ヘイ、アー・ユー・ハッピー?

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梗 概

ヘイ、アー・ユー・ハッピー?

始まりはジョークグッズだった。Are You ACTUALLY Happy?の煽りで医療系スタートアップ企業から発売されたアユハピは極細スワブで、鼻から採取した拭い液を別売のユアハピで測定すると幸福指数が算出できた。発売後すぐ忘れられたが、”あまり好きじゃないのバレた”と某インフルエンサーが投稿した二枚の画像がきっかけに再注目された。幸せそうに笑う彼女の隣には異なる友人がいて、画像に紐付けられた指数は桁が違っていた。徐々に”アユハピはガチ”という空気がSNS上で醸成され、開発者、ハンサムな医者だった、の次のようなプレスリリースが拍車をかけた。”スワブ先端の試液でドーパミンの代謝産物ホモバニリン酸濃度を測定しています”。全世界のユーザーが実証実験を行い、”アユハピはガチ”は遂にコンセンサスになった。幸福指数とSNSとの相性が最高、いや、最悪だったのは言うまでもない。マウンティングは熾烈を極めた。覚醒剤によるドーパミンの異常放出は真っ先に流行ったが、五桁は跳ね上がるのですぐ廃れた。幸福指数が幸福感より価値をもつようになるまで時間はかからなかったが、ドラッグによるドーピングは反則とみなされ、#NATURALHIGHが大流行した。世界中で極端な連中が現れ、アユハピを鋭利に加工し上咽頭を突き破ると自然な異常値を示すことを発見した。当初は中枢神経系に直接到達することでホモバニリン酸濃度が上昇してるかに見えるだけだと嘲笑されたが、実際は前頭葉背外側損傷による重複記憶錯誤症状が関連していると判明した。連中はができた。各々の(それらは奇妙に多幸的だった)はSNS上で夥しい量が共有され、それらから共通の要素が抽出され、特定の場所を示しているかのように連中にされ、遂に一本のピンとなって地図上に立てられた。極東の巨大温泉旅館、ハピハピ湯〜々。

WTF!俺の実家じゃん。

特定翌日、世界中から数千件の予約が殺到し、開店休業状態の湯〜々は週明け営業再開を発表した。宴会係を任された米国帰りの俺は、幼少期の甘い記憶が忘れられず、数百人の温泉コンパニオンをかき集めた。マスコミと野次馬もこのクソ田舎に押し寄せた。当日朝。暇を持て余したコンパニオンたちはなぜかサンバを踊り始めた。夕暮れ。お客様の大群の姿がやっと橋の向こうに現れた。約束の地だ!と歓喜の涙を流すお客様たちの右鼻にはアユハピがぶっ刺さったままだ。カーニバルの熱狂は最高潮に達し、大輪の花火が打ち上げられた。続々集結するお客様たちに湯〜々は数日で占拠され、日本国に対し分離独立を要求した。ドラッグ以外の全てがここにはあった。俺は初代の王として祭り上げられ、コンパニオンのひとりを王妃に迎えた。このマダムこそ、俺からファーストキスを奪った女性だった。

文字数:1200

内容に関するアピール

一つの嘘は「もしも幸福が正確に定量評価できたら」です。

当初の構想は人類が皆メタンフェタミンのジャンキーになり世界滅亡だったのですが、つまらないのでボツに。その後ユリイカの陰謀論号や謎のコンクリート仏師・福崎日精を追ったツイートを読み、ネットの集合知+陰謀論にたまたま巻き込まれる、というアイディアを思いつきました。なので主人公の実家が約束の地であるのは偶然です。それは陰謀論的世界観=偶然が失われる、の加速の果ての帰結であり、特定集団外の人々にとって必然性はありません。ちなみに重複記憶錯誤(Pick,1901)は実在する症状です。ラスト、カルト集団から王として祭り上げられるのはアリ・アスター『へレディタリー』から。舞台を田舎の温泉旅館にしたのは昭和の宴会の熱狂への郷愁(未経験)と笙野頼子のマスターピース『二百回忌』を久しぶりに読んだからでしょうか。

躁的に上昇し続ける実作を書きたいです。夏だし。

文字数:400

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ヘイ、アー・ユー・ハッピー?

やつらは幻覚剤に毒を入れ、そいつを独占しようとしてやがるんだ。化学製品抜きでトリップできる術を開発しろ。ウィリアム・バロウズ

 

 

“Are You ACTUALLY Happy?”

グリッターな映像に挑発的な煽り文句。アユハピの広告が最初にウェブ上に流れたのは夏だった。
 その夏は記録的な冷夏で、石油不足の影響で八月の自殺者数は過去最高を記録した。
 アユハピは黄色いスワブ型ガジェットで、それを鼻に突き刺すと「幸福指数」が算出される仕組みだった。最初は誰もがジョークグッズだと笑った。
 かつてのパンデミックで鼻の穴に棒を突っ込むことがセックスよりも身近になった人類は、医療系のスタートアップ企業ユアハピが発売したふざけた新製品の使用方法に特に抵抗を示さなかった。シュールなビジュアルも手伝って、発売直後は少しだけ話題になった。
 発売数カ月後には誰もがそれを思い出せなくなった。
 その年の冬は、ひどく寒い冬だった。何万人もが路上で凍死した。

 

老人はかつてティラニー・カルナ・カサブランカスと呼ばれていた。
 彼はいつしか戸籍上も名前を変えた。彼は自分の名前を忘れ、サンフェルナンド・バレーの住人たちは親しみを込めミスター・サンデイと彼を呼んでいた。
 ティラニーの父親であるジュリアン・カサブランカスは精神科医だった。元ヒッピーでありながら、アメリカと同じく共産圏からの洗脳という被害妄想に死ぬまで囚われ続けた。ある日、ジュリアンは幻影肢が消えない患者に新発売の幻覚剤、一般名リゼルギン酸ジエチルアミドLSD、を試してみた。すると、その薬は患者をすっかり白紙の状態へと戻してしまった。ジュリアンがした治療は「それは幻なんだ」と患者の耳元で囁くだけだった。
 やがてジュリアンはパーティーで民間人に無断でLSDを投与し集団マインドコントロールを試みて逮捕された。釈放後、「せめて、子どもだけでも」とジュリアンは決心する。共産主義者から幼い息子を守るために離乳食にLSDを混ぜた。
 母親がハンマーでジュリアンの頭蓋骨を砕き割ってからも、ティラニーの瞼の裏には極彩色の虹が架り続けていた。
 ティラニーは心理学を学ぶために教育学部に進学した。十数年後、市井のセラピストとしてケーブルテレビのインタビューに応じた彼は、「人間の幸福とはなにかを、真剣に証明しようとしていました」と感傷を込めて語っている。
 その胸いっぱいに希望と野心を詰め込んだ優秀な若者を待っていたのは、LSDから派生したニューエイジ思想と、そして相変わらずの精神分析だった。それらはどちらも幻を扱い、彼を幻滅させた。

 

スー・ミトコンドリア・シーはれっきとした本名で、彼女の父親が日本人だった昔の恋人が忘れられずにスー・シーと名付けた。
 そんなエピソードも手伝って出生時には全米一不幸な名前としてメディアを騒がせたが、十数年後には彼女の言動が何百倍もの人々を騒がせた。
 スー・シーを一躍有名にしたのは自作のダイナマイトで名前をからかった男子の家を爆破する動画だった。ダイナマイトに火をつけて「巻き寿司みたいね」と呟いて投げ入れる瞬間はあっという間にネットミーム化した。
 その後もリアリティーショウに出演したり、付き合ったラッパーが性転換したり、大統領の人種を間違えたりして、彼女は有名になり続けた。全米の若者たちのスー・シーの知名度は九割を超えた。
 リアリティーショウの出演中に番組の台本を暴露した頃から、一部のファンが「Honest Sue Shi スー・シーは嘘つかない」と言い出した。その符牒はキリマンジャロ事件をきっかけに全米に広まった。
 ホテルのベッドでウィック・キリマンジャロが死んだ時、容疑をかけられたのは隣で眠っていた彼女だった。
 彼女はウィックがヘロインの過量服薬で死んだと主張した。たしかにウィックの死後尿からはヘロインが検出されたが、スー・シーもかつてヘロイン依存症であったことを告白していた。
 局所的に#Honest_Sue_Shi🍣のハッシュタグ・アクティビズムもみられた。けれど子役あがりで清廉潔白なイメージのウィック(彼は反マリファナ・キャンペーンの広告塔までやっていた)と、方や冗談みたいな髪型と髪色をしたヘロインジャンキー疑惑のあるスー・シーとでは勝負にならなかった。
 彼女は「神様ごめんなさい。もうあらゆるドラッグなんて試さないって誓うね」という懺悔と共に一本の動画を投稿した。
 その動画にはセックスの最中にヘロインを静脈注射してハイになったウィックが、エクスタシーと同時に自分の首を強く絞めて絶命に至るまでの様子の一部始終が収められていた。止めどなく射精するウィックのペニスが彼の生命と共に萎れてゆく箇所が切り取られ、こちらも即座にネットミームと化した。
 法廷に現れた彼女は頭を丸刈りにして、頭皮には#Honest_Sue_Shiのタトゥーが彫られていた。彼女は見事に無罪を勝ち取った。
 それ以降、スー・ミトコンドリア・シーは脱ドラッグと正直さのアイコンとなった。
 そして誰もが忘れていたはずのアユハピを再発見したのが、彼女だった。

 

ティラニーは瞼の裏にいつも虹を幻視していたにも関わらず、眼前の現実以外のあらゆる可能性をまったく信じていなかった。無意識を措定する精神分析の理論からも、現実以外の可能性を夢想するニューエイジ思想からも、遠くはなれた場所に彼はいた。
 彼の関心の対象は脳科学とエルヴィス・プレスリーだった。とりわけ精神外科学の知見と、睡眠薬のオーバードーズで死亡する直前のエルヴィスが彼を夢中にさせた。
 父親は共産主義圏からの回し者だとエルヴィスを罵倒した。母親は、エルヴィスのある曲を逆再生すると悪魔崇拝のメッセージが隠されているという噂を耳にしてから忌み嫌っていた。
 彼の両親は息子が買ったエルヴィスの四十五回転レコードを粉々に砕き割った。
 クリスマスにエルヴィスのポスターを壁に貼るティラニーを、あなたはそうやってパパとママに復讐しているのよ、とフローディアンだった当時のガールフレンドが笑った。ティラニーは彼女をアパートから雪の夜に追い出した。
 ラスベガスのステージで白いライトに照らされるエルヴィスの孤独な姿を、ティラニーはビデオテープを何度も巻き戻して見続けた。そして、暗い寝室でひとり添付文書を一文字ずつ確認しながらリーガルドラッグに耽溺するエルヴィスの鼻歌を想像した。
 ふたつの地獄にいながらエルヴィスの歌声はいつも甘い。その歌声がティラニーに幸せの存在を確かに信じさせた。
 「私はエルヴィスから学びました。ドラッグも資本主義も人間を不幸にすると。同時に、エルヴィスは教えてくれました。この世に、幸福と呼ぶに足る状態は現にあると」。
 インタビューに応じたティラニーのオフィスの壁には『ザッツ・オールライト』のレコードが飾られている。それを指差し「エルヴィスのこの素朴な笑顔が、至上の証明でしょう」と彼もエルヴィスそっくりに笑う。

 

スー・ミトコンドリア・シーが投稿した二枚の写真には「ごめんね、みんな。そして神様。ときどき、こうやって幸せなふりをしちゃうの。でも、もう不可能ね。Are You Really Happy?」というコメントといつものハッシュタグが添えられていた。
 それぞれ異なる人物の隣に彼女はいた。どちらの写真の彼女もいかにも幸せそうにみえたが、その嘘を右鼻に刺さったアユハピが明らかにしていた。
 一枚目の彼女の隣りにいたのは幼馴染の親友で、二枚目の彼女の隣りにいたのはそれなりの友人だった。
 「別に、彼女のことが嫌いだとか、実は私のヘイターだとか、そんなわけでもないの」とその後のライブ配信で彼女はファンからの質問に答えている。
 「ただ、なんていうのかな。だって、いちばん厄介じゃない?それぐらいの関係性って。実際、さっき、ヘイターと一緒にいる時にも測定してみたの。中間の値だったわ。ヘイターはクソだけど、気楽だもの。あと、自分が出したうんこって、少し愛おしいでしょ?」
 「そういう、複雑さ。人間の複雑さ、不可解さに、私たちはずっと頭を悩まされ続けてきた。大好きな恋人とのおなじみのメイク・ラブと、行きずりの相手との一夜限りのセックス。どっちが幸せなのかわからなくて、私は何度も間違いを重ねてきた」
 「人間は本能が壊れた動物なんだって、貰った本に書いてた。今ならちょっと分かる。私たちは幸せになるために曲道ばかり選んでしまう。アユハピがツイストした本能を真っ直ぐにしてくれる予感がするの。犬や猫のように」
 「こんなシンプルなガジェットなのにね。みんな、これは偉大な発明よ。使い方は、いまさら言うまでもないか。ラリって使っても奥に行きすぎないように安全弁も付いてるわ。名前がついてるの、ええっと、ファンタスム」
 「解放された良い気分よ。明晰にできることは、できるだけ明晰にしたほうがいい。それが幸せみたいな、ギリシャ時代からの人間の秘密だったとしてもね」

 

ティラニーは明晰さに拘泥した。
 脳の各領域を情報処理機械として把握し、はじき出された値の計算によって快も不快も明晰に把握される。彼はそう確信していた。だから当時下火となっていた神経心理学の道に進むことに迷いはなかった。
 ”脳の異なる領域が異なる精神機能をそれぞれ担う”とする脳の局在論の起源は古くはデモクリトスまで遡り、一九世紀にブローカーが”我々は左脳で話す”と宣言することで局在論は神経心理学という学問として体系付けられた。ウェルニッケ、エクスナー、リープマンなどがブローカーの後に続き、神経心理学は失語症を中心に発展した。六〇年代になると分離脳の研究などが臨床でも華々しい成果をあげた。
 しかし、ティラニーが大学時代を過ごした八〇年代には神経心理学はすっかりその勢いを失っていた。
 専門分野を神経心理学に決めたことを報告しにやってきた特待生を、当時の教授は蔑んだ。
 「神経心理学はトラウマ患者のようなものだ。ロボトミー手術の失敗を無意識に抑圧して、まるでなかったことのように振る舞っている。聡明なティラニー・カサブランカス。君がここで話してくれた関心が、容易に精神外科学に結びつくことを今更この場で指摘しても仕方あるまい。言うまでもなく、それは神経心理学のトラウマを暴く作業だ。情熱だけが取り柄の未熟な分析家が、患者のトラウマを下手に扱ったらどうなると思う?」
 「トラウマの顕在化、でしょうか」
 ティラニーはつとめて冷静に答えた。
 「クライエントは、さして変わらんよ。問題は分析家の方だ。分析家にトラウマが逆転移する。忠告しておこう、君はいつか亡き者となった精神外科医の欲望を自分自身の欲望として抱え込むことになる。賢明な選択肢は二つある。今からでも素直に脳外科医を目指すか、それとも教育分析を受けるかだ」
 ティラニーはどちらの選択肢も選ばず、そして優れた分析家だったその教授の忠告は誤りだった。

 

スー・シーのフォロワーだけでなく、全世界でアユハピを用いた実験が行われた。その様子が続々とSNSで共有され、何をすれば幸福指数が上昇するのかが次々に同定されていった。
 それら結果が妙に腑に落ちるものだったから、アユハピはリアル、という空気が着実に醸成されていった。
 発売から一年近く、奇妙に沈黙を貫いてきたユアハピの創業者、ワーノック・アラム・ラリーズ(頭文字をつなげるとWARになる。彼は周囲に自らをウォーと呼ばせていた)のアカウントの発言が再開したのも同時期だった。
 ウォーによると幸福指数とは「特殊な試薬で測定したドーパミンの最終代謝産物であるホモバニリン酸濃度を反映」しており、『本能が壊れた動物諸君へ』と題された挑発的なプレスリリースには複数の医学博士による長大な解説も添付されていた。
 匿名ユーザーがウォーに「”戦争の親玉”は誰?Who is Masters of ” WAR “」と質問した。
 「混沌、またはテストステロン」と彼は答えた。
 他の誰かもウォーに「どうして今まで黙っていたの?」と質問した。
 「釣り糸を垂らすように、じっと待っていました。時代の無意識がこの発明をキャッチするのを」と彼は答え、「精神分析は人間については既にファッキン時代遅れですけどね」と付け加えた。

 

ワーノック・アラム・ラリーズは今も昔も少女のような顔をした強靭な自我の持ち主で、セラピストの両親から生まれた。
 十四歳の頃にウォーは突然神経症となった。先端が尖ったものに触れられなくなり、目を保護するためにゴーグルを手放せなくなった。フルフェイスのヘルメットを被らなければ眠ることができなかった。
 向精神薬も、両親の手厚いカウンセリングも、彼を治癒しなかった。精神分析を受けるために分析家のオフィスの扉をノックしようとした直前に、彼の神経症は突如消えてしまう。
 あなたの強い自我が無意識に打ち勝ったのよ、と両親は彼を抱きしめた。
 それからウォーは精神科医を志し、それは容易く叶った。
 臨床医としての彼が最終的に選んだ手段は薬物療法でも心理療法でも精神分析でもなく、ニューロモデュレーション神経調整療法だった。特に手術によって脳深部に電極を埋め込み、体外から神経刺激装置で大脳基底核を刺激する脳深部刺激療法DBSを彼は専門とした。けれどDBSはうつ病や統合失調症などの精神疾患に対して適応が認められていなかった。
 ウォーは適応のない患者にDBSを導入した罪で逮捕され、病院から追放された。医師免許の剥奪は首の皮一枚で免れた。電極を埋め込まれた患者の大半が抑うつ症状や幻覚妄想症状の改善を認め、カリフォルニア州に請願書を提出したからだった。しかし、彼は臨床の現場には戻らなかった。
 レトロスペクティブには、ワーノック・アラム・ラリーズの関心はこの時点で奇妙に枝分かれしたようにみえる。
 精神分析理論のアップデート、そして脳の状態の定量的なモニタリング。
 失業中のある日の午後。大学図書館の書庫の隅で埃を被っていた過去の研究報告書の束から、たまたま手を伸ばした学生論文が彼に霊感を与えた。
 論文の最後のページをめくって、彼は再び表紙へと目をやった。
 筆頭著者の名前を確認する。ティラニー・カルナ・カサブランカス、と書いてある。

 

加熱するアユハピブームに乗じて名前を売り出そうと、有象無象のインフルエンサー・ワナビーがアユハピを使った動画をアップした。
 次第にドーパミンを放出するための手段を選ばなくなった。動画の内容はどんどんエスカレートしていった。自作した銃で学校を襲撃したり、見境なく交通人をぶん殴ったり、命を危機に晒すセックスをしたり、そういった反社会的な行為はたしかに幸福指数を増加させたが、次第に数値は頭打ちとなった。
 そして極端な連中が手を出したのがメタンフェタミンだった。
 たしかに、ドーパミン異常放出のおかげで幸福指数は五桁以上跳ね上がった。同時に誰の目から見てもそれは明らかにやり過ぎだった。数値と同様に、身体も、文字通り跳ね上がっていた。配信中に大量のメタンフェタミンを静脈注射し、歴代最高の幸福指数を記録した若き大富豪の全身があらぬ方向へと捻じ曲がるのを世界中の人々が目撃した。
 行き過ぎた幸福や快楽は痙攣のかたちとなって身体にあらわれる。
 だから、ドラッグを使用した幸福指数の追求は禁忌とされ、#NATURALHIGHと共に(市販の薬物検査キットの結果を添える、安全弁ファンタスムを超えない、なども後に追加された)指数をSNS上で公開するのが大多数のルールとなった。
 アユハピが幸福を裏打ちするまでそれほど時間はかからなかった。人々は幸福指数を、適度に逸脱した幸福指数を、追い求めるようになった。

 

そんな中、ある無名の日本人がアップロードした動画がゲームチェンジャーとなった。
 吉里吉里吉里吉きりきりきさとよしの「アユハピを鼻に突っ込んだままエモい場所でチルしてみた@沖縄」は公開直後はまったく注目されなかった。その二時間超の動画は各スポットで撮影されたハンディカメラ映像をぶつ切りに繋いだだけの拙い編集で、「ラブ・ミー・テンダー」を無断で使用したために一旦は削除された。
 吉里吉里吉里吉が図らずも革新的だったのは、再アップロード時に撮影クルーでもある旧友たちとアユハピを鼻に刺したまま”わちゃわちゃ”(日本ではこの言葉は広く使われていた。動画が二億回再生を突破した頃には”wacha watcha”として英語圏でも借用された)としたビジュアルコメンタリーを追加したことだった。
 興味深い現象が観察された。#NATURALHIGHでの当時世界最高記録が、ビジュアルコメンタリー中の吉里吉里吉里吉のアユハピに記録されていたのだ。それは現場とバーチャルを比較すると幸福指数は現場に軍配が上がるという仮説にも反していたし、その瞬間がわちゃわちゃが一段落ついて凪のような時間中だったこともコントラバーシャルだった。
 動画は繰り替えし再生され検証され、ふたつの結論が得られた。
 ひとつは、「現実を繰り返し再体験すること」による幸福感の目減りはごく軽度、あるいはセッティングによっては上昇する場合もある、ということ。そして、なにより重要だったのは、ドーパミンに対するセロトニンの優位が実証されたことだった。
 ドーパミンを理想的に逸脱させるにはセロトニンをかませる必要があることを人々は学んだ。

 

その結果はウォーにとっても想定外だったらしく、彼は印象的な投稿を残した。
 「暴力ではなくチルが、勝利ではなく友愛が、屹立ではなく液状化が、人間を満足させるなんてね。ホーリー・シット」
 麻痺より手前の快楽で、競争より手前の協働で、革命より手前の改革で、略奪より手前の共有で、熱狂より手前の微熱で、ナンセンスより以前のユーモアで、彼岸より手前の此岸で、立ち留まること。すべては幸福指数のために。
 それまでアユハピに否定的だった人々の価値判断の正しさまでアユハピは根拠付け、取り込んでいった。その中にはミスター・サンデイ、そして彼のもとに集まるサンデー・ピープルも含まれていた。
 結婚式では新婦が”Hey, Are You Happy?”の合図とともに新郎の鼻にアユハピを突き刺すことが恒例となった。恋人たちは自分たちの愛がずっと続く宝物なのか、それともつかの間の喜びなのかを確かめる方法を手にしていた。
 けれど、永遠の愛を誓うために新郎が新婦にダイヤモンドの指輪を贈る風習は少しも揺るがなかった。
 その頃にはスー・ミトコンドリア・シーはアユハピにはすっかり飽きて、ドラッグにまた手を出していた。
 それから彼女はダイヤモンドブランド”HUMAN🍣NATURE”をプロデュースし、世界的な大成功を収め、アメリカ最年少のビリオネアとして資本主義の頂点へと上り詰めることになる。

 

ティラニーは大学を中退し、法律上も名前を変えて保険会社に就職し、セラピストとして活躍した。その経緯については伝記作家であるアルバート・ゴードンが著した『日曜日よりの使者Messenger From Sunday』に詳しい。

”いよいよ研究室から怒鳴り声がして、下着姿のブリジットは白衣だけ羽織ってロッカールームから現場に駆けつけた。扉を開けるとサンデイとフィリップが机を挟んで向かい合っていた。気狂いめ。フィリップが忌々しそうに吐き捨てた。サンデイは涙を流していた。彼が泣いているところを見たのは、ブリジットもフィリップも初めてだった。ふたりの短い蜜月が終りを迎えたことが秘書にも分かった。翌日の彼はいつもの彼だったと、対応した学生課の職員が証言している。彼が本名を署名したのはその退学届が最後となった。”

”ビル・ウィザースの「ラヴリー・デイ」がぴったりな驚異的な晴れの日に、サンデイは次々と扉をノックして歩いた。「あなたの命を救います。もちろんあなたの家族も」。エアバッグを売りつけることに躍起になりながら、彼は顧客たちの透明な不安の正体について考えを深めていった。”

”「せめて、子どもたちだけでも、まずは」と彼は町役場にかけあった。”

”当初は日曜日だけの私設セラピールーム「サンデイ」が設置されるには、それから半年もの時間がかかり、最初のクライエントがドアをノックするまで更に半年を要した。その親子に彼は忠告した。あなたがフロイトを信じているのなら、ここから立ち去りなさい、と。そしてその親子こそが最初のサンデイ・ピープルだった。”

”その日々はおそらく、サンデイにとって最も穏やかで幸福な時間だった。平日の彼は保険のセールスマンとして資本主義固有の病をせっせと感染拡大させながら、週末になれば子どもたちとピクニックに出かけたり、育てた果物を採取したりして過ごした。(それはセラピーではなく、レジスタンスだった、とサンデイは振り返って述べている)サンデイは子どもたちが薬を飲まないことを怒りもしなかったし、特に褒めもしなかった。彼の教えはたったみっつだった。「幸せは皆でシェアすること」「この現実を手放さないこと」「見えないものを信じるな」。”

”サンデイ・ピープルの胸には太陽を象ったイエローのバッジが輝いている。”

 

ある雨の日の午後。注文した大量のアユハピに混ざって大きな封筒がオフィスに届けられた。封筒の中央はズボンの下の男性器のように膨らみ、宛名には「親愛なる記憶喪失者へ」と書かれていた。
 サンデイは裏返して差出人を確認する。ワーノック・アラム・ラリーズ、と書いてある。

 

このたびは弊社アユハピをご購入いただき、誠にありがとうございます。
 この手紙はダイレクトメールではありません。この手紙は小説家へのファンレターとか、そういった類のものです。

私はユアハピの創業者、ワーノック・アラム・ラリーズ。あなたがミスター・サンデイと呼ばれているように、私もウォーと呼ばれています。(あなたのように自分の名前を本当に忘れてしまったわけではないけれど。どれだけ腕利きの探偵でも、記憶喪失者を探すのは非常に骨が折れたそうです。)

本題に入る前に昔話をさせてください。
 私はかつてサンフェルナンド・バレーの病院に医師として勤めていました。御存知の通り、カリフォルニア州ではモルヒネの使用が禁止され、痛みに耐えきれない患者たちが州を移動する光景はすっかり日常になりました。
 ”現実を見納めなさい”というあなたの言いつけ守って、最期までいかなる麻酔や幻覚剤の使用を拒否したある年老いたサンデイ・ピープルの死は、私たちスタッフに敬虔な気持ちすら抱かせました。癌細胞は腹膜全体に播種し、彼の苦痛は想像を絶するものだったでしょう。にもかかわらず、今際の際に彼は幸福な笑みを浮かべ、その人生は見事に幕引きされたように見えました。

私は死後間もない彼の鼻腔から粘液を採取しました。
 当時の私には画期的なアイディアがあり、それを現実化させることに必死でした。あなたとフィリップ・ジャクスン・シニアが書いた論文、『ペルオキシダーゼ反応発色試薬によるホモバニリン酸の測定、並びに体液中ホモバニリン酸濃度等を指標とした神経衰弱者の経過類型別反応についての研究』が私に大いにインスピレーションを与えました。
 結果、老人の推定ドーパミン量はメタンフェタミンやヘロイン使用時とほとんど遜色なかった。彼の脳内ではエンドルフィンが過剰分泌されていたのです。
 つまり、死にゆく彼がみていたのは現実ではなく多幸的な幻覚だった。

私はあなたの誤謬を咎めるために、この手紙を書いているわけではありません。
 私はサーフェスな領域ではあなたと考えを異にしますが、ディープな領域では、トラウマの痕跡が残る深度では、分かちがたく繋がっていると感じずにはいられません。

トラウマなんて文字を目にしたら、あなたはこの手紙を破り捨ててしまうかもしれません。
 けれど、あなたも、そしておそらく私ぐらいまでが、最後の古い人間、つまり精神というソフトに精神分析が有効だった最後の生き残りではないでしょうか。
 デジタルガジェットの爆発的な普及が人間の精神を一気にアップデートし、動物化させました。間主体的に入り組んだ人間的な欲望ではなく、目的と手段が一対一に対応した動物的な渇望が今や人間を突き動かしています。
 精神における無意識の領域が急激に狭くなっている。いくらフロイトでもチンパンジーをカウチに寝転ばせて自由連想をさせようとは考えなかったでしょう。
 動物化を行き着くとこまで加速させるとどうなるか?それを知ろうとするのが私のサーフェスな欲望でしょう。
 無意識の領域がゼロになった瞬間に、その空洞に一体何が流れ込んでくるのか?
 ”それ”に対して有効な新しい精神分析理論を私たちは導けるだろうか?とかね。

けれど、私とあなたの深層はきっと脳を欲望している。
 私は脳のモニタリングをこえて、脳をチューニングしたいのです。

『経眼窩式ロボトミーの術式を応用した脳室液内5-ヒドロキシインドール酢酸濃度測定の方法について』

あなたとフィリップ氏が共同研究し、あなたが書いた考察部分に激怒したフィリップ氏によって闇へと葬られたこの論文を、私は図書館の最深部からすくい上げました。
 この論文、論文と呼ぶにはあまりに文学めいたテクストのあちらこちらに、表層まで突き出した経眼窩式ロボトミーという文字列よりもずっと明け透けに、あなたの欲望が頭をもたげています。
 あなたの友人と世界がこのテクストを抑圧したと同時に、あなたは自分の過去を抑圧した。
 私があなたを記憶喪失から目覚めさせる。

それが、この手紙の第一の目的。

グッドモーニング。ティラニー・カルナ・カサブランカス。

 

 

一枚目の手紙はそこで終わり、かつての自分が書いた論文が同封されていた。
 それを読み終えて、ティラニーは二枚目の手紙へとすぐに手を伸ばした。そのときには何もかも思い出していた。

 

さて、ここからはビジネスの話です。
 ビジネスとは言っても、あなたのアイディアは特許申請されていないので、本来あなたの許可を得る必要はありません。
 けれど、私はあなたのファンです。だから、あなたの許可とアドバイスを必要としています。

それがこの手紙の第二の目的。

あなたの時代から現在に至るまで医療現場では5-ヒドロキシインドール酢酸によるセロトニン濃度の測定には髄液を使用しています。しかし、御存知の通り、セロトニンは血液脳関門を通過しないため中枢神経と末梢臓器とでは濃度が大きく乖離してしまいます。
現在のアユハピのメインユーザーたちはドーパミン以上にセロトニンの増大を、彼らの言葉を借りるなら適切な異常値を欲望しています。(地球上でヒトとボノボだけがセロトニンを重視することを、私はあなたの論文で知りました)

 私は彼らのその欲望を加速させたい。
セロトニンを加速させることで、ふたたびドーパミンへと漸近させたい。
 そのために必要なことはふたつ。中枢神経内の5-ヒドロキシインドール酢酸濃度測定方法の開発と、セロトニンの飛躍的な増大手段。

あなたが著した偉大なる『経眼窩式ロボトミーの術式を応用した脳室液内5-ヒドロキシインドール酢酸の採取及び濃度測定方法について』は最初の問題はもちろん、ふたつ目の問題までも一気に解決してしまいました。

あなたは奇妙なことに、論文内で繰り返し前頭葉の機能について言及しています。あなたは二〇世紀初頭に報告された外傷性の前頭葉損傷を契機とした妄想性誤認症候群の症例を取り上げて、以下のように述べています。

『闘争的なチンパンジーと異なり、ボノボの志向は極めて友好的である。それはそのままドーパミンの性質と、セロトニンの性質の違いを端的に表していると言えよう。分裂病患者が発症時に訴える世界没落体験の人格荒廃を招く極限の緊張に比較して、ピックが報告する重複記憶錯誤患者がむしろ弛緩して多幸的にみえることの違いの理由もその差異に見出すことが可能かもしれない。複数の同一の場所と同一の出来事を同時に経験可能である重複記憶錯誤の体験形式の一例を以下に示す。彼にはサンタモニカにお気に入りのパブである”ラナ”があった。そんな彼が交通事故で頭部外傷を負った。幸運にも一命をとりとめ、その後も順調に回復した。退院が目前に迫った頃に彼に奇妙な症状が出現した。彼は「退院したらコンプトンにあるサンタモニカのラナに行きたい」と笑みを浮かべながら主治医に話した。最初は言い間違いだと思い、主治医が訂正するも、患者の認知は一切修正が入らない。それ以外の認知機能や見当識はなにひとつ障害されていなかった。注意深く彼の話に耳を傾けると、”ウェストコビーナにあるサンタモニカのラナ”と”フロリダにあるサンタモニカのラナ”、”北京にあるサンタモニカのラナ”、”東京にあるサンタモニカのラナ”が彼のなかで全く矛盾なく併行して存在し、そこでは同時に楽しげな宴が行われていたのだった。つまりそれらはドーパミンがみせる禍々しい幻覚ではなくて、複数化した全くの現実として彼の脳は処理し、享受できていた。退院後しばらくその症状は続いたが、ある日を境に症状は消退し、その後は一切みられなかったという。』

アユハピを改良し、経鼻アプローチで脳室内に到達させる。
5-ヒドロキシインドール酢酸を直接採取し、そうすることで前頭葉をチューニングして人工的に重複記憶錯誤症状を引き起こすことを、私は可能としました。

それは私の真の欲望の具現化あり、あなたの真の欲望の具現化でもある。

試作品を同封しています。お気に召しますように。

 

 

ティラニーは封筒の中から束になった改良版アユハピを取り出した。安全弁ファンタスムが取り除かれ、先端が鋭利に加工されており、色は赤い。それらはかつて経眼科式ロボトミー手術で使用されていた穿刺針とそっくりだった。
 封筒の中には”動物の世界にようこそ”と書かれたメモと一緒に、スマートフォンが最後に残されていた。スマートフォンには”Tyranny”というアカウントでログインされたSNSアプリが予めインストールされ、連絡先には”WAR”だけが登録されていた。
 ティラニーはさっそく電話をして、「気に入ったよ」と許可をウォーに伝えた。
 そしてアドバイスのつもりで「これには、少々コツがいるんだよ」とアユハピを鼻の奥底へと突き刺した。
 薄い鼻骨を貫通して頭頂葉へと到達したアユハピをぐりぐりと動かしながら彼は丁度いい深度を探った。先端が前頭葉背外側を傷つけた瞬間に、ティラニーがみる虹はあらゆる場所にまたがって架かった。

 

 

猫の手も借りたい、なんてアメリカ人は言わない。だから俺が冗談のつもりで「猫かよ」とERのナースに言ったところで彼女の殺気が収まるはずはなかった。彼女は回転扉みたいに俺を薄いカーテンで仕切られたブースの中へと放り込むと同時に外に出ていって、「さっさと宣告しちゃって」と命じる。
 精神科医にまで死亡宣告が任されるほど、ERの人手不足は深刻だった。相変わらずモルヒネを求めて州をまたいで搬送されてくる患者に加えて、ここ数ヶ月大流行している例の奇妙な自殺。目の前に横たわっている彼女の右鼻にもアユハピが突き刺さっている。彼の白濁した眼球が死亡してから四八時間以上経過していることを俺に教え、「ご臨終です」と小さく呟いてから大きな声で”His heart stopped”と宣言する。
 待ち構えていたかのようにナースたちがブースの中になだれ込んできて、鼻からアユハピを力任せに引き抜いた。先端は脳漿と血液でぬらぬらと光り、細切れの黄色い脳組織が付着していた。俺がふうと深いため息をつくと、さっきのナースは拭き取った脳組織ごと丸めたガーゼを舌打ちとともにゴミ箱へと投げ入れた。

 

その自殺はほとんどが既遂になって、幸か不幸か未遂に留まったのはごく一部だけだった。ごく一部だとしても母数が増えるにつれて未遂者は当然増える。するとあれは自傷行為ではなくて治療なんだとかいう連中の声が、SNSどころかスマートフォンすら持ち歩かなくなった俺の耳にも届きそうになるが、ガン無視。
 なぜなら、俺はアユハピを憎んでいる。一生やらないと心に固く誓っている。
 あらゆるデジタルガジェットを金庫に封印したのも、だから、俺なりの世間体するレジスタンスのつもりだった。そしてそれは俺から友人も恋人も遠ざけただけだった。
 SNSと精神分析。それらとアユハピの相性は、正反対の意味で最悪だった。
 いつ戦争が起きても不思議じゃないこのご時世に、決して安くない料金と短くない時間を支払って分析室に通うクライエントに対して、俺は精神分析という理論と営みを信じる同胞だと強い連帯感を一方的に抱いていた。
 数年にわたる分析で神経症の症状が消えていたそのマダムは、その日、自由連想を終えてカウチから降りるやいなやバッグから黄色いアユハピを取り出して鼻へと突っ込んだ。呆気に取られている俺の目の前に抜いたばかりのアユハピが差し出され、「なんだ、ほとんど増えてないじゃない」の言葉を残して彼女は出ていった。
 それっきり、彼女は二度と分析室の扉をノックすることはなかった。
 俺は彼女に宛て手紙を書いた。
 行き過ぎてはいけない。それが俺とあなたが辛抱強くやってきた営みの、その最良のレッスンである、みたいな手紙だった。
 その手紙は出さずに捨てた。公私混同もいいとこだった。この社会の片隅で密やかに行われてきた精神分析という極めて人間的な営みを、アユハピは台無しにしてしまった。

 

儲けにならないねぇ、と理事長から嫌味を言われ続けていた精神分析的心理療法の枠を閉じて、俺はいわゆるポピュラーな精神科治療を提供する他なかった。
 電力不足で手術が滞っている外科や、抗がん剤まで出荷調整されている内科と違い、机と椅子さえあればなんとかなる精神科は平時と変わらずそれなりに賑やかでそれなりに忙しかった。そして臨床の現場で幸福の定量評価という発明の威力を俺は嫌でも思い知ることになる。
 俺はフローディアンなので、人間の内面とは社会が折り畳まれたものであるという立場には与さない。だから鬱は資本主義に固有の病であるとまで俺は割り切ることはできない。とはいえ、セロトニン濃度の低下について社会的な背景を一切顧みないポピュラーな精神科医の連中に比べたら、ほとんど反精神医学に等しいその立場の方がまだ自分に近いと感じる。
 女みたいな顔をしたあのウォーとかいう社長が元々ポピュラーな精神科医だったことは、俺にはすごく腑に落ちる。あいつがニューロモデュレーションに取り憑かれていたことも。
 アユハピさえあれば精神科医が診察室ですることは、血圧を降圧剤でコントロールするみたいに幸福指数を抗うつ剤で調整することで、たしかにそれは一見うまくいっているように見える。
 そうやって脳の可塑性にだけ目を向けさせることで、社会の可塑性を忘れさせてしまう。アメリカが石油不足で良かったとすら俺は思う。もし手術が問題なく行われていたとしたら、きっと患者は喜んで頭に電極を埋め込んで脳と幸福指数を調整していただろう。
 けれども、と俺は不思議に思う。けれども、どうしてウォーはアユハピを鋭利に加工したのだろう?脳の可塑性を加速させることによって、あいつは何がしたいんだろう?
 経営者として資本主義をより強固にしたいならば、あんなリスキーな改良版を世に出す必要はない。脳に電極を埋めるぐらいのほどほどで止めておけばいいのに、どうしてあいつは安全弁ファンタスムをなくしてもっと深くまで行こうとするんだろう?
 ウォーの精神には断層があり、その断層には暗渠が走っている。あいつは、もしかしたら俺と同じ古い種族で、まだひどく人間臭いのかもしれない。

 

「ねえドクター。今朝の私の夢、占ってよ」とジュディは虹色のドーナッツを咥えながらその潤んだ青いコンタクトレンズ越しに俺を見つめる。
 ジュディはメキシコ出身で本名はもっと読みづらい名前だった。勘がいい女の子でメキシコがアメリカに戦争でぼこぼこにされる前に、こっちに移住して全身整形してブロンドヘアーのボインちゃんに変身して周囲から浮きまくっている。
 ベタすぎるアメリカ女の彼女につられて、俺もステレオタイプなアメリカ人として振る舞う。
 「オー・ベイブ。いつも言ってるだろ?サイコアナリシス夢占いとは別物だって」オーマイガッのポーズで俺もジュディを見つめる。
 「夢のなかでね、死んだパパとランチに行くんだけど、私何度もおしっこに言って会話にならないの。それって、きっとパパとの思い出を水に流すってことでしょ?」ジュディは腰を振りながら構わず続ける。
 水に流す、なんてアメリカ人は言わない。
 「ノーノー、ジュディ。イッツ・ナット・ザット。それこそフリッギン夢占いだぜ。夢は加工された無意識だから、そんな風に意味を読み取ろうとしても無駄なんだ。精神分析で、言葉はゴッドで、ゴッドは言葉なんだ。俺たちは世界のあらゆるものを言語的にしか捉えられない。夢は言語の連なりで作られた映画で、そこにはジュディの宇宙法則が働いている」俺はだんだん振る舞い方を忘れる。
 「へえ」とジュディ、「なら私に必要なのは天文学者ね、最近嫌な夢ばかり見る」。
 そんなことは教えられない、と俺は思う。法則を掴むのはクライエントで、しかも掴んだ途端にそれは手の中からふっと消えてしまう。「分析家にできることは、君も知らない君の宇宙法則を書き換える手助けだけさ」と俺は思わず日本語で言ってしまい、「けれど、宇宙法則が書き換われば、君の現実は決定的に変性するんだ」と英語で言い足す。
「でも分析って、具体的に何するの?」「言葉遊びさ」「え、それだけ?」「それだけさ。言ったろ?言葉は・・・」。

 

そいつは、突然俺の目の前に現れた。
 初診なんてどの患者でも突然なんだけど、そいつは本当に突然だった。
 なぜならそいつは受付もすり抜けて、予診票も書かず、いきなり診察室のドアをノックして入ってきたから。
 まだあどけない表情に、短く切った髪と黒く焼けた肌。胸には太陽の形をした黄色いバッジが輝いていた。
 そいつは自らをポカホンタス・サンデイと名乗った。男なのに、名前がポカホンタスなわけないだろう。まあいい、オーケー。絶対に偽名だけど、別に問題はない。
 ヘイ、ジュディ!俺はひとまずバックヤードにいたナースを呼んだ。ジュディはいないはずの患者を見てびっくりするけれど、胸のバッジに気付いて、ああ、なんだ、みたいな顔になる。ジュディも俺も経験としてサンデイ・ピープルが決して他人に直接危害を加えないことを知っていた。
 「今日はなにしにきたの?」と彼女はキャンディを舐めながらポカホンタスに尋ねた。
 サンデイ・ピープルが精神科に来る理由はいつも決まっていた。向精神薬がいかに危険なのかについてのプレゼンだった。
 サンデイ・ピープルは向精神薬であろうとメタンフェタミンであろうとLSDであろうと、ケミカルな方法での脳への働きかけに一貫して反対している。立場としては尊重するし、分からなくもない。
 同時にサンデイ・ピープルはアユハピを積極的に使用していて、いまやアメリカで最大の広告塔になっている。
 脳のモニタリングと脳のチューニングは容易に接続されるけれど、アユハピを使いながら化学物質に頼ろうとしないサンデイ・ピープルのやり方に俺はどこか羨望を抱いてしまう。サンデイ・ピープルは決して現実を諦めない。キャンプをしたり、植物を育てたり、共同生活をしたり、そうやってたったひとつしかない現実という袋小路を楽しもうとしていて、それが俺にはとても切実な方法のように感じられた。
 同時に、分析家の端くれとして、人間として、俺はどうしても訊いてみたいことがあった。
 ねえ、ミスター・サンデイ。あんたは現実の可塑性を信じるかい?

 

けれど、ポカホンタスは「先生に相談したいことがあるんです」なんて普通の患者みたいなことを言うから、俺たちを面食らわせた。
 「わかりました」と俺も普通の医者みたいにこたえて、まずはルーティンとしてバックグラウンドを確認する。
 本名は不詳。兄妹はいない。両親は母親だけが存命。父親が中国人で、母親はアメリカ人。周産期や幼少期の発達に異常を指摘されたことはない。最終学歴はハイスクールで、卒業後から今までガソリンスタンドで働いている。両親の信仰はキリスト教だけど、洗礼は受けていないしミサにも通っていない。遺伝的素因はなし。逮捕歴、違法薬物歴もなし。
 最後に主訴を確認する。「ここから脱出したいんです」ってポカホンタスは真剣な表情のまま答える。
 「それは、つまり、この世が嫌になってしまったってこと?」
 「違います。そういったのとは全然違います」
 「それじゃ、どこに脱出したいかと、どうして脱出したいかを具体的に教えて」
 「どこに、は自分でも分かりません。けれど、どうしてについては、ちょっと待ってください、考えますね」
 「どうぞどうそ」
 「……」
 「……」
 「死にたいわけじゃないなら、ひとまず安心したよ」
 「死にたいように見えますか?」ポカホンタスが微笑む。
 「見えないね」
 「なら、よかった。私たちは幸せですよ」
 「なら、どうしてここから脱出したい?」
 「先生ならユングはご存知ですよね?」
 「言っとくけどユンギアンではないからな」
 「私も詳しいわけじゃなくて。なんだっけ、集合的無意識でしたっけ?」
 「個人的な無意識より下層にあって、それが神話とかを生み出して云々っていうやつね」だから俺はユングを信じない。無意識はどこまでも極私的なものだ。だけど、そんなことは今言う必要はない。
 「そうです、そうです。それじゃ、MKウルトラ計画は?アレン・ダラスって知ってますか?」
 「知らないな」
 「五〇年代に共産主義の洗脳に対抗してアメリカが打ち出したLSDを使ったマインドコントロール計画があったんです。それを計画したのがアレン・ダラス」
 「へえ」
 「そして第二次世界大戦中スイスに滞在していた彼に霊感を与えたのが、カール・グスタフ・ユングだと言われています」
 「初耳だな。ところで俺の質問は……」
 「もうちょっと、もうちょっと聞いてください。LSDを開発したのは、えっと、誰だっけ」
 「ホフマン博士だろ」
 「そう、そうです。この本、読んだことはありますか」ポカホンタスは鞄から本を取り出す。表紙には『幻想世界への旅』書かれている。
 「ないね」俺はうんざりしてくる。
 「これはホフマン博士の自著なんですけど、えっと、重要なとこだけ読み上げますね。『一般に「現実」と呼ばれるものは、個々の人間の現実をも含めて、決して固定したものではなく、むしろ多様である。その存在はただひとつに限定されるものではなく、その時々の自意識に結びついた複数の現実が存在する』。ホフマンは自身が発見したLSDを使って、この確信を深めたそうです」
 「へえ。でもそれは、ミスター・サンデイの教えに背くんじゃないか。俺にとっては、別に構わないけど」
 「そうです。さすが先生、そうなんです」。ポカホンタスは我が意を得たりと言いたげに笑う。
 「……」
 「ミスター・サンデイは幻覚剤を憎悪しています。私もそうです。けれど、もし、幻覚剤を使わずに現実を複数化できたとしたら?ユングに薫陶を受けたアレン・ダラスがホフマン博士のLSDを手にとったことは単なる偶然でしょうか?」
 「気が済むまで続けて」誇大妄想か?とポピュラーな精神科医として俺は身構える。
 「ミスター・サンデイは赤いアユハピを使って現実を複数化しました。それはLSDのみせる幻覚ではなくて、唯物的な意味での現実の複数化です。現実を複数化すれば、その地下にある集合的無意識も複数化される。複数の原型が存在すれば、神話の再編が必要となってくる。それは論理的に導かれる結論ですよね?」
 「ああ、そうだね。だから、いいかげん、俺の質問に答えてくれよ。お前はどこに、どんな理由で行きたいんだ?」
 「現在、サンデイ・ピープル以外も含めて三万人以上が現実の複数可に成功しています。本当は集まって話し合いたんですが、飛行機が飛ばないので私たちは仕方なくSNSを利用して神話の再編に取り掛かっています。私たちは複数の同一の場所と同一の出来事を同時に経験しながら、それのオリジナルはどこなのかを知らない。オリジナルはここではないどこかであるという以外に分からないのです。それがここを脱出したい理由です。答えになっていますか?」
 「聖地を巡礼したいけれど、聖地がどこにあるかすらわからない」出来の悪いコメディみたいだと、俺は思う。
 「さすが先生、言い当て妙ですね。その通りです。私たちはSNS上で私たちの見ているイメージを共有してゆきました。膨大な数のイメージを比較していくうちに、私たちはそれらに共通点があることを発見したんです」
 俺は嫌な予感がする。
 「それ、ただの偶然だから」俺は鎌をかけてみる。祈るような気持ちで。
 「いいえ、偶然ではありません」ポカホンタスは断言する。
 「どうしてそう言える?」
 「そうとしか言えないからです」
 困惑した表情を浮かべる患者を前に、心の中でWTFと呟く。統合失調症の可能性を俺は考える。ポカホンタスが生きる世界では偶然性が失われてしまった。彼の世界ではあらゆる断片が意味を帯びて、それらは過剰に相互に関連付けられ、どんどんと重くなってゆく世界がポカホンタスの人格を押しつぶそうとしている。
 俺はジュディに目で合図をする。ジュディはまだキャンディを舐めている。
 すると、ポカホンタスが口を開いた。

「ちゃうちゃう。先生。僕、統合失調症やないで」

一瞬、俺は幻聴かと思う。だって、いきなり目の前の外国人がコテコテの関西弁で話すんだもの。ジュディもぽかんと開けて、口には赤いキャンディがどろどろに溶けていた。ジュディにも聞こえているのなら、それはやはり幻ではない。
 「日本語が話せるのか?」俺はあえて英語で質問する。
 「そうや」ポカホンタスはニヤリと笑う。
 「なんで黙ってた?」
 「言う必要ありますか?僕の国籍が日本で、関西弁で話してれば診断も変わってたんですか?」
 「……お前の言っていたことは、妄想だよ。典型的な関係妄想。勝手に横断的なパターンを見出している」
 「でも、妄想や幻覚って個人的なもんなんでしょ?もしそれを何万人もの人が共有してたら?いつの間に幻覚や妄想は感染症になった?」
 「……」
 「だから、強いて言うなら、集団ヒステリーちゃうかな」
 「……わざわざなんで、なにを俺に伝えにきたんだ?」
 「なあ、先生。先生は、SNSとかやってへんやろ。なんにも知らなそうやもん」 
 ポカホンタスはポケットからスマートフォンを取り出す。
 「さっきの話の続きやけどな、僕ら、脱出計画を立ててんねん。約束の地にいけば、もっと幸せになれる。みんなを幸せにできる。サンデイ先生が言ってた。でもな、先生も言ってたけど、脱出しようにも行くとこがなかってん。だから、約束の地がどこか、僕らはずっと探してた。そんで、ほんま、ついさっき見つかった。僕らのみえてるものを重ね合わせまくったら、やっと。遂に。その場所もSNSで拡散されまくりで、どえらい祭りになってる」
 俺はなんだか嫌な予感がする。
 「ほら、ここ。見覚えないとは言わせへんで?森川正太郎先生」
 ポカホンタスが俺にスマートフォンを手渡す。単なる地図アプリのリンクが何十万回も拡散されている。
 一本の赤いピンが地図上に刺さっている。俺は画像を拡大してその場所を確かめる。そこは日本の、関西の、和歌山の、白浜の、やたら巨大な温泉旅館。
 うんうん。名前は、ええっと、煙突に大きくハピハピ湯〜々♨、って書いてるね。
 「ワ〜オ、ザッツァ、ジャパニーズ・オンセン。イッツ・グレート」とジュディが俺の肩に震える手を当てる。「オー、ミー・トゥー。イッツ・ベリー・グレート。アイ・ワントゥ・ゴー・ゼア」なんて俺も声が指が震えて、地図も一緒に震える。

 

「ホワット・ザ・ファック!俺の実家やん!」
 

渾身のノリツッコミにポカホンタスは爆笑して、「それ、ただの偶然やから」と俺からスマートフォンを取り返した。

 

 

宴会場のステージではバンドがハワイアンを演奏していた。俺はガキだった頃から宴会係を任されていた。空き瓶を片付けていると「おーい、ぼうず、ビール!」と下座にいるおっさんが俺を呼びつけた。「は〜い」とイクラちゃんみたいな返事と、タラちゃんみたいな足音をたてて俺は声の方に急いだ。けばけばしい色をした帯を引っ張られてくるくる回転する温泉コンパニオンの足元をすり抜けながら俺は走って、やっとおっさんまでたどり着いた。「おい、ビールは?」。膝に載せたコンパニオンの背中から顔を出しておっさんは俺に凄んだ。「あ!いけない!すぐもってきます!」。俺はカツオみたいなドジをかまして、またコンパニオンの独楽の間を行ったり来たりする。山積みになったビールケースをよじ登ろうとしたら照明が暗くなって、ミラーボールが回転し始めた。バンドメンバーがスティール・ギターからエレキに持ち替えた。わあ!ゑるび寿のステージだ!ガキの俺は興奮でぴょんぴょんと飛び跳ねた。宴会場を埋め尽くす万雷の拍手。「紀州のプレスリー」と書かれたタスキを掛けたゑるび寿がステージに登場する。コンパニオンたちの悲鳴のような歓声。ゑるび寿は身長も低いし衣装は浴衣だし髪型も角刈りだけど、腰つきと歌声は本物以上に本物だった。「べっぴんさん。べっぴんさん。ひとつ飛ばして、べっぴんさん」とお約束の客いじりで会場を沸かせると、幕開けはごきげんな「ドントまずいぜ」!おっさんとコンパニオンがこぞってツイストを踊りだす!獣みたいに!俺もその輪に混ざってたどたどしくステップを踏んだ。おっさんに弾かれて転びそうになった俺の両脇にはんぺんみたいに白くて柔らかい手が入り込んで、くるんと空中で回転させたのはショッキングピンク色をしたサテン地の浴衣を着た妙齢のお姉さん。肉厚なくちびる、色素の薄い茶色い目、豊満なおっぱい、右の涙ぼくろ。俺の頭に雷が落ちた。
 好きにならずにいられないCan’t Help Falling In Love。紛れもない俺の初恋。
 それから俺はお姉さんの胸元に抱かれながら、ゑるび寿の夢みたいなステージをみていた。きらきら回るミラーボールに照らされた角刈りのエルヴィスの甘い歌声とお姉さんの胸元の香水の甘ったるい匂いにくるまれて俺はどろどろに溶けそうでお姉さんを見上げると、お姉さんの涙ボクロに大粒の涙が張り付いてホクロの形を歪めていた。アンコールはいつも「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」だった。歌詞にあわせて、お姉さんは俺を強く抱きしめてほっぺたじゃなくて唇にキスをした。俺は幸せすぎて泣いてしまう。「人間は幸せになるために生まれてきたんやで。忘れたらあかんよ。お金ではその涙は買えへんで。ずっとおぼえときや」お姉さんが言った。その言葉のせいで涙がどんどんあふれて止まらくなって次第に呼吸ができなくなって溺れているみたいになる。
 水中で幸せと苦しみの区別がつかなくなり、俺は口から泡を吹いてひきつけを起こして倒れた。

 

 

あの後、ポカホンタスは「ほなまた」と診察室を出ていった。俺はすぐに家に帰り、金庫からスマートフォンを取り出し、数週間ぶりに電源を入れた。ピロリロリーン。ピロリロリーン。大量の未読メッセージと着信履歴の大半は昨日から今日にかけての森川家のグループチャットのものだった。

「いや悪戯やろ」
 「なんでわざわざアメリカ人が潰れかけの旅館に泊まるん?」
 「お母さんもそう思ったんやけど、もう決済されてる」
 「え?」
 「二千八百七件の予約、全部もう支払われてる」
 「こわ。お兄ちゃんは?お兄ちゃんの知り合いなんちゃう?」
 「まーくんは連絡つかん」
 「どうすんの?」
 「なんとかするしかない。だって二億円やで?」
 「まじ?」
 「二億円」
 「におくえん」
 「しかも二泊の料金」
 「そこから連泊する度に毎日一億」
 「やるしかないな」
 「せやろ」
 「お客様はいつ到着?」
 「船で来るみたいやから。週明けやね」
 「ぎりぎりやな」
 「アルバイト雇うしかない」
 「章造おじさんに相談してみる。ファンクラブの人らが手伝ってくれるかもしれん」
 「まだモノマネやってんの!?」
 「現役ばりばりやで」
 「ガスとかどうするん」
 「二億あるから大丈夫」
 「料理は」
 「二億あるから大丈夫」
 「宴会は」 
 「二億あるから大丈夫」
 「でも宴会はいつもまーくんにお父さん任せてた」
 「だからやり方とかお母さん知らん」
 「そんなやからお兄ちゃんお父さんの葬式にも来てくれなかったんやと思う」
 「まーくん?みてる?みてたら連絡して?」
 「お兄ちゃん、妹からもお願い。英語話せんのお兄ちゃんだけ」
 「二億円やで!」

「あ、既読ついた!」
 「お兄ちゃん!」
 「まーくん!」
 「地獄のお父さん「まさたろう!色々すまんかった!湯〜々♨を頼むで!」」
 「お願い!白浜に帰ってきて!なるべく早く」

 

俺は返事を返さない。返せない。だって、そもそも今は燃料不足で飛行機が飛んでいないのだ。超富裕層の小型ジェット機に何千万というふざけた無い金を払って同乗させてもらうしかない。それもタイミング良く日本へとフライトする富豪がいる保証もなければ、何より今の俺にそんな大金はない。そうなると残されたのは海路だけど、奴隷船みたいな環境を何日も耐えてまで湯〜々♨を手助けする義理が俺にはないのだ。
 そうだ、俺には関係ないことだ。俺には俺のアメリカでの生活があり、仕事がある。それをほっぽりだしてカルト集団のおもてなしをしに日本に戻る必要がどこにある?
 ピロリロリーン。スマートフォンの通知が鳴る。『カーニヴァルへの招待状』と題されたメールが届き、航空券代わりのバーコードがメールに添付されている。日付は明日の早朝。俺は直感的にそれがスパムメールではないと分かってしまう。
 差出人を確認する。ウォー、と書かれている。

 

数年前には当たり前だったはずなのに、スローダウンした世界に慣れた俺は今日の物事の進み方の速度に脳が追いつかない。
俺は今や超富裕層しか楽しめなくなった空の旅をしていて、あと数時間後には日本にいるはずだ。
「これが資本主義の本来のスピード感だね」と前に座るこの飛行機の所有者は優雅にワインを飲んでいる。そして俺の後ろには鼻に赤いアユハピを挿したしょぼくれた老人が座っている。
 ウォーは招待状を俺以外にもうひとり、ティラニーという人物にも送っていた。検索しても一件もヒットしないその名前がミスター・サンデイの本当の名前だとフライト直前に俺はウォーから知らされ、そのことよりもティラニーの覇気の無さに俺はショックを受けて、したかった質問も忘れてしまう。
 ピロリロリーン。飛行機の中でウォーから長文のメールが届く。そこにはミスター・サンデイにこっそり鎮静剤を投与した理由を含めたこれまでと今後のシナリオが全部書いてあった。
 クレイジーなビリオネアの誇大妄想に付き合わされているだけだと俺は知る。
 俺は「Spoilerネタバレ」と舌打ちする。舌打ちしながら、実のところウォーのビジョンに興奮しないわけではなかった。幸い湯〜々♨には湯治用の診療所まで併設されていた。やはり何もかも偶然ではなく、全てはウォーが仕組んだことなのだろうか?そんな事を考えていると、ウォーはワイングラスを持ってない方の手を上げてくるくると中指を回転させる。
 「Rollin’」と俺は呟く。巻いていこうぜ、なんてアメリカ人は言わない。
 そして資本主義のスピードで飛行機は関西国際空港に着陸する。

 

俺たちはウォーが用意したリムジンに乗り込み、がらがらの高速道路をぶっ飛ばして白浜へと急ぐ。運転手は佐藤という名前の日本人で、昔は走り屋だったそうだ。
 リムジンが大きく揺れるたびに佐藤は「じいちゃん、生きてる?」とティラニーのことを心配している。ティラニーは置物みたいに動かない。
 俺はすごいスピードで通り過ぎていく風景を窓から見ていた。海から畑に、畑から住宅街に、住宅街から高層ビル街に、高層ビル街からスラム地区に、スラム地区から林道に、林道から森のなかに、森のなかからまた海に。それは人類の歴史を早送りでみせられているようで、俺は思わずくしゃみをする。
 車が白浜に入った頃には日が暮れていた。それでも日付はアメリカの西海岸にいた時から変わってなくて、俺は騙されたみたいな気分になる。

鬱蒼とした森が開けた場所に、巨大な白い煙突が立っている。煙突の先端近くには赤々とした「ゆ」の文字が光る。深い闇を「ゆ」の文字だけがぼうっと照らして、俺は火を神と崇めた古代人類の畏怖の念を思い出す。そして、俺たちはタイムマシンでやってきた未来人。湯〜々♨の入り口で化粧っ気のない妹と母親が俺たちを出迎えた。
 「うわ、どえらいイケメンがおる」菜奈子はウォーを見て開口一番そう言った。母親は「外人さんは誰でもシュッとしてはる」と余裕をみせるが本当は気になって仕方なさそうだった。
 「ティラニーさんも、わざわざこんな遠いところ。ほんまありがとうございます」と母親は急に女将口調に切り替え、「さ、さ、中にどうぞ。お連れ様は日曜日には到着されはるそうですよ」とイケメンと老人から乱暴に荷物をひったくった。
 「まだ温泉は湧いてないんですけどね、部屋の電気はなんとか通ってますから、今日はね、ゆっくり休んでください。お布団じゃ寝られないなら、洋室もありますからね」とジャージ姿の女将はふたりを奥へと案内した。
 「お兄ちゃん、久しぶり」「挨拶はあとや。時間があらへん」「相変わらずいらちやなぁ」「診療所は?」「病院?お父さん死んでから誰も近寄ってへんよ、あんなとこ」「でも非常用電源は業者がテストにきてるやろ?」「うん、今年も来たで。そうそう、そんときにな、ヒ素が入った瓶とかガスマスクがあったんやって」「……親父の私物?」「わからん。業者さんが半泣きになってた。でもお父さんただの外科医やろ?毒ガスとかいった?」「いらんやろな」「やんなあ」「外科医なんて、だいたいみんな頭おかしいからな」「人を切れるのは床屋さんと外科医だけやって、お父さんよう言ってたよな」。
 精神科医も切るけどな、と俺は思う。ウォーは明日にでもティラニーの脳を切るつもりだ。

 

夜明けと同時に一台の車が湯〜々♨に到着する。
 赤いハイエースからフリンジ袖のジャンプスーツに身を包んだ章造おじさん a.k.a ゑるび寿が降りてくる。「ヘイ!マサタロー!久しぶりだなぁ!」とゑるび寿に抱きしめられて、俺は思わず顔がほころんでしまう。「最高のステージを用意するから、頼むで」と俺も力を込めて抱きしめ返した。
 それからしばらくして大量の予備電源が届けられ、続いてゑるび寿ファンクラブのマダムたち、そして俺が飛行機の中で関西中からかきあつめて手配した温泉コンパニオン御一行が湯〜々♨に集結する。
 それから続々と撮影機材を担いだ若者たちが歩いてやってきた。
 「撮影班は連れてこないのか?」という俺の疑問に「勝手に拡散されるさ」とウォーは答えたが、なるほどそういうことねと俺は膝を打った。編集されたプロの映像よりも、他視点からの無加工の動画のほうがリアルで影響力をもつ。俺は自分がウォーのビジョンに心酔しつつあることに気付く。あいつは妙に人懐っこくて、きっと俺にやったようにインフルエンサーの懐にもするりと入り込んだのだろう。
 女将とマダムが中心となり、集まった若者たちをボランティアとしてこき使う。部屋の清掃、あらゆる修繕、風呂掃除。合間にチルしたり、わちゃわちゃしたり、その様子がインターネットにアップされ、それを見て更に人手が集まってくる。その彼や彼女がまた動画をアップして、拡散され、どんどん人が湯〜々に集まってくる。冷夏とはいえ真夏はやはり暑い。テキ屋が騒ぎを聞きつけて、湯〜々♨の周囲をジュースやかき氷を売る屋台が取り囲んだ。チンピラ同志の縄張り争い起きて、和歌山県警もその輪に加わった。
 人々が湯〜々♨を埋め尽くす光景をみて、女将は「お父さんがあと一年生きとったらねぇ……どれだけ驚いたか」と涙を着物の袖で拭った。
 〽踊る阿呆に踊らぬ阿呆おなじ阿呆なら踊らにゃ損々。俺は思わず鼻歌を歌ってしまう。みんなで祭りの準備をすることはこんなにも楽しい。
 そしてウォーは今頃、きっと、神輿を作っている。
 

特に準備を任されるわけでもなく、衣装が汚れると手伝いにも参加せずに手持ち無沙汰になったのが温泉コンパニオンたちだった。
 事前に準備していたのか、それとも誰かが調達したのか、彼女たちはサテンの浴衣を脱ぎ捨ててサンバの衣装に着替え、暇つぶしにサンバを踊りだした。煙突前の広場に用意されたゑるび寿のための仮設ステージをコンパニオンたちが勝手に使って、ファンクラブのマダムたちの逆鱗に触れた。けれど手伝うことに飽きた若者たちもサンバを踊りだして収集がつかなくなり、マダムたちは強硬手段に出た。ステージ用の予備電源を全て切ってしまい、地下の宴会室へと持っていった。
 音楽を流していた防災サイレンも当然使えなくなったが、若者たちの一部は楽器も持参していたので生演奏で対抗した。ゑるび寿はおおらかな男なので「ザッツ・オールライト」の一言で、リハーサルは予定を変更して宴会室で行うことになった。

 

日が暮れる。
 この数日で日本でも相当数の人間がアユハピを使っていることを俺は知る。けれど日本人のアユハピはどれもまだ黄色だった。
 明日になれば、いよいよ数千人のサンデイ・ピープルが湯〜々♨へと押し寄せる。連中は赤色のアユハピをこの島国に伝来させるつもりだ。
 きっとその幸せのなり方は、この島国で燎原の火のように広まるだろう。
 ケミカルに幸せになることを違法性が故だけに忌避する国民は、けれど脳を傷つけることを厭わないはずだ。なぜなら、この国ではロボトミー手術を含めた脳切截術は法律で禁止されていないかどころか保険適応ですらあるのだ。
 俺はあたりをぐるっと見渡す。まだウォーとティラニーの姿はみえない。

 

夜になっても賑やかな演奏は終わらず、コンパニオンたちは交代でサンバを踊り続けていた。
 マダムたちがもったいないと広場の照明まで落としてしまうが、湯〜々♨の周りには燃やせるものはいくらでもあった。若者たちは周囲に落ちている木の枝を拾ってきて簡易な松明を作った。けれどマダムたちに灯油を貸し渋られてしまい、他の方法を考える必要があった。
 若者たちのなかには吉里吉里吉里吉クルーの面々も混ざっていた。なんでも吉里吉里吉は氏子で、毎年実家で行われる八幡祭では笹と竹で作った巨大な松明を燃やしているそうだ。吉里吉里吉たちがリーダーとなってあっという間に笹松明が出来上がり、火を付けると炎が高くまで舞いあがった。広場のあちこちからおお〜と歓声が上がり、泣いている若者もいた。笹松明にあらゆるものが投げ込まれ、真っ赤な炎はその勢いを増す。立ち込める白い煙に燻されて、コンパニオンたちのサンバは巫女神楽のように見えた。

 

いつまでも戻ってこないふたりを俺は待ちきれなくなって診療所の扉を叩いた。
 ウォーに招き入れられ中へと入ると、ベッドの上に血の気のないティラニーが横たわっていた。
 「失敗したのか?」と俺は思わずウォーに訊いた。「まさか」とウォーは微笑み、「大成功だよ」と親父が着ていた白衣を脱ぎ捨ててその細い髪の毛をかきあげた。
 ウォーはティラニーの前頭葉を破壊して、そこに電極を埋め込んだ。「最初からこうするつもりだったのか?」とウォーに訊いた。「まあね」と涼しい顔で答えたあとに、「いや、違うな。最初はここまでするつもりじゃなかった」とウォーは煙草に火をつけた。
 それは親父の煙草だった。
 親父は煙草だけは吸っていた。「手術の後に吸う煙草がいちばん美味いんだ」と俺に教えてくれた。
 ウォーに「吸うかい?」と勧められるままに煙草を咥え、「煙草は幸福指数をあげるのかな?」と独り言のように俺は呟いた。
 「試してみたら?」とウォーは黄色と赤色のアユハピを二本差し出すが、「俺はずっと旧式の人間のままでいいよ」とどちらも俺は手に取らない。
 マサタローは頑固だね、とウォーはまた穏やかに微笑み、ベッドの上に横たわる出来たての神体を眺める。
 「神憑りでも、サイケデリクスでも、いちばん重要なのはセットとセッティングなんだ」。ウォーも独り言みたいに話し出す。セットとは心的状態を指し、セッティングは周囲を取り囲む環境状態を意味する。今の湯〜々♨はうってつけのセッティングになりつつある。
 そこに改造したティラニーを投入して、サンデイ・ピープルのセットを操り、カーニヴァルを撮影させ拡散させ、人間を一気に動物まで進化(退化じゃないかと俺は思うが、今更言っても仕方がない)させる。そうすると新しい無意識が出現する。局所的には明日の湯〜々♨にも”それ”が顕れるのだろう。地面を裂くように。
 飛行機で受け取ったメールの最後には「君は動物に適応される新しい精神分析の理論を考えてくれ。それは僕の領分ではない。僕は本質的には自我心理学者なんだ」と書かれていた。
 俺は思う。ウォーの強い自我はたしかに欲望を上手にコントロールしているようにみえる。なのに、俺には、お前は、箍が外れているようにみえる。
 ”What could satisfy your hunger?”
 その質問を投げかけようか迷っているうちに、煙草は全て灰になった。ウォーは俺の肩で子供みたいにすやすやと眠ってしまう。ウォーの宇宙の法則に触れてみたくなる。
 もう一本火をつける。ティラニーは死体みたいに動かない。
 「葬式みたいだな」俺は線香のように灰皿の中に煙草を立てて消した。
 机の上にはたくさんの小説もそのまま残されていた。親父は子供たちにサリンジャーを読ませたがったけれど、結局俺も菜奈子もそれを手に取ることはなかった。

 

広場に戻ると炎のなかで若者たちの爆笑が木霊していた。ちょうど目の前で笑い転げていた吉里吉里吉をとっ捕まえて、「おい、ラリってんのか?」と尋問する。ただでさえ目をつけられているのに、集団トリップなんてした日には警察が乗り込んできてカーニヴァルが台無しになってしまう。「違います、違います」と怯えた顔をした吉里吉里吉が防災スピーカーの方を指差した。
 マダムによって電源が落とされているはずなのに、スピーカーからなにか聞こえてくる。それは聞き覚えがあるようなないような声だった。

『……落ち着け、落ち着け、章造。お前はエルヴィスだ。お前はスター、エルヴィス・プレスリーだ。大丈夫。大丈夫。大丈夫……』
 『ああ、もう一回、もう一回だけ練習しとこう。カセットテープ、カセットテープ……』
 『無理だ。無理無理。声が出ない。もう声が出ないよ……どうしよう……ああ……』

俺は酷くいたたまれない気持ちになって、胸が痛くて泣きそうになる。今すぐ宴会場に走り、今度は俺がゑるび寿を優しく強く抱きしめてやりたい。けどそれはしない。それは章造おじさんの尊厳を何より踏みにじる行為だと俺はわきまえているし、皆がゑるび寿のきらびやかなショウを待っている。
 スピーカーから震える声で歌われる「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」。
 ゑるび寿は明日、このナンバーをアメリカ人からの喝采を浴びながらいつものあの甘い声で歌ってくれるはずだ。

『駄目だ……もう駄目だ……』

ゑるび寿の絶望的な声。
 カセットテープが巻き戻され、「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」の逆再生が広場中に響き渡る。

 

「They know I’m sick」
「They know I’m sick」
「They know I’m sick」

 

ゲラゲラ笑う若者たちを、俺は次々とぶん殴っていく。
 いつの間にか俺は本当に涙を流している。
 「やめな!」と威勢のいい女の声がして、背中から俺の両脇に手を伸ばしてはがいじめにする。俺は振り返る。殴るつもりで振り返って、だけどその女の肉厚な唇と豊満なおっぱいが視界に飛び込んできた瞬間に俺の頭上に二度目の雷が落ちる。
 「あ、あんた、もしかして、あの時のひきつけの子?」
 驚いて手を離したお姉さんの顔からはチャームポイントだった涙ボクロが綺麗に除去されていた。お姉さんはむしろ若返っているようにみえた。

 

俺はそのままお姉さんを布団に連れ込んで、頼み込んでお姉さんに抱いてもらった。抱かれながら俺は泣いた。幸せで泣いていたのか、悲しくて泣いていたのか、自分でもさっぱり分からなかった。
 外ではまだお祭り騒ぎが続いているらしく、遠くから太鼓の音が響いてくる。白い月のひかりが眠るお姉さんの全身を黒い闇のなかから朧げに掬いあげて、それは飛行機の窓からみた雲海みたいにみえた。
 世界がこのまま止まってくれたらいいのに、と俺は思う。でも世界は止まらないし、いろんなことは何もしないと悪い方向へどんどん転がっていく。だから、やっぱり、俺は抱きしめにいくべきだったのだ。止まらないにしても、係留させることぐらいはできたはずなのに。
 太鼓の音にまざって乱暴な足音。それから菜奈子の絶叫。
 「お兄ちゃん!どこ!お兄ちゃん!どこ!どこ!章造おじさんが大変!」

 

菜奈子は明日に備えて着物の着付けを習っていた。
 女将は「この着物、百万以上するから、絶対に汚しなや。あんたより高いんやから」と腰紐を締めながら娘に口酸っぱく注意をした。
 「お母さんってホンマに銭ゲバ」「銭がないのは首がないのと一緒や」「いつからそんな風になったん?おじいちゃんもおばあちゃんもそんなんやっけ?」「あんな文学かぶれを婿に迎え入れたからや」忌々しそうに女将は帯の形を整える。「それまでは私もこんなんじゃなかった。なんたって箱入り娘やからな。蝶よ花よと可愛がられて、箸より重いもんなんて持たへんかった」「嘘つかんといて」「ほんまや」女将がぎゅっと帯をきつく締める。圧迫されて、菜奈子は胃の中のものを吐きそうになる。「あの夢見がちなアホが医食同源やら言い出して、病院をやめて金にもならん診療所を始めたんや。そんでようわからんもんに色々手を出して……」「お父さんの畑の手伝いさせられたなぁ」「あんなたなんかマシやで、正太郎なんてもっと……」女将の目に涙が浮かんでいた。「あそこの兄弟はみんなアホや。弟はものまね芸人。男なんて、みんなアホや。そのしわ寄せが私らにくる。そうすると、女は金に汚くなるしかない。ほんま、やってられへんで」女将が立ち上がる。深いシワがその顔に刻まれている。
 わたしは、でもお父さんのこと、好きやったやろ?ってお母さんに聞きたくなったけど、やめた。わたしはお父さんは好きでも嫌いでもなかったけれど、お父さんが作ってくれたライ麦パンは大好物だった。
 「お母さんも苦労したんやなぁ」と菜奈子、「ほんであのアホどもはどうしてるんや」と女将。
 「アホどもって?」「あのシュッとした外人のアホと、愛想も小想もない爺さんのアホと、そんで章造のアホや。ちょっと、あんた、宴会室みてきて」

 

俺は結局、宴会室に走っている。
 マダムのひとりがステージ上で倒れているゑるび寿に心臓マッサージをするたびに口から吐瀉物があふれ、ジャンプスーツの白を汚している。どいて!俺はゑるび寿の周囲にバルビツール酸系睡眠薬のPTP包装シートが転がっていることを確かめ、瞳孔を覗き込むと縮瞳している。
 「救急車!」俺は手遅れだと知りながら叫ぶ。診療所まで運べば気管挿管できるかもしれない、そうすればもしかしたら。俺は出来ることはなんでもしたかった。
 「もうほうっておき」。
 冷たい女将の声が宴会室に響く。女将は昔のお母さんの顔になっていた。「警察沙汰になったら、明日のお客様が楽しまれへんやろ」すたすたと女将はこちらに歩いてきて、「はいこれ、黙っときや」とマダムたちに札束を渡す。「でも……」と口を開こうとした俺に「あんた、ほな、二億円、払えるんか?」とお母さんが訊く。やれやれみたいな表情で「昔から根が小心者のくせにほんま……」と章造おじさんと俺を交互に見る。
 女将はにっこり笑う。
 「まーくん、ありがとうな。さっき、広場でちょけてるアホどもをしばいてくれたやろ。お母さん、助かったわ」
 俺は何も言えなくなる。何も言えなくなっている間に、俺の腕に抱かれたゑるび寿の心臓が完全に止まる。
 女将が手を叩いて全員に発破をかける。
 「さあ、みんな、はよ寝。明日から忙しなるで!」

 

俺は暑さで目を覚ます。ベッドにはお姉さんはいない。「また遊んでね♡」と書かれたメモと請求書が枕元に置かれていた。
 南国の乾いた清潔な暑さとは違う、湿っぽく鈍重な暑さ。昨日までの冷夏で忘れていたが、この暑さがこの国の本来の夏だった。
 広場では踊り疲れた若者たちが地面の上で雑魚寝していて、それを太陽が容赦なく照らしつけていた。俺はひとりひとりに声をかけて水を飲ませてやる。何か優しいことがしたい気分だった。
 ボォォォオオオオオン!
 轟音が広場に響き渡った。
 「なに、地震?」「オットセイの鳴き声じゃない?」「海、遠すぎるっしょ」など叩き起こされた若者たちが若干パニックになっている。
 俺はこの音を知っている。俺もかつてこの音に怯えていた。
 女将がボイラーのスイッチを入れたのだ。白い煙突から黒い煙がもくもくと立ち込めてくる。
 煤けた太陽を眺めていた俺の肩を誰かが叩いた。
 振り向くとポカホンタスと、その後ろに数人のサンデイ・ピープルが立っている。
 「久しぶり、先生。ちょっと老けたんちゃう?」とポカホンタスは俺に水を手渡してくれる。
 俺は無言でそれを受け取り、乾いた身体を潤しながら、後ろのサンデイ・ピープルたちを観察する。彼らの鼻には赤いアユハピがぶら下がっている。ウォーの言う通りだった。
 確かにそれはまだちょっと手前で止まっていて、もっと奥まで届きそうだ。

 

ポカホンタスたちは港で別れて、一足早く湯〜々♨にやってきたそうだ。
 「日が暮れる前にはみんな来るんちゃうかな。いろいろと調達しながら向かってます」と女将に伝え、二言三言話すと「ほな、ちょっと急がなな」とリュックから持参したメガフォンを取り出してステージの上から広場全体に指示を出した。
 「ほな、ボランティアのみなさんは森からもっと大量に木の枝とか植物を集めてきてください。女将さんが灯油不足でボイラーだけではお湯が沸かんって言ってました。あとは、あの松明をたくさん作って、僕が立ってるこのステージの周りの取り囲むように立ててください。たぶんみなさん僕らのイベント、イベントやないんやけど、目当てで来てると思うんで。暗くてなにも見えんかったら骨折り損ですよね。そのかわり撮影自由、拡散も自由です。あとは、コンパニオンさんたちは僕らをサンバで盛り上げてください。熱中症には気つけて。水をたくさん飲んでください。あとはステージにいくつかマイクと、照明を」
 若者たちの一人から質問が飛んだ。
 「松明に投げ入れる用の、稲とか麦とかを束ねたものも沢山用意したほうがいいと思います。消えないように。おばちゃんたち、また灯油貸してくれないかもだし」
 ははは、と小さな笑いが起こる。マダムたちの姿はしかし広場になかった。
 「あと」と挙手して吉里吉里吉が大声で質問をする。
 「僕、仕掛花火が作れるんで、それも作っていいですか?夏だし、せっかくだから」
 「花火、ええなぁ。最高やん。どんどんやってください。火薬は後ほど用意できるでしょう。あ、絶対に、喧嘩とか、ドラッグとかはやめてくださいね。警察もいるみたい。できたらアルコールも遠慮してください。それは全部終わったら、みんなで風呂入って、宴会場でわちゃわちゃやりましょう!」
 マイクがハウリングし、耳障りな高音が鳥たちを飛び立たせた。

 

太陽が沈んだ直後に、仕掛花火はやっと点火された。
 WELCOME!SUNDAY PEOPLEの文字が闇夜に浮かび上がった。
 サンバのダンスは最高潮の盛り上がりをみせ、地鳴りのようなサンデイ・ピープルたちの歓声があがる。
 「ほら、みてみ、ほとんど男やろ」と日本語が通じないのをいいことに女将が大声で俺に毒を吐く。ぐるっと見渡すと、ほぼ全員の鼻に赤いアユハピが突き刺さっていている。「約束の地だ!」と彼らは大粒の涙を流して叫び、なかには五体投地のように地面にひれ伏せている連中までいる。だけど連中が拝む先にあるのは白い煙突と空の仮設ステージで、そこにはみすぼらしいパイプ椅子とマイクに接続されたスピーカーが設置されているだけだった。
 騒ぎが一段落すると、こんどは静寂が広場を包んだ。ステージ前をサンデイ・ピープルが陣取り、その周囲をこれからなにが起こるのか知らない若者たち、温泉コンパニオン、湯〜々♨一同が取り囲む形になった。チリチリと松明が燃える音だけが聞こえ、はやくも電力不足なのか照明が明滅した。

俺は宴会係兼配信向けの通訳としてステージに上がることになり、女将から挨拶を任された。そこからの風景はカーニヴァルと呼ぶにはあまりに異様で、なにもかも嘘みたいに思えてきて俺は思わず挨拶中に吹き出してしまう。
 次に上ってきたのはしばらく姿をみていなかったポカホンタスで、最後にウォーに連れられてティラニーがステージ上に現れた。ティラニーの登場に大歓声があがるのかと思っていたら、全然そんなことはなくて、連中は、まるで、これから始まる演劇を一瞬も見逃すまいとしている観客のように、息を殺していた。
 「それじゃあ、始めましょうか」とウォーが立ち上がる。お前から話すんだ、と俺は思う。ポカホンタスも不満げに見えなくもなかった。
 「長い移動でさすがのミスター・サンデイも少々お疲れのようです」とウォーはティラニーの背中に手を添えた。その手には黒い神経刺激装置が握られているのが俺やポカホンタスからは丸見えだけど、構わずウォーはスイッチをオンにする。
 するとティラニーは人が変わったみたいに熱っぽく観衆に向けて話しだす。
 白い太陽みたいな照明が俺の全身を焼いて、松明からもくもくとのぼる煙が俺の目を燻す。こちらへと向けられた無数のカメラに対して、俺はたどたどしい通訳を何故か関西弁でやってしまう。

 

『今日は、ほんまに、ありがとう。集まって、くれて、ほんま、ありがとう。みんな、愛してんで。ここは、約束の、地。やっと、みつけた。今日は、記念すべき、日、や。今日は、独立、記念日や。ここに、僕らだけの国、を、つくろう。ここで、みんなで、暮らそう。ここには、なんでもある。綺麗な、自然も、温泉も、スペースも、最低限の、インフラも。全部。なにもかも、揃ってる。武器も、ある。おいしい、食事も、ある。ドラッグ、だけは、あかん。分離独立に、必要なんは、よっつ。定住住民と、領土と、外交官と、政府、や。定住住民は、みんな、や。領土は、ここ、や。外交官は、この、ポカホンタス、や。政府は、これから、発表、します。僕は、もう、年寄り、すぎるわ。僕の、本当の、名前は、ティラニー。Tyrannyは、意味は、僭主制。それが、僕の、名前やねん。どうぞ、よろしく。僭主は、ウォー、や。新しい、国の、政府の、王は、ウォーや。これから、は、ウォー、の、いうこと、を、よく、きくよう、に』

 

するとウォーがマイクでサンデイ・ピープルに命じる。
「もっと奥までアユハピを突き刺せ。幸せになることを躊躇うな」
 数千人のサンデイ・ピープルは一斉に立ち上がり、「やれ」というウォーの合図で両手で握りしめた赤いアユハピを押し進めていく。
 がち、ぼき、ばき。ぴちょん。アユハピの柄が骨を砕き、先端が脳の更に奥へと到達すると水滴が落ちる音がする。ぴちょん、ぽちょん、ぴちょん。あちこちで水滴が落ちて、煙のドームのなかで水琴窟のようにエコーする。何人かが地面に倒れる。鼻からどばどばと血が流れているが、連中は気にもとめない。
 「もう、あんたら、なにやっとん!アホ!あとな、湯〜々♨は森川家のもんや!」女将が怒鳴る。「え、まじで」「こわ」「やばっ」「死んだ?え、死んでない?」若者たちもざわめくけれど、カメラはサンデイ・ピープルたちに向けられている。「すっご」誰かがスマートフォン片手に叫ぶ。「こんな値、見たことねぇ」。
 サンデイ・ピープルたちのアユハピの値は、文字通り桁外れだった。けれどメタンフェタミンの値にはまだ三桁は届かない。俺はウォーの方を見る。あいつは涼しい顔をしながらその風景を眺めていた。
 ウォーはもっと加速させるつもりだったに違いない。その方法を俺はきいていなかった。
 「よく見えないな。もっと松明を燃やして。そして、それ、それを松明に投げ込んで」
 ぼうっ、と松明が燃えさかる。白い煙があたりに充満して俺は涙目になる。
 これから、どうするんだ?と俺がウォーに訊こうとつばを飲み込んだ瞬間に、ティラニーがすくっとパイプ椅子から立ち上がり自らの手で右鼻からアユハピを引き抜いた。先端は脳漿と血液でぬらぬらと光り、細切れの黄色い脳組織が付着していた。

その光景に観衆は静まり返った。俺も言葉を失い、ウォーをみる。あいつは表情を変えない。
 サンデイ・ピープルたちもその手を止めてステージ上を見つめていた。
 沈黙を切り裂く、ポカホンタスの冷たい英語。
 「術中覚醒記憶、と呼ばれる現象があります。それは単に術中の記憶が残存してるに留まらず、知り得ないはずの執刀医の思考や手術所見をなぜか患者が記憶している現象も少なからず報告されています。それは、あたかも執刀医の内面を患者が覗き込んでしまうような、奇妙という言葉では到底表せられない事態ですが、それは実際にここで起きたのです」
 「その証拠に」と英語でいった直後に「あ、この煙、使えるかもしれんな」とポカホンタスは独り言をつぶやくと、鞄からプロジェクターを取り出した。
 「これが、その証拠です」ポカホンタスはスマートフォンの映像を松明から立ち昇る煙に向けて投影した。
 湯〜々♨に充満するうねる白煙のスクリーンにブロンドヘアーの美女が映し出され、ゆらゆらと形を変えながら彼女は泡風呂に入っている。煙は彼女のモノクロのアップになった。俺の身体を彼女の持ったワイングラスが通過する。風が吹いてその顔は醜く歪み、ふたたび整った顔に戻る頃には彼女は大勢に羽交い締めにされてなにか喚いている場面が流れている。それが映画の予告編だとその場の全員が気づくころには、既にライブ配信のコメントでは作品名まで特定されていた。
 『女優フランシス』
 ウォーが俺の手を握った。冷たい汗。ウォーの顔が青ざめている。
 「これがあなたのトラウマの正体です。劇中、ジェシカ・ラング演じるフランシス・ファーマーに対して、史実と異なり精神科病院でロボトミー手術が施されます。それがあなたに取り憑いた。あとは、先生、悪魔祓いを、お願いします」
 ティラニーへとマイクがリレーされる。その最中にポカホンタスはウォーに向かって小さな細い針を転がした。
 それはミスター・サンデイの脳に埋め込まれているはずのDBS用の電極だった

「ウォー、君もあの教授も……」
 ティラニーは威厳と慈しみに満ちた声で話し出す。
「意識的なのか、無意識的なのか、混同を、言い間違いや書き間違いを犯している。君たちの指す欲望は、欲望ではなく、トラウマ、神経症的なものに違いない……。私は精神分析を信じないが、それは私や、私たちにとって信じるに値しないものであって、君やあの教授のように精神分析にうってつけな人間というのが存在することは、認めざるを得ないだろう……。転移と呼ばれるテレパシーの存在も……。なんせ、本当に私と君のあいだでテレパシーが成立してしまった以上……私も……」
 「フロイトならこう説明するだろう。思春期の君に取り憑いたジェシカ・ラング演じるフランシス・ファーマーは、相容れない表象として抑圧され、君の症状は彼女を隠喩的に表現したものである、と。つまり……君は……脳を切られることを表層では欲望したかのように振る舞い、深層では恐れていたのだよ……。だから、君は私の頭を目の前にして、それを切開することができなかった。欲望ではない、トラウマなんだ……。もし、君が真に欲望していれば、経鼻ではなくて経眼窩アプローチを素直に試していたはずだ……。君は安全弁を完全には無くせなかった……」
 「私には、トラウマなんてない。私にあるのは動物的な飢えだけだ。ウォー、君は人間的すぎる。なんて哀れな存在だろうか。君の人生は、君が人間が故に抱え込んだ無意識のせいで台無しになってしまった……。もし……子供の頃の君に出会っていたら……私は君を救えていただろうか?」
 ティラニーは泣いていた。さっきまで突き刺さっていたアユハピが手から落ちた。
 ポカホンタスがそれを拾う。ポカホンタスも泣いている。
 「サンデイ先生、後は私がやります」
 ティラニーはうつむいたまま頷く。ポカホンタスはアユハピを握りしめ、青白い顔をしたウォーに近づく。
 「あの映画で、ジェシカ・ラング演じるフランシス・ファーマーに施された手術は、経眼窩式ロボトミー術だったよ」
 「これで君のトラウマは消える。動物の世界へようこそ」

”So Sunday People, you’re human aft…

言葉は途切れ、ウォーの右目の奥深くへと赤いアユハピが突き刺さされた。

ステージ上で膝をついて反り返ったまま動かなくなっていくウォーを、俺たちは黙ってみていた。ふと、俺は、本当にこれは前衛的な演劇なんじゃないだろうかと思い始める。
 ポカホンタスはスマートフォンでどこかに電話している。
 「救急車とか、警察じゃない?」と誰かの声。俺もそう思って、何も喋らず、何も動かない。
 そうしていると女将が「お巡りさん、このアホどもをみんな逮捕してくれ、もう滅茶苦茶や!」と湯〜々♨を張っていた警官をつれて広場にやってきた。
 「あ〜もう、お前ら。こんな煙のなかで血流して、いったいなにしとんのや。どけどけ、撮影も止め。ほんま」と警官の一人が懐中電灯でステージを照らすと、銃声が響いて、警官の頭を吹き飛ばした。
 撃鉄を起こす音。硝煙の匂い。女将の悲鳴。
 なにもかも、揃ってる。武器も、ある。
 武装したサンデイ・ピープルは、けれど配信を止めようとはしない。
 「新しい神輿の準備ができたみたい」
 ポカホンタスが闇の方を指差す。
 俺たちもカメラも一斉にそちらを見る。
 煙の中から猛スピードでこちらに走ってくる。
 あれは、マダムたち。マダムたちがなにかを担いでいる。
 十字架?
 誰かが磔にされている。
 手足には赤いアユハピが突き刺さり、その表情は天使のような笑み。
 白いジャンプスーツ聖衣を身に纏ったエルヴィス・プレスリー。
 俺は腹が捩れる。
 それは虚像のスターだったエルヴィスの虚像である章造おじさんが演じる虚像のゑるび寿でつくられた虚像の御神体だった。
 俺は爆笑したいのに、上手く笑えなくて引きつってしまう。
 マダムたちの手によってステージ上に十字架が立てられた。
 胸には聖痕が刻まれている。

 

THEY KNOW I’M SICK

 

 ティラニーは十字架の前に跪く。
 「見よ。これこそ人間だ。あまりに人間的な、人間そのものだ」
 ティラニーの欠落、ティラニーの欲望、ティラニーのファルス。
 ティラニーの子どもたちサンデイ・ピープルはそれに同一化しようと、アユハピを奥の奥まで押し進める。彼らの笑顔はエルヴィスのように変形する。
 アユハピの数値が一桁進む。 
 ティラニーは唱える。
 「悪魔祓いだ」
 ティラニーは握りしめたアユハピで聖痕を書き換える。

 

 THEY KNOW I’M S DICK

 

ボイラーの咆哮。黒煙と白煙。屹立する十字架と巨大な煙突。

 

 

 

 

それから、俺は不思議な体験をした。それは本当に不思議な体験だった。
 あらゆる過去の俺が、今の俺へと重なっていった。
 それはフラッシュバックでもなかった。
 覚えていた過去も、忘れていた過去も、あらゆる過去が今という一点へと収斂した。
 そしてあらゆる未来も。
 今、この星の現在地は夜明けだった。
 
 周囲をぐるっと見わたす。一回転のつもりが止まらなくなって、次第に風景はゆっくりと流れて止まる。遠近感のおかしな木は輪郭がひしゃげて、爛々とした緑がこちらへ猛スピードで迫ってくる。高彩度の緑を避けようとして、左手をかざすと、左腕から左の腰にかけて背中側が無くなって、両足も踵以外はあるんだかないんだかわからない頼りなさで、バランスを崩して地面へとダイブする。くすぐったくてじっとしてられないので、芋虫をイメージして仰向けになると空が雲を残して落ちてくる。左手を伸ばすと左手の前側はちゃんとあって安堵のため息を口から吐いたつもりがこめかみの部分からぷしゅっと空気が抜ける。右手は川の流れになって、背中は雑巾みたいにしぼられ、お尻は無く、そこには生ぬるいゴミ袋が詰め込まれている。全部がばらばらに動いて、糸がほどけていくように、顔が無くなって、内蔵が無くなって、ついに魚眼レンズみたいな見えかたしかできないひとつの目となる。引き延ばされ婉曲した雲のかたちが寒々しくかんじられて、「!」と今度は口から出た悲鳴がフラクタルに巨大化してあたりを埋め尽くす。腸管と表皮だけの存在へと変化し、薄皮一枚で全てと抱き合っている。

時の流れを失い、過去への愛着を失い、未来への執着を失い、今ここを俺は生きている。
 俺のまわりでいろんなことが起きている、何もかもいっぺんに。

そして、サンデイ・ピープルたちがあちこちで小さな悲鳴をあげる。

「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」「わぁ、極彩色の虹」

万物が柔らかく、しっとりと、親しげに感じられる。真空のなかに太陽の光が水のように注がれている。そのなかで俺も極彩色の虹を見ている。
 俺だけじゃなくて、みんなにも見えているのなら、それは幻じゃなくて、現実なんだ。俺たちは溶け合って、どこまでが自分なのかわからなくなる。けれど、俺は確かに俺として再生して、胸いっぱいに幸福感が満たされる。
 するとサンデイ・ピープルたちの身体は痙攣し、彼らの肉体があらぬ方向へとねじ曲がる。
 謝肉祭カーニヴァル。アユハピの桁がまたひとつ増えた。
 これは幻じゃなくて、現実なんだ。
 これは幻じゃなくて、現実なんだ。
 これは幻じゃなくて、現実なんだ。
 

 

 

「目ぇ醒ませ、ドアホ!」
「それは幻や!」 

 

 

耳元でドスの利いたふたつの女の声がしたかと思えば、次の瞬間に容赦なく頭をどつかれた。
 「女将さん、そんな乱暴したら正太郎くん、死んじゃいますって」「ええから、あんたも手伝って。いうとくけど、死んだら金払わへんからな」「ええ、困るわ」「だいたい、この忙しい時にまぐわいよって。このあばずれが」「正太郎さんからお願いされたんですよ」「よういわんわ」「おーい、起きて〜。また遊んでくれるって約束したやんか〜」「ええから、はよ殴れ!」「正太郎くん、かんにんな!」
 俺はボコボコに殴られる。
 ブラウン管のテレビみたいに視界が明滅し、ブラックアウトした直後に脳は再起動され、記憶や意志といったソフトウェアが走り出すのを俺は確かに感じる。
 高熱がひいた朝みたいな気持ちで、俺は目を開けてみる。
 「あ、起きた」「グッド・モーニング」
 煙のなかで二面のカーキ色をしたガスマスクがそのトンボみたいな目で俺を見つめている。
 口からはホースが背側に伸びて黒い吸収缶へと繋がり、ぶらんぶらんと揺れていた。
 ひとつのガスマスクの首から下は着物で、もうひとつのガスマスク首から下はド派手なピンクの浴衣だった。
 幻よりもずっと荒唐無稽な現実が、俺の目の前には広がっていた。
 「なに笑ろてんのよ」お姉さんが俺の頭をはたく。
 「まーくんも、はよ、これ被り」お母さんが俺にガスマクスを乱暴に装着する。
 「目、ちゃんと醒めたか」
 ガスマスクのフードで塞がれて、俺はそれがどちらの声か分からない。分からないから俺は両方に向けてサムズアップする。
 「そんなら、さっさと、この馬鹿騒ぎを終わらしてきて」
 ふたつの声がユニゾンする。
 なんで俺が?とは訊かない。彼女たちの答えは分かりきっている。
 だって、英語が話せるのは俺だけなのだ。 

ミスター・サンデイは十字架の前にいた。
 黒ではなく青い神経刺激装置をロザリオのように額に押し当てながら、死化粧がおちてエルヴィス・プレスリーには似ても似つかない章造おじさんの死体をじっと見つめている。
 「君も、虹を見たかい?」
 ミスター・サンデイが近づいてくる俺に問いかけた。
 「ああ、みたよ」
 「それは、どんな虹だった?」
 「極彩色の虹だった」
 「そうか」
 ミスター・サンデイは微笑む。
 「私たちと同じだ」
 俺は胸が痛くなる。
 「君も仲間に入れてあげよう。こっちにおいで」
 手招きされて、俺は太陽のバッジを貰った。
 「ありがとう。ミスター・サンデイ」
 バッジをガスマスクのベルトにつけながら、俺はティラニーの髪の毛を掻き分けて頭皮を念入りに観察する。老人は抵抗しない。女将が出刃包丁をつきつけている。
 頭頂部にはやはり古い手術痕があった。
 「DBSも受けたんだな」
 「ロボトミー手術以外、あらゆる方法を試したよ」
 そして、それでもティラニーの虹は消えなかった。
 「だから、ウォーを利用しようとした?」
 「彼は繊細すぎた。それは最初から分かっていたことだ。信じてもらえないかもしれないが、私は本当に彼を救ってあげたかったんだ。彼がみたがっていた新しい無意識とやらはここに露呈したかね?分析家見習いよ」
 そこまで知っているのか、と俺は驚く。
 これは誰がどこまで仕組んだことなんだろうと考えてみても、当然俺には何も分からない。
 俺が分かっていることは、この老人が幻覚剤を使って子供たちをマインド・コントロールしていたことだけだった。そして集団幻覚のセッションのなかで、ひとりだけ電極を使って素面を保つことで超越性を偽造していた。
 「サンデイ・ピープルの子供たちの多くはトラウマを抱えていた。強烈なトラウマは脳に穿った穴のようなものだ。その穴を埋めなければ、それからの人生はその穴の縁をなぞることから逃れられなくなる。あの子のようにね」
 ティラニーの視線の先には息絶えたウォーの姿。
 「前頭葉を破壊してまで?」
 「現実の複数化こそ、私の最大の発明だよ。あれさえ実用化されればLSDに頼るなんて必要がなくなる。けれど、子供たちのトラウマはLSDのおかげで実際に霧散したんだ」
 「それは幻を幻で上書きしているだけだよ、ティラニー」
 俺はきいてみたいことがあった。これが最後のチャンスだと思った。
 「ねえ、ミスター・サンデイ。あんたは現実の可塑性を信じるかい?」
 幻覚剤にもメスにも頼らずに目の前の現実を変えることは不可能なのだろうか。
 ふたつの丸いゴーグルをミスター・サンデイは覗き込む。子供たちの質問にも、きっと彼はこんな風に真剣に答えようとしてくれたんだろう。 
 「つまり、それが精神分析だと、君は言いたいんだろう?」
 ティラニーは微笑む。その微笑みには哀れみが込められていて、俺は急に恥ずかしくなる。
 「私はフロイトを信じない。私から言わせれば、無意識も幻に過ぎん。だが……」
 「人間が言葉を捨てん限りは、それはもっとも強固な、もっとも現実に肉薄した幻なのは、間違いないだろう」
 だから、あんたもつまるところ人間だよ、ティラニー。
 俺はウォーの右目からアユハピを引き抜く。
 「俺がしてあげるよ。ティラニー・カルナ・カサブランカス」
 赤黒いアユハピをティラニーの右目へと突き刺す。
 ぐちゅぐちゅとかき混ぜて、ティラニーの言語野を破壊する。
 ティラニーは憑き物が落ちたように、穏やかな顔をしている。
 言葉はゴッドで、ゴッドは言葉なんだ。そしてゴッドはデビルでもある。
 母親の言葉を真似ることで、赤ん坊は動物から人間になる。
 そして言葉で遊んで、人間は神様をつくる。
 俺は聖痕を書き換える。
 

 

THEY KNOW I’M S D MIMIC K 
 
 

動くな。
 冷たい英語。俺たちが振り返ると、そこにはリュックを背負ったガスマスク。 
 こいつはいつも突然あらわれる。
 ポカホンタスは俺たちに銃口を向けている。
 「おいおい、鉄砲持ってイキっとるけど、こっちにはお前らのボスがおるんやで!」お姉さんがティラニーの頭をぽんぽんと叩く。「そうやそうや!いてまうぞコラ!」お母さんも包丁を振り回してポカホンタスを威嚇する。
 「”それ”はもうサンデイ先生とちゃう。お前らが先生を壊した」
 銃声。ティラニーの脳がぱしゅん!と吹き飛ぶ。
 きゃっ、とお姉さんの小さな悲鳴。あ、もう、恩知らず、と女将。
 「次はお前が僭主なんか?」俺はおとなしくハンズアップする。
 ポカホンタスは何も答えない。
 「なあ、なんであんたはアユハピも使ってへんし、ちゃんとガスマスクしてるん?異端児なん?」
 お姉さんはティラニーの死体を横たわらせながら訊く。
 「確かに」と俺も思わず同調してしまう。
 「なんや、あんたら気づかへんかったんか」お母さんが包丁を地面に投げ捨てながら呆れた表情で言う。
 「あの子、女の子やで」
 男なのに、名前がポカホンタスなわけないだろう。

「すごいな、おばちゃん」ポカホンタスは素っ頓狂な声をだして驚く。
 「ひと目で分かったわ。かしこそうやもん。これぐらいの年の男に、かしこはおらんからな。女の子やから、こんなアホなことにはちゃんと手ぇ出さへん。戦争を始めるんは男ばっかりやろ?日本の総理大臣もアメリカの大統領も、アホの世界代表や」
 「でも、先生はアホちゃう。優しかった」
 「アホは優しいで。私の旦那もそうやった」
 そう。親父は優しかった。
 「アホやからって、優しいからって、男を甘やかし続けたから世の中がおかしなった」お母さんは自嘲気味に話し続ける。
 「かしこのお嬢ちゃん。もうやめようや。せや、女だけの国を作ろう。あんたはそこの女王様になり。わたしもそこで女中したるわ」
 「私も〜」お姉さんが手を挙げてぽんぽん跳ねる。
 ガスマスクの下で、ポカホンタスは笑っているようにみえる。
 だけど銃は降ろさない。それは俺に向けられている。

「ヘイ、ポカホンタス」
 俺は英語で彼女に話しかけた。挙げた両手を横に広げる。
 「こんどは、俺が、君を救ってあげるよ。俺は分析家なんだ。分析家だけが、君がトラウマに惑わされずに生きる方法をアシストしてあげられる」
 ポカホンタスは銃を降ろした。
 「私を?あなたが?救ってあげるって?」
 笑っているようにみえる。
 ああ、もちろんだとも。俺は頷いて、ポカホンタスを抱きしめたくなる。
 俺はヒーローみたいな笑顔を作る。ヒーローはかわいそうな女の子を放っておかない。
 「あなたは、私を男だと思っていたときは、そんなこと言わなかったよね?」 
 「え、いや、それは。そうじゃないだろ。きいてくれ」
 「きいたよ。きいたうえで思ったの。馬鹿じゃない?」
 「違うんだ、落ち着いて」
 「女が怒っていたら、落ち着いてないって思うんだ」
 「……」
 「あなただけの王国を作ってあげる。誇大妄想にはうってつけじゃない?」
 俺はどうやら大きな失敗を犯したことに気づく。
 振り向くとお母さんもお姉さんも、冷ややかな目で俺を見ていた。
 ポカホンタスはリュックから拡声器を取り出す。
 「違うんだ。男とか女とか、そんなことじゃなくて、」
 喉がからからに乾いて言葉に詰まる。
 ”So Pocahontas, I said you’re human after all.”
 ”Yes, I’m human, but not just human. We are named. We are SUNDAY PEOPLE”
 ポカホンタスはガスマスクを脱ぎ捨て、煙を大きく吸い込む。
 「みんな、きこえますか、きこえますか。こちら外交官ポカホンタス」
 そして彼女はお腹の底の底の底から、とてつもなく大きな声を出した。

 

 「次の僭主はAfter WAR, Next Tyranny is、森川正太郎!」

 

向かってくる数千のサンデイ・ピープル。俺はガスマスクを剥ぎ取られ、玉座へと案内される。
 もみくちゃにされながら、ポカホンタスが銃とお母さんの手をとって遠くへと逃げる姿を俺はたしかに見た。
 だけど二人の背中は極彩色の虹の中に消えてしまう。

 

 

 

 

俺の目の前には、ウエディングドレス姿のお姉さんが立っていた。
 この人は、俺の初恋の女性。嬉しくなってしまう。
 お姉さんは、空を見上げている。
 白い煙を、白い煙突が貫いている。
 その中心に、輪っかになった虹がみえる。
 「虹やね」と俺、「そうやね」とお姉さん。
 同じ虹をみている。
 俺とお姉さんは、新しい外交官につれられて、十字架の前に立った。
 十字架には、ミスター・サンデイ。その頭に、脳はもうない。
 俺はお姉さんの瞳をのぞきこむ。開いた瞳孔に虹が重なっている。
 虹彩ではなくて、極彩色の虹が。
 「おぼえてる?」お姉さんが俺に笑いかける。
 ああ、この人は、かわいいな。
 「なにを?」俺も微笑む。
 「忘れたらあかんって、言ったやん」お姉さんが俺をこづく。
 「人間は幸せになるために生まれてきた」
 いいこ、いいこ、って、お姉さんの右手が俺の頭を撫でる。
 俺は泣いてしまう。
 「なんで、泣いてんの?」
 手が震えている。心臓が高鳴って、口の中に唾液が溢れる。
 「この涙は、お金では買えへんよ」
 俺は涙を拭う。拭った右手は失われている。
 「わたしも、幸せになりたい」
 お姉さんがバランスを崩して、俺はあわてて花嫁を支える。
 支えた瞬間に、お姉さんの下腹部に俺の腕がのみこまれる。
 「おかあさん」
 「おかあさんちゃうよ、このマザコン」
 俺はしまったと思う。
 そして、結婚指輪を用意してなかった。
 「そんなん、いらんよ」
 お姉さんが俺にキスをする。
 俺はまた泣いてしまう。
 お姉さんの左手の薬指は切り落とされて、かわりに赤いアユハピが刺さっている。
 お姉さんはにっこり笑う。ああ、俺は、この人が本当に大好きだ。
 「ヘイ、アー・ユー・ハッピー?」
 お姉さんは薬指を俺の鼻へとねじ込んだ。
 薬指は俺の鼻骨を砕いて、前頭葉へと到達する。
 お姉さんの薬指が、俺の脳をくちゅくちゅとかきまわす。
 俺は勃起してしまう。
 そして、白浜の湯〜々♨で、ティファナの白浜の湯〜々♨で、クリーブランドの白浜の湯〜々♨で、テルアビブの白浜の湯〜々♨で、釜山の白浜の湯〜々♨で、アムステルダムの白浜の湯〜々♨で、ユージーンの白浜の湯〜々♨で、ラスベガスの白浜の湯〜々♨で、トロントの白浜の湯〜々♨で、ミルウォーキーの白浜の湯〜々♨で、デンバーの白浜の湯〜々♨で、大阪の白浜の湯〜々♨で、サンフランシスコの白浜の湯〜々♨で、シアトルの白浜の湯〜々♨で、トゥールーズの白浜の湯〜々♨で、カンザスシティの白浜の湯〜々♨で、ヒューストンの白浜の湯〜々♨で、上海の白浜の湯〜々♨で、テムペンの白浜の湯〜々♨で、バンクーバーの白浜の湯〜々♨で、ローマの白浜の湯〜々♨で、ピッツバーグの白浜の湯〜々♨で、マンハイムの白浜の湯〜々♨で、ダラスの白浜の湯〜々♨で、ワイキキの白浜の湯〜々♨で、シドニーの白浜の湯〜々♨で、サスカトゥーンの白浜の湯〜々♨で、メルボルンの白浜の湯〜々♨で、ワシントンD.Cの白浜の湯〜々♨で、俺は絶頂を迎えた。
 射精とともに俺の全身が痙攣する。
 肉がちぎれて、骨が折れる音がする。
 恍惚と苦痛がオーバードライブして、俺を振り切ってゆく。
 アユハピの値は、とうとうメタンフェタミンを超えた。
 俺は獲物を追うライオン、またはライオンに追われる獲物。
 俺は言葉を忘れる。お姉さんは泡とゲロを吐いている。
 ごぼごぼと溺れながら、魚眼レンズは空をうつす。
 ウォーが予言した地面ではなく、”それ”は雲を裂くように顕れた。
 戦闘機。
 そして、どうやら、最近は、戦闘機すら広告媒体として利用されているようだ。 

 

 

A Diamond Is Forever ダイアモンドは永遠の輝き🍣”

 

 

虹の真ん中から、爆弾が投下された。俺たちは、みんな、幸せになりたかっただけなのに。
 眩しい光のあとに、煙突が崩れおちる音を俺は確かにきいた。そのあとは、水が満ちた。あたりはびしょ濡れになったんだ。

 

 

 

 

続いてのニュースです。

和歌山県白浜町でおきた、アメリカのカルト集団「サンデー・ピープル」による温泉施設占拠事件について、鎮圧後はじめてとなる現地視察が本日行われました。国防軍十一部隊による現地視察は午前九時から午後三時まで行われ、日本人を含む複数の遺体が回収されました。「毒ガスが発生している」という近隣住民からの通報があり、同行した国防軍化学大学校の笹沼彰義教授によると、サンデー・ピープルが麦角中毒に陥り占拠に及んだ可能性があるとのことです。笹沼教授は先程行われた記者会見で、施設周辺はライ麦、小麦、大麦、稲、笹、などの群生地であり、それらを大量に燃やすことで麦角アルカロイドが煙とともに中枢神経に達し集団規模の麦角中毒を引き起こしたのではないかと、指摘しました。

「さまざまな要因が偶発的に重なり、発生したと考えております。麦角には発生しやすい地域や気候といったものが存在してですね、たとえば今年のような冷夏が、麦角の発生には好条件だったわけです。中毒の主な症状としては、えー、痙攣やひきつけ、あとは幻覚ですね。具体的には、身体の感覚を失ったり、風景が伸びたり縮んだり、あとは時間感覚が狂ったり。麦角アルカロイドは脳内のドーパミン量に干渉して、つまりLSDのように、というかLSDは麦角アルカロイドから分離された薬物なので、サンデイ・ピープルはつまり集団幻覚状態だったわけですね。ただ、不思議なことは、先程も申した通りですね、あまりにも偶発的な要因が多く、この占拠事件自体がね、顛末も含めて、予め計画されていたと考えたほうが私は腑に落ちますね。実際、これが戦争の引き金になりつつあるわけでしょ。今となれば、あそこにいた人はみんな死んでしまっ

 

ニュースの途中ですが、臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。

我が国に武力攻撃が迫っております。
 我が国に武力攻撃が迫っております。
 我が国に武力攻撃が迫っております。

又は既に我が国に武力攻撃が発生した可能性があります。
 又は既に我が国に武力攻撃が発生した可能性があります。
 又は既に我が国に武力攻撃が発生した可能性があります。

非戦闘員は近隣の堅牢な建物やシェルターに避難してください。
 非戦闘員は近隣の堅牢な建物やシェルターに避難してください。
 非戦闘員は近隣の堅牢な建物やシェルターに避難してください。

戦闘員は速やかに戦闘に備えてください。
 戦闘員は速やかに戦闘に備えてください。
 戦闘員は速やかに戦闘に備えて、わっ、なんだ、お前ら。

 

「マイクかせ!アホ」

「男ども。いますぐ逃げなさい。いますぐ逃げなさい。幸せになるために、逃げなさい」
 ”Hey dude, run away right now, run away right now. Run away to be happy.”

「女性、そして子供は私たちに連絡を。連絡先は・・・」
 ”We are Messenger From Sunday. We are Messenger From Sunday. And I am WAP, Wet Ass Pussy, Woman As President.”

びしょ濡れのオマンコWet Ass Pussy女性を大統領にWoman As President
 「駄洒落なんて言ってる場合かって?知らんかったのか?だって言葉は・・・」 

 

 

<了>

 

文字数:45111

課題提出者一覧
櫻井 雅徳
櫻井 雅徳
ヘイ、アー・ユー・ハッピー?
古川桃流(とうる)
古川桃流(とうる)
スイングバイはミッションなのか
柊 悠里
柊 悠里
スパイスを間違えただけなのに!
中川 朝子
中川 朝子
レフティ・ライティ
伴場 航
伴場 航
陽光の尽きるところ
難波 行
難波 行
おしゃべりしましょう
夢想 真
夢想 真
禁断の缶蹴り
相田 健史
相田 健史
からくり人体
瀧本 無知
瀧本 無知
むくの木の実が落ちる
柿村イサナ
柿村イサナ
あるいは脂肪でいっぱいの宇宙
長谷川 京(けい)
長谷川 京(けい)
エイリアンステイツ・51からの大統領選遊説キャンペーン
広海 智
広海 智
木は語る
イシバシトモヤ
イシバシトモヤ
双子の国
霧友 正規
霧友 正規
クレタ人はみな嘘つきであろうとする
岸田 大
岸田 大

岸本健之朗
岸本健之朗
怪獣国境
渡邉 清文
渡邉 清文
われらの一票の価値
降名 加乃
降名 加乃
ぎがぱっち!
庚乃 アラヤ (コウノ アラヤ)
庚乃 アラヤ (コウノ アラヤ)
マッハ、轟々 ver.DC
真中 當
真中 當
安全な子ども
牧野大寧(だいねい)
牧野大寧(だいねい)
黄金の音楽史
山本真幸
山本真幸
大庭繭
大庭繭
眩しい闇の名前はひかり
中野真
中野真
太陽は野暮
水住 臨
水住 臨
付喪神狂想曲
方梨 もがな
方梨 もがな
彼等の行方を知るものは誰もいない
中野 伶理
中野 伶理
ゲームチェンジャーは当惑する。
向田 眞郵 (ムコウダマサユウ)
向田 眞郵 (ムコウダマサユウ)
幾何の泡(いくばくのあわ)
岡本 みかげ
岡本 みかげ
お姫様の秘密
伊達 四朗
伊達 四朗
エイリアングレード1/1シュウくん
和倉稜
和倉稜
そしてヒトはいなくなった
佐竹 大地
佐竹 大地
嘘つきは世界の終わり
花草セレ(はなくさせれ)
花草セレ(はなくさせれ)
アルカエオプテリス・アゲート
織名あまね
織名あまね
とある塔の観察日記
宿禰
宿禰
サイズがあわない
多寡知 遊(たかち・ゆう)
多寡知 遊(たかち・ゆう)
神の不在は、滅亡への道ゆきなりや
やまもり
やまもり
電子な小悪魔の過去・未来・運命
猿場 つかさ
猿場 つかさ
その日からドアは戻らない
髙座創
髙座創
ニオベーは遺言の夢を見ているか
継名 うつみ
継名 うつみ
ワタルくんと帰りたい
馬屋 豊
馬屋 豊
(有)木乃伊商会
八代七歩
八代七歩
貴方のためのマフ
邸 和歌
邸 和歌
夕方 慄
夕方 慄
その〈Cheerio!〉にご注意ください

文字数:45918

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