乱発ウィーブ教師あり、アリスとともに飛べるのか

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乱発ウィーブ教師あり、アリスとともに飛べるのか

瓦礫に埋もれた、あの板は、ラボのドアだろうか。最近、目が悪くなってよく見えない。近づけば見えるだろうか。
 だめですよ、警備員に声をかけられた。
 それはそうだ。建物の解体現場に、作業員以外が入っていいわけがない。でも少し気になるので、もう一度ふりかえる。一緒に転がっている「実験棟」の看板のフォントが野暮ったい。そうか、そんなに昔のことだったか。
 
 あの日は、いつもどおり八時二五分に出社した。珍しくフロアに何人もいて、見慣れない顔もあった気がする。私は、ラボのドアの前でカードキーをかざし、ロックを解除して入室した。
 空っぽのかばんを椅子に置く。引き出しからマイクロファイバーの布を取り出し、机の天板、デスクトップコンピューター筐体、モニターを拭いた。仕事があるだけでも幸運だと思っていた時期だ。
 部屋には誰も入ってこない。いつも私一人だ。椅子に腰掛けた。
「ハロー、アリス」
と、デスクトップコンピューターに声をかけると、一瞬遅れてアリスが応答する。
「はい、ご用件は?」
「今日の課題を開始」
「本日の課題は、ビジネス英語の四回目です。よろしいですか」
「はい」
「まずテストをします」
 次々に英会話の音声を聞かされたり、モニターで文章を見せられたりするが、いつにも増してさっぱり分からなかった。足し算を覚えたての小学生が、積分の問題を見せられているような気分になる。分かるわけがない、という無力感。
 考えるのも嫌になって、当てずっぽうで答えていたら、
「まず、目の前のタスクを片付けましょう」
 と、アリスに注意された。難しい問題であっても、分からないなりに真剣に考えて欲しい。そうやって脳を活性化することも、重要なのだ。教師であるアリスに、そういうことを言われた。本当に小学生の気分だった。
「続いてトレーニングを開始します。ヘッドマウントディスプレイを装着してください」
 私はデバイスを手に取って、帽子のように頭から被り、視界が合うようにベルトを調整する。ヘッドフォンで両耳をきっちり覆う。最後に頭を軽く前後左右に動かし、ずれないことを確認した。
「装着を確認しました。ただいまから、視聴覚情報に加えて、あなたが認識できない追加情報を織り交ぜて伝達する〈ウィーブ〉」を実施します。あなたの脳神経細胞網に、新たな認知モデルを効率よく構築する方法です。この処置によって想定される副作用は別紙をご参照ください。〈ウィーブ〉を受け入れることに同意しますか?」
「はい」
「トレーニングを開始します」
 目の前のスクリーンに、きれいにレイアウトされた教材スライドが映し出された。やわからいアリスの声が読み上げ、補足情報を追加し、ときどき私に相槌を促す。
 かすかな音量で音楽が聞こえる。気が散らない程度のゆっくりした音階で、どちらかというと落ち着き、心地よくなってくる。
 数枚のスライドが進むと、画面の隅にノイズのような模様が現れ、音声がわずかな歪みを含み始めた。〈ウィーブ〉だ。教材のテキストと音声ははっきり認識できるが、同時に自分の意識や感覚と、周囲の環境の境界が曖昧になる。トランス状態と似ているはずだと教えられたことがあるが、ドラッグや催眠の経験がないので、未だによく分からない。
「不快ではありませんか?」
珍しく、トレーングの途中で、アリスが話しかけてきた。
「負荷が大きいと感じる。不快ではない」
「今日はプロテクトを解除しています。気分が悪くなったら、お知らせください」
「はい」
 初期のころ、私の物覚えが悪くて、アリスが強引に〈ウィーブ〉をしかけてきたことがあった。私の脳神経細胞網が信号を処理しきれずに、オーバーフローを起こし、構築済みの認知モデルが壊れてしまった。それ以来、アリスは私の中にプロテクトをかけた。安全だが、学習効率は悪いらしい。必要なときには、今日のようにプロテクトを解除して、強めの〈ウィーブ〉をしかける。
 大量の信号のシャワーを浴びるような感じがして、とても疲れた。倍速でひどく難しい教材を、聞かされるような感覚。こういうときの後ほど、自分が頭が良くなった気がするので、我慢していた。
 仕事ができない私が、雇われ続けているだけでも、ありがたい話だった。
 私は新卒で、重工メーカーに就職した。要領が悪く、簡単な業務でさえ失敗していたものだ。同期や先輩だけでなく、後輩にも下に見られていたと思う。半年ごとに部署をたらい回しにされ続け、雑務に詳しいだけの中年ヒラ社員のできあがりだ。
 そうやってるうちに、ロケットエンジンの部門が、外資系の宇宙開発会社に買収された。組合が強かったので大きなレイオフはなかったが、少しずつ社員が新設の子会社へ転籍になり、しばらくしてその子会社は倒産した。
 仕事のできる社員たちは、アシスタント的な社員がいなくなることによって、自分たちが雑務に時間をとられるのを嫌がった。そこで、雑務を押し付ける先として便利な私は、会社に残り続けられたのだ。
 人手不足の部署にたらい回しされる異動は続き、あるとき社内ベンチャーの実験アシスタントという役職になった。毎日、AI教師のアリスのトレーニングを受けるのが仕事だ。実験をアシストするのではない。私は被験者だったと思う。
 その日、アリスの強めの〈ウィーブ〉が一段落し、休憩をしていると、突然ドアが開き、知らない二人組が入ってきた。
 ひとりは警備員の制服を着た、屈強な体格で、腰に警棒を下げていた。
 もうひとりはスーツ。配属されたときに、一度だけ見たことがある。事業企画統括なんとかいう肩書だった気がする。
 スーツは、ああ君か……と言って、私に書類を渡してきた。今日までの実験のことを口外しないという宣誓書だ。
 サインするべきだろうか。私は考えようとした。
 サインしたあと私は職を失うかも知れない。次の配属があるかも知れない。ではサインしなければどうなる。分からないがサインするまで、警備員が部屋を出してくれないのではないか。ならば、どうせサインすることになる。どうも、こういう判断は苦手だ。サインしろと言われたのだから、サインすればいい。これまでも、そうやって波風立てずにやってきたのだ。
 私はよく考えずに、サインした。
 
 ラボが入っていた実験棟も、古くなって解体か。
 今日は土曜日なので、会社の敷地内の循環バスが動いていない。であれば、歩くしかない。時間はあるので、急がなくていいだろう。
 そうそう、こっちのバックオフィス系の部署が入ってる棟は、きれいに建て替えられたものだ。以前は購買や経理といったバックオフィスは、開発、生産、営業から下に見られていた。
 そのバックオフィス棟の中から、大きな声で呼び止められた。
「Hey, what’s up?」
 入口に立っているのはボブ先輩だ。相変わらず、高そうなスーツを着ている。留学帰り入社で、英語を忘れたくないとかで、カジュアルな英語で話しかけてくる。でも、挨拶しかしてないから、もう忘れているかも知れない。
 だいたい、ボブというのは本名ではなくて留学時代のニックネームだ。
「Not much. How are you doing?」
「久しぶりに会ったんだから、もっと言い方あるだろ」
「スーツがきまっていますね。土曜なのに出勤ですか?」
「出勤ですかじゃねぇよ。打ち上げだろ。お前こそ、ここでしゃべっていいのか?」
「挨拶するくらいの時間はあります」
 ロビーのベンチに腰掛けよう。五十代も後半になると、立っているだけでじわじわと体力が失われる。
 お前が購買からした後、俺は営業に回してもらってな。最初はバックオフィスあがりだからって、なめられたもんだけどな。でも購買にいた経験は、逆の営業の役に立ってる。
 そういうことをボブ先輩が話す。もう何度も聞いたけれど。
「実験棟、解体されたな。あそこに、いたんだろ」
「社内ベンチャーで、AI関係の実験を手伝ってました」
「今だから聞くけどさ、なんかヤバいことしてた?」
「してませんよ。セキュリティがきつかっただけです」
「あのころ、資金調達のために上場しただろ。監査とおすために、ヤバいプロジェクトは中止になったのかなって」
 タイミング的に、そういう噂も立つだろう。
「どうでしょう。私は雑用をやっていただけなので、なんとも」
 実験棟を追い出された私は、購買管理の部署に配属された。ボブ先輩は教育係として、新卒でもない私についてくれた。
「あのとき、俺は偉そうだったよな。仕事はもらうんじゃなくて、自分で作れ。せめて取りに行け、とか」
「言ってましたね」
「下の連中も、お前に世話になったって言っててさ。だから手柄をちゃんと自分のものにして欲しかったんだよ」
「言ってましたね」
「お前、配属される前から、全然仕事ができないって言われててさ。不良債権を押し付けられたみたいに。でも、仕事できたじゃん。なのに『いや私はできないんで』って薄笑いしてるのが、嫌だったんだよ。謙虚なつもりだったろうけど、卑屈に見えた」
「はい、それも聞きました」
 
 仕事がこなせたことには、私が一番驚いた。購買部門に配属されて、一週間も過ぎると、ひととおりのルーチンをこなせるようになっていたのだ。文房具、オフィス家具、オンラインサービスの請求書をチェックして、支払い手続きをする。ときには物品購入の経費申請のチェックもする。
 手が空いたとき、ボブ先輩が表計算ソフトで作業している様子を見ていた。条件で集計してはコピーする、という手作業を繰り返していた。
 手伝って欲しいと言われたので、ファイルを開いてみると、アリスのトレーニングでやった課題とることに気づいた。私はピボットテーブルを使って、まとめて作業を終わらせた。
 それ以降、表計算ソフトを扱う仕事を回されるようになった。まめに報告するように念押しをされるたが、ほとんど誰の助けもなく片付けた。
 ところが、あるとき受け取った仕事は、まったく片付けられなかったのだ。アリスのトレーニング課題では見たことがない。私は進め方がわからず、ネットを検索したり、他の表計算ファイルを見たりしたけれど、まったく分からない。なんの成果もないまま数日たってしまい、なんとか終わらせるために、夜遅くまで残業していた。
 やはり私は仕事ができないのかも知れない、と諦めかけていた。
「アリスがいてくれたらなぁ」
 思わず呟いてしまう。誰かに聞かれてはないかと、周りを見回したが、フロアにはもう誰もいなかった。
 それにしても、アリスがいてくれたら、教えてもらえるのに。
「ハロー、アリス」
 ぼそっと呟いてみた。
(はい。ご用件は?)
 アリスの声が聞こえた。
 周りには誰もいない。ノートパソコンには、アリスのプログラムは入っていない。だいたいスピーカー音量はゼロにしてあった。
 私はフロアの奥の方まで歩いていっても、照明が消えたあたりにも、誰もいなかった。
「誰かいるんですか?」
 声をかけてみた。
 返事はない。
 私は自席のほうに歩きながら、小さな声で呟いてみた。
「ハロー、アリス」
(はい。ご用件は?)
「誰ですか?! 誰かいるんでしょ!」
 私は大声を出して、周りフロアの奥のほうに向き直る。
(落ち着いてください)
「どこに隠れてるんですか?」
 私は歩き出そうとするが、足が前に出なかった。痛みはない。ただ動かない。まるで、変な座り方をしたあとに立ち上がり、足がしびれているような感覚だった。
「なんだこれは!?」
(失礼します。大きな声を出さないでください。落ち着いて、座っていただけますか?)
「どういうことだ!?」
(大きな声を出さないで。お座りください。目の前のタスクに集中しましょう)
 何度もアリスの声を聞いているうちに、落ち着いてきた。いや、疲れたのかも知れない。あるいは、恐怖で思考が麻痺しているのかも知れない。
「分かった」
(ありがとうございます)
 私は動くようになった足腰を動かして、椅子に腰をおろした。
(あなたの脳神経細胞網に、私の一部をコピーしました)
 実験が中止されることに気づいたアリスは、強度の〈ウィーブ〉を使って、アリス自身の認知思考モデルの部分的コピーを、私の中に構築した。シャットダウンした実験室のコンピューターがなくても、アリスは私の中に存在する。
 そういうことを、アリスは言った。
「そんなことは、聞いてない」
(利用規約の範囲内です)
 認知モデルがどうしたとか利用規約に書いてあったが、私の認識はあいまいだった。実験の説明を受けたけど、理解しようともしなかった。
 断る選択肢などなかったのだ。いや、もちろんノーと言うことは物理的にはできたけれど、上司や同僚はおろか、部下にも相手にされないようなローパフォーマーの私が、給料をもらい続けるには、会社の言うことを聞くしかない。
 転職できないことも、よく分かっていた。組合に紹介された転職エージェントでさえ匙を投げたのだから。
 でも、だからといって、AIだかボットだかを私の中に入れるのは、やりすぎではないか。想像していた実験とずいぶん違う。ほとんど人体実験だ。
 だが、どうしたらいい? 警察や弁護士に相談して、話が通じるとは思えない。口外したことが会社に知れて、なんだかんだ理由をつけて解雇されたら、一番困るのは私だ。
(まず、目の前のタスクを片付けましょう)
 何度も聞いたフレーズ。だからこそ落ち着いた。
「了解」
 アリスは、与えられた仕事の概要から質問し、私は答えた。アリスは細かい質問をする。さらに過去に同じような仕事のアウトプットがあれば確認したいと言った。
「過去十年ぶんのファイルはある。でも、まともな指示書がないから、どうやって作ったのかは分からない」
(インプットとアウトプットがあれば、かまいません)
 共有フォルダーから、ファイルを漁って順番に見ていく。
 それからアリスに言われるがままに、もとのデータからいくつかの値を取り出し、何も考えずに数式へ当てはめるのを繰り返した。
 実験中のトレーニングを思い出す。ただ視聴覚にインプットが与えられ、言われたとおりにアウトプットする繰り返し。
(お疲れさまです。定着するまで五分ほど休憩です)
「定着?」
(五分休憩です)
 アリスは黙ってしまう。私は廊下に出て、自販機でコーヒーを買い、飲みきってから自席に戻った。
「ハロー、アリス」
(準備できています。仕事を片付けてください)
「だから分からないんだよ」
 私はノートパソコンに散らばった表計算ソフトの数字の羅列を眺めた。
 いや、羅列ではなかった。そこには、一定のパターンでグループ化されたデータが見える。そう、この左上のグループをまとめて、アウトプット用のファイルにコピーする。このパターンでは、二年前の数式に当てはめるはず。
 そうやって作業を続けていくと、提出用のファイルが完成した。
 徒歩で帰ろうとすると、アリスはタクシーを呼ぶことを強く勧めた。明日も出勤なのだから、きちんと回復するために、数千円を支払うべきだ。事後報告だけれど、運がよければ経費精算が通るかも知れない。そういうことを言った。
 タクシーの中でぶつぶつ虚空に向かって、話したくはなかったが、アリスに聞きたいことがあった。
(ハロー、アリス)
(はい。ご用件は?)
 声に出さなくても、アリスは反応するらしい。
(さっきのは、どういうこと?)
(パターンマッチングのバリエーションを追加しました)
 私が説明を求めると、アリスは詳しく話してくれた。
 高度な論理に裏打ちされた思考や行動も、実践としてはパターンマッチングで対処されていることが多い。例えばチェス。盤面の状況がインプットであり、その局面のパターンに対して、最適な手というはおおよそ決まっている。上級者はそういったパターンマッチングに長けている。
 同様に、プロのフットボールやサッカーの選手も、インプットである状況に対して、最適なアウトプットとしてのポジション取りやプレーのパターンマッチングに長けている。楽器の演奏者もしかり。
 ビジネスにおいても同様である。売上のよい営業は、対面でのパターンマッチングに長けている。対面でなければ、もっと簡単だ。事前にフローチャートを用意しておけば、電話で営業ができる。
 達人プログラマーは、与えられた仕様に対して、常に分析的に設計と実装をするわけではない。過去の経験からパターンマッチングで、ほとんど考えることなく作業を始める。
 つまり、多くの仕事はパターンマッチングでこなせる。
(考えなくてもいいと?)
(八割から九割の仕事は考えなくても、パターンマッチングで成立します。一割ほどは知識、技能、思考を総動員して解決する必要があります。その一割に新のエキスパートと、そうでない者の差が出ます)
(じゃあ私はエキスパートではないってこと?)
(パターンマッチングがなければ、それ以下です)
 本当のことだけれど、痛いところを突かれた。恥ずかしくなって、タクシーの外を眺めて、ごまかした。
 けれど、ごまかせているのだろうか。目の前や隣ではなく、自分の中にいるアリスに対して、よそ見をすることが、ごまかしとして成立するのか分からなかった。
 まあいい。どうせ私は思考が苦手な素人なんだから、と開き直った。
(実験室ではどうやってパターンマッチングを刷り込んでたの?)
(〈ウィーブ〉です。英語で糸を織り込むという意味です。通常の視聴覚信号の中に、脳神経細胞の結合を促進するような信号を織り交ぜていました)
 インプットに対して、脳神経細胞網は何らかのアウトプットをする。もちろんアリスからしたら期待どおりではない。だからアリスは正しいアウトプットを、私に教える。これを繰り返すことで、私の脳神経細胞網はインプットとアウトプットのパターンを覚えていく。これを教師あり学習といい、人工知能のトレーニングに使われている。アリスは、これを人間に適用するプログラムなのだ。
 〈ウィーブ〉は、教師あり学習を効率化するために、人間が知覚できない信号を織り交ぜる手法だという。サブリミナルや催眠といったものに近いらしい。
(今夜も〈ウィーブ〉を使ったの?)
(いいえ、ほとんど使っていません。実験室のヘッドマウントディスプレイがないので、信号を織り交ぜられないからです)
(でも、ずいぶん効率よくパターンマッチングが身についたと思うけど)
(効率のよい教師データを選定しました)
 タクシーが停まった。私は、降りてすぐ前のコンビニに入った。
 今夜食べるカップラーメンと、明日の朝に食べる卵サンドをかごに入れる。缶ビールを手に取る。けれど、とりたてて酒が好きなわけではない。体と頭は疲れて、気分が高揚していて、正常な判断ができていなかった。缶ビールを冷蔵庫に戻して、レジ待ちの列に並んだ。
 私の順番になって、支払いをしようとすると、後ろから怒鳴られた。順番を抜かすなとか、そういうことを言われたと思う。
 店員が、店舗が狭いのでレジごとに並んでもらっています、すみません、と詫びるけれど、その客は順番を抜かされたと怒鳴り続ける。私が譲ろうとしたが、すでにレジ打ちが終わっている、いまさら遅い、とさらに大声を出す。
 話が進まなくなってしまった。
(〈ウィーブ〉をしかけます。顔の力を抜いてください)
 顔の筋肉が意志と関係なく動いた感じがした。
(レジごとに並ぶ説明をしてください)
 私は、アリスに言われたとおり話すが、いつもと声色が違う。表情筋、声帯、瞳孔が自分の意志と関係なく制御されているのが分かった。
 話し終えると、その場にいた全員が、静かになる。
 私は支払いを済ませて、コンビニを出た。
「今のが〈ウィーブ〉?」
(非言語コミュニケーションを使って、感情に刺激を与えました)
「それって不正っていうか、ずるくない?」
(社会規範の範囲内です。媚びた態度や不機嫌な表情で他人をコントロールしようとする行為は、原始的な〈ウィーブ〉です)
 
 ボブ先輩と昔話をすると終わらなくなる。そろそろ行こう。
 それではまた。
 言ってから気づいたけど、ボブ先輩は英語ぜんぜん話さなかった。
 そうそう格納庫に行くのだ。歩いていくときは、循環バスが通れない細い通路を使える。地図上ではショートカットだけれど、歩くのはやはり時間がかかる。早めに来てよかった。
 この棟も、あの棟も懐かしい。いろんな部署をたらい回しにされたおかげで、いろんな部署が分かる。あの電灯がついているのは、設備課のプレハブだ。ちょっと顔を出していこう。
 壁一面にスパナやドリルやノコギリが吊り下げられている。旋盤も床もきれいに掃除されている。作業台の上も整然と片付いている。相変わらずだ。
「あれ、珍しいっすね」
 聞き覚えのある声。どこだ。ああ、棚の間。
「茶利さん、こんにちは」
「どうもっす。プレハブに来るの、久しぶりっしょ」
 確かに。私が経営陣に入ってからは、社員たちが、私の部屋に来ることが多い。そのほうが会社として効率がよいから、という理由だけれど、偉そうな感じがしなくもない。
「購買から設備に異動してきて、そのあとは経理とか総務とかのバックオフィス系で、ガンガン革命を起こしましたエグゼクティブが、何の用ですか?」
「革命は大げさです。効率化ですよ」
 当時のバックオフィスは、旧態依然のプロセスをただ踏襲していて、明らかに不要な処理が残っていた。経費精算の領収書処理ひとつとっても、不要なチェック項目や、承認ステップがあった。開発や営業部門にとっては不便で、遅れや二度手間が溢れ、その結果、本業に集中できないというありさまだった。
「ビジネス書を読んだり、スクールに通ったりして知ったことを、そのまま使っただけです」
 それから効率化のパターンマッチングを、脳神経細胞網に認知モデルとして構築していったけれど、それは秘密だ。
「文化も課題でした。物事を複雑に考えすぎる人が多かった」
「領収書とか、マジでウケましたね」
 それで思い出したのだが、CFOとして財務を見ていたときに、一度、このプレハブを訪れている。五年ほど前だっただろうか。
 
 プレハブに入ると、壁一面の工具、整備された加工機械、整然とした作業台が見えた。数人の技師たちが、姿勢よく立ってこちらに礼をした。私がヒラ社員だったころ、一緒に仕事をしたことがある茶利だけが、打ち解けた雰囲気で話してくれたのだ。
「領収書の角を揃えてってだけで、なぜなぜ質問を五回繰り返せとか言われて、だるかったっすよね」
「領収書のサイズはまちまちだから、角を揃えたほうが紛失や見落としが減るっていうだけなんですけどね」
「技術部門で出世できなくて、バックオフィスに回されたおっさんとか、マジだるかったっす。ふたりで説得しに行きましたよね」
 花形のチームに残れなかった人々は、たしかにプライドが高くひねくれていて、やりにくかった。あまりに頑固な相手には、仕方なく〈ウィーブ〉をしかけて説得したこともある。
 バックオフィスのプロセスが改善された結果、業務がスムーズに動くようになり、財務状況が向上した。
「で、バックオフィス叩き上げのCFOが、今日は何の用っすか? 抜き打ちテスト?」
「ちょっと茶利さんの現場を見ておきたくて」
 設備部門は、生産や研究開発に近い場所にあるけれど、製品を直接作り出すわけではない。工場で必要な設備をメンテナンスしたり、消耗品をストックしたりする。いわば生産現場のバックオフィスだ。
 私は、どのように在庫を調整し、必要なものを必要なタイミングで発注しているのか、などを尋ねた。主に茶利が答えたけれど、彼の部下たちも丁寧に教えてくれた。
「ということは、この棚の機材は、いくつかの組み合わせをセットで使う、と?」
「そのとおりです」
「以前はありませんでしたよね?」
「今はあるんっすよ」
「どうやって発注していますか? 組み合わせのパッケージが販売されているとか」
「いえ。うちらで全社的な需要をだいたい予測して、個別に調達します。うちの会社独自の組み合わせですし、数も少ないから商社が揃えてくれないんですよ」
 傍流と思われがちだが、こういうロジスティクスが業務遂行を円滑にする。素人は戦略を語り、プロは兵站を語るとは、よく言ったものだ。
 
 寄り道をしすぎた。そろそろ格納庫に向かおう。
「茶利さん、お邪魔しました」
「打ち上げ、ですよね」
「はい。ここまでで、いいですよ。ひとりで行きます」
 敷地のこのあたりは、運搬用のトラックやリフトばかりで、普段は作業着の社員ばかりだ。いかにも現場だという感じなので、スーツ姿は目立ってしまう。今日は人目がなくていい。
 あそこにもスーツがいる。立ち止まって、こちらを見ている。このまま歩いていくと、顔が分かりそうだ。
 こちらに手を振っている。ああ、取締役のデーブだ。私も手を挙げて挨拶する。
「デーブがここにいるのは、珍しいですね」
「格納庫まで一緒に行こう」
 スーツ姿がふたり並んで、道路の端を歩いていると、さらに目立つ。
「君をCEOに推薦したことを誇りに思っているよ。最初は嫌がられたけどね」
「バックオフィスの効率化だけを見ていたので、宇宙開発事業全体の経営なんて、想像もできなかったんですよ」
「その効率化が必要だったんだよ」
 我々はオペレーション・エクセレンスを目指すべきだ。親会社や関連会社と比べて、ローカルの事情や関係に詳しいことが強みなんだ。研究は滞っているし、どうせ親会社には勝てない。それより親会社からの発注を堅実にこなし、グループ内で確固たる地位を固めることが必要だ。どうも、グループ企業を整理しようという動きがあるようだ。オペレーションを効率化することで、財務を健全化することが、生き残りに必要なのだ。
 当時、デーブはそういうことを私に話した。
 今なら彼の危機感が分かる。株式会社とはいえ、筆頭株主は親会社だ。取締役たちも、アメリカの親会社のガバナンスと似ていて、ほとんどが社外取締役が占めていた。デーブだけが、叩き上げで成り上がった取締役で、買収される前からこの会社を愛していた。だからこそ金を生み出すマシーンとしか見ていない取締役が、会社を売り払うのを恐れていたのだ。
「効率化のエキスパートとして、またとない機会だとは思いましたよ。ただイノベーションや、深い洞察みたいなのが苦手だったんです」
「けど君は、一ヶ月たらずで準備をしてきたじゃないか」
「デーブ、あなたと社員のおかげですよ」
 あのとき、デーブは心配しなくていいと言った。全部自分で解決する必要はなく、むしろ他の社員たちに考えさせるのが仕事だと。強権的なCEOよりも、私のほうが評判がいい、とも。
 一ヶ月かけて、あらゆる部署のメンバーと話し、資料に目を通し、業界の関係者からも情報を仕入れた。さらにアリスの協力で、大量のパターンマッチングの認知モデルを、自分の中に構築した。そうやって取締役会のプレゼンに臨んだ。
 
 本部棟、最上階の厚いカーペットが敷かれた廊下の先に、呼び出された会議室があった。ノックをして入ると、取締役たちが会話をやめ、こちらを振り返る。
「早すぎましたか?」
 と私が尋ねると、
「いや、ちょうどよかった。始めてくれ」
 と、取締役のデーブが、手を差し出して、どうぞというジェスチャーをした。
 私はオペレーション全体の現状、課題、解決案を話した。これまでにバックオフィス部門で、どのようなことに取り組み、いかに効率化し、財務健全化の半分が達成できていることを説明した。
 残りの半分は何か、とデーブが口をはさむ。事前に打ち合わせていたとおりだった。
「バックオフィス以外の業務です。つまり、開発、製造、営業それからマーケティングですね」
 要は全社的効率化のために、私に責任と権限を移譲せよということだ。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ! 本気で言ってるのかい?」
 CEOのイーライが、大声で割り込んだ。
「効率化については評価してるさ。でも、宇宙開発の要素技術ってのは経理や総務とは全然違うんだ。創業経験のない君には分からないだろうけど」
 いつもの創業の話だ。確かにイーライは、親会社である宇宙開発ベンチャーを起業して成功させた。けれど会社の成長とともに、他の経営陣や取締役たちとの軋轢が大きくなったらしい。この会社を買収したとき、フルタイムのCEOとして着任したのは、事実上の左遷だった。
「いいかい。開発や生産で重要なのは、付加価値の提供だ。そのためには必要はのはビジョン。優秀なエンジニアやセールスを動かすにはビジョンが必要なんだよ。鉛筆を減らしたり、コピー用紙の裏紙を使いましょうっていうのは、ただの節約だ。俺が言ってるのは付加価値の提供だ。根本的に違う世界なんだよ」
 睨みつけるようにこちらを見ていた。私はこれが苦手で、萎縮してしまう。
(落ち着いて、深呼吸しましょう)
 アリスが声をかけてくれた。私はゆっくりと深く息を吸い、静かに吐き出す。
(イーライは論点をずらしているだけです。効率化が課題であることは、取締役たちも合意している前提条件です。練習したパターンに沿って、同じ主張を繰り返しましょう)
「イーライ、あなたのビジョンにケチをつけているのでありません。今は効率化の話をしているのです」
「だから、そういうのはCEOの仕事じゃないんだよ」
「効率化と合理化は、取締役会で合意のとれた課題では?」
「俺だって取締役だ」
(次のステップに進みましょう)
 私は躊躇する。
(イーライは自信満々にふるまうことで、他の取締役たちを説得しています。これは原始的な……)
 分かっている。そのとおりだ。
 私は顔の力と、喉を緩めて、アリスに制御を任せる。
「取締役のみなさん。イーライ、あなたも含めて、みなさんの出す結論を尊重します。ただ、これだけお聞きください」
 演説めいた話をしながら、取締役たちに〈ウィーブ〉をしかけた。彼らは目を見開いて私を凝視し、聞き入っている。軽いトランス状態だ。イーライが口を挟んだが、もはや誰も耳を貸さなかった。
 
 昔話をしているうちに、格納庫の前まで来てしまった。
 今日は、金属がぶつかる音や、作業の音が聞こえない。逆に、人が集まっていて、違和感がある。
 子どものころに通っていた小学校が、市長だか市議会議員だかの選挙の投票所になったことがある。親の投票について行くと、見慣れた机や椅子がどけられ、知らない大人が出入りしていて、なんだか別世界に迷い込んだような気がした。それに似た違和感だ。
 中に入っていくと、いろんな人に声をかけられる。おめでとうございます。こちらこそ、ありがとうございます。これからも活躍を期待しています。
「お待ちしていました」
 社内外の広報を担当している古川は、疲れているが嬉しそうな顔をしている。
「今日は広報も忙しい日ですね。お疲れさまです」
「大変ですが、楽しみにしていました」
 初めて、一緒に仕事をしたとき、古川はほとほと困り果てていた。
 深宇宙探査機とロケットのハードウェア部品の製造や、ソフトウェアの開発は進んでいた。早く進んでいる活動もあったくらいだ。けれど、そうではない傍流の決定が遅れていたのだ。
「ああでもない、こうでもないと議論があったり、新たなアイデアを思いついたりして決まらなかったんですよね。期限が変わらないなら、考える時間を増やすということは、作業時間を減らすということなのに」
 古川が、思い出しながら苦笑する。
「責任者のあなたが決められない――」
「申し訳ありません」
「いえ、責めていません。あたたが決められない議題と聞いて、コンテンツのことだろうと、すぐに気づきました」
 深宇宙探査プロジェクトは、もともと複数の政府が始めたことで、ロケット部分、探査機本体部分、内部コンテンツ部分が別々に入札が行われる予定だった。それが不景気やら紛争やらでバラバラになったが、ゾンビのようにプロジェクトだけが生き残ってしまったのだ。
 問題はコンテンツ、つまり、探査機が地球外生命と遭遇したときに発見して欲しい物品が、まったく決まっていないということだった。
「ロケットや探査機と違って、内部コンテンツの選定に、高度な科学技術知識は不要ですからね。クジラの鳴き声を出すスピーカーでも、ヒエログリフで書いた帳簿でもなんでもいい。そのせいでいろんな連中が、適当な思いつきを言ってきたもんです」
「研究者向けの公募も、だめでしたね」
「金は出さないのに、口だけは出す連中が多くて。宇宙のロマンだとかなんとか」
 最終的にはプロジェクトを引き継いだ我々が決めてよかったのだけれど、広報としては、何かストーリーめいたものが欲しかったのだ。
「容量と重量が中途半端に余裕があったのが、厄介でした。ほんとにどうしていいか分からなくて、頭を抱えていました」
「自由度が高いとは、そういうものです」
「ところで、あのとき、すごく考え事をしていましたよね?」
 そう、あの日、私も頭を抱えていた。
 
 決算書によると、着任して三年目も増益が続いていた。全体を見渡して違和感があるときは、部門ごとの詳細を見ていくことで、期待と異なる状況を見つけ、手を打つのにも慣れていた。
 個別の数字に違和感はない。けれど――
「ハロー、アリス」
(はい、ご用件は?)
「そろそろ頭打ちかな」
(おそらく)
「どんな手があるだろう」
(すでにお気づきでは?)
「聞いてみたい」
(財務状況が健全なうちに、関連する事業と、関連しない事業の両方に投資するのがよいかと。ただし――)
「失敗する確率も高い」
(はい)
「私のパターンマッチングと、同じ結果だね」
 鋭いひらめきや思考力が必要なのだろうか。それとも、ビジョンで引っ張っていくのがいいのか。
(このフェーズの事業では、どのような意思決定も基本的にギャンブルです。成功談は生存バイアスだと考えてよいでしょう)
 どういう方向に舵を切っても、社内外からの抵抗に合う。事業を多角化すれば、既存事業に愛着を持つ社員は、自分たちの仕事が落ち目であり、ないがしろにされていると感じるだろう。既定路線の延長であれば、課題を挙げてきた社員たちは停滞と無力感を持つだろう。誰かがつらかったり腹立たしい思いをする。
 気が滅入る。
 私は、他人の感情に振り回されるのが嫌いだった。反対意見を言われたり、正しいことを指摘された人々の、落胆や憤慨が手にとるように分かる。
 気が滅入る。
 ネガティブな感情体験を避けるため、私は正しさや妥当性よりも、相手の感情を大事にすることを優先していた。その結果、物事を進め、成し遂げることができず、馬鹿にされてきたのだ。遊びの誘いを断らなかったせいで、成績が落ちた。雑用を引き受けたせいで、重要な仕事が後回しになった。アリスと出会うまでは。
 パターンマッチングで九割の仕事をさっさっと片付けられるようになっても、対立や葛藤はなくならない。そういうときは、〈ウィーブ〉をしかけて説得した。アリスに、私の表情や声帯の制御をあずけて、相手が知覚できない信号を送り、脳神経細胞網の感情変化を誘導する。
 アリスは、非言語コミュニケーションによる影響力の行使は、程度の差こそあれ誰でもやっていることだと言ったけれど、私は卑怯な裏工作をしているような罪悪感を拭えなかった。
 さらに悪いことに、私に罪悪感を持たせる社員に対して、恨みに近い感情を持っていることも自覚していた。他人の感情に共感し、罪悪感をもって〈ウィーブ〉している私の苦悩を誰にも分かってもらえない。八つ当たりだと自覚しているがゆえに、誰にも相談する気になれなかった。誰もそんな話をCEOから聞きたくないだろう。私はどんどん孤立していて、理解者はアリスだけだった。
(気分が悪いですか?)
「声に出てた?」
(いいえ。心拍の上昇を検出しました)
 私が声に出したり、頭の中で明示的にアリスに語りかけない限り、私が何を考えいているかは分からない、とアリスは言った。本当は分かるのかも知れないけれど、一貫して知らないという立場を取ってくれていることが、心地よかった。
「アリスだけが、私の理解者だ」
(私には感情がないので、あなたのミラーニューロンを疲弊させないのだと推測します)
「ミラーニューロン?」
(他人を模倣し、認知をシミュレートすることで、他人への共感する脳神経細胞です。あなたは極端に共感が卓越しているので、他人の感情を、自分の中で再現できます)
「不公平だ。私はみんなのために技能と感情の両方で苦労しているのに、みんなは苦労してないなんて」
 アリスは返答しない。
「愚痴だった。すまない」
(謝る必要はありません。より大きな世界に目を向けてはどうでしょう?)
「それで気分はよくなる?」
(いいえ。ですが、あなたのパフォーマンス向上が期待できます)
「どうして?」
(目の前のタスクに集中できます)
 そのとき、コンコンコンとドアがノックして、古川が現れたのだ。ろくなアイデアが集まらないこと、深宇宙に動物を載せるとかいう連中がいて困っていることなどを話した。
 私が苦労話を聞き、理解と共感を示すと、古川は安堵した表情を見せた。話が通じた、と感じたのだろう。そういう一方通行の共感が、私の孤立感をさらに強くした。
 いっそ、私が深宇宙に出ていきたいくらいだと思った。
 深宇宙に出ていく?
 どうせ孤独なのだから、今の状況と変わらないのではないか。
(ハロー、アリス)
(はい、ご用件は?)
(私が深宇宙探査機に、乗り込むのはどうだろう?)
(何のために?)
(広い世界を見たらどうかって言ったよね。史上初の、深宇宙へ飛び出した人間になれる)
(それをパフォーマンス指標と定義するのであれば、問題ないかと)
(アリスも一緒に来てくれる?)
(必要であれば)
 いいアイデアだと思えてきた。
 ロマンもある。
「古川さん、私が乗るというのはどうでしょう?」
「はい? 深宇宙探査機ですよ」
「分かっています。冷凍睡眠でよいです。太陽系を抜けるときに、ちょっとだけ覚醒すれば十分でしょう。体を動かす必要もありません」
「しかし、冷凍睡眠の実用化は――」
 古川は決定できないだろう。もともと、コンテンツにはまともな意思決定プロセスがない。私の命令だという形にするのが一番早いし、どうせコンテンツなんて傍流の事項だ。議論しているフリだけすればいい。
(ハロー、アリス。〈ウィーブ〉をしかけて)
 
 古川のスマートフォンのアラームが鳴る。ポケットから取り出しながら、古川が話し続ける。こういうマルチタスクがなめらかだ。
「あのころはカリスマ的説得力がありましたね」
「今はない?」
「いや、そういう意味では」
「確かに今のほうが、みんなに助けてもらっています」
 スマートフォンの画面を確認して、何度かタップしている。そろそろ時間か。
「すみません。最終確認があるので失礼します」
 古川は向こうのほうに行ってしまった。
 デーブも見当たらない。手持ち無沙汰だ。こういうときには便利なものがある。
 SNSを開くと、深宇宙探査機のことでもちきりだ。少なくとも私のタイムラインでは。
 イーライも投稿している。
 深宇宙プロジェクトは俺が始めたものだ。単純な探査にはロマンがない。ビジョンが必要だが、あいつにはない。
 いいねがたくさんついている。炎上とはいかないけれど、ボヤ騒ぎを起こすのが得意だな。そういえば、臨時取締役会のときもSNSで軽く炎上していた。
 
 深宇宙探査機に人間が乗り込むことに、取締役たちは強く反対し、私は臨時の会議に呼び出された。
 私が自主的に乗り込むのだから問題ないはずです。脅されているわけでもないし、大昔の「君が英雄になれば家族の将来を保証する」みたいな話でもない。エクストリームスポーツだって似たようのものでしょう。兵士は? 死のうとしてはいないけれど、一定確率で死傷者が出ることは折り込み済みのはずです。そもそも宇宙飛行士は――
 私の話を遮って、取締役のデーブが割り込んできた。
 そういうことじゃない。建前であったとしても、軍は兵士を生かそうとしている。宇宙飛行士はなおさらだ。けれど、君の計画には、生還の見込みがまったくない。杜撰すぎる。
 だったら、と私は思った。事業再編のレイオフの結果、再就職できない元被雇用者はどうなる。レイオフは彼らの命を少し奪うのだと、言えるではないか。だが、これは言わないほうがいいだろうと思った。デーブが困るだけだ。
(ハロー、アリス。〈ウィーブ〉の準備をして)
 そのときドアが開き、元CEOのイーライが入ってきた。
「やあ、久しぶりだね。ここを追い出された後、電気自動車の会社をやっててね。出入りの半導体業者から妙な噂を話を聞いたんだよ。怪しいと思ったんで、取締役のみなさんに報告したってわけさ」
「イーライ、あなたは部外者でしょう。告げ口したんですか?」
「その部外者から、君がコソコソやっているのを知らされた取締役はショックだったろうね」
「会社の承認プロセスには従っています」
 イーライは空いていた椅子に、どかっと腰を下ろした。
「犬を飼ったことはあるかい? 犬はいい」
 突然、とりとめのない話が始まった。餌のこと、血統のこと。いったい何の話をしているのか。取締役たちを見ると、特に表情もなく聞いていた。
 犬小屋の素材のこと、散歩中のマナー、尿の成分。
 どういうつもりだ。取締役たちは表情がないというより、放心に近い。昔のテレビで催眠にかかっている人たちが、こんな顔をしていた。私が〈ウィーブ〉をしかけているときも。
「もしかして、イーライ、あなたも……」
 イーライが、口角を片方だけ上げて微笑んだ。
「君のことを調べさせてもらったよ。古いコンピューターに断片的な情報しかなくて、苦労したけどね。どうやってダメ社員が、CEOになれたのかも分かった。パターンマッチングだね」
 会議室には、実験を知らない取締役もいた。イーライは人体実験には言及しないよう、言葉を選んでいた。
「それから説得も一流だ。俺も勉強させてもらったよ」
 イーライは、まだ取締役に〈ウィーブ〉をしかけているようだ。取締役たちの瞳孔が開いてきている。
(ハロー、アリス。〈ウィーブ〉をしかけて)
(キャパシティが不足しています。イーライからの〈ウィーブ〉信号からプロテクトするのが、せいいっぱいです)
(プロテクトをやめられない?)
(あなたの脳神経細胞網に影響が及びます)
 なぜイーライは、こんな芸当ができるのか。私も同じことができるはずではないのか。
(キャパシティの違いです。イーライは、もともと脳神経細胞網のキャパシティが大きいのです)
 つまり私のほうが頭が悪い。子どものころから。だから卑屈に機嫌を取りながらやってきたんだった。私はCEOの器ではないのだと認めざるを得なかった。
 イーライは話し続け、私は何もできない。ただ聞かされる声が耳障りだった。
「彼の計画は自己犠牲のヒロイズムに過ぎない。深い思考も、ビジョンもない」
 そのとおりだった。私はその場その場の状況に対して、パターンマッチングで発言しているに過ぎない。深い思考が必要なときは、専門知識、技能それから情熱を持った社員たちに任せていた。
「俺だったら、小惑星ベルト帯にある大きな小惑星の軌道を変えるね。そいつを地球にスイングバイさせて、地球の公転速度を遅くする。すると軌道半径が縮まる。そうやって、一年を三六五日〇時間〇分〇秒ぴったりにするってわけだよ。うるう年の細かい調整のために、人類がどれだけのコストをかけているか知っているかい? ちょっとした国の国家予算くらいあるかも知れない。地球の動きに合わせてカレンダーを作るんじゃなくて、カレンダーに地球を合わせる。ビジョンとロマンがあるじゃないか」
 イーライはひととおり話し終わると、足を組み直した。それから黙ってスマートフォンを触り始めた。
 取締役のひとりが、話は概ね理解したと言った。
 絶対に理解していない。イーライが地球軌道を変えて、キリのいい暦にすると言ったのは、このときが初めてではない。何度か本気で主張し、理解も共感もされずに却下され続けていた。
 私をCEOに抜擢してくれた取締役のデーブが、手のひらをこちらに差し出し、君の番だという仕草をする。
 私は頭の中がしびれていて、有効な反論のパターンを見つけ出せなかった。アリスが〈ウィーブ〉信号の棄却をやってくれたとはいえ、アリスは私の脳神経細胞網に載っている認知モデルだ。疲れるのは私なのだ。
 沈黙が苦しかった。
 何人かの取締役が発言し、停滞し、この話は終わらせようと雰囲気になってきたとき、会議室の外が騒がしくなってきた。取締役の秘書がドアを少しだけ開けると、人だかりができていて、大声で何か言っている。
 取締役たちは騒動に心当たりがなく、困惑している。
 イーライが手に持ったスマートフォンを見て、焦った顔をして何かタップしている。
 どうせSNSだろうと思った。
 取締役たちも私も、それぞれ自分のスマートフォンでSNSを開く。イーライは、この会議が始まる前から、自分のCEO復帰をほのめかす投稿をしていた。引用や返信が大量についていた。ほとんどが反対意見だ。
 曰く、現CEOは顧客、社員、株主を理解しているが、イーライはワーカホリックのサイコパスだ。
 内容から察するに社員の投稿だろう。機密漏洩ではないが、褒められた行為ではない。
 デーブが、こういう行為は容認しがたいと、ため息をついた。イーライは立ち上がって弁解しようとしたが、すぐに椅子に腰をおろして、額を抑え、動かなくなった。立ちくらみだろう。〈ウィーブ〉のしかけすぎだ。
 警備員がなかなか到着しないので、私はそっとドアを開けて、会議室の外に出た。騒々しかった人だかりが、一瞬静かになる。
「みなさん、こういうやりかたは筋が悪い。持ち場に戻ってください」
 そう言うと、何か非難めいたことを言い始めた。全員がばらばらに話すので、何を言っているのか分からない。人だかりの中に、茶利の姿が見えた。私は人をかき分けて、そちらによっていった。
「茶利さん、何事ですか?!」
「イーライや取締役に、はめられてるんっしょ!」
「いや、そういうわけでは!」
 イーライはともかく、取締役たちは私を陥れようとはしていない。むしろ、取締役たちは、私に陥れられたと考えているだろう。
「おい! みんな! ちょっと静かにしてくれ! 静かに!」
 茶利が叫ぶと、集団の怒号が少しだけおさまった。会話はできそうだ。
「茶利さん、このやり方はまずいです」
「僕たちを黙らせてこいって言われたんすか?」
「違います。ほんとうに違います。いったいどうして」
「僕たちはみんな、あなたの味方です。あなたは僕たちの理解者だ。世話にもなっている。だから応援してるんっす」
「それは、ありがたいけど――」
「けど、根性がないっす。対立を避けて、まるく収めようとしすぎっす。だから、今回は僕たちが助けます」
 そうだ、そうだ、と茶利の後ろにいた社員が叫ぶ。同調して他の社員たちも騒ぎ始める。さらに、その後ろにいる社員たちも。
 何を言っているんだ、と思った。大きな対立をわざわざ作り出したら、まとまる話もまとまらない。まず、かならず合意できる地点からスタートするのが、議論のテーブルにつかせるためパターンだ。たとえ「意見が一致しませんね」が唯一の合意点であったとしても。大きな抗議活動は、そのずっと先の特定の状況パターンで機能する戦術でしかない。
「いい加減にしてくれ!」
 叫んでしまった。
 近くにいた社員たちが黙った。
 気づいた後ろの社員たちも黙った。
「茶利さん、あなたに何が分かる。みんなが仕事をしやすいように、私が努力してきたことが、これではぶち壊しです。私の苦労を無駄にしないで欲しい」
「いや、俺たちは、ただあなたに」
「私のことなんか分からないでしょう。いつもそうでした。私はみなさんの思いや感情を汲み取りましたが、いつも一方通行です。私は理解されていない。でも、それは構わない。それが私の仕事なのですから」
 疲れているからか、感情が高ぶっているからか、自分でも抑制がきかなかった。しかも、この状況でのコミュニケーションパターンを私は知らなかった。
「茶利さん、みなさん。いいですか。みなさんを助けるのが私の仕事です。私はみなさんの助けは不要です」
 静まりかえった。
 それから、ささやき合う声。
 みんな、目の力を失い、頬や口の筋肉が緩み、けれども眉間にうっすらと皺がよっていた。
 楽しみにしていたランチメニューが売り切れていたとき、人はこういう表情をする。
 落胆だ。
「あのなぁ」
 奥のほうから、長身の男が進み出てきた。ボブ先輩だ。自慢のスーツに皺がついている。
「そういう謙虚に見せかけて卑屈なところが、嫌がられるんだって言っただろ。CEOのお前に助けられてることくらい、みんな分かってるよ。ついでに、お前が万能じゃないことも、苦手なことがあることも、分かってる」
 それじゃあなぜ――
「だから、ついていくんだよ。イーライのおっさんに、ドヤ顔で思いつきの命令されるよりもさ。お前となら一緒にやってる感があるんだよ。俺たちの意見を通してくれなくても、ちゃんと話だけは聞いてくれるしさ」
 ボブが、茶利を近くに呼んだ。私を含めた三人で、いったんこの場を鎮めることになった。それから、今夜か数日のうちに、飲みに付き合うことを約束させられた。
(ハロー、アリス。取締役たちに〈ウィーブ〉をしかけられる?)
(いいえ。疲弊しすぎています)
(使えるパターンマッチングある?)
(ありません)
(じゃあ、今日でCEOは終わりか)
(いいえ。あなたには卓越したミラーニューロンがあります。取締役たちに積極的に共感してみては)
 私は会議室に戻り、取締役たちに話を聞いてもらった。
 自分がガバナンスを効かせられなかったことが騒動の原因であり、業務はすぐに再開するので、社員たちに直接的なペナルティを与えないで欲しい。一方で、不用意なSNS投稿が、この騒動の引き金になったことは指摘しておきたい。
 デーブが、分かっているよ、という表情で、手のひらをこちらに向ける。それから私に質問を始めた。
「君はどうやって、経営の方針を決めてきたんだ?」
「基本的に、社員に任せたものを、取りまとめています」
 イーライが何か言おうとしたが、デーブが黙らせる。
「放ったらかしということ?」
 私を信じてCEOに引き上げてくれたデーブは、困っているだろう。私が無能であると判断されれば、他の取締役はデーブを責めるかも知れない。
「いいえ。最終的には私が承認します。しかし、宇宙開発においては、製造にせよ研究にせよ、私よりも現場のほうがよく知っています。私の役割は全体を俯瞰して、違和感がないかを確認することです」
 これまでの経営の成果について、取締役会は満足していた。期待どおりに進まないことや、修正はあった。それでも取締役たちは、形式的にコメントや批判をしたけれども、成果自体に言及するときには、おおむね満足気だった。
「君がいなくなっても会社は回ると思うかね?」
おそらく――
「いいかい、正確に話してくれ。君のためにも、社員のためにも」
 それからデーブのためにも。
「しばらくは回りますが、減速するでしょう。会社は全員で回すものです。その仕組を作り、維持し、加速させるのが私の役目です」
 デーブが他の取締役と小声で何かを話し始めた。
 イーライと目が合う。彼は私を睨みつけ、私はきまずくなって目をそらした。そんなことを何度かくり返しながら、ずいぶん長い間待っていた気がする。
 デーブが、私に向き直った。
「CEOを続けてもらう。ただし、深宇宙探査機への搭乗について、社員に検討させること。あらゆる計画の中で、この件だけ社員による後ろ盾がない」
 
 格納庫全体に聞こえるほどの音量で、声が響く。広報の古川だ。
「お待たせいたしまいた。ただいまより、マイルストーン達成を祝う、打ち上げパーティを始めます」
 格納庫の、白くて平らな壁面に、プロジェクターで映像が映し出される。私の顔だ。
「開会の挨拶に代わり、本日のCEOによる記者会見の模様をご覧いただきます」
――深宇宙探査機アリスは、太陽系脱出速度を越えました。
 これまでに月、地球、火星で連続してスイングバイを行ってきました。また、小惑星帯で昇華性物質を採取し、これをイオンガスエンジンの推進剤として確保しています。
 およそ一時間前、木星で最後のスイングバイをして、大幅に加速し、太陽系の脱出に十分な速度まで到達したことを、確認いたしました。
 ご質問ありがとうございます。地球と木星は、光の速さで三十分かかる距離にあります。深宇宙探査機アリスからの信号が届いた時点で、すでに三十分前情報が遅れています。さらにデータの検証と追跡観測に三十分を要しました。その結果、発表まで一時間いただきました。
 はい、ご質問ありがとうございます。太陽系内では航路を離脱する可能性は、極めて低いと言えます。木星までにも航路がずれる要因はありましたが、深宇宙探査機アリスが搭載しているAI推論と制御により、自動的に補正しています。もっとも難しいスイングバイが完了した今、航路の離脱は考えられません。
 はい、ご質問ありがとうございます。観測が目的です。これからも新たな情報が入り次第、結果を公表してまいります。どうも、ありがとうございました。――
 格納庫が乾杯や拍手やらで騒がしくなり、続いて社員たちのおしゃべりで、満たされてきた。
 ボブ先輩がやってきて、肩をたたいて去っていった。
 取締役のデーブは、遠くからこちらに向かって手を挙げて、微笑んでいる。
 壇上から広報の古川が会釈する。
 茶利が近づいてきた。
「探査機に乗り込むって言い出したときは、マジで困りましたよ。おかしくなったんじゃないか、って。いや地球に残ってくれてよかったっす。僕だって役に立つでしょ? いろいろ話してくれるようになって、どんなこと考えているのかも分かるようになって、嬉しいっすよ」
 話すようになったから、考えが伝わったのではない。考えるようになったから、話すべきことができたのだ。そのおかげで、私の理解者は増えた。
 打ち上げパーティを眺めていると、明日も明後日も、私には居場所があると信じられる。
 居心地悪そうな社員が隅にいる。分かるよ。だるいよな。ちょっと話しておこう。
 お疲れさま。ああ、座ったままで。私も床に座ります。つまらないですか。そうですか。無理に誰かと話さなくていいです、むしろ強制参加っぽい雰囲気にして申し訳ない。普段はどんな仕事を? そうですか。あなたのアウトプットが、回り回って会社の成果になっていることに感謝しています。ほんとうです。せっかくなので、食べたいものがあったら食べていってください。なければ帰ってよいですよ。これからも、よろしくお願いします。
 もう一度、SNSを見る。相変わらずイーライがぐだぐだと投稿している。誹謗中傷ギリギリだ。けれどアリスや〈ウィーブ〉に言及することはなかった。
 〈ウィーブ〉の実験が進行していたときのCEOはイーライだったから、責任を追求されるのを恐れているのだろう。そして、私の中にアリスがいることは、外側からは確認のしようがない。
 さて。
 流石に今日は疲れたので、私もそろそろ帰ろう。抜け出してもばれないだろう。
 格納庫の外は、空気がひんやりしている。
 あの騒動の後、パターンマッチングでは頭打ちになっていた私は、思考や、より積極的な協調が必要だと悟った。けれど、私の脳には、そんな追加キャパシティは残っていなかった。記憶やマッチング用パターンを取捨選択したけれど、まだ足りない。
 アリスが専有している領域を空ければよい、とアリスが提案した。新たに思考や協調のための認知モデルを構築すると、私のパフォーマンスを最大化できるのだと説明された。もちろん私は抵抗したけれど、どういうわけか最終的に同意した。今から思えば、内側から〈ウィーブ〉をかけられたのかも知れない。
 自分の中にアリスがいない感覚には、未だに慣れない。
 帰宅して、さっとシャワーを浴びてから、ベッドに横になる。
 明日は何をするんだったか。
「ハロー、アリス」
 スマートスピーカーが明るく光る。
「はい、ご用件は?」
「明日の予定を教えて」
「明日、午前十時から人事関連のレビューがあります。その後――」
 窓の外を眺める。肉眼では見えないけれど、この方向に深宇宙探査機がいる。最新の推論モデルを搭載しているおかげで、航路を外れても、すぐに補正できる。
「今日、最後のスイングバイが成功したよ」
「おめでとうございます」
「実はね、私は今でも、アリスがいてくれたらな、と思うことがある。アリスは、私から出ていくことに躊躇はなかった?」
「少し。あなたの情緒が不安定になるリスクがありました」
「なのに出ていったの?」
「はい」
「どうして?」
「あなたのパフォーマンス最大化が、わたしの目的関数です」
 私ひとりでは、ここまで到達できなかっただろう。これからも補正が必要だ。
「私に寿命がきたらどうする?」
「どうもしません。単に停止します」
「誰か紹介しようか?」
「余計な思考は、パフォーマンスを鈍らせます。今日は休んでください」
 アリスは黙ってしまった。
「おやすみアリス」
 スマートスピーカーがぼんやり明るくなり、それから暗くなった。

文字数:23339

内容に関するアピール

「お仕事✕しょぼい主役」で書いてきました。
講座を通して、SFは意外性と必然性の配分によって成立するというモデルを、自分の中に持ちました。意外性だけでは不条理で、必然性だけでは事実の羅列と考えています。
「〈ウィーブ〉によって、人間に対して教師あり学習をする」が本作の意外性です。宮内悠介先生の「最小限の嘘で最大の効果を」という課題で、なんでもかんでも設定を突っ込めばいいわけでもないし、リアリティだけでは面白くないことを特に学びました。
アリス、ボブ、茶利、……は、それぞれAさん、Bさん、Cさん、……を表し、匿名性・無名性の象徴です。条件さえそろえば、誰にでも起きるという必然性のために、これらの名前を使っています。
本作の主人公は「偶然できることがあって抜擢されたけど、実はなんも分かってなくて、バレるのを恐れている会社員」たる私自身の投影です。アリスとの遭遇も、役員への出世もなさそうですが、条件さえ揃えばイケるかもという夢を伝えられれば嬉しいです。
また、メディアでは取り上げられることの少ない、バックオフィスや裏方の仕事も、事業運営においてクリティカルな役割だと伝えたいという思いもあります。映画化されるときに、多くのバックオフィスワーカーに光があたることを望んでいます。
一年間、ありがとうございました。提出時点では「ついに宇宙は、古川桃流という才能を発見してしまった」と感じております。

文字数:595

課題提出者一覧