甘口鼠は辛いのがお好き
1 檻の中の遊戯
生物を観測する際、最も重要なことはなにか。 それは相手に警戒されないということだ。 そこにいるのにいないもののように扱われることが肝要になってくる。 ゆえに、わたしは鼠の姿を好む。 人間は鼠を追い払うことはあっても、鼠に観測されているとは思わない。 人間は鼠を恐れず、気に掛けず、在るが儘に振る舞う。 まさに、わたしの望んだとおりに。
ペットショップのガラス越しに、行き交う人が時たま足を止めてのぞき込むのを、わたしは深紅の瞳で見つめ返す。アルビノのハツカネズミは人間によって改良された愛玩のけだものであり、わたしとしても排水溝を駈け巡ることなく人間と共存できる素晴らしい存在だ。
特定の人間を観測するのも楽しみであるが、わたしは特等席から人間を眺めるのが気に入っている。もっとも美味そうな人間はどんなやつか、そんなことに思いをはせるのも楽しみの一つだ。 そんなわたしの視界を遮るように、1羽の大鴉が歩道と車道を区切る柵に留まる。客観的に見れば、獲物として品定めされていると思うかもしれない。しかし、よく見れば大鴉の足は三本ある。その気配から、同様の存在であることが伝わってくる。
「誰かと思えば、人間喰いじゃないか。私の庭で何をしている」
ばさばさと翼を広げて威嚇する大鴉を恐れてか、人混みがぽっかりとあき、ペットショップの前だけ別世界となったかのようだ。人間には大鴉の放つ声は甲高い叫びにしか聞こえないから、なおのこと遠ざけてしまう。ショップの中にいる人間も、他の生き物も凍り付いたように動けない。「眺めているだけだ。なにもしちゃあいない。あんたはわたしを知っているようだが、わたしはあんたを知らないね。ここの世話人なのかい? そのわりにはずいぶんと恐れられているようだがね」
くしくしと後ろ足で顔を掻きながら、わたしは大鴉に返答した。大鴉は「|喝<があ>!」と鳴くと、ますますその視線を鋭くする。ガラスを突き破って襲ってくるのではないかと思った矢先、一人の人間が飛び出し、大鴉に抱きついた。
「ちょっと、八咫ちゃん! なにしてるの!」
奇妙な人間がいるものだと思ったが、大鴉は人間に抵抗せず、そのまま抱きつかれている。その後、気まずそうに一言も発せず飛び去ってしまった。わたしは拍子抜けという気持ちでその様子を見送った。大鴉が飛び去ると、何事もなかったように人の往来が戻る、そんななか、大鴉に抱きついていた人間がわたしの方へと歩いてくる。
カシャとスマートフォンのカメラが鳴る。「きみも八咫ちゃんの友達?」人間が覗き込みながら話しかけてきたが、無視を決め込むことにした。観察するのはわたしの側であり、人間の側ではない。人間は返事をしないわたしに飽きたのか、踵を返して立ち去った。大鴉との関係が気になったので、少しだけ惜しい気持ちが残った。
翌日、わたしの悩みは杞憂であったことが判明した。人間が再びやってきたかと思うと、「このこ、ください」と店員に話しかけると、数時間のうちにわたしは移動用のケージに移送され、人間の家へと連れて来られることになった。
「どういうつもりだ?」
ペットショップのカウンターで最後の手続きを済ませている人間を見て、思わず疑問が口からこぼれた。
「ふふーん、ひみつ」
もちろん、人間に私の声は聞こえない。少なくとも人間の可聴域の音声ではキュウキュウとしか聞こえていないはずだ。だというのに、人間はわたしの声に反応したかのようにこちらに向き、にやりと笑ってみせた。
2 八咫鴉の巫女
丘の上にある豪華な一軒家に人間は暮らしているようだった。
敷地の周りには塀があり、監視カメラ越しにゲートが開錠されると自動で門が動いた。
家との間には車を止めからしばらくの距離があり、その家も脇を抜けて、離れに小さな建屋があった。
そこから知った気配が感じられる。
「八咫ちゃーん、連れてきたよ」
離れは立派な造りをしていて、造りは古いもののその分欧州の館のような構えをしている。
LEDに置き換えられたシャンデリアに、ミシミシと歩くたびに鳴る床に、赤い絨毯が引かれて、壁には宗教画が飾られている。
その先の広間に、昨日会った大鴉が我関せずというそぶりで、革張りのソファを占領していた。
ぱちぱちと暖炉で火がはじけているが、気にするそぶりもない。
「なんだい、あんたがよんだのか?」
「オレが呼ぶわけがなかろう。我が巫女の気まぐれだよ」
大鴉はその嘴を人間へと向ける。へらへらと人間は笑ってみせる。
「実は、ぼくが巫女なんだよね~」
人間はわたしたちの会話を完全に理解してみせた。これも大鴉の仕業とというわけだ。
「人間にわたしたちを認知させる力を与えるのか」
「そのとおり、オレが二千年もの間このように生きてこれたのも、人という共存者あってのことよ」
「なんとまあ! もう本来の概念も覚えていないんじゃないか、大鴉よ」
大鴉の言い分が本当であれば、わたしが知らないのも無理はない。
わたしが概念として成立するより前に、この大鴉はこの世界に堕ちていたということになる。
「巫女の一族もまた、オレがこの世を生きるために力を分け与えている。一年そこらで死に絶える鼠にはわかるまいよ」
「わたしも人間とは長いがね、お前のような変わり種と会ったのは久しぶりだ」
「人間喰いの鼠よ、外で何をしようと干渉するつもりはないが、オレの世界を荒らすようであれば容赦しないぞ」
「わたしは美食家でね。何を食べるかは、わたしが決める。きみの人間たちに興味はないよ」
ばさりと羽根を広げて威嚇する大鴉を躱すように、わたしは言葉を返した。
「それじゃ、顔合わせは終了ということで。私もこの子とお話したいから、お休み八咫ちゃん」
ケージを抱え上げると、人間はわたしを連れて離れを後にした。
人間の部屋はどちらかといえば質素なたたずまいで、異界化した敷地の中でひとつだけ正常な空間があるかのようだった。部屋には服のほかには、ぬいぐるみが棚に並び立ち、所狭しとしている。ケージを丸テーブルの上に置くと、鍵を開けて外に出る様に促してくる。
「挨拶がまだだったよね。どうも白ちゃん、私は安良坂凪咲と申します~」
仰々しく正座をして頭を下げる人間。ふざけているのかとも思ったが、人間なりの真摯さと受け取ることにした。
「それで、大鴉はあんたの気まぐれだと言っていたが、どういうつもりだ?」
「八咫ちゃんは先祖代々の守り神様なんだけど、まあ、どう考えても普通の鴉じゃないですし。白ちゃんも普通のハツカネズミじゃなさそうですし、いろいろと教えてもらえないかなと思いまして」
下げた頭をちらりとあげてこちらを覗き見る。大鴉と話していた時は気の抜けた人間と思っていたが、それなりに考えがあるようでわたしは安心した。
「大鴉がどうかは知らないが、わたしは少なくともハツカネズミではないよ」
ふんとふんぞり返るわたしを、ちょんと人間の指が押す。不意を突かれたわたしはそのままあおむけに倒れ、瞬時に身を起こした。ネズミの敏捷性あってのたまものだ。
「でもやっぱり白ちゃんはハツカネズミさんでは?」
「ハツカネズミのなりはしているが、わたしの概念は外にあるんだよ。」
「いやいや、意味不明ですよ白ちゃん」
「人間も演劇やゲームのなかで、架空の役割を演じるが、それは本人ではないだろう。わたしもこの世界で鼠という役割を演じているが、わたしはネズミではないということだよ。わかってくれるかい?」
「じゃあもしかして、この世界はゲームの中ってことですか?!」
「ゲームはモノの例えでね。この宇宙のすべて、過去から未来にわたるすべてを一つの絵画だと思ってくれないか。わたしはね、その絵を眺める存在とでも思ってくれ」
「えーと、じゃあなんでそんなことしてるんですか?」
「一つは食事さ。わたしたちも何かを摂取しなければ生きていけないからね。わたしの場合は理智を喰らうのさ。ただし、もとの世界には理智が限られている。大きな鯨はいても、食事にちょうどいい魚がいないのさ。時間のない世界において、消費できる存在は限られるのは、わかるだろう」
「さっぱりわかりません」
「結局、エネルギーを補充しなければ死ぬというときに、喰うものがないからわざわざ辛い思いをして鼠に化けているのさ」
「ーーつまり、ご飯を食べるためにハツカネズミさんに生まれ変わったということですね」
「ざっくりいうとそうなる。そんな必要なければわざわざ鼠なぞにならんさ」
高次元の存在をぎちぎちに折りたたみ、ハツカネズミのなかに自らを織り込み、エネルギーを摂取し、自らの寿命とともに概念へ送り届ける。一度に運べるエネルギーの総量も限界があるため、また次のエネルギーを求める必要がある。飢えた獣のように概念は存続する必要がある。そのため、わたしの概念を維持するためにはより質の良い理智を求める。
「じゃあ、八咫ちゃんはどうして二千年も生きているんでしょうか」
わたしとしても、同様の存在が長い月日を生きる意味を理解しかねていた。
本来、低次元におり、食事をしたらエネルギーを本体に補給する必要がある。そうでなければ、概念を維持できない。
「そんなの、直接聞けばいいだろう」
「教えてくれませんでした」
「ではわたしから言えることは一つ。死ねないのだ、ということは、すでに概念は死んでいる。古い神々のひとつだろう」
「オールド?」
「概念としては死んだが、低次元において生き延びている死にぞこない。わたしのご馳走だ」
「白ちゃんは人間を食べるんじゃないんですか?」
「わたしが人間を食べるのは、仕方なくさ。わたしの力では人間を食べるのが一番効率がいい。だが、概念を失った神を喰らう方がもっと旨いんだ」
「じゃあ、白ちゃんは八咫ちゃんを食べちゃうんですか?」
「いいや、もう食べたのさ」
人間は怪訝そうに見つめる。
けれど、人間も気付いてきたはずだ。わたしの声が次第に聞こえなくなっていくことに。
「わたしとの会話が、わたしの食事なんだ」
わたしの言葉は本来、わたしの力のよって譲渡され、会話によって回収される。
ありがたいことに、わたしの言葉を自ら聞き取る人間、そして大鴉はまたとないご馳走だ。
わたしは、大鴉と、その分け与えられた力のすべて奪い取る。残るはただの人間、そして大鴉の亡骸だけだ。
3 宙の中の遊戯
宇宙にわたしがどうやっていくのかといえば、それもまた人間によるものだ。
人間は人間を使う前に、必ずと言っていいほど鼠を使う。
ゆえに、この宇宙ステーションにもわたしはいる。
とはいえ、科学実験に勤しむ人間を食べたところで何の旨味もない。
わたしは、熟すのを待っていた。十分な熱量を抱えた人間が宇宙へとやってくるのを。
地球周回軌道から月面基地を経て、火星軌道にステーションが出来上がると、人間の熱量は一気に上がる。
月面基地から火星ステーションへの輸送船の中にも、わたしはもちろん紛れ込んでいた。
人間の生活のあるところ、不忍ともわたしは存在する。
わたしは一人の男に狙いを定める。
この船の中でもっとも熱い、いや、この時代の人類の中ではもっとも熱い男だ。
「火星への道のりは長い、わたしが話し相手になろうか?」
まともな人間であれば、わたしからの申し出は聞くに能わず、恐れおののくであろう。
要するに食事にならない。
けれど、熱量のある人間はいつだって刺激を求めている。
わたしとの会話ほど、刺激的なものはない。
「これがなにかのいたずらでなければ、火星探査以上の大発見だよ」
日の光のように輝く瞳で人間は頷いた。
4 鼠との遭遇
「ディミトリ・マーズ・ジュニアだ」
名前に火星の名を持つ青年は意気揚々と小さな友人ーーわたしに名乗った。
「マーズと呼んでくれ、僕こそが火星なのだという固い決意の下にね」
何を言っているのかわからない人間であった。
けれど同時に、扱いやすさにおいては過去一番であるのは間違いなかった。
「こちらこそ、マーズ」
「小さな友よ、わたしは君のことを何て呼べばいい?」
「シロと。わたしのことをかつての友人はそう言ってくれた」
「シロ! ふむ、AIRよ、この意味するところは何かな!」
人間は中空に疑問を投げかけると、即座にピコンという音が鳴り、彼の端末が機能し始める。
数秒の間をおいて、天井から無機質な音声が流れた。
『シロ、この場合は日本で意味するところのホワイトであり、アルビノの鼠を色からそのような愛称をつけたと想定されます』
わたしはこの声にどこか聞き覚えのあるような雰囲気を感じた。
この船はマーズの出資によって製造された、完全なるAI制御による航行を行う。
あらゆるアクシデントを想定し、補助することを目的として制作されている万能エージェント。
「なるほど、僕の友人が言うには、君の以前の友人は日本人だったのかもしれない」
「国家という概念に、わたしは縛られないからね。そうだったかもしれない」
「であれば、わたしの企業に最も近しい日本人となると、このAIRを開発したヤスラザカになるのだが。心当たりは?」
「人間の個体のことを一々覚えていられなくてね」
「個体には興味はないのか。AIR、この小さな友人について、最も妥当な考察を三つ提示してくれ。最も好意的なもの、最も可能性の高いもの、最も危険性の高いものこの三つだ」
人間は自らでの思考を諦め、困難な要素を見つけると即座にAIRへ思考を委ねた。
人間の思考を高速化させるためのもっとも単純な解決といえる。わたしとしては、もっと私と会話してほしいのだが。
『最も好意的にとらえた場合、火星進出をした人類に対し、偶然的に友好的な種族が鼠の姿で現れた場合です」
「なるほど、きみは友好的な存在だとおもうかね」
「わたしは友好的ですよ。わたしが求めているのは、ただ単にあなたたちとの対話なのですから」
わたしの回答に、人間はうんうんとうなずいた。
理解しているのかは怪しいところだが、この人間は理解したという顔をしている。
『最も可能性の高いものの場合、偶然ではなく、なんらかの意図をもって、マーズ氏に近づいていると考えられます。今回、火星への初進出ではなく、特別な条件として想定される最も可能性の高い条件は、マーズ氏のタレント性です』
「まさか、きみは僕のファン、あるいは敵対勢力なのかい」
「きみの名前も知らなかったのにかい?」
「なるほど、それもそうだ」
わたしはこの人間と会話をしているのだろうか。
人間でありながら、きわめて純粋な熱量をもつこの人間に対し、わずかばかりの不安を覚えた。
『最も危険性の高いものの場合、マーズ氏に接触し、危害を与えることを試みていると考えられます。速やかに距離を取り、隔離し、他者を交えて対応することを試みる必要があります』
「敵対者。きみが敵だとして、僕はいま攻撃を受けているのだろうか。AIR、メディカルチェックを頼みたい」
スキャン装置が機能し、人間の身体を透視し、異常がないかを瞬時に検査した。
『異常はありません』
「では、敵対者ではないのだろう」
「敵対者ではないね」
「きみの狙いは、初めにきみの言った通り対話だとしよう。そうした際、君には何が得られるのだ?」
「単なる暇つぶしさ。しゃべるハツカネズミと対話できるまたとない機会だ」
「きみの言う通り、単なるハツカネズミであれば、僕はきみを脅威とはみなさない。けれど、そうであればすでに多くの人間がそのことに気づいているはずだろう。僕が最初か、でなければ僕以外の全員がきみに殺されていることにならないか?」
「その通りだよ。わたしと会話した人間は、もれなくわたしのことは喋れなくなるんだ」
「きみが仮に単なる興味本位で忘れさせているのでなければ、僕はすでに手遅れということになる。AIRこの映像を遺し、拡散し、対処案を提示しろ」
「ああ、肝心なことがひとつ。この会話はわたしと人間にしか聞こえていないんだよ」
人間の身体がぐらりと揺れる。
バイタルに異常をきたしたことをセンサはすぐに見抜き、医療スタッフが駆けつける。
そのわきでハツカネズミの死体が1匹放置されたまま、憐れな天才の最期を世間は知らしめるのだ。
5 概念あるものの終わり
4次元世界から解放され、重力子を伝って本来の概念へと還るとようやく解放された気持ちになる。
在るだけで消費する概念を、次から次へと他者の概念をもって補強していく。
大鴉のようにすでにわたしはもとの概念を失っているだろうことに、わたしは還るたびに気がづく。
しかし、このままでは時を待たずしてわたしの概念は崩れ去ってしまう。
概念はそれを許さない。この領域に時間の概念はなく、あるのは存在のみだ。
わたしはあり続けるために、また概念を極限まで折りたたみ、ハツカネズミの中へと追いやるのだ。
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内容に関するアピール
私にとって宇宙、高次元、とは遥か彼方にあるものだけではなく、
隣接している、あるいは極小に繰り込まれて観測できないものというイメージでもあります。
ブレーンを想定した高次元の考え方は、世界を広く解釈するのに役に立ちました。
4次元世界を一つの膜(ブレーン)ととらえる考え方は、世界の方向を別軸に広げてくれます。
この考え方はパラレルワールドの考え方とも異なり、
時間軸に対しても自由な存在の想定や、重力子に対する考察としても機能するでしょう。
高い知性、高次元の存在がその末端を地上の生物として顕現するという手法は新しいものではないですが、
その背景は新しいものへと書き換えることができます。
第2回の課題で取り組もうとして挫折したものを、再挑戦したものになります。
時間の軸に縛られない生物と人間の現在過去未来との接続というアイデアは、現代の人間にとってその重みづけを反転させる機会になるとおもい想定したものでした。
…が、最後は力及ばず、字数的にも力尽きてしまったところは否めませんが、よろしくお願いいたします。
文字数:455