梗 概
特別な日のタンシチュー
地球環境の激変により、一時、人類は絶滅の危機に瀕した。過酷な環境の中で、人々はひとつの共同体を作り、ともに耐え忍んだ。
それから百年。危機を乗り越えた共同体は、現在、議会を中心に、安定した社会の再構築にむけて進んでいる。
議会の最長老シオリは、ある議案の審議の行方を心配していた。
かつての過酷な時代、生き延びるためにわずかな可能性にかけて、冷凍睡眠装置に入ることを選択した人々が大勢いた。共同体ではしばらく前から、徐々に彼らの解凍を進めていたが、いま、議会でこの解凍の停止が検討されているのだ。
百年の間に、人々の生活様式は大きく変化した。一例をあげると、食事の方法だ。長い食糧難の時期を経て、栄養剤を経口摂取し、脳内に埋めこんだチップの刺激で好みの味覚を楽しむ方法が一般的になった。シオリは、先祖伝来のレシピによるタンシチューの味を好んでいる。
ところが、これまでに冷凍睡眠から目覚めた人々(解凍民)の中には、旧時代の暮らし方を望み、共同体の生活様式を拒否する者が少なくない。最近では、解凍民の一部が、共同体を離れて独自の集落を作って暮らし始めていた。
こうしたことから、今後、解凍民が増え続ければ、共同体の安定が揺らぐのではないかという危惧が広がっているのだ。
シオリ自身は解凍停止に反対だ。解凍は継続し、その上で、解凍民を共同体に溶けこませるよう努めるべきだと主張していた。
シオリには、解凍民の肉親がいる。曽祖父の弟である、十歳の少年カイだ。冷凍睡眠から目覚めて以来、ずっとふさぎこんでいたが、解凍民の集落のリーダーと知り合い、交流を重ねるうちに少しずつ明るくなっていく。その様子を見て、シオリは解凍民との共存は共同体をよい方向へ導くものと期待を抱く。
そんなある日、集落の解凍民が、野生動物を狩って食べていることが発覚する。
共同体では肉食の習慣は廃れているうえ、野生動物はすべて保護の対象であり、殺傷が禁じられている。怒った共同体の人々が集落を破壊しようと押しかけ、解凍民と衝突する。
仲裁のために集落へ赴いたシオリに、集落のリーダーは、自分たちに望む暮らし方をする権利を認めてほしいと話し、彼女の好物のタンシチューをふるまう。
シオリは初めてタンシチューを実食するが、油っぽいばかりで味がなく、汚物を口に入れたような不快感しかない。長年、栄養剤と脳内チップの刺激による食事を続けていたため、彼女は味蕾が衰えて、舌でものを味わうことができなくなっていた。
シオリは料理のために解体された動物を見て、カイや集落の解凍民が喜んでシチューを食べていることに、おぞましさを感じる。
数日後、議会で、冷凍睡眠者の解凍の無期限停止が可決される。シオリも賛成票を投じた。
その晩、議会の指示で解凍民の集落は打ち壊され、住人は連行される。その音を聞きながら、シオリは脳内チップの刺激でタンシチューを味わった。
文字数:1199
内容に関するアピール
物語の中で、登場人物が特定の料理への思い入れを語っていたり、調理方法の詳細が書かれていると、その料理を食べたくなります。
そこで、主人公にとっての特別な料理としてタンシチューを設定し、さらに料理を食べる場面が物語のカギになる展開を目指しました。
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