あの日、出会った子

印刷

梗 概

あの日、出会った子

ワームホールを利用した宇宙航行が盛んな時代。
 フミオの父は遠方の惑星を開拓する作業員として宇宙を飛び回っている。フミオは父が話してくれる冒険談を聞くのが楽しみで、お土産の珍しい鉱物は宝物だった。
 フミオは父の話をクラスの友人に自慢げに語って聞かせる。しかし、次第に話の内容は過剰になっていき、友人たちは興味を失い煩わしいと感じはじめる。やがてフミオは皆から嘘つき呼ばわりされるようになる。
 ある日、クラスに他の惑星から転校生のヨリがやってくる。初対面のはずだが、何故かフミオはヨリに親近感を持つ。また、ヨリもフミオの話に関心をもち面白がって聞いてくれるため、二人は打ち解けて仲良くなっていく。フミオとヨリが荒唐無稽な宇宙の冒険話で盛り上がっているのを他のクラスメイトは不審に思うが、二人は気にしない。
 フミオの一番の宝物は、父がある惑星で遭遇した異星人と名乗る子どもからもらったという金属プレートだった。これまで大切に保管していたプレートをヨリに見せるため、フミオは学校に持っていく。プレートを見たヨリは驚いた様子を見せるが、他のクラスメイトからは偽物だと非難される。放課後、フミオの鞄からプレートがなくなり、後日、粉々に破壊された状態で見つかる。
 落ち込むフミオに対して、ヨリは破壊されたのとそっくりなプレートをプレゼントする。実はフミオの父にプレートを渡したのは自分だと告げたヨリは、正体が異星人であることを明かし、今まで人間のふりをして騙していたのを謝る。
 フミオは驚きつつも異星人との出会いに歓喜する。そして自分も今まで嘘をついていたことを白状する。これまで話した冒険はすべて父ではなく自分が体験したことであり、父は五年前に事故死していたのだ。ただし父が惑星開拓の仕事をしていたのは事実であり、唯一のお土産が破壊されたプレートだった。
 フミオは二年前に部屋のクローゼットの奥に突然ワームホールが発生し、その先が別の惑星につながっていたことを明かす。二人はワームホールを通って異星に立つ。そこはヨリとフミオの父が出会った惑星だった。
 二人でしばらく歩き回るうち、ヨリは自分が異星人だという話は嘘であり、二年前まで自分が住んでいた家の地下室にワームホールがあって、この星につながっていたが突然消えてしまったこと、金属プレートは発信機になっており、それを探知して追いかけてきた結果、フミオのいる学校に転入してきたことを話す。ヨリが自分と同じ人間だったことにがっかりしつつ、フミオはすこし安堵する。
 部屋に戻り、ヨリと別れた後にフミオは久しぶりに父の遺品から立体アルバムを取り出して眺める。そのなかの映像の一つに、父がヨリと出会った際に撮影したものがあった。初対面でヨリに親近感をもったのはこのためだったと気づくと同時に、ヨリの背格好が今とまったく変わらないように見えることにフミオは戸惑うのだった。

文字数:1200

内容に関するアピール

「嘘つき」の話ということで、できるだけ「かわいい噓」をつく主人公を設定したいというところからストーリーを作っていきました。そのうえで、嘘つき呼ばわりされている主人公の前に現れた転校生も嘘をついていて……という流れで、嘘つきどうしの小さな友情を描くことができればと考えています。ラストではヨリの正体が何者なのか余韻をもたせる形に収めることを目指します。
 梗概では大まかな流れしか盛り込めていないため、実作を書くうえでは、フミオの語る冒険物語をどれだけ盛れるか、ヨリの話す自分の正体や転校してきた経緯についての説明などにどれだけ説得力を持たせられるか、といった点に注力しながら作品の雰囲気を膨らませていきます。また梗概には登場しませんがフミオの母親についてもうまく存在感を出していきたいです。
 家の中から別の惑星に移動するというのはヤングの「主従問題」という短編が印象に残っていたため、設定してみました。

 

文字数:400

印刷

あの日、出会った子

うさぎみたいに耳が長くてふわふわした生き物を撫でようとして父さんが手を伸ばした瞬間、そいつは大きく口を開けて指先に嚙みついて、すごい速さで逃げていったんだ。
 基地に戻ると眩暈めまいがして父さんはそのまま倒れて意識を失っちゃった。なんと牙には毒があったんだ。気がつくと父さんは医務室のベッドで横になってて、そばで看病してた女の人を見て一瞬で好きになっちゃった。それが母さんだったんだ。父さんの左手の薬指のリングの下には、今でもそのとき噛まれた傷のあとがあるんだよ。

その星はマグマが川みたいにあちこち流れてて、防護服を着てないと暑くてとても居られないんだ。父さんはまだ開拓技師になったばかりで、防護服のまま作業するのに慣れてなかったから、標識を打ち込むときに手に力が入りすぎて、ハンマーを滑らせて落としちゃったんだ。
 道具を失くすと怒られると思って、父さんはマグマのすぐそばまで降りていったんだけどハンマーは見つからなくて、代わりに見つけたのがこの黒い石なんだ。

フミオの手のひらに載ったエナメル調の光沢がある黒い石を覗き込むように顔を近づけて「きれい」とサヤが言うと「そんなの偽物だよ」とトーイが後ろでつまらなさそうに呟く。
 放課後の教室、フミオが隣の席のサヤに父からお土産にもらった黒い石を見せながら、その石にまつわるエピソードを話していると、いつものようにトーイが横やりを入れてきた。
 トーイの言葉を無視して「触ってみてもいい」とサヤが訊ねるのに頷きながら、「磨けば宝石になるんだよ」とフミオは石を机の上に置く。触れていた手のひらや指先にはラメのようにきらめく黒い粒が付着しており、フッと一息ひといき吹きかけると、ちらちらと舞って光の中へ消えていく。
「ありがと」と言って机の上に石を戻すと、サヤは友だちに呼ばれて離れていった。トーイもサッカーに誘われて、「たまにはお前も来いよ」とフミオに声をかけるが、フミオは「また今度」と言いながら鞄に石をしまった。
「そっか、じゃあな」と軽く手を振ってトーイは教室を出ていく。廊下から「おい、待てよ」と声がして、駆け足の音が遠ざかっていく。
 人がまばらになった教室で、フミオは席を立って窓から外を覗いた。三階から校庭を見下ろしていると、トーイたちがサッカーゴールのほうへ走っていく姿が小さく見えた。しばらくボールの軌道を目で追いながら、去年までは自分も皆と一緒に走り回っていたなとフミオは思う。

惑星開拓技師として宇宙を飛び回っていたフミオの父が帰らないまま、三年が過ぎようとしていた。
 開拓技師は、開拓船に乗って宇宙のあちこちを結ぶワームホールを通り、遠い惑星へ赴いて、さまざまな調査活動を行いながら人が住める環境へと開拓していく。
 仕事がら数か月帰らないのはいつものことで、父の不在は寂しかったけれど、ときどきビデオ・レターや調査中に発見した珍しい鉱物、虫の標本などが送られてくると、フミオはまるで冒険家のような父の仕事を誇らしく思った。
 そんな連絡も途絶え、音信不通の状態が続いていた去年の暮れに、父が最後に通過したワームホールが消滅したことを知らされた。どれくらい遠い場所にいるのかさえわからないまま、戻ってくるすべは失われてしまった。

窓を閉めて振り返ると教室には誰もいなくなっていた。フミオは机の中の教科書を鞄にしまい、教室の電気を消して図書室へ向かう。母から家の鍵を渡されているのでこのまま帰ることもできたが、一人で家にいても寂しい気分になるだけなので、放課後は図書室で過ごすことが多かった。
 かといって図書室がにぎやかなわけもなく、フミオ一人きりという日もあった。単に本を読むだけであればデジタルブック端末を使えばいつでもどこでも好きなものを読むことができる。それなのにわざわざ学校に図書室が設けられているのは「情操教育のため」という名目で、たしかに物理的に紙の本に触れて柔らかいページをめくるという行為は、電子的な読書よりも集中しやすく、また気持ちが落ち着くような気がするとフミオは感じていた。
 窓際のいつもの指定席を確保して、昨日読みさしで書架に戻した本の続きを読もうと取りに向かったが、ピンポイントで一冊分、棚が空いていた。誰かに借りられてしまったのだろうかと考えて、フミオは見知った常連客の顔を思い浮かべてみる。ときどき調べものに立ち寄る生徒をのぞくと、ほとんど同じ面子メンツしか図書室を利用していなかった。
 他の生徒たちが具体的にどんな本を読んでいるのかは知らなかったが、彼らがよく本を探している棚の配置から、おおよその読書傾向は予想がついた。しかしフミオが読んでいる高学年向けの冒険物語を好むような生徒には心当たりがなかった。
「どうぞ」と後ろから声をかけられて、フミオは驚いて小さな悲鳴をあげた。
 振り向くと、見覚えのない顔がすぐ目の前にあった。
「この本、探してるのかと思って」と差し出されたのは、たしかにフミオの読みかけていた本だった。もう読んだからと言って本をフミオに手渡すと、同じ棚から次に読むものを探しはじめる。しばらくフミオは横に立ってその様子を眺めていたが「何かおすすめある」と訊かれて、少し前に夢中になって読了した『フラーニの宇宙旅行』を薦めてみた。
 本を抜き取って表紙と厚さを確認するように角度を変えて眺めてから「ありがとう」と礼を言って座席のほうへ戻っていく背中の後について、フミオも自分の席に向かった。
 『沈黙の星』の続きを読もうとページを開いたが、フミオは先ほどの相手が気になって集中できず、少し読み進めるたびにページから目を離して様子を伺った。しかし目が合ってしまい、その後は気まずくて視線を向けられず、仕方なく読書を続けることにした。
「ありがとう、面白かったよ」という声に顔を上げると、先ほどの子が『フラーニの宇宙旅行』を手にして微笑んでいた。思わず「もう読み終わったの」とフミオが訊くと「うん、まあね」と笑う。
「ヨリっていうんだ。先週転校してきたばかりでまだ友だちがいなくて」
 とつぜん自己紹介をされてフミオは戸惑ったが、ヨリが友だちを作りたがっていることは理解できたので、自分も名乗ってクラスを教えると、隣のクラスだということがわかった。
 転校生が来たなんて話、聞いてないな、とフミオは思ったが、ヨリの左胸についている真新しいバッジには確かに四組と書いてあった。
「フミオ、よろしくね」とヨリが差し出した手を、フミオはためらいがちにとって、握手を交わす。いまどき握手なんて変わった子だなと思いつつ、ヨリの手のひらにはどこか懐かしい温かさがあった。

翌日の昼休みにフミオがサヤと話していると、教室の後ろのドアからヨリが入ってきた。見慣れない人物の登場に教室中の視線が集まり、一瞬沈黙が訪れたが、ヨリが「やあ、フミオ」と微笑んで小さく手を振ると、それを合図に皆何事もなかったかのように視線を戻して元のように話しはじめた。
 よろしくね、とサヤに声をかけるとヨリは空いていたフミオの前の席に腰を下ろした。フミオはヨリが転校生なのだと紹介し、サヤも簡単な挨拶をする。それからフミオは中断していた、父が水に覆われた惑星にある水没都市の調査をしたときの話を再開した。時々小さな頷きを返すサヤに比べて、ヨリは強く興味をもった様子で楽しそうに笑い、フミオの話を聞きながら様々な質問を挟む。
「その水はどんな味だったのかな」
「水の中には生き物はいたのかな」
「海のように波打ったり満ち引きしたりするのかな」
 そのたびフミオは話を止めて、父の聞かせてくれた言葉を思い出そうと考え込み、わからないことについては正直にそう答えて、「今度父さんに聞いてみるね」と返した。
 二人のやり取りについていけず、サヤは友だちに呼ばれたのをきっかけに「ごめん、また今度聞かせてね」と席を立った。
 フミオとヨリが盛り上がっているのを離れた席から眺めていたトーイが、手にしていたゲームのカードを机に伏せて「ほんとにそんな星あるのかよ」と声を張った。
「うん、父さんが実際に行ったんだもん」
 フミオがいつもより大きな声で返すと、「証拠はあるのか」とトーイが応じる。フミオがさらに返そうとするより先に「きっとあるんじゃないかな」とヨリがトーイに真っ直ぐ顔を向けて呟くと「そうかもしれないけどさ」とトーイは声のトーンを落とした。
「それより、お前らも一緒に遊ぼうぜ」と誘われて、ヨリは「うん」と答えてフミオに「行こう」と呼びかける。仕方なくフミオも席を離れてトーイたちの遊んでいたカードゲームに混ぜてもらうことにする。
 ルールを説明するトーイの言葉に笑いながら頷いているヨリは、初めて会ったはずなのにまるで以前から仲が良かったようで、フミオよりもずっとトーイたちの友だちらしく見えた。
 フミオは何度かゲームに参加したが、あまり楽しめず、途中からは皆が遊んでいるのを横で眺めているだけになった。ルールを覚えたばかりのはずのヨリはすぐにゲームに慣れた様子で、何度か続けて勝ち、その後も高い勝率を維持していた。
 休み時間が終わってヨリが教室を出ていくと、「あいつ面白いな」とトーイが言った。「そうだね」とフミオが曖昧に応じると「放課後もみんなで遊ぼうぜ」と誘われてしまう。
「ヨリがよければね」とだけ応えて席に戻ったが、けっきょく放課後にカードゲームの続きをすることになり、フミオは数回だけ付き合いで遊んでみたが、やはり楽しむことができなかった。
 それよりも、相変わらず勝ちまくっていたヨリがときどきわざと負けていることにフミオは気がついた。まるで相手の反応にこたえるかのように、負けが込んで苛立ち始めたタイミングで勝たせてやり、気分を回復させるような、そんな負け方をヨリはしていた。最終的に勝負はヨリの一人勝ちに終わったのだけれど、皆が満足したような雰囲気が残った。ただフミオ一人退屈で、図書室で本の続きを読みたいと考えていたが、こうしてトーイたちと放課後に長く遊ぶのは久しぶりで、ほんの少しだけ以前の自分に戻れたような気がした。

 フミオが帰宅すると母はまだ奥の部屋で眠っているようだった。フミオが学校に行くときには、ベッドの中から「いってらっしゃい」と声をかけてくれたけれど、それからずっと眠っていたのかもしれないと思いキッチンのシンクを見ると、昼食に使ったらしい皿と箸が洗わずに置かれていた。
 父が音信不通になってから、母は昼間の仕事に加えて夜も働くようになり、平日の休みにはこうして眠り続けていることが多くなった。
 以前住んでいた高層マンションから今のアパートの二階に引っ越してきて、母は不満を口にすることもあったけれど、フミオにとっては家が小さくなったことで母との距離が縮まったような気がして、狭いのが嫌ではなかった。
 キッチン脇の棚の上に置かれた写真立ての父に「ただいま」と声をかけて、四畳半の自室のドアを開けてベッドに鞄を放り、母を起こさないように水道の蛇口を細く絞ってシンクに残されていた食器を洗う。
 お湯を沸かしてパックのアップルティーを淹れて一口飲むと、爽やかな甘味にフミオはほっとする。これから宿題を片づけて夕食の買い物に行けなければならない。
 宿題は苦ではなかった。とくに算数の問題を解いたり、理科や社会の穴埋め問題を調べたりといった明確な解答があるものについては、余計なことを考えずに済む分、気持ちが落ち着くような感覚があった。
 本を読むのは好きだったけれど国語の感想文は苦手で、読んだ感想を書くよりも、読んだ世界の先に想像を膨らませて物語の続きを考えるほうがずっと楽しいとフミオは思う。実はサヤたちに語って聞かせる父の話にも、フミオが脚色した内容が含まれていて、だからトーイが「ほんとかよ」と疑うのはあながち間違いではないのだ。
 近所のスーパーで総菜中心に二人分の夕食を買って帰り、母に声をかけて一人で夕食をとっていると、「おはよう」とようやく起き出してくる。フミオは母と新しい友達のヨリについて話をしたかったけれど、母の様子からまだ疲れが残っていることが察せられて、またこれから仕事に出かけなければならないのだと知っていたので、黙って食事を続けた。
 顔を洗って着替えた母は「ありがとね」と言って、フミオと入れ替わるように食事をとりはじめる。フミオは部屋に戻って、昨日から鞄に入れたままになっていた黒い石をとってきて父の土産物が飾られている棚に置いた。
「今ごろどこにいるんだろうね」とフミオの様子を見守っていた母が呟く。日によって、もう帰ってこないだとか、死亡認定されれば手当金が出るだとか、ネガティブな言葉を発することもあるが、今日は少し機嫌がいいのかもしれないとフミオは思い、「新しい友達ができたんだ」と言ってみる。
「そう、どんな子なの」携帯端末で仕事の連絡をチェックしながら食事をしていた母は、視線をフミオのほうに向けて訊ねた。
 目が合ってフミオは嬉しくなり、ヨリが不思議な子で、ゲームがとても強いんだと話して聞かせた。母は微笑して「面白そうな子だね」と言って「ごちそうさま」と立ち上がり、出かける準備をはじめる。二人分の食器を片づけて母を見送ると、あとは一人きり、フミオの冒険が始まる時間だった。

三か月ほど前のある日、フミオは自室のどこからかカタカタと小さな音が聞こえてくることに気がつき、音の出所を探し回った挙句、押入れの天井に点検口を見つけた。蓋を押し上げて天井裏を覗き込んでみると、真っ暗な奥の一部が仄かに光り、昏いオーロラのようにゆらめいているのが見えた。
 丈夫な梁の部分に手をついてよじ登り、天井板を踏み抜かないよう梁伝いに匍匐ほふく前進して、フミオは光のほうへ近づいてみた。光の中心部分は周辺の闇よりも濃い黒をしており、引きずり込まれてしまいそうな不安を感じさせた。
 光のゆらめきはちょうどフミオの肩幅と同じくらいの大きさで、そのまま前進していけばくぐり抜けられそうな感じがした。
 闇の奥に手を伸ばそうとして、寸前で止めた。その先がどうなっているのかわからず、闇の中へ突っ込んだ腕の先がなくなってしまうかもしれない。一度部屋に戻って、ごみ箱に丸めて捨ててあった作文用紙を二つと三〇センチの定規、それと懐中電灯をもって再び戻った。明かりで照らしても奥の闇はそれを打ち消すように黒く、丸めた紙を穴に投げ込んでみると溶け込むようにゆっくりと吸い込まれていった。二つ目も同じだった。
 次に定規を黒の中に差し込んでみた。とくに手応えはなく定規はまっすぐに進んで行って、フミオが握りしてめている七センチほどを残して、黒の奥に消えていった。引き戻してみると、とくに欠けた部分もなく、しっかりと二十三センチ戻ってきた。
 思い切って、フミオは左手を黒の中に突っ込んでみた。見えなくなった先で指に冷たい風があたるような感覚があった。引き戻してみても違和感はなく、灯りで照らしても傷ひとつ見当たらなかった。
 この先に何があるのかという好奇心が恐怖に勝り、フミオはゆっくりとゆらめきの中へ顔を埋めていった。抜けた先には夜の荒野が広がっていて、空には見たこともないくらい明るい月が浮かんでいた。
 大きな岩が重なり合っている隙間から顔を出したフミオは、そのまま全身でくぐり抜け、前転して乾いた砂の上に尻もちをついた。見渡して、映画で観たことのあるアメリカのハイウェイの光景が思い浮かんだが、舗装された道路は見当たらなかった。
 出てきた岩の隙間を見失わないように何度も振り返りながら、少しずつ歩いていった。しばらく行くと地面の色が濃くなって、砂利にすこし大きな石が混ざりはじめた。立ち止まって黒い石を一つ拾い上げ、月の光に照らしてみると、エナメル調のきれいな光沢があった。
 同じような石が父のお土産の中にあったような気がして、フミオは拾った石をポケットに入れて、その日は引き返した。

それから何度も天井裏の穴をくぐって見知らぬ場所を訪れている。夜、母が不在の日には必ず探索に出かけた。お湯のように熱い水が流れる川や、真赤なノコギリのような葉をもった植物の生い茂る草原を見つけたし、まだ奥には進んでいない洞窟や森もたくさんあった。
 それらの位置をノートに書きこんで地図を作ることが最近のフミオの楽しみになっていた。未知の土地を彷徨い、父が惑星を開拓していくのもこんな感じだったのだろうかと思いながら、フミオは小さな冒険を重ねていた。
 今のところ大きな危険に見舞われることもなく、ちょっとした怪我をしたのもうさぎのような生き物を撫でようとして指先に噛みつかれたくらいだった。見たことない動物だなと思って、あとで図書室で調べてみたが図鑑には載っていなかった。気になっていろいろな図鑑を借りてきて、見つけた植物や石を一つひとつ調べてみたが、どれも載っていなかった。
 ここはどこなのだろう。小さな動物や虫を見かけることはあっても、他の人と出会うことは一度もなかった。それに、明るい月は出ているがフミオがやってくるときはいつも決まって夜だった。
 一人で考えても答えは見つからず、誰かに相談しようにも適切な相手は思いつかない――父さん以外は。一緒に天井裏の「穴」をくぐって二人で探索したら、きっと父はいろんなことを教えてくれるだろうとフミオは考えた。
 数回くぐり抜けているうちに、このゆらぎはごく小規模なワームホールだろうとフミオは推測して、「穴」と呼ぶことにした。この穴がどこにつながっているのか、少なくともフミオに知るすべはなかったけれど、はるか遠くの別の惑星につながっているのだと決めつけて、一人だけの秘密にしていた。
 本当は誰かに話して聞かせたり、冒険を自慢したかったけれど、そうはせずに、自分の体験したことを父親の惑星開拓に置き換えて、脚色して友だちに話して聞かせることにした。もともと大げさに話していたのだし、少しくらい嘘が混ざっても平気だろうと考えたのだ。はじめのうち、皆は興味をもって聞いてくれていたけれど、冒険を膨らませて物語ることの楽しみを知ったフミオの話はどんどんエスカレートしていき、次第に呆れられたり、疑われたりするようになっていった。
 フミオの物語のなかで、父は大冒険家であり、数々の新惑星を発見した英雄だった。実際には父は企業と契約を結んでいた開拓技師の一人にすぎなかったけれど、幼いころのフミオにとって、父の聞かせてくれる土産話は英雄譚のように聞こえていて、戻って来なくなった今は、憧れだけが残されていた。自分の語る冒険のなかで活躍する父は、フミオの寂しさを埋めてくれた。
 熱い水の流れる川沿いを歩きながら、フミオは川原に転がっている石のなかから水晶のように透き通ったものを見つけて拾い上げる。そして、父ならどんな冒険のすえにこれを見つけるだろうかと想像する。
 最初にフミオの話を疑いはじめたのはトーイだった。それまではいつも一緒に遊んでいたフミオが、父の話ばかりしたり図書室に引きこもったりするようになったのが面白くなかったのか、トーイは何かにつけてフミオの話に文句をつけるようになった。そして必ず、そんな話より一緒に遊ぼうぜと誘ってくれた。
 逆にサヤは、皆がフミオの話に飽きてしまってからも、変わらずに頷きながら話を聞いてくれた。フミオはサヤが喜んでくれるのが嬉しくて、余計に話を盛り上げようとして、父を過酷な状況に追い込んだり、時には派手な失敗談を織り交ぜたりした。
 この水晶のような石をサヤに見せてあげようと、フミオは手のひらに載せていた数粒をポケットにしまい、それから似たような石をいくつか拾い集めた。

凍てつく氷に覆われた星で、針の山のように無数の氷柱つららが並んだ洞窟のなかを父さんは一人で進み続けていったんだ。防寒着も霜がついてかちかちになって、分厚い手袋に包まれた指先は思うように動かせない。深い洞窟は無音で、自分の足音だけが響く。張りつめた静寂のなか、永遠とも思える時間を黙々と歩き続けた先で見つけたのがこの透明な結晶なんだ。大きなものは数メートルにもなるらしいんだけど、父さんがこっそり持ち帰ってこれたのは、この小さな粒だけだったんだ。

フミオは透明な石をサヤに渡して、「一粒あげるよ」と言った。「いいの」とサヤは驚いたように返し、教室の電灯に石を透かしてみてから「ありがとう」と微笑んだ。
 いつの間にか二人のそばで話を聞いていたヨリが「いいな」と言うので、フミオはもう一粒取り出して「ヨリにもあげるよ」と手渡した。
「そんなのただのガラス玉だろ」と言うトーイに「でもきれいだよ」とヨリは返す。「ま、俺は興味ないけどな、それより外で遊ぼうぜ」とトーイはヨリを誘い、「フミオはどうする」と訊くヨリに、「図書室に行くよ」と返してフミオは席を立った。
 放課後の図書室には相変わらず人の姿はまばらだった。借りていた石の図鑑を返却しようと思って鞄を開けたが見つからず、教室に忘れてきたのかもしれないと考えてフミオは戻ることにした。
 教室にはまだ何人か残っていて、中からサヤの声がした。
「……だって、フミオくん可哀想じゃない」
「でも、あんな嘘ばっかり言って。フミオくんのお父さんいなくなっちゃったんだって、お母さんが言ってたもん」
「サヤ、さっき何かもらってたでしょ」
「うん、これ」
「何、ガラスの欠片かな」
「氷の星で見つかった結晶なんだって」
「どうせ偽物でしょ」
「……うん、たぶん」
 フミオは図書室に引き返して、本棚から読み途中の小説をもってきて続きを読みはじめたけれど、いつものようには集中できず手を休めて窓から校庭で遊んでいるトーイやヨリの姿を眺めた。しばらくするとサヤが友だち二人と話しながら校舎から出てきて、そのまま校門を抜けて帰宅していった。
 フミオはポケットから透明な石を一つとって、窓の外に放ってみた。石は一瞬、陽の光を反射してきらめき、どこかへ消えてしまう。もう一つ、もう一つと、次々に一瞬のきらめきを楽しんでいると、すぐにポケットは空になってしまう。いつの間にか校庭からトーイたちの姿はなくなっていた。
 本の続きを読む気になれずフミオが帰ろうとすると、ヨリが図書室に入ってきて「一緒に帰ろうよ。さっきの話の続き、聞きたいな」と言った。氷に覆われた星の話の続きは考えていなかったけれど、フミオは想像力をフル回転させて何とか物語を紡いでいった。拙くて嘘っぱちな話を、ヨリは楽しんで聞いてくれた。

それからフミオは教室では本を読んですごすようになった。はじめのうちサヤは不思議そうにしていたけれど、自分からフミオの話を聞きたいと言いだすことはなかった。ときどきトーイが遊びに誘ってくることもあったが、フミオは「続きが気になるから」と言って本から離れなかった。
 ヨリが教室に遊びに来たときだけ、フミオは父の話をした。ヨリにだけ聞かせるように、ヨリがもっと楽しんでくれるように、一生懸命に新しい冒険を考えたり、天井裏の先にある世界から珍しいものを持ってきて見せた。
 ヨリはいつでも心の底から楽しんでいるように大きく頷いて、続きが気になるとフミオを急かして、珍しい石や葉を喜んでくれた。
 フミオがヨリに聞かせる話は、ほとんど作り話だったけれど、ある日、父から実際に聞いた話をしてみようと思った。それはフミオが生まれる以前、父が惑星開拓技師として働きはじめて間もないころの出来事だった。

いつでも空に大きな月が輝いている朝のない星があったんだ。すこし気温が低いけれど地球によく似た環境で、父さんたちの隊よりも先に何度か調査が行われていて、小さな動物は見つかったけど、知的生命体――いわゆる宇宙人みたいなものは住んでいないと考えられていた。
 でも、父さんはそこで人間そっくりの子どもの宇宙人に会ったんだ。言葉が通じないだろうと思いながら話しかけてみたら、何と同じ言葉で返事をしたんだって。嘘みたいでしょ。たぶんテレパシーか何かじゃないかって父さんは言ってた。
 見た目は人間の子どもそのものだったけれど、それは父さんが望んだ「見たい姿」を投影しているだけで、本当は違うんだって相手の宇宙人は言った。だったら本当の姿が見たいからって、父さんが映像記録を撮りたいと言ったら、宇宙人は「もちろんいいよ」って言って、二人で記念撮影をしたんだ。そのときの映像、見せてもらったけど、やっぱり子どもの姿をしてて、ちょうど僕たちくらいだったかな。ずっと前に見てよく覚えてないけど。
 それでそのとき、出会いの記念にって宇宙人から小さなカードみたいなプレートをもらったんだ。そこには何か文字のようなものが刻まれているんだけど、父さんには読めなくて、意味を聞くのも忘れちゃったんだって。そのプレートがあんまりきれいなんで欲しいって言ったら、誕生日に父さんがプレゼントにくれたんだ。今度見せてあげるよ。

父からもらったプレートはフミオの一番の宝物で、机の抽斗の奥の鍵付きの箱に大切にしまってあった。久しぶりにそれを取り出して、机のライトに照らして虹色の光沢を確かめてから、厚いプラスチック製のカードケースに丁寧にしまった。
 翌日の昼休みにヨリにプレートを見せると「ああ……」と感慨深げに呟き、しばらくじっと眺めてから「大切にしていたんだね」と嬉しそうに微笑み、丁重な手つきでプレートをフミオに返した。
 フミオは頷いて受け取り、表面に刻まれた文字のようなものを指先でなぞって「何て書いてあるんだろう」と言うと、「気になるの」とヨリが不思議そうに訊ねた。
「そりゃ、宇宙人の言葉なんだもん」と当然だというようにフミオが返すと、ヨリは「でもそれは君のお父さんのための言葉なんだよ」と笑い「君は君のための言葉を見つけなくちゃ」と続けた。
「何だよそれ」と二人の間にトーイが入ってきて、フミオの手元のプレートに視線を向ける。その後ろからサヤが「どうしたの」と続いて話に入ってきて、それから数人がフミオたちの周りに集まってきた。
 皆、教室の隅でいつも楽しそうに話している自分とヨリのことが気になっていて、話しかけるタイミングを探っていたのかもしれない、とフミオは考えた。どうせ作り話だと思われてしまうかもしれないけれど、このプレートは正真正銘、父からもらった大切な宝物なのだ。
 フミオがこれまでに話した冒険には嘘も混じっていたけれど、父がフミオに聞かせてくれた話には嘘はなかったと信じたくて、フミオはヨリに聞かせた、父とプレートにまつわる話をもう一度語ってみせた。
「そんなの偽物だよ」と誰かが言って、数人が離れていった。サヤが見せて欲しいと言うのに、一瞬躊躇ってからフミオはプレートを差し出した。「何で出来てるんだろうね」と呟くサヤの手からトーイがプレートを取って「アルミじゃねぇの」と言ってひらひらと振ってみせてから、フミオに返す。
 トーイもサヤも行ってしまうと、最初と同じフミオとヨリの二人きりになった。
「さっきの話」
「ああ、君のための言葉のこと」
 フミオが頷くと、「どうしても欲しければ、あげてもいいよ」とヨリは言った。「どういうこと」とフミオが訊くと「またあとでね」と軽く手を振って、ヨリは休み時間が終わるギリギリに教室を出ていった。

午後の実験の授業の片付けに手間取って、フミオは教室に戻るのが遅くなってしまった。放課後は一刻も早くヨリの話の続きが聞きたくて、集中できずに何度も実験に失敗してしまったせいだった。
 遅れて戻ると教室の掃除が始まっており、当番だったフミオは慌ててロッカーに教科書とノートをしまい、手伝いはじめる。ゴミを捨ててきて欲しいと頼まれて、ゴミの詰まった透明な袋をげて駐輪場脇の回収場所へ向かった。
 校舎脇の砂利道を歩いていると、袋の中に鋭利なものが入っていたのか、一部が割けて中のゴミが散乱してしまった。「ああ」と思わず嘆息して袋を置くと、フミオは散らばったゴミをかき集め、その中に、半分に割れたプレートを見つけた。
 はじめ信じられなくて、アルミ板の欠片か何かかと思ったけれど、もう一方の片割れを見つけてつなぎ合わせると、それは間違いなくフミオの宝物のプレートだった。表面に刻まれた文字も見慣れたものだ。なぜこんなところにあるのか、考えたくもなかった。
 割れたプレートをポケットに入れて、袋の裂け目を押さえて抱えるように持って、フミオはゴミ回収場所へたどり着いた。するとそこにゴミ袋を持ったヨリがいた。
「君も当番だったんだね」と袋を山に放りながら、ヨリが笑った。「……うん、まあね」と答えたフミオの声に違和感を覚えたのか「どうかしたの」とヨリが訊く。フミオが黙ってポケットからプレートを取り出すと「ああ、壊れちゃったのか」と何でもないような調子でヨリは言った。
 ヨリなら一緒に悲しんでくれるだろうと思っていたフミオは、意外な反応に戸惑い寂しい気持ちになった。涙がにじみ出そうになるのを必死に抑えつけようと目元に力を入れると、顔全体がこわばって余計に絞られてしまい、奥から涙を押し出そうとする。
「これ、あげるよ」
 ヨリの声に顔を上げた途端、涙が一筋こぼれる。差し出されたヨリの手には見慣れたプレートがあった。フミオは恐るおそる手を伸ばしてそれを受け取った。
 壊れてしまったプレートと、大きさも素材もまったく同じで、ただ表面に刻まれた模様だけがほんの少し違って見えた。
「すこし前に、君のお父さんに会って、追いかけてきたんだ」壊れてしまったプレートはそのときに渡したものだとヨリは言った。
「それじゃあ、父さんが会った宇宙人は君ってことなの」
 フミオの質問にヨリは頷いて、「こちらにしてみれば君たちのほうこそ宇宙人だけどね」と笑い「プレートの位置情報を追いかけて、ここまでやってきたんだ、君たちのこともっと知りたくてさ」と当たり前のように言う。
「でも、どう見たって人間だよ」
「そうね、君がそう見えることを望んでるみたいだったから。あるいは、君がその姿しか想像できなかったから、かな」
 そう言われると、たしかにフミオはヨリが宇宙人だなどと考えたことはなかったし、たとえ宇宙人だと言われても、人間とは違う「宇宙人」の姿を具体的に想像することなどできなかった。
「別に隠したり騙したりするつもりじゃなくて、君のお父さんと同じように、当たり前に仲良くなれると思ったんだ。君たちってわかりやすいから、期待するように振舞っていれば、すぐに打ち解けられるだろう」

「でも、驚かせてしまったなら謝るよ」とヨリに言われても、フミオにはまだ信じられなかった。しかし、もしヨリの話が本当ならば、それはつまり父の話してくれたこともやはり本当だったということになる。それはフミオにとっては何よりも嬉しいことだった。
「父さんが今どこにいるのか知ってる」と一番知りたいことをフミオは訊ねる。
「いや、わからないな。でも、この前聞かせてくれた話では、底なしの泥の海のある星にいるって言ってたよね」フミオの話したたくさんの偽物の冒険をヨリはちゃんと覚えていて、それをつなぎ合わせて、架空の父の足跡を描きながら答えてくれた。
 それは天井裏の先にある場所で泥沼を見つけた翌日に作った話だった。
「あれは、嘘なんだ」
「へぇ、そうなの」
 とくに驚いた様子もなく言ったヨリに、父がずっと行方不明なこと、父の冒険話はほとんどフミオの作り話だったことを伝えると「うん、誰かが話してるのを聞いたよ、お父さんがいなくなったって」でも、意外と近くにいるんじゃないかな、とヨリは笑う。
「怒らないの、嘘ついたこと」
「だって、君はそうあって欲しいと望んでいたんでしょ。だったらそれは必ずしも間違いじゃないさ」
「ヨリの言ってること、よくわかんないよ」
 フミオの話は十分現実的にあり得るってことさ、と言いながらヨリはフミオの足元に置かれたままになっていた破れたゴミ袋を抱え上げて山のほうへ放った。
「さぁ、行こうよ」
 昇降口のほうへ向かって歩きだしたヨリをフミオは追いかける。
「行くってどこに」
「君の話の続きが気になるんだよ。とても全部が嘘とは思えないし、できることなら一緒に冒険してみたいな」
 脚色だらけの嘘っぱちの冒険物語の続きが気になるのだと、ヨリは言った。そのとき、話の続きを聞いてくれるのがヨリだけならば、もう父の姿を重ねて嘘をつく必要はなくて、自分自身の冒険として語ることができるのだとフミオは気がついた。
 二人しか知らない秘密の話ならば、ヨリと一緒に冒険することだってできるのだ。惑星開拓技師の父に憧れるフミオにとって、宇宙人と見知らぬ場所を探索するなんて最高で、ヨリが本当に宇宙人であればいいと思った。
「秘密なんだけど、うちの天井裏に小さなワームホールがあるんだ」
「なるほど、いいね」
 疑うことなくそう応えて、自分も以前小さなワームホールを見つけて使っていたが、ある日突然消えてしまったのだとヨリは話した。そのワームホールを抜けた先でフミオの父と出会ったのだという。
 あれは突然現れて消えてしまうからね、とヨリは笑った。

二人で天井裏の穴にもぐりこんだ先、「やっぱりここか、懐かしいな」とヨリは明るい月を見上げて言った。フミオが自作の地図を見せると「なるほどこの辺りか」とヨリは頷いて、「あっちだよ、君のお父さんと会ったのは」と指さして歩きだす。
 静寂の中に二人の足音が響く。相変わらず静かでいいねとヨリは嬉しそうに言って、フミオの地図を見ながら「まだこの先には行ってないんだね」と大きな岩山の先を示す。
 フミオが生まれる四年前に、その先の岩場でヨリと父は出会った。
「人間って見た目ではわからないな。まだそんなに時間が経ってないのに、あの日出会った子の子どもとこうして歩いてるんだから」
 ヨリにとっては二十歳を過ぎていた父も子どもに見えていたらしい。だったら自分は赤ん坊みたいなものかもしれないとフミオは思う。
「山登りは得意かな」
 岩山の前に着いてそう訊かれて、フミオが頭を左右に振ると「だったら迂回して行こう」とヨリは岩山を右手に向かって慣れた様子で進んで行く。
「フミオの話を聞いてて、ずっと懐かしい感じがしてたんだよ」楽しそうに前を歩くヨリが言う。しばらく行くと岩と岩の間が小道のようになっていて、その奥へ進んで行くとフミオの腰くらいの高さの大きな岩盤が横たわっていた。
「ここだよ、ほら」
 ヨリの指さした先に何か文字のようなものが二綴り刻まれていた。一つは読めず、もう一つは父の名前だった。父の書字などほとんど見たことがなかったので、フミオにはその筆跡が本当に父のものなのかどうか判断できなかったが、どうしたって信じたかった。
「フミオも名前を書きなよ」とヨリが父の名前が刻まれている横を示した。足元に転がっている石の中から鋭利なものを拾って、フミオ、と刻む。自分の名前と父の名前が文字として並んでいるのを初めて見たような気がした。
 二つの名前の横を指して「これがヨリの名前なの、読めないな」とフミオが言うと「どうだろう、ヨリっていうのは君のお父さんが付けてくれた名前だからね」とヨリは刻まれた文字を撫でた。
「君たちと違って、名前ってあんまり意味がないんだ。でも、少なくとも君とお父さんにとってはヨリでいいんだと思うよ」とまた難しいことをヨリが言いだしたので、フミオは先ほどもらったプレートをポケットから取り出して「何て書いてあるの」と訊いて話題を変える。
「わからないよ、君のための言葉なんだから」
 どうしてそんなことを聞くんだというふうに、ヨリは少し驚いた様子を浮かべた。はじめてヨリがほんの少しだけ動揺したように思えて、フミオは笑った。
 しばらく二人で岩の上に座って月を眺めていた。この空のどこかで、まだ父は冒険を続けているだろうかとフミオは想像する。想像はやがて自分のことになり、大人になったフミオは、もっと大きなワームホールの先にある未知の星を探索している。
「話の続き、聞かせてよ」とヨリに頼まれて、フミオは大人になった自分がある日、見知らぬ惑星にある大きな岩山を踏破した先で、子どもの姿をした宇宙人に出会い、二人で星を開拓していくのだと話しはじめる。

部屋に戻って別れ際に、「楽しかったよ。またいつか続きが聞きたいな」と言ってヨリは帰っていった。次の日、ヨリは学校に現れず、それからずっと姿を見せなくなった。
 フミオが訊いても、隣のクラスの子も、先生も、誰もヨリがどこに住んでいたのか知らなかった。しばらくすると、はじめからいなかったみたいに、誰もヨリの話をしなくなった。
 一月ひとつきが過ぎるころには、フミオもヨリの話を誰にもしなくなった。一人で続けていた冒険も、三日に一度が週に一度になり、久しぶりに天井裏をのぞいてみたら、光のゆらぎは見えなくて、ワームホールは消えてしまっていた。
 行けなくなってしまうと見知らぬ星が恋しくなって、フミオはヨリからもらったプレートや、拾ってきた黒い石を眺めて過ごした。そして思い立って、父の荷物がしまってある戸棚の中から、映像記録の入ったディスクを見つけて再生してみる。
 父が遠い星で出会った子どもの宇宙人と一緒に撮影した記録があった。そこに映っていたのはフミオの知っているヨリとは違う姿をしているように見えたが、しばらく会わない間に、印象が薄れただけかもしれず、映像の中の宇宙人は、たしかにヨリのような気もした。
 フミオが映像を繰り返し見ていると、いつもより早く母が帰ってきた。「おかえり」と声をかけると「ただいま、何見てるの」と返す声が弾んでいて「お、すごい、偶然ってあるんだね」と嬉しそうに言う。そんな母の声を聞いたのはいつぶりだろうかとフミオは思い出そうとしたがうまくできず、「あのね」とすこし真面目な調子になったその声に、反射的に背筋が伸びる。
「お父さんの乗っていた開拓船から、信号が届いたんだって」
 それはもう何年も前に発せられた信号だったけれど、遠くのステーションが受信したものが、ワームホールを利用した異空間通信網を巡って、ようやく届けられたのだという。それは必ずしも父の無事を証明するものではなかったけれど、フミオにとっては間違いなく小さな希望だった。きっと父は生きている。自分がそうあって欲しいと望むなら、たぶんそれは間違いじゃないんだ。
 機嫌のいい母はお土産にケーキを買ってきてくれた。父のお土産はフミオにとってどれも宝物だったけれど、母からお土産をもらうことなんてなかったのでそれはあまりにも特別で、食べてしまうのが惜しかった。しかし、そんなフミオの気持ちも知らず、母は銀のフォークの先でケーキを潰してカットしてしまう。
「そういえば、前に言ってた新しい友だち、今度連れてきなよ」
 忙しい母にはヨリがいなくなったことをまだ伝えていなかった。一度も会わせることができなかった友だちの存在をどうやったら証明できるだろうか。
 あの日、図書室で出会った子が本当に実在したのかどうかを示すものはたった一枚の小さなプレートしかなくて、それが嘘ではないのだとどれだけの人が信じてくれるのか、フミオにはあまり自信がなかった。

文字数:16000

課題提出者一覧