LOST GAME

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LOST GAME

 

夕食を外で済ませて帰宅する。鞄からタブレットを取り出すと、数分前に一件のメッセージを受信していることを知らせていた。
 仕事から帰ってきてすぐに次の仕事に取りかかる気はわかなかったが、内容は確認しておこうとアプリを開く。記されていたのは数日前に私が送った原稿をリジェクトするという文章。意味がわからず、ユーザーからの支持も得られないだろうという内容を婉曲に気をつかった言い回しで表されており、修正をするよりも題材そのものを変えてほしいという裏のメッセージが読み取れる。
 その通達を見て私は、落胆よりもやっぱりかと納得する気持ちが大きかった。提出する前から分の悪い賭けになることは目に見えていた。それゆえに、私が見聞きしたあの出来事を世に知らしめる勝負は負けるのだろうと確信もあった。
 いや、負けたのは私ではなくあの男なのだろう。
 私はダメ元で一度提出した原稿を他のメディアで使用する許可を求める返信を送り、自分の書いた原稿を見直してみる。
 思い出されるのはあの数奇な運命に翻弄される男のこと。
 彼はまだ、勝ち目のない賭けを続けているのだろう。

   1

 
「それで、十和田さんの次の題材は決まったんですか?」
 タブレット越しに繰り広げられる話題が仕事への言及をはじめたのは、遊んでいたテーブルゲームがちょうど一段落を迎えたころである。副業であるWEBライター関係の知人にテーブルゲームを題材に記事を書くから、と協力を求められて参加していた集まりだった。
 私を含めた五人の参加者はお互いに顔を合わせたことは数えるほどしかなく、オンライン上のやりとりが主である。互いの近況を順番に語っているにゲームは盛り上がりを迎え、唯一話しそびれていた私にお鉢が回ってきたわけだ。
「まだですね。決まったときはお伝えしますよ」
 WEBライターという仕事が本業だったなら、あるいは収入のアテにしていればこのような吞気な回答はできなかっただろう。だが、私は人並みに貯蓄をしており、趣味の一環で活動しているところが大きい。興味がある題材があれば気の済むまで調べて文章に仕立て上げるが、惹かれるものが見つからなければいつまでだって手は動かない。私の子供じみた好奇心を満たすのに、この仕事が都合がいいというだけのことだ。
 まわりも私のスタンスをわかっていて、強く催促されることはない。代わりはいくらでもいるような業界だ。いつか切られるかもしれないと思うこともあるが、メディアに、そして仕事であることにこだわらなければ発表できる媒体はいくらでもあるのも事実である。
「最近興味あるものは見つけられてないんですか?」
「ええ、本業のほうが忙しくて。それとも何かおもしろそうなことがあるでしょうか。それでなくともネットには疎いものですから」
 私が答えると他の四人が聞いたことのない単語を次々と繰り出し、やがて一つの単語で意見の一致を見せた。『論破王』というそれはSNSにあるアカウントの名前らしい。
 さっそくSNSアプリを立ちあげて検索する。それらしいアカウントはすぐに見つかった。プロフィール欄には『レスバ受けてたちます』と簡素な一文だけがあり、少し投稿を遡ってみたが、問題提起をしては反論が集まる、いわゆる炎上系のアカウントという印象を受ける。
「見てみましたが、どこがおもしろいんでしょうか……」
「この人はね。毎週二回、火曜日と金曜日の夜に議題を出しては議論をしているんだけど、王なんて名前のくせに毎回絶対に負けるから見てておもしろいんだよね」
「はあ……」
「僕もリアルタイムで何度か観測しているけど、圧倒的な弱さだし、なのに毎回レスバを仕掛ける理由もわからないしで知名度が上がってきているってワケ。だからさ、興味があったら調べてみてよ」
「まあ、興味が出てきたらでよければ。頭の片隅に入れておきますよ」
 正直に言って、このとき微塵も興味を惹かれなかったが社交辞令としてそう答えた。フォロワー数は五万を越えており、ネットで話題になっているという確かな証拠を目にして、念のため動向を追えるようにフォローはしておいた。
 そのころにはすでに日が回っており、明日の仕事に響くからと集まりを一足先に抜け、先ほど知ったアカウントのことなどすぐに記憶の片隅へと追いやっていた。
 そのアカウントのことを思い出したのは二週間過ぎてからのことだった。だんだんと本業が落ち着きを見せ、何かおもしろい出来事はないかしらんとネットを開いていた金曜日の夜。見覚えのないアカウントが数分前に呟いているのを見かけ、しばらく考えたうちに以前勧められた論破王というアカウントがあったな……、と思いだした。
 SNSアプリを開くと、今日の議題はすでに呟かれていたあとだった。あとで知ったことだがテーマは政治などお堅いものからサブカルや娯楽といったものまで、観測している層が興味を持ちそうな題材のなかで脈絡なく出されているとのことだ。
 彼の発言にメッセージを送る人は何人もおり、私はせめて紹介してもらった義務くらいは果たすか、程度の気持ちでSNSを小窓にして横目に見ながら調べ物を続けていた。
 違和感を覚えたのは一時間ほどたった頃だろう。五分から十分程度の間隔で行っていたやりとりはインターネット特有の主張の押し付け合いの様相を呈していたが、対等な立場でのやりとりが成立しているように見えた。だが、ある程度話し尽くしたところで相手側が突然勝利を宣言したのだ。それだけであれば不思議ではないのだが、二人へと送られたまわりのコメントもすべて相手側の勝利を支持しており、論破王が勝ったと肩を持つ人は現れない。議論の優劣は私から見ると平行線に見えた。
 インターネット特有の同調だろうか、と疑った私は以前アカウントを紹介したうちの一人に連絡を取る。
『以前言っていたアカウントを見ていたんですが、勝敗のつきかたがおかしくありませんか?』
 メッセージを送ったころには思考の整理がついて、彼らが勧めてきたのは奇妙な決着の仕方だからだろうか、だとすると見苦しい文章を送ってしまったかもしれないな、と少しばかりの羞恥を感じた。だが、返ってきた文章には『どう考えても論破王の完全敗北だったよ』と記されていた。
 このアカウントには何かがある。画面のなかで起こっている奇妙な出来事に、私の好奇心は反応し、すぐに次に調べる題材にしようと決めた。これまでのログを追うと、アカウントは七ヶ月前から投稿を始め、欠かさず火曜金曜の週二回、議論を行っている。私の見る限り純粋に言い負けていた事例はなく、一番負けに近かったかたちは劣勢に陥っているなかで相手の勝利宣言で議論が打ち切られていたものだろう。論破王が優位な議論もあったが、どれもみな、相手の勝利宣言で打ち切られている。
 他に何か情報はないか探してみたが、最初の投稿に議論のためのアカウントであることとルールが記されていること以外には無関係なツイートは見受けられなかった。
 簡単に調べられることを調べても目的や個人につながりそうな手掛かりは見つからない。こうなると、最初の頃に彼をフォローしたり議論したアカウントからつながりを調べてみようか、などと次の手を考えていると、ダイレクトメールが開放されていることに気がついた。どうせ手をこまねいていても仕方がないとメッセージを送ってみる。
 突然相手が勝利宣言をすること、そしてアカウントを設立した理由を聞きたいと文章を送ると、翌日には返信が返ってくる。そこには丁寧な文章で話しをするのは問題ないこと、ただし直接会って話すのが条件である旨が記されていた。
 対面でのインタビューか……。
 突然の申し出に不気味さを覚えなかったと言えば嘘になる。失礼を承知でなぜ対面でなければならないのか、オンラインではダメなのかと聞いてみたが、話せばわかるとはぐらかされる。どうしたものかと悩むが、結局は条件を呑むことにした。これまで自分が書いてきた記事は性別すら明示していないはずだ。警戒する必要こそあるだろうが、好奇心を諦める理由にはならなかった。条件を承諾する代わりに場所はこちらが決めたいと告げ、承諾を取ると都内の大手カフェチェーン店の場所を指定した。

   2

待ち合わせの日、集合時間の十分ほど前に指定したカフェの前に行くと、すでに店のなかに入っている旨と席番号が送られていた。店内に入って指定の席番号を探すと、アカウントの持ち主だろう二十代前半に見える男性が座っていた。
「こんにちは、連絡をした十和田です。あなたが論破王さんですか」
「ええ、そうです。アカウント名で呼ばれるのはアレなので、習志野と呼んでください」
 私が名刺を渡すと、自分の持ち合わせがないことを詫びてスーツケースへとしまう。SNS上での印象とは違い、礼儀正しい好青年といった態度だった。
「荷物多そうですね。もしかして遠くから来てましたか?」
「いえ、実は近頃あちこちのホテルを転々としていまして。ここ数週間は関東圏で過ごしてますよ」
「そうなんですね」
 交通費の心配ゆえに話しを振ったら、さらに大きそうな事情が見え、否定も肯定もできずそう答えるしかなかった。
「早速本題に入らさせていただきます。私は先日あなたのアカウントを知りました。目的不明のまま繰り返している議論、そして負け続けると称される割には不可解な決着、そういった諸々について今日は話していただける、そういう認識でいいでしょうか」
「もちろんです。ただ、その前に一つ試してみたいことがあります」
「というと?」
「僕と、じゃんけんをしてほしいんです」
「じゃんけん」
 いきなり何を言い出すのだろうと思ったが、習志野さんはすぐに言葉を続ける。
「僕がダイレクトメールに返信をしたとき、不思議には思いませんでしたか? どうしてこれまで何も言わなかったアカウントがあっさり取材に応じるのだろう。なぜ同じような質問が来るなかで十和田さんだけに反応をしたのだろう、と」
「それが、じゃんけんでわかると?」
 習志野さんは首肯する。
 私以外からもメッセージが来ていることは不思議ではなかったが、彼の口ぶりからでは私以外の取材には応じていないのだろう。私が「わかりました」と答えるとすぐにかけ声がかけられる。「じゃんけん」不意打ち気味な合図に思考が追いつかない。「ポン!」思わずグーのまま手を出すと、彼はパーを出していた。
「私の負けですが、これがいったい……?」
 意味がわからないとばかりに訝しむような視線を向けると、習志野さんは信じられないものを見るように目を見開いていた。
「まさか……、本当にこんなことが……」
「すみませんが、わかるように説明してもらっても?」
 私の質問に状況を思い出したのか「ああ、すみません」と謝ると、コーヒーを一度口につけてから言葉を続けた。
「これは信じてもらうしかないのですが、僕は人生で一度もじゃんけんに勝ったことがなかったんです」
「はぁ、そうですか」
 唐突に始まった告白を、私はまともに受け止めてはいなかった。
 じゃんけんで一度も勝つことがなく生きていくことなど想像できないし、そもそも今目の前で買っているではないか。そう考えることはわかっているのだろう。彼は説明を続ける。
「厳密に言えば、結果如何にかかわらず僕の負けになってしまうんです」
「それは、今のような状況でも?」
「そうです」と習志野さんは肯定する。勝ったのに負けてしまう、とんちのような状況はどういうものなのか、考えてみても想像がつかない。
「もう少しわかりやすく教えてもらってもいいですか?」
「今のじゃんけんは僕がパー、十和田さんがグーを出しました。これが実際に起こった事象となります」
「事象」
「そして二人のあいだで僕が勝利したという認識となったのが勝負の結果です。ですが普段であれば、このときも相手の認識上では僕の負けになります」
「つまり、勝負に勝とうが負けようが、相手からは負けと思われると?」
 そういうことです、と習志野さんはいう。私は、どういうことだよと信じきれない反面、受け入れると確かにいくつかの謎に説明がつくと考えてもいた。SNS上での議論でいつも負けているというのは本当に常に負け続ける星の下にいるならば納得がいく。だが、なぜとっくの昔に知りつくしている性質を確かめるように勝負を繰り返していたのか。……いや違う。多くの人の目に映るインターネット上で自分の特異性を披露していたのだとしたらその目的は。
「影響を受けない人を探していた……?」
「まあ、そういうことになります。まさかこんなに早く見つかるとは思ってませんでしたが」
 ぼそりと呟いた見解を、習志野さんはあっさりと肯定する。これまで一度も見たことがないといわんばかりの言い回しにもかかわらず、感情の伴わない淡泊な口ぶりだった。
「突然の取材を受けていただいた理由はわかりました。でも、いったいなぜこんな真似を?」
「目的を明かす前に、それにつながる僕自身のお話をしてもいいでしょうか。少しばかり長くなるかもしれませんが……」
「ええ。どうぞ」
 私はすぐに答えた。このとき私はすでにアカウントの存在よりも習志野という人間の人生。いや、勝負に勝つことのできない人間がどういった道を歩むのかということに対する興味のほうが強くなっていた。もちろん、彼の言う性質を完全に信じてはいなかったため、彼が来歴を語るうちに綻びを見つけてでたらめであると確信が持てるかもしれないと思う自分がいたのも確かであった。

ここから先は彼が話した内容を記したものである。実際には適宜私の質問を挟んで進行していったが、それらの情報を踏まえると、概ね次のような内容となる。

   3

僕のこの性質は記憶にある時点からすでに存在していました。おそらく生まれつきのものなのだと思います。疑問を覚えはじめたのは小学校に入った頃でしょうか。それまでもおかしいと思うことはあったのでしょうが、まだ自我もはっきりしないころですし、親との勝負には勝ったこともありました。ええ、あくまで僕の性質の影響は認識が変わるだけですから、認識の上では勝っていても勝利を譲ってくれることはおかしくありません。もっとも、親と子の勝負で実際に子どもが勝っていたとは思えないわけで、性質の影響はなかったでしょうが。
 小学校に通いだすと勝負事をする機会が多くなり、違和感を覚えはじめました。遊びや勝負事で負けるだけなら気分が悪くなるだけで害はないのですが、あの年代は何かを決めるときにじゃんけんを行うことが多いころ、一番不利益を被っていたかもしれません。係決めや給食の余りの取り合い、その他雑用の押し付け合いなど、様々な場面で負け続けるわけですから。さすがにおかしいぞ、と見かねた先生が「負けたほうが勝ちね」と提案をしたこともありますが、勝利条件が変わるだけなので効果はありません。
 どうやらそういう星の下に生まれたらしいと僕はだんだん理解していきましたが、そうすると説明がつかないことがありました。体育や休み時間でやるスポーツでは勝つことがあるのです。条件を探ってみようと決めた僕は様々な勝負に参加します。すぐにその理由はわかりました。影響を受けるのは自分側が個であったときに限るのです。例をあげるならバスケットボール、五対五の競技ですので性質の影響は受けずに公平な勝負ができました。一方、バドミントンのような一対一の競技であれば影響を受けてしまいます。では全員が個であるような場合や自分一人対集団の構図の場合は? そうして様々な条件を試して性質を見定めました。
 平行して性質の影響を無くすことはできないか試してみましたが、こちらは成果がありませんでした。条件を満たす限り、影響は必ず発揮されます。勝負が終わったあとに結果を見せつけ、認識の修正を試みたことも一度や二度ではありません。この場合は様々な反応がありました。結果そのものが認識できない、目にする結果が改ざんされている、結果が勝敗に結びつかない。話しをするうちに僕の勝ちを認めてくれることはありましたが、表情を見ると「面倒だから勝ちを譲っておこう」と考えているのはまるわかりでした。
 こうして小学校から中学校にかけて、僕は自身の性質について理解を深めていきます。友人こそ普通にいましたが、活動に影響がでることを恐れて部活に入れず、未だに虚しさを感じることもあります。確かに、集団対集団のスポーツや吹奏楽部といった活動であれば問題はないでしょうが、あくまで本番の話。練習のときに一対一で勝負するシチュエーションは避けられないでしょうし、それらで負けるという認識の積み重ねが本番につながるなら、起用される可能性は他の人よりも低くなって当然。中学校を卒業する頃には僕は勝負事を避ける人間になっていました。

高校受験の際には僕はとても正気でいられませんでした。
 受験は己との闘いなどと言いますが、闘いであるならば勝敗は存在するわけです。実際の構図では勝負する相手がいるわけではないですし、中学校時代の試験や検定では影響を受けなかったので問題はないだろうと頭では理屈づけて納得しようとしていたのですが、それでも合格発表で自分の番号を見つけたときは例えようのない喜びを感じました。
 ……話が逸れましたね。
 高校に入学した頃には、僕はゲームに熱中していました。それもオンラインのものが中心です。というのも勝敗がねじ曲げられるのは人間の認識上だけであり、ゲーム画面上では公平に勝敗が表示されるからです。もちろんネット越しの相手は僕が勝ったときでも自分の勝利を確信していることでしょう。実際にボイスチャットの音声から勝利に喜んでいる声が流れたこともあります。ですがそんなものはミュートすれば支障ありませんし、ゲーム上では正しい勝敗を元にしたデータがあるわけです。公平に勝負ができる場を初めて見つけてのめり込んでいくのも普通のことでしょう。
 また、オンラインゲーム上では自分の性質が活用できることもありました。ネット対戦をしたことがあるならわかるかもしれませんが、対戦ゲームでおもしろいと感じる瞬間は相手に勝ったときです。一方負けたときはストレスを感じ、次の相手探しに移るのはよくあること。僕の性質を受けて勝ったと思い込んでいる相手は一度勝った相手だからと再戦をしたがる傾向になるわけです。自分の腕を磨くことと平行して勝てる相手と再戦して確実な勝利を掴むことで、僕は容易に高レートを維持することができました。そして思ったのです。同じように現実においても自分の性質を有効活用できないだろうか、と。

この考えを実行に移すのは難航しました。こちらの勝利と思わせる能力であれば活用手段などいくらでも思いつくのですが、負けたときに利益を得る方法はすぐには思いつきません。例えば僕と誰かの勝負を賭けの対象にできれば結果をコントロールできるのでしょうが、普通に生活するなかではないだろう状況です。
 僕は止めていた性質の検証を再開し、さらなる条件を探すことにしました。とはいうものの単純な条件は中学時代までで概ね把握済み。複雑な条件とはなんだろう、と考えるうちに思いついたのは勝負の内容と関連した条件を設定することでした。もちろん、勝負の前に合意が成立していなければなりませんし、常識外の要求を呑んで勝敗が決まっても不履行に終わることはありえます。そもそも勝った側が得をしない提案に意味はありません。逆に、事象と結果が認識の上でリンクしないのであれば、報酬がそこをリンクさせていたときどうなるだろうと考えたわけです。
 例えば、ある人が十円を隠したから探してほしいとお願いしてきた場合、僕と誰かが同じ場所で聞きとどけて競争する認識が生まれたとしたら、決着がついたときに僕の負けになります。このとき、僕が十円を見つけていたとしても、勝負した相手が十円を依頼者に返すことになるわけです。こうして活用できそうな方針を見つけたのはいいのですが、あくまで机上の空論でしかありません。実際に試してみたいとは思っていたのですが、一人で状況を作り出すことが難しいため、高校在学中に実験をすることはできなかったのです。そしてそうしているうちに受験勉強が本格化し、実際に行動に移すには大学の入学を待つこととなりました。

   4

大学に進学して一年間は慣れるためにそれどころではなく、二年目になるとだんだんと余裕ができてきます。僕は新しくできた友人とよく新しい趣味となったパチンコに連れ打ちに行きました。始める前に冗談交じりに「どっちが勝つか勝負だ」などと言っておけば、どういう結果でも相手よりも出玉が少ないと思ってくれますから慰めに奢ってくれることが多かったんです。ノリ打ちでどうなるかも試したことがありましたが、対決ではなく協力の構図となるため影響が出ることはなかったですね。
 そういう風な友人づきあいをしていると麻雀に誘われることも多かったのですが、すでにお分かりになっているとおり、もし誘いに乗ってしまえばハコられる未来が訪れるのは明らかです。ルールを知らないと言って一貫して断り続けました。
 よくつるむ相手の一人に加賀谷という男がいます。彼は頻繁に麻雀への誘いをかけて僕はその都度断るものですから、いつからか不自然に思っていたのかもしれません。ある日、何か秘密を持っているのではないかと問いただされました。「これだけパチンコに行っているのに、お前が勝っているところを見たことがない」と。僕は正直に自分の性質を打ち明けました。中学生の頃までは周囲に説明したこともありましたが、理解を得られたことはありません。ですからこのときも信じてくれる確証はないどころか、どうせ短い付き合いだから受け入れられなかったら離れればいいだけだろうと開き直っての行動です。ですが加賀谷は、僕の説明を聞いて信じてみる、と答えたのです。
 もちろん彼は十和田さんとは違い、影響を受ける側の人間でした。言葉では受け入れると宣言したものの半信半疑なのは見ずともわかります。だから僕は自分の知る限りの情報を伝えましたし、実際に勝負を繰り返して都度本当の過程を伝えました。加賀谷が僕の性質の存在を信じるまでには数ヶ月かかりましたが、本当のことだと確信すると質問を受けました。
「その性質、これまで利用してきたことはあるのか?」
「知っての通りのパチンコと、あとはネット対戦くらいのものだね。これまでさんざん苦しめられてきたんだ。活用できるならしてみたいけど考えても思いつかないんだ」
「じゃあ、儲かる方法があるとしたら?」
「興味はある」
 すぐにそう答えました。今あのときに戻ってもおそらく同じ回答をするでしょう。
 数日後、僕は加賀谷に連れられて友人宅で行われた麻雀に参加しました。見知った連中に「とうとう観念して参加する気になったか」と言われて見学するだけだと答えます。勝負が始まる段階になると、加賀谷から目配せがあり、僕は事前に指示されていた言葉を告げます。
「僕は加賀谷が負けるほうに懸けるかな」
 雑談の一つとして三者三様の反応があったあと、勝負が始まりました。高校のネット対戦に熱中していた時代に麻雀もプレイしていたため、細かい点数計算こそ知らなかったのですが、基本的なルール自体は把握していました。加賀谷は配牌が良くないらしく、他の面子が次々と上がるなか、点数を奪われていきます。僕は見学兼記録係として、放置されていた大学の講義で使用したプリントの裏側に、指示された通り得点を記録していきます。半荘戦が五戦目に差しかかったとき、スマートフォンを通して加賀谷から指示がありました。僕は少しの罪悪感を覚えながら、見られないように気をつけつつ、得点表の名前を消し、現状一位の列を加賀谷の名に書きかえました。
 勝負が終わると、僕が放った言葉の影響でしょう。卓上の四人とも加賀谷が勝ったと認識していました。僕が得点表を渡すと誰も異議を唱えることなく受け入れます。得点表は唯一加賀谷だけがプラス表記になっており、彼は勝ち誇った表情で言い放ちました。
「今日は俺の一人勝ちか。いつも通りテンゴでいいよな?」
 その場はお開きとなり、後日加賀谷と顔を合わせたとき、彼がまず聞いたのは実際の結果でした。僕が実際の順位を伝えると「やっぱりできるものか」とこのときになってようやく計画が成功した確信を得たようでした。
「所詮身内での遊びだから勝ち分はたかがしれてるけどな」
「何回も繰り返していたら怪しまれない?」
「それなら交友範囲を広げて相手を増やせばいいだけだろ」
 加賀谷は有言実行するように交友関係を広げました。毎回儲けに行っては不自然なため、普通に勝負することもありますし、僕がプレイヤーとして駆り出されることもありました。もちろん性質の影響が働いて最下位になってしまうため、点数を誤魔化して損害を最小限にする必要はありましたが。
 僕と加賀谷は一年で五十万以上儲けました。社会人から見たら微々たる額でしょうが、当時奨学金と余暇を削ってのバイトが主な収入源だった僕らには大きな額でした。そのお金を使って打ち上げと称して二人で居酒屋に行ったり、旅行に行ったり、贅沢をしたものです。
 ただ、この楽しかった時間は常に続くものではありませんでした。
 大学生活が三年目に入ると同期生はだんだんと就活に向けたヒリヒリした雰囲気を出すようになっていきます。僕も同じように就職に向けた準備を始めましたが、加賀谷は関心を向けないどころかこのまま就職せずに麻雀で稼ごうと言い出すようになりました。
「新入生が入ってきたからカモが増えるし、収入が不安だっていうなら大丈夫だ。最近ツテをあたってもうすぐ高レートの卓を紹介してもらえるから」
「それって危険なところじゃないの?」
「俺とお前ならこれまで以上の大儲けできるさ」
「悪いけど、そろそろ遊びは終わりだから……」
 しつこく誘いをかけてくる加賀谷に、次第に僕はうんざりするようになり、避け始めました。以降も人づてに加賀谷の評判は入ってきましたが、次第に「負けても金を払わない」「怪しい奴らとつるんでいる」と悪い話しか聞かなくなっていきました。こうなったのは僕が自分の性質を打ち明けたことがきっかけです。計り知れない罪悪感がありました。
 さらに日がたっていくと、加賀谷の動向を知る者が次第にいなくなっていき、ある日、講義を受けていた教授から加賀谷が大学を辞めたことを聞いたのです。そのときは胸にぽっかり穴が開いたようでいて、数日のあいだはどのように生活していたか記憶にありません。正気に戻っても、気力が戻らず、順調に進んでいた就活の最終選考を無断で休んだほどです。時間がたつにつれて元の調子を取り戻し、なんとか内定を手に入れて、あとは無事に卒業するだけになった頃、大学から帰ってきた僕は家ノ前に加賀谷がいることに気がつきました。
「久しぶりだな」
 気安く呼びかける口調は以前のままでしたが、身なりはあの頃とは違って不衛生な風貌をしており、彼の過ごした生活は僕が知っているころからすっかり変わってしまったことを感じさせられます。
 僕は加賀谷を家にあげ、シャワーに入らせたあと、これまで何があったのかを聞きました。最初のうちはつまらない話だからと話すのを拒んでいましたが、夜が更けてくるとぽつりぽつりと口を開き始めました。高レートの賭け麻雀に参加して負けたのだと語る彼に、だから言ったのにと追い打ちをかける気にはなれず、頷いているうちに夜が明けました。
 翌日、加賀谷は家に帰ると言い、外に出ました。
「俺、今になってわかったような気がするよ。麻雀をするんじゃなくてお前と何かしてるのが楽しかったんだ」
「僕も同じだよ。でも、もう会わないほうがいいと思う」
 楽しいと思ったのは本当のことです。でも同時に、自分の性質を明かしたせいで彼の人生を台無しにしてしまったという罪悪感がありました。「どうしてだよ」という加賀谷に僕は考えたままのことを言い、彼を家へと帰しました。
 それ以来、僕と彼が会ったことは一度もありません。

   5

習志野さんはここまでの内容を話すと、置かれていた自分の水を飲み干し、おかわりをお願いした。
 習志野さんの置かれた環境は自分の常識の埒外であり、想像力をかき立てられたが、話始める前に抱いていた疑問が解けることはなかった。
 いったいなぜ、私と対面で話をする必要があったのか。口を開いて問いただそうとした瞬間、カフェのドアが開く。入ってきたのは一人の男、何かを探すように必死な表情を浮かべた彼は店内を見回すとこちらの席に向かって歩いてくる。どうして、と疑問に思って習志野のほうを向くと、ひどく寂しそうな表情を浮かべているのに気がついた。来店した男はそのまま私たちのテーブルの前にくると、一転して踵を返して来た道を戻り始めた。
「あのっ!」
 その異常な行動に、見ず知らずの相手にも関わらず私は思わず声をかけていた。
「はい?」
 振り返る男、私はなんと言葉を継げばいいか迷い、そして横目に写った習志野さんの顔を見て、自分がここに呼ばれた理由を理解した。そしてそれは同時に習志野さんが目的を果たせなくなったことを意味するのだ。彼は目的を果たすために自分の来歴を話し、行動の誘導を目論んだ。相手の存在しない勝ち負けのないゲームは、目的を理解した私が相手のテーブルに収まってしまい勝敗の概念が生まれることになる。それはつまり習志野さんの敗北が決まったことを意味する。
 それでも私は運命に抗うように問いかける。
「習志野さんに会っていかないんですか、……加賀谷さん」
「どうして俺の名前を?」
 前半の言葉は聞こえなかったかの回答。彼は訝しげな表情を浮かべ、「まあいいか」とつぶやいて店を出て行った。
「気づいてしまいましたか……」
 振り返ると、習志野さんは取り繕ったような笑顔を浮かべている。私は「すみません」と謝ることしかできない。
「いえ、僕も何も言わずにあなたを利用しようとしていたわけですから」
「習志野さん、あなたは自分の影響を受けない人間を見つけて、加賀谷さんに及ぼした影響を解こうと考えたんですね」
「……その通りです」

   6

すでに察しがついていると思いますが、先ほど語った話には続き、いえあえて黙した部分がありました。
 僕が加賀谷を置いて家のなかに戻ったとき、扉越しに声が聞こえてきたのです。「お前が消えようが、俺は絶対見つけてやるからな!」
 そして彼の叫びに対して僕は答えました。
「そうだね。僕は、君が僕を見つけることに懸けるよ」
 それから加賀谷は僕の元に現れてはこちらの姿が見えていないかのように去って行くのを繰り返しています。二人のあいだで合意が形成された追いかけっこが彼の勝ちで終わろうとするたび、彼が僕を見つけるという賭けが僕の勝ちになる矛盾を解消しようとするかのように。
 確かに僕らは世間的に感心されないことをしてきましたが、運命によってそこまでされるいわれが会ったとは思えません。
 だから僕は、一縷の望みに懸けて僕の性質に影響を受けない人を探すことにしました。ネット上であれば多くの人の反応がありますからすぐに見つかると思ったのです。そして十和田さんから反応があり、僕は自分の性質を話しました。それもこれもじきに現れるであろう加賀谷に声をかけてもらうためです。
 呼び出した理由を話さなかったのは、僕と加賀谷の勝負の構図の中に入れさせないためでした。目的を話しても十和田さんに影響を及ぼすことはないでしょうが、話すことで僕の協力者となってしまう心配があったのです。もっとも実際にそうなってしまったわけですが。
 以上が、僕が明かせる話のすべてになります。

 
「習志野さんはこれからどうするつもりですか?」
「また、新しい人を探しますよ。影響を受けない人の存在はわかりましたし少し希望が持てました」
 痛々しい表情で微笑む彼に、私はどう声をかけていいかわからず、「そうですか」と答えることしかできなかった。
 その後、私と習志野さんは店をあとにした。お気持ち程度の取材協力費を渡し、記事にすることで彼の活動に協力したいと告げ、そのまま解散した。
 あれから二月がたち、原稿はすでに書き上げたものの、現実味のない内容に掲載の許可は得られていない。

インターネットでは論破王のアカウントが交信されている。
 彼は今日もまだ、負け続けていることだろう。

文字数:13217

内容に関するアピール

ゲームで実装されているような負けイベントが現実にあったらどうなるだろうかと考えました。

一年間ありがとうございました。

文字数:58

課題提出者一覧