、どのようにして隠岐まで飛んできたというのだ。
「ついてまいれ。麿の行在所を案内してやろう」
行在所、という言葉に定家は目をみはった。では、このみすぼらしい住まいが隠岐での御所なのか。
踝を返した院に、定家はついていくほかなかった。
家の角を回り込むと、石階を上って縁から屋内へ入れるように間口が作られていた。縁には燭台が並び人影が数名座している。定家ははっとした。院について、隠岐へと渡った者たちなのだ。
燭台の頼りない火明かりに浮かぶ彼らの顔を、定家は茫然とした思いで眺めた。
目をうるませている老女は院が寵愛した白拍子の亀菊だ。他にも女が二人、これはかつて院の近臣であった者の娘であろう。
男も三人。そのうちひとりは達筆で名を知られた内蔵頭清範で、隠岐と京を行き来しては都の動静を院に伝えているのを定家は知っていた。ちょうど隠岐を訪れていたのだろうか。思えば乱が起こる以前、この男に院へ昇進の取りなしを頼んだこともあった。こうして立場が見事に入れ替わったことを思うと痛快の感がないではない。定家は冷たい一瞥を投げた。
それから、一流の歌人で院のお気に入りだった藤原秀能の子息、藤原能茂。今は出家して西蓮と名乗っているのだったか。この青年には定家は同情していた。鎌倉に敗れて隠居した父に代わり、十七という若さで院に御供して隠岐へ来たのだ。それから十五年、自らの運命を悔いていなければいいがと定家は案じた。息子を持つ父親としての目であった。もうひとりいる男は、院の近臣である水無瀬信成の息子、親成か。
それにしても、これではまるで、自分が来ることを知っていたかのような出迎えではないかと定家は怪しんだ。
どうやらこれは院の企みによるものらしいと察してみれば、本当にここが隠岐なのかということはさておき、定家はむらむらと怒りがわいてくるのを覚えた。先ほどの様子に、遠島の生活がこたえて少しは殊勝になったかと考えたが、やはり人の思いなど歯牙にもかけないやり口は変わっていないのだ。その怒りは、他の人間が別室へとはけていき、寝所で院と相対するまでの間もくすぶっていた。
思えば、院にはうらみこそあれ、懐かしいと思う情などないはずであった。
院を激怒させたことによって、定家は一度、勅勘――謹慎の命を受けている。
事の起こりは、高陽院という宮殿の柳が枯れたため、院が定家の庭に植えてあった柳二本をことわりもなく掘り返し奪った事件である。定家は怒りでどうにかなりそうなくらいだったが、相手は院であるから強く出られない。そのぶん暗い怒りが定家の中で尾を引いた。そうして七年後、内裏で行った歌会に、とうとうそれを当てこすった歌を出してしまった。それが院を激怒させ、勅勘をくらうことになったのである。
そのおかげで、栄達の道が開けるのがどれだけ遅れたことか。承久の乱がなければ、自分はいまも蟄居を命じられたままだったかもしれぬ。院が鎌倉に敗れ、鎌倉と縁深い西園寺家が力を得たおかげで、権中納言にまで昇り、家のことは子供たちに任せて隠居出家をすることができた。
院に対するうらみは消えてはいない。
とはいえ、鴨長明の方丈とまではいかなくともこのような頼りない茅屋で暮らしている院を見ると、かの水無瀬離宮での贅を尽くした宴遊が思い出され、自分でも驚いたことに定家は院に対して哀れを催した。離島にあって、寝所に御帳をきちんと整えているところに世話する者達の心づくしは感じられるものの、かつての栄華とは比べるべくもないのだ。
こうも小さく見えるひとだったであろうか。都にいた頃は、荒ぶる神のごとき気まぐれな力を振るっていた上皇とも思えなかった。今目にしている光景こそ夢ではないのかと訝しんだ。
老いた、ということかもしれぬ。それか、満たされた、ということか。
歌道の家として家名を興そうとしゃにむに駆け回ってきた半生はすでに報われた。今の自分は、たしかに目の前の院を憐れむこともできる立場であった。もう歌もほとんど詠んでいない。
自分が編纂した新勅撰和歌集は院の手元に届いているだろうか、と定家は院の顔色をうかがった。
新勅撰集は鎌倉に気兼ねして、かの乱に関わった院と佐渡に流された息子の順徳院、自ら配流を申し出て阿波に移った土御門院の三上皇の歌を切り捨て、代わりに関東勢の作を入れることになった。定家はそれに反対して勅撰集の編纂を延ばし延ばしにしていたのだが、しびれを切らした亡き後堀河院の近臣から催促を受け、ついに折れてしまったのだ。
性格の面で院を蔑んでいた定家だったが、歌人としての院はこれ以上ないほど高く評価していた。いま和歌集を編むのであれば、院の歌を含め三上皇の御製を入れないわけにはいかないと思っていた。実際、出来上がった勅撰集は留め金の無い扇のような出来であった。歌が政に敗れたのである。
目の前の院であれば、撰びたい歌は何があろうとも撰んだであろう。そういう点で、定家は院のことを信用していた。勅勘のことを思えばそれも絶対ではないが……。
なに、どう思われていようとかまうものか。悪い癖だと思いつつも、定家は例のごとく最後は捨て鉢な気分で内心そう呟いた。礼を失しないよう耐えに耐えた結果、最後は何もかもどうでもよくなって後先考えない行動に走る――この性格のおかげで面倒ごとが絶えなかったのも確かだった。勅勘のきっかけになった歌もそうだし、若い頃には、宮廷で自分を嘲った男を耐えきれずに松明で殴ったこともあった。当然謹慎を言い渡されたが、今に至るまで定家は自分が悪いとは思っていない。
そういう意味では、院と我は同類と言えるのかもしれぬ。老いがもたらした高みからの目線で定家はそんなことを思った。
卿を呼んだのはな、と院は唐突に切り出した。形だけでも再会をよろこぶとか、都の様子を尋ねるといった余計な話はしない。ずばりと本題から始める。こういうところは変わっていないようだ。もっとも、都とは書状のやりとりを頻繁にしているだろうし、何を聞いても今更だということもあろうが。
呼んだ、とこともなげに言うが、と定家は思った。そもそも声をかけられた覚えはない。気が付いたらここにいたのだ。どのようにして人の身を隠岐まで運んだというのか。院はついに天狗でも手なずけたのか。
しかし、自分の話を遮られることをきらう院の扱いには慣れていた定家だったから、その問いはいったん横に置いておくことができた。
ふと、部屋の天井を季節外れの蛍がさまよった気がして目をやったが、やはり見間違えたのか、どこにも見当たらなかった。
「ここで歌合を行おうと思っている。その判者を任せたいのだ」
歌合とは、歌人が左右の組に分かれて詠草を出し合い、二つずつ番にしてその優劣を競う宮廷の催しである。その優劣を決めるのが判者で、その任に当たる者はきちんと判詞と呼ばれる理由を述べたうえで勝、負、持(引き分け)を決める、いわば歌における戦であった。もちろん宮廷の催しだから、方人と呼ばれる味方を応援し、判詞に異議を唱えるひとびとが置かれていたり、楽が流れたりとそれは華やかなものである。
さすがにそこまで本格的な歌合をこんな離島で行うはずもない。少人数の、私的な歌合ということなのだろう。
「歌人は幾人参加するのですか?」
「麿ともうひとりだ」
定家はさきほど見た院の供たちを思い起こした。あの中の誰かであろうか。しかし歌の心得のある者はそういなかったはずだ。それとも、島に来てみて新たな上手を見つけでもしたのだろうか。
「その御方は、この島におられるのですか?」
院は頷き、定家は首を傾げた。
ただ定家に判を頼みたいだけならば、書状に二人の詠草を認め都に送ればいいではないか。定家はそれに判を加えて送り返す。こうした形で本となった歌合も多いというのに。もっとも、定家が実際にそうやって依頼されたとしても受けなかったであろうが。
「この歌合はな、あくまで内密に行う必要があるのだ」
定家の疑いを先取りするように、院が言葉を継いだ。
内密に。都に知られぬように、ということか。定家は嫌な予感がした。今のところ院は穏やかに見えるが、やはり鎌倉への報復を計画しており、この歌合はそれに関わっているのではないか――。
そのとき、ふたたび蛍が目の前を横切った。
はっとして顔をあげると、青い光はすでにひとつではなかった。部屋の中を、いくつもの青い光が縦横無尽に飛び回っている。それは心なしか、定家の周囲を旋回し、まるで定家をためつすがめつ観察しているようだった。
動転し、思わず部屋の隅まで後ずさる。
「呼びつけるまでそっとしているよう伝えておいたのだがな」
院が何でもないことのようににため息を吐く。何事が起きているのか知っているのだ。
「これは歌合の相手が使う道具でな。ひとつひとつが目を持っていて、離れたところからでもそれの見たの景色が見られるらしい。卿を見ておこうと思ったのであろう」
離れたところからでも景色が見える、とは何を言っているのだろう。何か神力を身に付けた高徳の僧でも控えているのだろうか。
こちらへ参れ、と院は隣の間に続いているであろう板戸の向こうに声をかけた。静かに板戸が横にずれて、誰かが部屋へ入ってくる音がする。
「歌合の相手はな、彼の者だ」
ぼんやりと円い燭台の灯の中にあらわれた「客」の姿を見て、あなやと声をあげそうになった。
流仏だ、というのが最初に頭に浮かんだ連想であった。
流仏とは、海を渡って異国から流れつく仏像のことである。丁寧に造作されていたであろう顔立ちや、彫り込まれた衣紋は塩水に洗われて凹凸をなくし、手先足先が腐り落ちた結果のいびつな人形。それが暗闇の中からあらわれ、近づいてきたのだ。それが生き物なのだと理解するのには院が声をかけて落ち着かせてやらねばならなかった。
童形、といえばそう呼べなくもないが、その肌は灰色ににごり、色つやの無い乾いた肌は明らかに人間ではない。地獄絵の餓鬼がまさしくこのような姿ではなかったか。さらに気付く。まぶたが無い。黒目しかないのだ。定家は無表情な蠅の目玉を思い出してぞっとした。
「この者らは、いったい……」
かろうじてでも、このような場で気を保ち口が利ける自分に定家は驚いていた。
近頃の都は、宮廷の外へ一歩出れば殺人、火事、盗賊の横行、さらに怪異の類にも事欠かない。それらの凶事にまみれているうち、肝が座っていたのかもしれない。でなければ卒倒していたことだろう。
「余は灰人と呼んでおる。名前もあるようだがとても舌が回らぬでな。灰人は、天から来た者たちだ」
そう言って空を指さす院に対して、狂したかとは思わなかった。何しろ目の前にたしかに化外が立っているのだ。定家はまさかと思いつつも尋ねた。
「ならばこの者らは、天つ神の類であらせられると……」
記紀に記されているように、国づくりの故事をさかのぼっていけばたどりつくのは天孫の降臨である。天から来たというのが本当ならば、それは神に他ならないのではないか。
「そうではないらしい」
院は否定した。同じ問いをすでにしていたのだろう。
「この者らが言うには、空に光る数多の星――あの中にはまれに、ここと同じように人の住める天地を持ったものがあるらしい。灰人はそこから来た者たちだ。われらと同じく、俗世の者で神仏などではない」
灰人たちは、どうやら口をきかないらしい。代わりに院が話している。
「はじめ、この家のすぐ上に光る大きな筒が浮かんでいるのを女房達が見つけてな。それが庭に降りてきて、中から灰人たちが出てきたときはおどろいたものだ。それが和歌について聞きたいと言い出したのだからなおさらな」
院は愉快そうに言った。灰人たち、といっても数名で、ここには代表してひとりが留まり、他は話にあった光る筒に乗って何か作業をしているのだという。
「この者らは、なにゆえ歌合を?」
そもそも、我々の言葉を解するのだろうか。
「麿が持ちかけたのだ。歌合を通して、そなたらが望んでいるものを教えてやろうとな」
「望んでいるもの?」
定家が院にそう尋ねたときであった。灰人が身じろぎしたのでふとそちらを見やると、灰人の不気味な瞳と目が合った。
その途端、膨大な情報が定家の髄脳へと流れ込んできた。
宇宙。『千字文』の冒頭におかれたこの文字が持つ、おそるべき大きさ、広さ、深さを定家はその身で体感することになった。
ぬばたまの闇に浮かぶ青い玉。信じられないことだが、あれがいま自分が生きている星なのか。
そのかたわらに浮かぶ白い月は、まるであばただらけの石くれだ。
星々の間にはたらく力によって、われらの星の周りを月が回り、われらの星は日の周りを回っている。
新たな知見が定家へと伝えられていく。
定家が日記に記したことのある客星。夜空に突然現れたときは驚いたものだったが、あれが星の一生の途中で起きる大きな爆発であったことを知った。
さらに以前目撃して恐怖した赤気も凶兆などではなく、日とこの星が理にしたがって起きた自然な現象であることも分かった。
これが灰人たちの見ている世なのだ。
そして、灰人たちがことばを求める理由も刹那のうちに解することができた。
ことばの生み出す誤解が火種となって、大きな争いが野火のように広がり、長い長い、星をまたいだ大きな戦となった歴史。
同じことが起きるのを避けるため、決して誤解を招かない、想念をもって想念に応える業を鍛えていったこと。
そうして争いこそなくなった今、ひるがえってことばが見直されだしたこと。ことばの生み出す誤解こそが文化を刺激してきたのではないか。差異がなくなったことにより、自分たちの文化は貧しくなってしまったのではないか――。
しかし、だからといってただ昔に戻るわけにはいかない。争いを呼ばない究極のことばを探さなくてはならない。
そうして彼らはあらゆる星々を調べに出かけた。そして、本邦で見つけた和歌にその可能性を見出し、院に接触したというのだった。以前から内裏や歌人の邸宅にも例の蛍で忍び込み、和歌について調べていたらしい。
定家ははっとした。思い当る節があったのである。
あれはもうだいぶ昔、正治元年のことだ。日記に記したのでよく覚えている。訪ねてきた姉の竜寿御前が妙な話をしていった。内裏の炊事を司る大炊殿の物置に、素行の悪い女房を閉じ込めてこらしめようとしたときのこと。女房がひどく怯えるので事情を聴いてみると、以前そこでまったく同じ姿形をした、人の身より小さい六人が座っているのを見つけてしまい、「何もしないから自分たちのことは話すな」と言われたという。妙な話だと思ったが、この者たちが隠れていたのか。
また、家の周りで人魂が目撃されることもたびたびあったが、あれは灰人たちの蛍だったのだろう。
「見たか?」
奔流のようなまぼろしがようやく頭を去り、定家は息も絶え絶えになりつつ姿勢をただした。院の問いにうなずく。院が灰人たちについてまるで我がことのように語る理由が分かった。この者らは誤解しようのない明確な像によって意を伝えるのだ。
「それで卿も、麿と同じ立場になったわけだ。歌合の理由はわかったろう」
たしかに、それは分かったがいま見たまぼろしだけでは分からなかったこともある。
灰人に問えばふたたび別のまぼろしを見せてくれるのかもしれないが、一度でもだいぶ疲弊させられておりいまは無理だと感じた。そこで院に尋ねる。
「しかし、何故わたくしに判詞を」
言外に、院と親しくまだ存命の歌人、たとえば秀能や藤原家隆にでも頼めばよかろう。実際、家隆とは書状を頻繁に交わしているはずだ。隠岐に連れてこられた自分のように、どこからでも人を呼べるのであれば、それこそ院の子息である順徳院を呼んでもよかったではないか。
そういうふくみを院も感じたらしい。
「思い返してみれば、歌に血道をあげだしたのは卿の歌あってこそだ。歌合などこれが最後となろう。それをしっかと見定める役は卿に任せたいと思うたまでのことだ」
そう言い添えた。
定家はもはや一介の僧であるかつての殿上人からそういわれるのを聞き、悔しくも心が動くのを覚えた。
「それに、ひとを何人でも呼び寄せられるのであれば選り好みせずともよいが、遠方からひとを呼び寄せるにはだいぶ灰人らの神力を費やすものらしい。更にもう一人呼ぶためには、半年以上力をためる時間がかかるそうだ。麿には、そこまで待っている暇はないのでな」
息子の順徳院をおいて我を撰んだというのか。思わず定家は過去も忘れて畏敬の念をふたたび目の前の院に抱いた。歌への厳しい態度は変わらなかったものと見える。
それは定家の自負心を満足させたが、かといって院の提案をおいそれと受けるわけにはいかなかった。
「わたくしに、勤まるとは思えませぬ」
判者の骨法――つまり、請われても一度は固辞するべきという伝習にしたがったわけではない。
和歌とは、約束事の集まりである。同じ世に生まれ、同じことばを話し、事の軽重を同じくする者同士の間でなければ成り立たぬ。そういうものなのだ。異なる土地から来た者が、その感じたところを気ままに詠じたところで、自分は目を背けるほか術がない。そんな歌を評する物差しを、自分は持ち合わせていない。
「灰人を軽く見てはならぬぞ。自分らで学んだ結果、なかなか良い歌を出す。短冊に書きつけたものがあるから、見てみるといい」
定家はそれに目を通して目をみはった。たしかに秀逸といって良い歌が並んでいる。
「しかし、突然屋敷から姿を消しては、家の者が騒ぎます。そう長く逗留するわけには……」
「そう案ずるな」
院は事もなげに言った。
「卿をこちらへ移すとき、代わりに書状を部屋に置いていかせた。十日ほど留守にするとな」
結局、この男はいつもこうだ、と定家は苦々しく思った。ひとの都合など考えもしない。気性は穏やかになったかもしれないが、これはもう生まれつきの性格というものであろう。配流されたというのに、いまだに帝の気分でいるのは滑稽なことだと詰ってやりたくなる。
嫌がらせでつっぱねてやろうか。しかし、ここから帰る術は院が握っている。反抗しても仕方があるまい。定家は、院が在位中によく吐いていたのと同じ嘆息をひさしぶりに吐いた。
「承知いたしました。判詞をお引き受けいたしましょう」
「うむ。気兼ねなく思うところを述べればよい。気回しなど不要だ。何しろ麿はもうただの僧侶だからな」
そう言って院はからからと笑った。
「卿にはまず詠題を決めてもらわなければならない。勅撰集の数にちなんで七つ、題を定めてほしい」
八つの間違いではないか、と定家は首を傾げた。勅撰集――すなわち、時の帝の命によって編まれた『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』そして院の編んだ『新古今和歌集』を加えて八代集と呼ぶのはもう通例である。
「実はな、新古今はあらためてこの隠岐で撰びなおしておる。だから数えなかったまでだ」
噂には聞いていたが、本当だったとは。『新古今』編纂の命が下ってからいったいもう何年経ったというのだろう。院の『新古今』にかける熱意、歌への熱意はやはり並々ならぬものがある。いや、異常と言ってもいいくらいだ。それは、島に流されて十五年、他に縋るものの無かった者の執念というものかもしれない。
「詠題は斬新なものを頼むぞ」
院の言葉が何を意味しているかは定家も察した。
灰人に見せられたまぼろし。宇宙の姿。それらを十全に読みこめることができる題を用意しろと言っているのだ。
「詠題を決めるのに、卿なら三日もあればじゅうぶんであろう。その間、島を歩き回ってもかまわぬぞ。島の者には客が来ると言ってある、怪しまれることもなかろう」
女房のひとりに案内され、汚れた小袖を与えられた新しいものに着替え、定家はその夜まんじりともせず苫家の床についた。
隠岐をご案内いたしましょう、と僧の西蓮に声をかけられたのは滞在三日目のことであった。
借りた直衣を着て、近くにある寺の一室を借りて詠題に頭を悩ませていたときのことである。
おそらく、詠題に頭を悩ませているとみた院のはからいだろう。供の者には、用事でも無いかぎり定家には話しかけるなと命じておくと話していたからだ。向こうから声をかけてきたというので定家はそう判断した。
放っておいてくれ、と言いたくなるのをこらえる。
「ありがたいのですが、見ての通りの老体。この近くを出歩くだけで精いっぱいです。遠慮しておきますよ」
「それでは気散じにならぬでしょう。馬を用意しましたから、ぜひおいでください」
定家が応じなければ、西蓮の面目も立たぬのだろう。それなら、と定家は了承した。
西蓮について外に出ると、刀を佩いた男ぶりのよい青年がひとり、馬とともに定家を待っていた。隠岐の守護である佐々木の置いた侍であろう。りりしい顔立ちで、武張ったことも好きな院の気に入りそうな若者だった。本来は院の逃亡を見張ることが役目であろうに、こうして珍客の供まで了承してしまうとは。院はさぞ関心を示し、ねぎらいの言葉も惜しまなかったことだろう。雲上人から声をかけていただいたと感激する姿が定家には容易に想像できた。
定家は声を低めて西蓮に尋ねた。
「灰人のことは、西蓮殿もご存じでしょうが、この者は……」
「ああ、院の側仕えしている者たちは、みなあの方たちのことは知っておりますよ。ご心配めされるな」
よく騒ぎにならないものだ、と定家は感心した。院がよく言い含めているのだろう。
定家が近寄ると、若武者はきびきびとした動作で頭を下げた。
「明静殿、隠岐国守護 佐々木泰清が家臣、伴六郎助定と申します。歌の本でのみ名を見た方とこうして見えることができたのはたいへんうれしく思います」
見渡せば、の歌に感動したのだと熱をこめて語る侍に、定家は苦笑するしかなかった。人を驚かせて悦に入っていた頃の、あまり思い返したくはない作だ。
「佐々木殿は院にとてもよくしてくれましてね。島でもっとも過ごしやすいところだから、ここに行在所を建ててくださったそうで。ありがたいことです。」
西蓮が横から説明した。大小の島が集まる隠岐の中でも、ここ中ノ島は湾を挟んだ西ノ島の断崖が風を遮り、寒暑をやわらげるのだという。
「院は隠岐に来られてからわれわれや佐々木殿が置いている警護の侍、島民たちにいたるまで歌の指導をなさろうとしたのですよ」
やはり、隠岐で院を慰むるものが和歌の道であることは、定家の想像通りらしい。
「少し遠いですが、山道を抜けて明屋の濱までまいりましょう。なかなか野趣にあふれた景色が見られますから、きっと想もわいてくることでしょう」
付き合いなのだから、どこへ行こうとかまわない。定家は承知した。
馬に乗って、往来へと出る。目の前には、湾を隔てて山並みの目立つ島が横たわっている。西蓮は、あの一番高い山がが焼火山だと説明した。
「隠岐は、ここ中ノ島といま目の前に浮かんでいる西ノ島、そして知夫島の三つをあわせて島前。ここからでは見えませんが、北にある大嶋を島後と読んで大事にたてまつっております」
定家がおどろいたのは海の色であった。日本海といえば黒い荒波の激しく打ち寄せるさまがすぐに浮かぶが、ここは内海とあって静かにたゆたうのみだ。そうしてその水は瑠璃のように澄んだ色をしている。
隠岐に悲惨な印象しか持っていなかった定家の思い込みを、その美しい海は否定するものであった。
湧き水でのどをうるおしてから、山道へと入る。
苔むした杉や松の大木にまじって、椎の木、樫、椿や、榊や枇杷樒といった木々も見られる。下生えには、蕨や薇、蘇鉄が目についた。それらの間を、人が踏み固めた細い道が蛇行しながら通っていた。黄みがかった葉が秋を告げている。
まったく見知らぬ花が咲いている。なんという名前か。おそらくは縁語など知らぬ、歌の体系から外れた花であろう。
流刑地としてしか知らなかった隠岐が、このように緑豊かで目を奪われる景色を持っていようとは。見るものすべてが珍しく、定家は久方ぶりに明るい気持ちになっていた。
見知らぬ花を見かけるたび、定家はあれこれと名や性質を尋ねたが、西蓮はよどみなく答えた。院が頼りにしているだけあって、利発な男のようだ。
「隠岐では桐材や細工物に使う桑が有名でしてね。都で高値で取引してくれるのですよ」
隠岐について話しながら、西蓮は定家に都のことも尋ねてきた。問われるまま、あれこれと応える。
途中、山菜取りに出てきた島民とすれちがった。進物を受け取る間柄なのだろうか。西蓮と島民は親しく言葉を交わしていた。島民はおだやかな気性のようだ。院が思ったより穏やかなのもそのおかげかもしれない。都のひとびとは飢えや困窮でさまざまな生活上の苦悩を抱え、目つきが悪くなっている。
日が高くなる頃、目的地である海へと出た。
「明屋の濱です」
久方ぶりに見る海であった。
水平線は、よくよく見ればまっすぐではなく少し上に曲がっている。いまの定家には、あれがこの星が玉の形をしているためだとわかる。
つい、灰人に見せられたまぼろしを思い返してしまう。あれは、そら恐ろしい深遠であった。そんな中にこの星は浮かんでいるのかと思うと、まぼろしと共にその原理を伝えられてはいてもやはり心もとない気持ちになる。
「ほら、あの岩が見えますか。屏風岩といって、なかなかの奇岩でしょう。歌枕になってもいいくらいだ」
定家の胸のうちを知ってか知らずか、西蓮が無邪気な様子で指をさす。
見ればたしかに、目を惹く奇岩が波の上に浮かんでいた。
屏風か、と定家はひとりごちた。思い出されるのは、まだ院と自分が親密な間柄だった頃の思い出であった。その掉尾を飾るのが屏風絵の選定だったろう。父である藤原俊成齢九十の慶賀のためであった。海が、かの水無瀬離宮を脳裏にかすめさせたせいかもしれない。あそこには海を模した庭園もしつらえられていた。
思いは過去に飛ぶ。
思えば、自分が院を恨むとはずいぶんと恩知らずな振る舞いではあるのだ。
当時の自分は、作る歌を意味のわからない「達磨歌」と口さがなく言われ、偉大な父俊成の尽力があっても歌壇での評価は低かった。それを引き立てるきっかけを作ったのは間違いなく院だった。
定家の歌を院が目にして激賞したからこそ、ついには内裏への昇殿を許されたのだ。これが品行方正な今上天皇であればどうだっただろう。このような例外的な引き立てはなかったにちがいない。息子の出世もなかったかもしれないのだ。
院は当代でもっともすぐれた詠み手のひとりだ。それは疑いないところだと定家も認めている。
定家自身、依頼された勅撰和歌集に後鳥羽院、順徳院、土御門院の三人を鎌倉への配慮から入れられなかったことには強い後悔があった。特に後鳥羽院ほどの詠み手は名だたる歌人の中でもそういるものではない。その点はやはり口惜しい。
しかし、その行状については、乱暴狼藉に堕することもたびたびあり、あるべき帝の姿とは決して言えなかった。下手な歌詠みをわざと集め、その稚拙をわらう会を開いたこともあった。水練の心得の無い者を水に突き落としてよろこぶ、そんな唾棄すべき催しを開いてもいる。宮中はそんな上皇の横暴におびえていたものだ。
かの乱も、そうした驕慢が呼び起こした者であろうと定家はにらんでいた。
しかし、そうした破格の人間でなければ、灰人も声をかけなかったかもしれない。常人であれば灰人の姿を見て泡を吹いて倒れるのが関の山だろう。よい人選をしたものだと定家は妙なところで感心していた。和歌の第一人者を見込んだ、というのなら自分のところへ来てもよかったはずだと定家は内心思ったのだが、そうした判断があったのかもしれない。
しかし、と定家は思う。和歌とは、果たして灰人が求めているような究極のことばであろうか。
和歌とは、和する歌である。
相手が反応してこそ成立する、いわば歌による会話だ。そこに完璧などありえない。
以前、定家も院もそのことを忘れ、ただ一首、完璧な一首をひたすらに追い求めたことがあった。批判者から狂言綺語と揶揄されるのもかまわずそれを追及した結果がかの『新古今』である。
だが、いまは考えが変わっていた。
後進が同じく道を誤まらないよう、定家は『未来記』を著して行き過ぎた技巧を戒めたし、隠岐から伝わってくる最近の院の歌を検分していると、おそらく院も似たような結論に達している。
歌は応答を期待している、歌の形をした挨拶である。その意味でやはり言葉の一種でしかなく、誤解の余地は余るほどある。究極のことばになどなりえない。
それを何故、院が灰人に薦めたのかは謎であった。
心が乱れ、よけいなことばかりに考えが向く。定家は嘆息した。
考えなければならないのは詠題であった。
灰人からかのまぼろしを受け取った院と定家、そして灰人。この三者でのみ成り立てばよい特別な詠題を出すことが求められていた。
ふと見れば、先ほどの屏風岩とはまったく違うあらぬ方の海面に、一層の小舟が頼りなげに浮かんでいる。
「あれは、漁ですか」
「ええ、”かなぎ”と言いましてね。樫の棒にヤスを括り付けた、まあ槍のような道具で魚を突き刺すんです」
屈強な漁師は、波間に飛び込んでしばらくしては上がってくるのを繰り返している。遠くて漁獲のほどはわからない。
「われらが都で食べていた海の幸は、この隠岐からもだいぶ届けられているのですよ」
西蓮の言葉を半ば上の空で聞きつつ、定家は自分の半生を思った。思えば、自分も広大な言葉の海でひたすらに魚を探し続けてきたのだった。あの灰人たちも同じような思いでいるのかもしれない。
その夜、定家は呻吟した末に七つの詠題を以下の通り認めた。
一、宇宙洪荒
一、波
一、寄時恋
一、寄星恋
一、熒惑四季
一、異浦
一、未来
定家が詠題を定めてから七日後、歌合の開催となった。
歌合の作法については、有職故実によっていくつもの細則がある。それらすべてを離島で再現しようというのは無理な相談であった。とはいえ、遠島ながら歌合の場を再現しようという院の熱意には並々ならぬものがあり、供の者たちもそれによく応えた。
今回の歌合は院と灰人しかいないので、自然と互いが左右の頭となる。院を左、灰人を右としたのは、御製――天皇や上皇の詠歌を翡紙のいちばん左に記す慣わしからとってのことだ。
本来であれば、左右双方に方人を置かなくてはならない。味方を負けとする判に対して異議を唱え、それをくつがえすための論争をを仕掛けるのだが、先例や歌学に造詣の深い者でないと務まるものではなく、いまの隠岐にそれほどの歌人はいない。そのため、方人は置かないこととなった。
西蓮をはじめとする供の者たちは列席するだけの賑やかしとなるが、それでも院の希望で方人がするように禊祓を行うことになり、川らしい川のない島のこと、諏訪湾の浜を加茂の河原に見立てて慌ただしく執り行われた。
部屋の準備も、定家が目をみはるほど本格的に設えられていた。
御帳は片付けられ、院の座る御椅子や、和歌を清書した短冊・色紙を載せる文台、串を刺して勝敗を測るための壽刺、灯台にいたるまで風流をこらしたものが用意された。もともと島へ渡るときに持ち込んだものでもあろう、宮中で使っても遜色ない見事な調度であった。
庭には畳を敷き、島中から集めてきた楽人に演奏をさせることとした。室内は御簾で遮られているから、灰人の姿はせいぜい膝行する人影にしか見えないだろう。
和歌を詠みあげて披露する講師は、左がかの若武者、右は西蓮である。講師に文台から歌の書かれた短冊を手渡す役の読師は、左が内蔵頭清範、右が水無瀬親成。
そうして、判者は定家である。
儀式用に借りた束帯を身に付け、定家は廓でつながった離れで呼び出しがかかるのを待っていた。
いまは式次第に乗っ取って、講師や読師が順番に席についている頃だろう。できるかぎり作法に乗っ取って歌合をしようという院のはからいだった。この歌合にかける院の思いが感じられ、この規模でこうまでせずともという言葉を定家はあえて呑み込んだ。
和歌のできる人間がいない中での十五年である。手紙を介しての歌合しかできなかった院の情熱が、堰を切ってあふれだしたのだろう。また、生来の遊び心が頭をもたげているのかもしれない。
女房が迎えに来たのにしたがって、楽人たちが演奏する中しずしずと寝所へ向かう。
すでに各自が各々の席についていた。三間ほどの狭い部屋の上座に、部屋の中央に椅子に座った院と、緑縁の畳に着座した灰人が向き合っている。それぞれの背後には方人代わりの供の者たち。どこから引っ張り出してきたものか、男も女も着飾っている。そこから下座寄りのところで、講師とその後ろに控える読師が円座についている。
定家が座るべき円座は、その中間にぽつんと敷いてあった。そこにゆっくりと着座しながら、定家は院と灰人ふたりの様子をうかがった。歌合の場には何度も列席してきた定家である。作歌の出来を歌人の顔色から窺うのはいつものことであった。
院は落ち着いた様子をしている。院にかぎって、自信の無い歌を出してくることはまずなかろう。その点、定家は心配していなかった。
灰人のほうを見て、自分の浅はかさを笑ってしまった。灰人は人の身が察せるような表情を持ち合わせていないのだった。
院が目顔で読師に合図し、歌合の開始を告げた。
作法通り、まず左の読師が歌を取り、開いて講師に渡す。作法に従って、講師は円座に片膝をつき、講師はまず題である「宇宙洪荒」を読み上げた。
「宇宙洪荒」は『千字文』の冒頭、「天地玄黄 宇宙洪荒」から持ってきた題である。これまでは「宇宙」といっても漠然と広く大きい空間という印象しかなかったが、灰人から教えを受けた今となってはこの語が持つ意味の果てしなさを理解している。それは院も同じはずで、どのような歌を作るかは純粋に興味があった。
講師が院の作を朗々と読み上げた。左方の観衆が合わせて唱和する。
めぐる星のひびきはたれにきこゆらむいたくな吹きそ嶺の松風
満座はどよめき、見事な帝王振りだと定家も舌をまいた。
都を離れて十五年、詩帝はあいかわらず詩帝であった。定家は内心口惜しささえ覚えた。家名の再興いまや成り、もはや歌道への執着は薄れかけているというのに、である。
灰人と定家より先に接したといっても、そう長い期間ではなかったはずである。それにもかかわらず、すでに宇宙という広大茫漠に対して相対しているその精神に定家は戦慄した。
天球は回転し、星は流れ、宇宙は耳を聾する大音声で満ち満ちているはずである。しかし、その音が自分に聞こえることはない。それが宇宙に音を伝える大気が無いせいであることを、今の院や定家は知っている。だが幻想の音に耳を澄ますことこそ、和歌における殊勝というものではなかったか。その大きくかつかそけき音をかき消すなと、耳を澄ます歌人が風に懇願している。歌人は、宇宙そのものと一対一で向き合おうとしている。不遜、しかし小気味良い。「松」の掛詞として「待つ」を読みこむならば、これは忍ぶ恋の歌ともなろう。宇宙への恋である。
定家はすでに半ば満足していた。
さて、灰人のほうはどうか。
見渡せば沙みなぎる夜半の空いざかぐわしき花を尋ねん
おや、と定家は目をみはった。
本歌は白楽天の「銀河沙漲る三千里 梅嶺花排く一万株」であろう。まさか異星からの客人が漢詩の本歌取りとは。院の薫陶が効を奏したということか。
本歌は雪景色を天の川に見立てた詩だが、この作では夜空の星を梅の花に見立てている。見上げるのではなく、見渡すとしたところがこの歌の眼目であろう。宇宙を旅する者のみが持てる目であり、新鮮だ。さらに、「かく」は「客」も呼び込む。この星の客人である灰人が用いるのにふさわしい語と言えた。星空に梅の香を探そうとする心映えもにくいものがある。
甲乙つけがたし。定家は判を持――引き分けとした。
それにしても、と定家は意外の念に打たれていた。都に伝わってきていた院の御製は、このような新古今振りの、技巧に満ちた歌ではなかったはずである。それがここにきて、達磨歌と難じられかねないような絢爛な詠草を出してきた。これはどういう心境の変化であろうか。
院の意図を計りかねている間に、読師が次の短冊を手にとった。
次からは、負けたほうが先に歌を披露することになる。つまり右、灰人からだ。詠題である「波」が高々と読み上げられる。
「波」という題自体は、すでにある題で、定家の独創というわけではない。ただ、音や光も波として捉えることができるという事実を知ったいまは、この題を新たな目線で詠じることができるはずである。
講師が灰人の歌を詠じた。
煙絶えて老いのこころは波たたずいまはの星のここちするかな
八十億劫の果て、星の生涯における最後の段階。重い星と軽い星で運命は異なり、重い星は爆発四散するいっぽう、軽い星は徐々に老いていく。熱を奪われ、急速に冷えていく。星を作り上げている砂粒のひとつひとつが押しつぶされ、小さく白い星となる。そうしてさらに縮み続けるかふくらみ続けるか、とにかくそのままでいるということはない。その内部に広がるという海を、老境のこころになぞらえた、侘しい歌である。ただし波であるから、常に凪いでいるわけではない。荒々しく逆巻くこともあろう。そうした含みを持たせて秀逸である。
灰人もこうした老いの心持を解するのだろうか、と定家は思い、それから自虐的に可笑しくなった。まだ見ぬ歌枕、したこともない悲恋を我が物顔で詠じてきたのは他ならぬ自分ではないか。
今度は院の御製の番である。
袖に落つきよし星かげこぼるともわれを汀といこいぬるかな
やはり。定家は確信した。院はあえて綺語にはしっている。そうでなければ、自らを汀にたとえる奇想など持ち出すはずがない。
遠く宇宙の奥処からこの星に降り注ぐ小さき砂粒。目で見ることなどかなわぬ小ささのそれらは、われわれの衣服を通して身体をも通り抜けていく。それらが打ち寄せる汀として自らを思ったわけである。
しかし実直な歌が技巧を上回ることは往々にしてあることだ。
定家は右の勝とした。老境の身を切実に歌った点を評価したのである。
灰人が非常に興奮しているのが伝わってくる。院のほうは、勝敗などどこ吹く風といった様子で泰然としている。
技巧を凝らした歌を詠進してきたのは院の戦略なのだろうか? 狙いがわからない。院も定家と同じく、行き過ぎた技巧は和歌のためにならぬと考えるようになったのではないのか。
講師が題を読み上げる声に、意識を引き戻される。
ここからは小さいながら恋の部だ。「寄時恋」「寄星恋」は、かの六百番歌合のことを思い出して付けた題であった。あのときは、寄雨恋からはじまって、寄虫恋、寄獣恋、寄傀儡恋と斬新な恋の題詠が交わされ、実に刺激的だった。新たな知見を得たこの場は、また新たな恋の詠題にふさわしかろう。
「寄時恋」。まずは、院の歌。
とし月は我が身にそへて過ぎぬれどこぞとかはらぬ夜半の月かげ
時の性についても、院と定家は新たな知識を得ていた。
見る者の立場によって、時間や空間は歪められたり曲がったり、とにかく二者がいるだけで、空間が、時間が、相対してしまうのである。もちろん光の速さという要素が必要なのだが、このことには定家も院もひどく驚いた。
これは、時がそれぞれに流れ方を異にするかたちで人の身を流れていることの悲しみに託した歌となっている。
続いて、灰人の歌はこうだった。
あずさ弓かへることなき文を待ついまもむかしと思ひけるかな
矢のように一方向にしか進まない時間という意味合いも込められている。時は一方向にしか進まないけれどしかしわれわれは思いだけは時を超えることができる。そうしたいじましい思いがこめられている。
定家は左の勝を宣言した。「寄時恋」という題をより深く読みこんだのは院と判じてのことである。
院の表情は変わらなかったが、灰人からは口惜しさの念が漏れ出ていた。
続けて「寄星恋」の灰人の歌が詠まれる。
みつしほのながれひくさま眺むれば君の面みるここちなりけり
星はその身に自らの内へ縮もう縮もうとする力が常にはたらいている。その力はあまりに大きいために、たとえば懸隔のあまりないこの星と月との間にもその力がはたらいてしまう。それによって何が起きるかといえば、海の干満であり、さらには星をつくり上げている岩石までが変形してしまう。
歌の意は、この星の間にはたらく力を思い、離れた場所にいる恋人に自分の思いがはたらくように、恋人の思いが自分にはたらくように願うもので、ささやかな願いと星のもたらす力との対照が心に残る。
秀歌と言ってよい出来だと定家は思った。さて、院はどうであろうか。
わが思ひ空の煙となりぬれば雲井にとどけ糸橋立
雲井といえば禁中を指すが、いまこの場においてはその縁語を越えて、かの宇宙を取り囲むかすみ雲も意味するものであろう。
この星からさらに熒惑星(火星)、歳星(木星)、鎮星(土星)を経て、さらに遠く離れた宇宙に浮かぶ冴え冴えとした界隈に、氷でできた小さい星が無数に散らばっている。空をゆく流れ星はここから来ているのだ。先ほど歌われたのとはまた別の、われわれを玉の形をした大地から落とさないよう下から引っ張っている星の力が、空を行く星を引き付けているのだ。
定家はこの番を灰人の勝とした。院の歌は「雲井」を安易に使いすぎている。
ここにきて、定家は院の狙い気が付きはじめた。
院にとっての興味が、灰人の探している究極のことばが和歌であるという考えを、先方に植え付けるところにあるとしたらどうか。それならば、先ほどから技巧を凝らした歌ばかり詠じていることにも納得がいく。つまり、きらびやかな歌のまばゆさで灰人を惑わそうとしているのだ。
それは、院と定家双方が通ってきた道であった。斬新な表現を追い求め、老人たちが詠ずる万葉の繰り返しのような歌をわらった
しかし、それらの和歌こそ歌の本領であったとも言えるのだ。和歌というのは、ただ一首、屹立するべき類の言葉ではない。和歌には応答する余地がなくてはならない。だからこそ、かの灰人の願いにはそぐわないと定家は思ったのである。
院もそれはよくわかっているはずなのだ。しかし、言わない。おそらくは、和歌をこの灰人が呼ぶ究極のことばとやらに仕立て上げたいのだろう。ふさわしくないと分かっていながらも。
実際、究極のことばたりうるかもしれない、という期待が灰人の中で高まっているようだった。掛詞や縁語の体系を確立していけば、すべての言葉をつなぎ、広汎な意味を短い言葉で獲得できる。そうした思念が伝わってくる。
院に騙されてほしくはない。さりとて定家も、院の意向に反してまで灰人を救おうとは思わなかった。ここには院の息のかかった者しかいない。刀を持った若武者すらいる。そんなことをすればどうなるかわかったものではない。
詠題は非情に進む。
「熒惑四季」。熒惑星は凶兆の星という印象があったが、今やすべての星は陰陽道が唱えるのとは異なる律令によって律されていると判り、それは何の脅威も無い見慣れた赤き星となった。それならば、一度月に代わって詠じてみるのも一興であろう。
灰人の詠歌。
日も波も巌も山も冱えこほるうへにぞつもる雪のなさけは
熒惑星において、北の果てでは日が沈まない。寒さは大和の冬の比ではなく、その厳寒は非情にすべてを凍り付かせると見える。そこに降る雪だけが、冷たい世を覆い隠さんとしているようで、なかなかにあはれである。
続けて、院の歌が読み上げられる。
すつとならば浮世を厭うしるしあらんくれない染める青き夕暮れ
院は西行の本歌取りをしてきた。
熒惑星の空は赤く、逆さまに夕暮れは青い。本歌は花への恋慕を歌っているが、ここでは意味合いが変わり、青い夕暮れという強烈なな現象が歌われている男の出家遁世の証として描かれる。紅と青の対照が見事である。
定家は院の勝を告げ、歌合はあと二題を残すのみとなった。
「異浦」は宣秋門院丹後の歌った有名な「異浦に澄む月は見るとも」という表現から借りた題である。遠い地、遠い未来への思いをを「異浦」という独自の名に託している。宇宙を思うにふさわしい題であろう。
ふたたび灰人側から、歌が詠じられる。
ぬばたまのくろきみなもに沈みゆく彼方面ぞこひしかりける
先ほどの「寄星恋」でも述べたように、星は自らの重さによって常に内へ内へ沈もうとする。それを抑えているのは星の中で燃える火だが、かの客星――星の爆発が起こるとその火が消えてしまい、星は際限なく自らの内へと落ち込んでゆく。そこに近づくあらゆるものを引きずり込む、宇宙の黒い沼である。
そこへ、未だ見たことのない世を求めて沈み込んでゆく心持ちには、どこか静かな狂気すら感じさせる凄みがある。
院はどのような詠草を出したのだろうか。
これや此のうたに聞きしる見ぬ世ならん我が身ひとつのしるべほしさよ
「見ぬ世」とは、定家も縁の深い歌人である藤原良経の作、「見ぬ世まで思ひ残さぬ」という表現からの引用であろう。かの灰人に見せられたまぼろし。良経の「見ぬ世」にふさわしい世界とは、もしかするとかの宇宙なのかもしれぬ。
定家は灰人の歌の凄みを取り、右の勝とした。
勝った灰人だが、院の歌にますます感じ入ったようである。
誤まった道に進んでいることを、定家にはどうにもできないまま、最後の詠題「未来」へと歌合は進んだ。
未来。未だ来ざる世。もともとは良き未来を求める灰人の望みに応じて始まったこの歌合にふさわしいと考えたのである。
まずは、灰人の側から。
あくがるるこころはさても山ざくらひとつこと葉よ枯るることなかれ
灰人はただひとつの言語への憧憬を切々と歌い、定家は感じ入った。誰の手も触れたことのない、新たなことばを探して歌学書の海に浸かっていた頃のことを思い出したのである。
そして、院。この御詠に、院がこの歌合で何を望んでいるのか表れてくるはず、と定家は注視していた。
講師が院の歌を読み上げる。
和歌のうらのかへることなきにぎわひに限りもあらぬみよの末々
突如灰人が立ち上がって歓喜の想念を辺りにまき散らした。ことばにするならば、「得たり」といったところか。おそらくは、和歌が意に適う究極のことばだと認めたのだろう。
ああ、やはり。院の思い描いた通りの結末が来てしまった。
定家はため息を吐きながら、左の勝を宣言した。
歌合が終われば酒宴である。
灰人が酔った男女にからまれているのをよそに、定家はそそくさと退散し内湾の浜辺まで出ていた。酒宴が終わればこの隠岐を離れることになる。初めて見たときに感銘を受けた風景に、夜ではあるが身を置きたかった。
「相変わらず、酒の席が苦手なのだな」
内心舌打ちしながら振り返る。院であった。だいぶ吞んでいたにもかかわらず足取りはしっかりしている。歳を重ねてもこういうところは変わらないようだ。
「本当に、和歌が遠い星のことばになるのでしょうか」
歌合の後、興奮した様子の灰人が送ってきた想念によれば、和歌を祖星のことばの候補として提案するようだった。
院は夜空を見上げて思案顔をしている。
「どうなるかなどわかるものではないが。しかし、やまと歌を奉じる星が増えるというのであれば、結構なことではないか。我らが没頭した歌の道は失われつつある。それならば、別の星の者にそれを託すのも一興ではないか」
定家は院の言葉を暗い気持ちで聞いていた。
実際、いまの都では歌は以前ほどの力を持っていない。隆盛を誇っているのは連歌――民衆の歌である。院もそうした事情を都からの書状を通じて知っていたにちがいない。だからこそ、灰人との歌合を行ったのか。
定家は、灰人の星にもいるであろう昔の自分のような、険しい山の頂上に咲く花を追い求めるような性質の者を思った。ゆめゆめ、のめり込みすぎるな、と。
院は定家の物思いなど知らず、「それよりも、麿が選ばれた理由が愉快だったじゃないか」と上機嫌で言った。
他でもない院を撰んだのは、院が当代有数の歌人だったからではない。名前が”ことば”だったからだというのだ。
「まさかそもそもの始めが掛詞だったとはな」
院はよほどおかしいらしく、腹を抱えて笑っている。定家はそんな院を見つめた。聞かなければならないことがあったのである。それは、院にもしもう一度見えることがあれば聞いてみたいと、かの戦の後からずっと考えていたことであった。
今夜の別れが今生の別れとなろう。定家は意を決して口を開いた。
「何故……鎌倉を攻めようとなさったのですか」
院は意表を突かれた様子だったが、すぐに口の端を吊り上げた。その笑みに定家はたじろぐ。在位中に、何度も目を背けた笑みであった。
院は、事もなげに答えを口にした。
次の瞬間、定家は院に殴りかかり、院もそれに応じた。
砂浜を、ふたりの老人が取っ組み合いながら転げまわる。年齢では院のほうが圧倒的に有利であり、おまけに定家は虚弱である。決着はすぐに着いた。定家は砂浜に組み伏せられ、院の満足げな顔に見下ろされていた。
結局この男にはかなわないのか。
定家は力を振り絞って身もだえしながら拳を振り上げた。この拳も一種の歌、院を呪う歌であることに思い至りながら。
付録・秘伝隠岐七番歌合
一番 宇宙洪荒
左 持
めぐる星のひびきはたれにきこゆらむいたくな吹きそ嶺の松風
右
見渡せば沙みなぎる夜半の空いざかぐわしき花を尋ねん
二番 波
左
袖に落つきよし星かげこぼるともわれを汀といこいぬるかな
右 勝
煙絶えて老いのこころは波たたずいまはの星のここちするかな
三番 寄時恋
左 勝
とし月は我が身にそへて過ぎぬれどこぞとかはらぬ夜半の月かげ
右
あずさ弓かへることなき文を待ついまもむかしと思ひけるかな
四番 寄星恋
左
わが思ひ空の煙となりぬれば雲井にとどけ糸橋立
右 勝
みつしほのながれひくさま眺むれば君の面みるここちなりけり
五番 熒惑四季
左 勝
すつとならば浮世を厭うしるしあらんくれない染める青き夕暮れ
右
日も波も巌も山も冱えこほるうへにぞつもる雪のなさけは
六番 異浦
左
これや此のうたに聞きたる見ぬ世ならん我が身ひとつのしるべほしさよ
右 勝
ぬばたまのくろきみなもに沈みゆく彼方面ぞこひしかりける
七番 未来
左 勝
和歌のうらのかへることなきにぎわひに限りもあらぬみよの末々
右
あくがるるこころはさても山ざくらひとつこと葉よ枯るることなかれ
訳者より
隠岐の旧家より先年見つかった本書『秘伝隠岐七番歌合』は、すでに巷間で言われている通り間違いなく偽書である。ここには全文を現代語訳として訳出した。
当時の斐紙や墨を使用しているためか、炭素年代測定法などにかけても当時の作成という結果が出ているが、定家の判詞に現代の天文学、物理学の知見が多数使用されていることからみて、少なくとも昭和以降の作と推定される。今後のさらなる分析が待たれる。嘉禎二年(一二三六年)頃と推定されるが、この時期は定家の日記『明月記』が欠けている年代であり、実に小賢しいと言わねばなるまい。
そもそも晩年の壮年の頃から病に悩まされていた定家が元気すぎるし、後鳥羽院と定家が親しく話す様子にも違和感がある。二人の間の確執はもっと深いものであったはずだ。
小野篁について記述がないのも不審な点である。百歩譲って、定家ほどの歌人が隠岐を訪れたのならば、後鳥羽院の四百年前に同じく隠岐へ流された歌人、小野篁の形跡を訪ねているにちがいない。
なお、本書に記された後鳥羽院や灰人の作と称される和歌については、継ぎはぎし、形のみ似せた空疎な歌であり一顧だに価せぬ。後鳥羽院の歌については、もちろん本人のものではない。批判に贅言を費やす必要もなかろう。
言葉のおそろしさとは、文字として書かれた途端にまことしやかなものとして認知されやすいということである。この現代語訳が、擬古文調でそれらしく見える本書の内容がどれだけ荒唐無稽か世間が認知する一助となれば幸いである。
文字数:24421
内容に関するアピール
SFアンソロジーに一本は絶対に欲しい、ヘンな小説が書きたいと常々思っております。
その理想にしたがって、本作では後鳥羽院と宇宙人を歌合で対決させてみました。
ご笑覧いただければ幸いです!
(※前回提出した最終実作の梗概とはまったく違う内容となっております)
文字数:125