先知者プレディクター

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梗 概

先知者プレディクター

情報統制と人種混合が進んだ、猥雑なアジアの一都市。ハッカーのカズマは詐欺師をしつつ、SNSやニュースサイトでフェイクニュースを流し、嘘で右往左往する人を見るのが好きだった。ある時、カズマの投稿のせいで損害が出たため、SNSを管理するグローバル企業、「DEMBO伝法」に捕らえられる。

天文学的な損害賠償額を提示しつつ、DEMBO側はある提案をする。曰く、扇動的な書き込みをするが、どうしても捕まらないアカウント「先知者プレディクター/未来予測師」の中の人を見つける手助けをしてほしい。犯人を捕らえれば今回は見逃す。カズマは提案を呑み、DEMBO側の監視役で善良なAI、ジョン・スミスを騙そうとしながら調査を進める。

先知者はカズマのような愉快犯ではなく、投稿によって人々の行動を左右する。そんな中、先知者そっくりの偽アカウントを発見したカズマは、手掛かりだと思って言葉巧みに誘い出した。相手は女性で阿夢アムと名乗り、先知者がDEMBOに流したフェイクニュースのせいで家族を失って自分の無力さを思い知らされ、先知者の消去を望んでいた。

利害が一致したカズマたちは、先知者を探す。阿夢の積年の調査と、カズマが集めた情報と、ジョンによるDEMBOの情報を解析して先知者を発見し、居住地へ赴く。
 対峙した先知者く、自分は技術者で確度の極めて高い未来予測を研究、末ノ漏刻すえのろうこく/Doomsday Clock/世界終末時計の進化版を発明した。そして不安を煽るフェイクニュースで人の弱さにつけこみ行動を操作することで、破滅に寄与する出来事を回避しているのだと言い、阿夢の家族は必要な犠牲だったと告げる。
 先知者の示す情報とジョンの解析結果を見て、カズマは発言が嘘ではないと確信する。

カズマには、先知者の発言に共感するところがあった。
 子ども時代、災害難民になったカズマの家族は狭い居住区に閉じ込められた。善人の両親は周囲に、いつか誰かが救ってくれると告げて反乱を避けようとしたが、ある日居住区が襲撃され、両親は裏切者呼ばわりされて殺害されてしまう。
 嘘をついて居住区を脱出したカズマは、初めて空を見た。
 目の眩む青さに浸りながら、カズマは、不幸な予測が外れると安堵して責めないが、幸福な予測が外れると激怒する人の弱さを理解する。そして不安や恐怖で騙す詐欺師になると決めた。

過去のカズマの居住区の襲撃も、先知者の操作によるものだった。しかし今のカズマは、他人の弱さを許せず、本音でぶつかれない自分が最も弱いと知ってしまったし、いつしか絆を築いていたジョンと、自分の鏡のような存在の阿夢を失いたくなかった。
 カズマは阿夢を止めようとするが叶わず、阿夢は先知者を殺害し、末日漏刻の針は急速に進む。カズマは阿夢を気絶させ、ジョンをDEMBOへ転送し、末ノ漏刻を手にして逃亡して先知者になりかわる。

文字数:1199

内容に関するアピール

「嘘そのものより、嘘やデマを発する人や物のドラマに力点を置く」ということで、登場人物全員(AIのジョン以外)が嘘やデマを吐く話にしました。

この話での嘘は「事実と異なることを、事実でないことを知りながら、相手が信じることを意図して伝達する」という意味に捉えています。

カズマは、自分の嘘に左右される人を見るのが好きな詐欺師でしたが、真摯に向き合ってくれるジョンや、自分の鏡のような阿夢と関わる中で、自分が一番弱いという事実に気づきます。

阿夢は、大局のために自分を含む弱者を犠牲にする先知者を見過ごすことができません。
(彼女は嘘はつきますが、自分の気持ちに対しては正直です。)
 カズマはそんな阿夢に一定の理解を示しつつも、先知者がいないと、阿夢を含めた守りたい人々が巻き込まれる破滅を危惧します。そして最終的には最悪の事態を防ぐために、大きな嘘(事実と異なる悪いニュース)をつき続ける道を選びます。

文字数:396

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先知者プレディクター

1.
 東都とうとの繁華街を行き交う人々は、立ち騒ぐ波のようにせわしない。
 雑踏を抜け、裏通りに面したマンションから自室に入ると、カズマは視線誘導で電源を起動させた。めまぐるしくニュースを映し出す超薄型のモニターを確認しながら、ユーザ数随一を誇るSNS、DENPOのトレンドニュースを開き、鈴鈴れいれい、という単語で検索する。頻繁にゲリラライブを行う、今売り出し中のアイドルの名だ。
 無数の関連記事が表示される。画像が物語るのは、雑踏で倒れ込む群衆、踏みしだかれた荷物、道に残る血痕、搬送される人々。
 こんなつもりではなかったと、カズマは反芻する。
 数時間前、鈴鈴が神饌しんせん通りに来るらしい、と書きこんだ。鈴鈴の予定など知らないが、そう書きこめば騒ぎになり、街が盛り上がるかと思ったのだ。
 実際は、本物の鈴鈴がやってきて、ファンが押し寄せ、暴動が起きてしまった。
 鈴鈴に関する書き込みを追う。するとカズマの投稿を引用する形で、「鈴鈴、神饌通りでゲリラライブ!?」というポストが追加されていた。それを引用して無数の人々がポストを行う。曰く、鈴鈴に会いたい、鈴鈴はどこだ……。
 目を見張り、最初に引用してきた主を確認した。アカウントを見ると「P」と記載がある。画像を設定する部分は真っ白で、プロフィールなどを見ても手がかりはない。
 DENPOを閉じ、気持ちを切り替えようと試みながらグラフを見つめる。数値管理ソフトで出力された値は現在上昇中だった。潮時だと判断したカズマは値を操作し、所持している株を手放した。そしてSNSやフリーや有志の掲示板や辞典やニュースサイトをチェックし、書き込み、自作のプログラムからダミーのアカウントで拡散させる……
 胸が高鳴る。呼吸が早まる。脳内で神経伝達物質が駆け巡るのが分かる。
 この瞬間が好きだ。クリックするだけで金が動く。言葉を入れるだけで人々が動く。社会との不可思議な接触。数字と言葉のセンスが生活を支える。緊張と隣り合わせの虚無感。
 マシンから警告音が鳴り響いた。緊急の通知だ。仕方なしにメールを開くと送信元はDENPOからだった。相手はカズマの本名と共にクロウCrow/烏というアカウントも記載しており、明日本社に来てほしい、さもなくばアカウント凍結だけではなくしかるべき処置を取る、警告を無視しても状況は悪化するだけだ、と告げていた。
 ごくりと唾を飲みこんだ。今回の鈴鈴の件のみならず、思い当たることがありすぎる。数日単位で利益が上がる金融商品、新素材の金属の開発への投資、コンピュータウイルスに感染させて駆除のワクチンソフトを売りつける手口、等々。
 しかしながら、カズマは独自ルールを設けていた。特定の相手に甚大な被害を及ぼさず、ほどほどの損害で引き上げる。被害者は自分の愚かさをさらすことで破滅することを避け、カズマを訴えたりはしない。さきほどの鈴鈴がらみの騒動に関しては、カズマのポストが遠因とはいえ、一番の加害者はPと名乗るアカウントだ。
 夜も更けている。街で購入した怪しげな睡眠導入剤を、栄養ドリンクに混ぜて飲み干した。自分のやったことが人々を動かしたという僅かな充実感は、DENPOからの呼び出しで打ち消されていた。眠れそうにないと思ったが、泥のような眠気を自覚した次の瞬間に暗闇が訪れた。
 
 DENPOの社屋がある地区は広くて清潔で整然としており、狭苦しくて不潔で混沌としたカズマの居住区とは正反対の印象である。机と椅子が向かい合わせに並ぶ、取り調べ室のような空間に案内された。天井の明かりが、空間を隈なく照らし出す。居心地の悪い思いをしながら、カズマは無機質な椅子に身を沈めた。
 突然、空中モニターに光が灯る。人間のシルエットが映るが、顔は見えない。
「セイ・カズマ、ですか」
 澄んだ声。相手の顔を想像できない合成の声だ。カズマは重たい口を開く。
「どうかな」
「お呼びだてして、申し訳ありません」
 相手の言葉に、カズマは首を横に振りながら告げる。
「警告を無視するな、とは、なかなかの威圧感だな」
「そうでも言わないと、あなたは来ないですから」
 淡々と語る相手。カズマはぶっきらぼうに言い捨てた。
「手短に頼む」
「あなたは昨日、神饌通りの暴動に一役買いました。警察はテロだと認識して首謀者を追っています」
 モニターに昨日の騒ぎが映し出された。相手は畳みかけるように告げる。
「こんなことになるとは思っていなかった。そう考えていますね」
「俺のせいじゃない」
「全部あなたのせい、というわけではない。でもあなたの書き込みがきっかけで騒ぎになったのは事実です」
 カズマがモニターから目を背けると、相手は言葉を続ける。
「このままあなたを警察に引き渡すこともできます」
「……証拠不十分で、すぐ出られるさ」
「今まではそれで通ったでしょう。でもあなたはDENPOできわどい取引をしていますね。ご存知でしょうが、削除しても履歴は全て残りますので」
「なんのことか、分からないな」
 どこまで知られているんだろう。カズマは頭の中でシミュレーションしながら口を開く。
「警察に突き出さないかわりに、やってほしいことがあります。あなたが適任の仕事です」
 そう言うと、モニター越しの相手は微笑んだ。
「あなたの書き込みを引用した人物を調べてほしいのです」
「あの『P』という人物のことなら、何も分からない」
 カズマがモニターを睨みつけてそう告げると、相手は頷きながら説明する。
「我々はユーザのことを調べられますが、Pは我々の裏をかく形で隠蔽しているのです。でも自由に動けない私達と違って、あなたは動き回れます」
「Pを調査しろというのか」
「成果が上がれば、今までのことも、今回のことも、なかったことにします」
「すこし考えたい」
「今決めてください。報酬は払います。そうでなければ今警察にコールします」
 モニターに提示された数字を見て、カズマは悪くない話だと判断した。これだけの金があれば、あの居住区から足を洗えるし、しばらく何もしなくても生きていける。それに何より、刑務所に入りたくない。
「……分かったよ」
 カズマの言葉と共に、扉から人が登場した。ロマンスグレーの髪に、チャコールグレーのスーツ。善良そうな灰色の瞳の壮年男性だ。柔和な印象で、瞳の奥で光が不規則に点滅している。
 相手は手を差し出して言った。
「始めまして、私はジョン・スミス一般人、君を補佐する役目だ。やりとりは聞かせてもらった」
「ふざけた名前だな。俺は一人でやれる。邪魔だ」
 言い捨てるカズマに、ジョンと名乗った人物は頷いて告げた。
「そうかもしれないが、私がいたほうが早いし、今回の仕事は、私が一緒であることが条件の一つなんだ。私は知性体で、情報を集積するのでね」
「知性体は単なる電子機器だろ?」
「それじゃ同行できないから、人工身体に入ったんだ。どうだい? よくできてるだろ」
 ジョンは笑みを浮かべながら、ぎこちなく回ってみせる。椅子がガタガタと揺れた。
「……監視役ってわけか」
 カズマは苦々しく呟きながら、そのうちこいつを騙して消えよう、と心に決めた。
 棘のあるカズマの言葉に臆することなく、ジョンは感じのよい笑みを浮かべた。
「そんな言い方されると、傷つくなあ。私だって、結構役立つと思うんだ。例えば身代わりになるとか」
 そう言いながら、カズマの前に手を突き出した。
 仕方なしに、カズマはその手を握った。ジョンの手は肉厚で柔らかく、今まで握手した中で一番温かみを感じさせる掌だった。

2.
「俺のこと、知ってるんだよね」
 カズマの質問に、ジョンが大きく頷いて告げる。
「君は詐欺師で、周りの人を傷つけて生きてきた」
 上品な口ひげを合成ハンバーガーのケチャップまみれにしながら、ジョンは発言する。
 DENPOに気圧された上、調子を狂わせる人物と組まされるなんて、カズマは心外だった。
「間違ってないな。ていうか、知性体ってものを食うのか?」
「有機体だから消化できるし、毒なら反応するよ。ところで信用してくれる人を裏切るのは、どんな気分だい?」
 カズマの分のフライドポテトにまで手を伸ばしながら、ジョンは質問してきた。
 どう言ったものか迷っていると、周囲の光景が目に入ってきた。
 けばけばしい内装で有名なバーガーショップに、ジョンの小奇麗な服装は明らかに浮いている。
「自分の言葉に周りが振り回されているのを見るのは、楽しいよ」
「Pもそういう心境でやっているのかな」
 無邪気な様子で話すジョンに、カズマは考え込む。
「全く違うとは、言いきれない気もするな」
 カズマは考えながら、ふと、なぜこいつに自分の考えをそのまま語っているんだろう、と思った。
 目をぱちくりとさせながら、ジョンは告げた。
「なるほどね。もしかするとPは何人かいるのかもしれないな」
 カズマは手元の端末で、DENPOでのPの発言を検索した。似たようなアカウントで活動しているアカウントが複数あるようだ。ジョンに尋ねてみる。
「なあ、Pをうまく真似しているアカウントをピックアップできるか?」
「できると思うよ」
 そう告げると、ジョンが端末を取り出して検索する。
「あんたは知性体なんだろう。そんなことしなくても、接続できるんじゃないのか?」
「できるさ。でもそれだと、私の中で完結してしまうからね」
「もしかして、俺と共有するために端末を使ってる?」
 ジョンは頷きながら、端末を見せてくる。いくつかあるアカウントの中で、P~ピーチルダというアカウントは特別だった。いかにもPがやりそうなポストや、中にはPに先んじているであろうポストまである。
「単に真似てるだけではないな……何が目的なんだろう」
「だったら、直接聞いてみるかい」
 ワームミルク風味のシェイクをすすりながら、軽い口調で言うジョン。カズマはコーヒーを吹き出しそうになる。
「返事なんて、あるわけないだろ」
「やってみなければ、分からないさ。Pは返事しないが、偽物のPだったらするかもしれない。そういう人は、周りに知ってほしくてやっているのだろうし」
「じゃあ、このP~がどこにいるのか分かるか?」
「アドレスから大体の見当はつきそうだ」
 そう告げると、ジョンは小首を傾げながら視線を動かす。目の奥の光が僅かに強まる。
「ポスト場所はほぼ3パターン程度に絞られるね。今いる中央地区か湾岸地区、もしくは少し離れたミッドシティのスラムだ。最近スラムの割合は少ない」
「だったら中央地区か湾岸地区か。ちょっと試してみるか」
 カズマがP~のポストをいくつか引用した後、ダイレクトメッセージを入れる。

――直接会って話をしたい。中央地区か湾岸地区にいるんだろ?

 すると少しの沈黙の後、端末が震えた。
 にわかには信じられなかったが、送信元は間違いなくP~である。

――場所はこっちが指定する。受付で『アップル』と言って。

メッセージと共に地図が送られてきた。湾岸地区だった。
 二人は流しの無人タクシーを拾って目的地に向かった。道すがら、海が見える。海水は淀んで黒々としているが、海面は街のネオンサインを映し込んでメタリックな光を跳ね返して色づいている。時折目に入る赤い色は神饌通りの暴動を思い起こさせる。カズマは目を閉じた。
 目的地に到着した。倉庫が並んでいる。辺りを見渡すと、倉庫の小さな窓が開いた。カズマが指定通りにアップルと告げると、扉の片隅が開いたので、二人は中に入り込んだ。
 内部はフラッシュライトが閃き、レザーの黒い衣装を纏った男女が躍っている。首輪をつけた大男に鞭を振るう小柄な女、巨大な角をつけた美女もいる。ジョンはきょろきょろして周囲に気を取られている。
 チャンスだと、カズマは思った。隙を見て逃げてしまおう。監視されるのはまっぴらだし、ジョンは何かと邪魔だ。Pの正体なら、最悪、一人で突き止めてみせる。
 隙を伺っていると、ジョンは善良な眼差しでカズマを見つめて言った。
「随分騒がしいな。ここはどういう店なんだい」
 のんびりした口調だった。カズマが説明に窮していると、水着のような衣装をつけて全身の刺青を際立たせた店員の一人が、つっけんどんな態度でメモを渡してきた。汚い文字で、奥へ、と書かれている。
 七色に光るブラインドや薄い膜のようなカーテンに区切られた部屋を行きすぎ、最奥の部屋に辿り着くと、暗がりの奥にどっしりとしたソファがあり、人影が見えた。
「P~か?」
 カズマの言葉に、相手は変声期前の少年に似たハスキーボイスで言葉を返してくる。
「そう。あんたがクロウ?」
「だったらどうする?」
「舐めないで」
 緊張が走る。暗くても伝わってくる、殺伐とした空気。そんな中、だしぬけにジョンの大らかな声が響く。
「立って話すと落ち着かないだろう。とりあえず座ろうか」
 言いながら、ジョンはソファの向かいの椅子に座り込んだ。カズマも黙って隣に腰掛ける。
「Pのアカウントを真似てポストしているよな。なぜなんだ?」
 カズマの言葉に、相手は考えながら言葉を続ける。
「目的は、Pの正体を暴くこと。なかなか尻尾を出さないけれど」
 そう言うと、相手はグラスを口に近づけた。
 カズマの目が慣れてきた。P~は女性だった。華奢な体、肩先で切りそろえた黒髪、切れ上がった黒い瞳が印象的だ。こちらを見つめる眼差しはひりひりと光を帯びていて、切りつけられるようだ。
「クロウ、あんたの最近のポストは確認させてもらった。Pのせいで迷惑をこうむってるわけね」
 鋭い声。言動は読まれている。カズマは、今は相手の苛立ちを誘発しても逆効果だと判断した。
「ああ。こっちにいるジョンはDENPOからの監視役だ。中身は知性体だが」
「おじさんはDENPOの使者ってわけ。高級品だね」
 P~の言葉に、ジョンが頷きながら告げる。
「神饌通りの騒ぎもあって、我々はPを追いかけているのさ。君は何があったんだね?」
 P~の1.5倍くらいの速度のジョンの言葉に、P~は少し考えながら口を開く。
「私はこの国の生まれじゃない。ウルグスタンの出身」
「国土がほぼ砂漠で、かなり限られた場所でしか生きられないと聞いたが」
 呟くカズマに、P~は深く頷いた。
「正確には、過疎地に住むと襲われるから、そうせざるをえない。そんな国になったのは、他国の干渉と近年の内乱のせい。内乱が一番ひどかった時、私と家族は北端のラサに住んでいた」
「あの、街の半分が殺され、三分の二が家を失った暴動があった?」
 カズマの問いに、相手はゆっくりと口を開く。
「そう。あの暴動は、街にスパイがいるっていう噂が原因だった。みんな体制に不満を持っていたから、一言も批判していない人間なんていない。それで疑心暗鬼になった」
 目を閉じるP~。気持ちを落ち着けているのだろう。
 その様子を見て、ふと、カズマの中で、遠い昔にしまいこんだ記憶が疼いた。
 落ち着け。内部の決裂が集団を全滅させるなんて、珍しいことじゃない――
 自分に言い聞かせて深呼吸をし、懸命に気持ちを鎮める。
 P~はそのまま言葉を続ける。
「ラサは古くからの住民と新興の住民で二分されていた。新興の住民が狙われた。私の家族は殺され、私一人だけが車に乗せられて、国境付近まで逃げおおせた。運転手は言った。俺ができるのはここまでだ、このフェンスを乗り越えるか否かは自分で決めろ」
 遠い目をするP~。何かを思い出しているのだろうか。
「フェンスを越えようとした運転手は感電して死んだ。私たちは犠牲になった運転手や、彼の荷物をばらまいて、踏みつけにして国を渡った。感情なんて凍ってた」
 グラスの液体で唇を湿らせながら、言葉を選ぶP~。カズマは、何も言えない。
「移動先で気に入られた子は養子として迎えられた。それ以外は召使になったり、逃亡して森で暮らしたりした。私は街に入り、その日暮らしをするようになった」
「その話に、Pは関係あるのか?」
 カズマの言葉に、相手は眉を顰める。
「これから関係する。その暴動は、DENPOの『ラサにスパイがいる。新しい奴らの中に』ってポストが原因だったの。ラサ人は比較的素朴な人が多い。大勢騙された」
「じゃあ君の街は、家族は、Pのせいで犠牲になったのか?」
 重たい空気の中で問いかけるジョンの言葉に、P~はゆっくりと頷いた。
「直接の原因じゃないともいえるかもしれない。でも遠因ではあったわけだし、責任の一端はあるでしょう」
 言葉の重さを感じながら、カズマは思う。
 そうとでも思わないと、憎しみを支えにしないと、生きてこられなかったのだろう。
「復讐のために、追っているのか」
 カズマがそう呟くと、ジョンがP~の顔を覗き込み、頷きながら言う。
「我々もPを追っている。どうだい。利害が一致した者同士、協力しないか?」
 虚を突かれた様子のP~は、ごくりと唾を飲みこんだ。ほどなくして、ようやく口を開く。
「……私は復讐のためにPを探してる。目的の重さが違う」
「でも、正体を突き止めたいというのは同じだろう? 我々も君も、相手の正体が分かったら万々歳だ」
 能天気なジョンは、全くペースを乱されないようだ。カズマはジョンを肘でつつき、小声で言う。
「いいのか? Pを殺す気だぞ」
「そうなるとは限らないだろう。やってみなければ、分からないさ」
 ジョンの声はよく通り、相手に筒抜けだ。やがてP~が苦笑し、立ち上がって告げる。
「やってみないと分かんないっていうのは至言だね。行き詰まってたところだから、ひとつ、手を組んでみようか。失敗したり、誰かが捕まっても恨みっこなし」
 ジョンが手を差し出す。カズマとP~は、恐る恐る手を重ねた。
 カズマはP~に訊ねた。
「何て呼べばいい? P~ピーチルダは言いづらい」
「私は阿夢あむ。クロウ、あんたは?」
 阿夢と名乗る相手の言葉に、カズマは頷きながら、
「俺はカズマで、こっちはジョン・スミス」
 そう告げると、阿夢はぷっと噴き出しながら言った。
「ジョン・スミスって、名前も冗談みたい」

3.
 阿夢は二人を街はずれの古びたアパートへ導いた。錆びついた扉を進むと中庭が広がり、緑青の浮いた螺旋階段が見えた。庭に面した廊下の色褪せたモザイクタイルや、洗濯物が干してある廊下の手すりに施された彫刻に、過去の美しさの残滓が漂う。
 室内は殺伐としており、ベッドと机と椅子しかない。机の上には巨大なモニターと分厚い筐体が鎮座しており、わずかな隙間にチケットやチラシやノートの切れ端などが摘みあがっている。
「私が知ってる限り、PはDENPOが開始してすぐに活動を始めてる。最初のうちは、他のアカウントと同じようなポストしかしていなかった」
 マシンを立ち上げながら告げる阿夢。
「より正確に言えば、DENPOのサービス開始と同時にアカウントを作っているなあ」
 ジョンが動きを止め、眼の奥を激しく点滅させながら語る。
「サーバに接続してるのか……そういや、あんたが知性体だってこと忘れてたよ。Pが書いてる場所はいろいろだろうが、手掛かりはないのか?」
 カズマの言葉に、ジョンは再び動きを止める。
「知ってたら、とっくに言ってるさ」
「じゃあ、分かってる範囲で場所と時間を教えて」
 阿夢の言葉に、ジョンは阿夢のマシンの前に座り、いっしんに指を動かした。一通り終わったところで、阿夢はジョンに代わって座り、データをじっと見つめた。
「ちょっと分かったかも。あんたたち、いると邪魔だから、ちょっと出てて」
 阿夢にそう言われて、二人はアパートを出た。辺りは人の気配が極端に少ない。二人はしばらく歩き回った後、トタン屋根の家の壁にコーヒーカップのペイントがある店に入った。カズマは先ほどの数字の羅列をぼんやりと頭に浮かべながら、手掛かりを考える。
「このコーヒーは、ひどく酸っぱいなあ」
 手渡したコーヒーを口にしたジョンの言葉は率直だ。カズマは適当な相槌を打つ。
「きっと昨日淹れたのさ」
 そう言いながら、カズマはふと思い立つ。
「DENPOは開発当初、予約投稿と、過去投稿のしくみがあったって聞いた。そのデータも渡した方がいいんじゃないか? ごまかしてる可能性もあるし」
 カズマの言葉に、ジョンは頷いて端末を取り出して操作した。それからほどなくして阿夢から、戻ってきて、という連絡が入る。二人がアパートに戻ると、阿夢は空中モニターになにかの表を映し出していた。
「つかめたよ」
 その値を見ても、カズマはあまりピンとこない。
「表面的な場所と時間で統計を取っても手掛かりはなかった。過去登録を受け付けていた時期の設定値と実際の値を比較して移動手段と傾向が予想できたから、予約も含めて数が多い場所を割り出してマトリクスにして……」
「もっと分かりやすい図は、ないのかね」
 ジョンの言葉に、阿夢は画像を切り替えた。世界地図のようだ。点在するポイントに規則性など見出せそうにない。
「これは投稿時点のPの居場所。この中から一定数以上書きこんでいる場所を調べると、これだけ絞られる」
 阿夢の言葉と共に、一気に点滅が減る。大きな光を放っているのは4つになった。
「最近、一番多いのはこっち」
 そう告げて指さす場所には、耀都ようとと書かれている。
 文字を見てカズマは、少し体がびく、と震える。
「耀都か。数十年前まで栄えていたね。第二の東都になるはずだった」
 ジョンは頷きながら言った。
「私はほとんど覚えていないけれど、別都市の境界線で争ったんだよね。確か」
「このへんは文化圏が複雑だからな……どうしたカズマ、大丈夫かい?」
 ジョンの問いに、カズマは動揺を知られたくなくて、わざとぶっきらぼうに告げる。
「耀都に行った方がいいってことか。どの辺りか分かるか?」
 その質問に、阿夢は地図を見ながら頷く。
「そうだね。実は、この場所からの発信が一番多いんだけど……」
 言いながら、阿夢は指先を拡大する。ジョンとカズマは現場の画像を見て、顔を見合わせる。

列車で耀都に入り、目的地に到着したが、みずぼらしい掘っ立て小屋が建っているきりだった。ジョンは礼儀正しく扉をノックしたが誰も出ないので、しびれを切らした阿夢が乱暴に扉をこじ開けた。内部は人の気配がなく、丸テーブルと椅子が二脚、最低限生活できそうな食器、それに壁に鋸や金槌などの工具がごちゃごちゃとかかっている。
 ジョンが椅子をひいて腰掛けると、次の瞬間、彼は椅子ごと消え去った。慌ててカズマが駆け寄ると、椅子とジョンがいた場所に大穴がぱっくりと口を開いている。残った二人は顔を見合わせた。
「どうする?」
「行くしかない」
「いや、どっちが先かっていう」
「あんたでしょ。私の方が体重は軽い」
 有無を言わせぬ阿夢の言葉に、カズマは仕方なくダイブする。考える暇もなく、柔らかい何かにぶつかったかと思うと、もっと柔らかい何かが勢いよくぶつかってきた。首を回すと、足元ではジョンが顔をしかめ、背中では阿夢が眉をひそめている。
「やあ、来てくれると思ったよ。しかし痛いな」
 呟くジョン。カズマは阿夢の体を起こしてやりながら、周囲を見渡した。この部屋は空っぽだが、どこからか足音が近づいてくる。
「想定されてはいるが、招かれざる客か」
 現れたのは男だった。小柄な阿夢はもちろん、細身のカズマや中肉中背のジョンより背が高い。男は三人を奥の応接間に導いた。居心地の良い空間だ。ベージュのレザーのソファに同色の椅子、毛足の長い絨毯はしみひとつない。
 三人はソファに腰掛け、向かいに男が座った。カズマは男の背後にある機械らしきものが気になった。長さは30センチほどだろうか、円柱を横に倒したような透明のケースに入ったそれは、片側にある銀のコインのような円形から、糸のように細長いオレンジと緑の光を断続的に発し、反対側の丸いコインに集積させている。
「あんたがPか?」
 カズマが尋ねると、相手は首を縦に振る。
「ああ。君たちが私を追っているのは知っている。君がクロウ、そして私の真似をしているP~だね」
「あと、私はジョン・スミス。クロウと一緒に行動している」
 男はジョンをじっと見つめる。
「一緒に行動しているとは、どういう意味だ」
「ジョンはDENPOが俺につけた監視役さ。あんた、奇妙なところに住んでるね」
 カズマが答えると、男は頷きながら答える。
「ああ。ここは私が所持しているんだが、誰も注目しない土地柄と建物が便利でね」
 その時、阿夢が苛立ったように言った。
「雑談しに来たんじゃないんだけど」
「そうか。君は私を殺しに来たんだね」
 それが分かっているのに、ここに導いたのか? カズマが驚いていると、阿夢が告げた。
「そう、私の両親は、ラサであんたに殺された」
 男は小さく手を広げると、納得したように言う。
「なんと。君はラサの暴動の生き残りか。あの時は気の毒だったね」
「気の毒も何も、あんたが撒いた種じゃない」
 カズマは阿夢を見た。
 切れ上がった目尻が、いつにもまして険を帯び、息は上気している。今にも飛び掛からんばかりだ。
 まずい。反射的に阿夢の手にそっと触れた。するとか彼女ははっとした表情を浮かべ、乗り出していた体を戻した。
 Pはそんな阿夢を見つめながら、ゆっくりと諭すように語る。
「君は家族を失った。でも君は生きている。あの暴動がなければ、君も生きていない。なぜなら、数日後に事故を装ってロケット弾が撃ち込まれる予定だったからだ」
「……適当なこと言いやがって」
 阿夢は呟く。しかしカズマは、Pの口調から、でたらめを言っているようには思えなかった。
「君たちは、『世界終末時計』を知っているか?」
 背中を向けて円柱の機械に向き合うPの言葉に、ジョンが頷いて答える。
「人間の滅亡する瞬間を『午前0時』として、それまでの残り時間を計測する時計だろう。雑誌の表紙のデザインだが、どこかの大学に時計のモデルもあると聞いたが」
「ああ。その時計は未来を予知するものではなく、危機を示す象徴的なものだが、私は実際に人類の滅亡時間をシミュレーションする道具、末ノ漏刻すえのろうこく/Doomsday Clock/世界終末時計を発明した。これが実物だ」
 Pは、先ほどカズマが眺めていた、円柱のかたちをした機械を三人の目の前に置いた。オレンジと緑の光が少し揺れ、絡まってはほどけて集結する。
「どういう意味か、よく分からないな」
 カズマの言葉に、Pは苦笑する。
「君は波形を正確に目で追っていた。本当は想像できているだろう。光は危険予測のシミュレーションを視覚的に示すだけのものだが、実際の計算はサーバがやっている」
 Pがその機械の縁に触れると、「1023:05:00:00:00」という数字が点滅した。
「このまま放置すれば、世界の滅亡まであと3年と数か月程度だということだ」
 そう告げると、彼は巨大な透明スクリーンを張り巡らせ、世界各国で起きている事件や事故らしきものを映す。
「この中から、末ノ漏刻に影響を及ぼしている事件を割り出してDENPOでポストする。そして危機を回避できれば時間が延びる」
 Pはスクリーンを見渡して、道路で行われているデモらしき光景を目にして手を留めた。画像に表示されている画像や数値を確認すると、DENPOを立ち上げ、Pのアカウントで書きこんだ後、別ソフトを立ち上げて書き込みに紐づける。

――デモ隊が扇動して拡大!? 早急に止めないと

ポストは見る間に伝播し、リアルタイムらしき画像のデモ隊に警察や機動隊が介入した。煙は催涙弾だろうか。デモ隊の人々は昏倒し、運び出され、騒ぎは収束していく。
「世の中の事件に、あんたが介入してるっていうの? 予言者気取り?」
 阿夢の言葉に、Pは微笑んで告げる。
「なんと言われても構わない。でも今の私の行動で、末ノ漏刻の時間が伸びた。実際に影響しているんだよ」
 末ノ漏刻に表示されていた「1023:05:00:00:00」という数字は、今は「1031:48:00:00:00」となっている。少しだけ伸びたということか。
 Pが画面を見たまま語る。
「少し歴史を遡ろう。ネットであれリアルであれ、予想するのは重要だ。かつて途上国の特待生だった私は、未来予測の研究をしていた。私の国は歴史上、休戦より戦争している期間が長く、経済も文化も発展しなかった。加えて世界的な疫病の流行があった」
 カズマは考える。
 疫病の話は聞いたことがあるが、半世紀以上前だ。とすると、Pはかなり年上なのか?しかし目の前のPは、見た目には衰えを全く感じさせない。不老処置のせいだろうか。
 言葉を続けるP。
「私はいろいろなことに憤っていた。当時は災害より人災が多かったから、今の君たちが抱いている怒りと同種のものだ。いい未来がほしかった。卒業して企業と契約し、利益になる予測を立てる代わりに研究に没頭した。当時はフューチャアナリストという職業があって、私はプレディクター先知者と名乗っていた。だからアカウントはPなんだよ」
 Pの瞳に、嘘のかけらは見出せない。
「フューチャアナリストは占いや予言の類ではない。数字や事象を有機的に結び付ける。当時のアナリストのほとんどは、知性体の吐き出す予想と変わらない確度の予想しかできなかった。結果、タイピストと同じように廃れ、私だけが残り、自分の言動や操作が他人に影響を及ぼす力を知った」
 Pは末ノ漏刻の細い光を見つめる。
「私は事件の芽を見つけ、危険なものを刈り取っているだけだ。人は、ポジティブな情報よりネガティブな情報が好きだし、幸福な知らせが外れると憤るが、不幸な予告が外れると安堵して忘れる。だったら不幸な予告をした方が相互に有益だろう。私はみんなが好きな言葉を使っている」
 真摯で穏やかな眼差しのP。
 主張だけを取り出せば、彼は正しいことしか言っていない。でも。
 カズマは、言葉に呑まれそうになる自分を懸命に立て直し、自分の言葉で相手を翻弄しようとする。
「あんたのポストによって、死ななくていい人も命を失っている。それを見て楽しいのか? 性格が悪いな」
 Pはゆっくりと首を横に振る。
「楽しくない。だが、必要な犠牲だ。全員死ぬより、一部が死ぬだけの方がいいだろう」
「……その一部に、私の両親も入っている。よくそんなことを」
 叫びに近い阿夢の声を聞きながら、カズマの脳裏に数十年前の出来事が甦る。

耀都は荒れていた。
 政策は失敗し、移民たちは、空が見えない居住区に閉じ込められた。
 父も母も善良な人間だった。嘘や暴力を憎み、貧しいものが来れば、わずかな配給も惜しみなく分け与えた。状況に不満を抱えた人々が蜂起しようとしても、暴力はいけない、いつか救ってくれる人が来る、そう言って皆を抑えていた。カズマも両親に倣い、嘘をつかない人間になろうと思っていた。
 慎ましい日常は突然壊れた。居住区が襲撃されたのだ。家屋は潰され、おもちゃのようにばらばらになり、人々は呻きながら立ち上がった。
 蜂起を抑えようとしたカズマの両親は裏切者扱いされた。母はカズマを台所の物置に入れて、悲し気に微笑みながら、母さんがいいっていうまで出てきてはいけないよ、と言い、カズマが頷くのを確認して戸を閉めた。
 闇。両親の声と諍いの声が耳に入り、数刻の後、何かを引きずっていく音が聞こえた。
 カズマはその日、生まれてはじめて約束を破った。母が来なかったのに物置から出たのだ。
 床には血痕や髪の毛が落ちていて、部屋は荒らされていた。何も考えないようにした。暗くなるまで待った。ひたすら歩き、居住区の境に来た。壁もフェンスも何もかもめちゃくちゃになっていた。
 カズマはその日、生まれてはじめて嘘をついた。見張りの兵士に問われ、外の居住区から迷い込んだと言ったのだ。
 兵士はカズマの言葉を信じ、そのまま通してくれた。居住区の外に出たカズマは、空を仰いだ。眩しい光がガラスのように目の奥に突き刺さる。
 その時、はじめて、空の青さを知った――
 
 カズマは重たい口を開く。
「DENPOにポストするより他に方法はなかったのか? なぜ裏で正義を示すような、かっこつけた真似をする?」
 言いながら、さきほどのPの言葉が甦る。
 人は、ポジティブな情報よりネガティブな情報が好きだ。
 幸福な知らせが外れると怒るが、不幸な予告が外れると、安堵して忘れてしまう。
 事実だ。でも両親は、その事実に抗った。ポジティブな情報を信じたのだ――

カズマの思いをよそに、Pは淡々と答える。
「最初は正攻法を試みた。でも警察は本気にしない」
「そうかもしれないな。でも君は未来予測の才能があり、末ノ漏刻を開発した。所属していた企業は、末ノ漏刻を欲しがったんじゃないか?」
 末ノ漏刻の橙色の光を見つめながら、ジョンが尋ねる。
「もちろんだ。でも提供すると、企業はなんでもできてしまう。組織は当てにならない。どうするのが一番いいのか考えた。その結果が今だ。全てを捨て去り、孤独の中でリミット時間を遅らせる番人になった。自分の言葉が周りに影響を及ぼすのにやりがいを見出してきた。ある意味、君もそうだろう?」
 Pはそう告げると、カズマの目を見つめてきた。目を反らせない。
「……今の話は感動的だ。あんたは逃亡しながら、末ノ漏刻を守り抜いてるってことだね」
 カズマは話しながら、自分の言葉の意味を反芻した。
 カズマたちはPを追っている。Pがいた企業も彼を追っているはずだ。その企業とは……

カズマの頭で何かが、かち、と当てはまった。
 同時に、がたん、と音がした。
 阿夢が銃を手にしてPに向かって構えている。Pは抗うことなく両手を挙げながら語る。
「遺伝情報からすると、私は長くない。命は惜しくないが、今私を殺せば終末は近くなる」
「私は、あんたを消すことだけを支えに生きてきた。その思いは変わらない」
 引き金に指をかける阿夢。カズマは阿夢の前に立ちはだかる。
「いや、動かされているだけだ。他に方法があるはずだ」
 阿夢は虚をつかれた顔をしたが、カズマに向き直る。
「どいて。あんたを殺したくないけど、私はやり遂げる。それとも滅びるのがいや?」
 滅びるのが嫌なのか。カズマは自問する。
「そうじゃない」
 むしろ、今は、自分のことはどうでもいい。
「あんたには分からないんだ。結局何も失っていないから」
 叫ぶように言う阿夢。
 カズマは彼女の瞳を見つめた。復讐を果たそうとする、狂気に近い光。
 その感情は、知っている気がする。でも――
「そうじゃない。俺も耀都で両親を失った。その暴動は偽りのニュースが引き金になった」
 阿夢の眼が見ひらかれる。
 カズマは思う。自分が偽りに執着したのは、これが原因だったのか――
「俺は、世界が、君が、終わってしまうのは嫌なんだ。違う道を選んでほしいんだ」
 なぜこんなことを言うのか、分からなかった。
 阿夢をどう思っているのか、分からなかった。
 彼女の顔がくしゃっと歪む。目をそらして小さく、ずるい、と呻くように呟く。
 Pは微笑みながら告げる。
「素晴らしい。私を巡って出会った君たちが、よりよい道を探している。実に感動的だ。君たちの大切な人も、命を落としたがあったというものだよ」
 空気が、沸騰した。
 一瞬、何も考えられなくなった。だから判断が遅れた。
 カズマは阿夢が引き金を引くのを止められなかった。
 ジョンは阿夢に体当たりをしたが、一瞬遅く、Pは血を流しながら倒れた。
 血が天井まで噴き出した。Pに駆け寄ったジョンは、心臓マッサージや人口呼吸などあらゆる蘇生術をやったが、やがて力なく首を横に振った。
 カズマは末ノ漏刻に目をやった。刻一刻と減っていく数値を眺めながら、自分の端末を取り出し、文字を打ち込んでジョンに見せた。

――DENPOに知られないで会話できるか? 伝えたいことがある

ジョンは一瞬迷った顔をしたが、カズマの話を聞くことが総体的に有益だと判断したのだろう、静かに頷いた。ジョンの眼の奥の不規則な点滅が消える。
「確認したかったんだが、あんたは設定上、会社の利益になることしかできないことになっているんだろう?」
 カズマの眼を見て頷くジョン。
「Pは末ノ漏刻を開発した後、DENPOから逃亡した。DENPOは末ノ漏刻が欲しかったが、Pの性格を熟知しているだろうし、従うとは思えないPを捕らようとしても、末ノ漏刻を破壊しかねない。全部失うより、世界の番人でいてもらう方が得策だと考えた」
「そう言われればそうだな。しかしなぜ、私の頭にその情報がないんだろう?」
 首を傾げるジョン。
「アクセスできる情報を制限しているだろうし、PがそもそもDENPOで働いていたとなると、俺に探すように仕向ける意味がなくなってしまう」
「じゃあなぜ君に探させたんだ?」
 カズマはジョンを見た。澄んだ瞳。
 かつて、この眼を見たことがある。あの日、出てきてはいけないよ、と言って二度と会えなかった声の主の目。
「俺にPの後を継がせたかったからだ。PはDENPOで働いていた。身体データも提供しているから、DENPOはPがもう長くないことも知ってるはずだ。それに俺はPと性格が似ている。失うものもないし、人を動かすのに喜びを感じる。引き受けると思ったんだろう。DENPOとしては、末ノ漏刻の情報はあんたから得られるし、一石二鳥だ」
 カズマは思う。
 DENPOの判断は、カズマが依頼を受けた時点では正しかった。
 でも予測できないことが起きてしまった。脳裏に浮かぶのは、阿夢と、そして――
「Pの後を継ぐのは、俺じゃなくてジョン、あんたに委ねたい。俺がクズだと知っているのに信用してくれた。あんたと話をする中で、俺は、人を騙すことが楽しいと思わなくなっていったんだ」
 見る間に、ジョンの表情が変わっていく。
 今まで見たことのない濃密な感情で、ゆっくりと覆われていく。
「もし引き受けてくれなかったり、DENPOに報告したりしたら、俺は末ノ漏刻を壊すし、未来に渡ってどこまでも壊しにいく。あんた以外の者が引き継いで、俺の人生を左右するのは耐えられない」
 どれくらい時間が経っただろう。
 ジョンは俯いて、ぽつりと言った。
「確かにDENPOは後継者を探していたのだろう。でも、探していたのは人だ。私にできるのかな」
 カズマはジョンの背中を叩いて告げる。
「やってみなければ、分からないさ」
 ジョンは、緊張で強張っているが、決意が滲む笑みを浮かべ、末ノ漏刻を手にして頷いた。
 そして、地下にある巨大なスクリーンから、Pのアカウントをひらいてポストした。
 末ノ漏刻は小さく光り、値が増えた――
 
 数日後、カズマは阿夢と共に、かつて母と最後の別れをした場所に立っていた。
 そこは何の変哲もない集合住宅になっており、昔の痕跡はなかった。
「殺戮があったのに、碑もないんだね」
 阿夢が呟くと、カズマは言った。
「人が住んでいるところで、何もなかった場所なんてありはしないから」
「確かに。殺人事件の現場も、数か月後には普通に店や家になる。詐欺みたい」
 その言葉に、カズマは少し笑った。阿夢は続ける。
「ねえ、結局、最後にジョンに言ってた言葉に、偽りはないの?」
「……どれだ?」
「全部。特に、人を騙すことが楽しくなくなったこと」
 カズマは答えずに、微笑みながら空を見上げた。
 眼が眩むほどに眩しい光と、瞳にしみるほどに冴えた青は、何も語りはしなかった。 了

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