梗 概
ゲームチェンジャーは当惑する。
大国の代理戦争が終わらない世界。弱虫の子ども・ジョナスは著作権フリーの有名なネズミのキャラが大好きで、真似たキャラを描いてマッキーと名付け、心の平和のシンボルにしていた。
成長したジョナスは戦場に派遣されるが、ある日上官に軟禁される。戦友のマリアの手引きで逃げ出すが、次は敵国のスパイに拉致され、写真を見せられる。写真では、岩だらけの土地に安モーテルで使われる広告用のサインボードが立っている。ボードにマッキーが描かれた写真もあった。
スパイの言によれば、それはジョナスの国が撮影した月の裏側の写真で、敵国は秘密裡に手にいれた。ボードの素材には高度な技術が用いられており、同じものを開発できれば有利に戦えると踏んだジョナスの国はなかなか降伏せず、戦争が終わらないという。
マッキーは近年加筆されたもので、謎とされていたが、先日ジョナスがサイン代わりにマッキーを描いたことで、作者が発覚した。ジョナスが技術を隠し持っていると思い込むスパイは彼を拷問するが、二人は機銃掃射に遭う。スパイはハチの巣になり、ジョナスは生きのびる。
ジョナスが戻ると、自軍は食あたりで壊滅、ジョナスを逃がしたかどで食事抜きだったマリアだけが生きていた。話を聞いたマリアは、月面にサインボードがあるとすれば、技術者の仕業か、神の啓示か、未来の地球人が警告のために過去に来たか、異星人の仕業だろうと言う。いずれにしてもマッキーが描かれた理由は不明だ。途方に暮れるジョナス。
上層部に別の写真があると踏んだ二人は、施設に忍び込んで写真を見つけるが、ジャーナリストに横取りされる。写真は流出し、ジョナスがキリスト、マリアが聖母マリアだという雑な説まで流れ、戦局は更に混乱する。
二人は懲罰として過酷な戦線に送られるが、飛行物体に吸い込まれて月に連行される。中の異星人曰く、例のボードは、通りすがりの宇宙船に地球を不動産として売るための広告だという。異星人は、滅亡した文明の残滓として有名なネズミのキャラを描くつもりが、間違えてマッキーを採用したと告げる。
マリアが文明は滅びていないと指摘すると、異星人は未来予測のテクノロジーで投機や投資を行っており、大国が代理戦争を始めた時点で全文明が滅びる予測が出たと言う。異星人は、マッキーの無断使用の謝罪として地球から二人だけ救うと提案するが、ジョナスは、人類はしょうもない存在だが、滅びるのは嫌だなと思う。また、マッキーは平和の象徴なので、マッキーをきっかけに世界平和をもたらしたかった。
ジョナスは異星人に、著作権使用料代わりに地球を巡回し、破壊のパフォーマンスをしてほしいと頼む。異星人は当惑しつつも承諾し、宇宙船で地球周辺をうろつき、無害な場所を焼いて飛び去った。
地球に戻った二人は、異星人の攻撃に備えて戦争をやめて協力すべきだと説く。諸国はそれを聞いて一致団結し、戦争は終結し、地球は滅びなかった。
文字数:1200
内容に関するアピール
課題の嘘は「月面裏のサインボードと間違えて描かれたマッキー」です。
異星人のサインボードは、B級映画でよく見る、アメリカの地方のモーテルやダイナーにあるボードや、宗教施設のメッセージボードをイメージしています。
地球外のテクノロジーが用いられたボードにより、ジョナスの国は戦局を有利に進められると勘違いして戦争を長引かせています。異星人の間違いでボードにマッキーが描かれたことで更に戦局が混乱し、世界の命運が変わっていきます。
この世界では、長びく戦争で国民は全員兵役に就き、マリアは理知的である一方、ジョナスは弱くお人良しで兵には向きませんが、彼の単純さが世界を救います。また、現実における有名なネズミのキャラは著作権が厳しいことで有名ですが、この世界での該当キャラは著作権フリーという設定です。
バカバカしいことで世界の命運がドミノ倒し的に変わっていく過程を、真面目に書きたいと思います。
文字数:392
ゲームチェンジャーは当惑する。
0.
始まりは、白い身体に黒い耳が特徴のネズミ、マッキー・マウスの誕生に遡る。
マッキー・マウスは、もともとマックス・マックスウェルがつくったキャラクターである。はるか昔に炭鉱業で栄えた後、炭鉱以外の産業が興せず、そのまま廃れて荒んだ街で生まれたマックスは、扉がなく、常に床が濡れており、ネズミたちが壁や天井を縦横無に走り回る環境で育った。勉強は苦手だったが絵はうまかったマッキーは、ネズミの漫画を新聞に投書して採用された。これがマッキー・マウスのはじまりである。その後、マッキーは人気を博し、漫画のみならずマグカップ、Tシャツなど、広い範囲で出回った。
マッキーが広く伝播したのは、著作権フリーだったためである。競合するキャラクターは著作権に厳しいことで有名で、マッキーを潰しにかかってきたが、初期のマッキーファンにはギークが多く、マッキー版エッダとサガを無限に呟くマッキーBOTの台頭や、街中にマッキーを描いて識別タグをつけて収集するアプリなどが流布し、やがて競合相手よりも広く深く愛されるようになった。
一時期は偽マッキーのグッズが出回ったし、マッキーVSサメ、といったC級映画も勝手につくられたりしたが、自称自由なOSや某ボカロソフトを愛好するマックスは、独占権よりもシェアの方を重視したため、マッキーが蹂躙されることすら黙認した。そして次第にファンの方がマッキーのイメージを守るようになり、それに伴ってマッキー使用にあたってのコードなども定着した。
さて、名だたるマッキー好きの中でも、とりわけマッキーを愛する少年がいた。彼の名はジョナス・ジョイナス、マッキーの使用にあたって秩序が成立してきた頃の生まれである。マッキーが人気を博して以来、アメリカ人は、人生のどこかの段階で、マッキー熱を抱くようになった。ジョナスも同様で、幼少時にマッキーのとりこになった。マッキー番組の配信がある日は落ち着きを失ったし、バーチャルテーマパークに行った当日は、ずっと興奮し通しだった。
ジョナスはマックスほどではないにせよ、絵がまあまあうまかったので、落書き帖はマッキーで占められた。そのうちにマッキーだけでは飽き足らず、オリジナルキャラを開発し、空想の中で活躍させるようになった。ジョナスの頭の中では、まだ輪郭の定まらないネズミのキャラクターが活躍し、妄想世界の平和を守るようになっていく。
ジョナスが小学校を卒業する時、記念に母校のプールの側面に絵を描くことになった。ジョナスの下絵を元に完成させたネズミのキャラクターを見て、生徒たちは、マッキーのプールだと喜んだ。ローカルネットニュースも「卒業生、マッキー・マウスの絵を贈る」という内容で、美談として報道した。そんな中、ジョナスだけは、心の中で納得のいかない思いを抱いていた。
「あれはマッキーじゃないのに」
ジョナスの描いたネズミは、鼻が白黒の市松模様で、目元には小さな星型のホクロがあった。すなわちそれは、ジョナスが初めて絵に起こした彼オリジナルのキャラクター、ラッキー・マウスだったのである。
1.
小学校以降、勉強も見た目も普通、スポーツは全然駄目で、性格も内向的なジョナスは、ぱっとしない学校生活を送った。軽いいじめらしきものに遭った時、彼はラッキー・マウスのイラストを描くことで気分転換した。こうしてラッキーはジョナスにとって、平穏や平和の象徴となったのである。
大学では文学を専攻した。レシートやチラシなど、キップルが散らばる汚い寮部屋で、その日あった出来事を考えては思い出し笑いをする、友人のいない大学生活を送った。家庭教師のバイトで生徒になめられた日には、レポートの片隅にラッキーを落書きし、心の平穏を保つ日々を送っていた。
そんなある日、学事部からのメールから、学費が上がる旨の通知が来て、数年後には働かなければならないという事実を自覚して戦慄した。そこからいろいろ考えて、ジョナスは不動産資格を取ることにした。ブローカーズライセンス、リアルターライセンス、セールスパーソンといったもろもろのライセンスである。
ジョナスは、自分が営業に向いていないことなど分かっていたが、サービス業はもっと向いていないし、エンジニアとしては体力やスキルが追いつかなかった。勉強して資格を取ったジョナスは、たまたまアルバイトをしていた大手不動産会社、トップエステート社に、たまたま就職することができた。
ジョナスはうだつの上がらない社員になった。対面すれば赤面し、新規契約を獲得することなど夢のまた夢だった。成績が振るわなくて叱責のメールが来ると、タッチペンなど買ってもらえないジョナスはマウスでラッキー・マウスを描いた。そのためジョナスは、フリーハンドでラッキー・マウスの曲線を綺麗に描く技に長けていった。
そんなある日、職場でピーナッツバターとイチゴジャムの手づくりサンドイッチの昼食を食べていると、隣の席から彼に話しかける者がいた。当初、ジョナスは自分に話しかけてきたのだと思わず無反応でいたが、相手は業を煮やしたのか、彼の眼の前に来て視界を遮ってきた。
「ねえ、そのピーナッツの甘ったるい匂い、きついんだけど」
ジョナスのもごもごした話し方と対極的な、鋭く明瞭な口調に聞き覚えがある。ジョナスと同じ時期に入った期待のルーキー、リン・ステイだった。既にさまざまな契約を獲得しており、当然ながらジョナスとは比較にならないほど優秀だと聞く。噂では数か国語に堪能で、新しい言語でも数か月もすれば話せるようになるらしいとのことだった。
ジョナスが目を合わせることもできず、口をもごもごさせていると、リンは黒い瞳に苛立ちを滲ませる。
「食堂があるのに、なんでここで食べるの?」
機嫌が悪そうな声が響く。口の中のピーナッツの粒を飲み下しながら、ジョナスは告げた。
「いやなに、食堂は落ち着かないんだ。それに大きい画面でニュースを見ながら食べたいし」
「自分のデバイスで観ればいいじゃない」
「透過モニターの方が明るいし落ち着くから」
そう告げながらジョナスがモニターを指さすと、それを見たリンは黙り込んだ。ジョナスは、彼女が注視しているニュースを見て、沈黙の意味を悟った。
アメリカが打ち上げていた有人飛行のロケットが、月面着陸したのだ。今回のミッションは、地球の正面ではなく裏側に降り立つ、というものである。ロケットはアメリカを中心とした複数の国の共同開発で、宇宙飛行士も複数の国から集まっていた。
中継カメラは宇宙飛行士たちの白い影を追っている。アメリカはかなり前に月面着陸を行ったとはいえ、有人飛行はやはり新鮮で感動的で、宗教じみた魅力がある。しかも今回は、人類史上初めて月の裏側に足跡を残すのだ。宇宙に対するロマンなどかけらも抱いていないジョナスも、これが感動の瞬間なのだということくらいは分かった。
中継を見ていたジョナスは、画面の端に一瞬写り込んだものを見て、思わず椅子から立ち上がった。ぶつかりそうになったリンは、面食らったようにジョナスを見る。
「何するの。危ないでしょうが」
ジョナスはその言にも反応せず、食い入るようにニュースを見つめている。そのトピックはしばらく流しっぱなしになっていた。リンは彼を睨みつけていたが、フリーズ状態のジョナスに何を言っても無駄だと判断して去った。ランチの時間が終わるとジョナスは仕事を再開したが、いつにもまして集中力を欠いていた。
帰り道、ジョナスの肩を叩く者がいる。振り返るとリンだった。ジョナスは昼休みに、彼女からピーナッツバターについて苦情を受けていたことを思い出した。
「ねえ、今日の昼、何を見つけたの?」
ジョナスは何も言わずに立ち去ろうと思った。深く関わるのが嫌だった。リンはそんなジョナスの様子を見て言い募る。
「私を無視する人って初めてかも。教えてくれるまで聞き続けるから」
ジョナスは言い逃れるのが億劫になり、正直に言った。
「あの月面着陸のニュースで、宇宙飛行士以外のものが映りこんでいたんだ」
ぴんとこない表情のリンに、ジョナスはなおも告げる。
「一瞬だったから、カメラマンも気づいていないかもしれない」
「一体、何が映っていたの?」
リンが尋ねると、ジョナスは少々の沈黙の後に呟いた。
「広告用のメッセージボードだ」
2.
「メッセージボード?」
声が大きくなるリンを、道行く人が振り返って見てくる。
ジョナスは複数の人に見つめられると震えが来る体質である。さっさとリンと別れたかったが、リンは話すまで離してくれそうになかった。彼女は「ジョッキージョーク」というスポーツバーの看板を見つけてジョナスを引きこみ、隅の席に座り込んだ。外に出るには、「俺の頭の中にあるのは、5グラムのコカインだけ」と書かれたTシャツ姿の怖そうな店員の前を通らねばならない。ジョナスは逃げる気力も失った。オレンジ色のフルーツビールを頼むリンに対し、酒の飲めないジョナスはアルコールフリーのビールを注文する。
「さっきの話の続きだけど、メッセージボードは、うちみたいな不動産会社が郊外によく出している宣伝用の看板みたいなやつだよ」
ジョナスが告げる。
「『素敵な別荘、大安売り、たったの10万ドル』、みたいなやつ?」
当惑した口調のリンに、ジョナスは頷いた。
「そこに何が書いてあったの?」
「なにかの文字と、ネズミのイラストだよ」
ジョナス自身、自分が言っていることに自信はなかった。
「月面裏側に? そんなものが映りこんでいたら、もっと騒ぎになってると思うけど」
「一瞬だったし、メインは宇宙飛行士だったからね。もっとも、SNSとかネットニュースの書きこみで、指摘している人はちらほらいた」
「じゃあ、見間違いじゃないのか」
「さっき映像を見かえしたら、その部分はカットされていたよ」
早いピッチでビールを飲むリンに、ジョナスはデバイスで画像を示した。
「最初の方に画像のスクリーンショットを取ってたんだ。これが拡大図」
それを見たリンは、ピールを含んだままむせた。少し落ち着いてから、その画像を食い入るように見つめる。
「確かにメッセージボードに見える。文字は判別しづらいけど、言語だとしたら、地球上にない類のものかもしれないね。横にいるのはマッキー・マウスに見えるけど」
「それはマッキーじゃなくて、僕の創ったキャラクター、ラッキー・マウスのイラストなんだ」
ぽかんとするリンに、ジョナスは言葉を重ねる。
「判別しづらいだろうけど、鼻が白黒の市松模様で、口元に星型のほくろがある。それが僕のキャラ、 ラッキーの証なんだ。それでラッキーは、平和の象徴で……」
急に早口になるジョナスに、リンはやや閉口したように頷いた。
「そう。そのネズミ、ラッキーだっけ、なんだか線が歪んでるね」
リンは画像をしげしげと眺めながら呟く。
「歪んでいるのは、描き手が下手だからだ。オリジナルのラッキーはそんなに歪んでない」
ジョナスは言いつのったが、リンは先ほどよりも更にどうでもいいという顔をしたので、急に虚しさを覚えた。
タイミングよく注文していたピザが来た。
二人は黙々と巨大なピザを口にする。ソーセージやサラミ、チキン、パイナップルなど、あらゆるものが上に乗った分厚いピザは、見た目がイカれている上に、味がカオスになっており、おいしいとかおいしくないとかの判定は不可能である。
店ではNBAの試合が中継されていた。3次元弱対応に映し出される選手たちは時にスクリーンから画面から飛び出してくるので、実体がないと分かっていてもぎょっとする。学生時代にバスケをやっていたと思しき巨大な客たちは、大いに盛り上がっている。
休日は家に引きこもっているジョナスに、スポーツの楽しさは分からない。どんなに頑張ってもチーターより早く走れないし、イルカよりも巧みに泳げないのに、なぜ体を鍛え、つらい練習をするのだろう。
点が入るたびに一喜一憂している彼らを眺めながら、リンは小さく呟いた。
「スポーツのゲームを見てると、月面の問題から現実に戻ったような気がする」
「そうだね。見てる方が楽しそうだけど、やってる方は苦しそうだな」
どうも勝負がついたらしく、肩を組んで歌っている人々がいると思えば、喜んでいる彼らに対して喧嘩をふっかけようとしている者もいた。その賑やかさを遠巻きに眺めながら、二人は黙ってピザとアルコール、あるいはアルコールではないものを飲み食いした。
「この話は、このまま忘れた方がよさそうね」
リンが呟くと、ジョナスも頷いた。
「その方がいいだろう。僕もピーナッツバターとイチゴジャムのサンドイッチはなるべく食べないことにする」
そう告げると、リンは咳払いをして言った。
「その件だけど、食べていいよ。空気清浄機の購入申請が通ったから」
店内ではつかみ合いの喧嘩が勃発していた。ポップコーンの欠片が飛来しはじめる中で、二人は足早に退散した。翌週からジョナスたちのフロアには空気清浄機が登場し、ジョナスは堂々とピーナッツバターとイチゴジャムのサンドイッチを食べられるようになった。
その後しばらくの間、ジョナスは、月面着陸時に変なものが映りこんだというニュースをチェックしていた。するとネット上でそういう指摘がされたことが何度かあったが、新しく放映された映像には表示されなかったので、その指摘自体がデマだという判断で落ち着いたようで、次第に下火になっていった。
この話が再燃するのは、数か月後の憂鬱な月曜日のことである。
さて、その憂鬱な月曜日、ジョナスは例のサンドイッチを食べながらネットニュースを見ていた。ニュースではかなり先の選挙戦の予想を出している。すると何やら慌てた顔のキャスターが臨時ニュースを告げ、画像が乱暴に切り替わった。
ジョナスの両目は、画面にくぎ付けになった。
ニューヨークのシンボル、エンパイヤ・ステート・ビルの上空に、銀色に光る乗物が一つ浮遊している。ジョナスが以前イラストで頼まれた、小さな帽子型の円盤の底にドームがついたような、アダムスキー型と呼ばれるUFOによく似ている。というか、アダムスキー型UFOそのものだった。
UFOはきらきら光りながら、そのまま浮遊し続ける。下界にいるニューヨーク市民たちは写真を撮り続けているようだ。やがて警察たちがやってきて、市民に退避するように告げるが、聞きとどける者はほんの僅かだった。UFOはやがて上空に向かい、そのまま一瞬にして消え去った。
ジョナスは改めてニュースの放映元を確認した。アメリカの三大テレビ局の一つのネットニュースで間違いない。試しに他局のニュースも確認してみたが、どれもUFOの話題である。周りを見渡すとリンがいた。リンも同じニュースを見ていたようで、ジョナスのデスクに近寄ってきた。
「ニュースの飛行物体、UFOみたいに見えるけど、間違いないかな?」
モニターを覗き込むリンが離れそうにないので、ジョナスが仕方なしに話しかけると、彼女が大きく頷いた。
「私もUFOだと思う」
リンは時計を確認し、席に戻った。ランチの時間が終わっても、更にいつもより仕事に戻る気がしない。ジョナスは試しにオフィスの窓から外を眺めてみた。トップエステート社のオフィスはニューヨークのダウンタウンにあったから、UFOがいれば見える可能性があった。しかしUFOは立ち去ってしまったらしく、青い空には白い雲しか見えなかった。
翌日出社して暫くすると、フロアが見る間にすかすかになっていく。状況を知りたかったが、ジョナスには友人がいない。仕方なく廊下ですれ違ったリンに話しかけてみた。
「ねえ、今日、人がいないみたいだけど、なにがあったが知ってるかい?」
尋ねるジョナスに、リンは冷たい表情を浮かべた。
「メールを確認した方がいいよ。特別な用事がない人は、自宅待機命令が出てると思う」
慌ててメールチェックしたところ、確かに自宅待機を命じる旨の連絡が出ている。曰く、会社宛てに理解しがたい通達があり、テロリズムを思わせる要素があったためとのことだ。
帰り支度を始めると、急にフロア全体が停電になった。間もなく自動発電に切り替わったようだが、保存していなかったデータはパアである。ぶつぶついいながら修復作業をしていると、ジョナスの上司、タミルがやってきた。
「何をやっているんだ。帰宅するよう指示されていただろう」
恰幅と肌艶がよく、きらきら光る目をしたタミル・ウーは、いい部下とはいえないジョナスに対しても誠実に接してくれるいい上司だった。恐らく直属の上司がタミルでなければ、ジョナスはとっくにクビになっていただろう。
そんなタミルにも短所があった。これは恐らく彼の責任ではないのだが、彼の行くところには大体問題が発生するのだ。そのため、彼は密かに「疫病神」または「貧乏くじ」」と呼ばれていた。
「さっさと退出したいのですが、急な停電で、データが壊れたみたいで」
「どうでもいいから、早く退避しろ」
切羽詰まった様子のタミルの背後から、リンの声が響く。
「最後の会議が終わり、このフロア以外は退避完了しました。このビル、そろそろ消灯してもいいかって質問が来ましたけど」
「ありがとう。ジョイナス君が準備できたら大丈夫だ」
タミルがそう言った瞬間、再び停電になった。自家発電が止められたのだ。
ジョナスが手元のデバイスを懐中電灯モードにすると、顔に光がもろにあたった。もじゃもじゃ頭に分厚いメガネのジョナスの貧相な顔にスポットライトがあたった状態になり、リンではなくタミルがうわっと言って飛びのいた。
「怖いな、やめてくれよ」
そんなに怖がらなくても、と、上司の反応に多少傷つきながら、ジョナスはデバイスの光を床に当てようとした。するとリンが人差し指を口の前に当て、指をそのままエレベーターホールの方に向けた。そちらからは、なんとなく生き物の気配が漂ってくる気がする。
ジョナスは恐る恐る光を差し向けようとした。するとエレベーターホールの方から電気が灯っていく。見ると小さな人影がこちらを向いていた。
小学校高学年くらいの身長で、全身銀色の体、逆三角形の顔に、大きなアーモンド形の瞳。口らしき部位はひどく小さい。噂に聞く宇宙人とよく似ている。というか、宇宙人そのものだった。
三人が硬直していると、相手は口をあまり開かずに言った。
「この会社の人間と話をしたいのだが、君たちで良いのか」
錆びついたドアを開ける時の音を思わせる、ギイギイした声である。相手の言葉に、タミルが恐る恐る告げた。
「我々は確かにこの会社の人間だが、君は誰だ?」
「私はリアタール星のリアタール人で、この星では大熊座と呼ばれている方角から来た。私の名前はデ・ファ」
宇宙人はそう告げると、フロアマップを目視し、比較的広い会議室に向かった。ジョナスたちは顔を見合せたが、抗うこともできずに宇宙人に従った。
三人プラス宇宙人という形で会議室の椅子に腰かけると、宇宙人はホワイトボードに文字らしき記号を書いていった。ひとしきり書き込みを終えると、耳障りな声で告げた。
「これが契約内容だ」
タミルが恐る恐る告げた。
「その字は読めない」
「汎用語が分からないとは。想像以上に学がないな」
宇宙人は告げると、耳元にある小さなデバイスに触れ、ため息らしき細い息を吐きながら言った。
「それでは音声で伝えよう。この星の不動産の買い手がついた。クライアントはここ、アメリカ大陸と呼ばれている場所の購入を希望している。ついては君たちの立ち退きを要求する」
あまりのことに三人はしばらく黙っていたが、やがてリンが口を開いて言った。
「急に押しかけてきて、アメリカ大陸を買いたいってことですか? 土地を強奪するのは問題があるし、とりあえず私達に言うことじゃないですよ」
「私も最初、NASAと呼ばれている施設に連絡した」
宇宙時はそう告げると、ジョナス達に向き直った。顔をこちらに向けたが、表情は読み取れない。
「それで、NASAからは何と?」
タミルが恐る恐る尋ねると、宇宙人はこちらに向き直る。
「土地の所有権の話は、土地を扱う会社に言ってくれと言われたよ。そもそも前例がないから分からないとのことだ」
宇宙人の言葉に、三人は顔を見合わせた。NASAはいたずらだと思ったのだろう、無理からぬことである。
「そういうわけで、私はここへ来た」
「私達はもともとここに住んでいる。後から来たあなたに従う義務はないと思うけれど」
リンの言葉に、宇宙人は返答する。
「ボードに書いたのだが、宇宙法上、星の第一生物が星を疲弊させている時、他星の介入で生物の数を減らしてもいいことになっている」」
言われたことが分からず、リンが黙っていると、宇宙人は小さな黒い正方形の箱を渡してきた。
「この中に宇宙法が入っていて、今言ったことは365条に記載してある。もっとも、契約時に宇宙法を知らない相手には、事前に内容を共有することになっている。この宇宙法大全を置いていくから、納得するまで見てみるといい」
そんなことを言われても、宇宙法に先ほどの文字が使われている場合、意味など分からないだろう。
三人が黙っていると、宇宙人はなおも告げる。
「立ち退きの期限は三か月でどうだ。長くても短くても同じだろう」
不愉快な宇宙人の言に、三人は顔を見合わせた。
「立ち退きといっても、アメリカの国土をまるまる引き渡したら、我々はどこへ行けばいいんだ」
「空いている場所はあるだろう。こっちの北西の方の大陸とか」
会議室の地球儀を回しながら語る宇宙人の言葉に、タミルは首を横に振る。
「ちょっと待て。そっちは国が違う。それに歴史上、我々とものすごく仲が悪い国だ」
「では移住先に移住してもらえばいい」
「移住先の移住先はどうするんだ?」
「それも移住してもらえばいい」
平行線の会話に、タミルはため息をついた。
3.
ジョナスとリン、それにタミルは、悄然として会社を出た。そして、どこへ行くともなしに店を探したが、判断力も働かず、結局ジョナスとリンが先日利用したスポーツバー「ジョッキージョーク」に入ることにした。
卓球の試合が開催されているらしく、モスグリーンやダークレッドの渋いユニフォームを着こんだファンたちが、モニターの前で騒いでいる。一喜一憂している元選手と覚しき客を尻目に、三人は無言でアルコールもしくはアルコールフリーの何かを飲んだ。その日の店員のTシャツには「5グラムのコカインで俺は飛ぶ、忘却の彼方へ」と書かれていた。
「なあ、さっきの話、本当かな」
タミルが呟くように言う。仮想の小さなピンポン玉が、画面から飛び出してきてタミルの頬にぶつかる。
「本当じゃなかったら、良かったんですけどね」
「アメリカ大陸まるごと明け渡せなんて、思い切ったことを言うよな」
「なんか買い手がついたとか、言ってましたね」
ぼやいている二人を尻目に、ジョナスはデバイスをじっと眺めていた。画面には、先ほどデ・ファが描いたホワイトボードの画像が表示されている。
「あの宇宙人、リアタール人のデ・ファでしたっけ、字が下手ですね。線が震えてる」
ジョナスは呟いた。
「そんな細かいこと、よく気づいたな」
黒い髭にビールの白い泡をつけながら、呆れたようにタミルが告げる。
その時フライドポテトが到着した。配膳用AIはタミルの膝にあつあつのポテトをぶちまけた。軽く悲鳴を上げているタミルをよそに、鋭い声でリンが言った。
「ちょっと待って。その画像、もう一度見せて」
真面目な表情である。その言葉の真剣さに、ジョナスが驚いてデバイスを差し出すと、リンがホワイトボードの記号のようなものを拡大してじっと眺めた。
「何か見たことあると思って。ジョナス、前に見せてくれた、月の裏側のメッセージボードの画像を出してくれる?」
ジョナスはきょとんとしたが、間もなく思い出してデバイスを操作した。アルコールフリーで酔っ払ってはいないはずなのだが、先ほどまでの出来事が頭にきているらしく、手元がおぼつかない。デバイスを何度も滑り落としそうになったが、なんとか目当ての画像を表示する。
リンの指示で画像を巨大化する。なかったことにされてしまった、月面裏側のメッセージボードだ。まるで読めない記号と、遠目にはマッキー・マウスだと思ってしまうネズミのキャラクターが描かれていた。
「これがどうかしたって?」
ジョナスが尋ねると、リンはじれったそうにデバイスに触れ、その日宇宙人が書いたホワイトボードと、月面裏のメッセージボードを拡大して横に並べた。
「月面裏写真に掲載されていたメッセージボードと、今日見たホワイトボードの文字は、多分同じ文化圏のもの。ほら、この記号みたいな文字は一致しているでしょう。なんて書いてあるのか、見当がつかないけど」
興奮したようにリンが言いかけたが、その時店内の客が大歓声を挙げた。店内からは、ゲームチェンジだ、という声が響いてくる。一方で三人は、自分たちが渦中にいる突飛な陣取りゲームを楽しめそうにもなかった。
ジョナスはタミルに、先日のことの次第を簡単に説明した。
「リンの推測が正しければ、月の裏側にメッセージボードを出したのは、あのデ・ファって奴かもしれないのか」
話を聞いていたタミルは、小さく唸って言った。
「その話が本当なら、リアタール人が月面に出していたメッセージボードは、地球の土地を売り出す不動産広告じゃないか? なあリン、その文字が何を意味しているのか、判別できたりしないかな」
タミルの言葉を聞いていたリンは、考え込んでから言った。
「今の私の知識だけだと難しそう。大学に行って資料や機材を使いたい」
「是非そうしてくれ。どうせ明日からしばらく仕事はできないだろうし。ついっていった方がいいか?」
「助手はほしいですけど、ジョナスでいいです。ウーさん、忙しそうですし」
今度はAIにラズベリージュースをかけられているタミルを見ながら、リンは告げた。
タミルにリンとの同行を命じられたジョナスは、翌日の朝のニュースがデ・ファの来訪で占められていることを知った。彼はニューヨークのセントラルパークに円盤を停めており、シールドを張ってマスコミの来訪を拒否しているようだった。政府の要人が向かったところ、デ・ファは、NASAの指摘通りにトップエステート社とやりとりしている途中であり、結論が出るまで他の人間とは対話しないと言いはっているようだった。
面倒なことになったと、ジョナスはうんざりした。これ以上関わるのは嫌だったが、かといって逃げ出したところで、後ろめたさを感じずにいられるとも思えなかった。
ジョナスが待ち合わせ場所へ行くと、リンが既に待ち構えており、彼女の出身大学の研究所は郊外にあると言った。リンはレンタカーを手配しており、自動運転AIに行き先を告げた。
研究所はきれいで広かった。リンは駐車場に車を停めると、高くそびえる研究塔へ入り、顔認証で最上階へと向かう。研究室の扉を開くと、手前に機材などが置かれ、奥には書棚がずらりと並び、いた。リンはジョナスからデバイスを受け取ると、手前のコンピュータと接続させた。巨大なモニターに宇宙人のホワイトボードの文字と、月面裏のメッセージボードの文字が浮かび上がる。
「過去に似た画像がないか調べてる?」
ジョナスが尋ねると、リンは頷きながら告げる。
「今いる塔は、まるごと図書館なの。このシステムは、本や資料などの物理的なアーカイだけではなく、ウェブをはじめとするあらゆる集合知にアクセスして、類似の画像を検索する。だから恣意的に残された画像だけではなく、取りこぼされがちなものまで探せる」
「便利なものだね」
ジョナスが感心して言うと、リンが首を縦に振る。
「私もこのシステムの開発を手伝ったからね」
結果が出るまでかなり時間はかかったが、それでも数十件のヒットが表示された。その上でリンは、自分の眼で確認していく。
リンを見守るのにも飽きたジョナスは、研究塔を出て散歩をすることにした。大学構内の道は清潔そのもので、ゴミひとつ落ちていない。葉っぱ一枚落ちるだけで、掃除用AIが駆けつけてきて片づけていく。
白衣を着た学生たちが、ベンチに座り込んでいるジョナスの傍らを通り過ぎていった。手持ち無沙汰のジョナスは、自分が役立たずのゴミなんじゃないかと思えてきた。
早く家に帰り、ピーナッツバターとイチゴジャムのサンドイッチを食べながら、引きこもって積んであるゲームで遊びたい。そんなことを考えていると、ケージを持っている学生が前を通りかかった。ケージの中のネズミは白い体に黒い耳を持っており、有名なマッキー・マウス、あるいはラッキー・マウスにどこか似ているような気がした。
ネズミを見ているうちに、ジョナスは一つの疑問にぶち当たった。
月面の文字がデ・ファのものだったとして、ラッキー・マウスを描いたのもデ・ファということになるのか? メッセージボード上、文字を指さしてこちらに笑顔を向けていたラッキーは、メッセージボードを見た客に向かって語りかけている様子だったから、別人が落書きしたわけでもなさそうだ。
ジョナスのデバイスから通知音が響いた。見ればリンからである。
ジョナスは急いで研究塔に向かった。最上階に到着すると、リンはモニターの検索結果を指し示して告げた。
「昨日ホワイトボードに書かれた文字は、月面裏のメッセージボードの他にも、太古から砂漠やミステリーサークルなんかで見受けられた。意味の類推の役に立ってくれる」
「月面のメッセージボードの文字に関して、意味は分かりそう?」
ジョナスが尋ねると、リンが小さく頷きながら告げた。
「意味は大体わかったと思う。『売り出し中!』とか、そのレベルのことを言っているみたい」
それではまるっきりうちの会社の看板だな、と思いながら、ジョナスはリンに告げた。
「どうでもいいことだけど、月面のメッセージボードに描いてあったラッキー・マウス、あれも多分、デ・ファが描いたんだと思う」
「ラッキーって、あの、平和の象徴とか言ってたやつ? 言われてみれば、文字と同じくらい線 が震えてるね」
言いながら、リンは何かを考えるそぶりを見せた。
「そうか……それで今、ちょっと思いついた」
彼女はゆっくりと告げる。
「二つのボードに書かれた文字の意味が分かったから、宇宙法も多少判読できるんじゃないかと思えてきた。宇宙法を読んでみた上で、あのデ・ファと直接話をしてみたい」
思慮深いリンの眼は、今、生気に満ちていた。
4.
その時、ジョナスのデバイスに通知が入った。見ればタミルからである。
「どうだった?」
何から説明したものか、ジョナスが考え込んでいると、リンが告げた。
「タミルからでしょ。ちょうど良かった、ここに来るようにお願いしてくれる? あと、デ・ファから借りてる宇宙法大全とやらを持ってきてって伝えて」
二人は大学の入り口でタミルを待ち、彼が来ると研究塔に案内した。タミルがエレベーターに乗り込むと、パネルにエラー表示が出たので、リンはパネルを外して操作しなければならなかった。
エレベーターが再び動き出すと、リンは自分のデバイスを差し出して告げた。
「これを見て。メッセージボードに対訳をつけてみた」
ジョナスは画面を覗き込んだ。すると「一見凡庸に見える青く美しい水の惑星、売り出し中!」と書かれている。キャッチコピーの文言がちょっとしつこいな、と呟くジョナスを横目に、タミルは告げる。
「もう宇宙人の言葉をマスターしたのか。デ・ファは、地球に人がいることを知ってて売ってたのかな」
「デ・ファの星の言葉ではなくて、宇宙で広く使われている汎用語らしいですけどね。地球に関しては、事前に売買していたことを争点にできればと思っています。今、宇宙法大全を持ってますか?」
タミルはリンに、デ・ファが宇宙法大全と呼んでいたものを渡した。リンがその5センチ程度の正方形の黒い箱に触れると、上部に触れると空中に読めない文字が表示される。
どことなくサイケデリックな色彩の文字を見ながら、ジョナスはそれが、随分前に見たブッディストの電子経典の光に似ているなと思った。その経典では、最後に七色に輝く観音様が登場するのだ。
リンが宇宙法大全のデータをコンピュータで解析している間、何をすればいいのか分からないジョナスは、自分のデバイスでひたすらソリティアとフリーセルで遊んだ。タミルは研究室の本を読もうとしているようだが、片っ端から棚を倒していることに気づいていない。ジョナスがソリティアを百回くらいやった頃、リンが告げた。
「大体理解できました」
リンが宇宙法大全を掌に載せて語りだすと、薄暗い研究室に怪しい光が満ちた。
「宇宙法上、生物が星に害を及ぼしている場合、他星の生物は介入していいそうです。デ・ファは、人間が地球に害をなしているということで、大陸から追い払って土地を売るつもりなんだと思います」
タミルが驚きを隠せない表情で告げる。
「他の人が所有しているものを、強奪してもいいっていうことなのか」
「所有権の考え方が根本的に違うみたい。第一生物が星を疲弊させている時、他星が介入してもいい、とか言ってましたから」
そう告げるリンに、ジョナスは唸って言った。
「それも一理ある気がするな」
「納得しないでよ」
睨みをきかせるリンに、タミルは苦笑する。
「地球を疲弊させているという点では、我々の分が悪いな。何か他に戦略があるかい?」
タミルの言に、リンはゆっくりと口を開いた。
「さっきジョナスと話している時に、思いついたことがあります」
ジョナスが見ると、リンは珍しく迷いのある表情を浮かべている。
「不動産を強奪された件や、先住民がいるのに先に広告を出している件で対抗できなかった時、そのアイディアで反撃してみようとは思いました。ただ、突飛なアイディアなので、少し相談させてください」
リンはモニターに画像を提示した。それは月面裏のメッセージボードの歪んだラッキー・マウスらしきものと、ジョナスが描いたラッキー・マウスだった。リンは作戦を語り始めた。
リンが説明を終えると、三人は大学を後にしてセントラルパークに向かった。到着すると、周囲にいた警察たちに取り囲まれた。ジョナスはたまたま警官の一人に職務質問を受けた。
「えっと、その、宇宙人に引き合わせてほしいんですが」
どもりながら目を合わせずに告げると、警官たちが、一発キメてる連中だ、忙しいから追っ払おう、と相談しているのが聞こえてきた。タミルが、自分たちがトップエステートの人間であること、また宇宙人たちがトップエステート社とのコンタクトは許可していることを説明すると、相手はこちらに待機するように命じてから引っ込んだ。
数分の後、役職が上と思しき警官がやってきて、目的はなにかを尋ねてきた。
「相手が何者なのかよくわからない以上、接触は最低限にした方がいいと思いますが」
「では伝言をお願いできますか。私達は先日話したトップエステート社の人間で、この星の土地の買い手を交えて話したい、そうでないと話を進められないと」
相手の言葉に頷きながら、リンが告げた。すると警官は目を見開いた。
「君たちはあの宇宙人と話をしているのか」
「ええ、直接話しています。そんなわけで、伝言をお願いします」
リンは古風なメモ帳を出してきた警官に対し、さらさらと文字を書いた。
警官は紙面に目を走らせたが、リンがデ・ファに向けて書いた汎用語が読めるはずもない。警官はリンの顔をまじまじと見たが、深入りしたくないと思ったのだろう、曖昧な表情で頷くと、そのまま引き下がった。
その後の数日間、ジョナスはリンに指示されていた手続きを終えると、家に引きこもってゲームをしていた。天国のような日々が続いたが、ある日デバイスに連絡が入った。
見ればアメリカ合衆国著作権局からと、リンとタミルのグループメッセージからである。アメリカ合衆国著作権局から来たものは申請が通った旨の通達で、グループメッセージには、デ・ファからのコンタクトがあった、ついては明日セントラルパークに来るように、と記載されている。
それにしても、とジョナスは思った。リンの語っていた計画は本当にうまくいくのだろうか。ジョナスからしても、彼女のアイディアは馬鹿げているようにも思えた。しかしタミルとリンとの話し合いで、他に方法もない、これでいくしかない、という方向で決着したのだった。
セントラルパークなんか行きたくないし、宇宙人と会うのも怖い。ずっと家でゲームをしていたい。でもジョナスにとって、今はリンと(ついでにタミルから)見限られるのは嫌だった。だから比較的まともな服を引っ張り出し、宇宙人との会合に臨んだのだった。
リンとタミルは先にセントラルパークに来ていた。ジョナスたちが入口に向かうと、警察たちは警備網を解いた。公園付近は灰色の不透明な膜が貼られていたが、公園のエントランスに立つと人が入れるくらいの入り口が開いたので、三人はそのまま入場していった。
宇宙人はセントラルパーク内の噴水近くに船を停めていた。風は銀色に光る船体に水しぶきを浴びせ、ときおり七色の美しい虹をかけるのだが、水は概ねタミルの頭上に向かっていくのだった。やがて三人は眩しい光に包まれ、気づくと宇宙船内にいた。
案内用らしきAIに導かれて赴くと、先日会ったデ・ファと、くちばしがひどく曲がった鳥がこちらに向き直る。タミルが一応顔見知りと言えるデ・ファに軽く挨拶すると、デ・ファは鳥の方に手を差し出した。
「船内では、音声データを君たちの言葉に変換している。こちらはスミルザ・デリリウム・イン・ハイファイ。この地球の大陸を購入下さる方だ」
スミルザはこちらを向き、ふわふわの羽がついた手をばたつかせる。ちり一つない銀色の空間に、小さな白い羽毛が飛び交う。これが相手の正式な挨拶なのだろう。
ジョナスはスミルザの顔をよく見て驚いた。地球から滅亡したとされるドードー鳥のそれだったのだ。そしては思った。このスミルザが地球の大陸を購入するというのは、どういう了見なのだろうか。万一リンの交渉が失敗したら、人間はこのスミルザとどう付き合っていくべきなのか。挨拶をする時は、両手をばたつかせるべきだろうか。
リンとタミルは平静を装ってはいるが、スミルザの顔をちらちらと見ている。デ・ファは一つ咳ばらいをして一行を別部屋に案内した。テーブルと椅子は地球のものを模しているらしく、三人は問題なく使うことができたが、スミルザは少し窮屈そうにしている。
デ・ファはリンを見つめると、ほんの小さく口を開いた。
「今回は君たちから、スミルザと私に話があるとのことだったが」
リンは頷くと、バッグから宇宙法大全を取り出して告げた。
「先日置いてくださった宇宙法大全を読んだら、デ・ファ、あなたが重大な違法を侵していることを知りました」
彼女の言葉に、デ・ファは表情を変えることもない。
「そんなわけはない。365条には、星を侵す生物からは撤退を命じていい旨記載されている。人間は明らかに地球に負担をかけている」
デ・ファの言葉に、スミルザも頷きながら聞いている。
「365条ではありません。月の裏側に出していたメッセージボードは、あなたが出していたものですよね」
リンの言葉に、デ・ファは少しの間黙ったが、特に焦る様子もなく告げた。
「人間が地球を汚染しているのは、かなり昔からだ。私は、人が産業革命で大気汚染を起こした後で売買の広告を出している。問題ない」
「その件じゃなくて、宇宙法999条のユニバーサル著作権の項目です。メッセージボード上のキャラクターの話をしようと思います」
リンの言葉に、デ・ファはわずかに口を歪めた。
「マッキーと呼ばれているキャラのことか。あれは、この星で広く使用が認められているはずだが」
「それは、著作権フリーのマッキー・マウスのことですよね。メッセージボードに描かれていたのは、僕の創作したキャラ、ラッキー・マウスです」
ジョナスはデ・ファに告げた。心臓がバクバク言っている。ここはきっちり主張せねばと、大きく息を吸い込んだ。
「ラッキーの著作権は、僕に帰属します」
デバイスに保存した、米国著作権の証明書を見せた。超特急で取得する必要があったので、リンの知っているあらゆるショートカットを駆使して申請し、ぎりぎりのタイミングで間に合わせたものだ。
ジョナスは今までの人生で、これほど熱を込めて何かをやったことはなかった。今回の出来事を通じて、生まれて初めて役割を与えられたのだと、ジョナスは思っていた。
デ・ファは黙っていたが、やがて不快そうに告げた。
「マッキーと何が違うんだ。誤差のレベルだろう」
「ラッキーは、鼻が白黒の市松模様で、口元に星型のほくろがある。その組み合わせで自他キャラクターとの識別力と唯一性を認められました」
ジョナスの言葉に、リンが畳みかけるように言う。
「キャラクターを無断使用するのは、重大な犯罪ですよね。宇宙法の999条、ユニバーサル著作権では、それぞれの星でつくられた著作物は生み出された時点で権利が発生し、厳重に保護され、勝手に使った場合には、著作物が帰属する星の法と宇宙法、両方で罰されるとされています」
デ・ファが何かを言おうとすると、スミルザが彼の方を向いた。
「彼らの言うことは本当ですか」
むくむくして剽軽な見た目に反し、低めで渋いダンディな声。ジョナスは内心ギャップに驚いていた。
「いや、そんなことは……」
言いつのるデ・ファに、ジョナスはデバイスの画像をつきつけた。
「月の裏側のメッセージボードのイラストと、僕が昔、小学校のプールに描いたラッキーのイラストです。そっくりだ。プールの絵をもとにしたんですね」
「いや、これは、マッキー・マウスだと思っていたので……」
小さくなっていくデ・ファの声。スミルザが向き直る。
「ユニバーサル著作権の違反は重大な犯罪だ。しかも私はメッセージボードを見て購入を決めた以上、完全に営利目的だ。プライベートでの利用という抜け道も使えない」
その言葉を聞いて、取りなすそぶりを見せるデ・ファに、スミルザは毅然とした態度で対応する。
「著作権マフィアは星間予算くらいの金を使って、超光速の船で乗りつけてくる。一度関わると、今後私まで目を付けられてゆすられるだろう。この話はなかったことにする。安心したまえ、私も多少関わってしまったことだ、宇宙局に漏らしたりしない」
そう告げると、スミルザは思いきりハト胸を張り、立ち上がってヨチヨチと部屋から退出した。しばらくすると轟音が聞こえた・自分の乗ってきた宇宙船で帰ったのだろう。
怒っているのか落胆しているのか、それとも当惑しているのか分からないデ・ファを見ながら、タミルは恐る恐る告げた。
「我々も宇宙局に告げたりしない。君がこのまま去ってくれれば、の話だが」
デ・ファは大きな目で三人を見つめた。宇宙局に告げない、というか、報告の仕方も分からないけど、とジョナスが思っていると、デ・ファは無言で右手を挙げた。
すると三人は気づくとセントラルパークの噴水の前にいた。そして目の前のアダムスキー型の宇宙船は、煌めきながら上空に向かうと、そのまま高速で消え去ったのだった。
後日、三人はジョナスの通っていた小学校のプールサイドにいた。
子どもたちが元気に泳ぎ回るプールの底には、剥げて薄汚くなったものの、白黒の市松模様の鼻に、口元に星型のほくろがあるラッキー・マウスがにんまりと微笑んでいる。
「信じられない話だけど、この薄くなったネズミの肖像が、アメリカを救ったんだな」
タミルがしみじみと言うと、リンも頷きながら告げる。
「本当に」
ビーチボールが飛んできて顔にぶつかったタミルは、どぼんとプールに落ちた。ずぶ濡れのタミルを見てジョナスは、自分こそが彼にとっての貧乏くじなのだと実感したが、残りものには福がある、というどこか遠い国のことわざも思い出した。
水の中でも修行僧のごとく平穏な表情を浮かべるタミルに、ジョナスは、彼は怒ることはないのだろうかと疑問に思った。その一方で、かつてローカルネットニュースで、ラッキー・マウスのことをマッキー・マウスだと報じられた際、ひどく腹が立ったことを思い出していた。
もしもデ・ファが、あのマイナーなニュースの情報を参考にしてラッキーをマッキーだと思い込み、著作権フリーだと判断して絵を描いたのであれば、その報道もいい働きをしたことになる。こうしてラッキー・マウスは、陣取りゲームの突飛なゲームチェンジャーとなり、アメリカ大陸を救ったのだ。
ジョナスはその英雄ネズミに感謝しながら、重たい足取りで母校の校長室へ向かった。ラッキー・マウスには今や著作権が発生したので使用料を払ってほしい、という厄介な話を持ちかけるために。 <了>
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