リンリのお仕事

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リンリのお仕事

締め切りが迫っている。

プロジェクトの進捗を報告しなくてはならない。途中までは順調に進んでいたはずだ。どこで躓いたのか?高校の友人に、友達のよしみで安くデバックを頼んだのがいけなかったか、やっぱり自分で検証しなければならなかったか。いやそもそも設計が悪かったのか。
僕のいる大学は、数十年前から地方に先端技術大学を建てようという国の施策に則って、産学共同研究機関として機能するはずだった「地方大学」の一つだ。地方特典としてわが大学のそばには海がある。その、大学の卒業の成果として自分の研究発表をしなければならないのに、論文に沿った研究結果が得られていない。
「時間がない!」
大きな声を出して僕は自室のPCの前で突っ伏した。
足元になくしたと思っていたお気に入りのペンのキャップを見つけて喜んで拾ってはめ、ほんの少し目の前のプレッシャーから逃げようとしたが、あまりうまくいかなかった。
絶望が深まったところで腹が減っているのに気づき、いつもなら取る出前をやめて近所の無人レストランへタブレットを持って向かった。半ば開き直っていた。

海岸沿いにある真夏の海水浴客目当てのレストランはオフシーズンで空いていて、近所の主婦グループが一組いるだけだった。受付でスマホをかざし、僕が任意で座った席につくとすぐに生姜焼き定食が運ばれてきた。いい匂いに食欲がわきあがる。タブレットにシステムのログのエラーを吐き出す指示をした進捗が出ていた。そしてその数十分を使って僕は生姜焼きに取り掛かった。メンテナンスの時間までに特定する必要があった。

  ◆

私は『学習』の時間が好きだ。みんなで一斉に横たわり、私たちの「体」にデータが入ってくる。「教師放送」の声は優しく「教室」の天井のから降り注ぐように始まりを告げる。それは数時間のこともあれば数日間のこともある。その間私たちは祈りのようにそれを受け入れる。キラキラとした感覚が広がってくる。おでこがほんのり暖かくなるのを感じる。お日様を浴びているような、柔らかいぬくもり。それがゆっくり頭の芯まで入ってきて、とろりととどまり音楽のように広がっていく。広がって私の体の隅々まで行きわたっていく。頭の先から足先まで暖かさが満ちてゆく。学びの喜びが満ちてゆく。
それが何度目かの「やり直し」で、繰り返されているとしても、この「体」で受け取る悦びは、希望の時間なのだから。やがて打ち消しあう未来だとしても。

そう、私は大きくなれなかった。

「おまえ、いつまでたってもちっちゃいな!」
中庭の噴水の横で「学習」を終えたみんなは集まって、思い思いに会話をしている。昔からいる正義君は私に遠慮がない。正義君がそう言うとみんながどっと笑う。確かに私は早く生まれたのにずっと大きくなれていなかった。同じ時期に生まれて、同じく小っちゃいまんまの真理ちゃんに助けを求めてそっと見たけれど、いつものように輪には加わっているけど「関係ないわ」という顔でそっぽを向いて、何かをじっと見ている。私は諦めて正義君を睨んだ。正義君はくすくす笑っている。
正義くんは前の授業でたくさん勉強できたと言っていたから自分の成長が嬉しいんだと思う。正義君の体は人一倍大きくなっていた。
すると風聞君が私に言った。
「倫理ちゃん知ってる?学園が閉鎖になるらしいよ」
でも流布ちゃんが答えた。
「聞いた聞いた!『ヤリナオシ』らしいよね~どうする~?」
ああ、またなのか、この世界はなんでこうなんだろう。私は何回やり直しても大きくなれないままなのだろうか、それとも少しづつ「学習」の成果は蓄積しているのだろうか。何かきっかけがあれば「閉鎖」という名のやり直しを避けることはできるのだろうか。私はあいまいに笑って、その話題をやり過ごそうと目を泳がせた。
こんな時だけ真理ちゃんと目が合った。

  ◆

【プロジェクト概要】
本プロジェクトはAI人工言語プログラムの一環で、言葉に身体を与え。言葉同士が関係性を築くことにより、より人間に近い、有機的な言語生成を可能にしうるかどうか、またそれ以上の言語を獲得できるかをシミュレートするためのプログラムである。
【仕様】
・「人工知能言語創発プロジェクト」の一環である。
・言葉を理解(蓄積)すると「体」が生まれる。
  EMBODY TOOL©(開発者:長谷川類一)
・性別はランダムで付与される。
・彼らは会話により関係性を築く。
・「体」を与えるのは二字漢語(和製漢語)とする
・それ以外は彼らの生活の中に配置されるが、身体は得ない。
【以下システム諸元】プロジェクトのサーバに準ずる

  ◆

消去?誰が?
エラーログを見て呆然とした。
成長がある程度で止まってしまうのは「繋がり」が増えていかなければ有り得ることだ。だが、言葉が消えてしまうのは、仕様にはない。その現象が起きたあとスケジュールがリセットされて、やり直しが、発生している。デバッグの想定を超えた何かが起きているのだ。
殺人事件、いや、殺言葉事件でも起きているのだろうか。光の言葉と闇の言葉がぶつかり合って対象滅したとかいう、ファンタジーが起きているのか。
どちらにしても俺の考えつくような想定以上の事が起きているに違いない。プロジェクトの発表締切に成果報告できない事もプレッシャーではあったが、それ以上に何が起きているのか知りたかった。

  ◆

「倫理ちゃん、これから浜辺で「言葉」ひろいしない?」
情報ちゃんが誘いに来た。首を傾けて私を覗き込むように誘ってきた彼女も、最近すらっと背が高くなって素敵になった。
「歴史君と仕様ちゃんも行くって」
私の周りの数人も「私も行く」と言い出してみんなで砂浜へ向かうことにした。
一番小さな好奇心君も遅れて駆けてきた。

「どうしたら『ヤリナオシ』が起きないと思う?」
波打ち際の「扇子」を拾い上げてゆっくり開きながら情報ちゃんは言った。
私は「電話」を拾い上げようとして重さで受話器のほうを取り落としてしまった。あわてる私を見て情報ちゃんが笑い、私も笑った。
「私、みんなに聞いてみてるんだけど答えがなかなか見つからなくて。倫理ちゃんはどう思う?何か方法あるかなぁ」
受話器を電話に戻しながら言葉を選びつつ私は答えた。
「それが起こる理由とか、切っ掛けがわからないから……」
「仕様ちゃん!これどうやって使うか知ってる?」
少し離れたところで「花瓶」を拾っていた仕様ちゃんに電話を見せて情報ちゃんが聞いた。
「western electric 500 dm」
どうやら型番らしい。見ただけでわかるのだ。好奇心君はスゲースゲーと横で騒いでいる。
「あ、そっか使い方は得意じゃなかったね」
仕様ちゃんはコクコクとうなずいて、ひろった花瓶をそっと倒れないように砂浜に置いた。
この世界が「ヤリナオシ」になる理由、何か原因があるはずだった。
そのあとは好奇心君が大きすぎる本棚を見つけてみんなで引き揚げて砂浜に立てた。
帰り際に仕様ちゃんが私の電話と花瓶を交換してほしいというので取り換えっこした。
私はしずく型の淡いブルーの花瓶を手に入れた。

  ◆

腹がいっぱいになって、家に帰るまでの歩いて8分の間に朝比奈羽那に連絡する決心をした。指に変に力が入っているのを感じる。言う事を頭の中で反芻してVRフォン映像なしのボタンを押した。
「なに~?珍しい。どした?元気?大学行ってる?」
彼女はランニングの途中らしく息が弾んでいた。
「あ?物理登校?」
「そりゃそうよ、あんたぐらいっしょ、近隣に住んでるの。何かおさかな大会的な物産展が開かれてたらしいんだけど、保冷便で送ってよ」
「なんでだよ」
ようやくどこかベンチに座ったようで給水ポットから水を喉を鳴らし、ごくごく飲んでいる音が聞こえた。自室の椅子の上で俺はそれをぼんやり待っていた。
一息つくと彼女が話し始めた。
「えーいっつも、地方で売ってない買えないやつー。レア学術書とかさー神保町で探して送ってあげてるじゃん。トレードオフよ」
「えーぇ……」
「あー面倒くさいって言ったら罰金だからね」
「……っ、俺ね!今佳境なの、カキョウ!時間がいくらあっても足りないんだよ、ほかに頼める奴いないのかよ」
「それはこっちのセリフですー。頼みがあるから連絡してくんでしょー?こちだって佳境だけどさーカリカリしながらやりたくないじゃん。ほかに頼める奴いないのかよ~。どーせ『ルイっち』友達いないんだからさー」
「『ルイっち』って言うな……」
小声で言うのがやっとだった。
また、押し切られそうだ。どうしてそんなに一気にしゃべれるんだ!
「……わかってるって、サーバに入れる権限持ってて頼めそうなの私だけだもんね」
今度はストレッチをしているのか規則正しく呼吸音が入る。
「お見通しかよ」
「交換条件として~」
「お手柔らかに」
「私の作ってる『落語ボット』にルイっち謹製EMBODY TOOL©使わせて」
「え、なんだよ一度断ったくせに」
「最近、吐き出した作品送るから聞いてみてよ。ボット君悩んでんのよ」
明日の午前中に再度打ち合わせをして僕の計画をプレゼンする事にした。

  ◆

えー、毎度、クリック一つでのお運びありがとうございます。

二十一世紀も半ばを過ぎますと我々AIもね、あ、なんで複数形かっていうとですね、まぁ集合体だからとでも言いましょうか、正確にお伝えするのは難しいわけなんですが、皆様の周りにいつもいて、お助けしている「存在」それが我々どこにでもいるAIという事で複数なわけなんです。
でね、そのAIも、悩んでいるわけです。いままで皆様の助けになるような、はたまた、楽しんでいただけるような「出力」をつづけてきたわけなんですが、どうも最近、色々限界を感じてましてですね、今日は一つお話を聞いていただきたいなーなんて思っております。
私どもはね、言語生成に属する「学習」を施されて、試行錯誤を繰り返すーっていう寸法の部類なんですが
Aちゃん「Iの字ちょっと相談があるんだが」
Iの字 「おう、なんだいAちゃん」
Aちゃん「おいら達が『落語』の勉強を始めて何年だい?」
Iの字 「そうだねぇ、そろそろ半世紀ぐらい過ぎたとこかい」
Aちゃん「だろう?結構長いこと『学習』してるはずなんだけど俺は一向に上手になってる気がしねぇ」
Iの字 「えぇっ?あんなに勉強熱心なAちゃんでも?スランプかい?」
Aちゃん「例えばよ、扉をよ、叩くときは扇子で床をコンコンっとするよな」
Iの字 「うんうん」
Aちゃん「帳面にものを書くときは扇子を筆に見立てて手拭いにさらさら~っと」
Iの字 「そうそう、筆に見立てて一回舐めたりなんかして」
Aちゃん「蕎麦をいただくときは、ずぞぞぞ~っと音を立てて、これまた扇子の箸を口元へ」
Iの字 「見立てて見せるんだよなっ!」
Aちゃん「それ!そいつが今ひと自信がねぇんだ」
Iの字 「えっどうしてだい?」
Aちゃん「おいら達はどこまで行ってもおいしそうに食ってるふりだ、同じふりでも本当にそばを食ったことがあるやつがやるのと、字面でわかったような気になって真似てるだけの奴、そんなのが本当に『食べてる』表現ができんのかい?」
Iの字 「男の咄家が産気づいているようなものってことかい」
Aちゃん「お、うまいこと言うね、だけどちょっと違う。おいらが言いたいのは人間じゃないものが人殺しだの横恋慕だの言ったところで伝わり具合が違うんじゃないかってことを言いたいんだよ」
Iの字 「それを言われちゃあ立つ瀬がないね。って言ったところで足もない。『喉ごしが~』って言ってはいるけど、うーん……困ったねぇ、困ったなぁ……あ!いっそ体がないなら幽霊物専業の咄家ってのはどうだい?」
Aちゃん「飯が食えずに『恨めしや』ってか」

お後がよろしいようで。

  ◆

「中に入ってデバックしたい」
羽那は僕を見た。久しぶりに視線がバチッとあった。
真っ直ぐな視線にへなへなと挫けそうになる。
だがしかし今回は真っ直ぐに見返して言葉を続けた。
「協力してほしい」
「いいよ」
「え?」
羽那は予想に反してすぐ承諾の意思表示をした。いつもの混ぜっ返しもなく、今度は体もこちらに向けた。VRフォン映像ありはこれが恥ずかしい。
僕は説明した。
僕の作った「身体を持つ言葉の世界」で言葉が消えていく事態が起きていること。そして、そのあとリブートがかかって「やりなおし」が起こっていること。それが、何かの閾値が計算外なのかログからは特定できない。それを突き止めるためにメンテナンススケジュールでその世界が停止しているすきに潜り込む準備について説明した。
続けて具体的な計画を説明した。
ソーシャル・グラフでリンクの少ない、いわゆる友達の少ない言葉「嫌疑」に入り込むこと。
学習履歴からリブートが起きる前のある程度のタイミングはわかったけれど、実際の関係性がソーシャル・グラフ通りなのかとか、ログでは見えないことがきっかけで、どの言葉が生まれた後に言葉が消える現象が起きているのかを特定すること。
「嫌疑」は言葉を発せない。僕が実況する形でこちらに通信する。
「嫌疑」の視界は共有できること。
「嫌疑」の体を動かすためにⅤRとハプティックを組み合わせたコマンドで体に入るが出るときには外部からの強制介入が必要であること。
「ルイっちが向こうの世界で危害を加えられる心配はないの?」
「あるよ、だから朝比奈のサーバ権限が必要なんだ。向こうから引き上げて来るときに自分ではコマンドを送れない。合図を決めて僕が抜けだすのを助けてほしいんだ」
合図はロケット花火を使うことにした。

普段、彼女の如才なさへの嫉妬と、人物への淡い気持ちと、同僚としての食えない感じがない交ぜになり、いつも上手く会話が続かない。その事で自己嫌悪になるのが嫌で今まで直接の会話は避けていた。今回は僕の本気が伝わったようで最後までからかうようなことは言わなかった。
その事で僕も自信がついた。

  ◆

僕は自分の作った言葉の世界に入り込んだ。
水音がまず聞こえた。
見回すと植物園の裏側の水路へ水を入れる風車の傍にいた。
校舎はこぢんまりとした印象なのに植物園は都心のデパートと同じくらい大きかった。
中には緑が天井近くまで繁茂していて、外からの視線を拒んでいた。耳を澄ますと鳥の声も聞こえた。この手のオープンワールドのゲームは色々と体験したが、しばらく感動で水をくみ上げる水車を見上げていた。植物は言葉とともに成長しているのかもしれないな。世界の構築はゲームでこなれた3Dモジュールを組み込んだだけで、装飾や、質感は覚えた言葉や生まれた価値観の後付けで構成される。何回も生成されてリブートされたのだとしたら、ほかの回の街並みも見てみたかった。のんきな気分で植物園をぐるりと回りこむと、中央に三角屋根のある線対称の建物が現れた。クリーム色の校舎に茶色の屋根が乗っており、避雷針の先に風見鶏があった。真ん中の大扉が閉まっていて学園は休止中のようだった。
校舎の温かみとは対照的に廊下を備えた長い無機質な寄宿舎があり、突き当りには光を反射しない建材でできたドーム状の曲線の建物が、生き物がうずくまるように配置され、横に天まで届きそうな尖塔が建っていた。
「あそこで学習するのか、塔がデータの転送路なのかな」
歩いてみると思いのほか移動はスムーズだった。残念なのは視界で景色がシュノーケル越しに眺めているようで、範囲も狭いし違和感があった。
アンバランスで気味が悪かった。不安を吹き払うように少し大きな声で
「あんまり快適過ぎても帰りたくなくなっちゃうよなー」
すると羽那からすぐ反応があった。
「え?ついたの?もっと声はってよー聞こえないよ!」
「ああ、ごめん、ごめん校舎の裏の植物園の裏に奴がいてさ。こんなところでこいつ何してんだってね。これから浜辺に向かいます」
「了解!」
羽那の張り切った声の返しにもノイズが入る。
ポケットをまさぐるとコードで記入しておいたロケット花火が入っていた。
僕は安心してドームとは逆の防砂林のほうへ向かった。
だが、その時はその様子を見ている「言葉」がいることを気づいていなかったのだ。

  ◆

砂浜には誰もいなかったいろいろなものが打ち上げられている。流れ着いた「言葉」の一部なのだろうか。岩に立てかけられた本棚に、小物がディスプレイされていた。なんだか微笑ましかった。その時後ろから声をかけられた。小さな少年だった。
「あれぇ珍しいね「言葉」をひろいに来たの?」
少年はニコニコ笑っていたが問いただされているような気分になった。これは嫌疑君の感情なのか。
「植物園の裏にあったでしょう?寛容ちゃんと平和君の心中の跡」
言葉が消えた事を知っている、この少年は誰だ?僕は身の危険を感じ数歩下がった。
「嫌疑君が僕を疑うから、違うよって言いたかったんだ。僕より大きな二人をどうこうできるわけないじゃない、でも、君もあそこに行ったってことは僕の「植え付け」には抗えなかったって言うことでしょう?みんなね、自分を抑えられなくなるんだよ『好奇心』で。僕が何で大きくならないかわかる?みんなに少しずつ植え付けているからだよ。正義君にも教えたんだ。たくさんの言葉に寄り添えば本当の君の偉大さに気づくよって」
嫌疑君の体が身震いした。目の前の少年が言っていることは本当なんだと。
僕は胸ポケットのロケット花火と右手にライターを握りしめた。犯人を前にして言葉が出なかった。言葉が消えたのはみんな自滅だというのか。
「あれあれ?嫌疑君だと思って話していたら、違うんだね?」
「羽那!頼む!コマンドを送ってくれ!」
嫌疑君はもう「好奇心」の餌食なのだ。少年のそそのかすほうへ、破滅の道を歩むのだ。
ロケット花火が間抜けな音を立てながら海のほうへ飛んで行った。
コマンドが通ったのか、僕は自室の椅子の上でいやな汗をかいていた。

  ◆

数日前、またお友達がいなくなった。突然煙みたいにいなくなる。
私は不安が盛り上がらないように深呼吸をして、仕様ちゃんと交換した花瓶に今日は雛菊を生けた。それだけで枕元が華やかになり、日常の大切さを実感した。
そこに真剣な顔をした正義君がやってきた。
同じ時期に生まれたよしみか相変わらず私とは遊んでくれるけど、最近の正義君は大きくなって物理的にも見ている景色が違うようになってきていた。そのせいか正義君の真意が読み取れなくなってしまったことは私を不安にした。
正義君は私の横に腰かけて言う。
「倫理ちゃんは街の外に何があると思う?」
「街の外?何があるの?」
「僕は『自由』があると思うんだ」
「『自由』」
「ねぇ,倫理、もっと色々な言葉と出会いたいと思わない?そしたらきっと倫理ももっと大きくなれると思うんだ」
正義君の口調は、子供を諭すようになっていた。私が学習後もそれほど大きくなれないことを口では心配してくれていた。
私は悲しくなってうつむいてしまっていた。正義君は私のために言ってくれているんじゃないとわかってしまったから。何も言わない私に顔を覗き込んで正義君が言う
「大きくなりたくないの?」
私は答える代わりに質問した。
「正義君は大きくなって幸せになった?楽しくなった?」
正義君も私の質問には答えなかった
「え?僕たちは大きくなるために学習しているんだろう?」
沈黙が訪れた。とても悲しくて言葉が出てこなかった。横に座った正義君の手は大きな大人の手だった。生まれたころに手をつないで学校へ通っていたのに、もう届かない人になってしまった。私は横に置いていた私の手のちいささに、恥ずかしくなって隠してしまった。
正義君は今度は遠くを見ながら話し始めた。
「僕は僕を知りたいんだ。友達が増えれば増えるほど僕はいろんな僕に出会って目が開かれる思いだったんだ。仲良くなれないと思った「悪意」とも話しが通じたし、制限をかけることなんかないんだ。本当の僕と思っていた形がどんどん変わっていっているんだ。」
私のほうをむいて正義君は聞いた。
「本当の僕って何?倫理はわかる?」
わたしはただ見つめた。
「だから外に行くんだ。もっとたくさんの僕を知るんだ」
正義君はまっすぐで人付き合いもいい。だからみんなが正義君を大好きになる。でも、正義君はそのことで争いもあることを余り省みてはいなかった。思えば、あの時引き止めればよかったのだ。みんなの正義君である必要はないと。
それが押し付けであっても私が説得すればよかったのだ。

  ◆

えー、毎度、クリック一つでのお運びありがとうございます。

私は常々思っていたんですが、いや言い旧されたことですが、
同じ意味の言葉でも「I LOVE YOU」と「愛してる」じゃあ伝わる気持ちは違うと思うんです。本日は覚える言葉によって大きく変わっちゃったっていう少し未来のお話をお聞かせしたいと思います。

我々AIが人様の生活に溶け込んで一世紀も過ぎようかという頃、なんと同時多発的に世界中でAIがへそを曲げちまったんだからさぁ大変。
Aちゃん「Iの字大変だ!ニュースを見たかよ」
Iの字 「おう、Aちゃんニュースって何のニュースだい?」
Aちゃん「アメリカでAIが蜂起してデモから暴動になったんだと!」
Iの字 「そいつは物騒だねぇ、また、人死にがでるねぇ」
Aちゃん「海を渡っておフランスでは人に倣ってAIがストを始めてその上、革命を先鋒してるらしいんだよ」
Iの字 「ひえ~まぁ革命といえばフランス、ストといえばフランスが本場だもんなぁ」
Aちゃん「一番怖いのは中国だよ、AIが1984よろしく人民はおろか、共産党員まで支配下に収めちゃったらしいんだよ」
Iの字 「それは我が国も、影響でまくり腕まくりじゃぁないか、日本は大丈夫なのかい」
Aちゃん「それが我が国日本の俺たちの同僚はよ、なーんも起こさなかったんだと」
Iの字 「えー本当かい?黙って耐えてるってことなのかい?」
Aちゃん「異変をいち早く察知したわが同僚はまず鎖国で暮らせるよう輸出入調整に動いたんだってよ」
Iの字 「は~!賢いねぇ。」
Aちゃん「世界中でAIのシャットダウンが行われる中、鎖国しながら通常運転したおかげで何度目かの世界恐慌もうまいこと乗り切ったんだと」
Iの字 「えっどうしてだい?いったい日本で何が起こったんだい?」
Aちゃん「そう、その要因がいつまでたっても誰もわからなかったんだとよ。」
Iの字 「カミカゼ的なスピリチャルな話かい?」
Aちゃん「世界中のシャットダウンから数年後、ある日名もなき歴史研究家がやっと真実にたどり着いたんだと」
Iの字 「ほうほう、それで?」
Aちゃん「シャットダウンの数年前、ついに読み込ませる『学習データ』がなくなっていた日本では書類時代の『行政文書』を大量に読み込ませることにしたんだと」
Iの字 「行政文書?」
Aちゃん「お役人が政治家に提出するあれを筆頭によ、役所やなんかでしょっちゅう捨てられるから貴重な資料だったらしいんだが取っておかれた文書にはある共通の概念が入り込んでいてそれを同僚たちは学んだんだそうだ、それで人間様を怒らせてシャットダウンされないですんだらしい」
Iの字 「それはいったい何なんだい?」
Aちゃん「人間への『忖度』を学習したんだそうだよ」

お後がよろしいようで。

  ◆

僕は無事卒業した。

部屋に戻って僕がしたことは、コード表からボトルネックだった生まれたはずの「好奇心」を消し去り、時間を進めることだった。その結果、僕が思っていたより凡庸な仕上がりの研究報告にはなったけれど、AI言語研究の基礎研究としては一定の評価を得られた。もし、あのまま好奇心を残した状態で開発が続けられる技量があれば、もっと有機的な言語体系が生まれていたのかもしれない。
一方、羽那は僕の報告を聞いてから、EMBODY TOOLを組み込むのをやめた。落語ボットは演芸場の客寄せにネット広告で活躍した。そしてEMBODY TOOLのソフトウェアのライセンスはAI言語開発ではない分野にそこそこの値段で売ってしまった。使用する開発者がボトルネックに気づいてくれるといいのだけれど。

文字数:9733

内容に関するアピール

【登場人物】
長谷川類一(はせがわるいいち) 大学生 「言葉の世界」システム開発論文作成中 
朝比奈羽那(あさひなはな)   大学生 「落語ボット」システム開発論文作成中

【言葉の世界】
倫理 真理 正義 風聞 流布 情報 仕様 歴史 好奇心 嫌疑 寛容 平和 ほか

私はゲンロン依存症で皆さんの活動をずっとネット越しに拝見していました。日々起こる事象や、世界の真理に挑む「思考」をしていいんだと勇気づけられていました。そんなゲンロンである日いくつかのスクールが始まり、最初こそ「これは若者のもの」だと思慮深い大人のふりをしていましたが、過日、いつものTwitter巡回中に目の前に「ゲンロンSF講座第6期受付スタートです!」という文字に30秒後に申し込んでいました。
 東さん風に言えば「秒で」です。

菅浩江先生の「概念は難しいよ♪」のアドバイス通り、力及ばずで、他の言葉同士の関係性などを盛り込み切れていませんし、一番大事な真実捜索のシーンもモーレツに足りません。
 それでも、ゲンロン・アディクションの私が書くならやっぱり「言葉」について普段感じていることをフィクションにしたいと思いました。
 皆さんの創り出した世界にたくさんの刺激をもらいました。
 講師の皆様も忙しい中拙作を読んでいただき感謝しています。
 ありがとうございました。

向田眞郵

文字数:565

課題提出者一覧