梗 概
騙り語り
太平の世を謳歌する江戸には「騙り語り」という、嘘をつくことを専門とする職業が存在した。これはほら話で町人たちを楽しませる銭を乞う芸人で、当時隆盛を極めていた落語とは異なり、より突飛なほら話であればあるほど喜ばれた。
時は天保3年(1832年)、名うての騙り語りであるところの喜平が、深川の四つ辻に立って騙ることには、「紅毛人は石を喰い炎を吐く獣に乗り、四半時で十里を走る」と。ところがそれを聞いていた蘭学者の桂榮鳴は「それは蒸気機関車といい、イングレースでは既に都と都を結んでいる」と難癖をつけた。「ならば見せてみろ」といきり立つ喜平にムキになった榮鳴は、福岡藩から燃石を取り寄せ、また外国の書を読み解いてくみ上げた機巧とともに、二月ほどで蒸気機関車を作り上げてしまった。
恥をかかされたのは喜平である。町人たちから「真物語り」と馬鹿にされた喜平は、これならば実現はできまいと、わざわざ榮鳴に聞こえるように「南蛮では機巧が意思を持ち、人に代わって米の勘定をし、町を治めている」と。売られた喧嘩に黙っていられない榮鳴は、大野弁吉に相談しながら機巧をくみ上げ、人口や米生産量の推移を計算できる万能計算機を1年足らずで作り上げてしまう。しかもこの計算機の予想が天保の大凶作から東国を救ったとして、榮鳴は幕府に認められた。
さて喜平は面白くない。今度こそ榮鳴に作られないものを、と「亜米利では全ての未来を寸毫の内に見せてしまう妖術がはびこっている」と江戸中で触れ回った。榮鳴は幕府からの援助を背景に、喜平が騙った嘘を本物にすべく量子コンピュータを作った。これは放射性鉱石とガイガーカウンタを取り付けた匣に計算機を持った罪人を閉じ込め、それを万の単位で用意し、匣同士のネットワークを構築することで、重ね合わせが計算できるようにしたものである。喜平はすっかり塞ぎ込んでしまった。
この頃には江戸幕府は鎖国をとき、海外から様々な人々を招き入れていた。国際交流は活発になり、日本語が工学分野における共通言語となった。江戸の町には高さ二町を誇る二十重の塔、プロペラで空を飛ぶ飛空艇、日本中誰とでも会話ができる四阿などが生まれていた。世界からあらゆる知性が集まり、江戸は世界最先端の工学都市となった。その立役者である桂榮鳴の名は世界に轟き、いまや道端で暮らす学のない子供ですらその名前を知っていた。
そんな栄華の裏で、喜平は床に伏せっていた。時代の流れの中で騙り語りは廃れた職業となり、無職となった喜平は妻にも息子にも捨てられ、ただ孤独だった。たまに見舞いに来る近所の子供に、喜平は語る。
「昔、俺は桂榮鳴とほら吹き勝負でやり合ったんだ。桂がああなったのは、俺の嘘がきっかけなんだ」
「お前みたいな盆暗が、桂様の役に立つはずがねぇだろうが」
またいつもの騙りだと、子供は鼻で笑った。
文字数:1200
内容に関するアピール
昨今のテクノロジーの進歩は、昨日ついた嘘が明日には本物になってしまうほどの速度で進んでいるように思います。ある意味ではSFプロトタイピング的ですが、それは嘘つきから見ればホラーそのものかもしれません。そんな思いを、江戸時代の架空の職業「騙り語り」をベースに書きました。
実作では落語のような軽妙洒脱な文体で書ければ、と思っています。
文字数:165
騙り語り
騙り語りの始祖を温ねれば、徳川綱吉の治世、元禄の時代に遡ります。その頃の京都では様々な寺院で説教が行われており、説教というものは学のない町人たちにも解りやすく仏様の教えを伝えるために様々な工夫がなされるものでして、中でも真葛原は至恩寺の僧であった藤の又兵衛は、仏様の突拍子もない小噺ばかりを選んで語っておりました。しかし語りの才がありこそすれ不勉強極まる又兵衛、すぐにネタが尽きてしまった。そこで又兵衛は苦し紛れに、やれ「至恩寺のご本尊は夜な夜な人の姿を借りて娑婆にくだり、町行く人々の善行をご覧になっている」だの、やれ「仏様は海の上を走ってオランダへと向かい、そこの人々の髪を紅く染めた」だの、自らありもしない小噺をひねり出したわけですな。ところがなんとそれが大ウケ、翌日至恩寺の講堂にはわんさとひとが押しかけた。気を良くした又兵衛は、ならばこれも、ならばこれもと、数々の大ボラを吹き鳴らし、ついには説教も忘れて辻に立ち、数刻もの間ただホラ噺だけを町人相手に語り続けたのです。そうして、騙り語りというホラ噺で銭を乞う奇妙な芸能が生まれたのでした。
この由来からもお解りいただけるとおり、騙り語りの騙る噺は、聞いただけで嘘と解るものでなければなりません。自らの言葉が真っ赤なウソであるという矜恃、それこそが「騙り語り」が騙り語りたるゆえんなのです。
サテ、時代は下って天保二年。世界から国を閉ざし、太平の世を謳歌していたはずの江戸の街に、徐々に異国の足音が近づき始めていた頃のことでございます。碁盤の目のように水路が張り巡らされた深川のとある橋の上、そこに集まった五十を数える町人たちを盛りたてんと、一人の男が拍子木を打ち鳴らしておりました。
「サァサァ、本日皆々様に騙りますは、紅毛人のケレンに満ちた馬についてでございます」
かかッと鋭く拍子木を打ちましたこの伊達男、生まれは山城、育ちは信濃、今や当代名うての騙り語り、その名を惜屋喜平と申しました。町人どもの期待のこもったまなざしをにやりと見回した喜平、つるりとした月代を撫で上げて、朗々と唄います。
「石を食らいて焔吹く、暴るる獣を手懐けて、欧州大陸津々浦々、四半刻にて十里を駆ける。原野を行きしその姿、光一閃の様なれど、草むら斃しし足跡は、街を拓きて国を興さん。嗚呼、斯様なる報国の獣の、なんとあらまほしきことか!」
「いよッ、惜屋!」
今や馴染みとなった大向こう、次々と宙を舞う一文銭。まだ噺は始まったばかりであるのに、町人どもは喜平が次に何を繰り出すのか、身を乗り出し目を輝かせ、さらにその様子が評判を呼び、徐々に人垣も大きくなって参りました。この調子ならば今日の稼ぎは百文――上手くいけば二百文にもなるかもしれぬ。心の裡でほくそ笑む喜平が続きを騙ろうと口を開いた瞬間、
「そのような獣であれば、イングレースに実在するよ」
と、その騙りに水を差す者が現れました。
ぎょっとした喜平は、声のした方向を見やりました。立っていたのは、木綿の浴衣は垢に汚れ、饐えた臭いを漂わせる、元服を終えたばかりのひとりの少年でございます。
「また桂のせがれか。長屋に籠もって、気味の悪い蘭学書ばかり読みやがって」
「お前さんちは立派な唐物屋じゃないか。跡取りがこんなので、親父さんも悲しんでいるんじゃないのかい」
うんざりとした表情の町人たちの視線を一身に受けても、その男は一切動ぜず、飄々とした様子を崩しません。ふうむ、なるほど。町人たちの様子に、喜平はこの男がこの界隈でも鼻つまみ者であると敏感に感じ取りました。
「この前、お店に置いてあった本に書いてあったもの」しかし少年は、生真面目な様子で続けます。「かの地では多くの客をその背に乗せて、都市から都市へ走り回っているそうだ。だから喜平の騙る噺はウソじゃない、本当のことだよ」
喜平はむっとしました。誰であれ騙り語りは、自らの騙るホラ噺に、つまりはウソに誇りを持っているもの、矜恃にかけて娑婆には存在し得ぬ空想を騙っております。ですから、それのウソを「実在する」と言うのは、騙り語り本人の否定、沽券に関わるというもの。喜平はただ少年の言葉を否定し、あるいは殴り飛ばすこともできたでしょうが、それだけでは腹の虫が治まらない。そこで喜平、これを際会と、この生意気な少年を笑いの種にすることにいたしました。
「ならば桂のせがれよ、てめェはその獣を見たってのかい?」
「いいや。何せ異国の職人が作ったものだからね」
「するってェと、それが本当にあるかどうか、おめェさんは見てねェっつうこったな。つまりは、てめェのホラ噺ってこった」
「おいおい、どうしてそうなる」
「周りを見てみろよ。俺も含めて、誰もてめェの噺を信じちゃいねェ。ならそれは、俺のホラ噺となにが違ェんだ?」
「で、でもおいらは本で――」
「もしてめェが『本当だ』っつうんなら、この場にその獣を連れてきてみやがれ。できるのか、できねェのか? ふはっ、できねェだろ?」
「――ぐ」
「要するにてめェは、客を誰も楽しませられないただのウソをこいたのさ、桂のせがれ。そんな騙り未満のへなちょこで、当代一の騙り語りに勝負を挑もうなんざァ、百年早ェんだ! 臭ェ顔洗って出直してきやがれ!」
言い返せなくなった少年は、顔を真っ赤にして走り去っていきました。
「いよッ、惜屋ッ! 日本一ッッ!」
この痛快な成敗劇に聴衆たちは大盛り上がり、彌増々に宙を舞う一文銭に、喜平は深川での講演の成功を確信したのでした。
サテ、逃げ出したこの少年、悔しさに半泣きになりながら長屋の一室に駆け込むや、汗牛充棟の本の山から、一冊の美濃本を引っ張り出します。『諳厄利亜紀聞』と題されたそれは、オランダ船経由で出島に持ち込まれたイギリスのタイムズ紙を、長崎の学者が手ずから日本語に訳したものでした。ですから、テムズ川沿いにあるお店の広告や、人捜しの相談など日本人にとってはまるで意味のないものまで訳されてはいるのですが、そんなものはいざ知らず、少年はすっかり折り癖のついたページを開きました。
見開きで載っているそれは、巨大な釜に煙突を突き刺したがごとき黒い躯体。その足下には両側面に二つずつ車輪が並んでおりまして、極めつけに傍らには「蒸気駆動車」の文字に朱墨で傍線が引かれております。
勘のいい聴衆の皆々様に当たっては、この小汚い少年の正体について薄々お気づきになっているでしょう。何を隠そうこの男こそ、のちの幕末の発明王、ひいては開国以降東京発展の立役者たる、桂榮鳴そのひとなのです。
閑話休題。月代を剃ってこの方、奉公にも出ず、蘭学にばかり耽ってきた榮鳴です、まだ年端もいかぬ青二才なれど、彼も彼とて蘭学者の端くれ、学問を愛する者として、科学を馬鹿にされて黙っていることはできません。腹に据えかねた榮鳴は、ここに決意するのです。
蒸気駆動車を自分で作ってしまえばよい、と。
思い立った榮鳴は、さっそく江戸中の書物屋という書物屋を巡って、資料を集め始めました。
蒸気駆動車――現在では蒸気機関車と呼ばれておりますが、こいつは改めて説明するまでもなく、石炭を燃やしたことによる熱エネルギーを、水蒸気を介してピストン運動へと変換し、それをさらに回転運動へと変換することで車輪を回転させ、その躯体を動かしています。味噌となりますのは燃料の変換効率、そして蒸気圧にあります。欧州では、ニューコメンが発明した蒸気機関を熱効率の面でワットが改良し実用化、さらに高圧蒸気を利用することに成功したトレヴィシックそしてスティーヴンソンが蒸気機関自体の小型化を達成、これが蒸気機関車の発明、ひいてはイギリスにおいて産業革命へと繋がるわけですが、榮鳴がどれだけ計算をしても、榮鳴の手持ちで蒸気機関車を駆動できるだけの熱効率を生む安全な蒸気機関を作ることは不可能でした。なにせ鉄が手に入らない。当時製鉄の主流だった蹈鞴法は一子相伝の職人作業、加えて銑鉄の四倍以上の材料と石炭を必要とする上に、銑鉄を作るごとに炉を壊していたのですから、鉄鋼の大量生産は夢のまた夢。
とすれば、そもそも蒸気機関車を作るのは不可能です。しかし、それでは喜平に負けたことになってしまう。蒸気機関を使わず、できるだけ少ない素材で、しかも人を乗せることができる駆動車を生み出すには。
堆く積んだ書物を漁り、隠遁とも言えるような一月を過ごした榮鳴が、ついに白羽の矢を立てたのは熱交換装置、すなわちスターリングエンジンでした。スターリングエンジンは、理論上カルノーサイクルを実現する、極めて熱効率の良い熱機関です。しかも、スターリングエンジンを動かすために必要なエネルギーは温度差のみ。構造も極めて単純で、そもそも高圧の気体を使う必要すらございません。
近所の山から切り出してきた竹筒や、近所の古物商が売っていた細長い一輪挿し、実家の唐物屋の店頭に並んでいた舶来品のガラス玉を組み立てて半信半疑に実験をした榮鳴、かこんかこんと、スターリングエンジンが実際に目の前で動き始めたその瞬間の衝撃たるや! 感動のあまり、熱源である菜種油の火が燃え尽きるまでの一昼夜スターリングエンジンを眺め続けた榮鳴は、ふと我に返り、今度は再び一昼夜のうちに、駆動車のために必要な部品を図面に書き起こしました。興奮もそのままに駆け込んだのは、幼き頃に共に寺子屋へと通い、今は家を継ぎ鍛冶職人となった友、久兵衛の工房でした。
「いるか、久兵衛?」
上半身裸のまま、ちょうど一段落ついていた無精ひげの男、久兵衛は、手ぬぐいで煤まみれの顔の汗を拭いました。
「おうよ! 久しいだなァ、榮鳴」久闊を叙した久兵衛は、笑顔で尋ねます。「どうした、そんなに息を切らして」
「実は、久兵衛の腕を見込んで、相談したいことがあるんだ」
「先生に天賦の才と呼ばれたお前が、俺に相談!? こりゃあ、珍しいこともあるもんだ。明日は雪が降るかもしれねェなァ」
「なぜだい? 明日はそんなに気温が下がるのか? まだ秋口だぞ」
「それくらい珍しいっつう喩えだよ、喩え。ったく、お前は昔っから冗談がからっきしでいけねェや。それで? 相談ってのを聞かしてくれよ」
乞われた榮鳴は、久兵衛にこれまでの経緯をかくかくしかじかと語りました。説明だけではとても信じることはできなかった久兵衛を自宅に呼んで、簡易スターリングエンジンを実際に動かして久兵衛の肝を潰し、改めて自分が作ってほしい部品を、図面を見せながら久兵衛に説明します。
榮鳴が何をしようとしているのか、その実感が伴ってくると共に、久兵衛の目がきらきらと輝き出すのを、榮鳴は見ていました。
「――これは、お前、さてはどえれェことをしようとしているな?」
「おいらは、本当にあるものをウソだって言われたくないだけだよ」
「それが十分にどえれェんだよ。なら早速、おっぱじめるか。こりゃあ、腕が鳴るぜ」
戸口からはテントンカン、煙突からはモックモク、鍛冶屋が俄に賑やかに騒がしくなった一月の間に、榮鳴は大八車やら駕籠やらを組み合わせ、およそ30人ほどが乗り込むことのできる客車を組み上げたのでした。そしてひときわ頑丈に補強した大八車に歯車を組み合わせ、あとは熱交換装置をつけさえすれば動き出す、先頭車両をも作り上げたのです。
「ほら、できたぞ」
そして一月の後、久兵衛は煤まみれになりながら、スターリングエンジンに必要なパーツを全て準備し終えました。その頃には、近所の変わった少年が、なにか巨大な工作をしているというのは、深川中の家々が知るところとなっておりまして、作業が行われている長屋の裏庭をちらりちらりと覗く視線も増えておりました。
久兵衛から受け取った部品を組み合わせ、スターリングエンジンを数台作ります。それをこれまで作ってきていた車体にぶっ込み、並んでいる歯車やクランクを接続しました。巨大な百足のようなその車体を裏庭から通りに出せば、まるで陸に上がった鯨でも見るように、物珍しそうな顔をした人々が居並びます。温度差を生み出すため、氷屋から大量に買っておいた氷を取り付ければ、後は火釜の中で火を焚くのを待つだけです。
運転席である先頭の大八車に上ると、並み居る人々をぐるりと見回し、榮鳴はこう叫んだのでした。
「これより、惜屋喜平のホラ噺が真物であると、皆々様にお見せしましょう。おいらの言葉が嘘だと思うなら、後ろの大八車に上ってください」
サテ、所変わって深川のとある橋の上、今日もまた群衆相手に朗々とホラ噺を騙っていた喜平。この頃の喜平の十八番は、榮鳴から一本取った、地を駆る獣まさにその噺。いよいよ以て噺が佳境を迎えんとしたそのとき、その騒ぎは近づいてきておりました。がこんがこんと聞いたこともない音に、徐々に近づいてくる不気味な蠢動、漂う煙の焦げ臭さに、逃げ惑う町人たちの悲鳴と、興奮を以て叫ぶ歓声、流石の喜平の騙りでも聴衆の興味を引き留めておくことはできません。
訝しむ喜平のもとへ、やがてまっすぐにそれが近づいて参りました。
「な、なんじゃあ、こりゃア……」
砂埃を巻き上げながら、現れましたる熱駆動車、野郎野犬を蹴散らして、我が物顔の大行進、先頭の茣蓙にあぐらをかくは、あの日コケにした洟垂れ小僧、その背に連なる客車には、老若男女が勢揃い、目を見開く喜平、髷を結う紐が緩みます、嗚呼、これはまさに、己の騙りそのものじゃアないか。
聴衆たちも、喜平がこれまで騙ってきた噺がホラではないことに気づいたのでしょう。想像力で生み出された空想を楽しんでいたはずが、それが既にあるものを真似ただけの見聞であった落胆には、皆様にも覚えがあるのではないでしょうか。喜平の噺を愉しんでいたぶん、聴衆は「なんだよ」と怒ったように、呆れたように、鐚銭すら出すことなく帰って行きます。
俺の騙りを、真物にしやがった……。
目の前を通り過ぎるその獣を呆然と見送った喜平は、その場にがくりと膝をつきました。そして一杯食わされた榮鳴に、今一度勝負を挑むことを決意したのです。
明くる日。喜平はまた、同じ橋の上に立っておりました。深川の町は、熱駆動車を作った榮鳴の話題で持ちきりです。ウソよりも刺激的な発明の前で、自分のホラ噺に引きつけるには、より現実味のない、より刺激的なウソを騙るより他ございません。
喜平は橋の向こうからこちら側に歩いてくるその人影を目の端で捉えると、かかッ、と拍子木を鋭く打ち鳴らしました。
「サァサァ、本日皆々様に騙りまするは――」
「どうしたよ、真物語り。今度はどんな瓦版を出してくれるんだ?」
喜平のことを嘲笑う軽口を、拍子木二閃で鮮やかにいなすと、ちょうど橋を渡らんとする彼に聞こえるような朗々たる声で、余裕ぶった口調で再び騙り始めます。
「――皆々様に騙りまするは、南蛮にあるという不思議な家にございます。紐を引っぱりゃ摩訶不思議、誰も彼もが未来が見える、あるいは明日の空模様、あるいは来年の石高を、浮かびあがらす万華鏡、西の果てたる南蛮じゃあ、国を任すと音に聞く、誰も彼もが戸を潜り、伽藍の手妻に未来を求む、嗚呼、斯様なる神通の屋敷の、なんとあらまほしきことか!」
「いよッ、惜屋!」
大向こうに一文銭。しかし、己の騙りに聴衆どもが引き込まれているのかどうか、それは今の喜平には些細なことでした。喜平がこの騙りを聞かせたかったのはただ一人、今まさに足を止めて様子をうかがうように己のことを見ている少年です。
「いかに蘭学が優れようとも、書になきものは作れまい。これぞ真のホラ噺、騙り語りのなせる技よ!」
その言葉に、ぴくりとその少年の――今をときめく桂榮鳴の眉が動くのを、喜平は見逃しませんでした。喜平はにやりと笑うと、桜吹雪のように舞う一文銭の中で、大見得を切って言います。
「騙りを殺す手妻師よ、作れるものなら作って見やがれ!」
熱駆動車の発明で、曲がりなりにも発明家としての矜恃が芽生えてきておりました榮鳴、彼も彼とて江戸っ子の端くれ、売られた喧嘩は言い値で買う主義にございます。榮鳴はさっそく、未来を見る館を作ることを決めました。
そも、未来を当てるとはいかなることでしょうか? 未来とは、様々な不確定要素の集積です。例えば皆様が明日の天気を予想するとして、いったい何をするでしょうか? ツバメが低く飛んでいるから、もうすぐ雨が降る、と予想するかもしれません。いわゆる観天望気というものですな。あるいは、西の空に青空が見えているから、きっとこの雨はもうすぐやむ、と予想するかもしれません。現在の状況をよく観察して、過去の経験を元に、少し先の未来を予測する。それは、精度の高い経験則を実現する機構、と言い換えても良いかもしれませんが、結論だけ言うと、未来予測というのは、ある種のパターンの発見なのです。
このように考えた榮鳴は、自らが作るべきものを知りました。現在の状態を与えれば、そこに潜んでいるパターンを見つけ出して、そのパターンを過去の事例と比較することで、適切な結論を導いてくれる機械です。
しかし、このパターンというものが厄介でした。パターンを見つけ出すためには、多くの情報を処理する必要があります。そして複数の情報を処理するためには、そもそもそれらの情報を「見る」機構がなければいけません。しかし機械を構成するのは歯車ばかり、目のついていない歯車に、どうやってものを見せれば良いものか、その上で、嗚呼、どのようにパターンを機械に見つけ出させれば良いものか……。
そんな榮鳴にひらめきをもたらしたのは、隅田川に花火を観に行った時分、押しかけた群衆で身動きのとれなくなってしまったとある橋の上、混乱の中交わされる人々の会話を耳にしたときでした。当然のことながら、橋の上は喧噪に満ちており、その上花火の大音声が時々に耳をつんざくために、たとい隣の友人同士であっても、会話が成立するかどうかは確率次第、ともすれば友人ではなく背後にいる赤の他人から漏れ聞こえてくる声で、状況を知るといった有様でした。
サテ、この群衆の中に閉じ込められた榮鳴、身動きがとれないことをいいことに、思考実験を始めます。もしもこの橋の片側に何か果物が置かれたとき、その反対側にいる人物――仮に権兵衛としよう、にその果物の情報を伝えるとして、その情報はどのように伝わるだろうか。その果物が見えている者は、たとえば「赤い」「みずみずしい」「丸い」などの情報を隣の友に叫ぶだろうが、中にはひねくれた奴らが「青い」「四角い」などと抜かすかもしれぬ。このときこれらの情報は、合っているものも間違っているものも含めて、様々に輻輳されながら伝わっていく。最終的に橋の反対側に到達した頃には、「青くて四角くてみずみずしい果物」なのだったとすれば、それは権兵衛に間違った情報が伝わってしまった、ということだ。これは失敗だ、リンゴを権兵衛に伝えることができなかったのだから。――しかし、これを、リンゴのときはリンゴ、リンゴでないときはリンゴでない、という情報が権兵衛に伝わるようになるまでに、何度も繰り返せば? その反復のうちに、「こやつの話は信用できぬ」「友の話はそのまま次の者に伝えても良い」「この二人は話半分にしか聞いていないから、しっかり伝える必要はない」などと、人間同士の情報伝達にいくらかの偏りが生じるはずだ。そしてその仕組みがあれば、橋の上に嘘つきがいようがいなかろうが、必ず権兵衛に橋の反対側にリンゴがあるかどうかを伝えることができるはずだ。つまりその橋は、具体的にどのようなやりとりがされたかどうかにかかわらず、ただ「リンゴをリンゴたらしめる”何か”を発見する機械」と見なすことができるのではないか?
そうだ、重要なのは、異なる重み付けをされた、情報伝達関係の網の目なのだ。
花火もそこそこになんとか橋を抜け出した榮鳴は、「解った!解った!」と叫びながら夕暮れの道を駆け、早速、久兵衛の元へと向かいました。
「おい、おい! いるか、久兵衛!」
「おうよ、榮鳴」茶を飲んでいた久兵衛は片手を上げます。「お前ェがそんなに興奮しているところ、久しぶりに見たぜ。さてはまた何か思いついたな?」
「うん、まあね。実はそのことで、久兵衛にお願いしたいことができたんだ。頼まれてくれるかな?」
「あたぼうよ! お前ェのおかげで、俺の鍛冶は江戸中から注目されるようになったんだ。ここでお前ェに報いなきゃあ、お天道様に顔向けできねェっつうもんでい!」久兵衛はパン!と手を叩いて立ち上がります。「それで、俺は何を作りゃいいんだ?」
「いや、別に何も作らなくてもいい。ただ一年の間、隣の家から来た噂を、反対側の家の住人に流すのを、協力してほしいんだ」
「噂だァ? お前、一体何を考えてやがる」
「まあ、未来を予測する家のことだよ」
「はァ? そんなもの実現できたら、江戸中の人がひっくり返っちまうよ」
「全員がひっくり返るなんて、そんな馬鹿なことが起こるわけがないだろう」
「本当にお前は冗談が通じねェなァ」久兵衛は呆れたように片眉を上げます。
「理論の説明は必要かい?」
「うんにゃ」しかしすぐに首をゆるゆると振って、「理由を訊こうかとも思ったが、やめておくぜ。俺がどんだけお前に理屈を聞いたところで、理解できそうにもねェのは、この間の熱交換器のときに解ってるからな。もちろん協力するさ」
「ありがとう、久兵衛」
「どうだ、榮鳴。茶でも飲んでいくか?」
「いいや、いいんだ。おいらには、他にも誘うべき人がいるんだ」
「そうなのか? いったいどこの誰を?」
「深川に暮らす 1000人にね」
ここで、お聴きの皆々様にご説明いたしますと、要するに榮鳴は先ほどの橋の理論を、町一つを使って実践しようとしているのでございます。町のある側の人々にリンゴを与えたとき、その情報が町の反対側にも正しく伝わるか。その上で、リンゴとリンゴでないものをきちんと判別できるような、重み付き情報伝達関係の網を編み出せば良い。もちろん、ここでいうところのリンゴはただの例、実際に榮鳴がやろうとしているのは、天気の予測でございました。未来予測には様々な種類があれど、祭り好きな江戸っ子たちにとって最も身近、かつ重要であったのは、明日が晴れるかどうかだったのです。それに数ヶ月先のおおよその天気の傾向が解れば、石高の予想を立てることもできましょう。そうしてできあがった機構は、決して喜平の騙りに劣るものにはならぬはずだという確信が、榮鳴にはありました。
そうして、榮鳴が町中の人たちと約束を取り付けている間に、いくつかの季節が江戸の町を通り過ぎてゆきました。その間にも、榮鳴が日本に紹介したスターリングエンジン、及び発明した熱駆動車は、街道を駆ける飛脚たちの噂話と共に、日本全国に広まっておりました。各藩にスターリングエンジンの作り方がもたらされ、すでに日本全国、様々な町で熱駆動車が走り始めていたのです。すると自然、町同士を熱駆動車で行き来したいという要望が町人たちから上がり始め、これまではただ木で叩き均しただけの土の地面に線路を引いて、その上を熱駆動車を走らせることで、藩の中を行き来する路線が生まれたのです。特に参勤交代の負担に苦しめられていた外様の大名は、江戸までの線路を引こうと、関所を取っ払い、大規模な工事を始めておりました。
目的の人全員に声をかけた榮鳴は、いよいよこの町人による情報共有網に、榮鳴が趣味で記録していた過去十年間ほどの天気の記録を流し込み始めました。天気や、台風などの災害の情報、緯度や地形、海水の温度などの情報を町の片側から流し、情報共有網を通過した後で、天気を予測させます。様々にデータセットを変えながら、予測された天気がほぼ百発百中となるまで何度も繰り返し繰り返し学習させたのです。
そして、さらに季節が一巡りした天保四年、うららかな春の日差しにホトトギスの声が聞こえ始めた頃。
喜平は、川沿いの柳の細い陰で暑さをしのぎながら、いつものようにかかッと拍子木を二度、打ち鳴らしました。僅か1年の間に江戸の町は至る所に熱駆動車が走り、普段使っていた深川の橋も、あの熱駆動車の線路道に含まれてしまい、もう講演に立つことはできなくなっていたのです。仲間の騙り語りですら、そのウソを超えた現実に夢中になって、徐々にその肩書きを捨て、熱駆動車の線路引きの職に就き始めています。喜平はそんな同僚たちを軟弱者と罵り、榮鳴への苛立ちを奥歯ですりつぶすと、今日もまた、集まった聴衆にあのときの騙りを――榮鳴に勝つと豪語し、この1年の間、至る所で騙って回っていたホラ噺を披露しようと口を開きます。
「サァサァ、本日皆様に騙りまするは、南蛮にあるという不思議な家について――」
「大ェ変だ、大ェ変だァ!」
しかしその口上は刹那のうちに遮られてしまいました、一人の男が慌てた様子で駆け込んで来たのです。
「桂の坊主がまた、とんでもねェものを作りやがったァ!」
「なんだと?」
「なんでも、未来が見える屋敷なんだとよ」
当然ぎょっとする喜平、理由は言わずともお解りでしょう。喜平が江戸中で騙って回っていた噺こそ、未来が見える屋敷についてだったのですから。
榮鳴の発明が完成したとの報に、喜平がせっかく集めていた聴衆どもはおろか、深川じゅうの町人どもが、まるで隅田川に花火でも観に行くかのごとく、どよどよと同じ方向へと駆けておりました。熱駆動車は重量で車軸がへし折れんばかりの満員で、線路の上から人をどかそうと、あたりには警鐘が鳴り響いています。そんな群衆をかき分けかき分け、喜平はその家にたどり着きます。
それは傍目には何の変哲もない家でした。深川の町と隣町の境界にぽつりと建つ、中に人が住んでいるようにも思えない、本当にただの家です。
一体全体いかなる信託がなされるものか。固唾を呑んで見守る聴衆たちの前に、家の中から現れましたるは桂榮鳴、申し訳程度の演説台の上によじ登るとあたりを一瞥して一言。
「今日は六つ半から、夕立が降り始めるよ。明日は一日雨、その次の日は曇りのち晴れ。気温は去年の今頃と大体同じくらいかな」
見上げた空は一面の青空、西には目立った雲もなし、ツバメが低く飛んでいるわけでもなく、誰にとってみても、それはただのウソに思われました。
「そして今年は、夏に大雨が続くと思われる。冷夏のせいで凶作になれば、その影響は数年にわたって続くから、今のうちに備蓄を多くしておくことをお勧めするよ」
喜平は胸をなで下ろしました。
「はん、そんな言葉、ただのでまかせに過ぎねェ。俺の騙りと何が違ェってんだ! そんな予言なら俺だって言えらァ。しかも俺の方が、より面白い話をポンポン出せるってェもんだ。1年間も待たせておいて、そんな辛気くせェことしか言えねェようじゃ、俺に勝とうたァ万年早ェ。俺ァ帰るぜ」
喜平はひらひらと手を振ると、くるりと背を向けました。どこか半信半疑だった町人たちも、喜平に続くように、その場を離れてゆきます。喜平は自宅に戻って藁草履を脱ぎ捨てると、どっかりと畳に腰を下ろし、煙管に火をつけました。俺の騙りは、あいつには実現などできなかった。喜平はぷかりと吐き出した煙で輪を作りながら、胸の中に広がる確かな満足感に浸りました。
状況が変わってきたのは、暮れ六つの鐘が鳴った頃でした。
うたた寝から目を覚ました喜平は、ふと空気に湿り気を覚えました。はっとして障子を開け放てば、いつのまにやら空は灰色一色、今にも泣き出しそうな空模様。それは榮鳴が昼間に為した予言の通りの光景だったのです。
喜平は唖然として、しかしすぐに首を振りました。
否、まだだ。たまたま当たっただけやもしれぬ。
じれる心を落ち着けるようにもう一服して、喜平は静かに眠りにつきました。
しかし喜平の不安は杞憂とは行かず、ものの見事に的中してしまうのです。翌日、翌々日と、榮鳴が予言したとおりに天気が変化していくのです。それはまるで、榮鳴の予言を聞いて、お天道様がその日の天気を変えているかのようでございました。
町人たちは色めき立ちました。なにせ観天望気よりも正確に、一週間後の天気ですらぴたりと言い当ててしまうのですから。中でもこの天気予測に興味を持ったのは、沖に出て魚を獲る漁師たちです。漁師たちにとっては、海の天気の変化は生活どころか、命にも直結する重要な問題でした。それが完璧に予測できるというのですからまさに神託、これほどありがたいものはありません。
面白くないのは喜平です。
「明日のお天道様のご機嫌を当てるだけなら、西側の空を見上げりゃ俺にだってできらァ。あいつはそれを、なにか甚だしいものに見せかけてるだけに違ェねェ」
喜平は騙りのたびに、そう言って榮鳴のことを批判するようになりました。町人たちは榮鳴の発明に難癖をつける喜平に辟易して、一人、また一人と騙りの場を去って行きます。しかし喜平はもはやそれでも良かった。いまや喜平の目的は銭を稼ぐことではなく、あの日の自分の騙りは、決して現実にはならないものであったと証明することにあったのですから。
確かに、榮鳴の機構が一週間程度の天気を当てる程度のことだけであれば、喜平に言い逃れのすべはあったでしょう。しかし喜平の弁明をなぎ倒す予言が、的中いたしました。その夏は、榮鳴が予言したとおりの、過去に類を見ない、大雨ばかりの冷夏だったのです。
予言の通り農作物は大損害をくらい、江戸どころか日本全体での大規模な飢饉に覆われました。ともすれば、寛永、享保、天明についてで四度目の、日本全国で餓死者が数十万と生じてしまうような甚大な災害の危機。ところがどっこい、その危機を救ったのも、榮鳴だったのでございました。一年前に榮鳴が生み出したあのスターリングエンジン、その発明以降、日本に張り巡らされた熱駆動車の線路網が日本の危機を救ったのです。もともとは参勤交代を効率化させるために、各大名が江戸と自らの都市を結ぶように敷いていた線路でしたが、このときばかりは運ばれたのは大名ではなく米俵でございました。冷害でかつてない凶作に見舞われた東北地方の藩には江戸や各地から備蓄米を送るだけでなく、飢饉対策に成功した藩の政策などといった情報が共有され、それがこの飢餓地獄を生き延びるために採るべき行動の指針を幕府に採らせたのです。
この当時、家康公の時代から百年以上の統治を続ける徳川幕府は、行政の硬直化が進み、外国船に対する強硬な排斥などといった江戸幕府の政策、統治に不満を覚える町人たちが出始めた頃でもありました。そんな折、幕府は冷夏による凶作という激甚な災害に対して、榮鳴の開発した熱交換器に熱駆動車、及び全国に渡る天気予報の情報を生かしながら、飢饉での死者を最小限に収めることができたのです。仮に榮鳴がいなければ、目も当てられぬ惨劇が日本を襲い、加えて幕府の治世に大打撃を与えるような反乱が各地で起きていたに相違ございません。
そうした経緯もあって、時の第十一代将軍、家斉公は桂榮鳴を江戸城に呼び出し、救国の英雄として褒美三石を授けたのです。榮鳴が幕府に認められたとの噂はあれよあれよという間に広まり、その名は日本全国に轟くこととなりました。榮鳴の元には教えを請う弟子たちが日本国中からわんさと押しかけ、またその頭脳に期待した各藩の大名や名士たちからの金銭的な支援を得ることともなりました。その資金を元に、榮鳴は深川に、ご存じ為真塾を設立したのです。
榮鳴の活躍を、歯ぎしりをしながら見ていたのが、惜屋喜平でございます。榮鳴には絶対に実現できまいと確信し、江戸中で広め回った喜平渾身の騙りを真実にされた上に、あべこべに榮鳴の名が全国津々浦々にまで広まることとなってしまったのです。当時は人気絶頂だった喜平の騙りを聞きに来ていた賑わいも、いまやすっかりなりを潜め、聴衆どもは「真物語りの喜平」と陰口をたたきながら、鐚銭代わりの小石を投げておりました。
それでも喜平は、かすかに残った矜恃にしがみつきながら、なおも榮鳴を打ち負かさんと、榮鳴に聞こえるよう、為真塾の門前で、拍子木をかかッと二回、打ち鳴らすのです。
「サァサァ、本日皆々様に騙りまするは、シャムにあるという自ら悟りを開く筐についてでございます」
「サァサァ、本日皆々様に騙りまするは、ロシヤにいるという疾風迅雷の飛脚についてでございます」
サテ代わって榮鳴、改めこの為真塾は、塾という名はついているものの、榮鳴が講師を務める私塾というよりは、為真塾――「真と為す塾」という名の通り、一聴のうちはホラ噺にしか思えぬ発想を、様々な方面から知識を募り、必ず現実のものにしてみせるという、現在で言うところの研究所に近い組織でした。
どれほど立場が変わったとしても、榮鳴も喜平に対して思うところがあったのでしょう。榮鳴は喜平の挑戦には必ず受けて立っていたのです。そして僅か五年のうちに為真塾は、穴を開けた厚い和紙を差し込むことで様々な計算や記録を行ってくれる計算筐、石組みの筒の中に局所真空を作り出すことで高速に荷を送ることができる気送逓信管など、数多くの未来を日本にもたらしました。
この頃には、外国船が一年のうちに何度も日本近海に現れるようになり、海外からの開国の圧が高まっておりました。加えて、「日本の発展のためには異国の知識が必要になる」という榮鳴の助言で、江戸幕府は天保十四年(1843年)、下田と箱館の両港を開港、長きにわたった海禁の時代が終焉を迎え、世界史の中に日本がようやく再び登場することとなります。
久しく閉ざされた日本を蒸気船と共に訪れた異国の人々は、蒸気機関ではなくスターリングエンジンを元にした日本の発展の様に、大いに目を瞠りました。運河のように江戸の町を縦横に走る運河をエンジン付きの船が行き来しているかと思えば、その上を渡る橋をがっしゅがっしゅと熱駆動車が走っているのです。東アジアへの橋頭堡を築かんと、意気揚々と門戸を叩いた西洋人たちは、時刻を超えた日本産業の進みように、瞬く間に出鼻をくじかれたのです。
そしてその噂が各国に持ち帰られるやいなや、日本発展の中心となっていた為真塾には、世界各国から様々な知識が集積していきました。
「サァサァ、本日皆々様に騙りまするは、夜分にひとりでに光るギヤマンの玉についてでございます」
「サァサァ、本日皆々様に騙りまするは、念動力にて遠方に住まう友の声を届ける烏帽子についてでございます」
開国で輸入した数多くの本、榮鳴たちは、日本では読むことのできなかった電気の知識の書かれた書物を手に入れました。それを元に研究を重ねていた藤島恵慈が、嘉永元年(1848年)電光球を発明、闇夜のとばりに光の穴を開けることとなりました。さらにその数年後、為真塾生の村野清陽が、ドイツから留学に来ていた物理学者のモースと共に、蓄電の実験の最中に偶然電波を発見、それを利用した電波逓信に成功し、八年後の安政七年(1860年)、遠距離電波逓信として実用化されることとなります。
二十年前まで閉ざされていたとは思えないほどに、江戸の町は国際色豊かな都市となり、日本はわずか二十年のうちに技術先進国に数えられるにまで成長したのです。
――サテ、みなさますっかりお忘れかもしれませんが、この日本の発展の裏には一人の男の存在がありました。その名は惜屋喜平。為真塾が日本発展の中心となり、桂榮鳴の名が海を越えて世界にまで広がりつつある中で、喜平は町の発展からすらも取り残された小さな長屋の一室で、一人うらぶれておりました。
障子の向こうには、今やすっかり江戸開国のシンボルとなった二十重の塔が、天球を半分に割っています。薄くなった座布団を脇に敷いて、喜平は今日もやけ酒をぐいと呷ります。
喜平が騙ったホラ噺は、必ず榮鳴に実在のものにされてしまう。どれほどの嘘をついても、それがあっという間に真実になってしまう。そんな社会で、己がホラ噺を騙ることにどれほどの意味があるのだろうか?
現在の技術の進展のめまぐるしさに、いつしか喜平の矜恃は削れ、痩せ細り、熾火となって、やがてはすっかり折れてしまったのです。
「また飲んだくれてんのかよ、おっちゃん」
声がけもせずにいきなりがらりと戸を開けて、ずかずかと入ってきましたのは、隣近所に暮らすガキにございます。毎度毎度、追っ払うために即興で適当なホラ噺をこいていたのですが、いい加減うんざりしていた喜平は、今日くらいはと愚痴を零すことにしたのです。
「お前、桂榮鳴って知ってるか?」
「知らねェわけねェだろ。日本をこれだけ立派にしてくださった立役者だぞ」
「俺はサ、昔、榮鳴とやりあったんだ。俺のホラをヨ、ヤツが実現できるかってな。そうしたらヤツは、ことごとく俺のホラ噺を本物にしていきやがった。俺がホラを騙る意味なんか、もうなくなっちまったのサ。ヤツが全部、ホラ噺じゃなくしちまうからナァ」
呂律の怪しい舌回りでぐだぐだと語る喜平の言葉を、ガキは一笑に付しました。
「なんだよ、またいつもの騙りかァ? お前みてェな盆暗が、桂様のお役に立てるわけがねェだろうが」そして呆れたようにため息をついて。「でもさ、今までのホラ噺んなかじゃ、いちばん面白かったぜ」
* * *
時代は20世紀へと変わり、人類が二度の世界大戦を経た1960年現在。幕府は政府へと政権を譲り渡し、江戸は東京と名前を変え、町行く人々も頭は月代から散切りに、服は浴衣から洋服へと変わりました。見上げれば気球船が悠々と鯨のごとく空を泳ぎ、地下には網の目のように地下駆動車の線路が走っています。二十重の塔はコンクリートになりましたが、変わらず東京のシンボルとして隅田川沿いに聳えております。再来年には、月への着陸を目指す輝夜計画も始まろうとしています。為真塾は東京湾沖へと立地を移しましたが、世界最先端の科学技術研究所として、いまも日夜、世界の科学を、人間の未来を拓いてゆくことでしょう。
我が国の技術に幸あらんことを願い、この長い長い噺の〆とさせていただきます。
騙りは私、二代目惜屋宗達でございました。
皆様、ありがとうございました。
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