神の不在は、滅亡への道ゆきなりや

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梗 概

神の不在は、滅亡への道ゆきなりや

◎大正5(1916)年、福島から上京した機械好きの少年は、飛行士となる志を抱き、日本飛行学校に入学。
 翌年、飛行訓練中の事故で墜死する。
 彼の名は円谷英一、享年16歳。

◆《其れ》は、1億年もの間、この宇宙に存在する、数多の知的生命体の文明を滅ぼしてきた。
 文明の息の根を絶つ「遊戯」の最終局面で、生命体たちが発する阿鼻叫喚を「聴く」のが、《其れ》にとっては何よりの「愉悦」だ。
 絶滅の方法は、なるべく迂遠な方がいい。その方が長い期間を楽しめる。
 《其れ》が、ここ1万年の間、「遊戯」を行う際に、凝っている方法は、その文明から一つの【概念】を奪うことだった。
 【概念】を奪い、生命体の文明がどう変わるのか、それとも変わらないのか、観察するのは楽しい。
 結局は滅ぼしてしまうにしても……。
 そのために《其れ》は時間を遡行し、その【概念】を生み出すのに、大きく貢献するはずだった「個体」の運命に干渉。その命を摘み取った。

◎もし夭折しなければ、円谷英一は後に映画界へ入り、「円谷英二」の名で、特殊技術撮影の道を極め、『ゴジラ(1954)』など数々の怪獣映画や特撮映画を手掛け、『特撮の神様』の異名を、世界に轟かすはずだった。
 後年、円谷がプロダクションを設立し、『ウルトラQ』『ウルトラマン』で、毎週、個性豊かな怪獣たちを、電波に乗せる未来も訪れなかった。
 「怪獣」という【概念】は人口に膾炙せず、人々が「怪獣」に思いを馳せることも、ついぞなかった。

◆《其れ》が、「遊戯」を始めてから、100年以上が経った。《其れ》は「仕上げ」にかかった。
 さて、この文明はどんな「悲鳴」を聴かせてくれるだろう。

◎「それら」は前触れもなく、地上に現れた。高層建築物に匹敵する、巨大な体躯を誇る生物群。
 「それら」が数十体、世界各地に同時に出現した。

◆勿論「それら」は、《其れ》が顕現させた「怪獣」だ。
 
◎「巨大怪獣」という【概念】を持たず、当然、それらが登場する映画なり、テレビ番組に、幼い頃から慣れ親しみ、娯楽として消費する経験も積むことがなかった人類。
 「現代兵器VS巨大怪獣」という思考実験をすることもなく、巨大怪獣が「特定の科学物質or高熱or低温or電磁波or高圧電流or蜂毒etc.に弱い」という「お約束」に触れることもなかった人類。
 そんな人類は、怪獣の出現に、右往左往するばかり。軍事力でも科学力でも、迅速かつ適切な抵抗をできないまま、随時、力を削がれていく。
 国家という単位が崩壊し、組織が瓦解し、集団が壊れ、最後に個人が消滅するまで、さしたる時は要らなかった。 
 人類文明が存続していたら、西暦2054年だった年に、地上から人類は消え去った。
 それは奇しくも、「特撮の神様」となるはずだった円谷が、早世しなければ「ゴジラ生誕100周年」となる年であった……。

参考資料
 『完全・増補版 円谷英二の映像世界』

文字数:1200

内容に関するアピール

 バカSFです。作中世界に『シン・ゴジラ』も『シン・ウルトラマン』も存在しません。

 日本の怪獣は、海外でも”KAIJU”として人気です。その怪獣を、広く世界に知らしめた人物
として、真っ先に名前が挙がるのは、円谷英二(1901-70)かと。

 もし彼が早世していたら? 

 映画やTV番組で「怪獣」が、日常に浸透しなかった世界に、もし巨大怪獣が出現したら?

 想定外の事態に、人類は冷静に対処できるのか?

 本作の準備稿を読まれた方からは

・世界中に竜と人が戦う神話がある。未知の圧倒的な存在の来訪を描いた物語なら『宇宙戦争』

『幼年期の終わり』等がある。

・よって「円谷なくして怪獣の概念は発生せず」や「人類にとって完全に想像外の存在が突如、

出現!」は無理筋では?

 という疑問を頂きました。

 私なりのアンサーは用意しましたが、梗概には入りきりませんでした。実作になら盛り込めるのにな~(チラッ)

文字数:388

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