そこにニールの足跡はない

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梗 概

そこにニールの足跡はない

病室に横たわる少年の手を、オールデンは握る。少年はオールデンの往年のファンであった。管に繋がれた少年は病に侵され、余命は幾ばくもない。
「本当に死者の国はあるの」と訊く少年にオールデンは「おれがそれを見てくるんだ」と答える。間もなく、オールデンは死者の国へ向けた世界初の有人飛行フライトへと飛び立つ。

死後の世界があるらしい、とわかったのは四世紀ほど前になる。脳科学者たちによる研究チームの発表によって、人間の脳は死の間際に特定の波長を発することが知られた。波長にはひとつとして同じものはなく、驚くべきは発された波長は人間の死後も高位の次元壁面に保存され続けているというのだ。解析を行えば、遠い昔の波長すら観測ができる。
 人間の死の記録が刻まれた次元壁面は石碑モニュメントと呼ばれ、後に石碑に保存された波長が意識に近い活動を見せていることが明らかになる。次第に、脳波が脳機能を表現したものでしかないのと同じように、波長は石碑の向こう側で行われている死者の活動を写し取っているものに過ぎないことがわかりはじめる。石碑の向こう側には死者の意識が残る。それが死者の国の発見だった。

オールデンはNBAリーグで活躍するプロ・バスケットボウラーだった。彼が選手として最も脂の乗り切った29歳の冬、彼の運転中だったクーペが薬物中毒者の乗るトレーラーの横転に巻き込まれ、下半身不随となった。
 選手生命を絶たれ、優秀な弁護士のおかげで彼はプロ選手として得られるはずだった額よりもずっと多いだろう桁外れの賠償金を受け取る。代わりに掴むはずだった名声と、夢を失った。
 失意のうちで彼は、死者の国への到達と帰還を目標とした世界初の有人飛行が計画され、飛行士の選抜が一般からも募集されることを知る。彼は飛行士としての未来に希望を見いだす。脚を失ってもまだ飛べる。それどころか、着地までが叶う。果たして彼は、八人の飛行士クルーのうちの一人に選ばれる。

飛行フライトでは、人間の脳機能を擬似的に停止状態にすることで死を再現する。飛行士は体内の血液を冷却水に置き換え、ゆるやかに脳の温度を下げていく。ある地点を越えたところで、脳は死の際と同じ波長を石碑に刻む。

世界中が見守る中、オールデンは飛行士たちと共に死の淵に沈み、石碑の向こう側・死者の国へと到達する。そこには世界などなかった。
 向こう側にあったのは、混濁した意識の濁流だった。石碑に刻まれた波長とは絶えず叫び続ける魂の悲鳴、境界を無くした魂たちの悲痛な不協和音に過ぎなかった。発狂の間際、彼は死者の国から引き上げられる。

死者の国から帰還した飛行士はオールデンただひとりだった。彼は死者の国への往復を果たした世界初の飛行士として会見に臨む。中継は病床の少年にも繋がっている。
 マイクを握り、意を決した彼はただひとこと「死者の国は存在した」と簡潔な事実だけを口にする。

文字数:1200

内容に関するアピール

技術の進歩によって嘘みたいなことが現実になったとしても、地球が球体でなく平面だと信じる人間はいなくならないし、月面着陸なんてなかったんだと喧伝する人間はきっといなくならないのだろうと思っている。そういった陰謀論がほんとうだったなら(もしくは想像よりずっと酷いものであったら)という発想の話です。

ギミック的で手の込んだ嘘よりも、シンプルでありふれた、しかし切実な嘘にドラマを生むことが出来ないだろうかと考えて梗概を組みました。死んだら天国に行くんだよ。というような暗黙の共有は、ウソと断じるにはやさしすぎる虚構のひとつだろうと思っている。

裏テーマとして、現代日本を離れよう(つまり、私がなんとなくで書けてしまう範囲から逸脱しよう)というのを念頭に作りました。実作では死者の国における混濁や発狂の描写がもしかすればおもしろく書けるのではないかと思っている。気を張らず、私らしくないものを書きたい。

文字数:396

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