梗 概
その<Cheerio!>にご注意ください
貧困にあえぐニホンの地を這う強盗夫婦、O’takiとA-kitchi。ある時、手違いからふたりの元へ見たこともない通販カタログ<YOU & EYE>が届く。試しに安価なものから注文してみた夫婦は、元にした商品から次々に金儲けをして味をしめ、その資金と道具を手に秘密結社を立ち上げる。ニホンは世も末、人々は国家に頼るよりもローカルな秘密結社の互助機能に頼るようになっていた。O’takiとA-kitchiは、新しいニホンの頭領になろうというのだ。
そこへ「Cheerio!」と乾杯を叫びながら突っ込んできたのが、自称稀代の発明家、カタログの発行人だというロバ男。頭が震えるロバで、体は人間のよう。トーストと名乗ったロバ男は、宛先を間違えたのでカタログを返してほしいと言うが、強盗夫婦はどこ吹く風。トーストの心労をよそに秘密結社をどんどん大きくしていく。
順風満帆に見えた結社であったが、他エリアから進出してきた新進気鋭の革命家ガザボが競合他社<East-ring>として夫婦の前に立ちはだかる。ガザボの身につけているスコープは、昼も夜も、そしてメタな世界も見通すのだという。O’takiはトーストに同じものを作らせようとするが、「あれは我が社の製品ではないですな!」とすげない。焦った夫婦はついにカタログ中で一番高価な<Cosmo-kannon>像に手を出すことに。トーストは形相を変え、どこかへすっ飛んでいった。
さて世界でCosmo-kannonとの通信に初めて成功したのは、偶然kannon像を手にしたチベット・ラサの医療従事者だと言われていた。次いで、インドネシア・バリ島のホテル従業員。そして我らがニホン・チバの強盗夫婦。先の二例はいまや世界有数の富豪になった。発注を受けた像を手にトーストが舞い戻った夜、夫婦はCosmo-kannonより、ラサ、バリ、チバ、の三地点を結ぶトライアングルの中に像を持って待機するよう告げられた。トーストと共にお告げの地を探す夫婦。その頃ガザボもまた、スコープを使い、夫婦の跡を追っていた。
kannonは宇宙からもたらされた先史遺跡である派と現生人類の発明である派で世論の割れる中、発明したのは自分だと主張するトーストとそんなことはどうでもいい夫婦。Cosmo-kannonは果たしてどこからきてどこへ向かうのか。揉めに揉めながらもついにお告げの地に立つ三人。その時、追いついたガザボがトーストのロバ首を飛ばす。が、その首の中には何も入っていない。呆然とするガザボと強盗夫婦の頭上に、迎えは来たる。像を持ったまま宙へと吸い上げられていくA-kitchi。O’takiは言う。「はん、うちのひとの一人勝ちさ!」乾杯のグラスを高々と掲げるのだった。
文字数:1194
内容に関するアピール
勝手にタイトル『その~』シリーズ第3弾です。6期は提出される方の人数が多いので、いったい誰がどれを書いているのか? が少しでもわかりやすくなればと思い、タイトルに統一性を持たせようと試みています。
本梗概は愉快さと怪しさと勢いのある短編になればと考えながら練り上げました。わらしべ長者要素が入ります。小さくまとめずに大きな話にしたいです。夫婦の拠点は一応(荒廃した)日本ですが、たとえ英訳されて世界で読まれても楽しい物語を目指します。というか、海外のSF、ファンタジー、ミステリーなどが日本において広く読まれるのも喜ばしいことですが、やはり、日本の小説を日本語のまま読みたい人を世界中に増やしたいです。夢は大きく。
参考文献:デムーリン・ブラザーズの華麗なる秘密結社グッズカタログ
文字数:339
その〈Cheerio!〉にご注意ください
灼熱に鴉の声。
これももう聞き納め。遠景の陰になり黒い姿は定かでない。声だけだ。その鴉の留まっているはずの松の木も長いこと手入れをされておらず、野性を取り戻しつつあった。蝉は死に絶えたのか、今年は地上へ出てこない。パノラマの緑沸き立つ庭を見渡して、O’takiは縁側に腰を下ろす。洒落た薄ねずの紗の着物に合わせるは行灯袴と見せかけた西洋袴だった。裾からは革のブーツの足先がのぞいている。
丘の上の屋敷で、この最後の時間、O’takiは久方ぶりにひとりではなかった。
「召し上がらないの。すべてを奪うつもりでいらしたのに?」
小娘の尻上がりの口調に、かたわらの大男は肩をすくめる。
「あちいんだよ」
外気の話か、淹れたての珈琲の話か。
「珈琲は香りを楽しむものだって、お父さまもお母さまもよく仰っていたわ」
「そのオトウサマやらオカアサマやらは、おめぇをほっぽり出してどこいっちまったんだよ。まったく当てが外れたもんだ。使用人の一人もいねえとはな」
「《おめぇ》ではありません。わたし、O’takiという名があります。さあ、これでもとっておきのいいお豆なんですよ」
O’takiは大男に珈琲碗を手に取るよう促した。
「それで、あなたさまのお名前は」
「……A-kitchi」
「ではA-kitchiさん、乾杯」
O’takiは自分の持った珈琲碗をA-kitchiのほうへ寄せる。A-kitchiは碗をためつすがめつし、いくらかでも価値がないかと思案する。
「残念でございました」
ひと口、珈琲をふくんだO’takiは笑顔を見せた。
「この屋敷にはもうなにひとつ、値のつくようなものは残っておりません。その碗も安物。お高いものはみぃんな、盗り尽くされておりますゆえ」
「出遅れたんだよ、檻に入ってたもんでなあ」
O’takiは別段おびえるふうでもない。それを言えば、異様な風体の大男がひょっこり庭先に顔を出したときからそうだった。くしゃくしゃに乱れた麻のシャツ、腰のベルトには七本の短刀を携え、野に暮らす動物を思わせる幅の広い裸足。この分厚い足の収まる靴など世に存在しないに違いなかった。
「そうね、最後の珈琲はこうしてお出ししていますし、あ、この珈琲はうちの遠いご先祖さまがね、ニホンで最後のショーグンの……まあ、それはいまは置いておきまして、あとは……ああ、レディオがありましたっけ。あんまり小さくて、よそからいらした方はいままで誰も気にとめなかったのね……」
O’takiは珈琲碗の受け皿のそばに置かれてあった玩具のようなレディオに手を伸ばした。鮮明な桃色はやたら作り物じみており、これも確かに高価な品には見えない。パチリとスイッチを入れる。
【Hi, guys! こちらDonkeyDレディオ。みんなはいかがお過ごし? やー、なんだかんだSuicaDXが天下とって良かったね! ニホンに生まれて良かった! Something-pay ist tot!!】
「いらねえよ」
A-kitchiはO’takiの細い指からレディオをもぎり、耳障りな音を消した。
「あら、遠慮なさらないで。他に差し上げるものもないんですし、わたし、いま、これからこの屋敷を出るのですから」
縁側に無造作に置かれた風呂敷包みをポンとはたいてみせる。どうやら持つべき荷物はこれだけと言いたいらしい。
「ひとりでか」
「だって、お父さまはだいぶん前に女中と駆け落ちなさいましたし、お母さまもそのあとを追われるようにまた別の女中と駆け落ちなさいましたし、そのあとは歯の抜けるように次々と使用人が去っていって……」
O’takiのおしゃべりが止まらない。
「ああ、そうそう、折良く、いえ、折悪しくと言うのかしら、宅配便が届いておりまして。いっそこのまま捨て置いてと思ったのですが、差出人のお名前もなく、せめて開けてから出立しましょうかと。それでね、お頼み申し上げたいのですが」
「俺にか」
「他にどちらさまが居りましょうか」
ふたりが並んで腰を下ろしてなお、O’takiがうんと見上げるほどA-kitchiの体躯は巨大だった。A-kitchiの手のひらひとつにO’takiの尻が軽々と乗るだろう。
「この宅配便の箱を縛っている紐が固くて固くて、参ってしまったんです。もう刃物も何も残っておりませんので」
「そんなことか」
「もちろん、中身があなたさまにとって価値あるものでしたら、どうぞお持ちくださいな」
A-kitchiの目が光る。
「その宅配便とやらはどこにある?」
「あちらに置いたままに」
O’takiは何もない表座敷を振り返った。床の間にくすんだ段ボールの箱がある。O’takiが「紐」と言っているのはどうやらその箱を頑丈に縛り上げているポリプロピレンのバンドらしい。それを認めると、A-kitchiは汚れた足のまま座敷にのしりと上がり込む。欄間の下で身をかがめつつ、箱を片手に縁側に戻るとまた腰を下ろした。O’takiが覗き込む。A-kitchiは組んだ膝の間に箱を載せ、にわかに素手で「紐」を引きちぎった。
「お怪我をしてしまいます」
O’takiがその腕を両手で引き寄せる。
「するものか」
A-kitchiは鼻を鳴らした。熱い突風が鼻の穴から吹く。腰を浮かせていたO’takiは尻もちをついた。
「ふうむ?」
まず取り出されたのは分厚い冊子。O’takiの曾祖父母世代の、電話帳というところか。
「あら、お買い物の型録のようではありませんか。お母さまが大好きで……」
O’takiは懐かしげに型録を受け取る。表紙には西洋風の紋章を意識したのか獅子とアザミを象った絵がつけられ、頁のうえにはさまざまに品物が並ぶが、そのどれもがO’takiには見覚えのないものだった。きらびやかで奇抜な衣装に手斧各種、人間を突く電気仕掛けのヤギ、天井からぶら下がる骸骨……
「……お母さま宛てではなさそうね。でもお父さまのご趣味というわけでもなさそう」
A-kitchiはさらに箱の中を探る。型録の下には緩衝材が敷き詰められ、その中にまた小さな箱があった。
「開けるぞ」
「どうぞ」
O’takiは頁を繰りながら言う。A-kitchiが、なんだあ? と声をあげるのと、型録に挟まれていた紙片がはらりと落ちるのとはほぼ同時だった。O’takiが紙片を拾い上げ、細かな文字を読み始める。
「会員の皆々さま、大変永らくお待たせいたしました、お待たせしすぎたかもしれません。《YOU&EYE》439号をお届けいたします。当社自慢のオーダー・カタログを今号もどうかお楽しみください。当カタログよりグッズをお選びいただければ、貴方の結社への入会者数倍増間違いなし! たくさんの御注文を心よりお待ち申し上げております。なお、今号は、日頃より特別なご愛顧を賜っている貴方さまへの特別なギフトとして、新製品《思い出Bomb!》のサンプルを一点同梱させていただいております……」
読みながらO’takiは、A-kitchiが蓋を開けた小さな箱から片手で中身をつまみあげた。A-kitchiの太い指は箱の隙間に入らなかったからだ。
ところがその中身、O’takiの手のひらに載るとムクムクと大きくなった。
「おい、そりゃあ、」
O’takiが見たことのあるものの中で一番何に似ているかと問われれば、それは打ち上げ花火の玉だった。型録を持った手も慌てて添えるが、玉を取り落としそうになる。
「あらあらあら、どうしたことでしょう」
O’takiが声をあげると、なんと玉の導火線にひとりでに火がついた。
「捨てるんだ!」
A-kitchiが叫ぶ。O’takiは思わず手を引っ込め、ギュッと型録を胸に抱きしめた。ホロリと落ちた玉をA-kitchiの大きな手のひらがすくい取り、緑の庭の彼方へ投げやる。
A-kitchiの判断は素早かった。玉の行方を目で追うことなく、O’takiを抱え上げ、庭の片隅の通用口から表門めがけて走った。が、その俊足を以てしてもわずかばかり間に合わない。耳をつんざく爆音。のち、刹那の無音の中、爆風を背に受けたA-kitchiはO’takiの頭に手を被せながら、表の石段を転げ落ちていった。つぶった目の裏で、金と紫、赤と緑の火がさんざんに散る……
*
「ねえ、おまえさん。うれしいねえ。あたしをこんなに衣装持ちにしてくれるなんて。夫婦ってこんなにいいもんだったっけ」
O’takiの邪気なく笑った顔だけは変わらなかった。
A-kitchiはあの爆発以前のO’takiを知っているわけではない。それでも、当人がすっかり何もかも失ってしまったのはわかった。まず、丘の上の屋敷に暮らしていたという記憶がなかった。
「ああ、おめぇを物持ちにしてやるよ、この町一番のな」
「まあ、頼もしい」
そのうえ、自分たちを夫婦だと思い込んでいる。とんだ強盗夫婦だ。持ち物はいまのところ型録が一冊だけというていたらく。とりあえず、O’takiの着替えは丘のふもとの金持ちの家から拝借した。A-kitchiが盗るのは金持ちからだけだ。
「それにしても、このMadCityっつうとこは人がいねえな」
O’takiとA-kitchiは昨日今日と町を彷徨ったが、店舗にも住宅にも生きた気配というものがなかった。
「みんなどっかに逃げちまったんかねえ」
もとより丘から下のことは知らぬのか、記憶を失ったから知らぬのか、A-kitchiにはわからない。
「ねえ、おまえさん、あつぅいよ」
O’takiは型録と着物とを入れた風呂敷包みを振り回し、屈託なく言う。
いまのニホンに、季節は灼熱か極寒かしか残っていない。その合間に嵐に襲われ、人々はそれに耐える。暮らしを助けてくれるものはない。A-kitchiはひとりで、奪って生きてきた。それこそO’takiのいた屋敷のようなところから。家族を持ったことのない男だった。
「あ…蝉の声」
「そりゃあ耳鳴りだ」
A-kitchiの声は自然、優しくなった。町の中に音はない。恐ろしいほどだ。
「あんときやっぱり頭を打ったのかもしれん。日暮れまでどっかで休もうや。どうせ人っ子ひとりいやしねえ」
「あたし、あすこがいい!」
夏物の袖を軽やかに振りかざしてO’takiが指さしたのは、ほとんどあばら屋と化した何かの店の跡だ。
「ああ、具合がよさそうだ。食いもんもあるかもしれねえ」
人も車両も何も通ることのない大通りを横切り、A-kitchiが店の戸を力任せに開ける。どうやら往時は居酒屋だったらしい作りだ。O’takiはさっそくスツールに腰をすえ、鰻の寝床のように奥へと細長く続くカウンターの端にひじを突く。A-kitchiは狭すぎるカウンターの中へ無理矢理に巨体をねじ込み、酒と、水と、乾いたつまみを見つけ出した。何か飲め、とA-kitchiに出されたボトルの中から炭酸水を選んだO’takiは、ひとくち飲んで顔をしかめる。
「冷えてねえからな」
「あーあ」
カウンター上に積まれた小袋のナッツをつまみながら、O’takiは型録をめくる。
「いますぐ! 冷たいもんとか頼めないかな」
「妙ちきりんな型録なんだろ」
「そうなんだけどさあ……あ、これはどう? 《冷え冷え無限炭酸の湧く泉・ペットボトルver.三回分》。あなたの結社が盛り上がること請け合い! だってさ」
「有限じゃねえか。三回しか飲めねえってんなら」
「そうねえ、でも、欲しい! 面白そう!」
「注文はどうすんだ」
A-kitchiはニホン酒を瓶ごとあおった。
「SuicaDXが使えるって書いてあるよ、ここ、ほら」
O’takiが型録を指さす。
「SuicaDX……」
「あたしは何も持ってないけど」
A-kitchiは尻のポケットからすり切れた一枚のカードを取り出した。おもてにはDX、の文字が太く残っている。カードの端に印刷されたペンギンと思しきイラストはかすれにかすれ、かろうじて尻と足が見えるばかり。
「これか」
「うん、そうそう」
O’takiはそれを受け取り、型録の《冷え冷え無限炭酸の湧く泉・ペットボトルver.三回分》の項にかざした。
「ほら、在庫あり、お届けすぐ、だってさ」
カードと頁の間に文字が浮かぶ。O’takiはかざしたカードをそのまま型録に接触させた。
タン
と音がして、広げた型録の横、カウンターの上に500ミリサイズのボトルが現れた。
きゃはははは! とO’takiの声が響く。
「面白い!」
「待て待て」
さっそく飲もうとするO’takiを制し、A-kitchiが炭酸水のボトルに手を伸ばす。見たこともない、ロバのラベルが貼り付けてあった。確かによく冷えていて、ボトルの外側に汗をかいている。A-kitchiはうさんくさげにボトルを持ち上げた。
「ねえ、冷たいうちに飲まして」
O’takiが子どものように両の手を伸ばす。A-kitchiは黙ってキャップに手を掛ける。プシッと耳にさわやかな音をさせ、あっけなく開いた。
ひとくち。
「おいし?」
O’takiが首をかしげる。
「……ああ」
液体が胃の腑の中で何か悪さをしないか、しばし間を置く。それから、O’takiにボトルごと渡してやると、たいそう喜んで喉を鳴らしながら飲んだ。
「いくらでもいける、」
A-kitchiはその様子を見守った。
「けど、ねえ、これ」
「そうだなあ」
O’takiはカウンターの上にボトルを置く。再び水平に戻った中身はだが、減っていない。
「三回分っつうことはつまり、」
A-kitchiはがぶ飲みした。地鳴りのようなゲップをひとつ。カウンター奥の棚に残されていたグラス類がビリビリ揺れた。
「こういうことか」
「そういうことね」
夫婦の声が重なる。おおよそ1.5リットル飲んだかというところで、ボトルは空になったのだ。
「よし、O’taki。これをひとケース、いや、ふたケース分……残高で買える分だけ注文しようや。この町はともかく、川向こうにはまだ人がいるはずだ。夜に明かりが見えたからな」
*
その日の日付の変わるか変わらぬかの頃、A-kitchiは戻った。
担いでいった《冷え冷え無限炭酸の湧く泉》はよく売れた。その場では仕掛けがバレないのが功を奏した。
「見ろ、O’taki」
O’takiは床下から引っ張り出してきたウメ酒に酔っ払ってカウンターに突っ伏し、軽やかな寝息を立てていた。その寝顔のわきに、あのすれっからしのSuicaDXが置かれる。
「残高が増えたぜ」
O’takiは寝惚けていた。
「おまえさん、もぅ、帰ってこないのかと思ったよぅ」
「……おめぇ、なんともなかったか」
「なにがぁ」
A-kitchiを見上げる。暗がりに男の目は獣のような緑に光った。燃えるような緑。O’takiは微笑んだ。型録の上にひじを突く。
「だいじょうぶ。もう頭も痛かないよ。ちゃんと型録を守ってたさ」
「さすが俺の女房だ」
「そうさ、あたし、おまえさんとひとつ蓮の上に生まれたんだ」
O’takiの目は潤んでいる。
夜が明けると、夫婦はさらにまともな建物を探して移動した。O’takiはA-kitchiの片腕の中に収まっていた。丸まった体が懐炉のように熱い。
「熱があるなら、そうと言え」
「自分じゃ、わからないんだよぉ」
手足をばたつかせたO’takiの小さな尻を、A-kitchiは抱え直す。
「目星はもう付けてある。夕べ、川向こうから見たときにわかった。この町の内側からは見えねえように明かりをつけてる家があるってな」
「ふうん、よさそうかい?」
「古い建物だが悪くねえ、広そうだしな」
おめぇの屋敷より広いのはこの町にはねえがな。A-kitchiは口の中でつぶやいた。
「ほれ、もうそこだ」
カサカサに干からびた大通りから小道に入る。A-kitchiの裸足の足裏は暑さも熱さもものともしない。
建物は変わった作りだった。母屋と思しき木造二階建てが通りに面し、そのわきに石の門構えがあって、石畳が奥へと続いている。離れがいくつかありそうだ。母屋のよろい戸にはいちぶのすき間もなく、中はうかがい知れない。と思うと、キヒヒヒ、ケヒヒヒ、と奇妙に笑いあう声が石畳の奥から漏れ聞こえた。
「だれかいるねえ」
A-kitchiは無言でO’takiを地べたに降ろした。腰の短刀を抜くのを、O’takiは初めて目にする。
「あ、待って」
歩幅は比べものにならないから、O’takiは小走りになる。A-kitchiの体に阻まれて前方が何も見えない。びしゃり、と水音がした。
「だめ」
O’takiがA-kitchiの腕にぶら下がる。が、その目に映ったのは石畳にのたうつ蛇管の姿だった。びしゃり、びしゃり。飛び散る水がすべてを濡らした。O’takiも、A-kitchiも、向かいに茫然として立ち尽くす男ふたりも。
「で、出たな! 大どろぼう!」
「大どろぼう、A-kitchi!」
男たちが震える声を張り上げる。ひとりは短身の小太り、もうひとりは長身の痩せ型。短身のほうがやや年嵩かもしれなかったが、いずれにせよどちらも若い。
「お、オレたちは、は、ゆんべお前がここいらをうろつくのを見たんだ!」
「んだもんで、最後の晩餐して、身ぎれいにしてから死ぬんだ!」
「誰もコロスとは言ってねえ。ここを明け渡せや」
「ひー!/ひー!」
ふたりが声をそろえ、A-kitchiはO’takiをぶら下げていないほうの片手で短刀を弄ぶふりをした。
「おまえさん、かわいそうじゃないかい」
O’takiがA-kitchiの腕から飛び降りて言った。
「……お嬢?」
短身のほうがぽつりと言う。
「御髪が乱れておりやすけど、O’takiお嬢さんにちげえない!」
続いて長身のほうが叫んだ。A-kitchiが片眉をあげる。
「確かにあたしの名前はO’takiだけど? あんたたちなんぞ知らないよ?」
「ああ、お嬢、お労しや、お労しや……」
「あれからお屋敷で……御苦労なすったんですね……」
「お嬢? お屋敷? なんのこったい」
O’takiは両手を広げた。
「あたしはこの人の、このA-kitchiさんの、恋女房さ」
「ひー!/ひー!」
再びふたりが声をそろえた。
「うるせえな」
A-kitchiはもはや短刀で髭をあたっている。ふたりの男たちはいつの間にか、涙を流してO’takiを拝んでいた。
「ああ、お嬢……いや、姐さん。おれたちが悪うございやした。あなたさまを見捨てて屋敷を出たなんて……どうかしてました、お許しを。これからはいついつまでもお供しやしょう」
「そうかい、そうかい」
O’takiは降ろした手を腰に当てる。
「よくわかんないんだけど、じゃあ、これからはあたしたち、みぃんな家族さね」
えっ、と今度は三人の男たちが顔を見合わせる。
「さあ、こっからはあたしが養なってやるよ、ついてきな!」
勢いよく言うとO’takiはそれから、バターン! と後ろに倒れた。
**
「今度は何を買うかねえ」
寝床でしこたま眠り快復したO’takiは、また熱心に型録の頁をめくっていた。せまくボロく、比べものにならないながらも、離れの縁側でそうしているO’takiを見ると、フーフーはかつて仕えていた場所を思い出さずにはいられない。
「……そういえば奥さまが、そういうのお好きでしたからね」
「奥さま?」
「いえ、こっちの話です」
もごもごと話を打ち切る。
「姐さん、ちゃあんとお水を飲んでくださいね、また熱射病で熱が出ますから」
長身のジャバーが湯飲みに水を汲んで戻ってきた。この建物には水も電気もまだ生きている。元庭師のフーフーと元運転手のジャバーは、離れの一画を改造し、工房のようにして使っていた。ふたりとも何かを工夫するのが好きだった。フーフーが作業場に置きっぱなしのレディオのスイッチを入れる。
【Hi, guys! こちらDonkeyDレディオ。みんなはいかがお過ごし? やー、今日はトウキョウにお住まいの〈E-ringの民〉さんからリクエストをもらってるので、夏にぴったり、ご機嫌な一曲をまずお届けするよ。それでは、聴いてください。いまをときめく野生のアイドル〈E-ring〉で『恋花火』……】
そこへ急に雲の覆うように影が落ちた。A-kitchiがレディオを止めたのだ。
「おまえさん、」
O’takiが笑顔になり、フーフーとジャバーは身を縮める。
「おう、どうだ、調子は」
「もうだいじょうぶ。男ってぇのは、雁首そろえてみぃんな心配性かい」
A-kitchiがO’takiのわきに腰を下ろす。O’takiはふと、何かを思い起こすように遠くをみやる……はずが目の先はもうブロック塀だから、またすぐに型録を眺める作業に戻る。
「おめぇら、このあたりにはまだ人が残ってるとか、くだらねえウソつきやがったな」
「はあ……いやいや、ウソなんてとんでもねえ!」
ジャバーが震える。
「旦那がうろついたら誰でも隠れるでしょうが。あんたが見にいったって意味ねえんです」
フーフーがもっともらしいことを言うが、ぎろりとねめつけられ、ふたりはまた、
「ぃー!/ぃー!」
と縮みあがるしかなかった。
「そんなことよりさあ、あたし、これが欲しい」
「どれ、」
A-kitchiはあっさりとふたりを見限り、O’takiの手元をのぞき込む。型録のだいぶん尻のほうの頁だ。
「Cosmo-kannon」
「こすもかんのん」
A-kitchiが復唱する。
「なんじゃ、そら」
つられてフーフーとジャバーも向かいからそぉうっとのぞいた。
「だって、いっとう綺麗じゃないか、このカンノンさまさあ」
両の頬に手を当ててO’takiは言う。型録の中のCosmo-kannon像は、ゆったり寛いだ様子で片膝を立てて座し、伸ばした指の先までこのうえなく優美だった。頭上の化仏は目を凝らしても見切れぬほどの細やかな装飾、まろやかな顔の輪郭に、女とも男ともつかぬ体つき、いかにも柔らかに流れ落ちる天衣。
「それに限定生産だって」
O’takiは限定という言葉に弱かった。
「お値段はぁ……」
「ぴち億yenでございます、若奥さま。cheeeeeeeerio!!!」
O’takiが悲鳴をあげ、フーフーとジャバーはひっくり返り、A-kitchiが頭髪を逆立てる。
「なんだてめぇは!?」
「Cheerio!」
二本足ですっくと立つ、スーツ姿のロバは再び叫んだ。
「この出会いを祝して乾杯です!」
なぜ、ワイングラスを捧げ持っているのか。
なぜ、全身がそこはかとなく震えているのか。
なぜ、頭がロバなのか。
ロバ男の首から下は、清潔でパリッとした白いYシャツのために杳として知れない。
「どっから湧いてでやがった」
「アッチの海のほうから来ました!」
このへんから海なんぞ見えないですよ、旦那……とへっぴり腰のフーフーがA-kitchiに耳打ちする。フーフーの言葉を打ち消すようにロバ男は声を張り上げる。
「日落句の海のほうから参りました! ワタクシ、トーストと申します! 以後、お見知りおきを」
「ここの頭領はあたしだよ」
ようやく気を取り直したO’takiが立ち上がる。フーフーとジャバーに目配せをし、ふたりをロバ男・トーストの後ろに回らせた。
「ノーノー! ワタクシに触れてはなりません」
察したトーストがワイングラスを振りかざす。中身が飛び散り、フーフーもジャバーも思わずあとずさる。
「とっとと用件を言いな」
「さすが若奥さま、話が早い」
トーストはうんうんとうなずいた。
「端的に申しますと、若奥さまがいまお持ちの型録は手違いで配送されてしまったものでございます」
「と、言うと?」
O’takiは前に出ようとするA-kitchiを留め、トーストに先を促す。
「すなわち、《YOU&EYE》439号を可及的速やかに当方にお返し願いたいのであります」
「やなこった」
O’takiは言った。
「まだ買いたいもの全部買ってない。さ、これで話はお終い」
「ノーノー! 困ります困ります」
トーストの鼻息が荒くなる。
「ねえ、A-kitchiさん、みんな、億のyenをかせぐ前に、今夜はぱぁっとやろうじゃないか。肉喰ってさ」
O’takiが縁側に型録の別のページを広げると、お腹を空かせたフーフーとジャバーが飛びついた。“結社パーティ用培養肉ごちそう例”の文字と素晴らしい食卓の絵が添えてある。
「SuicaDX決済でいいんだろう?」
O’takiは眉をあげてみせる。トーストはひるんだ。
「ソーセージは俺が焼こう。盗人はソーセージを焼くもんだ」
A-kitchiが短刀を打ち鳴らす。
「在庫は?」
「あり!」
O’takiがSuicaDXを手にしている。
「それはもちろん豊富に取りそろえてございますが、なにぶん、家内制手工業ですので製造に限界がございましてまして……」
いまや誰もトーストの話を聞いていない。
「それにぃ……こちらの型録ですね、御覧になっちゃったのでお分かりかと思うのですがね、秘密結社の皆さま向けの仕様になりまして、ご利用には推薦が必要となります。どうも、強盗の御夫妻には不向きかと……」
「それだ!」
A-kitchiが短刀を両手にぐるん、と振り返る。
「聞いてらっしゃったんですか、旦那さまぁ!!」
今度はトーストのほうがひっくり返らんばかりになる。
「よし、O’taki、強盗はもう流行らねえ、こっからは秘密結社だ!」
「なにそれ、ステキ! さすがおまえさん」
「さあ、そうと決めたらこの型録で稼いで、人を集めて、稼ぐぜ!」
「そんであたしたちが、新しいニホンの頭領夫婦になって家族を増やすのね! ステキ!」
O’takiがうっとりと培養肉ソーセージを大量注文し、フーフーが、甘いものも頼みやす、と懇願し、気の早いジャバーがBBQ用グリルを引っ張り出してきた。
「あ、あ、若奥さま、そんなに一度に大量に御注文なさって、あ、あ、あ、ありがとうございます! いえ、型録を、どうかお返し願いたく……あ、あ、生産が! 間に合わない!」
トーストは錐揉みしながら宙に消えていった。一同は次々現れるソーセージに夢中で気が付かない。
その夜、のちに〈ロッジ〉と呼ばれるこの木造建築には、地域に息をひそめて暮らしていた人々が寄り集まり、A-kitchiの丹精して焼いたプリプリの大ぶりソーセージを食べ、麦酒を飲んだ。
「姐さん」
「旦那」
「姐さん」
群がる人々の顔を、O’takiは満足げに見渡す。石畳の上に焚いた火が、それぞれの顔を橙に照らす。串に刺したマシュマロをフーフーが火にかざしていた。香ばしく甘ったるいにおい。焼けたばかりのマシュマロをクラッカーで挟み、辺りを走る子どもたちに渡してやる。
「さあ、みぃんな今日から秘密結社の家族だよ。なんとしてもこのチバのMadCityで生き残ってく!」
O’takiの声は朗々と響き、夜は更けていった。
*
それからO’takiの注文したものはまず、電気仕掛けのヤギが一頭。なんでもそのヤギが秘密結社加入の儀式の鍵となるらしい。はじめにヤギが〈ロッジ〉の縁側に姿を現したときには、注文したはずの当のO’takiも口を開いたまま見つめた。じつのところ、ロバもヤギも、その目で見たことなどなかった。もちろんそれはA-kitchiもフーフーもジャバーも同じことで、この貧国ニホンにはすでに、動物を愛玩用として飼ったり、家畜を食用に飼ったりする余裕などなかった。
「ホンモノの……」
「姐さん、型録にはなんて?」
「……充電してからご利用ください、ってさ」
フーフーがヤギの尻に回って確かめた。
「Type-Cでイケます」
旦那ぁ、とジャバーがちょうど外から戻ってきたA-kitchiに声をかける。
「こいつ、ひどく重たいんですが、離れの中まで動かせますかね」
「俺に動かせねえもんなんかねえ」
A-kitchiは鼻で嗤う。どこかからかっぱらってきたらしい頭陀袋をその場に投げ捨て、やすやすとヤギを小脇に抱えた。
「ふぅん、ヤギ。O’taki、なんに使うんでえ」
O’takiはA-kitchiが抱えたヤギを、前から後ろから眺める。充電前のヤギはもちろん、動かない。
「あたし、型録の付録を読んで、秘密結社のべんきょうしたのさ」
「O’takiは字ぃ読むのが好きだなあ」
「そいでね、このヤギに、結社に入りたいやつを乗せて運と肝を試すんだとさ。肝の据わってないやつはうちの人間じゃないね」
「姐さん、来たやつはみぃんな家族にするんでは?」
「近頃じゃあ間諜が紛れてるって、風の噂でさ。ねえ、おまえさん。裏切りは許さない」
「ああ、O’taki。さっきYogiri-no-Watashiは押さえてきたぜ。これで川向こうから渡って来れるやつはそうそういねえ」
「じゃあ、今晩だね」
「今晩また、招集かけますかい」
ジャバーがずり落ちてきた袖をまくりあげながら言う。
「ヤギの準備ができたら、《ゆーあい》の集いがあるとふれてまわっといで。腹いっぱい喰わせるよって」
「あい!/あい!」
日が暮れるとO’takiは離れの囲む石畳の上で火を焚いた。そこへいまにも丸焼きにされんばかりのヤギが一頭。ただし、充電済み。ぼちぼちと人が集まりはじめた頃、しかし、
「Cheerio!」
と例の声がした。
「出たな、ロバ野郎」
A-kitchiが立ち上がる。
「若奥さま、旦那さまに、乾杯! またまたお会い致しましたね! ここで会ったが百年目! 型録、お返しいただきます!」
凜々しくたすき掛けをしたO’takiは泰然とトーストの存在を無視し、そのわきをフーフーとジャバーが固め、〈ロッジ〉を訪れた者たちは次々とヤギに乗った。ある者は歓喜の声を、ある者は恐怖の声を、またある者は狂気の声をあげ、ヤギの背で跳ねた。ある者は宙を舞い、ある者は飛んでいき、二度と帰らぬ者もいた。炎と儀式の夜は熱を孕みふくれあがる。
「葡萄酒、黒蜜糖、山査子、枸杞の実……」
儀式を済ませた顔ぶれのうち、行くあてもなく〈ロッジ〉に住まわせることとなった者たちに、O’takiはどんどん名前を与えていった。
「言いたくないこともあるだろ、ここじゃみんな名乗らなくてもいいさ」
どれも〈ロッジ〉にあった食料や飲料の呼び名だ。女も男も子どももいた。誰もが顔を赤くしてO’takiを見つめていた。
焚いた火に照らされたO’takiはほんのりと汗ばみ、瞳も頬も輝いている。指示を出す細腕が白く闇に浮かびあがる。A-kitchiはO’takiの様子をじっと見、それからまたトーストに向き直った。
「よぉ、こないだは言いそびれたが、よくも《なんとかボム》とかいう土産をO’takiにくれて寄こしたな」
「《思い出Bomb!》でございます、旦那さま」
トーストは丁寧に辞儀をする。
「おかげでO’takiはこれまでの記憶をすとんとなくしたようだぜ」
「それは若奥さまの思い出が、素晴らしく大きなものであった証でございます、旦那さま。Bombの威力は手にした御方の過去への思い入れに比例致しますゆえ」
「どうだかな。爆弾入れて寄こしただけで、そんな理屈と関係あるとは思えねえ、俺はな」
A-kitchiはロバの耳にかがんで口を寄せる。声を低めたが、トーストの耳は風圧で傾ぐ。
「O’takiはあのときひどく頭を打った。記憶がねえのはそのせいだと俺はふんでる。おめぇんとこの妙ちくりんなブツのせいじゃねえ」
「と、いうことは、型録はお返しいただけると?」
は、とA-kitchiは笑い飛ばす。
「その逆さ。O’takiが気に入ったものは返さねえ。慰謝料としていただいとくぜ、じゃあな」
おぅい、とA-kitchiはO’takiに向かって手をあげた。
「このロバもヤギに乗せてやんな」
「あい!/あい!」
フーフーとジャバーに追い立てられ、ワタクシに触れてはなりません! と叫びながら、トーストはとうとう電気仕掛けのヤギの背に乗せられた。
「あー! ワタクシは、何処の結社にも属しませんよ!? あー!」
きゃはははは! とO’takiの声が星の見えぬ夜空に響く。トーストはまた錐揉みしながら、跳ねるヤギの背のうえから消えていった。
**
ヤギはジャバーがyarukariの裏サイトを通じて転売した。O’takiとA-kitchiは晩酌をしている。水浴びのあと白地に紺の浴衣を着たO’takiは、見る者に不思議に清廉な印象を与えた。
「はぁー、ボロい商売だな」
「……天下の大どろぼうがそれを言いますかね」
ジャバーがひとりごつ。
「いや、金はいくらあってもいい。どろぼう稼業は廃業したし、みんなを養う頭領なんだからね」
「……姐さんの口からそう聞くと感慨深いものがありやす」
フーフーが目をしばたたかせる。
秘密結社は人気を博した。珍妙なヤギに乗せられロデオをさせられようが、なんといっても喰わせてもらえる、というのが評判になった。会費を払える者には会費を納めさせ、住むところのない者は〈ロッジ〉で共に暮らした。
「姐さん、」
不意に、かん高い子どもの声がO’takiを呼ぶ。
「なんだい、黒蜜糖。今晩は集会じゃないんだから、もう寝な」
黒蜜糖と呼ばれた少年は、その名のとおり真っ黒な髪をなびかせて訴える。
「でも姐さん、門の向こうからこっちをのぞいてるやつがいるよ」
「おめぇ、こっから門の向こうが見えんのか。この暗がりで」
A-kitchiが聞く。
「黒蜜糖はカンがいい。案外ほんとうかもしれないよ、おまえさん」
O’takiが立ち上がった。
「よし、ジャバー。離れから〈シリウマ・ライダー〉を出しな」
シリウマはジャバーによく懐いていた。
※相手を選び取り扱いが難しいため、ただいま20パーセントoffセール中。
とあったのを、O’takiが型録から注文したのだ。O’takiはセールに弱かった。
「ぃー!」
フーフーが叫び、引かれてきたウマの蹄から遠ざかる。先に鋼鉄のシリウマにまたがったのはジャバーのほうで、それから、相棒に手を差し伸べた。シリウマはふたり乗りである。標的をどこまでも追いかける習性があった。
黒蜜糖を布団に戻し、フーフーとジャバーが行ってしまうと、O’takiは開け放った門扉のあいだから、もう一度外を見た。
「Hey, O’taki=san」
「だれだい」
O’takiは飛びすさり、その前に烈風のようにA-kitchiが飛びこんでくる。O’takiの目に一瞬ちらりと映ったのは、山高帽の下に光るふたつのレンズ。
「これはこれはウワサに違わぬ……お目にかかれてコウエイです……It’s me, ガザボ!」
「ガザボ? 知らねえな」
「コチラは存じておりますよ、A-kitchi=san」
縦に細長い洋装の男のシルエットが闇にぼんやり浮き出た。
「姐さーーーん、旦那ぁーーー、そいつぁ、ガザボです!《East-ring》の頭領の!!」
鉄のウマの重いひづめの音のあいま、道の先からフーフーの声がした。
川向こうの結社、とO’takiがA-kitchiのわきでささやく。つい最近、命からがら《East-ring》から逃げてきたという者を受け入れたばかりだった。身ぐるみを剥がされ、本当に下着ひとつで川を泳いでやってきたのだ。いまは母屋の二階に寝泊まりしている。組織の景気はいいが、下々には厳しいという話を聞いた。
「下がりな。うちのやつらに手は出させねえ。女房の方針でな。てめぇの細首なんぞ、手で千切って捨ててもいい」
A-kitchiが唸った。背後からはシリウマに乗ったジャバーとフーフーが迫り、ウマはいななき、高く前脚をあげる。
「Oh, コレもウワサに違わぬ……」
ガザボは両目にはめ込んだレンズに手をやった。Tap. ウマを避ける。
「華麗なるフウフ・アイ。ファビュラスな華麗度です」
勢いあまったシリウマがA-kitchiと入れ替わりに門扉の中に飛びこんだ。
「姐さん、川べりまでこいつの手下を追いかけてウマで蹴り飛ばしてやろうとしたら、ふと消えちまったんです」
「こいつはどうします、姐さん」
フーフーとジャバーも勢い込んで同時に喋る。騒ぎに気付き母屋から出てくる顔もちらほら。
「こっちから用はないが、そっちの用向きを簡潔に言いな。三行以上喋ったら、うちの人が首を引き千切る」
「ミョウな商売をしているライバルがあるとかないとか聞いて、ゴアイサツに伺ったまでのこと。もうオイトマします」
またもレンズにTap. するとガザボの姿はかき消えた。
「cheerio…」
言葉を呑んだ一同の目の端で、今度は小さな声がした。シリウマがガシャリと跳ねる。
「なんだい、おまえ、来てたのかい」
O’takiは驚かない。フーフーとジャバーに顎で合図をして、〈ロッジ〉の皆を落ち着かせるように指示をした。
「隠れていやがったな」
A-kitchiは目を剥く。
「いやあ、そんな、旦那さま、ヒト聞きの悪い……あのヒト、面倒なんでねえ」
「知り合いかい?」
「というほどでも」
トーストはグラスを掲げた腕を広げてみせる。
「ねえ、あいつのしてたレンズはなんだい、あれ。知ってんだろう」
O’takiが迫ると、トーストはいつもの調子で、ノーノー! 触れてはなりません! と大騒ぎをした。前と後ろ、O’takiとA-kitchiで挟み込む。
「あ、あれは華麗度スコープという代物です」
とうとうトーストは言った。
「あのヒトは、六神通がひとつ、天眼通の能力をあの御道具によって授かっておりまして、さっきの姿も実体ではないですね、部下はともかく、当人だけは」
「ふうん、型録に載ってるのかい? あたしは見たことないけど」
「あれはウチの製品ではないですな!」
「じゃ、どこの、なんなのさ。あたしも使いたい」
O’takiは唇を尖らせる。A-kitchiが腰からナイフを抜いた。
「ヤブからスティック! カタログカエセ」
普段から震えているトーストがさらに震える。
「ああん? 聞こえねえな」
「そもそも他所の秘密結社と競うのもあなたがたの仕事のうち……生き残りたければ……生きウマの目を抜くしかないのです……」
そう言うとロバは回転を始める。こうなったら止められないのはもうわかっていたから、O’takiはトーストにかまうのをやめた。
「ねえ、おまえさん、」
A-kitchiの腕に腕を絡ませる。
「あたし、もっともっと、金持ちになりたい」
「ああ、なれるさ」
「誰にも追いつけない夫婦になりたいの」
「なるさ」
O’takiとA-kitchiはひとつの影になった。背後にロバが飛ぶ。
*
それからのO’takiの買いっぷりには目を見張るものがあった。あの頃の奥さまを思い出す、とフーフーは隠れて涙した。ジャバーはA-kitchiに裏サイトのノウハウを伝えたが、A-kitchiの添える文言のあまりの怪文書ぶりが信憑性をかえって高めるとして、出す品出す品、高値がついた。
O’takiお気に入りの電気仕掛けの動物シリーズは役に立つものから立たないものまで様々だった。〈シロックマ〉は洗濯が得意だったが色柄物もすべて真っさらにしてしまうし、〈クジャクのジャック〉は掃除が得意だったが朝夜ともに9時にしか起動しなかったし、〈パン・ダ〉は朝食をともにしてくれるがパンしか食べさせてもらえないし、目覚まし代わりの〈ドラミング・ゴリラ〉はA-kitchiとすこぶる相性が悪かった。
しかし、モノは売れた。《ゆーあい》は瞬く間に金持ちになり、〈ロッジ〉の支部も持った。ただし、すべて川の此方側だ。
「Cosmo-kannon……」
ついにカンノンに手が届く。
「まだ諦めていなかったんですか……cheerio!」
「おまえのチェリオウも焼きが回ったね、もう怖かないよ」
O’takiは夕暮れの縁側に現れたトーストに目もくれない。
「あたしら夫婦は、いま、最強になる」
フーフーとジャバーが〈ロッジ〉にいるすべての人間を集めてきた。山査子がまるで父親のように黒蜜糖の手をしっかり握っているのを横目に見て、O’takiは口の端をあげた。
「この、SuicaDXがあればね」
おおー、と〈ロッジ〉にどよめきが起こる。A-kitchiが太い指でO’takiの前に型録の頁を扉のごとく開き、O’takiはA-kitchiの顔を恍惚の表情で見あげながらSuicaDXをかざした。
「いいですか、若奥さま、旦那さま。ワタクシどもはいままでに二度、ちゃあんとした会員さまにCosmo-kannon像をお届けした経験がございます。おひとかたは本懐を遂げてお幸せに、もうおひとかたは逆に欲をかいて不幸におなりあそばしました。あなたがたがこの先どうなるのか、ワタクシには知りようもございません……ですが、ちょいとばかりお耳を拝借……いえね、若奥さま、あなたがたのこと、見ていたら可笑しくて可笑しくて……」
トーストの姿は遠巻きだったが、声は近かった。
「たとえCosmo-kannonさまの像を授かっても、ただただそのまま願いが叶うわけではありません。Cosmo-kannonさまのお告げをその身に受けることができなければ、意味はないのです。あのガザボの先代のように……」
O’takiは夢の中の心地がした。
夢の中の心地なのにニンニクのにおいがした。それから、肉の焼けるにおい。生きた牛の肉はニホンではもう出回っていなかったから、当然、培養肉ではあったけれど、香ばしいにおいはかつての肉と大差ない。ただ、血の通った肉ではないために色は白っぽい。それでも、ステーキ肉ほどの大きさになれば値段はそれなりで、このところとんと御無沙汰だった食材のひとつだ。O’takiは、儲かりそうなものを買い付ける目はあったが、自分の暮らしぶりに金はかけなかった。
「おまえさん、どうしたの。そんなのあったんなら、黒蜜糖に喰わせてやって」
夢の中でも腹は鳴る。A-kitchiが背中で笑うのが見えた。〈ロッジ〉の台所は狭すぎるから、A-kitchiはいつも縁側に出て料理をする。外が明るい。いまは炭火の上に網を置き、鉄のフライパンをジリジリと揺らしているところらしかった。覗きにいくと、いつものことながら、A-kitchiの手で扱うフライパンが小皿のような大きさにしか見えない。肉にはほどよい焦げ目がついていた。石畳の空間が、ほんの一瞬、緑の庭に見え、O’takiは目をこする。
「おめぇに腹いっぱい喰わせてやるよ。もう、Cosmo-kannonは手に入ったんだからよ」
そうだ、Cosmo-kannon像は。O’takiは自分が胸に抱いているものに気が付く。石を磨いたようななめらかさなのに、木のようなぬくもりのある、不思議なさわり心地だった。O’takiは両の手のひらを合わせたうえに像をのせてしみじみと見つめた。こちらを見、微笑んでいるとしか思えない。優しげな唇。型録で眺めていたときにはもっと澄ましていたように見えた。じっと見つめていると、吸いこまれるよう……O’takiの目の奥に、とりどりの色の火花が散る。腹の底に響く、火薬の破裂する音。
肉のにおいはもうしない。代わりにフーフーとジャバーが中庭でパンを炙っていた。いつもの朝だった。まだカンカン照りになる前の、貴重な時間だ。
「おかわりあるから、ちゃんと並びなあ」
フーフーがみんなに声をかける。O’takiはA-kitchiの広い胸のうえで、その呼吸にあわせて上下に揺れていた。Cosmo-kannon像は、手の中にあった。夢とひとつ違うのは、カンノン像の優雅な手首にあった小さな腕釧が、大きさだけを変え、O’takiの腕にはまっていること。O’takiは身をぶるりと震わせた。
「おまえさん、ああ、A-kitchiさん、起きて。夢じゃなかった。あたしたち、お告げを受けたよ」
O’takiは粗末な床の間に像をそっと置いて拝んだ。
**
ここに至り、Cosmo-kannonは悟りを得た。あまねく地上の衆生を救うには――BIGBANGしかない。
*
「お告げ」
A-kitchiはぼんやりしていたが、O’takiには確信があった。
「俺ぁ、肉を焼いてただけだ」
「花火、観にいこう!」
「そりゃあ、いつの話だ」
A-kitchiはぽかんとしている。そんなものは前世紀の話だ。
「おまえさんも、夢ん中で見たろう、あの光。それに、聞いたろう、あの音。それを追っていけばいいのさ」
「おめぇ、まさか……」
O’takiがすべての記憶をなくしてから。A-kitchiと夫婦であると思い込んでから。あの丘の上の屋敷にO’takiが戻ったことはない。が。
「戻りたいか」
「なに? なんのこと?」
「いいんだ、俺たちぁそもそもが他人だからな」
「ばかだね、おまえさん。夫婦はみぃんな他人だよ」
O’takiは、きゃははははは! と他愛なく笑った。
「さ、そうと決まったら、あたしらもパン焼いてもらいにいこ」
O’takiはA-kitchiの片腕を両腕で引く。その手首にはまった腕釧を、A-kitchiも確かに見た。
中庭ではみんな、長椅子で、地べたで、思い思いの格好でパンをかじり、水を飲んでいた。今朝はひとりにひとつ、苹果が配られている。
「みんな、今日の夜から、あたしとA-kitchiさんは花火のあがってるとこを探しに行く。しけたやつじゃないよ、ドカンと夜空にあがるやつさ。そういうふうにCosmo-kannonさまからお告げを受けたんだ」
ほぉう、というさざめきの中、女がひとり立ち上がる。
「わたしは反対ですね、お嬢」
枸杞の実だ。もともと丘の上の屋敷に長く勤めていた気の強い壮年の女で、フーフーとジャバーは頭があがらなかったし、O’takiを決して「姐さん」とは呼ばなかった。
「あんなロバ野郎の寄こしてきたものをそのまま信じるなんて、危険すぎます。わたしは神も仏も信じない」
「そう」
とO’takiはうなずいた。他には、と中庭を見渡す。
「儂は姐さんに賭ける」
赤ら顔の葡萄酒がしわがれた声で言った。
「いままでもこれからも、姐さんと旦那の運に賭ける。それしかねえ」
そうだ、それしかねえ、という声もしたが、続いて黒蜜糖が飛び出してきた。慌てて山査子が伸ばした手もすり抜ける。
「でも姐さん、行ったら帰ってくるの。もうもどってこないのじゃないの」
「そんなわけ、ないだろう」
O’takiが縁側から手を伸ばした。ここで誰もがO’takiの腕釧に気付き、辺りはしんとなる。
「必ず戻る。おまえたちを幸せにするのが、あたしの願いでもあるんだ」
「O’takiの好きにさせてやってくれや」
縁側に腰を落ち着けたA-kitchiは、頬杖をついたまま言う。
「だがね、旦那、O’takiお嬢のそばを片時も離れないと誓えるのかい。あんた案外抜けてるんだから」
枸杞の実が食ってかかり、A-kitchiが唸る。フーフーとジャバーが抱き合って震え、しかし、言った。
「じゃあせめて、このフーフーとジャバーを連れてってくださいよ、いないよりマシでしょう! 最後までお供しやすから!」
O’takiは腰に手を当て、口を開こうとした。
「Cheerio!」
「なんだいトースト、いまだいじなとこだよ、すっこんでな」
「いえいえ若奥さま、御身ひとつでよくぞここまで成り上がりなさったものです。それにワタクシの名前を……ワタクシ感激しております」
間近で見たのが初めてだった黒蜜糖は、ロバだ、と声に出した。
「ええ、ええ、ですから、特別に、ですよ。不肖ワタクシがお供いたしましょう。死がおふたりを分かつまで」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
O’takiは顔をしかめる。
「なんてったってあたしら、ちゃあんとCosmo-kannonさまからお告げを受けたんだ。同じ夢の中でね。浪漫的だろう?」
「ロバ野郎を連れてく筋合いはねえな。俺たちはふたりで出発する。はじめのあのときのようにな」
「A-kitchiさん……」
O’takiが感極まった。フーフーとジャバーがみんなを〈ロッジ〉の母屋の中へ慌てて詰め込む。
「おふたりの世界のところ大変申し訳ないのですが……」
トーストが声をひそめた。
「ガザボが必ず追ってまいりますよ。せんにあの華麗度スコープで、あなたがたを捕捉したんですから」
「なぁ、O’taki」
A-kitchiはO’takiの耳にささやく。
「俺の知ってる昔の《East-ring》は、あんなガザボなんてキザ野郎が仕切っちゃいなかった。あいつは怪しい」
「そうねえ、おまえさん。あいつ、気に入らないから出し抜いてやろうかねえ」
「そうですそうです、そのために、ワタクシをお連れになるのが賢明ですよ。華麗度スコープ避けになりましょう……つきましては……」
「わかった、返すよ、型録」
「O’taki、」
「もちろん、大願成就のあかつきにはってことさ。ねえ、おまえさん。そうしたら、あたしらもうなんもいらないだろう? ううん、もちろんくたばる気なんてない。ひとつ終わるんなら、また何か新しいこと始めたいな。それでみんなも養ってけるさ、ね」
「おめぇ、やっぱり……いや、いまはいい。O’takiがそれでいいんならな」
「交渉成立で、よろしゅう御座いますか」
きゃははははは! O’takiの声はどこまでも空に明るい。
*
「すまないね、おまえの気に入りなのに」
〈シリウマ・ライダー〉だけは売らずに残してあった。いまや、ようようO’takiにも懐いてきている。ジャバーがO’takiを馬上へ押し上げ、続いてA-kitchiが尻に乗ると、シリウマは少し抵抗したが、幾度か足踏みのすえ、落ち着く。
「どうどう、よしよし。姐さんと旦那を頼んだぞ」
ジャバーが泣いた。フーフーがそれを肘でつつく。
「しみったれてんじゃないよ、笑って待ってな」
A-kitchiとフーフーとジャバーは、なんとなく顔を見合わせ、そして誰からともなく吹き出した。
「じゃあな」
とA-kitchiは言った。シャツの腹に型録を仕込んでいる。Cosmo-kannon像は、O’takiが風呂敷にくるんで背負った。
「ワタクシ、ロバですからウマには乗りません」
「だろうね。どうにかしてついといで」
誰そ彼どきに〈ロッジ〉を出発し、O’takiとA-kitchiは尻を痛めながら草の乱れる川原を走った。日が暮れると、シリウマの胴体が光る。
「どこまで走る、O’taki」
「空が光って、音が聞こえるまでさ」
「《East-ring》のやつら、どうしちまったんだ。向こう岸に明かりがねえな」
「そっちはトーストがうまくやるってよ」
「ロバ野郎を信用してんのか」
「あいつも型録が欲しいでしょ」
耳をすませて、とO’takiは言った。カンノン像は弾まないよう背中にぴたりと寄せてある。人肌のようなぬくもりを感じた。
と、頭上が光る。
BANG
腹の底から震える一発目がきた。瞬間照らし出された川のおもてに、O’takiとA-kitchiは不思議なものを見た。いくつも浮かぶ屋形船。赤い提灯。それまで聞こえもしなかった、人々の笑いさざめきが漂うが、ヒトの姿は見えない。
不意に尻の下に軋む音が聞こえ、シリウマが停止した。胴体の光も消えたから、電源が落ちたのだとわかる。
「あっ」
O’takiが投げ出されるのをA-kitchiが支え、共に草の中に転がった。また夜空が光り、轟音が続く。O’takiはすぐに顔をあげた。
金の枝垂れ柳。菊。牡丹。
「A-kitchiさん、見える? 今日は川開きなのね。ほら、あのへん、いま光った真下のあたりに、昔は橋が架かっていたんですって」
「……O’taki、おめぇ、それでも、このまま、ニホンの頭領目指すか」
「勿論」
風呂敷を回して胸の前にCosmo-kannon像を掻き抱く。
「あなたとなら」
「ああ、だが……」
A-kitchiはO’takiを膝のうえから降ろして立ち上がった。
「おいでなすったぜ」
「Cheerio~!!! いま、ガザボがそちらへ渡りました! もう限界!」
トーストの姿は相変わらず見えないが、こちらの岸へ一艘の船がすぅーっと寄ってくるのがわかった。
「O’taki、Cosmo-kannonに祈ってな」
O’takiは風呂敷包みを開く。むっとする草いきれの中、カンノン像のまわりだけが涼やかに光っている。
「ガザボ、来い!」
A-kitchiはO’takiから離れ、川沿いを走り出した。対になったレンズの反射がA-kitchiを追う。O’takiは叫びたいのをこらえ、祈った。カンノンさま、あたし、あの人と、ニホンの頭領になる。
「おめぇんとこの手下はみんなあの船のうえで死んでんじゃねえか!」
A-kitchiが我鳴るのが聞こえる。
「それはセイカクではありませんね。もともと、亡くなったタマシイをコレクションしていただけです。さあ、あなたたちフウフがCosmo-kannon像を手に入れたことはわかってイマスから、お渡しなさい」
BANG-BANG
「今夜は、Bon-fireデスカラ。とmらってさしあげましょう」
O’takiは草の陰に隠れ、目を凝らす。宙の光った瞬間、ガザボの細長いシルエットが見え、しかしそこにA-kitchiの立ち姿はなかった。
「A-kitchiさん!」
「いけません、若奥さまぁぁぁ」
トーストが虚空からまろびでる。が、
BANG-BANG-BANG
ガザボの前に出たトーストの、ロバ頭が跳んだ。花火に照らされたその中身は、何も、ない。ガザボがその頭を足で突こうとした。
「対消滅する~~~」
ロバ頭が声を出す。
そしてその刹那だった。
Cosmo-kannonが顕現する。像ではない。天を衝く高さの、衆生を導く御姿だ。その御手のうえに、暴れるガザボと、首と胴体が泣き別れのトーストが納められていく。川面の船からも、声なき声たちが御手に吸われていった。これまでのどんな花火よりも光は激しく、O’takiは、目が潰れる、と思った。
“このエネルギーは わたしが あつめておこう”
Cosmo-kannonはそう告げた。O’takiにはそう聞こえた。
気が付けば夜は明け、草のなぎ倒された川原に残されているのは、O’takiとA-kitchiだけだった。川の水面にも何の跡形もない。
「A-kitchiさん、」
O’takiは大の字に転がるA-kitchiににじり寄る。草と土にまみれたシャツのどてっ腹に穴があいていた。
「A-kitchiさん」
しかしA-kitchiは目を開けた。
「腹に型録仕込んどいたからなあ」
「型録は……?」
「わからん、消えた。たぶん、Cosmo-kannonが持ってっちまったのさ」
「ああ、」
O’takiはA-kitchiの首っ玉にしがみついた。腕にはもう腕釧はない。
「うちのひとの一人勝ちさ。Cheerio!」
O’taki&A-kitchi, forever and ever.
【了】
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