嘘発電の成金おとこめ!

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梗 概

嘘発電の成金おとこめ!

嘘発電の技術が確立された。嘘と真実との間で揺れ動く人の心を利用して仮想タービンを回し、それを電気エネルギーに変換するのだ。嘘と現実とが乖離していればいるほど発電効果は高いが、嘘とばれては意味がない。
 そんなわけのわからないものの仕組みはいい。よくないのは、その嘘発電によって莫大な富をなしたと噂される男が自分の恋人だったということだ。
 百花はたまたま恋人である川原がインタビューに答えている動画を見つける。内容は嘘発電の解説のようだった。嘘発電は新しいクリーンエネルギーとして注目され、個人間で発電したものを大手電力会社が買い取るということもごく普通に行われている。知ってはいたが、百花は自分の利益のために平気で嘘をつく人間をあまり好ましく思ってはいなかった。「ごく身近な人のみを相手にした戯れのような嘘でも、上手くやればスマートフォンを数秒使うくらいの電力は作れます」動画のなかの川原の発言から、百花は自分に対しての言葉も嘘ばかりなのではないかと不審に思う。動画を見たこと告げると、川原は嘘発電と電力会社とを繋ぐためのシステムの基盤を運営する傍ら、自身も嘘発電技術者として嘘をつきまくっているのだと明かす。「しんどくないの、そんな嘘ばっかりついてて」「大丈夫ですよ。おかげさまで百花のように理解ある恋人もいるので」「わ、絶対いま、めちゃくちゃ蓄電されたね」「理解の部分はこれからに期待して言ったけど……え、まさか恋人じゃないなんて言わないよね?」
 世間では人は嘘をつくものだという認識が広まっており、人を不幸にするような嘘以外はむしろ好意的に受け止められている。嘘つきを職業とは認めたくない。だが嘘発電が莫大なエネルギーや経済効果を生み出していることも確かなようで、百花は複雑な気持ちだった。
 そんな折、嘘が存在しない正直村から来たのだと言う女性が現れた。曰く「私がその村に住んでいるかを尋ねてくる人たちは、私の答えが嘘だろうが本当だろうが構わないと思っている。私たちは嘘をつかず何事にも正直に生きているのに、そのことをないがしろにされている。それは嘘発電によって助長されている。嘘つきが得する世の中なんておかしい」
 女性の鞄から盗聴器がでてきた。この盗聴器を忍ばせ川原のところへ来るよう仕向けたのは、嘘発電の原理を悪用し、逆に電気を消費することで都合の良い嘘を真実にしてしまうことを企む組織だった。川原は、そうやって真実を捻じ曲げたところで見方を変えればそれがまた嘘をついていることになるのだと展開して対抗する。
 嘘発電機が嘘発見器のようになるのは本意ではない。川原はリアルタイム発電メーターを表示させない仕様に変更したのだが、自宅の機器は自動更新しない。百花がクッキーを焼いている。「僕の分もあります?」「甘いもの嫌いじゃなかったっけ」「意外とそうでもない」嘘発電機のメーターがかすかに振れた。

文字数:1200

内容に関するアピール

嘘を考えつくには頭が良くなきゃいけないと思ったので、嘘の内容を考えなくてもいい設定を考えました。量子が粒子であり同時に波でもあるんだったら、どんなものだって嘘でもあり同時に真実でもあるんだろうという気持ちです。嘘かもしれない状態を嘘かもしれない状態のまま受け入れることができる世の中、楽しそう。
 いけ好かない成金おとこを振り回し振り回される主人公の描写を入れつつ、淡々としたギャグ調のラブコメを書けたらいいなと思います。

文字数:210

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嘘発電の成金おとこめ!

嘘発電の技術が確立された。嘘と真実との間で揺れ動く人の心を電気エネルギーに変換するのだという。嘘と現実とが乖離していればいるほど発電効果は高いが、嘘とばれては意味がないらしい。
 正直、そんなわけのわからないものの仕組みはいい。よくないのは、その嘘発電によって莫大な富をなしたと噂されている男が、友達の紹介で付き合いだしたばかりの自分の恋人だったということだ。

検索ボタンを押せないまま、ホームで電車を待つ百花はもうかれこれ数分間スマートフォンの画面を見つめ続けていた。検索ボックスには、百花の恋人である川原の名前が入力されている。だって、芸能人でもない人間の名前を検索するなんて若干ストーカーみたいじゃないか? 別に彼のSNSを探し出して浮気調査がしたいわけでも、姓名占いで彼の身に起こりうる運勢を知っておきたいわけでもなかった。淡泊なほうだという自覚のある百花がこんなことをしている理由は、今日ランチをした友人との会話にある。
「付き合うことになったって聞いて嬉しかったよ。どう、仲良くやってる?」
 百花に川原を紹介してきたのがこの友人だった。
「うん、川原さんってすごいなんて言うか、茶目っ気があるというか。人を揶揄うのが好きだよね。こないだカフェでスプーン曲げのやり方をものすごく臨場感たっぷりに説明されてさ、じっと婉曲に映る世界を見つめているとだんだん……とかなんとか。古臭いなあとは思いつつ、その通りにやればできそうな気がしちゃったもん」
 友人はひとしきり笑い、
「よかった、百花ならスペックとか気にしないと思ったから」
「スペック?」
「あ、変な意味じゃないから安心してね。むしろ逆というか、うん」
 友人があからさまに言葉を濁したので、百花はそれ以上詮索しなかった。――しなかったのだが、帰宅する途中で気になって仕方がなくなってしまった。こんなことなら、変に物分かりの良いフリなどせず問いただしておけばよかった。おおかた、学生時代に何かの大会で優勝していてその界隈ではちょっとした有名人だとか、そういうものだろうとは予想している。でもそれなら、彼にものすごく得意な何かがあるのなら、それが何なのかくらいは知っておきたいような気がする。
 電車がホームに入って来る。変なところをタップしてしまわないよう、画面を消して歩き出す動作にそなえる必要があった。――やっぱり検索するのはやめておこう、知ってしまったことを告げるのも気まずいし。ようやくそう決意したのに、画面を落とすはずだった百花の指はあろうことか検索ボタンをかすめてしまった。
 同姓同名の人間なんていくらでもいるだろう。そう言い聞かせながらスクロールすると、大体どれも似たようなトピックで扱われているようだ。どうにも嘘発電という言葉が目につく。そのうち、写真付きの記事に行き当たった。嘘発電の開発者という肩書が書かれている。どんなに頑張っても、よく似た他人には見えない。

嘘発電というのは、近年注目を集めているクリーンエネルギーだ。なんでも、嘘と現実との間で揺れ動くひとの心の動きを利用して、発電するのだという。原子力発電や火力発電とは違って環境にやさしい上、他の再生可能エネルギーが持つ課題、例えばエネルギーペイバックタイムや、自然の力による発電量の激しい増減がない、夢のようなエネルギーらしい。しかし百花はその話題に触れるたび、人が嘘をつくことが推奨されるような世の中は、自分の生き方には合わないかも知れないと思っていた。人はいかなる時でも正直に生きるべきなどとは言わないが、できることなら誠実でいたい。でも現実問題、電気のない生活を手放せないうえ環境問題にも取り組まなければならない現在、嘘発電ほどそれを両立できる技術は他になく、感情だけで無下にはできないことも分かっている。誰かと共有したことはないが、みんなそういう思いで嘘発電を利用しているのだと思っていた。だから、こんな身近に第一人者、もしくは生みの親だと呼んでしまえるほど嘘発電の根幹にいるらしい人間がいたのだと知り、百花は複雑な気持ちだった。
 帰宅してからも、百花の頭の中では嘘発電についてと、記事で見た川原の名前と、これまでに川原と交わした数々の会話がグルグルと回っていた。気分を変えようと思って開いた動画サイトも、検索してしまったせいか彼の名前や嘘発電に関する動画がオススメに混じっている。サムネイルでは、余所行きの恰好をした川原が何かを説明している様子が見て取れた。知ってしまったからには、もう知らなかったことにはできない。百花は腹をくくって動画の再生ボタンを押した。川原がインタビューに答えている。内容は嘘発電の販促がメインのようだった。嘘発電は新しいクリーンエネルギーとして注目されており、個人間で発電したものを大手電力会社が買い取るということもごく普通に行われていると説明している。「ごく身近な人のみを相手にした戯れのような嘘でも、上手くやればスマートフォンを数秒使うくらいの電力は作れます」動画のなかの川原が愛想よく笑いながら言い放ったこの言葉が思考のすべてを持って行ってしまい、そのあとしばらくは動画の内容がまるで頭に入らなかった。じゃあ、川原が百花に向ける好きだのなんだのという言葉だって、嘘ばかりなのかもしれないじゃないか。
 百花は続けて嘘発電に関する動画をたくさん見た。川原の出ていないものもたくさんあり、導入したての初心者向けにより多くのエネルギーを発生させる嘘をつくコツを説く動画や、買取先をどう選ぶべきなのかについて電力会社の比較データを出している動画、有名な嘘発電技術者の噂話を集めたものなど、無数にみつかる。川原の名はやはり人気があるようで、名前や写真をサムネイルにしておいて褒めている動画も貶している動画もたくさんあった。
 嘘発電が一定の支持を得て、新しい職業として世間にも認められつつあることは知っている。けれど百花自身としては、嘘つきを職業とは認めたくない気持ちがある。しかし、莫大なエネルギーや経済効果を生み出していることも確かだ。それを知ってはいたが、百花は自分の利益のために平気で嘘をつく人間のことをあまり好ましく思っていなかった。好意的に見るならば、川原はそんな百花の心情を察して自分が嘘発電に関わっていることを黙っていたのかもしれない。でもうがった見方をするならば、百花を騙すことで何らかの形で発電に利用していたのではとも感じてしまう。考えれば考えるほど、百花は川原への不信感をだんだんと募らせていた。そこへ、
――時間できたから会おうよ。そっち行っていい?
 見計らっていたかのように、川原から連絡がきた。
 
「見ちゃった」
 川原が玄関の扉を閉めるなり、靴を脱ぐ間も待たずに先ほどまで見ていた動画の表示されたスマートフォンを突き出した。川原は驚いた顔をしつつも、
「嘘発電体験のやつね。クリーンエネルギーの教材に使ってもらったみたいで、小学生相手に簡単なデモンストレーションしてきたんだ。というか、え?」
「倫理観とかどう教えてるのかな、教育現場と相性悪そうなのに」
「うん、嘘つきは良くないもんね。環境問題と嘘と、折り合いをどうつけていくか。小さい子に考えさせるのはちょっと早いかも。……いや、そうではなくて」
 戸惑う川原の何か言いたげな雰囲気には取り合わず、百花はすうと息を吸い込んで、正面から川原を見据えた。
「川原さん、ほんとうに嘘発電の人なの?」
「そういう聞かれ方をすると、そうですとしか言えないけど」
 川原は、とりあえず入ってもいい? とリビングを指さした。一人暮らしのワンルームに無理やり置いた大きなソファは導線を潰して場所を圧迫している。ローテーブルを跨ぐようにして自ら座りにくい位置へと腰かけた川原は、買ってきたらしい飲み物をいくつかテーブルに並べた。
「開発自体は前々から進められていたんだ。実用化にこぎつけたというか、システムを構築したという点で僕が矢面に立っているというだけ。今は主に嘘発電と電力会社とをつなぐシステムの基盤を運営しているのと、あと自分で言うのもなんだけど、かなり嘘発電量の増加に貢献しているね」
「嘘つきってことだ」
「金持ちってことです」
 あからさまに嫌そうな顔をしてみせたのに、川原は何が楽しいのかそんな百花の様子を見てふふと笑い声を漏らし、自分の手首についた装置を見せてきた。
「これが一般的なウェアラブルデバイスの嘘発電機です。本体は各家庭とか基地局に置いてあってそこに蓄電していくんですけど、このデバイスでは嘘による発電量がチェックできるようになっているんですよ」
 川原は次々に画面を切り替えていく。
「これが、僕が今持っている効力のある嘘による発電総量です。一日二回、電力会社に送電して買い取ってもらう設定にしていて、時間帯にもよりますがだいたい100万円くらいにはなっていますね」
 胡散臭い数字だ。子供がとりあえず言うような大金の額で、もはやわざとではないかと思うほど胡散臭い。
「前のページに、同じようなグラフがいくつもあったけど」
「そうです。このグラフは自分の総発電量だけでなく、項目ごとの発電量に切り替えられるんですよ」
「項目?」
「嘘ごとの、ですかね。ついた嘘には責任をもたないといけない。例えばこれ。これは今日、電車で席を譲る時に次で降りるのでって言ったんだ。聞いていた人も少ないし、実際には降りなかったことがすぐにバレているから、もうこの嘘では発電されていない」
「しれっと自分の株を上げようとしてる?」
「そういうの、気づいても言わないでよ。優しい男って思われたい男心わかんない? 24時間ずっと発電量が0だった項目は自動で消えるようにしてあるけど、もう消しちゃうね」
 川原が素早く画面を切り替えた。
「次は発電するとこ見せてあげる。今日、オフィスに野良猫が入り込んできて大変だったんだよ」
「……私に言ってる?」
「そう。百花はこの、嘘発電を実演するよという文脈で僕が嘘を言っているとほとんど確信しているだろうけど、でも唐突で意図の読めない発言に戸惑っているし、その内容が嘘発電とは関係なさそうなどうでもいいことだから、僕がいきなり世間話を始めた可能性も捨てきれないでいる。そんな百花の心が、この仮想タービンをまわして発電する」
 急に勢いづいた川原が、ほら、と嬉しそうに腕につけた装置の画面を指さしてくる。確かに少し、目盛りに色がついていた。
「百花の心の動きで、今まさにこれだけ発電しているんだよ」
「私しだいなの? 嘘をついている人じゃなくて?」
「嘘をつく側は、嘘をついているという自覚があれば良い。それは腕に着けたこのウェアラブルデバイスが測定する。実際に発電に利用するのは、嘘をつかれた側の心の動きだ」
 川原がタブレットPCを取り出した。そこには、両端にそれぞれ嘘と真実という文字が書かれた筒があり、その中を小さな丸が動き回っているという簡単なアニメーションが表示されている。
「これが嘘発電のイメージ。その嘘を聞いた人から飛び出てきた嘘因子がこの筒の中に入って、真実と嘘の間を行き来する。その揺れ動く心が仮想タービンを回して発電するんだ。もちろんただのイメージで、実際にこんな装置が嘘発電機本体に入っているというわけではないよ。実際には交流発電の計算に使う複素数に含まれる虚数を、嘘で見立てて計算してある」
「全然わかんないけど、胡散臭いなあ」
「ちなみに直流ではなく交流発電だから、パワコンは必要ないんだ。結構セールスポイントなんだけど」
 何もかもが胡散臭い。自分が理解できていないだけなのだろうと思うことは簡単なのだが、なんてったって川原の言うことは全部嘘かもしれないのだ。この男ならいくらでもそれっぽい話やそれっぽい装置を作れるだろうし、今見せられている説明だって、いくらでもそれっぽく準備できるだろう。信用できない。騙されているのかもしれない。百花はじっとりとした目つきで川原をうかがった。
「ちなみに今の私のやつは、いくらくらいになるの」
「いくらにもならなかっただろうね。嘘を知ったのが百花一人だけだったし、昔のことだけど倉庫に猫が入ってたことは実際にあったし。すぐに嘘だとバラしちゃったし」
「そのほかに私についた嘘で発電してるのある?」
「それは言えない」
 あるんだな、と確信した。
「川原さんさ、しんどくないの、そんな嘘ばっかりついてて」
「大丈夫ですよ。おかげさまで、百花のように理解ある恋人もいるので」
「うわ! 絶対いま、めちゃくちゃ蓄電されたね!」
「正直、理解の部分はこれからに期待して言ったけど……え、まさか恋人じゃないなんて言わないよね?」
「川原さんの言葉が嘘でなければね」
「さすがに信用なさすぎない?」
「だって川原さん嘘つきが仕事なわけじゃん。まっとうに生きてきた人間にはなかなかね」
「俺だってちゃんとしてますよ」
 どうだかなあという気持ちを込めて肩をすくめて見せると、川原は苦い顔をしつつ笑った。
「信じてくれないのも困るけど、でも確かに心の底から信じ切ってしまうのもよくないんです」
「なんで? 嘘発電って人を騙すことが必要なんじゃないの?」
「揺れ動いてほしいんですよ」
 川原は頬杖をつくように自分の顎をさすった。
「デマを妄信されてしまったら、それはそれで発電しないんです。そういうわけで、僕の理想は妖怪なんですよね。あれって、不可解なものごとを納得するためというか、受け入れるために語られたものじゃないですか。人から人へ伝えられるものだし、それを聞いたひとの揺れ動く心がどんどん入って来る。昔の人は、違うとわかっていながらも、そういうことにしておく能力があったんだと思う。昔の人の会話って、今以上に嘘エネルギーに満ち溢れていたと思うんだ。ああ、取りに行きたいなあ」
 川原は目をつぶって自分の世界に入っていたかと思えば、とつぜん姿勢を正し、目を輝かせて百花を見た。
「ところで、旅行に行きませんか」
「なにその流れ。まさか妖怪とか捕まえに行くつもりじゃないよね?」
「察しがいいですね。妖怪ではないですが、人魚のいる島です。リゾート地ではないので静かにゆっくり過ごせますよ」
 川原が見せてきたのは、聞いたこともない離島だった。もっとも、旅行好きでもなければ地理に詳しくもない百花にとっては、日本の国内であってもほとんどの島がそうである。それにしてもこの島は格別で、島民も数十人しかおらず、その土地のほとんどが私有地なので、観光客の受け入れもそう多くはないらしかった。その島へ上陸する手段としては三日に一回の定期運航があるだけで、二人はその船で行き来するように二泊三日の行程をくむことにした。

ひと月後に予定された旅行はまだまだ先のことと思っていたのに、あっという間に明日に迫っていた。島でのガイドをお願いする方と打ち合わせした内容を見返し、予約した飛行機や船の出発時刻に変更がないかどうかを確認する。慌ただしくも楽しい一日を過ごし、すべての用意を終え早めに就寝しようかと考えていた頃、ようやく仕事を終えたらしい川原から着信が入った。
「ごめん、明日のことなんだけど」
 思わず通話音量を大きくするボタンを連打した。声がほとんど出ていない。
「川原さん、風邪ひいた? 大丈夫? 熱は?」
「平気。でも明日は難しいかもしれない、百花も周りの人たちも不安になるだろうし。僕自身は本当に大した事ないんだけど、声が出なくてね。ほんとごめん、自己管理が甘かった」
 掠れ具合も相まって、悲壮感すらある。
「そんなことで責めるわけないじゃん。気にしないで、きっと神様が少し休みなさいって言ってくれてるんだよ」
「ありがとう、優しいね」
 音はないが、川原が力なく笑っている気配がする。百花は、完璧にパッキングされた旅行鞄を見つめた。
「だから、すごく残念だけど明日はわたし一人で行ってくるね」
「え?」
「キャンセル料もったいないし。大丈夫、ちゃんと人魚の話は代わりに聞いておくから」
「え? 本気で?」
 こうして百花は一人、人魚のいる島へ向かうことになった。

飛行機でやってきた離島から出航する連絡船に乗り込んですぐ、百花はせっかくだからと甲板へのぼった。そうして次第に遠のいていく港をぼうっと眺めていたのだが、覚悟していたよりもかなり潮風が冷たい。百花は、手足が冷え切ってしまう前にと早々に客室に戻ってきた。五十席ほどの椅子が映画館のように並んでいるが、そのほとんどは空席である。船に乗り込んだ人間は思っていたよりも随分少なく、運航スタッフや運転手を含めても、運び込まれた貨物の方が断然重いだろう。この定期便は、人の移動というよりは島民の生活物資を運び入れる方に用途が偏っているのかもしれない。そんなことを思いながら船内を見渡していると、一人旅だろうか、椅子に座って窓の外を眺めている女性を見つけた。何となく親近感を覚えてしまう。島につくまではあと四十分ほど。エンジン音と波の音でほとんどの声がかき消されてしまうだろう今、隣に座って話しかける勇気はない。諦めて適当な椅子に座りすっかり癖になった手つきで鞄からスマートフォンを取り出したが、酔ってしまうかもしれないと思い直しそのまま膝の上で握りしめ、目の前のガラス窓にときおり迫りくる海面だか波だかをぼうっと眺めていた。
 到着を知ったのは、運転手に揺り起こされた時だった。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。慌てて荷物を持ち、寝起きでふらつく頭をすっきりさせるために強く瞬きを繰り返す。島に降り立ち、貨物が運び出されるのをぼうっと見ていると、先ほどの女性が話しかけてきた。
「お一人ですか?」
「はい。連れが昨日になって急に来られなくなったので、一人だけでも満喫しようかなと」
 あなたはと言外に含ませたつもりだったけれど、女性はにこりと感じの良い笑みを浮かべるだけで、自分のことを話してくれる気配はない。百花は訪れてしまった不自然な沈黙に、気まずさなどまるで感じていないというフリをしながら、会話を続けるべきなのかどうかを逡巡していた。
 程なくして、老人がにこやかに近寄って来た。これから宿泊場所と島内を案内してくれる手はずになっているガイドの方らしい。
「すみませんお待たせしてしまって。あれ、確かお連れさんは来られなくなったんでしたよね?」
 島に住むガイドが不思議そうな顔で女性を見ている。ということは、この女性はこの島の住民ではないようだ。
「はい。あ、でももし宿泊場所が同じでしたら」
 言いながら百花が女性とガイドとを交互に見ると、ガイドはにこりと人の良い笑みを浮かべた。
「この島にお客さんが泊まるようなところは一つしかないです。何なら、今日明日の島の観光も一緒にされますか? もうお代はいただいているので、申し訳ないなと思っていたんですよ」
「私は全然、ご一緒できたら嬉しいですけど」
 百花がそう言って覗き込むと、女性は微笑んだまま微妙に目じりを下げたので断るのだろうなと思ったのだが、
「ありがとうございます、それではお言葉に甘えます」

まずは荷物を置くためにホテルへと案内された。この島には、連絡船が出ている大きな島から海底を通るようにして水、電気、インターネットなどのインフラがきちんと届くよう整備されているとのことで、不自由なく過ごすことができそうだ。少しだけ休憩した後、ロビーに降りていくとガイドと女性が揃って待っていた。
「暗くなると危ないので、海岸は明日にしましょう。今日は島の歴史なんかをご案内して、早めにホテルに戻ってきますね」
 三人で自然豊かな道を歩き回った。廃校になった校舎の跡地や、この島出身で芸能人となった方の生家、撮影禁止の聖地。人魚伝説のある祠は写真を撮ってもいいとのことだったので、画角などはよくわからないが同じような写真を数枚撮って川原に送りつけた。日が沈み切ってしまう前にホテルに戻り、せっかくだからと夕食も女性と一緒に食べることにする。夜には、ホテルの敷地にある高台で夜の海を見ながらお酒を飲むことができるらしい。
「すみません、ここには電気が引かれていないので外の発電機をつけるんですけれども、何だか調子が悪いみたいで。よければこちらをお使いください」
 夕食を済ませ向かったそこでは、大きなひざ掛けと蝋燭と懐中電灯を渡された。女性と目を合わせて笑いあう。女性に断りを入れてから、用意してもらったお酒を写真におさめた。二つのグラスの間に置かれた蝋燭の光が、グラスとその中の液体を通して円を広げるように揺らめく影を作っている。こういう洒落た感じのもの好きそうだなと、昼間に送ったメッセージに返事も寄越さない川原に追加で送った。きっとゆっくりと療養しているのだろうが、こちらを少しは気にしてくれてもいいのにと理不尽なことを思ってしまう。
「なかなかおつですけど、寒すぎるような時期じゃなくてよかったですよね」
 スマートフォンを伏せて置き、気持ちを切り替えて笑いかけると、女性も柔らかくうなずいた。
「嘘発電とか、導入したらどうでしょうなんて思っちゃいました。やったことはないし、理屈も全然わかってないんですけど。簡単にできるらしいですし」
 言いながら、もしかして川原がこの島へ来たがったのも、百花と旅行したいからなどではなく、この島に嘘発電を広めて商売するつもりだったからなのではと思えてくる。ほんのちょっと顔をしかめたのが伝わったのか、女性は当たり障りのない相槌のニュアンスをほんの少し修正して、言葉を紡いだ。
「今って、嘘をつくことが推奨されていますよね。嘘つきが得をするような仕組みになっていて、ちょっと抵抗を感じちゃいます」
「うわ、めっちゃ同じです。いいことではないですよね、いくらエコだからって」
「そうですよね、人は嘘をつくものだという認識で、嘘が好意的に受け止められているだなんて、そんなことあっていいはずがないんです」
 探り探り会話している様子だった女性が思いのほか強く同意したので、百花はもしそんな話題になったとしても、恋人の職業のことは絶対に黙っておこうと決めた。
「実は三年ほど前、この島の海で弟が亡くなったんです」
 思想を乗せた言葉に引っ張り出されたのか、女性がぽつりと語り出した。
「ダイビングが好きで、多い時では年に三度もこの島を訪れていたみたいです。泳ぎは得意な子だったので、水の中で亡くなったなんて信じられなくて……少しでも弔いになればと、この場所をこの目で見ておきたくて、ここへ来たんです」
 百花は女性の顔に視線をやったが、女性は蝋燭の炎を見つめたままだった。
「そうしたら明日、海岸に行くの、つらくないですか?」
「ええ、でも、人魚に連れていかれたんだなんて言われても、納得できないんです。たとえ事故だとしても、どうしてそんな事故が起こったのか、はっきりさせてほしい」
 ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎に照らされているせいか、女性の姿に底冷えのするような凄みを感じた。
「先ほど嘘発電があればってお話されていたと思うんですけど、私はもうこの島で使われているんじゃないかと思っているんです。そのせいで何か騙されて、巻き込まれた弟は死ぬことになったんじゃないかって。だから弟の死について、人魚なんていうものを持ち出して誤魔化しているのじゃないかって」
 百花は女性を刺激しないよう、そっとグラスを持ち上げ唇を湿らせた。
「嘘発電なんていうものがあるから、みんなが真実を曖昧にしていても平気になってしまったんだと思うんです。やはり人は嘘をつくべきではないですよ。嘘なのか本当なのかをはっきりさせることは、信頼関係を築いていくうえで絶対に必要なことではないですか」
 いろいろな言葉を飲み込み、百花はただ静かにそうですよねと相槌を打ち続けた。

よく眠れないまま、翌日になった。昨夜そう遅くもない時間に部屋に戻ってきた百花は女性の話をうまく消化できず、川原に相談しようかと思いトークアプリを開いた。しかし先だって送っていたお酒の写真にも川原からの返信は楽しんでの一言だけで、連絡することで具合が悪い人間に負担をかけているのかも知れないと思うと、さらに煩わせるような内容を送ることもできなかった。けれど女性の話を反芻しているうちに川原がすべての元凶であるような気さえしてきてしまい、酔いにまかせて電話して文句のひとつでも言ってやればよかったのだがそれもできずに、朝になってもなお、何となく連絡できずにいる。
 朝食を食べた後、ホテルが用意してくれたお弁当を持って海岸の散策へ向かった。
「昨日ご案内した祠の話とつながるんですが、ここはかつて人魚が一目ぼれした男を見たいと海岸ギリギリまでやってきて、姿を見ているのに夢中になっていつの間にか潮が引いていることに気が付かず海に帰れなくなったという言い伝えが残っている場所です」
 ガイドが足元に気を付けてと再三言う。百花と女性は身を乗り出して、高台から海を見下ろした。
「潮の流れが急ですね」
「国内でも屈指の速さですよ。満潮時と干潮時に流れが変わるので、一日の内に四回も波の向きが変わります」
「事故なんかも多そうですね」
 女性が固い声で言った。ガイドの笑みが戸惑ったようにこわばる。
「うーん、まあでも船の行き来なんてほとんどないですからね。地元の人間なら舵効きを考慮して潮流に逆らう時間帯に出入りするでしょうし、他の人間はこっちの海にはほとんど入らないですよ。ダイビングをするなら島の反対側にいい場所があるから」
「でも弟は、ここで亡くなったと聞いています」
 ガイドはぽかんとした表情で女性を見つめたあと、微笑もうとして失敗したかのような複雑な表情で目を伏せた。
「そうか、孝志くんのお姉さんだったのか。毎年来てくれてたから、彼のことはよく覚えていますよ。――人魚に連れてかれちまったんだなあ、孝志くん、いい人だったから」
「そうやってあなた達が誤魔化すから、事故死の捜査がきちんと行われなかったのではないですか」
 女性がいきなり声のボリュームを上げて言った。ガイドの老人はかろうじて保っていた笑みを捨て去り、怪訝な表情で女性を見ている。
「人魚に連れていかれたなんて、そんな説明では納得できません。私は真実が知りたいんです。弟がどうして亡くなったのか、どうして大好きな海で死ななければならなかったのか。人魚に連れていかれたなんて説明がまかり通るのは、世の中が嘘発電なんかに毒されているからでしょう。いくらエコのためだからって、嘘が正当化される世の中なんておかしいんですよ。弟を利用しないでください。私は真相が知りたい」
 女性とガイドの老人がお互いに見つめ合い、じりとすり足で体の据わりを整えている。足元は悪く、崖の終わりは近い。緊迫した雰囲気の中、二人と百花の他に人はいない。どうにか自分が場を収める行動をしなければと決意し、息を吸い込んだ途端、
「この島には、嘘発電は持ち込まれていませんよ」
 聞きなれた声が後ろから投げかけられた。驚きのあまり振り返ると、飄々とした様子の川原が、百花ににこりと笑みを寄越す。咄嗟に言葉が出なかった百花より先に、女性が川原に向き直り静かな口調で問うた。
「証拠はあるの」
「出先でもその近くにある本機を利用して発電できるように、嘘発電のプラットフォームを利用するデバイスは、自らの位置情報を発信しています。ここには嘘発電のデバイスを着けた人間はいない。たとえパチモンを使用していても、うちのクラウドは使うでしょうから」
 川原の口調に、ここの島民ではないと気が付いたらしい女性が怪訝な顔をする。
「弟さんの件、調べさせていただきました。いえ、まずは心よりお悔やみ申し上げます」
 川原がかしこまって頭を下げる。
「真相をということでしたのでお話させていただきます。実際には、弟さんは入るなと言われているこちらの海に潜ってしまったようです。しかも地元の人なら間違いなく避けるような潮の変わり目に。なぜそのようなことになったのかは誰にもわかりません。しかしこの島にも一つ、この岬へ向けた監視カメラが存在し、警察はそれを確認しています。明け方一人でこちらへ向かう弟さんがうつっていたこと、争った跡などが確認できなかったことなどから、事件の可能性は限りなくゼロに近いという結論になったそうです」
「じゃあなぜ、人魚の話なんて持ち出して……」
「彼らにとってはそれが真実だからです。おそらく自業自得だなんて言いたくなかったのでしょう。気持ちのいい人物だったと皆さん口をそろえておっしゃいましたから」
 川原はガイドの老人を一瞥した後、女性に向き直った。
「魅力あふれる人間だから、人魚が連れて行ってしまったんです。そう思わないと、この島の人たちだって彼の死を受け入れられなかったんですよ。なぜあんないい人がと誰もが口をそろえて言いました。でもそうやって起こってしまったことを何とか受け入れ前に進もうとすることは、それを嘘だと明かして、想像するしかない孝志さんの行動に自殺などという名前を付け直すより、よっぽど心安らぐ方法ではないですか。溺れ死んだことを自業自得だったと、または海へ入ったことを自殺だったと暴き断定してしまうことに何の意味があるのでしょう。救われるのは、誰なんですか」
 女性がうつむいた。川原は声色をやわらげ、女性に語りかける。
「風邪をひいてしまった人を、自己管理が甘いせいだと責めたてますか。それより、神様がゆっくりしなさいと言っているのだと声をかけてあげられるほうが、よくはないですか」
 川原は百花と目を合わせ、悪戯っぽく笑った。
「自己管理ができていなかったことが原因だったとして、体調を崩すという罰をもう受けているのに、さらに罰を与えるような役割をもつ事実を、武器のように使用する必要があるでしょうか。そんなときに使える嘘だって存在するんです。嘘だと知りながら、真実ではないなと思いながらも、そうかもしれないことにする。何か自分ではどうしようもなかったことを受け入れて前へ進む、そのための嘘が」
 川原が、わざとらしく口調を切り替えた。
「さあ、人に寄り添うことができて、しかも電気エネルギーを生み出すことができる! いいこと尽くしなこの嘘発電を、あなたも始めてみませんか?」
 川原がゆっくりとした足取りで隣へ来たので、百花は声を潜めて、台無しじゃない? と囁いた。川原は小さく笑い声を漏らす。女性がぽかんとした顔で川原を見つめていた。
「あなたの懸念はもっともです。嘘発電が広まったせいで、今後さらにこの世の中は、人を傷つけるような嘘でも環境破壊に立ち向かうためならば仕方がないという動きになっていってしまうかもしれない。でも、そうじゃない、人を不幸にしないための嘘だって存在する。人を思う心とエコは両立できるはずなんです。僕はそれを証明したい。人を不幸にしないための嘘こそ最も発電効果が高い、そういう装置になるはずなんだ、この嘘発電は」
 ところで、と川原は声を低めた。
「三年前のことを蒸し返し、あなたがここへ来るよう焚きつけた人間がいるはずだ」
「そんな……」
「なぜ今になって、この島を訪れたのですか」
「それは、ようやく心の整理がついたからで」
「僕が少し聞いただけでも、弟さんの件はきちんと調べられた記録が確認できました。おそらく当時、あなたたちご家族にも報告があったはずだ。その中でかけられた言葉として人魚の話があったのかもしれないが、それは正しく慰めの文脈を持っていたはずです。どうして三年も経った今、あなたはこの島の人間が嘘をついて誤魔化しているなどと思い込むことになってしまったのか」
 川原が一つ空咳をした。
「嘘発電のせいだと言っていましたが、貴方は誰かにそう吹き込まれたのではないですか。嘘発電が急速に広まったのはここ一、二年のことで、弟さんが亡くなられた当時、この島どころか新しい物好きなインフルエンサーたちの中にも、嘘発電のことを取り上げている人なんて誰もいなかった。悪意を持ってあなたに接し、そそのかした人がいるんじゃないですか。それも、ここひと月のうちに接触してきた人間が」
「どうして……」
「それは、僕がこの島への旅行を決めたからだ」
 百花は驚いて隣に立つ川原を見上げた。川原はちらりとも百花を見ることなく続ける。
「僕には敵がいる。僕の嘘発電を無効化しようとして、嘘なのか本当なのかを決定しようとしている厄介な連中がいるんだ。あなたはおそらく、僕がこの島に来ることを知った彼らに利用されたんでしょう」
 女性は静かにうなずき頭を下げた。百花はそっと川原の袖を引く。
「……川原さん、やっぱりそんな危ないことからは足を洗った方がいいよ」
「犯罪者かのように言うのはやめてくれない?」

百花は川原と二人、港で帰りの船を待っている。定期船は明日しか来ないはずなのだが、今朝、川原が乗って来たチャーター便が、呼び戻されて来てもうじき着くらしい。金持ちめ、と思ってもいない悪態を心の内で呟いてみる。ところで、
「川原さん、もう体調は大丈夫なの?」
「一晩ぐっすり寝たら良くなった。やっぱり疲れがたまっていたみたいだね。昨日無理やり来なくてよかったよ、ありがとう」
「今日は無理やり来たんだ?」
「そりゃあね。百花が困っている気配を察知したら来ないわけにはいかないでしょ」
「私が困ってから向かったんじゃあ、あの場に間に合わないと思うけど」
 それに、と百花は見えないことが分かっていながらも、女性が今夜も泊るはずのホテルの方角を振り返った。
「彼女の弟さんのことなんて、どうやって調べたの?」
「百花の助けになるなら、何だって出来るよ」
 百花は川原の顔を一瞥もすることなく、手首を握って嘘発電のデバイスをチェックしようとした。
「ちょっと、あんま触らないで。俺のプライバシーでしょうが」
「これで嘘ついたかどうかわかるの、便利じゃない? そういう用途で売り出してもいいかもね」
「そういうものじゃないから。騙される人がいないと発電されないんで」
 ひとしきりデバイスの閲覧をめぐっての攻防が行われたが、川原は百花を振り払いこそしなかったものの、画面を絶対に見せようとしなかった。
「それで、本当は?」
 諦めた百花が距離を取って対峙すると、川原も向かい合って百花を見おろす。
「嘘つきだと思ってる男に聞いてもしょうがなくない?」
 それはそうだけど、と答えようとして、百花はすんでのところで言葉を飲み込んだ。常日頃から飄々とした態度を崩さない川原には珍しい、むすっとした表情を浮かべている。
「拗ねてる? ごめん」
「別にいいですよ。信じてくれ、なんて言える立場じゃないですし」
 フォローの言葉を探している気配を察したのか、川原が軽くため息をついて笑った。
「僕が嘘つきだと知れ渡った時点で、僕の嘘発電はほぼ機能しなくなる。だから今、百花との間には発電なんて関係してないよ。これは本当」
「でもすぐ嘘つくじゃん。本当のことはなかなか教えてくれないし」
「それは嘘というより、僕がそういうコミュニケーションを好むからですよ。性格です。でも、だから余計に狙われているっていうのもあるのかも」
 百花からの反応を期待した発言ではないのだろう、後半は聞き取られないことを前提としたような音と速さだった。そのことが妙に悔しくて、百花は一歩、川原に近づく。
「川原さんが何に狙われているのかわかんないけど、何かに対抗しているっていうのは何となくわかるよ」
 うーんと川原はため息まじりの唸り声をあげた。
「やっぱり言うなら、嘘なのか本当なのかを決定しようとする人たち、なんですかね」
 遠くでかすかにエンジン音がする。迎えの船が近づいて来ているらしい。川原も気が付いたのか、すっと遠くへ視線をやった。声も自然と奥行きを持つ。
「今年になってちらほらと、そういった場面に出くわすことが多くなってきました。嘘か本当かを決定してしまい、それを広めることで発電効果をなくすことが狙いなんだと思います。今回のことは僕の嘘が対象ではなかったので、気づくのが遅れてしまいました。これらが嘘発電そのものへの反発なのか、僕個人の失脚を狙ったものなのか、目的はいまいちはっきりしません。でもまあ敵が何であれ、どうにかします」
 わざとらしく肩をすくめたあと、ところで、と川原は百花の顔を覗き込んだ。
「リベンジ旅行ということで、次は東北の方へ行きませんか。滝が見られる温泉なんていいですよね」
 百花はじっと川原の目を見つめる。
「あのさ、河童とかそういうのがいるから行きたいって言ってるんじゃないよね?」
「まさか」
 川原がにこやかに笑っている。百花がちらりと視線をやったのがわかったのか、川原は腕に着いたデバイスを手のひらでさっと覆った。
「出ないってば。やっぱり嘘発電機が嘘発見器のようになるのはよくないね。リアルタイムの発電量メーターは表示できない仕様にするよ」
「そんな風に使ってる人もいると思うけどなあ」

ひときわ大きなモーター音をあげて船が着岸した。満潮なのか、陸から浮き桟橋まで渡された道が上り坂になっている。水面に向かうのに、坂を上るのは何だか不思議な気分だった。
 甲板で風を浴びながら、ゆっくりと遠ざかっていく島を二人で眺める。
「広めなくてよかったの?」
「何が?」
「嘘発電。だってこの島にある人魚伝説、理想の嘘なんでしょ? 島の人たちに嘘発電を使ってもらえば、川原さんの目指す、人を傷つけない嘘が嘘発電には有効っていう説が検証できたんじゃないの?」
「この島に嘘発電は必要ないよ」
 ひときわ強い風が吹いて、川原が気遣うように百花の肩に手を回した。
「電気を使わない生活ってこと?」
「そうじゃなくて。僕が本当に目指しているのは、嘘発電を広めることじゃない。嘘発電を上手く使うことによって、嘘発電にあの島の人魚のような、妖怪のような役割を持たせられるのではと考えていて。量子が粒子であり同時に波でもあるように、物事の多くは、見方を変えれば嘘にもなり本当のことにもなる。嘘かもしれない状態を嘘かもしれない状態のまま受け入れることができて、世の中が曖昧さを取り戻していくことで、嘘だと指摘することが正義だとするよりももっと生きやすくなる人が多くなるのではと思っています。もちろん慎重にならないといけない場面はたくさんあるし、白黒つけないといけないこともたくさんあるだろうけどね」
 百花には続く言葉は思いつかなかったけれど、言いたいことはわかる気がした。
 波の音が流れる心地よい沈黙が続く。なんとなくスケールの大きな物事に対峙している気分だったのだが、百花は自分のお腹の鳴る音で急速に我に返った。船や海の出す様々な音で、絶対に自分以外には聞こえていないだろうことが救いだ。
 百花は、おやつに持ってきていたが食べる機会がなかったクッキーを取り出した。
「お昼食べ損ねたからお腹すいた。川原さんは……こういうのは食べないか」
「食べる」
「甘いもの嫌いじゃなかったっけ」
「なんか、意外とそうでもないみたい」
「え? まあじゃあ、いいけど……」
 甲板の手すりから手を離す気配がないので、百花は川原の口元にクッキーを運んでやった。ちらりとその腕に着いた嘘発電機が目に入ったが、今度はそのメーターを確認しようとはしなかった。

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