ヘビ、短すぎる。

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ヘビ、短すぎる。

1
 
「あれ、やっぱり猫じゃないか?」
 わたるの左隣で、良悟りょうごがささやいた。二人は草むらにうつ伏せになって、一○メートル先に仕掛けられた罠の様子をうかがっていた。
 罠は、金網でできた箱型のもので、入り口の蓋が上げられている。奥に設置された餌を獲物が食べると蓋が落ちてくるという、古典的な仕組みになっていた。餌はコンビニで買ったカラアゲを入れてあった。渉は学校の飼育小屋からウサギを一羽拝借することを提案したが、それは良悟が却下した。
 むんとした草いきれが渉の鼻先を匂った。罠を仕掛けたのは旭小学校の裏山から続く森の中だ。エゾツチノコの目撃談が多数報告されているスポットの一つだった。
 エゾツチノコ。体長三〇センチほどのツチノコに似た生き物である。頭は饅頭型で首がなく、胴はビール瓶くらいの厚みがあり、細短い尾がチロチロと生えている。全身が白い鱗で覆われ、真っ黒でまん丸い目をしている、北海道にのみ生息する幻の蛇、と、されていた。
 渉たちが朝七時から二時間かけて見つけたこの場所は、高低差のある森の中では比較的なだらかな平地だった。かわりに頭上を覆う木々の繁りはなく、真夏の日差しが直に背に照りつける。
 ジー、ジッジッジというセミの合奏が、周りの木立で鳴っている。
 もう一時間以上、このように地に突っ伏していた。ジャージの下のシャツもパンツもとっくにびしょ濡れだ。
「やっぱり、猫だと思うんだが」
 良悟がもう一度ささやく。
 二人が隠れているのは背の高いススキの茂みの、そこだけ土がめくれているスペースだった。気取られずに獲物を見張るにはちょうどよい場所に思えたが、中学三年の男子二人が身を潜めるには手狭だった。ただでさえ暑いのに、身体の密着した箇所から伝わる相手の体温が、否応なく不快指数を高めていた。
「うるさい、ちょっと黙れ」
 渉は息漏れ声でそう言うと、左肘で良悟の右脇腹を突いた。良悟が「うぐっ」と呻き、身体をよじる。二人を取り囲むススキの壁が大きく揺れた。しまった。渉は絡まる茎の隙間から、一○メートル先の罠の、その向こうに見える白い塊を凝視した。
 逃げるな、逃げるな、逃げるなよ。
 鋭い眼光に射すくめられて、というわけではないだろうが、幸いなことに、白い塊は動かなかった。
 ほっと一息着くと、今度は渉が視線を感じた。良悟が抗議の眼差しをくれている。渉はシカトして視線を罠の方へ戻し、心の中で舌打ちした。スペースがないから仕方ないとはいえ、なにが悲しくて真夏の森で男とくっついていなきゃならないんだ。さっきからお前の体温がうっとおしくてたまらないんだよ。
 良悟はサッカー部のキャプテンを務めており、渉よりも体躯は大きく、がっしりしている。実年齢より年かさに見える顔立ちと相まって、中学生にしてすでに大人の風格があった。  
 対して、渉は中二の夏までは良悟と同じサッカー部に所属していたものの、現在は帰宅部だ。身長は平均ぐらいだが、痩せて手足が長く、顔は端正といってよい部類に入る。しかし、切れ長の目のせいでどこか冷たい印象を与えてしまうらしく、女子からは敬遠されがちだった。
 良悟とは幼稚園からの幼なじみだが、二人の性格は反対だ。明るく社交的で人当たりのいい良悟に比べ、渉は無愛想で人見知りだった。学校でも休み時間は一人で本を読んでいることが多い。放課後は、近所の野良猫の観察を日課にしていた。
 そんな二人がどうしてつるんでいるのかといえば、気が合うからだとしか言いようがない。お互い、相手が何を考えているか、なんとなくわかるのだ。いや、わかっていた。今は少し、わからない。
 わからないといえば、渉はどうして自分がここにいるのかわからなくなってきていた。頭がぼんやりしている。まずい。この感じはまずい気がする。熱中症? 早く木陰に避難した方がいいかもしれない。でも、今ここを離れると、あれを逃してしまう。あの、白いやつ。そう、エゾツチノコ……。あれ、俺はなんで、エゾツチノコなんて捕まえようとしているんだ。ええと、確か……。
 「渉」
 名前を呼ばれて、飛びかけた意識が戻ってくる。
 良悟は、真剣な面持ちで罠の方を見つめていた。
「あのエゾツチノコっぽいやつ、メスかな?」
 知らんがな、と渉は思った。
「さあな、オスのエゾツチノコを見たことがないから、わからないな」
「俺的には、サイズ的にメスのような気がするな」
「サイズで言ったら、聞いてたよりも、大きく見えるけど」
「ヘビはオスよりもメスの方が大きいらしいぞ」
「そうか、じゃあ、メスってことで、いいんじゃないかな……」
 心底どっちでもええわい、と渉は思った。それよりも今は頭の底で鈍く脈打つ痛みが辛い。しかし良悟は「オスも捕まえれば繁殖させられるかな」とか「ヘビはオシッコもウンコもタマゴも同じ穴から出すらしい」とか「その穴に棒を突っ込んでオスとメスを判別するらしいぞ」とか喋りかけてくる。
 渉はたまりかねて、左拳で良悟の背中を殴った。あまり力は入らなかった。
「痛っ、何すんだよ」
「喋り過ぎ。お前な、宮みたくなってるぞ」
「え」
 絶句、といった感じで、良悟が黙りこくる。「宮みたくなってる」が、効いたらしい。宮はお前のサッカー部の(一応)相棒なのに、どんだけ嫌なんだよ。そう思うと少しおかしかった。
 あとは早く、早く。罠にかかってくれ、エゾツチノコ。早く俺を解放してくれ。家に帰って冷房をガンガン効かせた部屋でアイスが食べたい。なんだったら逃げてくれてもいい。そんな目と鼻の先で、朧げな輪郭を見せつけるようにして、勿体ぶって俺たちを縛りつけないでくれ。
 あれ? 俺はどっちだったけな。エゾツチノコを捕まえたいのか、それとも捕まえたくないのか。もちろん、八月の夏休みに、わざわざ朝からこうして出張って、罠まで仕掛け待っているのだから、捕まえたいのだ。でも、本当に捕まったら、捕まえたら、俺たちはどうなってしまうのだろう。
 キュッキュッキュッキュ。上空から、濡れたリノリウムの床を踏みしめるような高い音が聞こえてきた。目を細めて見上げると、両翼を広げた影がゆったりと旋回している。珍しい。あの鳴き声は確かオジロワシだ。夏の留鳥。
 あっ、と良悟が短く叫んだ。罠の向こう側にうずくまっていた白い塊が消え、金網の箱が、カタカタと揺れている。渉と良悟は顔を見合わせた。
 良悟の目つきが鋭くなる。渉はこの目をピッチの上で何度も見た。それは、猟犬の目だった。従兄の家で飼っている北海道犬のゴンがゴムボールを追いかけるときの目にも似ている。確かに、巷に流布されているエゾツチノコのフォルムは丸く、サッカーボールに見えないこともない。良悟の身体が軋む。立ち上がり、今にも飛び出そうとするのを、渉は制止した。
 勢いのやり場を失った良悟は、その場で足踏みしながら「なして!?」と叫んだ。渉は片手で待て、のジェスチャーをしたまま、ポケットからスマホを取り出す。
 ヘビは臆病な生き物だ。窮鼠猫を噛む、ではないが、急に追い詰めるとどんな結果になるかわからない。それに、エゾツチノコの親戚であるホンドツチノコは好戦的な性格で、二メートル先から跳躍し、かすっただけで人も犬も猛毒にやられてしまうという。用心するに越したことはないのだ。
 ダンス・ミュージックが4つ打ちのビートを原野に刻み始めた。サイケデリックな配色の女性シンガーが目を瞑り頭を振り乱しているジャケットの曲を音楽サブスクで適当に選んだ。エゾツチノコの手配書に、ツチノコ族はノリのいい音楽が好き、という情報があったからだ。
 音量を最大にしたスマホを突き出しながら、ゆっくりと金網の箱に近づいていく。良悟も用意していた玉網の柄を握り、近づいてくる。シャク、シャクと、雑草を踏む感触。4つ打ちとコエゾゼミのアンサンブル。
 金網の箱の揺れが止まった。音楽が、効果的面に鎮静化の作用でも及ぼしたのだろうか。網目から覗く白い表皮が、日差しを返し眩しい。
 渉の心音もテンポ・アップする。
 本当にいるのか? いや、確かにいる。金網の中に、何かはいる。でもそれが何なのかは、ちゃんと見てみるまでは、わからない。
 ようやく、正体がはっきりと拝める距離まで辿り着こうかというそのとき、また頭上でオジロワシが高く鳴いた。同時に、急な目眩が渉を襲った。ガクリ、と全身の力が抜ける。勢い、すべってころんで金網の箱に衝突する。白い塊が弾かれたように飛び出した。
 瞬間、良悟も飛び出す。白い塊に向けて玉網を振り下ろす。間一髪、避けられる。白い塊は傍に一本立つ樹の根本に突っ込むと、そこをくるりと回り、反対側の草むらへ飛び込む体勢を取った。
「そっちいったぞ!」
 良悟が叫んだ。草むらが、逆に白い塊の方へ飛び出した。
 いや、草むらから、人が飛び出てきたのだ。それは白い塊を胸で受け止めると、いかにも大袈裟なアクションで、そのまま別の草むらに転がりこんだ。ススキが激しく揺れ、中から「観念しろい!」「フシャァァァァ」「あ痛たたたたた」「フシャゴロギャルグルル」「いた、いったい、マジで痛いって!」だの声がする。
 渉は、良悟に肩を抱えられながら、ぼんやりとその様子を眺めていた。
 良悟が「大丈夫か?」と何度も尋ねてくるが、怠いので応えずにいると、凍らせて持ってきていたスポドリを口元へ運んでくれた。ちょうど溶けていて、甘い。
 しばらくして、草むらから、すっくと男が立ち上がった。
「へへ、捕まえたぜ」
 男は、大人しくなった白い塊を両手で掴み掲げながら、渉たちの元へやってきた。
「やっぱりな〜結局最後は全部! 手柄はこの宮様の元へ転がり込んでくる運命なのよね〜」
 男の名前は宮恭介みやきょうすけ最知波もしりぱ中学校で良悟とともにツートップを務めるサッカー部員。そして、最知波町におけるエゾツチノコの第一目撃者である。
「あ、渉」
 良悟が、宮に掲げられて餅のように伸びた白い塊の下腹部に目を凝らして言った。
「やっぱオスだわ」
 白猫が「ミャーオ」と鳴いた。
 
2
 
 宮恭介は、今年の五月以来、我が世の春といった心持ちで上機嫌に生きてきた。なぜなら、去年のUFO騒ぎのときのような喧噪の中心に、今度は自分がいるからだ。意味もなく軽やかにステップを踏みながら登下校する宮の姿を、最知波もしりぱ中学校の生徒で目にしないものはなかった。
 宮は、元々ちょっとした有名人だった。
 良悟と同じサッカー部で、ポジションも同じフォワード。背丈も良悟と遜色なく、細身だが筋肉質な体つきをしている。目鼻がくっきりして、肌も健康的な小麦色をしているため、黙っていればなかなかの男前である。しかし、その性格はお世辞にもスマートとはいえないものだった。
 入学式のことだった。新入生代表として壇上に上がった宮は、挨拶の途中で突然、「ボクは宇宙人です」と宣言したのである。騒然とする生徒や保護者、教師陣にはおかまいなく、式辞を読む代わりに「ボクは金星からやってきたんだ」「地球人とは違った進化をしている」「ボクの星ではみんな空を飛べる」「翼をください」「君たちだって空も飛べるはず」と熱弁を振るい続けた。
 これは、前日に動画配信サイトで見た宇宙人特集が頭に残っており、本人曰く突如霊感インスピレーションが湧き、ウケ狙いでやってみたのだという。
 教師が駆けつけて事態を収拾したが、生徒たちは動揺したまま入学式を終えることになった。その後、校長からは厳重注意を受け、母親にはこっぴどく叱られたものの、宮自身はまったく懲りていなかった。むしろ、「ああ愉快だなあ!」という気持ちでいっぱいになっていた。
 とにかく、一事が万事、そんな調子で宮は中学生活を過ごしてきた。その性格を一言で表せば、極度の目立ちたがり屋である。
 そんな宮恭介が、エゾツチノコの第一目撃者となったことは、幸か不幸か、最知波町政に予想外の影響をもたらした。
 
───エゾツチノコを目撃したとき、どう思いましたか?
「驚きました。祖父と一緒に山にアイヌネギを取りに行っていたんですけど、つい夢中になってしまって、いつもは行かないような奥の方まで行って、そこで」
───怖くはなかったですか?
「正直に言うと、とても怖かったです。もちろん、実物を見たのは初めてだったのですが、父や祖父から、エゾツチノコの話は聞いていたので、毒を持ってたり、襲ってくるかもしれないっていうのは知ってて。一目見て、あっ、これがそうだっていうのはわかりました」
───よく動画を撮影できましたね。
「はい、それはもうなんていうか、自然にっていうか。デジタルネイティブなので。これを逃したらもう一生チャンスはないかもしれないって思うと。身体が動いてました」
───もう一度、エゾツチノコに会いたいですか?
「はい、それはもう。というか、会えると思ってます。結構な時間、いや、それとも一瞬だったかな。ボクらは見つめあっていたんですけど。ボクらはそのとき確かに通じ合っていて。運命っていうか。また会えるって確信しました」
───運命?
「運命です」
 夏休みに入る前のこと。家族で夕食を取っているとき、ローカルワイド番組『どさんこテレビ』で流れる宮のインタビュー映像を見て、渉はため息をついた。半分は、これは明日学校でまたウルサイな、というウンザリした気持ちから。もう半分は、素直に関心した気持ちからだった。内容はともかく、あんな風にカメラの前でマイクを向けられて、堂々と受け答えできるなんて。大したものだ。自分のときは、ああはならなかった……。呼び起こしてしまった嫌な記憶を、頭から追い払う。
 テレビ画面の映像が切り替わる。今度は作業服姿の恰幅のよい中年男性が映った。右側にテロップで「最知波もしりぱ町町長 宮恭一郎みやきょういちろうさん」と出ている。
───エゾツチノコは、昔からこの地域に生息していたのでしょうか?
「ええ、まあ、文献だのなんだの、調べてみるとね、いろいろ出ててきましてね。この辺りに住む古老からもそういう話が聞けて。ええ、ですから、間違いないとは思います。ただ、慎重を期すためにもね、諸々の資料と合わせて、然るべき機関に、町の方からも、今、正式に調査を依頼しているところです」
───これから、町を挙げてエゾツチノコの捕獲を?
「はい、今は役場の方に、急遽、専門の対策チームを設立しまして。これからは町民の皆さまの協力も仰ぎつつ、本格的な捕獲作戦を実施して参りたいと思っております」
───捕まえる自信のほどは?
「ええ、まあ、そうですな。出てきてほしいが半分、出てきてほしくないが半分、といったところですかね。がっはっは」
 今度は渉の父がため息をついた。渉の父は役場の企画総務課で課長を務めていた。宮恭一郎は宮恭介の父親である。
「うちの課はまだましな方だよ。商工観光課なんて悲惨なものさ……」
 以前、疲れた様子を心配して尋ねた母に、父がそうこぼすのを渉は聞いたことがある。
 宮の父親は、町で一番大きい建設会社の社長だったが、息子に負けず劣らずの変わりもので有名だった。そんな宮の父親が、去年四月の町長選挙に出馬した際は、誰も本当に当選するとは思わなかった。しかし、持ち前の馬力とビッグマウスで前評判をひっくり返し、前町長の多選批判も相まって、蓋を開けてみれば圧勝であった。
 人口一万三千人の最知波町政は、その時から迷走を始めた。
 新町長の町政執行方針は、『一発当てて大きく勝つ』であった。
 最知波町も、他の多くの自治体と同じく、人口減少・少子高齢化・地域経済衰退などの課題が山積している。しかし、現状の対策はどれも焼け石に水でしかなく、抜本的解決には至らないのが現実だ。ではどうするか? 一発当てて全部チャラにするしかない。それが宮町長の持論だった。
 まずは去年五月のUFO騒ぎである。これは、町内在住のA君(当時十四歳)が夜空に三つの発光体を目撃、その動画撮影に成功したことに端を発する。その後、連続して町内各地で同じような発光体が目撃されたのだ。この騒動に目をつけた町長は、『UFOのふるさと・モシリパ』として、町おこしに活用することを思いつく。
 しかし、発光体が十二月を境にプツリと姿を見せなくなり、計画は暗礁に乗り上げる。すでに補正予算でUFOグッズやUFO饅頭、PR動画などを発注していたため、町長の責任を追及する声が高まっていた。
 そんな中、今回のエゾツチノコ騒動により、にわかに町外の注目を集めたことは、町長にとっては思いも寄らぬ助け船であった。
 
 ピンポンパンポーン。
───……放送委員会です。本日のお昼の放送は、予定を変更し、ご本人たっての強い希望により、今話題沸騰中のエゾツチノコの第一目撃者である、三年C組、宮恭介さんのインタビューをお送りします。
「はっはっは、どうもどうも」
───宮さん、今日はよろしくお願いします。
「はっはっは、どうも、今話題沸騰中の、宮、恭介です。よろしく」
───別に宮さんの話題は沸騰してないですけどね。宮さんが沸騰しているのは頭です。
「はっはっは、え?」
───さて、昨晩、『どさんこテレビ』で宮さんのインタビュー映像が流れてしまいました。
「あ、見ましたぁ?」
───……まあ、一応。
「いやぁ、反響がすごくてね、あのインタビュー。ついに全道デビュー飾っちゃったね〜。世帯視聴率100%越えちゃったんじゃない? 最知波の」
──はぁ。
「で、今日は何が聞きたいのかな? やっぱり俺とエゾツチノコちゃんの運命的な出会いのエピソード? 好きだねぇ。仕方ないなぁ。そう、あれは五月のよく晴れた日のこと、アイヌネギを探しに」
──いえ、その辺は結構です。
「え、そう? まあ、世帯視聴率120%だからね。これはもはや誰もが知っている有名な話だよね」
──というか、最知波中の生徒はみんな耳にタコができるほど聞かされていると思うので。
「え、そう? そう考えると贅沢だねぇ、君たち。全国デビュー秒読みの俺から直接話を聞けるなんて。感謝して貰いたいよ、ホント」
 ──本日、宮さんに伺いたいのは、エゾツチノコという存在は本当に存在するのか、ということです。
「え、どゆこと?」
──エゾツチノコなんて存在は元々存在せず、全て宮さんと町のでっち上げなのではないかと。
「なななな、な、なんてこというんだキミィ!」
──エゾツチノコ。体長三〇センチほどのツチノコに似た生き物である。頭は饅頭型で首がなく、胴はビール瓶くらいの厚みがあり、細短い尾がチロチロと生えている。全身が白い鱗で覆われ、真っ黒でまん丸い目をしている、北海道にのみ生息する幻の蛇。
「むむ」
──これは、最知波町の商工観光課が発行している『エゾツチノコ手配書』に記載されたエゾツチノコの説明です。この手配書と同内容のものが、最知波町のホームページにも掲載されています。
「むむむ」
──そこには『エゾツチノコは、一説によると東北地方までを生息域としているホンドツチノコが、温暖化の影響により北上し、北海道の自然環境に適応した姿であると考えられている』とか、『また一説によると、エゾツチノコは別系統として古来より北海道に生息していたと考えられ、松浦武四郎の蝦夷日誌や最上徳内の蝦夷草紙にもそれと思しき生き物の記述が見られる』とか、『珍説ではあるが、エゾツチノコは宇宙から飛来した地球外生命体だという声もある。昨年夏以来、最知波町で複数回目撃されている謎の発光体との関係解明が待たれる』といった、バリエーションに富んだ説明が記載されています。
「それがなんだというんだね」
──ネットで検索すればすぐわかることなんですが、こういった情報がヒットするの、うちの町のホームページだけなんです。
「……」
──というか、エゾツチノコという言葉自体、検索しても、宮さんの記事より前に、何も出てこないんですよ。
「……」
──これ、やってますよね?
「やってないよ」
──調べても何も出てこないんです、一次資料。問題じゃないですか? これ、町の公式見解として出しているんですよね? 根拠のないことを、あるように誤認させる内容を書くというのは……
「わかってないなぁ」
──はい?
「いいですか、みなさん。ここで改めて、ハッキリ言っておきます。エゾツチノコは、います。ワタシは、見ました。確かに、まだ捕まえられていない以上、その存在をすぐに証明することはできません。だから今の段階では、信じていただくようお願いするほかない。だが、お約束します。最知波町では、役場職員によるエゾツチノコ捕獲のためのワーキングチームを立ち上げました。我々は、必ずエゾツチノコを捕まえます。そして、そのためには町民の皆さんの協力が必要です。エゾツチノコを捕まえれば、最知波の名はより広く全国に、いや全世界に轟き渡ることでしょう。それだけ未知の生物を発見するということは、名誉であり、素晴らしいことなのです」
──話をずらされているようですが。では、町のホームページに記載されている内容ついては、特に根拠なく掲載されていると認識してよろしいですか?
「根拠は、ありまぁす」
──は?
「役場から然るべき機関に然るべき依頼をし、然るべき回答を得た結果が町の公式見解として発表されております。ですからご質問いただいた内容についても、全く正当なものであります」
──然るべきとは?
「然るべきは然るべきです」
──話にならない。
「あのねぇ、エゾツチノコに関する事柄は今や我が町のトップ・シークレットなの。エゾツチノコを狙って産業スパイやら諜報局員やら地球外生命体やら何やらが押し寄せてきてるの。そんな重要機密を君たち一般町民においそれと明かせるわけないでしょ」
───ではなぜ、そんな重要機密に宮さんがアクセスできるのですか?
「なぜって、そりゃあ俺は第一目撃者だからね。最重要参考人。あと、親父が町長」
──それは、町長が息子に情報漏洩しているということですか? 最知波町の情報管理体制は一体どうなっているんでしょうか。
「そこは俺にも葛藤があったわけよ。本来ならエゾツチノコのことは秘密裡に処理すべき問題。でもね、『知る権利』は民主主義の基盤でしょ? 公民の授業でやったよね? だから、俺はエゾツチノコのこと、黙ってるわけにはいかないと思った。公益に資する情報だと思ったから。だから大々的に公表したのよ。でもぶっちゃけオープンにできないところもある。そういったギリギリの判断でいつもやっているわけ。ご理解ください」
───全然理解できません。そもそも、あっ、や、やめ……は、離しっ……マイ……
「……っと、いうわけでみなさん、エゾツチノコの捕獲、是非ご協力ください! あ、あと、今捕まえると、何と一億円貰えます。一億ですよ、一億。それではみんなのアイドル、宮恭介でした〜」
 
「うちの町に一億なんて金あるわけないだろ、あのホラ吹き野郎」
 学校からの帰り道、渉は隣を歩く良悟に言った。部活が休みの日は、一緒に帰ることが多い。
「いや、それは本当らしい」
「は?」
「ほら、前の選挙のとき、宮の親父さんが、町に温泉施設作るって言ってただろ、公約で」
「そうだっけ」
「そう。で、マルスイの会長が、宮の親父さんの熱烈な支持者で」
 マルスイは、町で一番大きい水産加工会社だ。マルスイの会長は、町で一番の金持ちだと言われている。
「宮の親父さんが当選したら、温泉施設建設にポケットマネーから一億円寄付するって」
「その一億円ってこと?」
「らしい」
   温泉施設建設のために寄付されたお金なんだから、そのために使わなくていいのだろうかと、渉は疑問に思った。
「だから、貰えるは貰えるらしい。捕まえたら」
「捕まえたら……」
 って、実質貰えないってことだろ、それ。いるわけないんだから、エゾツチノコ。
 ああ、だから結局、温泉施設建設にも使えるわけか。なるほど。
「つーか、よく知ってるな、そんなこと」
「親父から聞いた」
 渉は、良悟の父親がマルスイに勤めていることを思い出した。
 「でも地味にすごいよな、俺たちの町って」
 良悟が脳天気そうな声で言う。
「去年はUFOで、今年はエゾツチノコだろ。俺も鼻が高いよ、同級生が二人もテレビに出て……」
 渉は、できる限りの眼力を込めて、横目に良悟を睨みつけた。その話はするなといつも言っているだろう。渉の切れ長の目は、眉間に皺を寄せて細めると結構な迫力が出る。単に眩しくて目を細めているだけでも、周りから人がいなくなることがあるくらいだ。
 しかし、良悟は気づいているのかいないのか、空を見上げながらかまわず話を続けた。
「あとはそうだなあ」
のんびりした表情に毒気を抜かれ、渉は眉間の皺を解いて前を向いた。
「俺が宇宙人とか、どう」
「勘弁してくれ」
 UFOにエゾツチノコに宇宙人。過疎地域にしては随分にぎやかな町だと渉は皮肉な気持ちになった。あまり笑えないけど。
「なあ、渉」
 急に後ろから良悟の声がして、渉は驚いた。ずっと隣を歩いているものだと思っていたからだ。振り返ると、二人の間には五メートルくらいの距離ができていた。良悟は直立不動で、渉を見据えている。なに、止まってんだよ。そう声をかけようとしたが、なぜかできなかった。
「俺が本当に宇宙人だって言ったら、どうする」
 今日は陽炎が見えるほどの暑さでもないのに、良悟の輪郭は朧気だった。
未了

文字数:10336

内容に関するアピール

前期の最終実作と比べると、文字数が倍になりました。終わらせることはできませんでした。来年は倍、書けると思います。再来年は、その倍。今回は一つの作品全体の四分の一くらいまで書けたので、計算上、あと二年あれば一作書き上げることができるはずです。今後は一作書き上げることを目標に日々を生きていきたいと思います。ありがとうございました。

文字数:164

課題提出者一覧