徳川埋蔵金の後始末

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梗 概

徳川埋蔵金の後始末

 
1)天正19年(1591)秋。上洛した家康の邸宅に石川五右衛門が突然現れる。徳川埋蔵金(※1)を未来に行って盗んできたから受け取れという。風呂敷(※2)を開くと葵の御紋が刻印された金塊が溢れかえる。家康は五右衛門から、自身が約10年後に天下を取ることやその後の幕府の趨勢、また後の世に徳川埋蔵金が話題になることを聞く。五右衛門は自身が一介の盗賊であり、ひょんなことから時間旅行できるようになったことを話す。そして会いたくなったらいつでもこれを鳴らせと不思議な鈴を渡し、消える。
  
2)半年後の天正20年春、京の隠れ家で五右衛門が時空横断チャットで観察官オブザーバーと会話している。本来、朝鮮出兵(※3)するはずのなかった家康が軍資を得て朝鮮出兵したことを報告すると、オブザーバーから「1592年、日本にて分岐が確認された」と返事がくる。これで大金が手に入ると喜ぶ五右衛門。だが足元には縄で縛られた本物の五右衛門がいる。
 五右衛門になりすましている男は未来の並行世界オークション販売会社で働く歴史改変請負人サバイバーアットウだった。(※4)「過去は未来を跳ね除ける力があり、元通りになろうとする性質を持っている」それが3256年の宇宙の常識だ。だがごく稀に歴史は改変される。そして改変された瞬間、世界は分岐し、新たな並行世界が生まれる。並行世界は希少で金になる(※5)。未来では並行世界パラレル・ミニ鑑賞が富裕層の趣味となっている。サバイバーは一攫千金を狙う者たちの底辺の仕事。貧困層出身のアットウは息子を宇宙航海士大学に行かせるために金を稼いでいる。これが最後の仕事だった。
 
3)自身が生んだ並行世界がオークションで高値がつくように、大阪城の金鯱を盗み、金の鱗を空からばら撒くなど、少しでも話題性のある世界に変えようと奮闘するアットウ。隠れ家で猿轡さるぐつわを歯噛みする本物の五右衛門。
 
4)朝鮮出兵から帰ってきた家康は資金も軍力も窮乏し、没落。家康はその元凶となった五右衛門を恨めしく思い、殺そうと計画をたてる。鈴で五右衛門を呼び寄せた家康は、聚楽第(※6)から秀吉の香炉を盗んできてほしいと依頼する。アットウは不敵な笑みを浮かべ快諾。本物の歴史では香炉盗みに失敗した五右衛門が釜茹での刑に処されるのだ。
 
5)盗みを成功させ、隠れ家に戻るアットウ。(背後に家康飼いの忍びがつけていることに気づいている。)縄につく本物の五右衛門の傍に香炉を置き、自分は未来人であり、今から未来に帰ること、そしてここにもうすぐ追っ手がやってくることを告げる。自分の代わりに本物の五右衛門を捕まえさせる算段だ。
 だが本物の五右衛門が足をバタバタさせて悔しがると急に床から煙が立ち始める。アットウの目の前に息子が現れる。アットウは息子を抱きしめる。その瞬間眠りに落ちる。
 本物の五右衛門は抜け忍。幻術などお安い御用だった。(床に仕込んでいた阿片に足の裏で火をつけた)。肩を外し、縄を解いた本物の五右衛門は逃げる。家康飼いの忍びが来てアットウは捉えられる。
 
6)鴨川のほとり。釜に入れられたアットウは自身が未来人で五右衛門ではないと訴える。だが京都所司代の男は信じない。釜の油が煮えてくる。アットウの死にゆく様を見物人に紛れて町娘に扮した本物の五右衛門が笑って見ている。

文字数:1386

内容に関するアピール

 
「徳川埋蔵金が見つからないのはなぜか」「それは家康が使ったからだ!」というSFだからこそ許される逆説を物語にしました。嘘というテーマで言いますと、だいたいみんな化かし合いをしております。アットウのこのミッションにかける想いが、おそらく物語を骨のあるものにしてくれるのだと思います。
 
※1……江戸幕府が大政奉還時に明治新政府に接収されないように隠匿したとされる財産。
※2……タキオンネットという次元をたたむことができる未来の布。
※3……秀吉が朝鮮を征服しようと仕掛けた戦。
※4……人類は別惑星に移住済。サバイバーは未来の地球に降り立ち、過去に潜入する。
※5……歴史改変のきっかけにサプライズがあるほうが高値で売れやすい。また過去潜入にかかる実費などは全てサバイバーが負担しなければならない。その二つの理由から五右衛門は埋蔵金を家康に渡した。
※6……秀吉の政務用の邸宅。

 

文字数:385

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四の五の言うには

ああ、足が重い。肺も重い。洛北の山がこれほど険しいものだとは。賀茂川を三日かけて——ええ、洛中でしか暮らしたことのない老人の足ですから——のぼりのぼり、ようやくせせらぎと呼べるところまで来ました。苔もむす。空気もきりっとおいしい。木漏れ日のなんと優しい。ここで一休みしましょう。ちょうどいい石があった。ここに腰を下ろしましょう。ああ、あなた、これは奇遇ですね。初めてお目にかかります。私はあなたに会いたくてここまで来たのです。いえいえ、怪しいものではありません。ただあなたに話したいことがあった。ええ、それはもう数十年来。これまで誰にも話したことのないあの日のことを。どうしてもこれだけは話しておかないと死んでも死にきれない。歳をとると昔のことを語るのが億劫になってしまう。どうせ全ては過ぎたこと。そんなふうに思うと、あれやこれやと若い頃の感情を引っ張り出すのに疲れてしまう。ですがあの日の出来事は——まぶたの裏に焼きついて離れないあの夜のことだけは——あなたに話しておかねばならない。
 おお、聞いてくれますか。ではちょっと。なによりもまず、この清いばかりのせせらぎをひとくちいただいてよろしいでしょうか。喉を潤してからお話しすることにいたしましょう。ああ、なんてうまい水だ。あなたはすばらしいところにお住まいなのですね。
 そう、あれは天正十一年弥生の月(1583年3月)のことでした。暖かい日も増えてきましたが、夜になるととたんに寒さが染みる季節。吹きすさぶ夜風に筆を持つ手もかじかむ始末でありました。そう、あのころ私は京都所司代で前田玄以殿の書記を務めていたのです。玄以殿の一挙手一投足を漏れなく書き記す、それが私の仕事でありました。

京都所司代の屋敷が騒がしくなったのは、どっぷりと日が暮れてからでした。広間を囲むように燃え盛る篝火が、かたい地面を月夜に波打つ川面のように照り上げております。そこに後ろ手に縛られた四人の男が引き立てられられてきたのです。広間の中央でひざまづくその男たちと対峙するように、木戸を開け放った小書院の縁側から見下ろすひとりの男がいます。私の主、京都所司代の前田玄以です。
 玄以殿は怒りを隠したいのでありましょうか、あぐらをかいた腿のあたりの袴を握りしめ、太い眉を小さく震わせています。当然でありましょう。この半刻ほど前、配下の者から伏見城で豊臣秀吉公の暗殺未遂が起きたとの報が入ったのです。その瞬間、玄以殿の顔は凍りつきました。それもそのはず、京都所司代は京の治安維持を担う機関。しかも玄以殿は秀吉公から直々にその長に任命されていたのです。
 当時は戦乱の世の最後の最後。強者どもの運命の糸が、どこをどうほどけばよいかもわからぬほど絡まり合い、何から何まで一触即発。誰かがくしゃみをすればひょっとすると時代を変えてしまう。そんな気配が満ち満ちた時代でありました。ああ、だんだんと思い出してきました。蓋をしていた記憶が今よみがえる。
 だけど思い出すだけで胸が痛い。その十月ほど前、織田信長公が本能寺で急逝なされたのだ。その謀反人である明智光秀を信長公の家臣であった秀吉公が誅殺なされた。秀吉公はそれ以降急激に権力を拡大し、おおよそ天下の実権を握った。信長公と同盟を結ばれていた徳川家康殿は難しい立場に立ち、信長公の家臣であった柴田勝家殿も力を失った。なんとも思い起こせば誰もが薄氷を踏むような時代でありました。
 そんな時代にあって我が主、前田玄以は朝廷との交渉ごとも見事にこなすため秀吉公の信も厚く、このまま官僚の頂点としてその経歴を築いていく、もしくは家臣として名をあげて城を持つ……そんな未来を私は勝手に描いておりました。ですからそんな玄以殿にとって秀吉公の暗殺未遂などは絶対に起こしてはならぬ事件。誰が、なぜ、どのように秀吉公を殺そうとしたのか、それを解明することは急務であります。玄以殿はまず、四人を捕縛した伏見城の警備長から話を聞くことにしました。

警備長が四人の男の前に歩み出て、片膝をついて顔を伏せます。誰が見ても肩も膝も震えていました。
「捕らえたときの様子を話せ」
 玄以殿は小石を投げるように冷たく申されました。
 顔を上げた警備長は冷や汗をたらし、呼吸すらうまくできぬ様子。はらはらと震える胸に手を当て、たどたどしく語り始めるその声に耳を澄ましますと、それはなんとも奇妙な話だったのです。


 
「申し訳ありません。本当に申し訳ありません。いつもと変わらぬ夜だったのです。城の内外には四百名が警備についており、異変を感じた者もいませんでした。それが我々の手抜かりかどうか……、我々は警備をおろそかにしたことなどございませぬ。秀吉様の命をお守りする仕事に誇りを持ち、蟻の行軍すら見落とさぬ、それほどの覚悟で警備についておりました。ですので」
「ごたくはもういい。早く捕えたときの様子を語れ」
「申し訳ありません。今から一刻ほど前だったでしょうか。本丸の寝室周辺にも警備はついておりました。鼠一匹つけいる隙もない。そう自負しておりました。ですが突然、寝室から妙な鳴き声が聞こえてきたのです。高い高い鳴き声でした。まるで耳鳴りのような、あの世に鈴虫がいればこんな声で鳴くのではないかという鳴き声が、寝室の周囲に響き渡ったのです。その直後、中から叫び声が聞こえました。秀吉様が危ない! 私と配下の者十名が駆けつけ、ふすまを開け放つと、なんと同じ顔を持った四人の男が立っていたのです。足元には秀吉様——とよく似た影武者でした——が壁に張り付くようにして顔をこわばらせております。変な鳴き声の主は秀吉様ご愛用の千鳥の香炉。その香炉が鳴いているのです。それから次々と警備の者が駆け集まり、三十数名ほどが寝室を取り囲んだ頃には、香炉は鳴きやんでおりました。我々はすでに刀を抜いておりましたが、四人の男はいずれも忍の姿。どこからどのように攻撃してくるやもしれず、互いに凍りついたように対峙しておりました。ですが四人は警備の者の多さに逃げきれないと観念したのか、神妙な面持ちでその場に腰をおろし、我々の縄についたのです」
 その話を聞いて、玄以殿は苛立ちを怒りに変えました。
「どうやって忍び込んだ」
「わかりませぬ」
 警備長は頭を垂れます。
「四人の者の名は」
「石川五右衛門」
 玄以殿はピクッと目の端を震わせました。
 石川五右衛門とは世に聞こえた大盗賊。京では誰もがその名を知っています。ですが盗賊といっても無闇やたらに狼藉を働くのではありません。権力者や金持ちのみから奪う。あるときは商家に、またあるときは武家屋敷に忍び込み、金目のものを奪い取っては夜な夜な路地にばら撒く。その痛快なやり口は義賊との呼び声高く、庶民から狂信的な人気がありました。ですが誰もその姿を見たことはなく、素性は噂が先行するばかり。正体不明。それが五右衛門なのでありました。われわれ京都所司代に勤める者たちはむしろ血まなこで探してきたと言ってもいいでしょう。ですので、この場はいっそ邂逅といってもいい瞬間でした。
「どの者がじゃ」
「いずれも」
「何をふざけておる」
「ふざけてはおりませぬ」
「四人が、いずれも石川五右衛門と申しておりまする」
「さがってよい。役立たずが」
 玄以殿は警備長をさがらせ、見下ろす四人の顔を覗き込むように背を曲げます。
「おもてをあげよ」
 玄以殿の声に合わせ、四人が顔をあげます。篝火に揺れるその表情はいずれも読み取りがたく、私は目を細めました。
「名を申せ」
「石川五右衛門にござりまする」
 四名はてんでバラバラに名乗りました。と同時に銘々がはっきりと唇の端を上げてほくそ笑んだのです。

玄以殿が目をみはったのは当然であります。四人はまったく同じ顔をしているのですから。狭い額。勢いよく筆をはらったような眉、はまぐりのように大きな目、潰れた鼻、なんとなくなまずのようなぬぼうっとした顔立ち。何から何まで同じに見えます。ですが篝火にほのかに浮かび上がるその顔に唯一違いが見出せる点がありました。いずれも特徴的な黒子ほくろがあるのです。ちょうど篝火の照り具合で、私の場所からはよく見えたのです。一番右の五右衛門には眉間に、右から二番目の五右衛門には鼻の頭に、三番目の五右衛門には鼻と唇の間のみぞ、人中じんちゅうに。四番目の五右衛門には顎の先。なんともふざけておりますが、本当なのでしょうがない。そこで私は玄以殿に、『ここはやつらを黒子の順番に、一の五、二の五、三の五、四の五と呼んではどうでしょう』と進言したところ、大いに気に入ってくださいました。
 玄以殿はまず、強固な警備をどのように掻い潜り伏見城に忍び込んだかを訊くことにしました。
「お前ら、どうやって屋敷に忍び込んだ」
 玄以殿は四人を舐めるように目を滑らせます。
 一の五が申します。「蝿に化けたわ」
 二の五が申します。「蛇に化けたわ」
 三の五が申します。「言うわけないだろう。馬鹿もんが」
 四の五が申します。「タキオンネットでチョチョイのチョイよ」
 玄以殿は眉をひそめました。
「たきおんねっととな。それはなんだ」
「光より速く移動する性質を持つ粒子を過重力装置の中で融合させ、糸にして織った宇宙布だ」
「なんの話をしておる」
「お前にはわかんないと思うよ」
「馬鹿にしているのか。よもや自分の立場がわからぬほど愚かではあるまい。真面目に答えないと拷問が待っておるぞ」
 玄以殿は至極まっとうな脅しをかけました。
 ですが四の五はどこ吹く風、「おお、怖い」とわざとらしく怯えてみせるのです。
「まあよい。お前らにひとつ残念な知らせがある」
 玄以殿はにたりと笑みを浮かべました。「秀吉公は今、賤ヶ岳におる。柴田勝家殿との合戦の準備で布陣を敷いている最中だ。伏見城にいるのは影武者。先ほどの警備長が言ったようにな。秀吉公が京と賤ヶ岳を行き来する今、どこにいるかなどお前らに掴ませるはずがなかろう」
 玄以殿の言葉に四人はちりっと瞼を震わせました。
「だが、誰の命で秀吉公を狙ったのか、これだけは問わねばらぬ」
 そうです。なによりも大事なのは秀吉公を暗殺しようとした動機を解明すること。誰の差し金で秀吉公の命を狙ったのか。それを一刻も早く明らかにせねばなりません。
「お前ら四人のうち誰が頭だ」
 玄以殿が尋ねますと、
「俺たちは仲間ではない」と三の五が申します。
「そんな馬鹿な話が通ると思うか」
「本当なのだから仕方がない」と再び三の五。他の五右衛門も頷きます。
「わかった。じっくり話を聞くとしよう」
 玄以殿はゆっくりと鼻で息を吐き、「順番に訊こう。まずは一の五よ。お前は誰の命で伏見城に忍び込んだ」と一の五の目をめつけたのであります。

玄以殿の眼差しを跳ね返すような力強い目をして一の五は語り始めます。
「俺が石川五右衛門。他の三人は知らぬ。俺が寝室に忍び込んだら、後からこいつらがやってきた。ただそれだけ。だがそれが破滅の始まりであった。秀吉そっちのけで、お前は誰だ、お前は誰だと小競り合いをしてしまった。そしてそのうちに捕えられてしまったというわけだ。だがこうなってしまっては言い逃れはせぬ。すべて話そう。聞いてくれるか前田玄以よ」
 その言葉に玄以殿はくいっと顎をひきました。
「俺はもともと伊賀の里で誰の腹から生まれたかもわからぬ孤児みなしごであった。行く先もなく、飢え死にしそうなところを上忍——棟梁格を俺たちはそう呼ぶのだが——上忍の百地三太夫ももちさんだゆうに拾われ、忍術を仕込まれ育った。なんの因果か俺はメキメキと頭角をあらわし、十年も経てば忍術で右に出るものはいなくなった。そんな俺を心から可愛がってくれたのが我が師・三太夫の奥方様であった。奥方様は師と歳の離れたうら若き乙女。それはそれはお美しい。誰からも慕われ、愛されておった。だがそんな奥方様を妬むものが現れるのが世の常というもの。師の妾が正室の座を奪うため、奥方様と俺が密通しているという噂を立てたのだ。だが俺と奥方様は密通などしてはいない。俺は何度も師に弁明した。師も信じようとしてくれた。だが人の心とは脆いもの。一度芽生えてしまった疑いを、きれいに拭い去ることなどできないのだ。
 ある日師は俺に、身の潔白を証明するために腹を切れと言ってきた。腹を切れば奥方様を今のまま正室に置いておこう、だが腹を切らねば出家させると。俺は切腹を拒否し、師の追手を振り払い、逃げるように伊賀を去った。そして抜け忍として京で盗賊に身をやつした。そこに現れたのが、家康殿の家臣であり伊賀出身の武士である服部半蔵殿であった。半蔵殿は俺を間者として使ってくれたのだ」
 一の五はそこで一息つき、篝火に目を細め——まるで追憶が眩しいかのように——再び話し始めました。
「さて、本題に入ろう。だが、ことは本能寺の変にまでさかのぼる。あの日家康は信長の招待で畿内見物をしておった。信長が本能寺で腹を切ったという第一報を家康が聞いたのは堺から京へとのぼる途中のこと。不運なことに家康についているのは三十四名という少数精鋭であった。信長と同盟を組んでいた家康は命の危険を察知し、すぐに三河に帰還することを決める。だがその道中、秀吉に与する者どもや盗賊くずれの落武者狩りに会うやもしれん。だから身なりを変え、駆けに駆け、どうにかこうにか川内、山城、近江と経由して、甲賀と伊賀の境である桜峠に差しかかった。だがそこで半蔵どのが一行を引き留めた。『伊賀にも織田への恨みを抱える者は多い。このまま伊賀に入るのは危険』とな。そこでつかず離れず半蔵殿の近辺に控えていた俺の出番となった。俺は半蔵殿に呼ばれた瞬間、全てを理解した。家康が俺の首を百地三太夫のもとに持っていけば、伊賀はつつがなく家康の逃亡を手助けする。そう踏んだのだ。つまり、俺に死ねというわけだ。正室の座を奪い取ったあのいやらしい女が高笑いするのは癪にさわるが、少しでも奥方様の汚名がすすがれるなら本望。俺は家康の前で、『俺の首を持っていけ。この忍術は師でも見破れぬ』と鎌で首を掻っ切った。そうして家康は三太夫に俺の首を持参し、無事伊賀を越えた。それが伊賀越えの真実」
「お前は生きておるではないか」
「俺の忍術は伊賀で右に並ぶものはいない」
「首を切る。そんな忍術が可能なのか」
「俺にしかできん」
「にわかに信じられんが」
「それから俺は家康に直接飼われるようになり、たくさんの汚れ仕事を働いた。その最後の仕上げが秀吉暗殺だ。だが失敗した。家康がどのようなはらで秀吉を殺そうとしたのか、直接お前が聞くがいい。だがこうなってしまっては世は荒れるであろう」
「なにゆえ腹をわった」
「家康に恩義などあろうはずがない。それに……あのお方がもうこの世にはおらぬことを、桜峠で半蔵殿の別の間者から聞いた。早くあの世で会いたい。今はそれしかない」
 言い終わると一の五は、月を撫でるような優しい眼差しを夜空に向けました。


 
「では二の五に問う。お前はなにゆえ秀吉公の命を狙った」
 一の五の話を聞いて玄以殿はいくぶん冷静さを取り戻したように見えました。
「秀吉の命を狙った理由? 言っていいのか? 大事件だぜ?」
「夜も深い。さっさと話せ」
 玄以殿はにべもなく二の五を睨みつけます。
「俺こそが本物の石川五右衛門。俺が伊賀の出であることはこいつも言った通りだが」と二の五は一の五をチラと見て、「だけど騙されちゃいけねえ。こいつは偽者だぜ? だって俺が秀吉を殺すように頼まれたんだからな。依頼主は秀吉の甥・秀次の家臣である木村常陸介ひたちのすけ。つまり、わかるだろう、秀次の命令ってことだ。秀次は小さい頃から宮部に養子に出され、帰ってきたと思ったら三好に養子に出され、ずいぶんと政治に振り回されていたらしいじゃねえか。秀次は秀吉の姉の長男。どちらかというと自分の方が格上だと思ってたんじゃねえの? なのに秀吉に秀頼が生まれたら急に冷遇されて。いいように使われてはたらい回しにされてさ、ムカついてたんだろ。つまりは豊臣家の内部抗争。俺は金をもらってやっただけさ」となんら悪びれることなく笑みをこぼしたのです。
「なにゆえ腹を割った」
 玄以殿が尋ねると二の五はこう申します。
「影武者だったんだろ? なんか力が抜けちゃったよね。それにおもしれえじゃねえか、ほとんど天下を獲ったような豊臣が内側から壊れていくなんて。実に痛快だ」
「処刑されるのは怖くないのか」
「え? こんなに正直に打ち明けたのに処刑されちゃうの? まいったな」
「その余裕がいつまで続くか見ものだな」
 玄以殿は二の五の不埒な雰囲気に呑まれることなく申されました。私はその玄以殿の態度がなんとも頼もしく感じられたのであります。


 
「三の五に問う。お前は誰の命で伏見城に忍び入った」
玄以殿がただすと、三の五は背筋をぐいっと伸ばしました。
「誰の命などと、ふざけておるのか。俺こそが本物の石川五右衛門。こやつら二人の話を聞いておると吐き気がしてくる。嘘八百もよいところ。こやつらを富士の火口に投げ入れるがよい。富士も怒って火を噴くであろう」
 目をたぎらせながら三の五は、「俺の主人は俺の魂。誰の命令も受けぬ。秀吉を狙うたのは俺の意志である」と、ひときわ大きな声で答えました。「それが影武者とはなんたる失態、口惜しや……!」
 三の五は鼻で荒い息を吐いて、話を続けます。
「俺の出自は丹後国。守護大名一色義俊の家老石川秀門の次男だ。玄以よ、お前も知っているだろう。本来丹後は北を一色、南を細川が二分統括する土地」
「ほう、確かにそうであったな」玄以殿はゆっくり頷きました。
「だが四年前、信長の命により細川が北に侵攻した。一色は勢力を大きく削り取られ、ほぼ壊滅。その後は丹後全域を細川が支配することとなった。一色もその家臣団も虫の息。戦を起こす体力などどこにもない。なのにどうした。去年、細川が一色の者を皆殺しにしてしまったではないか。あれはなんだ、ただの虐殺ではないのか——去る九月八日、細川の居城田辺城に一色義俊と家臣百五十名が招かれた。だがそれは北を完膚なきまでに殲滅するための謀略。父は一色義俊とともに田辺城にて惨殺。兄秀澄は命からがら田辺城を抜け出したが、弓木城にて討死。俺はひとり、石川の居城である伊久知城内の稲荷神社の裏手にある祠に籠っておった。石川の血が途絶えぬようにと、父と兄に懇願されたのだ。だが本当にこのようなむごいことが起きるとは。ほどなく伊久知城にも細川の軍勢が押し寄せ、女も子どもも殺された。俺はただ祠のなかで断末魔の叫びを聞くしかできなかった。それが父と兄との約束だったから。外が静かになり、夜になり、俺は祠を出た。あの月明かりに照らされた無惨な光景を、俺は一生忘れることはないだろう。ああ、今でも父と兄の別れの顔がまぶたに浮かぶ。この無念、晴らさでおくべきか。俺は本丸から望む真っ暗な大江山に誓った。『酒呑童子よ。力を貸してくれ。俺に復讐の力を貸してくれ』と。
 おい玄以。秀吉を連れてこい、ここで殺してやる。細川はそのあとだ。細川は秀吉に動かされただけ。殺してもつまらぬ。秀吉が汚い手で天下を盗むなら、俺は秀吉の命を盗むまで」
 言い終えた三の五は涙を堪えているのか、そのこめかみが震えているようでした。
 玄以殿はその重苦しい言葉の一つひとつを吟味するように、三の五の目を見つめております。
「三の五よ、お前にも問う。なにゆえ腹を割った」
「石川の誇りよ」
 三の五は潰れた鼻のきわに深い皺を集め、申したのであります。

おお、寒い。丑三つ時も多分に過ぎた頃、夜風は一段と冷たさを増し、ゆらめく篝火の炎すら冷気に震えているようでした。玄以殿は配下の者に羽織をもう一枚持って来させ、腿を何度も手でこすっては温めていらっしゃいます。
「では続いて四の五に問う。お前が秀吉公の命を狙ったのはなぜだ」
 これで最後のひとり。真夜中の尋問もこれで終わる。そう思い、私も気合を入れ直して筆をとりました。ですが、そんな私をあざわらうかのように、四の五はすっとんきょうな話を語り始めるのです。
「歴史を変えるためだよ。俺は未来から来たんだ」
 四の五はなんとも暢気そうな顔をして寒さに一度、鼻をすすりました。
「西暦3256年、今から1600年後くらいかな。俺は遠い遠い未来からやってきた。しかも俺は人間じゃない。人類との戦争に勝利したオオサンショウウオの末裔だ。言っておくが、俺たちオオサンショウウオはもう地球にはいない。29世紀初頭、地球に氷河期がやってきて、陸地は雪と氷に覆われた。海も凍てつくような冷たさだったらしい。そして先祖は宇宙に旅立った」
「待て。その話は聞く価値があるのか」
 玄以殿が四の五を止めました。
「お前が決めろよ」
 四の五がぶっきらぼうに言うと、玄以殿は四の五の瞳の奥をまさぐるように見つめます。
「聞こう」
「よし。先祖のオオサンショウウオは太陽系外の宇宙へと旅立って、クジラ座CD星を恒星とする惑星クリーク・アーカンソーで文明を築いた。そしておよそ400年後、一部のオオサンショウウオがある任務を負い、再び地球に舞い戻り、様々な過去へとタイムリープしている。そのうちの一人が俺さ」
「私は、なぜ秀吉公の命を狙ったと聞いたはずだが」
「まあ聞けよ。俺は業界最大手の並行世界創出会社『パラレル・クリエイツ』で働く歴史改変請負人だ。通称サバイバーって言うんだけどさ」
 四の五はいったい何の話をしているのでしょう。私は思わず筆を止めてしまった自分に気づき、慌てて穂先に墨をつけました。
「過去は未来を跳ね除ける力があり、元通りになろうとする性質を持っている。それが3256年の常識だ。だがごく稀に何かの拍子に歴史は改変される。そして改変された瞬間、世界は分岐する。その分岐した世界を並行世界と呼ぶんだ。並行世界は希少だから誰もが興味を持つ。33世紀では並行世界鑑賞が一大エンターテインメントとして花開いていて、みんなこぞって視聴しているんだ。
 未来では誰もが手のひらサイズの架空の地球を持っている。好きな並行世界を選んで見ることができる。好きな並行世界の、ある地域を指先で拡大したり縮小したりして覗きこむことができる。実際にはモニターに映した映像を見てるんだけどな。だけど好きなものを見るんじゃあまりにも世界は無尽蔵だから、大抵はパラクリ——パラレル・クリエイツのことな——がレコメンドするスポットを見ている。例えば15世紀後半の西インド諸島。あるチームがバハマの先住民に紛れ込み、上陸してきたコロンブスたちを打ち負かした後の世界だ。他には前18世紀のメソポタミアもコアな人気がある。あるチームがメソポタミアの王に仕え、ハンムラビ法典の作成に深く関わったんだ。法を変えた後の世界は微妙に、だが確実に人の有り様が変わる」
「なんのことやらさっぱりわからぬ」
 玄以殿はそうは言いながらも凛々しい表情を保っておられます。
「もう一度問うが、なぜ秀吉公を狙った」
「つまりだ。信長が死に、秀吉が興り、家康が歯噛みする、このヒリヒリする時代こそ、歴史改変のチャンスが大きいと俺は踏んだ。だって元の歴史では、十年後に家康が幕府を開くんだぞ? 今この時代に生きていて、そんなこと想像できるか? だが歴史のうねりは確実に家康を英雄にする。だから俺は、その歴史を予測不可能なものへと改変しにきた」
「それで秀吉公を殺しに?」
 玄以殿が追求すると、四の五は初めて悩ましげな顔をつくりました。
「実をいうとサバイバー自身は人殺しはしないんだ。それがルール。だから秀吉も殺すつもりはなかった。本当はお前に会いにきたんだよ、玄以。お前は賢い。この時代で最も賢いと思っている。信長に支え、秀吉に支え、そしてこの先、本当なら家康にも支える。そんなやつはお前しかいない。当世随一の智力の持ち主のお前をたぶらかして歴史を変える。それこそがサバイバーの醍醐味。この先、お前の智力が秀吉を動かす。さあどう出る。歴史をお前の手で動かしてみろ。
 俺は待ちわびているんだ。並行世界が生まれたら蝶の大群が空から舞い降りる。それが改変成功の証。監視事務局からの祝福だ。一緒に歴史が変わる瞬間を迎えようじゃないか、玄以よ」
「もしそれが本当なのだとしたら、なぜ打ち明ける」
「並行世界が生まれたら、俺の目に貼ってある薄い膜で録画してるサバイブ映像がスペシャル動画として視聴者は観れるようになる。視聴者は並行世界がどんなふうに生まれたかを観ることで、より一層その並行世界にのめり込む。むしろそのスペシャル動画が面白いかどうかで、並行世界の人気が決まると言っても過言ではない。実は今までサバイバーが潜入した先で自分が未来人であることを告白したやつっていないんだ。だからそれだけで話題になると思わないか?」
「未来で並行世界を観ているものもオオサンショウウオか?」
「ああそうだ」
「未来で人間はどうなっている」
「俺たちの奴隷だよ」
「お前はなにゆえ人間の姿形をしておる」
深幻リアリルスーツを着ているんだ」
「お前はなにゆえサバイバーをしておる」
 どうしたことでしょう。玄以殿はどんどんと四の五の話にのめり込んでいくではありませんか。
「金のためだよ。歴史改変は金になる。俺みたいな底辺をうろつくだけの者が犯罪に手を染めないで一攫千金を得る最後のチャンスなんだ。だけど危険な仕事であることには変わりない。今だって捕えられているんだからな。ま、俺たちオオサンショウウオはなかなか死なないんだけど。ちなみに人類との戦争に勝った理由もそれだ。俺たちは体が損傷したり、一部を失っても、再生する能力が優れてるんだ。人間も同じように再生能力を獲得していたが——ていうかその技術を確立したのは人間だけど——再生時間が遅かった。俺たちオオサンショウウオは1分もあれば細胞を再生させられる。だけど人間はそうはいかない。その違いが雌雄を決した。どうしたら死ぬかなんて言わないけど、俺はなかなか死なないよ」
 ここまで荒唐無稽な話をされるともうついていけません。私は黙って聞いているのも苦痛になってきました。いっそ四の五に筆を放り投げてやろうか、それとも顔に筆で落書きしてやろうか。そんな子どもじみた意地悪さえ思い浮かびました。しかし玄以殿はご立派です。むしろ興味深そうに質問を重ねていくのです。
「お前の父は何をしておる」
「鉄工所で働いてるよ」
「仲は良いのか」
「いいわけないだろ、あんなクソ親父」
「何があった」
「なんだよ、秀吉と関係ないこと訊いてくんのかよ」
「面白いではないか」
「ったく、なんだよ、思ったより気分屋だな。親父はビックタキオンベースボール賭博で何回も捕まってんだよ。俺が小さい頃からずっとな。おかげで貧乏ひまなし。おふくろは産卵期になると代理出産バンバンやっちゃってさ。正直複雑だったよ。だって金のためとか言いながら楽しそうなんだよ。だから俺、兄弟たくさんいるんだ。みんな仲いいんだけど」
「なんだその賭博は」
「え、なに? お前の興味そっち? おふくろじゃないの? どんどんお前のことがわかんなくなってきた。ええと、ビッグタキオンベースボールはタキオンを超巨大化させたボールを使ってやる野球のことだ。野球ってわかんないかもしれないけど、球を棒で打つ遊び。一番有名なスタジアムはミシシッピ銀河——知らないと思うけど、オオサンショウウオはアメリカと日本と中国にしかいなかった。アメリカのオオサンショウウオはミシシッピとミズーリとアーカンソーで決まり——で、ピッチャーマウンド惑星からホームベース惑星までが0.1光年。そしてホームベース惑星を周回するバッターボックス衛星からロングロング核分裂凍結バットをバッターは振るんだ。銀河の果てにライトとセンターとレフトがいて、銀河を越えたらホームラン。選手はもちろんオオサンショウウオじゃない。だってロングロング核分裂凍結バットなんてマジで危ないから。プレイしてるのは、なめらか君。基本的に人間となにひとつ変わらないアンドロイドなんだけど、俺たち両生類のぬめりを関節に利用することで驚くほどアクロバティックな動きが実現できるんだ。ちなみに俺はヘルベンダー・ドジャースのファン。だけど誓っていうが賭博はしたことない」
 私にはもはや日本語とは思えない言葉の連続。もうお手上げです。ですが玄以殿は腰が据わってらっしゃいます。
「ところでお前はオオサンショウウオと言ったが、出自はどこだ」
「俺のルーツか? 賀茂川だよ」
「なんだ雑種か」
 その玄以殿のお言葉に私はおや、と思いました。雑種とはなんでしょう。オオサンショウウオは賀茂川を、ときどきその下流に迷い出てくることがあるそうですが、ほとんど見た者はおらず、上流にほんの少数が棲んでいるだけ、と聞いたことがあります。
「悪いかよ」
 四の五はあからさまに不貞腐れた顔をしました。
「わかった。もうよい」
 玄以殿は妙に満足げな顔をして申され、四人の顔をゆっくりと眺めまわしました。「では小半刻(15分)、休憩を取る。裁きはそのあとだ」

篝火の薪のはぜる音がします。鼻をつく松脂の匂いが広間にほのかに漂っております。玄以殿が再び小書院に姿を現しますと、四人は口を真一文字に結びました。
 玄以殿はどのような沙汰をなされるのか。四人とも伏見城に忍び込んだ以上、死罪を免れることはないでしょう。しかしながら秀吉公を暗殺しようとした首謀者は誰なのか、それに判断を下すのは大変難しいことです。
 一の五を信じれば家康殿の罪を認めることとなり、二の五を信じれば豊臣家に激震が走り、三の五を信じれば、単なる五右衛門の私怨でありますが、もし家康殿や秀次殿が暗殺を画策していた場合、その芽を野放しにすることになります。そして万が一にも四の五を信じてしまえばただの笑い者。それに四人が口裏を合わせて何かを企んでいる、ということもありましょう。四面楚歌。玄以殿はまさしくそのような状況でした。
「俺を殺せ。早くあの世であのお方とお会いしたい」一の五が申します。
「うう、寒い。なんでもいいから早くしろよ」と二の五がブルっと体を震わせます。
「笑止。秀吉への憎しみこそが俺の誇り」といかめしい顔を作るのは三の五。
「玄以。俺が冗談で言ったんじゃないってわかるよな」と四の五。
 玄以殿は四人の言葉に幻惑されないようにしていらっしゃるのか、かたい表情で沈黙を保っておられます。いつその重い口を開くのか、四人だけではなく、塀際に立つ警備長やその配下の者どもも固唾を飲んで見守っております。ですが玄以殿はじりじりと沈黙を削るように、四人を睨めつけたまま口を結んでおられます。そうして誰かの生唾さえ聞こえてきそうな、夜烏の羽ばたきさえ聞こえてくる、そんな底を打ったような静寂が皆の胸を苦しめていた、そのときです。
 こんな夜更けにも関わらず、息をきらせた使者が広間に駆け入ってくるではありませんか。塀の際に居並ぶ者どもは「なんだなんだ」とさざめき立ち、四人の五右衛門も怪訝な顔を見せました。
 使者は四人の前に進み出て、片膝をつけ、玄以殿をしっかと見つめます。
「賤ヶ岳からたった今、早馬で戻ってまいりました。報告は明朝にと思っていましたが、皆々様、起きて仕事をしておられるとのことで、ここに馳せ参じた次第であります」
「なにがあった。申せ」
「賤ヶ岳で、秀吉様が討たれました」
「おお」
 玄以殿が目をカッと見開いたそのとき、なんということでしょう、空から、ああ、こんな美しいことってあるのでしょうか、白銀の蝶がどこからともなく、夜空の星が粉をふるい落とすかのように生まれ、ああ、羽ばたく牡丹雪となって広間に舞い降りてきたのです。
 踊る。踊る白銀の蝶。数千、数万の煌めきは幾重もの波紋となって広間に広がり、空へ駆け上がり、また降りてくる。気がつけば数百の魚となって旋回し、一頭の龍となる。その豪華絢爛な蝶の舞に、広間にいた者はみな見惚れてしまいました。
 ですが、四人だけがその奇跡に興奮を隠せない様子。
「やったぞ! 俺だ! 俺の手柄だ!」
「いや俺だろう」
「何を言う、俺しかいないだろ」
「ばかやろう、正直者は報われるんだよ」
 一、二、三、四。どの五右衛門がしゃべっているのか追いきれなくなるほど、会話が弾んでいます。
「影響が出るの、早すぎじゃね?」
「いいじゃん別に」
「俺らがここでうった芝居、それこそが改変ポイントってことだ」
「じゃあ、四人の手柄?」
「みんなで山分けかよ」
「俺がいただこうと思ってたのに」
「絶対俺だろ」
「俺が七で、お前ら一、一、一な?」
「ふざけんなよ」
 そのときです。
「雑種の、なんと浅はかな」
 玄以殿が申されました。
 皆が玄以殿を見ました。
 白銀の大群がさあっと空へ還っていく中、玄以殿の肩にひときわ輝く蝶がひとつ、とまっているではありませんか。
「お前、その蝶……」
「なんだと?」
「そんなわけ……」
「まさか」
 四人が唖然と口を開いています。
「私の手柄のようだな」
 誇らしげに笑みを浮かべる玄以殿の顔を見て、私は筆を落としそうになりました。いったい何をおっしゃっているのでありましょう。
「お前、もしかして未来から……」
 四の五が言葉を震わせます。
「ああ、そうだ。半年前からここに来ている」
 玄以殿は四人を嘲笑うかのように鼻を鳴らしました。
「何をしたんだ!」そう言ったのは二の五。
「教えてやろう。柴田勝家殿に、柴田勝家をくれてやったのだ」
 四人の蛤のような目がいっそう大きく開かれました。
「どういうことだ」
「柴田勝家は歴史上、二人いる」
「は?」皆の声が揃います。
「お前らは知らないのか。21世紀前半のSF作家、柴田勝家を」
「お前は何を言っているんだ」三の五が頭を抱えます。
「ここに来る前、2023年に寄ってやつをスカウトしたのだ。柴田勝家殿と共に賤ヶ岳で秀吉を破ってみぬかと。やつは眉を震わせ、そこはかとなく静謐な目をして頷いた。何やら原稿を数本飛ばす覚悟を決めたらしい。初めて勝家殿に対面した時のやつの喜びようときたら」
「なんと」
「信じられん」
「とするとお前、最初から俺たちがグルだったの分かってたのか」
「もちろんだ。お前らが五右衛門であるはずがない」
 そう言って玄以殿は先ほど賤ヶ岳から戻ってきた使者に目配せします。
「おい、名を申せ」
「我が名は石川五右衛門。玄以殿にお仕えする忍である」
 体格の良い、狐のような顔をした男であります。
「ここにおわす皆の者、俺の顔を覚えても無駄だ。今日の俺と会うことは二度とない」
 それだけ言うと颯爽と塀を駆け上がり、一瞬で消えてしまいました。
「あやつも私がこの世界でスカウトしたのだ」
 玄以殿のお言葉に、みな茫然としています。
「では本物の玄以はどこにいる」口を開いたのは一の五。
「お前たちは一度会っているではないか」
 その言葉に四人は眉をひそめます。
「伏見城の寝室で、千鳥の香炉が鳴いただろう」
 四人は互いに顔を見合わせました。
「半年前、就寝中の玄以をタキオンネットで覆い、二次元化した。あの香炉の中で鳴いたのは折り畳まれた玄以だ。そして香炉の外からこの時代のものではないお前らの会話が聞こえて叫んだのであろう。だが二次元空間ではまともにしゃべれない。かわいい鳴き声に聞こえたのではないか」
「くそ、あれで俺たちは喧嘩になったんだ。誰が仕込んだ、こんな馬鹿げた仕込みすんなって」
「じゃあ俺たちは最初からお前に遊ばれてたってことか」
 四の五は舌打ちして言いました。「だが許せん。お前は二度俺たちのことを雑種と馬鹿にしたな?」
「賀茂川のオオサンショウウオは2072年に絶滅。それ以降、全てチュウゴクオオサンショウウオとの交雑種となった」
「だったらお前のルーツはどこだ」
「私は日本の在来種だ。2010年に広島市の安佐動物園からスミソニアン国立動物園の繁殖センターに寄贈されたものの末裔だ。日本の在来種は26世紀に絶滅。海を渡った私の祖先だけがその生を繋いできたのだ」
 勝ち誇ったように玄以殿はそう申されました。ですが四人の反応は意外や意外、
「なんだ広島じゃん」きょとんとした顔で一の五が言います。
「京都じゃねえのかよ、そんなんでいばんなよ」二の五が続けます。
「何をいう。在来種だぞ!」玄以殿はいきりたちました。
「でも広島じゃん」三の五は笑いを堪えております。
「そういう言い方、よくないぞ!」玄以殿は声を荒らげました。
「だって俺たち賀茂川だよ?」余裕しゃくしゃくの四の五。
「雑種じゃないか!」玄以殿が怒鳴りつけると、
「そういう言い方もよくないよ」三の五が冷静にたしなめます。
「私は在来種だ!」
「いやだからここは京の都で、俺たちの祖先は賀茂川って話」
「雑種じゃないか!」
「お前、性格悪いな」
 京の雑種と広島の在来種、どっちの出自が偉いかなんて、人間の私にはどうでもいい話です。どちらも同じオオサンショウウオ。まるで子どもの喧嘩です。情けなや、こんなオオサンショウウオに人間は負けてしまった。そして奴隷に身をやつしている。なんて悲しい未来でしょう。
「金はどうなる」
「改変金は私のものだ」
「待て玄以。俺たちが果たした功績もあるだろう」
「そうだよ、俺たちのおかげでこの改変瞬間VTR、話題沸騰間違いなしだぜ?」
「俺たちが盛り上げたんだぞ?」
「四人でお前をたぶらかすこの企画を考えたのは俺だ」
「お前は全部バラしただけだろ」
「俺たちにも金よこせよな、玄以」
「1割をお前らで分けろ」
「ひっでえ、お前。それが在来種のすることか」
「やかましい!」

あきれた私はとうとう筆を折ってしまいました。床几に肘をつき、玄以殿と四人の五右衛門のくんずほぐれつの口喧嘩を聞いておりますと、玄以殿の肩にとまっていた白銀の蝶がふっと飛び立ちました。
 するとそれを見た五人は慌てて服を脱ぐように皮膚を剥がします。とたんに五人は小さく縮み、オオサンショウウオの姿になりました。白銀の蝶は空中で羽をそよがせるごとにその姿を大きくします。五匹のオオサンショウウオがその背にぴょこんと飛び乗ります。そのあまりにも急すぎる物事の運びに私は思わず、
「どこに行かれるのですか!」と玄以殿に手を伸ばしました。
「伏見城で玄以を元通りにし、勝家殿の勝家を連れて未来に帰る。お前を騙してすまなかった。ご苦労であった」
 そう申されてほんのりと青みがかった東の夜空へと消えていったのです。

なんともあっけない別れでしたが、あのとき流した涙のあたたかさは今でも頬に覚えております。ですがあの夜記した検分帳は顔を真っ赤にした本物の玄以殿が焼いてしまわれました。ですから私は語らなければならないのです。
 どうです、あなたは信じてくれますか。かわいいあなたよ。近くで見るとこんなにもぬめぬめしているのですね。あなたは逃げない。それだけでご立派。ええ、知ってます。あなたは在来種。くれぐれも命を繋いでいくのですよ。あなたがたの未来は明るい。さあ、せせらぎへおかえりなさい。

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