空の絆
日本空運航空285便墜落事故(にほんくううんこうくう285びんついらくじこ)は、2011年6月6日に発生した航空事故である。成田国際空港発上海浦東国際空港行きだった日本空運航空285便(B747-481F型機)が千葉県柏市上空を飛行中に貨物の一部であるリチウムイオン電池を含む製品が炎上し、東京都立川市の信濃神社に墜落した。乗員2名は奇跡的に生還したが、第1エンジンが立川市立中央小学校の教室に落下し児童1名が死亡した。
都市部への墜落事故であり、さらに多くの犠牲者が出る可能性があった中、エンジンが落下し破壊された教室で残り30名の教員と児童が助かったことは社会に大きな希望を持って受け止められた [要出典]。
この事故と前年に発生したAPS航空3便墜落事故を受けて、世界航空機関(WAO)は、リチウム電池の空輸に関する規定を改訂し、規定に従わない電池の空輸を拒否することになった。
「日本空運航空285便墜落事故 – Webpedia」より
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「全員、教室の後ろへ」という少女の声。
「後ろだ、後ろ!」という大声。
「ウワーッ」と叫ぶ男子。
転んで、重なり合って、「イタい」という悲鳴も聞こえる。
「早く逃げて」という先生の声に反応しない少年の姿が目に入った直後、破壊音と共に目の前に粉塵が立ちこめる。
何人かの咳き込む音が聞こえるようになったとき、ようやく目を開くと、煙っぽい向こう側に青空が見えた。
事故から十四年と四ヶ月。自分、いや、自分たちがなぜ助かったのかというのは、未だにわかっていない。運輸安全委員会による報告書にも、地上側で助かった人間についての分析の記述はない。致し方ない。彼らの役割は「航空機の墜落、衝突又は火災」や「航空機による人の死傷又は物件の損壊」についての調査であり、「奇跡の生還」の叙述ではないのだから。
自分たちの記述が報告書のたった一行に納まっていると知ったのは事故から六年後の高校生の時で、そのとき、自分の将来の夢というのに輪郭が与えられたような気がした。
「伊勢崎ADちゃん、これ、内定ね」
自分を肩書き付きで呼びつけたのは、部局の上司に当たる盛岡プロデューサー。目の前にペラリと差し出されたのはA4一枚の企画書である。一目見て「マジですか?」と聞き返してしまう。
「マジマジ大マジ。やりたいって言ってたでしょ」
「まあ、言いましたけど」と言いつつも、言ったのは面接のときと入社のときの自己紹介ぐらいではなかったかと思ったりする。またペライチの『1日テレビ 愛はみんなを救う49 立川墜落事故から十五年後の子供たち(仮題)』というタイトルを見直す。
「これ逃すと押し込めるの五年後でしょ? そんなのみんな忘れちゃうでしょ? ただでさえもうみんな忘れてそうなのに」
「でも、マジですか? これ僕一人でですよね」
「なぁに? 不満でもあるの?」
「いや、不満はなくて、どっちかというと、まだADなのに全部やってもいいんですかね」
「何言ってんの! あんたが考えることは肩書きじゃなくて、この三十分の枠を埋めること。それで数字を取ることよ」
オネェな言葉遣いだが、盛岡はラグビーで鍛えて二十年近いテレビ局生活でも失われていないマッチョな体格だ。そんなガタイの良い体が迫ってきたので驚くが、言い分は真っ当だ。盛岡は数字を追求するタイプのテレビ屋だ。彼の頭の中には「数字が取れるコンテンツ」と「まだ数字が取れないコンテンツ」の二種類しかない。その人が次はチャリティーのガワを被った感動ポルノと称される番組の制作に回ったらどうなるかは自明だ。
そういう流れで「謹んでお受けします」などと仰々しく受けた物の、二時間後にDへの昇格面談が設定されるのはズルくないだろうか。何にせよ、これがあの事故の振り返りの始まりだった。
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『中小4年2組』というのは成人式の時に集まったメンバーだけだが、同級生に最も簡単にコンタクトが取れる、メッセージツールのグループチャンネル名だ。
伊勢崎は早速書き込む。
『おひさー。このたび、来年の1日テレビの1コーナーの制作を担当することになりました。Dに出世です。さて、テーマですが『立川墜落事故』です。色々思っていることもあると思いますが、インタビューに協力してくれる人は連絡ください。あと申し訳ないけど、謝礼は出ません。チャリティーなので』
そんな内容にポツンポツンと既読がつき、『おめでとー。協力するつもり』というカジュアルな返答がくる。この子は多分受けないだろうなとか思いながら眺めていると、直接のメッセージが届いた。
『お久しぶり。結婚して名前変わっているけど、篠崎百花です。四年生のときは席が隣だったときもあったよね。インタビュー、私はどうしても受けたいんだけど、どうすればいいかな』
篠崎は良く覚えている子の一人だ。男性アイドルが好きで、ナントカくんがかっこ良くてーみたいなことを給食中とかよく言っていた記憶がある。教室内ではそういう流行に敏感な女子をやっていたはずだ。まあ、何にせよ断る理由はない。今は撮り高が必要だからだ。OKを返して、日程やら何やらを詰めていき、当日を迎えた。
「では、ここからカメラ回すので一度外に出ますね」
成人式以来、会うのは五年ぶりであった篠崎は一児の母となっていた。そして、その子を見たとき、自分は彼女が連絡を取ってきたことをすぐに理解した。
照明の電源をオンにして、ハンディーカムを撮影開始にする。一度閉められたドアのベルを鳴らす。
「はーい、おはようございますー」とついさっき顔を合わせた篠崎百花が娘を抱えて現れる。
「篠崎と申します」「娘さんのお名前は?」「恵万です。1歳です」と打ち合わせ通りに進む。
伊勢崎は部屋を撮しながら思う。都内にしては広い方だな、と。そうして、リビングに案内される。
「恵万ちゃん、可愛いですね」と振る。
「ええ。ありがとうございます。私の人生の宝物です」と篠崎は絨毯の片隅に座る娘の方を向きながら満面の笑みを見せた。
少し話して緊張がほぐれてきた辺りで本題に誘導していった。
「私、女子のリーダー格とか言われていたけど、ファッションリーダーだったんだなって気づいたのが、事故の日だったんだよね」と篠崎は始めた。
「飛行機が落ちてくる直前、後ろに行けーって言っていたのが、前の方に座っていた子でしょ。灰谷さんと、あと中島くんの隣に座っていた太っていた子」
「小林?」
「そう。小林。太ったとか言っちゃった。今痩せてたらごめん」
続けるように促す。
「私、あの日、席が後ろの方だったから、何が起こっているかよくわからなかったんだよね。前の方が騒がしくて、なんか後ろに行けってみんなが立ち上がって、巻き込まれるように教室の後ろに行ったんだよね。伊勢崎君もそうだよね。確か後ろの方だったでしょ?」
「そうだったね」
「でしょ。だから、なんで助かったのかって言われると、前から逃げてきたからなんだよね。みんなが動いていたら、それに乗らないと」そして、ぽつりと続けた。「だから、中島くんは死んじゃったんだよね」と。
彼の名前が彼女から二回も出たことは、リハーサルでわかってはいたが驚きだった。なぜなら、小学校のとき、自分も含めたリア充グループほど彼の存在をアンタッチャブルにしようとしていたからだ。
彼には重度の知的障害があった。
学年で唯一コミュニケーションが全く取れない子。親が登下校に付き添う子。この一学期を最後に夏休み明けからは特別支援学校への転校が決まっている子。
そういう特別な子というのは、子供でもわかっていて、だから、休み時間に一緒に遊ぼうと誘ったりはしないし、放課後、互いの家に行ったりすることもなかったし、名簿上の存在という扱いを当時から僕らはしていた。
「意外でしょ。私が中島くんの名前を挙げるなんて」「ええ」「恵万がね、ダウン症だったの」
伊勢崎はカメラを娘の方に向ける。
「そんなこと考えていなかったんだよね。高齢出産とかしたくないから早くに結婚したんだよ。でも、生まれてきたら障害があって、なんでこんな仕打ちを受けるんだろうって……でも、恵万が笑ってくれて、一緒に頑張っていこうって思ったの」
そして、涙をこらえるように一度天井を見てから続けた。
「そのとき、昔、自分たちのクラスにも知的障害のある中島くんがいたことを思い出したの。昔、なんでこんな子が学校にいるんだろうって思っていたの。でも、親になったらわかる。みんなが人生で通う学校に通わせてあげたいんだって」
十五年前の事故からは脱線し、自分の娘の環境を作るために必死に語りかける母の姿があった。自分はそれで良いと思っていた。あの事故で自分が話をしたいのは一人だけだ。だけど、まだ、その人とは連絡が取れないでいた。
*
クラス替えは二年に一度、つまり、三年生のときにクラスが決まって教室に入ったとき、「チショウがいるクラスじゃん」というこのときはまだ名前を知らない少年の言葉が聞こえて、僕は「知障」という単語を知った。
後に4年2組となり例の事故に巻き込まれることになる、3年2組には中島享という知的障害を持つ生徒がいた。十五年も前のことなので明瞭な記憶があるわけではない。給食は介護なく食べていた記憶はあるし、一方で掃除などの当番は担当していなかった。一応、授業は全部出ていた気はするが、彫刻刀を使う図工とかでいたかどうかの覚えはない。どちらかというとウーウー言葉にならないうめき声を出して、授業の邪魔になっていた記憶しかない。
自分もその程度のノイズとしか認識していなかったのだけど、その彼を「知障」と呼んで、積極的に嫌がらせをしていた人間から連絡が来たことに驚いた。
伊勢崎は立川市役所にやってきた。成人してからは都心に引っ越したため、住んでいた地域だが行ったことはあまりない。向かい側には内閣府災害対策本部予備施設や自衛隊の基地があり、隣には国立研究所に拘置所がある。東京郊外の行政地区というべき地域だ。
そんな建物に囲まれた市役所の玄関に、スーツにきっちり身を包んだ小林が既に立っていた。篠崎や自分が覚えているような太っちょの体型はなかった。ただ、その身丈よりも貼り付けたようなうさんくさい笑顔の方が気になった。
「対面は久しぶりだね、伊勢崎くん」
タクシーを降りたばかりの自分にそう声を掛ける。
「小林も元気そうだね」
「まあね」
それからざっくりと方向性を共有して、撮影が始まった。
「私は障害福祉部で働いています。市内での障害者雇用の際、企業がどのような手続きをすべきかのお手伝いをしています」
そうして、後でモザイクで消すという条件でPCの画面やら書類やらを扱う、仕事現場を撮していく。
「どうして、市役所に?」
「私は生まれてからずっとここに住んでいて、この地域に愛着があるんですよね。それと自分ができることを合わせると、街のために働きたいっていうのは自然でしたね」
それから三十分ほど、小林は仕事について、情熱と誇りを持ってという表現がピッタリだろう、そういう雰囲気で語っていた。自分が担当している仕事の具体的なところだったり、彼らのチームが始めた地域貢献のための活動だったりをだ。
その話の流れで市役所の屋上にやってくる。立川駐屯地の滑走路が見える。小林は何も言わない。少し待って伊勢崎から振ることにした。
「こんなところに滑走路があったなんてね」
「あ、ああ、そうだね」
「だけど、2km手前の信濃神社で落ちた」
小林の首肯。
「何か覚えていることは?」
少し間があってから言った。
「そうだな……最前列に座っていたんだよ。窓際から二番目、ち、中島の隣だ」
「篠崎が小林が最初に後ろに行けって言っていたけど」
「最初じゃないよ。多分、女子の誰かが最初だ。ほら、あいつらの方が中島のことがわかってんだろ。俺は窓際だから飛行機が見えてから騒いでただけだから……」
そして、ぽつりと呟くように言った。
「だから、今の仕事するしかねぇんだよ」
休息スペース、自販機の前にベンチがあるような場所だ、に入る。カメラを止め、小林を見る。あの自信と誇りに満ちた、いや気を張っていた市役所職員の姿はなかった。
「どうする?」と伊勢崎は尋ねた。
「使うなら上手く切り貼りしてくれ……」と力なく言った。
「俺が何で取材を受けたか不思議に思ってんだろ。お前に一言釘差しとかないといけないからだよ」
言葉を句切って、だけども小声で言った。
「中島へのいじめは取り上げないでくれ」
そうだろうな、と伊勢崎は思った。
中島はコミュニケーションが取れない知能であった。だから、多数はコミュニケーションを取ろうとしなかった。一方の少数派の邪悪な片割れの一人が小林だった。「生物はどこまで耐えられるのか?」という建前で「いきものチャレンジ」と称して、上履きに針が少しずつ出るように画鋲を貼り付けたり、給食に多めの食卓塩を振りかけたり、それに対する反応を見て、ケラケラ笑っていたグループの一人が彼だ。
一方で、自分もそれを見て見ぬふりをしていたのだから同罪とも言えるだろう。
「事故が起こってさ、障害あったから生き残れなかったの当然だよな、とか思っていたんだよね。だけどさ、灰谷辺りがさ、中島が助けてくれた、ってずっと言ってんだよな。それからずっと不安だったんだよ。国の調査とかが入って、死ぬ前の状況とか調べられたらどうしようかって。俺が飛行機に気がついたのは、窓側の中島にちょっかい出していたからだよ。それが調べられたらどうしようって思ってたんだよ」
伊勢崎はすぐには何も言えなかった。ちょっかいというのが、小林が何日か前に給食で出た牛乳を少しずつ中島の机の中の道具箱に流し込むというものだと、あの日、後ろの席であった自分は見て知っているからだ。
「他の奴らもここぞとばかりに言ったりはしないだろうよ」と伊勢崎は返した。
*
〈火災警報ベル作動、機体後方での火災通知する主警報灯が点灯〉
CAP: なんか燃えてるのか?
COP: わかりません。
CAP: スコーク77入れろ。
COP: はい。
CAP: 終わったら火災のチェックリストを確認な。
COP: はい。スコーク77。
CAP: ハイドロダメか。
CAP: JAPAN CARGO 285, request an emergency landing.
CAP: 成田戻んないとダメだ。
(中略)
COP: 右に曲がれてます。
CAP: 機首上げろ。
COP: やってます。
YOK: JAPAN CARGO 285, this is YOKOTA. Affirmative, landing is possible on YOKOTA airport runway. Emergency system is in place and ready to assist if needed. Proceed with caution and report any deviations. Over.
CAP: JAPAN CARGO 285, turn right heading.
COP: なんか光りました。
CAP: 油圧ダメだ。
COP: 落ちます。
〈地上接近警報〉SINK RATE! WHOOP WHOOP! PULL UP! WHOOP WHOOP! PULL UP!
COP: もうだめだ。ぶつかる。
CAP: パワー落とせ。
〈衝撃音。立川市立中央小学校三階部分に左翼接触、第一エンジン脱落〉
(三秒経過。校庭を囲むネットを破壊)
〈衝撃音。信濃神社駐車場に墜落〉
*
機長である金子の話は事故の調査報告書でしか読んだことがない。専門用語が多く、その専門家ではない自分にはわからないことの方が多かった。とはいえ、二人の操縦士が奇跡的に生きており、ブラックボックスも改修できていることから、技術的な原因はおそらく正確であろうと伊勢崎は思っていた。
自分が知りたい、そして、映像として切り抜きたいのはそれ以外の部分だ。そのような取材依頼は断られるかと思っていたが、予想外に許諾の連絡が来たのだ。伊勢崎は成田空港にほど近い金子の自宅へと向かった。
パイロットが高給取りというのがわかる大きな家だ。ビルトインのガレージの横にあるドアベルを鳴らすと、少し先の玄関から金子本人が出てきた。彼の映像は当時にもそう多くあるわけではない。とはいえ、それを思い返すと十五年という時間以上に老けているように感じた。
挨拶し、名乗ると「こんな遠くまで済まないね」というのが彼の第一声だった。伊勢崎を室内に招くと、この辺りの戸建てはほとんどがパイロットのものだと続けてくれた。
家の中は色々なものがある割にはそれら全てが整理されており、落ち着いた雰囲気があった。まるでコックピットのようであった。
テーブルのあるリビングに案内され、そこで伊勢崎は「立川墜落事故のその後を追う番組を作っているのです」と再度規格についての説明をした。
「わかっているよ。いつかは話すことになると思っていたし、あそこの小学校の子なら断るわけにもいかないだろう」
「飛行準備も離陸もいつも通りだった」
「いつも通りですか」
「そうだ。その日は特別に暑かったと言うけどね」
そう。リチウムイオン電池爆発の要因の一つとされたのが関東で六月の観測史上最高温度を更新した梅雨の狭間の熱波ではあるが、彼はそれを覚えていなかった。
「ガレージの車に乗って、空港の地下駐車場に向かう。あとは空港ターミナルから機内まで全部屋内だ。外に出たりはしないからね、記憶にはあまりないんだよ」
一方で、CVRには、気温計で確認したのか外が暑いことについて言及する金子機長と副操縦士の会話が残っていることは、伊勢崎は把握はしていた。
「機内火災の警告が付くまでは、本当にいつも通りだった」
「付いてからはどうでしたか?」
「報告書の通りだよ。火がついたなら下りなければならない。747が降りれる場所は成田か羽田だ。それで羽田を選んでね。だけど、舵が効きにくい」
そうして、迷走飛行する様子を身振りは交えず、言葉だけで説明してくれた。事故報告書の通りだと伊勢崎は感心しながら聞いていた。
「ほとんど安定していなかったが、横田に着陸できると決まって、もう一息だ、頑張ろうってなったときにだね、バランスが崩れてね。左翼が接触しそうだからパワーを下げてね。それで逆にバランスを取り戻して、本当に君たちには申し訳ないことをした」
「ありがとうございます。それですみません、バランスを崩したあたりなのです」
「ああ」
「長谷川操縦士が『光りました』と言った辺りですよね」
「ああ、そうだな」
「その、すみません、事故報告書を見ても、何が光ったのかよくわからなかったのですが……」
そこで金子の口が止まった。
「機器が光ったわけではない……外が光ったわけでもない」
「金子さんも何か見たんですか!?」
少し参ったなという表情を見せた気がした。
「何かが光ったような記憶が残ってはいる。だが、それが原因ではない」
そして、極度の緊張から起こった脳の誤認識ではないか、パイロットには空間識失調などがある、それに類するものではないかと、語気を強めて言った。
「あの操縦は我々の最善だ」
彼はそうぴしゃりと言った。
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灰谷への連絡は小林経由であった。市内の学校で先生をやっているとのことだった。ただ、学校名を聞いてすぐにピンときた。立川学校。小中高を抱える都内でも大きな特別支援学校であるからだ。
裏門から入ると既に灰谷真己がいて、「こんにちは。今日はよろしくお願いします」と応対してきた。
「僕のこととか覚えている?」
「ごめんなさい。あんまり小学校の同級生のこと覚えていないの」
連絡を取ったとき、「1日テレビですよね。お話は聞きたいです」とカメラを入れることを許可してもらっていた。
知的障害を持つ児童のクラスは自分の経験した学校とは異なるものだ。
まず、人数が極めて少ない。一クラスは六人である。なお、担任は二人だ。
国語や算数はいわゆる学習指導要領とは異なり、千字を超える漢字を覚えたり、代数的処理を行えるようにしていくことは行われていない。一筆で書けるひらがなを筆でなぞったり、型にピースをはめていくパズルをしたりをしている。重視されているのは手と頭を使う訓練であることだ。その上、明確に日常生活の指導という毎日繰り返し生活で行うことを訓練する時間が用意されている。
すなわち、社会に出る前に最小限の手段をなんとか教え込もうというものであった。
そのような児童たちに灰谷がゆっくりと喋りかけながら、授業に取り組ませる様子をカメラに収めていく。
そのような光景に一日密着して、自分にとっての本題にようやく入ることができた。
「私が支援学校の教員になった理由ですか? やっぱり、中島享君の影響が大きいのかな」
「中島君」
「そう、飛行機事故で亡くなった子」
彼女は思い出すように続けた。
「享君は人生で初めて出会った障害がある子で、そんな子もいるんだなーって思ったんですよね。そう思ったのも、私も二歳までしゃべらない言葉の遅い子だったらしいので、もうちょっと遅いぐらいかなぁって思っていたんですよね」
クラスの名簿を確認しておいたが、灰谷は一年生のときから中島と同じクラスであった。
「で、なんかしゃべっているの聞いているうちにわかってきた感じで。いつがきっかけって? さすがにそれは覚えていないけど、二年生のときかな、楽しげに机叩いている日があって、そのとき、誰かが『今日はプリンだからね』って言って、あ、そう言っているんだってわかるようになったの。実際、その日はメニュー変更でプリンが出てきて。誰が言ったのか? そんな子供の時の座席とか覚えてないよ。卒アル見ながら? えー、二年生のときでしょ、うわーみんな小さいなぁ、あ、この子だ、この子。誰だろ。でも、六年生のときにはいなかったはずでしょ。なんだっけ、四年生のときに転校しちゃった、そう森さんだ」
「そうだよな」と伊勢崎はつぶやいてから尋ねた。「森さんについて何か覚えていることはある?」
「全然ない。不思議ちゃんって感じの子だったよね。でもなんかめちゃくちゃ頭良くてさ、私バカだったから全然話とかあった記憶ないよー。正直、プリンの話と、あとさ、事故の日、一番最初に後ろに逃げてって言っていたよね」
「そうだっけ」と話の続きを引き出そうとする。
「そうそう。まず、森さんがずっと窓の外見ててさ、飛行機が来るって言って、みんな逃げろってなったんじゃなかったっけ」
自分はあまり覚えていないといわんばかりに首を振る。
「伊勢崎くん、後ろの方だっけ。じゃあ、よく見えてなかったのかなぁ」
「亡くなった中島は飛行機見えていたと思うか?」
彼女は首肯する。
「享くんは飛行機に気づいていたと思う。多分一番最初に。なんで、ってそういう風な感じがしたから。別に享くんが何か特別ってわけじゃないの。みんな普通でみんな特別なの。みんな何か考えていて、それを表現するのがちょっと苦手なだけ」
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立川中央小学校の当時の建物は残っていない。当時4年2組のあった三階の教室だけが大きく壊れただけではあったが、児童の感情に配慮して立て直しが行われたからだ。元々建物のあった側、現在では校庭の片隅に、児童が亡くなったことに対する慰霊碑が設置されている。
伊勢崎はそこを通り過ぎる。向かうのは通りを挟んで向こうの信濃神社である。
街と共にある神社。それが伊勢崎の最初に持った印象だった。
「ようこそ、お越しくださいました」と神主の清水は言った。
清水が始めたのは説法に近い物だった。仏教の哲学、無常観や諸行無常の教え、そして、人生のすべてがつながっていること。
「清水さんは立川墜落事故について思うところはありますか?」
「仏教には『因果』という考え方があります。因縁と果報から因果です。一切は因という直接的要因と縁という間接的要因から生じるとされます。二十一世紀になって科学技術の集合である飛行機が墜落した原因というのは、科学的見地から調べられまとめられてきました。しかし、私はあの日、来客を断り、駐車場を開けなかったのです。それは梅雨の長雨の中の偶然の晴れ間を必要としていたという説明がつく側面もあります。それでも、何かの因があったのではないかと私は思っているのです」
駐車場に立っていた石碑はさらに小さい物だった。ここでは奇跡的に誰も死ななかったのだから。
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連絡を受けて向かったのは体育館だった。ボールの弾む音が聞こえる。バスケットボールの音だというのはすぐにわかった。だが、バッシュとは違うこすれる音がする。この時間、借りていたのは地域の車椅子バスケットボールの振興グループだった。
その中で中心になって動いているのが五十嵐豪だった。ボールを受け取り一回二回とこぐ。そして、シュート。リハーサルのときは入らなかった絵が、ここぞとばかりに決めてくる。本気のガッツポーズが見える。
「こんなんなってびっくりしただろ」と五十嵐が言った。
十五年前の事故での重傷者というわけではない。ここ数年のことだ。
「冬場、凍結していた路面をバイクで滑っちゃってね。自損だよ。それで左足切ることになってね」
そう言いながら手術跡を見せてくれる。
「目が覚めたときはほんとどうしようかと思ったよ。だって、急に足が無くなってんだから。でも、年取ったらうまく動かなくて杖ついたりするだろ。そういうのが人より早く来ただけだから」と笑顔で言う。
「正直、十五年前の事故よりも四年前の事故の方が衝撃が大きくてさ。飛行機のときはまだ逃げろって後ろに下がったら助かってって感じだけど、バイクのときはアッと思って、次目が覚めたら足がなかったからね」
そう言いながら足を撫でる。
「こうなってようやく中島のことがわかったんだよな。あいつ、知障だったじゃん。え、何これテレビじゃ流せないの? 何て言うの。ふーん。撮り直しね。あいつ、知的障害があったじゃん。でも、事故起こったときとか死んじゃったんだ、みたいな感じでさ、そのまま忘れちゃっていたんだよね。でも、自分がそうなって、なんか変わったんだよね」
続けてとジェスチャーで促す。
「大人になってからは信じるようになったよ。一番最初に事故に気づいたんじゃないかって話。俺とか運動やっていたから、動きとか目で見たのよく覚えているんだけどさ、授業中とかいつもと全然違う感じだったよね。あいつに構っている女子とか変な感じでさ。森とか灰谷とか。で、逃げろってなってただろ。え、お前それ覚えてねえの? マジか。いたよな?」
カメラを止めるとぽつりと言った。
「いや、でも俺は今悔しいよ。野球やってからのバスケ部だったんだけどよ、どうやったらトリック掛けれるかとか、結構足の運びも重要なんだよな。でも、今、これで足がついてこないんだよな。今それが悔しくてさ。そう考えるとあいつも、頭でわかっていることに口がついてこないだけなんじゃないのかとか思っているんだよな」
*
指定された場所は静かな喫茶店であった。
先に入店したのは伊勢崎の方で、予定時間よりも遅れて、中島明日華はやってきた。亡くなった一人の母親だ。取材には応じないのではないかと思っていた。だが、今日、この日を指定してきた。
インタビューが始まると中島明日華の表情に悲しみが浮かんだ。
「享は本当に良い子でした……人間が生きる素晴らしさって言うのを伝えてくれましたし、十年ほどの短い人生でしたが享はそれを謳歌したと思います」
そうして、事故の日までのことを語り始めた。
知的障害児として生まれたことへのショック、しかし夫と二人で乗り越えていくと誓い、そして、大変さを感じながらも日々の成長に喜ぶ日々。
「それなのに、急にあの子はいなくなってしまったのです」
彼女の目を見る。
気持ちは分からなくもない。中島享が亡くなったからだ。伊勢崎は子供よりも一日でも長生きしたいという言葉を思い出す。
その安堵感が浮かんでいるように思えた。
伊勢崎がカメラを止めると、話し終えたと思った中島明日華は再び口を開いた。
「あの日、享の様子がいつもと違ったの。いつも何か訴えたくて伝えきれないような騒ぎ方っていうのがなくて、いつになく静かだったの。学校に送り届けてもそうで、着いたとき、すごく久しぶりに享を抱きしめてあげたの。でも、それで何かわかっちゃって……ごめんなさい」
*
彼女のインタビューが取れたのは、放送日の二日前だった。
森由理科はそのタイミングを狙っていたようだった。指定されたのは海外資本のホテルのラウンジだった。
「クレジットカードの都合でここのホテルしか取れなくて」
待ち合わせ時間ぴったりにフロアに下りてきた彼女は、小柄という部分以外は小学校時代のイメージがないというのが最初の印象だった。
「十五年ぶりだね、伊勢崎君」
「そうなるのか」
彼女は事故直後に転校した。だから、本当にそれっきりであったのだ。
「さて、他のみんなは自己紹介から入っただろうけど、私は本題から入ろう」
そういうのもわかる気がした。本名で検索すれば自分が出てくる。海外の大学院でサイバネティクスの研究をしている学生で、既に国際的な賞を取っている。
「中島享は時間を認識していなかった、というのが私の仮説だ。そもそもこの世界に時間という概念はそぐわない。物理学上の方程式、まあ、これも近似に過ぎないという見方はあるが、そこに時間が入るケースはエントロピー、言い換えれば乱雑さの指標が存在する場合のみ、存在する項に過ぎない。さて、ここにコーヒーとフレッシュがある。分離した状態があって、このように入れれば混ざる。これが時間とエントロピーの表現の一種だ」
そうして、混ぜておいてすまないが、カフェインは取らないんだ、と伊勢崎の側にカップを追いやる。
「さて、しかし、この世には質量保存則が存在する。コーヒーにフレッシュを混ぜたからといって、何も減らない。まあ、蒸発分減るというのはあるが、地球規模、宇宙規模で見れば、物質、原子の個数というと陽子崩壊を考慮していないことになるな、光子や素粒子の個数には変化はない。つまり、エントロピーの変化というのはあくまでコーヒーに注目した場合で、時間が存在するかどうかも、また観測の問題に過ぎないのだよ」
そう言って、この高いラウンジで彼女はジュースを注文して、続ける。
「さて。AIの性能向上は去年でほぼほぼ終わってしまった。人間程度にはなったが、所詮は人間程度であった。この辺りの仮説探しを今我々はやっていて、やはり実際の生物の構造を調査しないといけない、模倣しないといけないというが近年だ。結局、それでわかりつつあるのはAIは時間を認識していない。一方で生物は時間という解像度を手に入れた、という部分だ。問題は時間を認識したら何が起こるのか、一方で時間を認識できなかったら何が起こるのか、比較調査できるための対象が足りないというのが起こっている」
「だから中島なのか」
「そう。私はたまたまその可能性に気づいた」
「一番最初に飛行機に気づいたのも、プリンのときも、サッカーボールが蹴り込まれたときも、リコーダー事件のときも、それに運動会の」
「組体操」
「そう、それのときも、いつも最初にぽつりと起こることを言っていた」
それに笑みを返すのが彼女の返答だった。
「正確にはより強い仮説、つまるところ、彼は時間を超越していて、予知ができるのではないか、という思いを抱き続けて、限定的にその仮説に行き着いたと言える」
そうして、耳に口元を寄せた。
「つまり、事故は彼が原因だったんだよ」と。
「番組の方針としては、そうは流せないだろうけどね。ただ、それを実証するための映像を通じた実験の準備はしてきている。興味があれば連絡をしてほしい。何、放送中は日本にいるよ」
と。そして、ジュースが来る前に彼女は席を立った。
*
おそらく自分は何かを変えたかったんだと思う。
撮りためたVTRを眺めながら、そのつぎはぎを作りながら、さすがに順序は保ったまま、できあがった構成を確認しながら。
そこに過剰な物語を創らないのが正しいのだと。
文字数:13117
内容に関するアピール
僕のことは嫌いでも、グローバルエリートのことは嫌いにならないでください。
僕はもう小説書かないのでこれで最後。
お疲れ様でした。
文字数:62