美しい終わり
「私」が彼に会ったのは、もう十年以上も前だ。
彼の要請で訪れたコモ湖畔にあるルネッサンス様式の邸宅は、元々貴族のヴィラだったものを移築したらしいが、世界中の富豪の別荘が立ち並ぶこの辺りではこじんまりしたものながら、優美さでは群を抜いている。
まとめて購入したのか、部屋に置かれた調度品も当時のもので、建物と馴染み独特の空気を醸し出している。先客との話が長引いているとかで待たされている部屋も不思議と居心地がよく、これから大事な商談をするというのに、私は意外とくつろいでいた。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
秘書なのか、黒いスーツの若い男性が私を呼びにきた。
人間ではないな、と私はすぐに気付いた。口調も動きも人間そのものだが、私の目はごまかせない。
正方形に作られた中庭を囲む廊下を歩きながら、私はこの家の主について考えていた。
アラン・ロベール。
不動産やリゾート開発を中心に複数の会社を束ねるロベールグループを急成長させた立役者。半年前に妻であるポーラ・ロベールを亡くしている。子供はおらず、仕事はポーラの甥や姪がそれぞれ後継者として指名されている。
本来なら80歳を超えているはずだが、富豪ならみなやっているアンチエイジングの効果で、見た目は三十代後半から四十代前半に見える。すらりと背が高く、若い頃から注目されていた美貌も衰えていない。
「こちらです」
秘書がノックして、分厚い木のドアを開ける。
「旦那様。コッペリウス・カンパニーの方がいらっしゃいました」
ロベール氏は笑顔で私を出迎えた。
「お待たせしてすまなかった」
「いえ。本日はお会いできて光栄です。ムッシュウ・ロベール」
私達は挨拶の握手を交わすと、ソファに座った。
応接室だけあって先程の部屋よりも格段に豪華だったが、居心地の良さに変わりはなかった。
「早速だが、機械人形をオーダーしたい」
「かしこまりました」
私は鞄からカタログを出した。
コッペリウス・カンパニーは完全受注生産の機械人形工房だ。
機械人形が珍しいものではなくなって、安価な大量生産品が出回る世の中になって数十年。その中でコッペリウス・カンパニーは老舗の超一流ブランドとして君臨していた。
顧客は紹介制。資産があるというだけではなく、コッペリウス・カンパニーの機械人形を所有するにふさわしい品格を持つものでなければ、顧客リストに名を連ねることはできなかった。
そのハードルの高さ故、一般人にその名はあまり知られていないが、世界の上流社会の中では、コッペリウス・カンパニーのC・Cのマークの入った機械人形を所有するのがステイタスであり憧れでもあった。
開発・制作・カスタマーサービス、全ての担当が超一流。
当時、私は営業一課の主任だったが、工学系の大学院卒で、その後海外留学もし、複数の言語でセールストークできる語学力もあった。
着ているスーツも持ち物も、最上級の客の前に出て恥ずかしくないものであり、それらを用意できるだけの給料をもらっていた。
「ご存じの通り、我が社の機械人形は完全オーダーメイドです。外見はカタログに記載された各パーツからイメージに近いからものを選んでいただき、その後調整をして制作に取り掛かります。性格は、数時間かかるアンケートを数回受け、サンプルの試用期間を経た上で決定していただきます」
私の説明を、ロベール氏はカタログを開くことなく聞いていた。
大概というか、今まで私が担当した顧客はみな、すぐにカタログを開き、どのような機械人形にしようか目を輝かせたものだ。だが、ロベール氏はぼんやりと表紙を見つめたままだ。
「ムッシュウ?」
「ああ、すまない」
細く長い指先を唇に当てて、考え込むような表情をしたままロベール氏は言った。
「どのような機械人形をお望みですか?」
「……妻を……ああ、いや。違う」
独り言のように呟いてから、それを打ち払うようにロベール氏は手を振った。
私は、聞かなかったことにした。
この手の依頼は、今までにも数えきれない程あった。
亡くなった妻を夫を、親や子供を、忘れられない恋人を。
だが、それは決して許されないことだ。法律で禁止されているという以前に、実在している、もしくはかつて実在していた人間を、機械人形で複製することのリスクを、我々はよく知っていた。ロクなことにならない、その一言に尽きる。
これまでどれだけのトラブルがあったが、ロベール氏も知らないはずがない。都度、メディアに大きく取り上げられていたからだ。
そして相手が誰であろうと、どれだけ金を積まれようと脅されようと、我が社が違法なオーダーを受けることはない。コッペリウス・カンパニーを貶めるようなものは作らないのが、創業者から受け継がれた世界最高峰ブランドとしての誇りであった。
私は仕切り直して、ロベール氏の要望を聞いた。
「そうだな。若く美しい女性がいい」
私はタブレットにその要望を書き込んだ。このオーダーも非常に多い。さすがにそれに特化したものを作ることはないが、自分の身の回りの世話をさせるのに、どうせなら目の保養になるものをと考えるのは、ある意味自然なことだ。
ロベール氏は続けた。
「背が高くて細身で、長いプラチナブロンドで。瞳はそうだな。グレーがかったブルーで……」
私はメモを取っていた手を止めた。
「それは……」
亡くなったあなたの奥様ではないですか、という言葉が危うく口から出そうになった。
ポーラ・ロベール。
資産家の一人娘。元々、ロベール・グループはポーラの父親のものだった。それをポーラと結婚したアランが引き継いだのだった。
元トップモデルで人気女優。類まれなる美貌と限りなく自由な精神の持ち主で、流した浮名も数知れず。実のところ、我が社の創業者も名前が上がったことがある。ゴシップ紙にとってはネタを提供し続けてくれる有難い存在だっただろう。
それだけに結婚を決めた時の、皆の驚きはすさまじかった。
発表されたのが、所有の島で身内だけの結婚式が終わった後という突然さもあったが、結婚相手であるアランの容貌の美しさが話題をさらった。
しかも、一度も恋の相手として上がったことのない相手であり、ポーラの事務所に所属する売れない新人モデルであったことも人々の興味を引いた。
ポーラがアランに騙されているだの、どうせすぐ離婚するだの散々騒がれた。
だが、結婚と同時にポーラが表舞台に出なくなったことで、十年も経つ頃にはすっかり飽きられ、今では映画マニアでもない限りポーラ・ロベールという女優がいたことさえ忘れている。
「ああ、いや忘れてくれ」
私は黙ってそれまでのメモを消した。ディナーの口直しのソルベがレモンかオレンジかの違い程度の軽さで。
「仕様のご希望ですが、お急ぎには及びません」
私はテーブルの上に開かれたカタログをそっと閉じた。わずかに触れたロベール氏の指先が冷たかった。
「来月また伺います。その時にまた相談いたしましょう」
「わかった。それまでにイメージを固めておこう」
ロベール氏は微笑んだが、ひどく疲れているように見えた。
気になる事はたくさんあったが、ここで長引かせても良い結果は得られないと判断した私は、その場を後にすることにした。手応えがない時は、一時撤退も厭わない。長年の営業活動で得た技術だ。
「では、一月後に。またお会いできるのを楽しみにしております」
挨拶をして立ち上がると、ロベール氏が右手を差し出したので、私は彼と握手をした。
それが、今日コモ湖の見える別荘まで来たことに対するねぎらいなのか、今後の取引への期待なのかはわからなかった。
「では、失礼いたします」
深々とお辞儀をすると、近くに控えていた若い男の機械人形がドアを開けてくれた。
「玄関まではメイドがご案内します」
だが、廊下で待っていたのはメイドではなく、白衣を着た老人だった。
「あなたは?」
私の問に答えないまま、老人は「玄関まで一緒に行こう」と言った。
老人が何も話さないので、私も黙って廊下を歩いた。広い屋敷なので、玄関までが遠く、沈黙が重い。ここからは一人で、と言おうとしたのを察知されたのか、突然老人が口を開いた。
「私はアランの主治医のようなことをしている者だ」
「主治医、ですか」
「そうだ。専属で彼の健康管理をしている。金持ちには珍しいことではないだろう」
「確かに」
私は笑顔で相槌を打ちながら、彼の真意を探ろうとした。
「ムッシュウ・ロベールはお仕事が忙しいのでしょうか?」
「当然だ。天下のロベール・グループ様だ。ポーラが亡くなってから引き継ぎだの何だので、ずっと寝る間もなかった。落ち着いたのはつい最近だ」
「通りで、お疲れのようでした」
老人はまた無言になった。今度は私が切り出す番だった。
「奥様を亡くされたことも堪えているのでしょうか?」
「ああ……」
老人は肯定とも否定とも取れるような中途半端な返事をした。
正直、私はアランがポーラを失ったことで、あのように気落ちするとは思えなかった。
二人の結婚は「素性の知れない見た目の良い男が、手練手管を使って運よく金持ちの娘を射止めた」という状況だと当時から言われていた。当時アランは違法入国者で、結婚に際しポーラが金と権力で戸籍を用意したという噂もあった。当時、ポーラの父親が大病を患っていなければ、この結婚はなかっただろうというのも頷ける。
今回の仕事に際し、当時の資料を読んだ私もそうだろうなと感じた。
結婚式や新婚旅行の報道写真を見ても、どこかアランの表情は硬い。造り物のようなぎこちなさを感じる。お世辞にも夫婦仲が良いとは言えず、夫は仕事を理由に稀にしか妻と行動を共にすることはなく、結婚式から二年を待たずに売り出し中の若手女優との醜聞が発覚した。それからは数年置きに、毎回違う相手との関係が取りざたされていた。
不思議なのは、それでもポーラが離婚しなかったことだ。
ポーラは結婚して表舞台からは姿を消したが、上流階級特有の人付き合いはそのままでパーティーにも顔を出していた。友人知人達の話では、かつて多くの人々を魅了したポーラの美貌は一向に衰えておらず、むしろ艶を増しているということだった。あんな男と別れて一緒になって欲しいと懇願した者も一人 二人ではなかったが、ポーラが首を縦に振ることはなかった。
だから今になって妻の面影を追い求めるようになったのだろうか。
「おい」
呼ばれて、私はハッとした。どうやら考え込んでいたらしい。老人はじっと私の顔を見ている。
「あの……」
戸惑う私の顔を見つめながら、老人は言った。
「どうしてもポーラを作ることはできんか?」
「え?」
「いや。法律で禁止されていることも、C・C が決して実在の人物を作らないことも、よく知っているよ。君よりもずっとな。機械人形の発展をこの目でずっと見てきたんだから」
「仰りたいことはわかりますが」
「だめかね」
「ご期待には沿えません」
老人は深い溜息をついた。
「やはり、私がなんとかするしかないようだ」
私に向かって言ったのか、独り言なのか、老人はそう呟くと、私に手を差し出した。
「ジャック・ブラウンだ。よろしく」
「よろしく」
なんだかよくわからないまま、彼の手を取り、私も自分の名を告げた。
一月後――
ロベール氏が呼びつけたのは、鎌倉の山中にある、これもまた別荘の内の一つだった。
迎えの車の窓からは、ずっと海が見えていた。その向こうに見える山が富士山なのだと運転手が教えてくれた。
別荘は、生い茂る木々に隠れるようにしてひっそりと存在していた。大きな門は木製で、中を伺い見ることはできない。ただ見えたとしても、そこにあるのは完璧に作られ手入れされた日本庭園だけで、建物やましてや中にいる人物の姿を知ることはできないだろう。
コモ湖の別荘とは違い、ここは敷かれた石の上を歩いて行く。小さな竹林や熊笹の茂みがあったかと思えば、人工の池には色鮮やかな錦鯉が泳ぎ、小さな滝もあった。
狭い石段を上った先には、今はほとんど見られなくなった日本家屋があった。
さすがに完全な日本式の生活は厳しいのか、畳の上に緞通絨毯が敷いてあり、その上に木のテーブルと椅子が用意されていた。
「こちらでお待ちください」
案内の者が飲み物を置いていなくなってしまうと、私は部屋に一人になり、聞こえるのは滝の水音と、山に棲む鳥の泣き声と、時折吹く風に揺れる木々の葉擦れの音だけになった。
このあたりは座禅というメディテーションのできる寺が多いと聞いたが、この清浄な雰囲気のせいではないだろうかと思った。清水のような気が自らの内から外へ巡っては、心身に溜まった滓を洗い流していくようだ。出された緑茶の香と苦みも清々しい。
前回のコモ湖をはじめ世界中に美しい場所はあるが、ここはまた独自の空気を持っている。
キュキュと木を踏む音にそちらを見ると、引き戸に張られた薄い紙に人影が映った。どうやら向こうは廊下になっているらしい。
「失礼いたします」
戸を開けたのは着物姿の女性の機械人形だ。
思った通り、引き戸の向こうは廊下になっていて、その先はガラス張りになっている。庭の緑が目に鮮やかだ。
だが、機械人形の後ろから入ってきたロベール氏の姿を見て、私はぎょっとした。
日本風に黒い着物を着ていたからではない。かつての伊達男の姿はどこへやら、彼はやつれ老いていた。
「待たせて悪かった」
先月会った時は、疲れているようだとはいえ大企業のトップ然とした張りがあった。しかし、今のロベール氏はしおれた花のようだ。
私が動揺していることに気付いたのだろう。ロベール氏は椅子に座ると、弱弱しい笑顔を見せて「良いところだろう」と言った。
「ええ。良いところです」
私は答えた。
ロベール氏がヨーロッパの避暑地ではなく、わざわざ鎌倉までやって来た理由がわかった。
「それで、先日送っていただいた仕様で制作を始めてよろしいですか?」
「ああ。頼む」
先日、彼から仕様要望書が返送されてきた。使用目的は「主に話し相手」というものだったが、生活介助にもチェックが入っていた。見た目の希望は、先ほどの機械人形のように、濃い茶色の髪に同じくこげ茶の瞳。どちらかというと仕事のパートナーとして希望されることの多い、しっかりした女性のイメージの外見だ。声のトーンや仕草、性格も「秘書タイプ」に近い。
「こちらでよろしいですか?」
「ああ。それで頼む」
ロベール氏は、気の無い返事をした。
完全オーダーメイドであり、他の追随を許さない世界最高品質を誇る我が社の製品は決して安価ではない。腕時計や車を重い浮かべるとわかりやすいだろうか。全く珍しくない程に普及しているが、庶民には決して手の届かない贅を尽くしたものも存在する。
我が社の機械人形は、悠に高級リゾートの一等地にある富豪の別荘くらい買える程の値段がする。しかも常に身近に置いておくものだ。
いかな金満家といえど、購入にはもう少し慎重になるし、オーダーにもこだわりを見せる。
だが、今日のロベール氏は「どうでもいい」の見本のような態度だった。
「納期まで二年はいただきます」
「わかっている」
最後の確認が済んでも、ロベール氏はどこかうわの空のままだった。
かつて皇帝の翡翠ともいわれた緑色の瞳は、存在しない何かを見つめている。
「ムッシュウ」
私が声を掛けても、こちらを向かない。
「鎌倉は良いところですね。他にどこかへ行かれるご予定は?」
「箱根の温泉にでも行こうかと思っているんだが、どうにも億劫でね」
そう言うと、ロベール氏はようやく私の方を見た。
「箱根はポーラが……妻が行ってみたいと言っていたんだ」
「そうですか」
「鎌倉はポーラのお気に入りの場所だ」
「奥様の?」
「ああ。心が洗われると言っていた。東洋的な気の流れが良いのだと言っていた。なので試しに来てみたが、私にはどうもよくわからない。ポーラとはとことん気が合わないようだ」
「夫婦でまったく同じ意見になる方が珍しいかと思いますが」
私は笑い飛ばす振りをしたが、鼓動は速くなっていた。
「時間がかかるのはわかっているが、なるべく早く頼むよ。どうもここにいるとポーラに生命力を吸い取られているような気がする」
「ご冗談を」
私は平静を装って言った。
「では、今日はこれで失礼いたします。何かございましたらいつでもご連絡ください。世界のどちらにいらしても、必ず伺います」
「世界のどこでも、か」
ふと、ロベール氏が笑った。先月も会っているのに、何年かぶりに笑顔を見たような気持ちになった。
「じゃあ、君は私がエベレストの山頂に呼びつけても来るのかね」
「もちろんです、ムッシュウ。それがコッペリウス・カンパニーのカスタマーサービスですから」
「その時は頼むよ」
だが晴れ間は一瞬で、すぐに暗雲が立ち込める。
「では失礼いたします。また何かございましたら、いつでもご連絡ください」
改めて言う私を、ロベール氏はもう見なかった。その目はまた、ここには無い何かを見つめていた。
席を立つと、すうっと障子が開いた。ロベール氏を連れて来た着物姿の機械人形が、私を玄関まで案内してくれた。
「ああ、そうだ」
私は、大事なことを思い出した。
「ジャック・ブラウン先生はいらっしゃいますか?」
「ブラウン先生ですか?」
機械人形は、つと足を止めて聞いてきた。
「どういったご用件でしょうか?」
「いや、大した用事ではないのです。先月コモ湖の別荘でお会いしたので、ご挨拶をと思いまして。今回はご一緒ではないのですか?」
いささかしつこかったかなと思ったが聞いてみた。
「先生もご一緒ですよ。ただ、この時間は散歩に出てらっしゃいます」
「どちらへ?」
「さあ、そこまでは」
再び庭を通って大きな木の門まで来ると、送迎の車が待っていた。それに乗り込もうとした時だ。坂道を上ってくる男の姿が見えた。
「ブラウン先生!」
運転手に少し待ってくれるようお願いすると、私はブラウン先生の元へと駆け寄った。
「おう」
ぶっきらぼうに片手を上げるブラウン先生に、私は言った。
「あれは……ロベール氏のあの様子はどういうことです?」
非難めいた私の口調に、ブラウン先生は顔を曇らせた。
「このところ急に具合が悪くなった」
「どうにかならないのですか?」
「どうにかしようと頑張っているところだ」
「私に協力できることがあれば、遠慮なく仰ってください」
「ではポーラを作ってくれないか」
「無理です」
私はきっぱりと断った。
「ポーラ・ロベールの複製を作ることはいたしません」
ブラウン先生は、それ以上助けを求めなかった。
「……しかし、ロベール氏は大切なお客様です。我が社でできることがあれば、惜しみなく協力いたします」
「社交辞令じゃないことを祈るよ」
そう言うと、ブラウン先生は私の肩をポンと叩いて、待っていた車に乗るよう促した。
車の中から見る海は、来るときよりも荒れているように見えた。
アランはポーラを忘れてはいない。むしろ、愛していないと言いながら、彼女のことばかり考えているようだ。
結婚直後、引退時のインタビューで、ポーラは彼のどこに惹かれたのかという質問に「内緒」と答えていたのを思い出した。
胸に届く長さのプラチナブロンドの巻き毛が顔にかかるのを指ではらいながら、ポーラは笑顔で話していた。
「見た目も良くて、才能もあって、ミステリアス。夢中にならない女がいて?」
「確かにそうですけど」
インタビュアーが聞きたいのはそこじゃないと言わんばかりに、もどかしそうな顔をした。既にポーラに振り回されている。
「それとも子供に聞かせられないようなことを知りたいの? それならもちろん最高だと言わせてもらうわ」
真っ赤になるインタビュアーに、ポーラはうふふと笑ってみせた。
「それともう一つ。彼には秘密の魅力があるの。それは、私だけにしかわからない特別な魅力」
「それは何ですか?」
餌を差し出された犬のように、インタビュアーの目が輝いた。心の中で尻尾をぶんぶん振っているのがわかる。だが、ポーラはあっさりと「教えられない」と言った。
「だって、それを公開してしまったら、世界中の男が真似をして私の気を引こうとするでしょう? 面倒だわ」
呆れるインタビュアーに、ポーラは嫣然と微笑んでみせた。
「私にはアランが。アランだけがいればいいのよ」
彼女の想いを受け止めるのは、アランには荷が重いをいうことだろうか。
次に会ったのは、セイシェルのヴィラだった。
船を下りた私を出迎えてくれたのは、少し日焼けしたロベール氏自身だった。鎌倉で会った時とは違い、かつての快活さを取り戻していた。
多少、取り戻しすぎなのではないかと思うくらいに。
通されたのは、海向かって窓が開け放されたリビングだった。
「そんな恰好では暑いだろう」
スーツ姿の私に向かって、ロベール氏が言う。
「仕事ですから」
「君は真面目だな」
笑いながら、ロベール氏はジャグに用意されたフルーツ入りのスパークリングウォーターをグラスに入れ、私の前に置いた。
「で、書類は出来たのかね」
「こちらになります」
アタッシュケースから出された分厚い最終仕様書や契約書の束を、ロベール氏は鼻歌混じりに目を通した。
「うん。いいね。これで頼むよ」
「ではサインをお願いいたします」
ロベール氏は側に控えていた青年に万年筆を持ってこさせた。青年はロベール氏と同じようなリゾートウェアだった。
つい驚いた顔をした私に気付いたのか、ロベール氏は悪戯っぽい笑顔を見せた。
「もしかしたら君ならわかるんじゃないかと思っていたよ」
「彼は、人間ですね」
「そう。ここに来る前に雇った。なかなか仕上がっているだろう」
ロベール氏のような地位の人間が、身の回りの世話をさせるのに人間を使うことは滅多にない。人間だと、窃盗をはじめとする犯罪の可能性もあるし、雇い主の個人的な秘密を知り漏洩することもある。何より、一人前に「育て」なければならないのが面倒だからだ。
あえてそれをやるのが流行った時期もあったが、人間をペット代わりにしていると人道的な問題から騒ぎになってからは、みな避けている。
「もう下がっていいよ」とロベール氏が言うと、青年は美しい礼をして部屋を出て行った。
「これと同じだよ」
ロベール氏は万年筆をくるりと回しながら言った。
「君達が手書きのサインにこだわるのと同じだ」
紙の書類に手書きのサイン。コッペリウス・カンパニーがこだわっている点だ。書類はすぐに画像データとして管理されることになるので、それなら最初から電子署名でいいのではと思うが、この一見無駄な時間が大切なのだという創業者の教えが守り続けられている。
黙々とサインが続けられるのを見守りながら、仕事をしている部分とは別のところでぼんやりと考えごとをしていた。あの老人医師、ブラウン先生もここではリゾートスタイルなのだろうかというくだらない想像だ。半袖に短いパンツ、サンダルに白衣の姿のブラウン先生を思い浮かべると笑いそうになるが、 その時ふと、ロベール氏のところではない場所で彼に会ったことがあるような気がした。
「やっと終わった」
ようやく全ての書類にサインをし終わると、ロベール氏はおどけて額の汗を拭う真似をした。
「ありがとうございます」
私は書類をチェックすると、アタッシュケースにしまった。
「では早速制作に入らせていただきます」
「ああ。頼むよ」
「今日はブラウン先生はいらっしゃらないのですか?」
さり気なく聞いたつもりだったが、ロベール氏の顔が強張った。
「彼に何か?」
「いえ。ご挨拶をと思いまして」
「残念だが彼はここには来ていない。暑いところは苦手らしくてね。今はスイスにいるよ」
「そうですか」
「君が彼と親しくなっていたとは意外だな」
「コモ湖の別邸の廊下でお会いした際に、世間話をした程度です。お互いコーヒー好きだとわかったものですから、おすすめを伺おうと思ったのですよ」
この時の私の笑顔は、営業用として百点満点だっただろう。
「では、また」
いつものようにロベール氏と私は握手をして別れた。
とりあえず、ロベール氏が元気を取り戻したようで、私は安心した。
機械人形完成前に依頼主が亡くなり、トラブルになることがあるからだ。もちろん、そんなビジネスライクな理由だけではないが。
幸せというのは大袈裟だが、自分の担当している顧客には平穏でいてほしいと思うのは、接客をしている者なら当然だろう。
優雅で贅沢で、コッペリウス・カンパニーの作る最高の機械人形の所有者に相応しい存在であってもらわねば、我が社のブランドにも傷がついてしまうからだ。
ロベール氏の注文が確定し製品ができあがるまで、私は他の顧客のところを飛び回っていた。
彼の近況はチェックしていたが、それは仕事の一環で、他の顧客に対しても同じだ。営業として顧客に対しては平等でなくてはならない。
しかし、ロベール氏だけは特に気にかかってしまう。
私はブラウン先生に話を聞きたいと思ったが、よく考えて見れば、二度、それもほんのわずかな時間に話しただけで、互いの連絡先も交換していなかった。仕事相手なので調べればすぐわかるものではあるが、最近いかがですかと問うためだけに連絡できるような関係ではなかった。
ただ、それだけの関係であるにも関わらず、なぜか親しみを感じるのが不思議だった。
作業は滞りなく進み、ロベール氏のオーダーした機械人形ができあがった。
金髪に透けるような白い肌、気品のある整った顔立ちはポーラにかなり似ている。体つきや細かい癖などにもロベール氏のこだわりが垣間見られる容姿だ。
それに対し、性格は身の回りの世話をさせるための機械人形のテンプレートそのままのようだった。従順で、気が利き、ご主人様を慈しむ。人によってはこれにエロティックな要素を付け加えるが、ロベール氏の機械人形にそんなオプションはない。
届け先はドイツの森の中にある古城。これも昔の貴族の城を移築したもので、小さいながらも趣があった。
「はじめまして。ポリーヌです」
完成した機械人形――予めロベール氏によってポリーヌと名づけられていた――は丁寧なお辞儀をした。顔にかかる髪を払う動きといい、緊張しているとわかる態度といい、余程の目利きでない限り、彼女を人間だと思うだろう。
ポリーヌは間違いなくコッペリウス・カンパニーの誇る逸品だった。
「誠心誠意、旦那様にお仕えいたしますわ」
「よろしく。ポリーヌ」
ロベール氏に言葉に、はにかみながら微笑む様子も人と変わらない。
機械人形のメイドがポリーヌに屋敷の中を案内している間、私はロベール氏に感想を聞いていた。外観その他、不満な点があれば無料で調整することになっている。
「ポリーヌはいかがですか?」
「うん。良いね。イメージ通りだよ」
「それは何よりです」
私は書類を一枚出した。外観についての確認書だ。これで良ければサイン貰う。
「容姿に問題がなければ、こちらにサインをいただけますか? もし身体も確認してからの方が良ければ、後日郵送していただいても結構です。
「いや。身体は別に見なくても構わない」
そう言って、ロベール氏はサインをしようとスーツの内ポケットから万年筆を取り出した。前と同じ、軸に金でロベール家の家紋が入っている特注品だ。
「そういえばセイシェルに居た方は、どうなさったのですか?」
「ああ。彼なら本来の仕事に戻ったよ」
「こちらの従業員ではなかったのですか?」
「あれはジャックが連れて来たんだ。知人の息子さんだとか言っていたな。かなり優秀な学生だよ」
「もしかして医学部ですか?」
「まさか。工学部だよ。ポリーヌも来るのに、いつまでもここに置いておくわけにいかないだろう」
あの青年がブラウン先生の紹介でここに来たというのも、工学部の学生だったことも少し意外な気がした。
ロベール氏はさらさらと書類にサインをした。
「確かに受け取りました。今後、お客様の過失による故障や破損については有料になりますが、ロベール様は保険に入っていらっしゃるので十年間は無料で 対応させていただきます。また、性格についてですが、こちらは三か月の試用期間を経てから確認をいただきます。それまでに自分とは合わないと感じられるようでしたら修正いたします。こちらは試用期間に加え十年間の保障になっております。最初のうちは違和感を感じることもあるかと思いますが、ご連絡いただければすぐに調整させていただきます」
「理解しているよ。それにしても、さすがC・Cの機械人形だな。人間と見分けがつかない。これまでうちで使用していた機械人形もそれなりに人間に近いものだと思っていたが、まるで違う。素晴らしい出来だ」
「お褒めに預かり光栄です」
ロベール氏が使用人として使っている機械人形は二十体以上あるが、どれも高級スポーツカーくらいの値段はするもので、一見しただけでは機械人形とはわからない。間近で言葉を交わして、ようやく本物の人間との違和感に気付くくらいだ。鈍い人なら全く気付かずに終わるかも知れない。
それと比べてもポリーヌは別格だった。
実際に目の前に並んだところを見ると、まるで違う。精密さ繊細さ。金額の0が二桁違うのは伊達ではない。
今まで我が社の製品に満足できなかった客など、いなかったのだから。
「やあ。お疲れ様」
帰り際になって、ブラウン先生が現れた。
「あなたはいつも最後に現れるのですね」
冗談交じりに言うと、ブラウン先生が笑った。
「これで君の仕事も終わりだな」
「まだ性格の確認が残っています」
「それはいつだ?」
「三か月後です」
「じゃあ、その時は一杯やろう。一仕事終えた記念だ」
ブラウン先生がまた笑顔を見せた。
やはり、その笑顔を見たことがあるような気がした。
「もしかしてどこかでお会いしたことがありますか?」
私としては、会っているのにこちらが忘れていては失礼だと思ったのだが、ブラウン先生はなぞなぞと仕掛ける子供のような顔をして言った。
「会ったことはない」
「そうでしたか」
「会ったことは、な」
どういう意味だろうと戸惑う私に、ブラウン先生は答えを教えてくれることはなく、車が来たようだと話を打ち切った。
だが、ロベール氏にポリーヌを届けてから三か月後のことだ。
そろそろ試用期間終了のサインを貰いに行かなければと思っていた矢先だった。
ロベール氏から修正依頼が来た。
「やはり、もっと気位が高い女にして欲しい」
ドバイ砂漠の真ん中に作られたプール付きの別荘。現地の衣装に身を包んだロベール氏が言った。
「わかりました。他にございますか?」
「後はワインや香水の好みが違うな。少し甘すぎる」
「そのように調整いたしましょう」
微調整とはいえない程の細々とした指示。それを私はタブレットに打ち込んだ。
「では三日ほどお時間をいただきます。新しい性格は、センターで作成したものを夜間に自動転送します。お客様の方で特にしてもらうことはございません」
ロベール氏は散々注文を付けた割には気のない返事をした。
よく見れば、以前より痩せて顔色も良くない。
またポーラのことを考えているのかと思ったが、私は口に出さなかった。向こうから話しをされたわけでもないのに、一介の営業担当がメンタルな面に口を挟むのは憚られたからだ。
ポリーヌの修正は滞りなく終わり、改めての試用期間を経て、私は改めてロベール氏の元へと赴いた。
「ポリーヌの様子はいかがですか?」
あえて営業スマイルで聞く私の、ロベール氏はにこりともせずに言った。
「いくつか修正してもらいたいのだが」
修正自体は構わないし、その為に試用期間が設定されている。性格はそう簡単にイメージ通りには設定できないからだ。
「同じ花なら匂いの強い花を好むようにしてほしい」
「かしこまりました」
「ブロッコリーが嫌いではないが、、自らすすんで食べることはない」
前回と同じく、細かい指示が延々と続いた。私は黙々とそれを記録する。
些末な情報の積み重ねで浮かび上がってくるのはポーラ・ロベールだ。
ここに来る前、私はポーラ・ロベールについて、できるだけの情報を仕入れてきた。ロベール氏がいままで修正案として出してきた項目は、どれもポーラのインタビューなどで語られてきたことだ。
「そういえば容姿の変更も、保険で可能なんだっけ」
ロベール氏の言葉は、鎌倉で会った時のように、どこか虚ろだ。
「容姿の変更は工房で行いますので、二週間ほどポリーヌをお借りすることになりますが」
「ああ、いいよ。そのくらいの期間離れていることなど、しょっちゅうだった。問題ない。ポリーヌの右の脇腹に、二つ並んだ小さくて薄いほくろを付けて欲しい。海やプールではやはりあった方がいい」
「ほくろですか」
私はある映画のワンシーンを思い出した。露わな姿のポーラ・ロベールの右わき腹には、二つの小さなほくろがあった。
ロベール氏は、やはりポーラを作ろうとしているのだと思った。
こういう客はたまにいる。実在した人物を作ることはできないと言うと、最初はまったく違う形で作り、後から修正で実在の人物に寄せていこうとする。
気持ちはわからないでもないが、より納得のいくものをというこちらのサービスを悪用されているようなものだ。当然、対策は講じてある。
「ムッシュウ」
私は、あえて丁寧な口調で言った。
「修正は確かに承りました。ただ、法律上実在の人物と同一ではないか、公式の検査が入ります。実在の人物と同一と判定されない範囲内での修正になりますがご了承ください」
私は、よろしいでしょうかとは聞かなかった。相手が不満でも、できないものはできない。法律を犯すことはできないのだ。
「どうしてもだめか」
「申し訳ありませんが」
「……ポーラが夢に出てくるんだ。ポーラを捕まえて聞きたいことがあるのに捕まえられない。彼女に会いたい。ポーラでなければ答えられないんだ」
ロベール氏の苦悩が痛いほど伝わってくる。
「ムッシュウ」
私は失礼を承知で彼の手を握った。
「私達にポーラを作ることはできませんが、問題にならない範囲で、限りなくあなたのお望みに近いポリーヌに仕上げるとお約束いたします」
「頼む」
私の手を握り返してきたロベール氏の目は、潤んでいるように見えた。
「では明日、担当の者がポリーヌを受け取りにまいります」
ロベール氏の部屋から出て、私は大きな溜息をついた。
「大丈夫か?」
いつの間にか、ブラウン先生が目の前にいた。
見られたくない姿を見られてしまい、私は顔が熱くなった。だが、先生はそんな私の様子など、どうでもいいようだった。
「で。ポーラは作ってもらえるのか?」
単刀直入な質問だ。
「無理です。ですが、最後のチェックで引っかからないギリギリの所まで、似せるつもりです」
私も率直に答えた。
それから私達は無言のまま、しばらく歩いた。広い玄関と、その前に停められた車が見えてきたところで、ブラウン先生がようやく口を開いた。
「例えばだ。鍵がなくなって、あると思っていたマスターキーが存在しなかった場合、君ならどうする?」
「鍵ですか? どうにかして新しい鍵を作るしかないでしょう」
「そうだろうな」
「もしくは、開けるのを諦めるか」
「それは面白い考えだ」
広く大きな玄関には一抱えもある大きな花瓶に花が飾られ、その向こうに迎えの車が来ているのが見えた。
そこで足を止めると、ブラウン先生は大真面目な顔で私を見ながら言った。
「アランは呪われているんだ」
「呪いですか」
正直なところ、一体何を言い出すのだろうと思った。
「まさか亡くなった奥様の呪いだって仰るんですか?」
「いいや。もっとタチの悪い、しつこい呪いだ」
ブラウン先生はひどく苦しそうな顔をした。私は彼の方が呪われているような気がした。簡単には祓えぬ何かが背中にどっしりと乗っているようだった。
「ポリーヌを頼むよ」
それだけ言うと、ブラウン先生は私を車に乗せて、見送りに手を振った。
再調整を行ったポリーヌは、よりポーラに似ていた。
知らない人に「誰に似ている?」と聞いたら、100人中98人は「ポーラ・ロベール」と答えるだろう。残り二人は芸能人に疎いかへそ曲がりだ。
顔立ちは元々寄せて作られていたが、それよりも表情や、些細な仕草がポーラのものになっていた。言葉使いや笑い方もポーラそっくりだ。
技術担当と私で情報を共有し、法的に問題ない範囲でギリギリのものを作り上げた。
その甲斐あってか、届けられたポリーヌを見て、ロベール氏は感嘆の声を上げた。
「ただいま帰りました」
金粉をまき散らしたような華やかさで微笑むポリーヌを、ロベール氏は抱きしめた。
「お帰り。ポリーヌ」
ポリーヌもロベール氏の背中に手を回した。
その後の試用期間は問題なく過ぎ、今度こそ確認のサインを貰うことができた。
「お疲れ様」
この人はどうしていつも帰り際に現れるのだろうと思いながら、私はブラウン先生と並んで歩き出した。
「よく頑張ったな。どうだ、お祝いに一杯」
「それが残念ながら、この後仕事が入っていて」
これは本当だった。ようやく彼とゆっくり話せると思っていたのだが、別の顧客に急に呼び出されたのだった。
「仕事じゃ仕方がないな。また、近くに来ることがあったら来てくれ」
「言われなくても、新型が発表されればセールスに伺いますよ」
「楽しみにしているよ」
そうは言っても、世界中を飛び回っている者同士。会うのは、なかなか難しいだろうと思っていた時だ。
最後に会ってから、まだ二年も経っていなかった。
連絡をくれたのはブラウン先生だ。どういうわけか、営業部直通の連絡先を知っていた。
すぐに来てくれと言うので、私はロベール氏のいるパリへと飛んだ。空港には運転手が迎えに来ていて、そのまま部屋へと連れて行かれた。
場所は16区のアパルトマンの最上階。プライベートエレベーターの前で、ブラウン先生が待っていた。
開口一番、彼は「すまない」と私に言った。
ロベール氏の使用人はみな廊下に出されていた。人間は不安そうに寄り添っていたが、機械人形はただそこに立っていた。
「いったい何があったんです?」
「ポリーヌが壊された」
ブラウン先生は部屋の中に入るのには覚悟が必要だと言った。
「いいか?」
私が頷くと、重い扉が開かれた。
アールデコのガラス器がいくつか飾られた玄関ポーチを抜けると、絨毯敷のリビングだ。柔らかな絨毯のせいなのか自分の動揺のせいなのか、足元が覚束ない。
窓からの逆光で、最初は何か黒い塊が落ちているようにしか見えなかった。
それが、一歩づつ近寄るにつれて、正体を現す。
広いリビング一面に敷かれた淡い色の絨毯に、不自然に赤い点が散らばっている。
それがポリーヌの疑似血液であることに気付くのに時間はかからなかった。私は、思わず駆け寄った。
「ポリーヌ!」
ポリーヌは完全に破壊されていた。
特殊用途以外の機械人形は、実の人体と同じ強度で作られているため、壊そうと思えば簡単に壊れる。
隣に曲がりくねったゴルフクラブが落ちているのを見つけた。これだけ殴られれば、原型をとどめてはいられない。
ポリーヌの体はバラバラだった。頭は潰れ、中の人工頭脳が剥き出しになって、冷却用の疑似血液がダラダラと垂れていた。皮膚も裂け、中の骨格が見えている。
特に心臓部分にあるメモリ部分は、これでもかと徹底的に叩き潰されていた。
外観部分ならまだ修復できるが、さすがにここまで破壊されてしまうと、今まで共に時間を過ごしたポリーヌとして再生することはできない。新しく作り直したところで、それはこれまでの時間を共有したポリーヌではなく、同じデザインの全く新しい個体だ。
震える足で一歩前に出ると、つま先がバラバラになった細かいパーツを踏んだ。ジャリとした音と感触に、吐き気がこみあげた。
「いったい誰が……」
「アランだよ」
呆然とする私にブラウン先生が言った。
「なぜ……こんなことを!」
ポリーヌはロベール氏の持ち物だ。それが、いかに高価なものであれ、どう扱うかは持ち主の自由だ。誰もそれに口出しする権利など無いのは理解している。
だが、ポリーヌはただの機械人形ではない。現代技術の粋を集めた芸術品をいってもいい。世界最高峰の腕を持つチームが、全身全霊をかけて作り上げたものなのだ。
腹の奥から湧き上がる感情に突き動かされて、私はブラウン先生に詰め寄った。
「ロベール氏はどこです!」
「アランなら、寝室のバスルームにいる」
「どの寝室です?」
私が聞くと、先生は指をさした。
「そこの廊下の突き当りの部屋だ」
くるりと踵を返すと、私はロベール氏の寝室に急いだ。
「ムッシュウ! 私です」
ノックをしたが返事はない。だが、鍵は掛かっていなかった。失礼を承知で私は中に入った。
「失礼します」
キングサイズのベッドに、背中を丸めてロベール氏が座っていた。
確かにシャワーを浴びたのだろう。バスローブ姿で頭にはバスタオルを被っているが、真っ白なリネンのベッドカバーには、赤く染まった雫がぽたぽたと垂れてシミを作っていた。
「ああ、君か」
ロベール氏は無断で入ってきた私に驚きもせずに、ぼんやりと虚ろな視線を向けた。
「ムッシュウ。これは、これはどういうことです! なんで、ポリーヌにこんな……こんな酷いことを!」
「気に入らなかったんだ」
私の声がうるさくて堪らないといった様子で、ロベール氏は片手で顔を覆った。その手もまだ濡れていた。
「こんなことをしなくても、保険で変更できたんです! 有償だとしても、あなたが払えない金額じゃありませんよ! こんな酷いことをしなくても方法はあったはずです!」
私の精一杯の抗議だった。
「……すまない」
項垂れたままロベール氏は言った。
私は頭の中がぐしゃぐしゃだった。一流の顧客を相手にする営業サービス担当者として、常に冷静を保つ訓練をしてきたし、何事にも対処してきた。
それがこんなに滅茶苦茶になってしまうなんて。その事実がますます私を混乱させた。
「なぜ……ポリーヌがいったい何をしたっていうんです」
涙が溢れてきた。
「ポリーヌがポーラじゃないからだ」
「え?」
「ポリーヌはポーラじゃない。どれだけ似ていても、時間が経つにつれ些細な違いが気になってきて、これがポーラではないのだと思い知らされる。私に必要なのはポーラだけなんだ。ポーラでなければだめなんだ」
ロベール氏は縋るように私の両腕を掴んだ。逃げようとしたが、思ったよりも力が強い。
「夢にポーラが出てきて、私はもう終わりだと言うんだ。それが嫌なわけじゃない。むしろ、もう終わりにしたいと思っている。なのに終われないんだ。ポリーヌではだめだった。ポーラでなければ、私を終わらせることはできない」
運よく、支離滅裂なロベール氏の言葉を理解しようとするうちに、私の興奮は静まっていった。
「ムッシュウ。ポーラはもうこの世にいないんです」
その言葉を聞くと、ロベール氏は頭を抱えて叫んだ。
「うわああああ!」
「落ち着いてください」
なだめようとしたが、私の腕を掴む手に力が入った。
「お願いだ。ポーラを……ポーラを作ってくれ。そうじゃないと私は……」
そこまで言うと、ロベール氏の手から力が抜け、パタリとベッドに倒れ込んだ。呼吸の音がしているので、死んだわけではないらしい。
不安な思いで顔を覗いていると、ブラウン先生が現れた。
「さっき打った注射がようやく効いたな」
それから二人がかりでロベール氏をベッドに寝かせると、そのまま寝室で話をすることにした。
壊されたポリーヌは、コッペリウス・カンパニーから派遣された業者が回収作業に入っている。ついでに絨毯の掃除も頼んでおいた。
作業が終わるまでは使用人を部屋に戻せないため、ブラウン先生がロベール氏の寝室の置かれたキャビネットからブランデーを出し、グラスに注いで持ってきた。だが私は口を付ける気にはなれなかった。
「ロベール氏があんなことをするなんて信じられない」
私は言った。
「あなたはこれまで何をしていたんです? ムッシュウ・ジャック・ブラウン」
「呪いだよ。全力を尽くしたが、私には解くことができなかった」
彼はグラスの酒を一口飲んだ。
「どんなに頑張っても、あの天才には敵わないのだと思い知らされた」
自嘲気味に呟く彼に、私は言った。今度会ったら必ず言おうと思っていたことだった。
「あなたはコッペリウス・カンパニーの創設者グループ五人のうちの一人ですね」
「ようやく気付いたか」
「写真を見ました」
彼をどこかで「見た」と思ったのは、私の勘違いではなかった。
それがどこかを思い出したのは、ポーラについて調べ直している時だった。
天才機械人形技師にしてコッペリウス・カンパニーの創設者、フランツ・コッペリウスとポーラに繋がりがあったためだろう。会社創立時の記事に使われた写真が出てきた。
機械人形産業を発展させた立役者達で、この世界では神と崇められているような五人。フランツを含め、既に三人は亡くなっている。残った二人のうちの一人がジャック・ブラウン、その人だった。
「もしかして、あなたはアラン・ロベールを専属でメンテナンスするためにここにいるのですか?」
「君なら気付いているだろうと思っていたよ。そうだ、アラン・ロベールは機械人形だ」
私は大きく息をついた。この期に及んで、ロベール氏が機械人形であるという確信が揺らいでいたからだ。
それだけに彼の行動が解せなかった。
「機械人形なら、同じ機械人形を壊すなどという行動はしないはずです」
「これは、まだ機械人形を制作する上でのルールやマナー、そういうものが明確に存在しなかった時代だったということを前提に聞いて欲しい」
そう言ってブラウン先生――いや、ブラウン博士は話し始めた。
「アラン・ロベールはポーラ・ロベールの依頼によって、フランツが一人で作り上げた機械人形だ」
「骨董品ですか」
「そうだ」
コッペリウス・カンパニーの製品の中でも、創業者のフランツ・コッペリウス自身に手によって作られたものは骨董品と呼ばれ、金を積んでも手に入らない、文化財と同じだけの価値があると言われている。その数は二十に満たず、既に起動しなくなっているものがほとんどだ。
「アランはその中でも特別だった。なにせ、ポーラ・ロベールの恋の相手として作られたのだから」
「まさか!」
世界中の男を夢中にさせたポーラなら、機械人形などに頼らずとも、いくらでも相手がいただろう。
「ポーラの恋人の条件のせいだ」
ブラウン博士は言った。
ポーラは、どんな恋人が良いかと聞かれた時に「決して私を愛さない人」と答えたらしい。理由は単純で、最初はどんなに良いと思っていても、自分を好きになった途端に気持ちが覚めるのだそうだ。
「狩りと同じ。追っている時は楽しくて、矢が当たった時に最高の瞬間を迎える。私はずっと追う側でいたいの。でも、現実はどの人もすぐに私に夢中になって、私の恋はそこで終わり。つまらないのよ。だから、決して私を好きになることのない、機械人形の恋人が欲しいの。そうすれば一生恋をしていられるでしょう」
考えようによってはイカレているとしか思えない注文だが、全盛期のポーラの言葉だと思うと妙に納得できるものがあった。
傲慢な美女の気まぐれには、特別な力が宿っている。
フランツはそのオーダー通りにアランを作った。
「夫婦仲が良くなかったのは、そのせいだ」
設計通り、アランがポーラに好意を示すことはなかった。元々恋愛を娯楽として消費していたのだから、それまでと同じように、決して終わらないゲーム、あくまでお遊びの一環としてポーラが楽しめば良かったのだ。
しかし、どういうわけかポーラは自分の仕掛けた罠にまんまとはまって、アランを本気で愛するようになってしまった。
「結婚し、女優を辞めても、二人の関係が変わることはなかった。相手が機械人形なんだから当然だ。かわいそうなポーラは、愛のない夫婦のままで寂しく亡くなってしまった」
世界中を魅了したポーラ・ロベールが、たった一人本気で愛したのが機械人形だったとは。滑稽であり、悲しくもあった。
「ちょっと待ってください。当時、アランが機械人形ではないかと疑われたことがありましたね。その時の検査で人間であることが証明されがはずです」
「簡単なことだよ。検査をしたのは我々だ。当時はまだカンパニー発足前で、水面下で動いてはいたが我々はまだ各研究施設にいた。どこで検査をしても同じ結果になるよう口裏を合わせるなんて簡単なことだった」
ブラウン博士は、当時を思い出したのか口元に笑みを浮かべていた。
「もう一つ。機械人形は、他の機械人形を破壊できないよう設定されているはずです」
「だからそれが最初に言ったことだよ。当時はまだそんな法律もルールもなく、ようやく完全人間型の機械人形が流通し始めたばかりだった。今の量産品にも劣るような機械人形を、金持ちがこぞって買っているような時代だ。アランに、他者攻撃制御装置はついていない。フランツの類まれなる才能によって作られているが故に現代の最高級品以上の性能を誇ってはいるが、実際はフランツの試行錯誤の上に作られた試作品ともいえる代物だ。だから私が直属の管理者であり、同時に記録者でもある。フランツが死ぬまで、私は毎日データを取ってフランツに送り続けた。
「あなたの技術によって、制御装置を後から付けることができなかったんですか?」
「鍵が無いんだ」
「鍵?」
「機械人形を停止させることができるのは誰だ?」
ブラウン博士が質問してきた。
「所有者です」
「他は?」
「制作会社の管理者」
「そう。この場合、アランを止める、つまり終わらせることができるのはポーラとコッペリウス・カンパニーの管理部のはずだった。ポーラがキーで、管理部がマスターキー。だが、アランにはそのマスターキーがない」
「どういうことです?」
「アランは、ポーラと認識された者による操作でしか終わらせられない。元々、管理者操作を受け付けるためのシステムが設定されていない。フランツに指名されてここにいる私でも、アランの性格に干渉することはできない」
私は、ここに来てようやく呪いの意味がわかった。
フランツの設定が、アランに向けられる全ての救いの手を阻んでいるのだ。
「アランの見る夢は、一定の時間が経過した際に発動するアラームだろう。経年劣化によるトラブル防止のために、終了時期を教えるよう設定されていたが、大きな落とし穴があった」
「ポーラがアラームより先に死んでしまった」
「そうだ。身体は終わりに向かおうとしているのに、肝心の鍵がないために終わらせることができない。矛盾した状況に、人工知能にもかなりの負荷がかかっていただろう」
「事情はわかりました。でも、なんの解決策もないですよ」
「仕方がない。これを出そう」
そう言うと、ブラウン博士は立ち上がって、寝室に掛けられた絵の前に行き、ひょいと絵を持ち上げた。後ろは金庫になっている。その中から、一枚の書類と記録媒体を出した。
「これは、特別に実在の人物を作っていいという許可証とポーラ自身から取った彼女のデータだ。これがあれば、ポーラのコピーを作れる」
「これがあるのに、どうして今まで使わなかったんですか?」
私の問いに、ブラウン博士は少し寂しそうな顔をした。
「真の天才フランツ・コッペリウスに自力で対抗したかったのだよ」
フランツの作ったシステムの壁を破り、アランを自らの手で解放したかったのだとブラウン博士は言った。
急遽、ポーラの複製が作られることになった。
ロベール氏は、それを聞いて少し落ち着きを取り戻した。
その様子は人間そのものだ。コッペリウス・カンパニーの人間でも気付くことができるのはわずかだろう。さすがフランツ・コッペリウスの作品である。
前回よりも一割ほど高価なものになってしまったが、ロベール氏はあっさりと支払った。代わりに、近々手に入れようと思っていた島を一つ諦めたらしい。
経済力というのは素晴らしいもので、本来なら許可や手続きにそれなりの時間を取られるものだが、ロベールグループの口利きと根回しにより、通常とは異なるスピードで制作許可が下りた。
新しいポーラが初めて姿を現した時、誰もがうっとりと見惚れた。
まさに女神降臨。辺り一面が金粉をまいたように輝いて見えた。
アランと再会したのは、あのポーラのお気に入りだったというスイスの館だった。
私とブラウン博士に連れられてやって来たポーラはアランに向かって微笑んだ。
「久しぶりね」
「ポーラ……」
「いいのよ。あなたが私に再会しても、それほど嬉しくないってことくらいわかっているわ」
アランは反論しなかった。
「あなたが私を必要とするのは、何か困った時だけ。でもそれでいいのよ。そういう風にしてもらったの。そういうあなたが私は好きなの」
このポーラの笑顔に逆らえる男は、アラン・ロベール以外いないだろう。
「本当に終わらせていいのね」
耳元に口を寄せて囁くように言うと、ロベール氏は頷いた。
ポーラが私とブラウン博士の方に視線を向けてきた。私もブラウン博士も、静かに頷いた。
「愛しているわ、アラン」
アランの体に、ポーラの白い腕が絡みつくように回される。ポーラはロベール氏の胸に顔を寄せると、彼にしっかりと抱きついた。
メキッ!
嫌な音がしたかと思うと、アランの腕があらぬ方向へと曲がった。
メキッ! メキメキッ!
ボディーが潰され、中の骨格や配線が飛び出し、隙間から疑似血液が噴き出す。
「さようなら」
ポーラは、アランの頬に触れると愛おしそうに口付けた。
そして、そのまま頭を両手で頭を挟んで潰した。
グシャッ!
その瞬間は、さすがの私も目を背けた。
あちこち潰されて動かなくなったアランの体を、ポーラは床に放り投げた。
そして、憎しみのこもった目で見下ろすと、ポーラは足でその頭と胸を踏みつけた。
唖然とするばかりの私の影から、ブラウン博士がそっとポーラに近づいた。そして、管理者コードを使って彼女の機能を停止させた。
と同時に、彼女の体を隠し持っていたメスで切り開き、頭の中の人工知能と胸のメモリを取り出して壊した。
床には二体の機械人形の抜け殻が転がっている。
ブラウン博士は、アラン・ロベールの潰された頭を拾い上げ、首の後ろの疑似血液をふき取った。
「これだ」
コッペリウス・カンパニーの製品は、盆の窪にC・Cのマークとシリアルナンバーが刻まれている。
それと同じように、アラン・ロベールの盆の窪にもマークが刻まれていた。
F・C
これは、フランツ・コッペリウス自身の手による作品だという印だ。そして、通常ならシリアルナンバーが入る場所には、別の印があった。
=A
「やはり、これはフランツの呪いだった」
ブラウン博士が呟いた。
相手が自分を好きになると気持ちが覚めてしまう。
そんなポーラに振り回された数多の男達の中にフランツもいた。
ポーラにしてみれば、新進気鋭の機械人形作家で、しかも周囲にいない研究者ということで興味をもっただけだろう。だが、恋愛経験の少ないフランツにとっては奇跡のような出来事で、彼の心はあっという間にポーラに奪われた。そうなるとポーラの気持ちが冷めるのもあっという間だった。二人の恋人期間などあってないようなもので、後には友情という都合の良い言葉でつなぎとめられた、憐れなフランツだけが残った。
繰り返されるスキャンダルに、フランツとのうわさなど埋もれて本人以外は思い出すこともなくなった頃だ。
ポーラがフランツに機械人形のオーダーをした。
フランツにしてみれば、どんな気持ちであっただろう。
自分が心から愛し、一生守りたいと思った女が、よりによって「自分を決して愛さない」機械人形が欲しいと言う。
自分を好きになる男には飽きているという理由で。
フランツから見れば、アラン・ロベールは憎い恋敵だ。
心を持たない機械人形を、どう苦しめるか。フランツは散々考えたのに違いない。それが、ポーラを拒否しながらも、最後は彼女を求めずにはいられないという設定だった。
矛盾した設定が人工知能にどれだけの負荷をかけるのかも承知の上でのことだ。
同時に、フランツはポーラに愛されるという望みをかなえるため、アラン・ロベールとの同化を望んだ。
「それが、この結果ですか」
私は複雑な思いで、寄り添って床に転がる二体の機械人形を見下ろした。
いまだに私は、これ以上完璧な「終わり」に出会ったことがない。
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内容に関するアピール
提出した梗概をはまったく違うものを新たに書きました。
人造人間をテーマに、クラシックで耽美な雰囲気を出したつもりです。
ルビを多用し、昔の翻訳小説のような文体を意識して使っています。
自分の科学技術に対する知識不足をどうにかしようと頑張りましたが、結果、科学技術ネタをトッピングした恋愛小説ができあがりました。
文字数:153