実行言語

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梗 概

実行言語

 裏インド・ソメ州・サージラーマナ県の住民らが使用するアッパキラム語は、地上で用いられているタミル語ともマラヤーラム語とも類似点が見つからず、ヒンディー語からの借用語も極端に少なかったため、言語学者らにとっていまだヴェールに包まれた、挑戦する価値のある言語とみなされていた。アッパキラム語が語られるのに居合わせた数名の言語学者による報告では、ひどく素朴な例文が紹介された。「私はマンゴーを食べる」とか「明日は六時に起きる」とか、なにかを宣言ないし予言する形で用いられているものばかりだった。それから、比較的よく耳にする「ホンヌル」というのは昼夜を問わず使用できる挨拶らしいと言われていた。学者らは、アッパキラム語には行為遂行文しか存在しないという仮説を立てていた。

 ベナレスの川底から裏インドに到着した言語学者サミールは、サージラーマナ県を目指して南下を始める。サミールは天性の嘘つきであったが、彼のつく嘘はどれも害のないものだったため、同僚や友人からは「変わり者」ということで済まされていた。サミールの嘘はすぐバレる。

 昨日は一日、犬になって過ごしたよ。

 来週、あの山の猿はみんな宇宙に行くらしいね。

 ずっと昔、光が液体だった頃のことを一部の人は覚えている。

 こうした嘘を喜ぶ子供はサミールのまわりに少なくなかったし、彼にとってそれはある種のリアルでもあった。

 裏インド・ソメ州の沿岸部に向かううち、サミールは脳が捻れるような感覚を覚えるようになる。それは日中、人々に混じって活動している際に強くなった。

 サージラーマナ県に到着したサミールは県庁に出向き、来訪者の登録を済ませる。アッパキラム語の辞書は存在しない。身振り手振りと、伝わらないヒンディー語でのコミュニケーションが続く。まちの人々とやりとりを繰り返すうち、サミールは、南側に来てから永続的に悩まされてきた捻れるような頭の奥の痛みが引いていくのに気がつく。それと同時に、人々がなにを言っているのか、身体が理解し始める。

 ある朝、サミールは部屋を出て、民宿の前に屯していた若者に向かって声をかける。

「ホンヌル」

 若者の目が彼を捉える。二人にだけ聞こえる高音が響く。サミールは理解する。アッパキラム語は行為遂行文ではなく、実行させるための言語だ。ホンヌルというの挨拶ではなく、ウェイクワードだった。凄まじい発見にサミールの胸がおどる。この言語をうまく利用すれば、飢えや病気が解決できるかもしれない。彼は口をひらく。

「昔、俺が球体だった頃にさ」

 アッパキラム語のプログラムが実行される。

 

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