梗 概
ナツメッグとシナモンを間違えただけなのに!
初めての異星文明との接触に湧く世間を尻目に、OL英子は焦っていた。同居する面倒な関西人安生の好物、手ごねハンバーグに使うナツメッグと間違えてシナモンを買っていたのだ。“B&S社、何で同じ色の容器なの! 普通に間違えるだろうが!”
レシピを変えてみた、嫌なら元に戻すと言い訳して恐る恐る出した一皿を意外にも安生が大絶賛。友人5人にも食わせたいと言い出す。レシピを聞かれ苦し紛れに”異星風、内容は秘密”と嘘をついた。
友人5人との食事会で4人は何が違うか判らない様子、安生の太鼓持ち池上が最高にいけてると持ち上げて、残り4人も褒めだした為、英子の意に反して調理コンクールに出すことになる。関西地区予選は有力候補の自滅が相次ぎ、審査員神田山の”和食では使わない珍しい香り、異星風レシピ公開が楽しみ”との意見でぎりぎり予選を通過した。
全国大会の肉料理部門、英子には票が入らず落選は目前だった。ところが交流開始直後のグレイプニル星人ゲスト審査員ウトガルドが、”私の8種類の味蕾細胞はこの料理を宇宙水準、最高の逸品と認める”と評価したことで5人の審査員の評決は紛糾、英子が逆転優勝する。グレイプニルは肉食獣の末裔でシナモンを初めて経験したことが高評価の原因と後に判明するが、この時の英子にはウトガルドが安生と同じ種類の迷惑この上ない生き物に見えた。
グレイプニル星に英子の料理をレトルト化して輸出したいと熱望する安生に、英子は真実を告げた。“シナモン入れときゃいいじゃん。レシピ秘密のままで”安生の割り切った一言で商売が始まる。コンクール優勝者英子の広告塔としての尽力もあり、地球の輸出品としては最大のヒット商品となった。
数年後に、植物系の第二の異星人、ドローミが地球を訪れた。グレイプニル連邦とドローミ同盟は近隣星域の通商をめぐって対立しており人類はどちらと優先して交易するかの選択を迫られる。グレイプニル交易協会会頭に就任していた英子はドローミ派商社との政治闘争の末にグレイプニル優先の方針を勝ち取るが、ドローミから敵対視され乗っていた商船を拿捕されドローミ星に長期間拘留される。
ドローミでの拘留生活中に、ドローミがスパイスの宝庫でありその一つが人類とグレイプニルに強い若返りの効果があることを知った英子は地球帰還後にドローミとのスパイス交易を開始する。これが爆発的な成長を遂げて、3種族はスパイスを通じた通商で強く結びつき、通商同盟を結成した。英子は初代通商会議議長に選ばれる。
数十年後、オリオン渦状腕に銀河系中心部を席巻する強大な軍事国家ヴァンが襲来する。3種族同盟の実質的なリーダー英子は抵抗か服従かの選択を迫られ、服従を選ぶ。英子を含む3種族要人のヴァン主星への強制移住に、安生は“お前がおらんとつまらんから”と言い同行する。
数世紀後、安生は銀河帝国第8代皇帝、通称スパイス帝、英子の戴冠式に参列していた。
文字数:1200
内容に関するアピール
うちの奥さんが手ごねハンバーグに使う某社のナツメッグのパウダーを購入しようとしたところ、ナツメッグの瓶の列にシナモンの瓶を戻した人がいたらしく、家で料理を始める時にシナモンと気づいたという実際に起きた事件がベースです。
ナツメッグとシナモンの瓶は添付写真のようにそっくりです。世界4大スパイスのうちの人気スパイス2種が見分けにくいパッケージということは、この小説のネタにせよとの商品企画の方のご配慮と思い使わせていただくことにしました。
スパイスをキーワードに次々に訪れる異星人を相手に、同居人安生やウトガルドのような面倒くさい輩に振り回されながらのし上がっていく英子の出世譚を、良い方向へのドミノ倒しとして描こうと考えています。
実作では字数が許せば、梗概最終行での皇帝英子の戴冠式を見つめる安生に、メランジやストルーン並みの超スパイスを巡る英子の帝国での活躍を回想として語らせたいと思います。
文字数:395
スパイスを間違えただけなのに!
英子は両手に握った2つの茶色の小瓶を見比べて茫然としていた。右手の瓶は中身が空でナツメッグと、左手の瓶は新品でシナモンと印字されている。
“どうしてシナモンなの! ナツメッグを買ったはずなのに!”
昨日のイオンでの買い物で調味料コーナーに立ち寄った際に、前のおばちゃんが「入れにくいね! これ!」と言いながらガチャガチャと音を立てていたが、何故かすっと瓶を戻して去っていったことを思い出した。
“あのおばちゃん! シナモンをナツメッグの列に戻したんだ。やられたよ!”
隣の部屋では、同居する面倒くさい男、安生が好物の手捏ねハンバーグが出来上がるのを待ちながら、ここのところ世間を騒然とさせている異星人とのファースト・コンタクトを報じたテレビの特番に見入っている。
『……振り払われて重傷を負ったグレイプニル星人付きSPの容体は急変し……』
「なんや、それ! 振り払われたくらいで、なんでそうなるん?」
安生がニュースに何やら突っ込んでいる声が聞こえる。
“それにしてもB&S社、何で同じ色の容器なの! 普通に間違えるだろうが!”
窓から覗く空と雲は、いつの間にかすっかり夏の彩になっている。今年初めての蝉の鳴き声が聞こえてきた。英子は少し落ち着きを取り戻す。
“スパイスの違いなんちっぽけなことだ。でも何も入れないのは賢くないな。確か肉料理にシナモンもありだったよね?”そう考えた英子は、シナモンを入れてレシピを変えたと言い張ることにした。
調理しながら、色々とこだわる安生との面倒くさい出来事を思い出す。
埼玉県出身の英子は、父親の転勤で大阪に移り、短大卒業後に地場の中堅企業に就職した。家族全員で暮らした時期は短く、再度の父親の転勤で両親が関東に戻ると、大阪で一人暮らしを始める。しばらくして同僚の知り合いの安生が転がり込んできた。破天荒な態度とは裏腹に、家賃と生活費はちゃんと折半するし、2人で決めたルールはきちんと守るので大きなトラブルはない、のだが。
“関西人だからマクドナルドをマックと言うたびに『マックゥゥ?なんちゅういやらしい言い方すんねん! マクドやろが!』と突っ込むのは仕方ないとしても、甲子園でのあれはないよな! 私がヤクルトファンと知って『甲子園でボコボコにしたるから』と無理やり一塁側内野席での観戦に付き合わせておいて……阪神がボロ負けしそうになったら、私を指さして『ヤクルトファンがここにおるで!』と阪神応援団に暴露したよな。試合終了まで柄の悪い連中に絡まれる私をニヤニヤ笑いながら見ていた! 一緒に行った山本君がかばってくれなかったら、リアルに針の筵だったぜ!”
“スタバで『新しいロゴ、緑色で前よりおしゃれかな?』と話したら、『これ、二股の尾びれを両手でつかんだ半魚人やぞ、何、おしゃれとか言うてるん、自分!』と大声出して、周りの人の失笑を買ったのも恥ずかしかったな!”
あれこれ、思い出すうちに英子はだんだん腹が立ってきた。腹立ちとは裏腹に大判のハンバーグは割れることもなく上手く裏返せて、いい色に仕上がる。
“あまり神経質にならずに無造作に引っ繰り返すのがコツなのかも?”
「ハンバーグ出来たよ!」
「おお! はよ持ってきいや! 腹減って死ぬやんか」
「実は、少しレシピを変えてみた。嫌だったら元に戻すから、とりあえず食べてみて」
空腹の安生は、無言のまま、既にハンバーグにかぶりついている。
長髪を後ろで束ねて、口髭と顎鬚を伸ばした安生の容貌は、ある種のクリエイターっぽく見えなくもない。フチなしの細い角型メガネが視線を鋭いものに感じさせるが、良く見ると切れ長で綺麗な眼をしている。
“これで性格さえ良ければ結構イケてるのに。残念な奴だよ!”
「ん?」三口ほど食べたところで、安生が首を傾げる。
「おまっ、これ?」
“やば、もうバレたの? 面倒くさいことになる!”
「めっちゃ、美味いやん!」
“えっ? どストライクなの?”
「それに、なんや知らんけど、体中に力が漲る気がする!」
大判のハンバーグと大盛のご飯と冷たい麦茶がみるみるうちに安生の胃袋に収まっていく。
「味? いや味だけやないな! 何や、ゴッツ満たされた感あるで!」
“安生! あんたの言葉がオレンジ色に見える! なんで?”
「新しいレシピって、何したん?」
「えっ? その……、ええと」
意表を突かれて英子は口ごもる、何かうまい言い訳を求めて視線を周囲に這わした。
「勿体つけずに教えてや!」
テレビニュースの『異星人との交渉経緯』というタイトルとその下のライオンによく似た風貌のグレイプニル星人の写真が目に入った。咄嗟に思いついたことを口にする。
「グレイプニル星人の野性的な風貌からインスパイアされた特別なレシピなの! 名前は『異星風 ワイルドバーグ』。レシピの内容は、もっと改良したいからまだ秘密!」
「……」
しばらく無言で何か考えていた安生が予想外のことを口にした。
「これ、ツレにも食わせたいな! 4、5人声かけるから、今度振舞ったってや! 材料費出すから」
**
リビングの低いテーブルを囲んで、よく知った顔、安生のツレ4人が座布団に胡坐をかいて英子の料理を待っている。
入口から見て右回りに、東京出身でお調子者の池上、筋トレが趣味で無口な大野、正面に安生、その左隣は、英子には一番誠実そうに思える山本、その隣が巨体、肥満、強度の近視で引きこもり気味の陰キャ、福山という布陣だ。
“シナモンの分量、色々変えて一番美味しいと感じたところで作ったけど、皆にささるかな?”
「グレイプニル星人にインスパイアされた『異星風 ワイルドバーグ』で~す。お気に召すといいのだけれど?」
「英子ちゃん、相変わらず可愛いね! ハンバーグも信じられないくらい美味しいよ!」池上が一口食べてすぐにベタ褒めする。
“池上、もっとちゃんと味わえよ! いきなり過ぎて、全然ありがたくないんですけど!”
「よく判らん。美味いことは美味いが……それ以上に何かが満たされるんや? 何で?」
“安生、また声に色がついてる? 訳、判んないよ!”
他の3人はさかんに首を傾げている。どこが普通のハンバーグと違うのか判らないようだ。
「英子ちゃん、とても上品ないい味だと思う。でも安生君のいう満たされる感じは判らない」
山本の感想は予想の範囲内。
「美味しいとは思うで……」大野は率直な感想。
「皆がそういうのならきっとそうなんだと思う」
福山のいつもの大勢に迎合する態度に英子はため息をつく。
“福山君、優しくていい子だけど、自分の気持ち、はっきり言わないと損するよ”
ほぼ全員の意見が、肯定的な結論に至ったところで、池上が何か思いついたようだ。
「英子ちゃんのハンバーグ、すごく美味しいから、世間に広めるべきだと思う」
池上は、得意げな表情で、そのイベントのスマホ画面を皆に見せる。
「もうすぐクックナウでアマチュア料理コンテストが開かれる。肉料理部門に応募して、我らの英子の実力を世間にアピールしよう!」
「ちょっと待って! そんな大したもんじゃないから、レシピを知ったら皆がっかりするから」
「いや英子ちゃん、ちょっとした工夫で抜群に美味しくなったレシピがクックナウには溢れているよ!」
「そやで、英子! 小さな工夫かもしれへんが、効果はゴッツイから! コンテスト出てみい!」安生が畳みかける。
「前向きの挑戦には、とても価値があると思う」“山本君までそんなことを!”
「出た方が良いと思うで」大野が直球で支持を表明した。
「……あの……料理のことは判らないんだけど……ええと……その……」福山が顔を真っ赤にして、何か話そうとしている。
「はっきり言わんかい!」気の短い安生がどやしつける。
「英子ちゃんの……料理は……とても美味しいと思う……コンテストに出して欲しい。僕は英子ちゃんを……応援したい!」そう話した福山のメガネの縁から涙か汗が滲み出ている。
「よう言った。お前は男や! 英子、どうする?」安生が福山の肩に手を回して、ポンポンと叩きながら英子に問いかける。
“福山君、君が勇気を出すところ見せられたら……断れないな”
「判りました。クックナウのコンテストに応募します。でもレシピは非公開で『異星風 ワイルドバーグ』のままで出しますから」
行けるところまで行ってみようと英子は心を決めた。
**
コンテスト前にはっきりさせておきたいことがあり英子は、池上と山本にそれぞれコンタクトを取った。
今のところ『異星風 ワイルドバーグ』を絶賛しているのは、安生と池上だ。安生は自分でもどこが良いのかはっきりわからない風情だが、池上ははっきりと『信じられないくらい美味しい』と言っている。本当の評価が知りたくて英子は池上にカマをかけてみた。前回と同じレシピで作ったものを『コンテストに向けて少し変えてみた、どちらがいいか評価して欲しい』と頼み、安生の不在の時に家に呼んでみた。
「私は今度の方が良いと思うのだけれど、池上君はどう思う?」
英子の問いかけに池上の目が泳いでいる。同じ味だから当然なのだけど、判らないと正直に言えば合格、明確に差異があると言えば信用できない評価者ということになる。
「一長一短かな? 優劣をつけるのは難しい気もするね……」
「そうなんだ。私はこっちがいいと思うけど、安生は前の方が良いとか言うんだよね」
池上の泳いでいた視線がぴたりと止まった。
「英子ちゃん、判ったよ! 前の方が全然いい。とても微妙な差だから普通の人には判らないと思うけど、俺にははっきり判る! 今日のは味が練れてない。前の方がとても滑らかな感じでよかった! 変えない方がいいね」
「安生と池上君が二人とも同じ感想なら、きっと前の方が良いんだね。ありがとう池上君、助かったわ! これからも困った時に相談させてね!」
「俺で良かったら、いつでも頼ってよ。安生は気難しいからね。今日も予定が立て込んでいたけれど英子ちゃんの頼みならいつでも最優先するから!」
ていねいにあいさつをして池上を見送った後に、英子は呟いた。
“予想通りとはいえ、見事だよ池上! お前が誰の風見鶏かよく判った! お前の舌がもう一枚あることも判ったよ!”
別の日に、英子は山本を呼んで、安生の言葉に色がついて見えることを相談していた。
「調べてみたけど、多分それは共感覚じゃないかな。声や音に色がついて見えるのであれば、色聴というものだと思う」
山本は、共感覚が、『音が見える』、『色彩が聞こえる』、『臭いが触れる』と言ったように、異なる感覚の間で本来は感じない刺激を感じる現象で、多くの人に現れることを説明してくれた。
「普通の人には気づくことができない現象を検知する可能性もあり、使い方によっては役に立つ能力らしいよ」
「でも安生がハンバーグを食べた時だけ、色がついても使い道あるかな?」
「まあ焦らずに、観察してごらんよ。意外な使い道、あるかもしれないよ」
「今日は時間を割いて、いろいろ教えてくれてありがとう、山本君。また何かあったら相談するかもしれないけどよろしくね」
「気にしないでいいよ。今日は予定が空いていたんだ。忙しくて難しい時はちゃんと言うから」
“山本君、飾りがなくて、誠実でいいよな。安生ではなく山本君にした方が良かったかも! まだフリーなのかな?”
安生の面倒くささに辟易していた英子は、不穏なことを考え始めていた。
“安生の声に色が付くのは、シナモンのせいかもしれない。ナツメッグのハンバーグの時は起きていないのだから! 試してみる価値あるよね”
「安生、友達からのおすそ分けのシナモンロールがあるの、食べる?」
「この白いの砂糖やろ? 見るからに甘そうやな。甘いの苦手なの知ってるやろ」
「まあそういわず食べてみて! 絶品だから」
「ちょっとだけやぞ! うわっ、めっちゃ甘いな! もう無理や」
“色が見えた! やっぱりシナモンか。それにしてもなんで安生がシナモンを食べた時だけ色が見えるんだろ”
「無理なら、残りはわたしがもらうわ」
「太って、後で泣いても知らんからな!」
“絶妙にブレーキかけるよな、こいつ。残りは明日にしようかな?”
**
関西地区予選は、『料理の賢人』でおなじみの和の達人、神田山先生の開会宣言から始まった。
池上の事前情報によると、肉料理部門はクックナウコンテストの常連組に加えて、世間を騒がせているグレイプニル星人を意識したレシピで参加した新参組が結構いるらしい。
有力候補にもCOVID-2Xの陽性者が発生してキャンセルしたチームがあり、乱戦模様とのこと。各部門の上位3チームが全国大会に進むことができる。
英子は予選までの期間に、食材を吟味し、付け合わせを工夫し、フライパンやボールなどの器具をより使いやすいものと交換し、各工程の無駄な動作を省き、調理時間と食材の分量を定量化するなど、細かい改良を数多く積み重ねた。
“最初の頃より、大分美味しくなったと思う! 池上の言うところの(?)練れていて滑らかな感じってやつだ。審査員の先生方に、認めてもらえるかな?”
助手とタイムキーパーを募ったが、安生は「無理!」の一言、池上は応援の方が向いているからとパス、大野にこねる行程を試してもらったところ、プラスティック製のボールがいきなり割れたため却下、結局、山本が助手、福山がタイムキーパーの布陣となった。
何回かのリハーサルで、山本は予想通り痒いところに手が届く対応をしてくれた。以外っだったのは福山で、神経の行き届いたきめ細かい指示をしてくれるので、英子と山本はとても動きやすかった。結果として最高のチーム編成となった。シナモンの瓶のラベルは安生が見ると面倒くさそうなので剥がしておいた。
“福山君、見かけと違って人柄も能力もとてもいい感じだ、見直したよ! でもかなり親しくならないとこの良さは判らない……惜しいよな”
落ちて当然の気楽さもあり、リラックスして臨んだ英子たちの調理は、とてもうまく運んだ。リハーサルでは、審査員5人分の料理のうち、一皿か二皿は出来が悪いのだが、本番では全ての皿が合格点のできだった。
審査員席に料理を配膳してから、会場の2階席の最前列に池上と大野がいつの間にか張っていた横断幕に気づいた。
『われらの英子!! 異星風 ワイルドバーグ 最高!!』英子が寝そべってウインクしている下手な似顔絵が、添えられている。
“なにそれ! 滅茶苦茶、恥ずかしいんですけど! 調理中に気が付かなくて良かった。ていうかリラックスしたつもりだったけど、集中してたのか?”
「山本君、福山君、あの垂れ幕、気が付いてた?」
「集中していたから全然、気づかなかったよ」山本も驚いている。
「気づいてた。だから二人の目線に入らないように垂れ幕と調理場の間に立っていた」
“そうなんだ。福山君、ナイスジョブ!”
審査結果が発表された。
英子達はぎりぎり3位で予選を通過する。4位とは1点差、4位チームは審査員の間でばらつきがあり、2人の審査員の評点が英子達より低かった。最高点の審査員は英子達より良い点を付けていたので、ばらつきがなければ逆転していただろう。
神田山先生が総評を述べている。
「……続いて3位の『チーム英子』の『異星風 ワイルドバーグ』、和食では使わない珍しい香りが新鮮でした。どの皿も十分な調理が施されており、レベルの高さをうかがわせます。ていねいに調理されたことが感じられるのも好印象でした。異星風レシピは秘密とのことですが、全国大会で好成績を出して、公開されることが楽しみです。 気張ってや!」
最後を締めくくったのは、いくつになっても若々しい神田山先生の満面の笑顔だった。
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その獣は審査員席の中央で3人分の椅子にその巨体を窮屈そうに収めていた。爛々と輝く燃えるような双眸、口元から伸びる牙、頭部を覆い風もないのにメデユーサの蛇のように蠢くたてがみ。無理やり着込んだスーツが今にもはちきれそうだ。剛毛をはやした掌の先に僅かに露出した鋭い爪の光沢が、それが飾り物ではなく獲物を仕留める武器であることを物語る。シロクマほどの巨体でたけり狂ったライオン! その場にいる地球人類全員に、遺伝子レベルで刻み込まれた大型肉食獣への恐怖を呼び覚ますには十分な姿だった。
その圧倒的な存在の名称が審査員席前のテーブルに置かれている。『グレイプニル星 特別審査員 ウトガルド』
会場の全員が巨大な肉食獣への恐怖を、理性で押さえつけて、地球より進歩した文明を持つ異星の使節であると言い聞かせていたその時、
「グワゥオオオオオ!!!」
グレイプニル星人の発した咆哮が、一同の魂を覆っていた理性の薄皮を吹き飛ばした。
グレイプニル星人の周囲3mに着席していた関係者は、どのような跳躍をしたのか本人にも理解できない瞬発力を発揮して圏外に跳びさっていた。それより外側にいた者達は全員が地面にはいつくばっている。
「おっと……失礼、くしゃみをしてしまいました。この星の大気用に調整した電磁場による船外服の調子が今一のようですね。このような厳粛な場では不作法でした。謝罪いたします」
グレイプニルの獣は、先ほどの咆哮からは想像できない穏やかな声と口調で、流暢に日本語を操って謝罪した。
「何者、こいつ? ただでさえ緊張する全国大会にどうしてこんな奴がいるのよ!」
「グレイプニル星人だ。実物は初めて見るけれど噂通りでかいな! 審査員席、くしゃみ一つで、とんでもない騒ぎになっているね。ニュースでこのコンテストを聞いて肉料理部門に無理やりねじ込んできたらしいよ」
英子の動揺とは対照的に山本は落ち着いた反応を見せる。
「そりゃ、あんなのが吠えたら、近くの人、パニックだよ! 異星人だよね、何で宇宙服とか着てないの?」
「グレイプニル星人のオーバーテクノロジーでスーツと言うらしい。電磁場と首のモジュールから常時噴出する制御された気流で、宇宙服と同等の外部環境遮断を実現しているらしいよ」
福山がメガネの縁を撫でながら、自慢気に応える。
“福山君、大分自信がでてきたみたいだね。いい感じだよ”
「福山、そんなことはどうでもええねん! あんな化け物、気にすんな! お前ら、気張っていけや!」
予選での英子達の活躍が羨ましかったのか、安生が『お前らだけでは心配だから全国大会はサポートする』と言い出した。
言うだけのことはあって結構役に立っている。特にアクシデントに対する判断と対応が的確で早い。
ただし、新参者の癖にチームリーダーのようにマウントしたがるところは相変わらずだ。
全国大会の直前1週間は、英子と安生の食事は三食全てリハーサルで作ったハンバーグ、いい加減飽きてきた。そのせいか安生の声に色が付く現象は常に起こっている。
「それでは調理を始めてください」
審査委員長の号令で、全チームが一斉に熱い戦いを開始した。
**
調理は、今の英子チームに期待できる最高のレベルで完了した。
それでも英子達の顔色は冴えない。優勝候補の強豪チームが繰り出すビジュアルも香りも段違いの豪華絢爛な肉料理に比べるとどうしても『異星風 ワイルドバーグ』は地味に見える。
試食した審査員たちの反応も今一つに見えた。首を傾げて手元の審査用紙に書き込んでいる手の動きがバツと書いたように思えてしまう。
そんな中でグレイプニルの特別審査員ウトガルドの周囲だけは異なる空気が流れていた。彼の両目は赤く輝いている。全身から熱気でもでているのだろうか? 彼の周囲の空気は陽炎のように揺らいでいる。頭部のたてがみは半径1mの球状の空間で蠢き、絡まり、もつれあい、蛇か鰻の群れのように見える。
熱心に試食していたウトガルドは英子達の料理に何か気づくことがあったようで、しきりに頷いていた。その後、他の審査員の席を訪れて熱心に何か説明していたが、彼らの反応に失望したらしく自席に戻り、不満げに頬を膨らませて何かを呟いている。
そうこうしているうちにウトガルド以外の審査員の評価は固まったようだ。国内最大級の料理学校を経営し料理番組にも多数出演している審査委員長が、表彰式の為に設けられたひな壇に登った。
「審査結果を発表します」
突然、ウトガルドがマイクを奪い審査委員長の発表に割り込む。
「待ってください! 皆さんにお知らせしなければならない事実があります。エントリー番号23への評点が低すぎます!」
会場全体が、異例の事態に静まり返った中で、言葉を続ける。
「多分、地球人の味蕾細胞の種類が4種類、味覚の種類が5種類しかないことが原因なのでしょう。
私達グレイプニルは8種類の味蕾細胞で10種類の味を感じます。この料理からは、地球人類の感じる5種類の味の他に、2種類の味を感じました。
これは驚くべき料理です。この星で初めて出会った宇宙水準の料理と認めます。この料理のレシピが非公開という点を減点対象とされた方がいますが、これほどの独創的な味に対してレシピを秘密にすることは当然ではないでしょうか?
どうかもう一度良く味わって、非公開であることに拘らずに再度の評価をしていただくようにお願いします」
“23番! 私達じゃない! 何を言っているか全然判らない? シナモンが入っているだけなんですけど?”
意外な展開に驚く英子達の目の前で、審査員と関係者が混乱に陥っていた。騒動は小一時間は続き彼らの議論の断片が漏れ聞こえてくる。
「……審査員の面子が……特別賞では?……外交問題に……後日発表では?……このご時世……理屈は通っているし……まだ発表前だったから……レシピの件に絞って……」
やっと結論にたどり着いたようだ。審査委員長が再び壇上に上がり結論を告げる。
「長らくお待たせいたしました。ウトガルド氏のご指摘内容、実は審査員一同も認識しておりました。エントリー番号23の料理が世に理解されるには時期尚早ではないか、レシピが非公開では公開したチームと比べて不公平ではないかの2点から、今回は審査員特別賞が妥当との評価が大勢でした。しかし、ウトガルド氏の誠に理にかなった熱意あるご意見は、私達審査員の心を動かしました。このコンテストも、異星との交流が始まったこの新しい時代に併せて進歩すべきかと思います」
「それでは、異例ですが、優勝チームから発表いたします」
“えっ! えっ! えっ! いきなり優勝チームから発表? しかもこの流れからするともしかして私達? 心の準備が……”
「本年度の肉料理部門の優勝チームは、エントリー番号23番 チーム英子 『異星風 ワイルドバーグ』です。おめでとう!」
気がついた時には、英子は山本、福山と抱き合って、涙を流して喜んていた。
「突然のアクシデントに、審査員とグレイプニル星人、両方の面子立てて、時代に併せて進歩か……上手くまとめたもんやね! 感心するで!」安生は相変わらず面倒くさいことを言っている。
そうこうするうちに表彰式の準備が整ったようだ。
**
表彰式の壇上には、賞状を持つ審査員長の横に、優勝盾を片手に持った巨大な獣がいた。
“なんでグレイプニルが? 間近で見ると本当に大きいし迫力あるな! でも外見と違って知性が高くて紳士的なんだよね? まさかいきなり襲ってくるなんてないよね?”
賞状の授与に続いて、優勝盾が渡された。盾を左腕で抱えた英子に、ウトガルドは握手を促すように右手を差し出した。英子も右手を差し出すと、それを掴んだウトガルドが巨大な頭部を英子の耳元に寄せて何かささやき始めた。
「英子さん、優勝おめでとうございます。あなたの料理は最高でした。美味しいだけではなく、何か体の底から活力が湧き出てくるような満たされる感覚がありました。グレイプニルでは過去に、支配種族である我々に、草食動物系の下級種族が料理とともに、自らの身体を供することが最高のもてなしといいう習慣があったそうです。野蛮な風習と思っていましたが、あなたの料理を食し、あなたの手を握ると先祖の気持ちが判るような気がします。グレイプニルの最高の誉め言葉を送ります」
“何で、あなたの声にも安生みたいに色がついて見えるの? 私の料理を食べたせい?”
マイクで話している時には見えなかったが、英子には耳元で話すウトガルドの声に安生のように色がついて見える。
「あなたを食べてしまいたい」
「地球政府はグレイプニルの要求を何でも受け入れてくれるから……きっと上級外交官の私が誤って起こした事故に目をつぶってくれるでしょう」
巨獣に掴まれた右手はピクリとも動かせない。肉食獣に食われるという根源的な恐怖が湧き起こり、英子の体中の毛が逆立った。助けを求めようとしてもヒューヒューと吐息だけで言葉が出ない。
ウトガルドの顎がじわじわと開いていく。
“こいつに食われる!! 誰か助けて”
「英子、お前、髪の毛全部逆立っとるぞ! 電気でも流されたんか?」
いつの間にか壇上に上がっていた安生に背中をたたかれ、怒鳴り声を聞かされて英子の呪縛がようやくとけた。
ウトガルドの手を振り払い、安生の背後に隠れる。
「人の女に何しとんじゃ! このボケ!」
「失礼な方ですね! 私が英子さんに何をしようとあなたには関係ないし、私を止めることもできませんよ!」
ウトガルドが立ち上がって、羆の威嚇のようなポーズをとる。身の丈は3m近くありそうだ。
「……」
「……」
安生とウトガルドが無言でにらみ合っているうちに、ウトガルドの表情が徐々に穏やかになってきた。
「料理の魔法が解けてきたようです。 冗談ですよ、冗談。私が英子さんにここで何かするわけないでしょう?」
「今にもかぶりつきそに見えたけどな! 冗談言うんなら、今日のところは勘弁しといたるわ!」
「それにしても、あなた、何か……混じっているような…… 名前を教えてください」
「チーム英子の安生や」
「またお会いしましょう。安生さん」ウトガルドは壇上からゆっくりと降りて、控室方向に去っていった。
「安生、怖かったよ! あいつに食われるかと思ったよ!」
緊張の解けた英子は安生に抱きついて子供のように泣き出していた。
「大袈裟なやっちゃな! 仮にも外交官やぞ、そんなことする訳ないやろ?」
「安生君、よくあいつと渡り合えたね! 僕には絶対無理や。グレイプニル星人付きのSPがターゲットに振り払われて、3日後に亡くなったニュース聞いてるやろ?」
山本が心配そうに声をかけてきた。
「知らんで! それ! もしかしてわし死ぬとこやったん?」
「僕にもよう判らんけど、その可能性はあったかもしれんよ」
安生が今頃になって、グレイプニル星人と対峙した恐怖で身震いしている。
“安生、助けてもらって悪いけれど、あんたとウトガルドは迷惑この上ない点では、同じ種類の生き物に見えるよ! どっちも声に色がつくしね!”
英子は安生の胸で泣きながらも、落ち着きを取り戻しつつあり、そんなことを考えられるようになっていた。
想定外のハプニングは起きたけれど、というかハプニングのおかげで英子達はクックナウの肉料理部門の全国優勝を勝ち取った。
**
「ウトガルドが『異星風 ワイルドバーグ』をレトルト食品にしてグレイプニルに輸出して欲しいと連絡してきたで。どうする? 英子」
猛暑の中、旧式のエアコンが悲鳴のような動作音をたてているいつものリビングで、さすがにハンバーグに飽きた安生のリクエストで作った夏野菜カレーを一緒に食べながら英子はその知らせを聞いた。
「クックナウで優勝したのが最終ゴールでその先は考えてませんから! レシピも公開しません!」
英子は即座に拒絶する。
「そら、もったいないやろ。グレイプニルから直々にご指名のチャンスを棒に振るんか? 奴らと商売したがっている連中からしたら贅沢すぎる話やで」
「別に商売したくないし、今度会ったら本当に食べられちゃいそうで怖いし」
「食われるって、そんなことあるわけないやろ!」
「そんなことある!」
「……」
「……」しばらく沈黙が続く。
“この辺りが潮時かも知れない。安生に本当のことを言おう!”
「実は『異星風 ワイルドバーグ』にレシピなんてないの。ハンバーグには普通ナツメッグを使うのだけれど、あの時ナツメッグと間違えてシナモンを買ってしまったから、それを使っただけなの」
「うそやろ?」
「うそじゃない!」
「マジ?」
「まじです!」
かなり驚いた体で、視線を天井にさまよわせていた安生の意識が現実に戻ってきたようだ。
「シナモン入れときゃいいやん。レシピ秘密のままで」
「そんなんでいいの?」
「わしは全然かめへんよ。向こうが欲しがってるんやから……あのハンバーグ、ウトガルドにはめちゃ刺さってたで! 全身から湯気みたいなもの出てた」
「それでいいのなら、別に反対する理由はないけど……」
「じゃあ、決まりな!」
夏野菜カレーを食べ終わったとき、ぼそっと安生が何か言い出した。
「実はな……ウトガルドからもう一つ頼まれてたことあんねん」
「なに?」“何だか嫌な予感がする”
「商品のパッケージには、その、英子の写真、それも出来たら水着写真を入れて欲しい言うんや! 売れ行きが倍になるとか言うてる。池上に頼んでサンプル作らせた」
「ダメに決まってるでしょ、そんなの!」
安生が見せた写真には見覚えがあった。皆で須磨に泳ぎに行った時の写真だ。色々修正されているようで別人のようなナイスバディーの英子が映っている。
「*%#&$%&??+=¥!!!」
「……@&$#?+{!!&%!!」
言葉にできないようなすったもんだの末に、パッケージは着衣の英子が微笑みながらハンバーグの皿を差し出している上半身像に決まった。
「それじゃ、まるで昭和のあのカレーのパッケージやぞ!」と安生はぼやいていたが最後には渋々承諾する。
安生と池上に任せるととんでもないことになるので、英子が社長となり、全てに目を光らせることにした。
**
「安生も、池上君も大野君も、引っ越しの手伝いに来ると言っていたのに! 面倒くさいことは必ずこの面子になるんだから!」
英子は、福山にぶつぶつ文句を言いながら、オフィスに必要な備品の梱包を解いている。
英子達の会社、EIKO Corp.は、グレイプニルとの通商が軌道に乗り、彼女のマンションでは手狭になったので、淀屋橋の小さなオフィスビルを借りて引っ越すことにした。
大ヒット商品「地球風 ミンチステーキ」がシナモンを使っただけの高級レトルトハンバーグであることは、生産委託先の食品製造会社から、競合他社に漏れている。しかし彼らがシナモンだけが要因と確信が持てずに躊躇しているうちに、EIKO Corp.は大きなアドバンテージを得ることができた。
そして山本が取得した特許と、ウトガルドからの食品検疫情報と他社参入の妨害により、シナモンを含む加工肉製品に関してEIKO Corp.はグレイプニルとの独占的通商状態を確立することに成功する。工場や倉庫を持たず生産・保管・輸送を専門企業に委託して商品品質のみをチェックするビジネスモデルなので、少人数のメンバーで回せて結構な利益が上がっている。
山本と福山を除くと宵越しの金は持たないタイプが揃っているので、英子が毎月の給与額を超える余剰利益は等分して各自名義の投信口座を作って積立てることにした。ここのところ、給与より積立の方が多い状態が続いている。経済的に明るい未来が見えてきた。
新しく購入したビジネスチェアに深く腰掛けて、リラックスした体の山本が話しかける。
「そういえば英子ちゃん、安生とウトガルドの声に色がついて見える件、面白そうな伝承が見つかったよ」
「そう、それ気になっていたんだ。あいつ人間なのかな?」
「安生は、根っからの関西人に見えるけれど、実は岡山の美作市の出身、宮本武蔵の故郷として有名なところやね。江戸時代初期に、そこの要衝、鎌坂峠に熊ほどの大きさの化け猫が住みつき、若い娘を攫って契るとか悪さをしていたらしい。数々の武勇を上げて故郷に戻る途中の壮年期の武蔵が、これを見とがめ激闘の末に退治したという伝承や」
「熊ほどの大きさの化け猫って……武蔵と激闘する戦闘力って!」
「そう、まさにグレイプニルやね」
「歴史には記録が残っていないけれど、グレイプニル星人は密かに地球を訪れていて、地球人との混血の子孫を残してたっていうこと?」
「あくまでも伝承に基づく仮説やけどね」
「グレイプニルと同じようにシナモンに反応するのだから本当にそうなのかも? 化け猫……猫……猫の好物……マタタビ」
英子は昔飼っていた猫が元気がない時にあげたマタタビの枝を思い出していた。シナモンスティックと何となく似ているような気がする。
「猫にマタタビ、グレイプニルにシナモンか」
「グレイプニル星にない香料にあんなに反応するなんて不思議やね」
長いこと心に引っかかっていたことが一つ解決したような気がした。
“安生、あんたウトガルドと血が繋がってるのかも知れないね!”
**
『英子さん、安生さん
グレイプニル星上級外交官のウトガルドです。お元気でお過ごしでしょうか。
皆様にご尽力いただいたEIKO Corp.のレトルト食品「地球風 ミンチステーキ」通称“EIKO”は驚くほどの売れ行きです。
毎月、大変なペースで売り上げが伸びています。
地球からの輸出品としては、最大のヒット商品となり、その勢いは衰えていません。
大人から、子供まで食べたいものランキングで不動の1位を維持し続けています。
品切れとなる店も続出し、EIKOが入荷するとの情報が伝わると販売店の前に長蛇の列ができます。
こちらの分析では、製品に含まれている地球独自の香料にグレイプニル星人の食欲を含む根源的な欲求を刺激する効果があるらしいとのことです。
EIKOを食べると、体が微かに光りだす“自発光”と呼ばれる現象も発見され話題となっています。
度重なる、量産のお願いに応えていただき大変感謝しておりますが、この調子で生産ラインの増設、販路の拡大に努めていただきますようにお願いいたします。
尚、パッケージを飾る英子さんの人気もすさまじく、グレイプニル星のネットアイドルを押さえて、多くのネットランキングでTOPになっています。
“食べたいくらい可愛い地球Girl”のキャッチフレーズでバーチャルキャラも数多く作られているようです。
この度、地球-グレイプニル通商会議の議長に選出されたとのこと、大変ご多忙な折とは存じますが、何とかご都合をつけて一度グレイプニル星にいらして下さい。
グレイプニル星人一同、最大級の歓待をいたします』
ウトガルドのメッセージにあるように、両国の通商に最も貢献したという理由で、英子はこの年の暮れに地球-グレイプニル通商会議の議長に選出されていた。
英子は、メッセージを読んだその夜に、無数のグレイプニル星人に追いかけられて食べられる悪夢にうなされていた。
**
英子が通商会議議長に選出された数年後、EIKO Corp.は対グレイプニル貿易の好調な業績に支えられてOBPの高層オフィスビルに移っていた。
従業員数は100名を超え、業務委託先からの常駐者を加えると常時150名以上がここに勤務している。
旭日の勢いで業績を伸ばす新興企業のトップであり、地球-グレイプニル通商会議の議長を長年勤める英子は、時の人となっていた。
創業メンバーのうち、池上は長期無断欠勤後に『親戚が難病で莫大な治療費がいる、俺の持ち分を振り込んでくれ』との連絡で英子が投信の解約金を振り込むと音信不通となった。トラブルらしいが詳細は判らない。大野は英子が積み立てた資産で個人経営のジムを起こした。安生と山本、福山が会社に残っている。
英子は、社長室のソファに寝そべって、先日、山本が婚約者を連れて挨拶に来た時のことを思い出していた。
“シュッとした感じの綺麗な人だったよね。芦屋でピアノの先生だからお嬢様っぽい、サークルの1年先輩だって言ってた。山本君に玲子って呼び捨てされて嬉しそうにはにかんでたな。私なんか、最近社長としか呼ばれてないよ。なんだろうこのモヤモヤした気持ち、私、山本君が好きだったのかな?”
「英子! 入るで」安生がノックもなしにいきなり社長室に入ってきた。
「ちょっと! 安生、ノックくらいしなさいよ!」
「なんや、また山本ロスでまったりしてたんか?」
「失礼ね! 年齢別商品売上推移の分析中にちょっと休憩してただけよ!」
「その割には、PCがスリープしてるけどな。まあ、ええ。ニュースチャンネル見てみい! 大ニュースやぞ、今度はドローミやて」
ニュースは植物系の異星人ドローミが地球に訪れたことを伝えていた。
スクリーンには、3名の女性と思われる外交使節が記者会見する様子が写されている。地球人類とほぼ同じ身長ながら、モデルよりずっと細い体と小さい頭部を持ち、雪のように白い肌、碧の瞳、緑色の頭髪の彼女たちはまるでおとぎ話の樹木の精のように見える。英子の目には3名の違いが見分けられない。
“三つ子なの? 3人とも同じ容姿で表情が全く読めない!”
「ドローミ、めっちゃ綺麗やな。グレイプニルと並べると、まんま美女と野獣やん!」
世界が大きく動く予感が英子達の心に湧き起こっていた。
**
その会議は、OECD各国の経済閣僚と、地球-グレイプニル通商会議の主要メンバー、そして新しく発足した『地球-ドローミ交流フォーラム』のメンバーが参加して、ニューヨークの国連本部ビルのフィン・ユール・ホールで開催されていた。
議題はドローミとの交易条件の大枠の決定だ。グレイプニルに与えている最恵国待遇をドローミにも与えるかが焦点となっている。既にグレイプニルと貿易関係を築いている国や組織は、時期尚早と主張し、そうでない国や組織は、グレイプニルだけに依存する宇宙航行産業のインフラ導入を危険視して、ドローミにも最恵国待遇を与え競争させよと主張する。
午前中に行われた政治的な思惑が交錯する宇宙航行産業分野は、グレイプニルを優先するも新規分野に関しては、両国を競争させることで決着した。
午後の一次産品の通商に関する会議は紛糾した。宇宙航行分野での輸入に必要なグレイプニルの外貨を稼いでいるのは、地球からの一次産品の輸出であり、EIKO Corp.の加工食肉製品はそれのかなりのシェアを占めている。いわば地球側のバーゲニングパワーだ。地球-ドローミ交流フォーラムもここに注力しており、グレイプニルと同様の最恵国待遇を要求する。最終的には地球-グレイプニル通商会議を代表する英子のこれまでの実績と貢献度の主張が通り、最恵国待遇はグレイプニルのみの方針が堅持された。
会議終了後に、場外に待機していたドローミの外交使節が挨拶に訪れる。
3名の外交使節が順番に言葉を発する不思議な会話だった。
「英子さん、はじめましてドローミの外交使節を務めるものです」
「今回は私どもにとっては残念な結果となりましたが、あなたがたとは今後も親交を深めたいと望んでいます」
「ドローミの社会、産業を知っていただいた上で、またご協力を仰ぐこととなるかと思います」
“えっ? あなたの言葉、色がついている?”
久しぶりのその感覚に、英子は動揺した。
英子の表情の変化を察知したらしい外交使節の表情に、初めて感情らしきものが現われた。
「スクルド! あなた何故フレイを?」最初に発言した外交使節が最後の一人に問いかける。
「申し訳ありません。翻訳モジュールの調子がおかしいようです。本日はこれで失礼いたします」
2番目に発言した外交使節が強引にその場を収め、3名のドローミ星人は逃げるようにその場を去っていく。
「女王の命令で……」
去っていく彼らの最後の声が、英子には新しい色とともに聞こえていた。
**
「地球とグレイプニルを繋ぐワームホールには複数のルートがありますが、貨物船が通れるようなサイズのものは、遷移点が惑星からかなり離れた位置にあり、総旅程は長いものとなります。私のような上級外交官に支給された小型高速艇なら地球のすぐ近くの遷移点から最速でグレイプニルに移動することが可能なのですよ」
ウトガルドが自身の宇宙船のコックピットから、後部スペースにいる英子と安生の方に、体を向けて英子にウインクしながら自慢げに話している。
「そか、だから用もないのにしょっちゅう地球に来てるんやね」安生がすかさず突っ込む。
「相変わらず失礼な人ですね。そもそもあなたは招いてませんから!」
ウトガルドからしつこく誘われていた英子のグレイプニル行きは、国連ビルでの通商会議でグレイプニルの最恵国待遇を守ったことへの公式の御礼という名目も加わり、断りきれないものになっていた。
誰か1名は随行可能とのことなので、英子はボディガードとして安生を選んだ。山本はタヒチへ新婚旅行中、福山は飛行機でさえ酔う体質なので当然の結果なのだが、安生は初めての異星旅行に結構乗り気になっている。
関空沖に増設された小型宇宙船用第3滑走路から離陸して、ピクニック気分で、月の裏側のディエンビエンフーの遷移点を目指して旅する途中のことだった。
警報が船内に鳴り響き、照明が暗くなり警告灯が赤く点滅し始める。
「何が起こったんや?」
「ウウゥゥ……」
ウトガルドが矢継ぎ早にスクリーンに状況を表示させ、事態を把握してから、肩を落として唸っている。
「ドローミの貨物船の牽引ビームに捕獲されました。まさか外交官の私と、地球の要人の英子さんに対してこんな無法なことを行うとは!」
いつの間にか、船窓から覗く周囲の空間は、暗い星空から宇宙船の船倉内部の明るいそれに替わっている。
**
英子とウトガルド、安生の3名はドローミ星に強制連行され、ドローミの女王、ミューシャ・フレイと謁見の間にて相対していた。
「英子さん、ウトガルドさん、安生さん、皆さんには、大変不愉快な思いさせてしまいました。深くお詫びいたします。私があなた方に至急お会いしたいと望んだことが今回の不手際の原因なのです」
ウトガルドがミューシャ女王を厳しい口調で詰問する。
「グレイプニル上級外交官である私と、地球の要人である英子さんとその取り巻きへのこれほどの不法行為! ドローミはグレイプニルと地球相手に戦争するつもりと解釈されても仕方がない事態です。納得いく説明を要求します」
「その取り巻きね?」
安生がウトガルドの言葉に何やら突っ込んでいる。
「結果としてあなた方を拉致する形となったこと、重ねてお詫びいたします。ドローミはグレイプニルと地球を相手に戦う意思は全くありません。今回の事態が収束した暁には、ドローミから両国とあなた方へ星間協定に規定された十分な損害補償と公式な謝罪をいたします。その後、適切なワームホールが開き次第、それぞれの星にお帰りいただくこととなります」
“何でだろう? ミューシャ女王の言葉、理屈抜きで信じられる気がする”
英子は、ミューシャ女王からは、他のドローミと異なる表情の豊かさと、暖かみを感じていた。そして先日の外交使節の一人と同じ、声の色が見えていた。
「それをお伝えしたうえで、私の話を聞いていいただきたいのです」
「ミューシャ女王、お話の前に、お聞きしたいことがあります。よろしいでしょうか?」
「ミューシャで良いですよ。どのような質問かしら? 英子さん」
「ミューシャ、あなたの声と、先日訪れた外交使節のうちスクルドと呼ばれた方の声から、私には同じ色が見えています。その時、他の外交使節の方から、フレイというあなたの姓と同じ言葉を聞きました。この現象についてあなたのご存じのことを教えてください」
「声から色って?」「同じ色? 何のことでしょう?」安生とウトガルドが同時に問いを投げる。
沈黙ののちに、ミューシャが語り始めた。
「お話しするのは、あなたたちをお招きした理由と協力のお願いなのですが、どちらも英子さんの質問への答えが前提となるので一緒にお伝えしましょう。その前に英子さんの視覚を混乱させないようにフレイの効果を打ち消します」
英子に見えていたミューシャの声の色が消えた。
「あなたに見える声の色は、私達が『アンブロシア』と呼ぶ物質に反応した生物が発する特殊な精神波『エッダ』なのです。
アンブロシアは摂食者に超常的な効果をもたらす希少な生体触媒物質でこれまでいくつかが発見されています。フレイはドローミのアンブロシアで私達に不老長寿をもたらします」
「私達ドローミは、地球とグレイプニルの交流を、注意深く観察していました。そして地球のシナモンがグレイプニルに強烈な攻撃性と活力、食欲を喚起することを知りました。正確な分析はまだ終わっていませんがグレイプニルにとって地球のシナモンはアンブロシアと思われます。そしてグレイプニルにシナモンを提供した英子さんがエッダを検知する可能性に気づきました。しかし適切なワームホールがドローミと地球の間に開いていなかった為、先ごろやっと地球と接触することが出来ました。そして、先日の国連ビルの会議にて外交使節の一人にフレイを服用させて、あなたの能力を試しました。結果はご存じの通りです」
口うるさいウトガルドと安生が一言も発せずに大人しくミューシャの言葉を聞いている。かなりの衝撃をうけているようだ。
「英子さん、あなたは私たちドローミが長い間探し求めて、ついに見つけたエッダの検知者、『ミーミル』なのです」
ミューシャ女王の話が唐突過ぎて、英子は理解するのに時間を要した。自分なりにたどり着いた結論を言葉にしてミューシャに返す。
「それでは……私たちを、いや私をここに呼んだのは、そのミーミル?としての力を借りたいということでしょうか?」
「その通りです、英子さん。地球とドローミの間のワームホールはまだ安定していません。今回のルートを逃すと地球時間で2年は接触ができない状況でした。
それが不法行為と知りながら、あなた方を無理やりお連れした理由です」
ミューシャは、理由に続けて、英子達への願いを語る。
「ここからは、私の推論と希望が混ざっています。一つの可能性として聞いてください。
グレイプニルとドローミは対立していますが、元来は一つの世界から分かれた二つの異なる生態系ではないかと私は感じています。グレイプニルは丈の低い草原だけの環境に主に哺乳類が生息し、ドローミは丈の高い樹木と昆虫類の世界です。豊かな生物相を誇る地球と比べると、どこか生態系の一部を切り取ったような印象が否めません。どちらの星も地球の暦に換算して数千万年より前の地層から生物の化石が発見されていない。過去に地球で発生したカタストロフの際に、地球から宇宙に撒かれた生命の種子が長い時を経て星間航行種族に発展し、ほぼ同じ時期に再び地球を訪れたというのは考えすぎでしょうか?」
「ドローミの情報網は、銀河中央の戦乱が日増しに激しくなってきたことを掴んでいます。そのような勢力がこの星域に食指を伸ばす前に、私たちは互いの持つアンブロシアを通じて強く結びつき、戦いよりも幸福と繁栄を享受する世界を目指すべきだと考えています」
「そして英子さんにはその力で幸福と繁栄をもたらす新しいアンブロシアを見つけて欲しいのです! ドローミで、グレイプニルで、そして地球で!」
ミューシャ女王の願いは、英子達の心に感動と大きな疑問を投げかけた。“私達にそれができるのだろうか?”と。
**
巨大な赤い恒星が、地平線を巡りいつまでも沈まないこの星の黄昏を、英子はミューシャの宮殿の居室から眺めていた。
ウトガルドと安生は、妙に意気投合して2人で宮殿の周囲を散歩方々、探索に出ている。
“信じられないくらい綺麗だけど、とても寂しくて物憂げな感じがする。先ほど聞いたドローミの寿命のせい? 全員がクローンなんてまるでソメイヨシノみたいだ”
英子はミューシャから、現存する全てのドローミが接ぎ木のような単為生殖により生まれたクローンであり、有性生殖を引き起こすアンブロシアが発見されない限り種族としての寿命が永くないことを知らされていた。
「私に新しいアンブロシアを見つけるなんて本当にできるのかな? 全然自信がないよ。シナモンだって偶然だったし……」
傍らで安楽椅子に腰かけて英子を見つめるミューシャに弱音を吐いた。
「地球の暦で数千年生き間もなく終末を迎えるこの私が、伝説のミーミルのあなたに今出会えたこと、運命だと感じています。あなたにこの星の運命を託します。あなたが希望なのです」
ミューシャは椅子から立ち上がり、英子を抱きしめた。英子の目からは不安と責任の重さから涙が溢れた。
“やれるところまでやってみよう! ここまでこれたのも奇跡なのだから”ミューシャと抱擁しながらそう呟いた。
**
英子はグレイプニルの首都ニヴルヘイムの三星系連合本部ビルの事務総長室から、この星の蒼い黄昏を見つめていた。
ドローミ滞在中に、英子はウトガルドと安生を実験台にいくつかのアンブロシアを見つけていた。地球人の癌の特効薬だが70歳以上には効果のないチュール、グレイプニルに若返りを持たらすフギン、地球人を一時的に超人的な戦士にするエイトリ、グレイプニルに超感覚をもたらすマグニなどで、3惑星間のアンブロシア貿易は大きく拡大する。そしてその中心で常に活躍していたのが地球ではEIKO Corp.であり、グレイプニルではウトガルドの親族企業、ドローミでは女王直属の外交使節を中心とする組織だった。
アンブロシア貿易の隆盛の陰で、英子はミューシャ女王に頼まれたドローミの種族延命に効果のあるアンブロシアを地球とグレイプニルの領域で探し続けたが、今に至るまで見つかっていない。
経済的な繋がりを強めた地球、グレイプニル、ドローミは、3種族の経済と政治を統合・調整する組織として三星系連合を設立することにした。
三星系連合の本部は、地球とドローミとほぼ等距離にあり、ワームホールのルートが多数開設されているグレイプニルで早期に決着した。
事務総長の人選は難航した。グレイプニル、ドローミの双方が自国の人物を強く推して拮抗していた。
自国以外から選ぶとしたら誰が望ましいかのネット投票で、グレイプニル、ドローミ共に英子が一位だったことが呼び水となる。
英子が、両国の圧倒的支持で、地球政府の推す米国大統領を押しのけて初代の事務総長に就任し、グレイプニルに赴任したのはつい先月のことだった。
安生は「商売より、政治的なことの方が面白そうや!」と英子について事務局のそれなりのポストについた。英子の七光りと言うこともなく結構活躍している。本当に政治的なことが向いているようだ。
EIKO Corp.は福山が社長、山本が副社長で順調に業績を伸ばし続けている。英子達のストックオプションは、いつ辞めてもかなり裕福な生活が実現できる金額となっていた。
ウトガルドは、事務総長選に敗れたグレイプニル現大統領の後釜を狙って立候補するようだ。応援を請う長々しいメッセージが英子達に届いた。
**
英子は、事務総長室のデスクで先日、山本から送られてきた第2子誕生のビデオメールを見ていた。
“本当に絵に描いたように幸せな家族だよ。いつの間にか三星系連合の事務総長になっていたけれど……それって本当に私にとって幸せな生き方なのかな? 安生やウトガルドはここのところ水を得たように生き生きしている。でも私にはそこまでの気持ちは起こらない。今はミューシャの気持ちがよく判る。彼女にもう一度会いたい……”
「英子! 入るで」安生が相変わらずノックなしで部屋に入ってきた。
「安生、親しき中にも礼儀ありよ。ノックしてちょうだい」
「なんや、元気ないな! 山本からのメールでも見てたんか?」
「それだけではないけどね。あなたのこの入り方、覚えがある……もしかして?」
「勘がええなあ! ビルの外、見てみい! ミューシャの言ってた銀河中央の覇権種族様のご到着や! ヴァンちゅうてたで!」
壁面のシェードを解除して見たいつもの蒼い空は、見たことのない数の宇宙艦艇に埋め尽くされていた。
“三星系連合の防衛網に検知されずに、ここまでこの陣容で侵入できるなんて……テクノロジーのレベルが違い過ぎる。戦うまでもない”
この日、グレイプニル、ドローミ、地球のそれぞれの首都に同時に襲来したヴァンの『覇権艦隊』は、目論見通り三星系連合の反抗意欲を戦わずして打ち砕いた。
**
ニヴルヘイムの三星系連合本部ビルの上空に浮かぶ、ヴァン覇権艦隊の旗艦、クヴァシルの巨大な船室にて、三星系連合の要人とヴァンの司令部による交渉が始まっていた。三星系連合側の出席者は、各国政府の要人と三星系連合本部の英子達、ミューシャ女王は体調不良の為に欠席、グレイプニルの大統領に選ばれたばかりのウトガルドが憤懣やるかたない表情で参加している。
「お前たちの選べる道は3つ、戦って滅びるか、この星系を解体しヴァンの隷属民として銀河中央に移住するか、我々を満足させる至宝を提供しその価値に見合う待遇を受けるかだ。最後の条件は儀礼的に追加されたもので実現した例はない。要するに滅びるか、絶対服従するかだ!」
ヴァン覇権艦隊の司令官からの通告は苛烈極まりないものだった。
三星系連合側は3番目の条件に生き残る僅かな可能性を求めた。三星系から提供できる至宝と思われるものを列挙したが、テクノロジーにおいて格段の開きがあるヴァンの興味を引くものはなかった。
休憩時間に、英子は控室で量子もつれ通信を使ってドローミ星のミューシャと連絡を取っていた。
「ミューシャ、ヴァンにこれまでに発見したアンブロシアと私がそれを検知できるミーミルであることを告げて、今後発見できるアンブロシアが彼らにとって至宝になりうる可能性を伝えようと思います。あなたの意見を聞かせて?」
「……」ミューシャからの回答はなかなか届かない。
「英子さん、三星系連合が第3の道を勝ち取るにはそれしかないと私も思います。ただ、その場合のあなたのこれからの人生は厳しく危険なものになる。最悪、ミーミルを人工的に作り出す為のモルモットにされるかもしれない。私はあなたを友人と思っています。だからあなたにその道を薦められない」ミューシャの苦しみが伝わってくるような回答だった。
「ミューシャ、あなたの言葉で決心がつきました。先日、私の友人に子供が生まれました。その子が生きて、奴隷ではない生活を送る可能性が少しでもあるのなら、私の身の危険なんて、安いものです。ミーミルとしてヴァンとともに銀河中央に行きます」
「英子さん……、あなたの決断に敬意を表します。私も銀河中央にお供します。そして残り少ない命ですがあなたの盾となりましょう」
「ミューシャ、ありがとう……」そこから先は感情が昂って言葉にならなかった。
安生が息を切らして、英子の控室に駆け込んできた。
「ここにいたんか英子! いろいろ調べたで、金も仰山つこうてな! ヴァンはな、銀河中央の5大軍閥の一つやけど、偉そうにしてるが実は最弱らしいで! この星系を滅ぼすより利用できるものを探してそうや」
「ありがとう、安生、その情報で私も自信をもってこれからの会議に臨める!」
英子は、固い決意を胸に控室を後にして会議場への道を歩んだ。
激論の末に、英子の主張が認められ、三星系連合はアンブロシアを探索しヴァンに供給することを条件に存続することとなった。但し価値あるアンブロシアが期限内に発見できなかった場合、星系の解体と銀河中央への隷属民としての移住が実行される留保付きだ。
三星系連合の自治を許す為の条件して、ミーミルである英子と、各国の政府要人はヴァン主星トラントへ強制移住させられることとなった。病気療養中のミューシャ女王は、当初は免除されていたが自ら志願して移住に参加した。
**
英子は、銀河中央の5大軍閥の一つヴァンの主星トラントの宇宙空港にいた。
軌道上から見たトラントの表面は全て人工物で覆われており、人工の惑星のような印象を受ける。
護衛兵に囲まれて検疫施設に向かう英子の隣には安生の姿があった。
「お前がおらんとつまらんから……わしも一緒に行ってもええよ?」
英子の強制移住が決まった日、同居しているコンドミニアムの一室で安生から英子はそう告げられた。
「クックナウの全国大会でウトガルドから助けてくれた時、実は知ってたんでしょ?」英子は長い間心に秘めていた疑問を口にする。
「何を?」
「グレイプニルに振り払われたSPが亡くなったこと、グレイプニルを怒らせるととても危険なこと」
「よく覚えてへんけど、なんでそう思うん?」
「一番最初に、シナモンハンバーグ作った時、そのニュース見てたから……」
「まあ、そうかも知れへんけど、忘れたわ!」
「もう、ええ格好しいなんだから!」
“二人だったら何とかなるかもしれない”と英子が思った時、
「まあ、二人だったら何とかなるやろ!」安生の同じ思いが聞こえた。
空港の広いロビーの端から大きな獣が手を振って近づいてくる。
「英子さん、お元気でしたか! またお会いできて大変嬉しいです! 安生さんもね」
「相変わらずやねウトガルド、取り巻きとか言わないところは進歩したんやね」
「何を訳のわからないことを言ってるんですか。この人は!」
「ファーストレディは一緒やないの?」
「銀河中央に永住と聞いた日に離婚されましたよ! 知ってて言いましたね!」
安生とウトガルドが些細なことから口喧嘩を始めた。
「やめなさいよ、二人とも」英子が間に入っても止まらない。
「英子さん、安生さん、ウトガルドさん、お久しぶりです。ドローミにお招きして以来ですね」
遅れて到着したミューシャが合流した。やせ細っていたけれど、前より美しくなったように英子には感じられた。
「ミューシャ女王、あい変わらずお美しい! ご同行できることこれに勝る喜びはありません。ご不調とお聞きしましたがお体は大丈夫ですか?」
「本当、姫はいつも綺麗やね。また姫と一緒に行けてめちゃ嬉しいで!」
“私が止めても聞かなかったのに、あきらかに態度違うよね! まっ、いっか!”
「ミューシャ! 会いたかったよ!」英子はミューシャの体を気遣いながら彼女を抱きしめた。そして4人が再び揃ったことをとても嬉しく感じていた。
**
トラントの宇宙空港で4人が揃った日から、ほぼ1世紀が経過していた。安生は今、銀河帝国の首都星フォルセティのサンスーシ宮殿にて行われる新皇帝の戴冠式の開始を、貴賓席にて待っていた。
“あれからいろんなことあったで。ドローミを救うアンブロシア、エイルを探しに砂漠の星スクリューミルで古代竜ファジル乗ったのは楽しかったな。落ちるとか言って怖がるウトガルドをみて英子が大笑いしてたの覚えてる。ミーミルを公表してからいつも緊張しとったから、あんな開放的な気持ちは久しぶりやったんやね! ミューシャが最後に付きおうてくれた探索でエイルが見つかってほんまによかったで。あれで新世代のドローミが生まれだして間もなくミューシャは逝ってもうたからな”
安生は貴賓席の少し離れた場所に座る、ドローミの若い女王、ミーシャ・フレイを見つめていた。
“ほんまにドローミは喋らんと区別がつかん! ミューシャ言われても納得したやろ!”
帝冠を携えて待つ法王の正面の扉が開き、新皇帝が姿を現した。
“5大軍閥で最弱のヴァンを、最大の軍閥に押し上げたのは、ワームホールを自在に作れる強力なアンブロシア、サーガやったな。どんな奇襲もできるんやから当然と言えば当然やけど”
新皇帝が戴冠式の祭壇に近づいてくる、逆光で見えにくいが地球人の女性であることは判る。
“サーガで戦乱が激化したのが英子にはこたえてたな。次に探しに行ったのが人の心の苦しみを取り去り、邪悪な思い封じるアンブロシア、ニルヴァーナやったしな”
法王の前にたどり着いた新皇帝は被っていたローブを外してその容貌を銀河全体に見せる。そして跪いて冠が頭に戴かれるのを待つ。
“ニルヴァーナ使って好戦的な軍閥指導者を片っ端から改心させよったな。あれで大分、平和になったで”
「“食べたいくらい可愛い地球Girl”と呼んであげた頃と変わらず、いつまでもキュートで若々しいですね」
ウトガルドがいつの間にか安生の背後にいて、そんなことを囁いている。
“それ考えたのやっぱりあんたか! ウトガルド、センス悪いにも程があるで!”
法王からの戴冠の儀式が終わり、新皇帝英子は立ちあがり正面を向く。背後に新皇帝の紋章が刻まれた垂れ幕が下げられた。
“わしに秘密にしてたのはそういうことなんやね! そこから全てが始まったしな!”安生が苦笑する。
紋章は互い違いに向き合う2本の茶色のスパイスの小瓶、シナモンとナツメッグ、そして周囲を取り囲む円形の帯には、3星系のそれぞれの言葉でスパイスと記載されていた。
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