梗 概
黄金の音楽史
音楽史家セシリアが語る。
1965年1月20日以降、世界中のライブハウスやステージで演奏者が床から浮き上がるという奇妙な事件が確認されるようになった。記録として残る一番古い事件はシカゴでのジャズのライブだ。その日、バンドの変わった新しい演奏に観客たちは内容が理解できなかった。ある一人の観客が演奏を理解し、その瞳が輝きはじめると演奏の理解と輝きは会場全体に広がり、その瞬間、演奏者の体と楽器が床から浮き上がった。バンドのピアニストは後にこう語っている。
「気が付いたら指が勝手に動くのを見つめていた。そして床が遠くの方に見えたんだ」
それ以降、音楽における決定的な何かが変わってしまった。科学的には演奏者が浮き上がる現象は実際には起こっておらず、認識の中でのみ発生している現象だとされている。宙に浮いた音楽家たちは音楽を更新した巨匠として歴史に名を刻む。人々が音楽を求める熱狂の時代がはじまった。
音楽家カエデ・ファンショウは日本人のピアニストの母とイギリス人の指揮者の父との間に生まれた。3歳にしてピアノで作曲をはじめ、音響とコンピュータへの興味から17歳でフランス国立音響音楽研究所を修了。内向的な性格に苦労しながらも現代音楽の作曲家としてのキャリアを歩み始めた。会場の床全体を振動で鳴らす「アースミュージック」は初期の代表作である。
私がカエデに出会ったのは彼女が44歳の時だ。彼女の「全体を鳴らす」という音響への関心は強まり、建物や街全体を使った音楽のアイディアを試し始めていた。音楽家たちがバンドやオーケストラを法人化する時代、巨額の投資がカエデの作品作りを可能にした。
67歳のカエデは今、音響機械を宇宙に打ち上げようとしている。カエデには幼少期、民謡を教えてくれる大好きな祖母がいた。カエデが5歳の時、祖母は海に流され、遺体が見つかることはなかった。どこにいるのか分からない祖母に、カエデは再び故郷の唄を聞かせてあげたかった。打ち上げられた音響機械からは編曲された祖母の民謡が流れる。太平洋中に音楽が響き、海を囲むいくつかの国の人々がその音楽を耳にした。すると演奏の最中カエデの体が浮き上がった。
次に書くことは後にカエデが私に語ってくれた出来事だ。
体が浮き上がった瞬間、カエデの精神は何者かから呼び出された。それは「超意味論的大域構造体」であると名乗った。50億進行相アスペクト後に構造体同士の戦争が起こる。構造体は戦いに備えるために「道具」を必要とし、宇宙の有望な知的生命体に「気付き」を与えて養成してきた。カエデが作り出した音楽が「道具」を構成するパーツになったと伝えられ、カエデは、あの唄はあなたたちのためのものではないから忘れてくれ、と彼らに伝える。
あれから三年が経った。人々から「気付き」が失われ、100年以上続いた世界中の音楽的熱狂が冷めはしたが、カエデは今日も音楽作品を作っている。
文字数:1199
内容に関するアピール
「すごい演奏をしたらバンドが浮き上がる」という嘘からはじまる伝記風SFです。
ジャズピアニストであるハービーハンコックのバンドが浮き上がったという実際の(?)エピソードを元に、惑星サイズの絵画作品を作るSF短編『ジーマ・ブルー』を合体させました。
(ここから妄想)
実は人間の全ての社会活動は宇宙人たちの企みによって至高の創作物を作るためのものになっていて、出来上がった最高級品を鑑賞することを宇宙人たちは娯楽としているのです。この宇宙人たちに抗うため、搾取構造を拒否することで宇宙人たちの鼻を明かしてやろうと思ってこの話を書きました。
文字数:265
無重力の音楽
はじめは静かで奇妙なメロディだった。海をうろつくサメが、獲物が弱るのを待っているかのようなメロディだ。無秩序とひらめきが支配していると思われがちなジャズの演奏にも、一定の秩序と取り決めがある。まずはじめに、テーマと呼ばれるその楽曲のメロディが演奏される。一つの楽曲において、一般的にはテーマは最初と最後の二回演奏される。最初のテーマが演奏されたあと、テーマのメロディの裏で鳴っていた和音にもとづいて、各楽器奏者が順番に即興でメロディを演奏する。即興演奏はインプロヴィゼーションと呼ぶ。今演奏されている曲においてはピアノ、サックスの順でインプロヴィゼーションが行われ、その順番が今、ビブラフォン奏者であるジェイムス・シムズに回ってきた。ジェイムスの前に演奏をしたサックス奏者のクリス・ドーは、ジャズの後継者たる暴力的なまでの正当性をそなえたメロディを演奏し、罪人を高速でさばく天使のような印象を私は持っていた。これはあくまで私の印象による詩的な素描であるが、天使の断罪が頂点に達し全ての罪がさばかれたあと、演奏風景はジェイムスによって原始的な海へとうつりかわっていた。ジェイムスが生み出すビブラフォンのリズムは、ドラムが刻むビートよりもほんのわずかに早いタイミングで鳴った。わずかにずれた二つのリズムが鳴ることによって、音楽のリズム的な側面がわずかに複雑さをました。演奏のテンポが意図せず早くなってしまうことをミュージシャンたちは《走る》と呼ぶ。今、ジェイムスによって鳴らされるわずかに早いリズムは、ドラマーやベーシストといったリズムを生み出すパートを担当する者にとっては、《走ってしまう》原因をつねに与え続けられるようなもので、それはすなわちバンドの演奏を崩壊にみちびく可能性を持つ挑発的なものだった。ジェイムスの演奏にサメの印象があったのは、この挑発的な姿勢によるものなのかもしれない。ジェイムスはいつにもましてユニークで緊張感のあるメロディを奏でた。一人の演奏者がインプロヴィゼーションによってメロディを演奏することを「ソロをとる」という。ジェイムスは今、ソロをとっている。ソロをとっている者とは別に、伴奏をしている者がいる。和音や単音によってメロディを後押しするピアノ、和音の低音部やリズミックなメロディモチーフを演奏するベース、打楽器によってリズムを生み出すドラムなどである。伴奏をすることはコンピングと呼ばれる。伴奏を意味する英単語accompaniment(アカンパニメント)から派生した言葉である。コンピングはソロに対する単なる添え物ではない。コンピングは言わばあいづちや合いの手である。しかしそれだけにはとどまらず、演奏アイディアの提示やつぎのメロディの催促をすることなど、インプロヴィゼーションという会話での重要な行為である。私たちがふだんは会話でしているようなコミュニケーションをミュージシャンは演奏によってしている。今ジェイムスは、同じ音型のモチーフをくりかえしながらもどんどん音高が高くなっていくメロディを演奏した。音高が高くなっていくことで緊張が高まる。高まった緊張は、いつのタイミングか解決されなければならない。緊張からの解決というシークエンスは、西洋音楽において最も重要な要素である。あと一拍か二拍も経てば、緊張を解決するためにメロディは崩れ落ちるように下降へと変わるだろう。バンドのメンバー全員がそれを予測しているはずだ。そろそろ話のオチが来るだろう、そういった感覚と同じである。もしかしたらメロディの音型が最下部に到達した瞬間、ドラマーのクリスチャン・ブレイクはクラッシュシンバルを叩いて緊張の解決をあと押しするかもしれない。あるいはクリスチャンは、メロディが終わるのを予測していながらも、それではありきたりすぎるのだと、バスドラムの引きずったリズムモチーフによって緊張の解決を遅延させようとするかもしれない。どちらに転ぶかは分からない。クラッシュシンバルが鳴る瞬間、ピアニストにとって、それに合わせて和音を鳴らすのが音楽的快楽をもたらす一つの選択肢だ。ピアニストのジョナサン・スチュワートは今、そういった一般的に考えうる選択肢すべてを捨てて、ジェイムスの奏でるビブラフォンのメロディに衝突させる新しい和音のモチーフを開始させた。音高の上昇によって高まった緊張は、べつの色の緊張によって上から塗りつぶされ、緊張の解決は大きく遅延されることになった。不穏な気配を感じ取ったベーシストのニールス・ラーセンは、すぐに八分音符のコンピングを取りやめ、より長い音価を多用して停滞するようなコンピングを挿入した。演奏が新たな局面に突入した。
勢いづいていた演奏は、その緊張を維持しながらもトーンダウンした。ジェイムスは、小さい蜂が動き回るような細かい八分音符のメロディを散らすように配置した。すると、やがて、バラバラだった八分音符のメロディがお互いを引き寄せるようにして連続して鳴りはじめ、蜂の大群がやってきたかのように、音楽空間を埋め尽くす隙間ないメロディが鳴った。今までメロディとして認識されていたものは、その密度を極限までに高めることによって、むしろ存在感を退却させてコンピング的な役割へと移り変わった。図と地の反転。直前までコンピングの役割に徹していたピアノやドラムの音が前景化し、ソロとコンピングという固定化された役割は溶け出して、バンドサウンド全体が野生的で魔術的なものとして再組織化された。その演奏の異様さに圧倒された観客たちはうなり声のような歓声をあげ、知らず知らずのうちに私も足でリズムをとっている。ジョナサンがピアノから聴きなれない和音を鳴らした。和音とは、異なる音高の楽音を同時に鳴らしたもののことである。ある楽音について、その楽音と和音との周波数比が単純な整数で表せることを協和的であるという。逆に、より大きい整数を使ってしか表すことができない周波数比の場合、その楽音を不協和的であるという。不協和は好ましくない音であることをすぐには意味しない。西洋音楽の影響を受けたほとんどの音楽には緊張状態が必要であり、その緊張状態を作り出すために不協和が用いられる。ジョナサンが鳴らした和音は、ほとんど音楽の調性を破壊するほどに不協和でありながら、それでいてその音が鳴らされるべき強力な説得力をともなったものであった。調性とは、中心音を持つ音高の集合のことである。一般的に、一つの音楽が一つの瞬間に持っている調性の数は一つである。しかしこの瞬間ジョナサンが鳴らした和音によって、バンドの調性はピアノ側の調性とベース、ビブラフォン側との調性の二つに分離した。複数の調性が同時に鳴ることをポリトーナルという。リズム、ハーモニー、インプロヴィゼーションの方法という複数の側面それぞれが複雑さをましていき、音楽的必然性が崩壊する寸前まで緊張感が高まった。観客たちのうなり声がいっそう大きく響いた。私もひざの上でこぶしを握り、ステージに食い入るようにまえのめりの姿勢になっている。演奏をいっせいに止めて空白を作り出すことをブレイクと呼ぶ。今、バンドが極限の緊張状態の中ブレイクした。あまりの緊張感に私は息を止めた。コンサートホール全体が静まり、ほかの観客たちも息を止めていることが伝わってくる。その一瞬の空白の中、ジェイムスによるビブラフォンの印象的なソロが二拍続き、次の小節の1拍目、極限まで解決を遅延された緊張が、ジョナサンの協和的な和音、クリスチャンのクラッシュシンバル、ニールスの低く安定的なベースによって解決された。これほどまで長く解決を焦らされた緊張状態の解放による音楽的快楽は相当なもので、私を含んだ観客全員がうわっと叫び声を上げて立ち上がった。観客達の歓声の中でもバンドは推進力をましながら演奏を続ける。するとその瞬間驚くべきことが起こった。ジョナサンが座っているピアノ椅子が空中に浮き上がったのだ。さらにはピアノも浮き上がり、しかしジョナサンは浮き上がった状態で演奏を続けている。ジョナサンだけではない。クリスチャンのドラムセット、ニールスのコントラバス、ジェイムスのビブラフォン、そして彼ら自身の身体が空中に浮き上がったのだ。空中に浮き上がったバンドはなおも演奏を続けている。それを見ている観客たちの興奮は絶頂に達し、歓声は絶叫へと変わった。バンドは最後のテーマを演奏し、そのままアウトロを演奏して曲は終わった。曲が終わると同時に浮き上がっていたバンドはゆっくりとステージに着地し、観客たちは鳴り止まない拍手をした。私は何が起きたのか分からず呆然としていた。ジャズ・ブレイン・パッセンジャーがとてつもない演奏をして、そして空中に浮き上がったのだ。
*
その日の朝、ロバート・シアリングはインタビューに5分遅れてやってきた。私はインタビューのためにとったホテルの個室で彼を待っている間、急に部屋がみすぼらしいものに思えてきて、失礼にあたらないかどうかが気になった。インタビューが始まってからそれは杞憂だったと分かった。ロバートは思っていたよりも気さくで話がおもしろい人だった。私は用意してきた質問のリストを見るのをやめて、話がどんどん横にずれていくことに任せた。それがインタビューのおもしろいところだと私は思っているし、読者もきっとそういうものが読みたいはずだ。話は予想外に盛り上がり、気がつけば終了予定時間を30分も過ぎてしまっていた。ロバートは今日から開催されるSFジャズフェスティバルのメインステージにおけるプロデューサーだった。さらに彼がプロデュースするバンド、ジャズ・ブレイン・パッセンジャーがこの日演奏することになっていた。このインタビューもSFジャズフェスティバルに向けてのロバートの思いを取材するものであった。朝の早い時間にインタビューを設定したため、フェスティバルの開催までは時間の余裕があるものの、ロバートをこれ以上引き止めるわけにはいかない。私は彼にインタビューを受けてくれたことへの感謝を伝えて見送った。彼が部屋を出て行ったあと、インタビューの録音がちゃんとできていたかどうかなどを私が確認していると、一つだけしておきたかった質問があったことを思い出した。あなたが作ったバンドは今後どのような活動をしていくのでしょうか。私はその質問をし忘れていたことに気がついた。
午後になり、SFジャズフェスティバルの会場へと向かうためにホテルを出てタクシーを捕まえた。SFジャズセンターまで行ってほしいと運転手に伝えると、運転手はこう言った。
「あんたもジャズを聞くのか。私も実はジャズのファンなんだ。昔はサックスを吹いたんだけどね。チャーリーパーカーの古い演奏が好きなんだよ。あいつはミュージシャンのためのミュージシャンだ。楽器を弾かない人たちにはあんなに複雑なメロディは追いかけられない」私はてきとうなあいづちを打った。チャーリーパーカーのメロディが複雑だというのはもっともだが、メロディを追いかける聴き方だけが音楽の楽しみ方ではない。音楽の聴き方は自由だ。車の窓の外にはチューバやトロンボーンを演奏しているバンドが見えた。あの編成はニューオリンズジャズだろう。
サンフランシスコジャズフェスティバルは毎年6月に開催される11日間のジャズのフェスティバルだ。ベイエリア全体のクラブ、ライブハウスや街角で演奏が行われる。その中でもメインとなる会場はSFジャズセンターの中にある700席を持つ屋内コンサートホール「ロバートN.マイナーオーディトリアム」だ。ロバート・シアリングは数年前からこのSFジャズセンターでの演奏プログラムを企画するプロデューサーに任命されていた。私が彼にメールでインタビューを申し込んだとき、軽い返事でOKだと返信が来た。ロバートはジャズミュージシャンの叔母を持って生まれ、リコネクションという名義でヒップホップのプロデューサーとしてデビューした。二枚目のアルバムをリリースしたあと、彼はヒップホップ、電子音楽、ジャズのためのレーベルを設立した。彼のレーベルは素晴らしいミュージシャンを集めて評価の高いアルバムをリリースし続けた。ジャズに対する深い理解と貢献、手腕が認められ、彼は数年前からSFジャズフェスティバルのメインステージのプロデューサーを務めるようになっていた。ロバート自身が生み出す音楽はヒップホップに分類されているが、今朝のインタビューにおける即興的なやりとりのなかで、彼もジャズにルーツのある人なのだと私は感じていた。
会場であるSFジャズセンターに到着して、一階がガラス張りになっている建物の中に入っていく。コンサートホールに向かう途中、偶然ロバートに会った。「セシリア、久しぶりだね、身長が伸びたんじゃないのか」とロバートは冗談を言った。今朝のインタビューでよっぽど気に入ってもらえたのかもしれないと私は感じた。「ジャズを楽しんでくれ」と言ってロバートは忙しそうにどこかへと行った。私はコンサートホールに入って演奏が始まるのを待った。
何組かの演奏が終わり、こわばった足を伸ばそうと私はコンサートホールの外の待合室に出てコーヒーを飲んでいた。するとふたたびロバートに会った。「セシリア、次のバンドはやばいから聴きのがさないでくれ。一番やばいメンバーを集めたんだ。伝説の演奏になるかもしれないよ」ロバートは冗談っぽくそう言ったが、私はほんとうにそうかもしれないとも思った。何しろそのバンドは、ロバートが最高のミュージシャンを集めたものだったからだ。ロバートは若手の突出したミュージシャンを集めてバンドを結成させて、ツアーを企画していた。バンドのツアーの最後の演奏がこのSFジャズジェスティバルだった。バンドの名前はジャズ・ブレイン・パッセンジャー。私はジャズ・ブレイン・パッセンジャーの演奏の噂をSNSで目にしてはいたが、実際に聞いたことはなかった。今日初めて聞くその演奏を私は楽しみにしていた。そして、実際に演奏は伝説的なものになった。バンドが空中に浮いたからだ。
*
パックから直接ミルクを飲んではいけないと父に何度も怒られた。それでも私は、パックに口をつけずに飲めば問題ないという言い訳をして、何度怒られたとしてもその飲み方を続けた。大人になった今でも、自宅にいるときはカップを使わずにパックから直接ミルクを飲む。人目につかなければ問題ない。久しぶりにその飲み方をしたせいか、あるいは考え事をしていたせいなのか、ミルクを口の横からこぼして首元を汚してしまった。考え事の内容はSFジャズフェスティバルでのあの演奏のことだ。
SFジャズフェスティバルが終わって、私はニューヨークにある自宅に戻っていた。演奏中にバンドが浮き上がったことはニュースに取り上げられていた。SFジャズフェスティバルの主催者がYoutubeにアップロードした演奏の動画は、ジャズのファンを超えてはるかに多くの人によって再生されていた。その動画を見た人にとっては、バンドが浮き上がったこととは別に、演奏内容の素晴らしさ自体も話題となった。SNSでは検討外れのことを含め様々な反応の投稿があった。私はあの瞬間あの場にいたので、人々が何に感動をしているのかが分かる。しかし、そうではない別の感情を私は感じている。それが何なのかが分かったのは、ミルクで汚れたシャツを脱いで洗濯機に入れ、洗濯開始のボタンを押したときだった。人間が演奏によって浮き上がるなんてことはありえるのだろうか。私は音楽の批評家として、そのことについて違和感を覚えている。音楽についてはできる限り正確なことを知らなければいけない。それが批評家としての責任だと私は考えている。
私はまずSNSでの人々の反応を詳しく見ることにした。私と同じように、ミュージシャンや楽器が浮かび上がることに疑問を覚える人がいる一方、超常的な現象であると信じている人たちがいた。エイリアンが演奏を聴きに来たのだという意見がいくつもあった。バンドが浮かび上がった後に照明が明るくなっているのではないかという指摘があった。その中にコンサートホールで演奏を聴いていたときは気がつかなかったが、映像を見てみるとたしかにほんの少し明るくなったように見えるかもしれない。しかし、かもしれない、というほどのわずかな違いでありほんとうかどうかは判然としない。発光する巨大な何かが会場の空中に出現したのではないかという荒唐無稽な投稿もあった。その巨大な何かは地球を越える巨大な質量を持っており、万有引力にしたがってステージ上での重力が釣り合ったのだと書かれていた。ピアノ線のようなワイヤーで吊り上げたのではないか、という意見もあった。その可能性はありえると私は思った。しかし私を含めピアノ線を見たという人はいなかったし、映像を見返してみてもそのようなものは映っていなかった。それに一体何のためにバンドを浮かび上がらせるのだろうか。ロバートはこのことについて何か知っているのだろうか。彼のSNSではバンドが浮き上がったことを興奮気味に伝える投稿がされているだけで、その真相にせまるような内容の投稿はなかった。
演奏中にバンドが浮き上がるというエピソードを私はどこかで聞いたことがあるような気がしていたが、いくら考えてもそれを思い出すことができなかった。
私は信じてはいないが、エイリアンが演奏を聴きに来た、という説に対して一番もっともらしい理由を与えているように思えたのは、ゴールデンレコードについての投稿だった。
1977年、NASAは太陽系内および太陽系外を調査するボイジャー計画のために、2台の探索機を打ち上げた。1号が木星と土星、2号はそれに加えて天王星と海王星を撮影した。その結果、各惑星に新たな衛星が見つかり、木星と天王星、海王星に環があることが発見された。そのボイジャー探索機1号と2号に乗せられていた金色のディスクがゴールデンレコードである。探索機は太陽系内の調査を終了後、太陽系を離れて宇宙を漂うことになっていた。そのため別の恒星系にすむ地球外知的生命体がゴールデンレコードを見つけ、レコードに収録された情報を彼らが解読してくれることを期待して積み込まれたものである。ゴールデンレコードにはさまざまな種類の言語によるあいさつや、さまざまな地域、時代、文化による音楽が収録されている。探索機は2004年時点で太陽系を脱出している。その投稿によれば、ゴールデンレコードはすでにエイリアンによって発見、解読されており、地球の音楽をもっと聴きたくなった彼らがすでに地球にやってきているという話だった。そのほかのオカルト的な投稿としては、神によるもの、未来人によるもの、超能力者によるもの、集団幻覚、地球が意志を持って目覚めたというもの、この世界はシミュレーションであるとする仮説によるもの、などがあった。
オカルトではなく、科学的な事実が知りたかった。私は映像監督をしている知り合いに、ジャズ・ブレイン・パッセンジャーの演奏のURLを送り、映像的におかしなところがないか教えてほしいというメッセージを送った。
人間の体が浮き上がるといえば奇術である。あのステージで行われたのがマジックであったのならどうだろうか。ロバートが話題作りのためにマジックを仕掛けたのかもしれない。しかしそんなことがはたしてあるだろうか。
ジャズにおける魔術といえば、ピアニストであるハービー・ハンコックがジャズの帝王マイルス・デイビスに付けたあだ名は魔術師だ。これは黄金クインテットと呼ばれるマイルスの第二期バンドのアルバム名にもなっている。ロバートがたとえ魔術師であったとしても違和感がないように思えた。彼の生み出す楽曲にはそういった響きがあったからだ。
ハービー・ハンコックについて私が考えたとき、その瞬間私の頭の中で鍵が外れたようにあることが思い出された。それは、ハービーが演奏中に浮き上がったというエピソードのことである。バンドが空中に浮き上がるというどこかで聞いたことのある話は、ハービーの自伝の中に書かれたものであった。私はページをめくってそのエピソードが書かれている場所を探した。
1970年、シカゴにあるクラブ、ロンドン・ハウスでの出来事だ。ハービーのバンドはこのクラブで4週間の演奏をするという契約を獲得していた。そのジャズクラブは古いスタイルのジャズクラブで、年配の白人男女がスーツとドレスを着て訪れ、マティーニを飲みながら古いジャズを聴くという店だった。しかしハービーが率いるバンドはこの時期音楽性を大幅に変えており、穏やかな曲を演奏することを期待していたクラブのオーナーの思惑とは異なり激しい演奏が行われた。一週目は客の反応が鈍かったが、二週目に入ると客層が変わりはじめた。ハービーのバンドがいつもと違う音楽を演奏していると噂になりサウス・サイドに住む黒人の若者がやってきたのだ。ある日の晩、バンドエネルギーが霊的な領域に入ったとハービーはつづっている。
“セカンド・セットはもっと素晴らしかった。一糸乱れず波長が合い、もはや私たちが音楽を演奏しているのではなく、音楽が私たちを演奏しているように感じ始めた。天のどこかから降りてきた音楽が私たちを通して鳴り響いているかのようだった。メンバー全員がどこか別の次元にいた。
(中略)
ピアノの椅子から立ち上がろうとしたが、脚の感覚がなかった。見下ろすと、床は十フィート下にあった。ほんとうの話だ。体が浮遊していたのだ。その夜はドラッグもやっていなかったし、酒も飲んでいなかった”
(ハービーハンコック自伝、2015年、ハービー・ハンコック著、川島文丸訳、DU BOOKS)
ハービーが物理的にほんとうに浮き上がったのかどうかはあやしいが、ジャズ・ブレイン・パッセンジャーが浮き上がったのはこの話に似ている。ロバートがこのハービーの自伝を読んで、再現しようとした可能性はゼロではない。
映像について尋ねていた映像監督から返信があった。ネットでの噂通りバンドが浮き上がる直後に画面全体の明度が上がっているそうだ。専用のソフトで明度の平均を取って調べたらしい。それに加えて、バンドが浮き上がる時と着地する時に低周波のノイズがわずかに鳴っていることが分かった。ステージに何か仕掛けがあったのではないかという疑いを私は強めた。もしそうであればその犯人はロバートであろうと私は感じていた。あの日、インタビューのために話した二時間の中で私はロバートの人柄の中に底知れない何かを感じていたのかもしれない。しかし、だからといってロバートは悪いことをしたのだろうか。バンドを空中に浮かせたところでそれは演出の一つなのではないだろうか。世間ではリコネクションという名前のヒップホッププロデューサーとして知られるロバート。私はインタビューを書き起こした原稿に目を通して、もう少しだけ彼のことを理解しようと思った。
―― そもそもSFジャズフェスティバルにはどのような経緯で参加することになったのですか?
リコネクション: フェスの主催者のマックス・ゴードンがオレに直接オファーをしてきたんだ。メインステージのプロデューサーをやらないかってね。彼は大学でサックスを教えていて、教え子たちからオレのアルバムを薦められて聞いていたらしい。それからオレがジャズの外側にいながらジャズミュージシャンを集めておもしろそうなことをやるのをずっと追っかけてたらしい。それに俺には叔母がいるから、ジャズシーンからの文句もでないだろうしね(笑)
(* リコネクションの叔母は70年代に活躍したピアニスト、アリサ・コートナー)
―― メインステージで演奏するミュージシャンの中にはあなたのレーベルでリリースしているミュージシャンも何人かいると思いますが、どういった方針で選んだのでしょうか?
リコネクション: 今後ジャズシーンで活躍していくだろう、あるいは活躍してほしいミュージシャンやバンドを呼んだ。オレはジャズをリスペクトしているし、ミュージシャンをたくさん知っているつもりだけど、全てのミュージシャンではない。だからジャズに詳しい友達とかニューヨークで活動しているミュージシャンに聞いたりしたよ。特にファイヤーバードはたくさん教えてくれたよ。DAMaとBP Joyceのデュオは実質的に彼の推薦だね。
―― ファイヤーバードは候補には上がらなかったのでしょうか?
リコネクション: 彼はすでに活躍しているからね。それに彼の音楽はストレートアヘッドのジャズって感じじゃない。SFジャズフェスティバルの観客たちはモダンジャズの歴史につながるストレートなジャズを求めているんだ。彼の活躍でジャズが盛り上がっているのはたしかだけど、今回は違うと思ったんだ。
―― 今後のジャズシーンを見据えてのチョイスだったということですね。
リコネクション: そのとおり。オレはジャズがふたたび音楽シーンの大きな一角を占めることを願っている。しかし現状ジャズの売上の半分は昔の音源だ。50年や60年代の演奏は非常に素晴らしいけれど音楽が発展していくにはやっぱりリスナーたちがその時代の音楽に熱狂していかなくてはいけない。それはジャズが半世紀以上抱えている課題なんだ。売れることだけが正解ではないと考えているミュージシャンもいるけれど、ストレートアヘッドのジャズに関してはそれは楽観的すぎると思う。現代のジャズにおいて話題になるアルバムのほとんどはR&Bやヒップホップ、電子音楽とのクロスオーバー的なものだ。現代のストレートアヘッドのジャズが話題になることなんてほとんどないんじゃないのかな。
―― あなたは現状に危機感を覚えているわけですね。
リコネクション: ああ、大いに。
―― メインステージで演奏するそれぞれのバンド・ミュージシャンについて教えてください。今回あなたはジャズ・ブレイン・パッセンジャーという名前のバンドを企画して、バンドのツアーの最終日をこのSFジャズフェスティバルでの演奏にしましたよね。これは意図的なものでしょうか?
リコネクション: ジャズ・ブレイン・パッセンジャーはオレが最高だと思うミュージシャンを集めたものだ。彼らも集まった瞬間オレの意図を理解してくれたようだった。卓越した演奏によって、ジャズをもう一度熱いものにするんだ。だが真に素晴らしいジャズというのはすごいミュージシャンを集めただけでは成立しない。メンバー全員が新しいものを作ろうと意気込んで、時代を超越した普遍性をキャッチすることができたときにそれは生まれるんだ。SFジャズフェスティバルがツアーの最終日になったのは偶然だね。スケジュール的にちょうどよかったんだ。どっちもオレが関係しているしね。
―― ジャックスナイダートリオはどうですか? SNSなどで最近注目されているトリオですよね。
リコネクション: 彼らはSNSを使うのがうまいんだ。人々がミュージシャンに何を求めているのか分かっている。それはまず第一にかっこいい曲を作ってくれってことなんだけど、あとはミュージシャン自身がかっこよくなくちゃいけないんだ。彼らはSNSの投稿がふざけていておもしろいから話題になるだけじゃなくて、あのビジュアルや振る舞いも狙ってやっているものだとオレは思ってるよ。
―― 他に注目すべきミュージシャンはいますか?
リコネクション: DAMaとBP Joyceだね。あの二人はファイヤーバードに教えられて知ったんだけど、ユニークで変わった演奏をするんだ。ジャズだけじゃなくて、MF DOOMなんかの曲も演奏してたりする。オレのレーベルでアルバムを出してくれないかな(笑)
―― このインタビューが公開されるころにはSFジャズフェスティバルはすでに終わっているはずですが、メインステージの演奏は全てYoutubeで観ることできるようになっていますよね。今から演奏を観るジャズファン、あるいは演奏を観た後にこのインタビューを目にするジャズファンに向けて最後にメッセージをお願いします。
リコネクション: とにかくすごいミュージシャンをたくさん集めた。そんなことはないと思うけど、もしも演奏に飽きたら動画をスキップしてもいいから全てのミュージシャンに目を通してくれ。きっと気に入るバンドがいくつかみつかるはずだよ。オレはジャズがこれからもどんどん発展していくって信じているし、実際そうしようと活動してる。オレ自身はジャズの曲を作るわけじゃないけど、ミュージシャンを引き合わせたり仕事を与えたりして貢献しているつもりなんだ。特にジャズ・ブレイン・パッセンジャーは見てほしいかな。オレが集めたバンドだってこともあるけど、これからどんどん活躍していくはずだから。
すでに演奏を観た人に言うことは特にないかな(笑)。すごい演奏があって、すごいことが起きたってことをその人たちは知っているわけだからね。それで十分さ。
―― ありがとうございました。
インタビューの最中はそう思うことはなかったけれど、後になって見返してみれば、ロバートはジャズ・ブレイン・パッセンジャーが空中に浮き上がるのを知っていて、それをうっすらとほのめかすような受け答えをしているように思えた。私はその答えを知るためにふたたびロバートにメールを送ることにした。
*
タクシーの窓からロサンゼルス市内の風景が見える。リフレクションことロバート・シアリングに呼ばれた私は、わざわざ飛行機に乗ってロサンゼルスまで来ていた。彼が今日レコーディングしているというスタジオに私は向かっている。あれからジャズ・ブレイン・パッセンジャーが浮き上がったという話題はSNSで見ることはなくなり、単なる一過性の出来事として消費されていった。私はそれからも、あの演奏の動画を何度もYouTubeで観ている。浮き上がった謎を知るためではない。演奏が気に入っているからだ。動画の再生数は日を追うごとに伸びている。もうすぐ一千万回を超えるだろう。ジャズの演奏動画ではほんとうに珍しいことだ。多くの音楽好きがあの動画を何度も再生しているのだろう。それは私にとっても嬉しいことだった。
私がロバートに送ったメールの内容はシンプルで直接的なものだった。バンドがどうして浮き上がったのかについてだ。それに加えて、あの日の演奏がいかに素晴らしかったのか賞賛する内容を書いておいた。
インタビューを承諾したときの返信と同じように、ロバートからは軽い返事が来た。スタジオでレコーディングするから遊びに来たらどうか、という誘いだった。
タクシーを降りてスタジオの中に入っていくとロバートが私を迎えてくれた。
「やあ、よくきてくれたね。また身長が伸びたんじゃないのか、セシリア」
前にあったときと同じ冗談をロバートは言った。記憶力がよいのかもしれない。
今日は何のレコーディングをしているのかを尋ねると、私にとって嬉しい答えが返ってきた。
「ジャズ・ブレイン・パッセンジャーさ、あのバンドは今や有名になった。でもアルバムがまだ一枚も出てないんだ。みんな聴きたがってるからね、早く作らなくちゃ」
スタジオのコントロールルームのドアを開けて中に入るとジャズ・ブレイン・パッセンジャーの面々がソファに座ってくつろいでいた。「みんな、紹介するよ、セシリアだ。バンドが浮き上がった秘密を知りたがってるFBI捜査官だ」ロバートが冗談をまじえて私を紹介した。私は全員と握手をし、メンバーはリラックスした様子で私を迎えてくれた。予想外なことに、私が真相を知りたがっていると知っても怪しんでくるような雰囲気はなかった。
「セシリア、いきなり本題に入ってもつまらないから一曲レコーディングを見てってくれよ」
ロバートはそう言ってメンバーをレコーディングルームに送り出した。レコーディングルームは広々としていて、それぞれのマイクに音が干渉しないようメンバー全員がついたてによって仕切られている。
演奏された曲は、なんとあの日バンドが浮き上がった時に演奏していた曲、今となっては私のお気に入りになった曲だ。その曲をアルバムが発売する前に誰よりも早く聴けることが嬉しかった。
演奏は全部で7テイクも録った。ニールスとクリスチャンがもう一回やるといって何度も録り直したからだ。私は3回目のテイクがアルバムに収録されないだろうかと期待している。
メンバーがコントロールルームに戻ってきてソファに座った。
「みんな、あの空中浮遊のトリックをセシリアに教えてもいいか?」とロバートが言った。やっぱりあれはトリックだったのかと私は思った。「他の人にバラさなきゃ教えるよ、セシリア」とジョナサンは笑って言った。他のメンバーも特に反対することなくうなずいた。「せりあがるアクリルの台の仕掛けをステージに作ったんだ。しかもすごく大きいやつをね」とロバートが言った。あまりに開けっぴろげに言うので私は少しだけ驚いた。私が予想していたとおり、ステージに仕掛けがあったのだ。低周波のノイズが映像に含まれていたのも、その仕掛けが動くときの音が入ったせいなのだろう。「一ヶ所だけアクリルがせりあがってくるとすぐ分かっちゃうから、ステージ全体を覆う大きさのアクリルを作ったんだ。10万ドルはかかったけどね」一体なんのためにそれほどの大金を使ったのかが疑問だった。「アクリルに角があると反射率の違いで分かってしまう。だから角をとって丸くなるように加工したんだ。それでもまだアクリルを使っているとバレバレだし、床の模様の問題がある。ほんものの床の代わりにアクリルを設置すれば床が透明になってしまう。だからアクリルの中に床をそのまま入れたんだ。床の表面をアクリルがおおったような状態だね。アクリルが浮き上がっても中に入っている床の高さは変わらないようになっている。これで浮き上がっているように見えるんだ。いわば二重床ってことさ。そして照明。演奏中はステージの真上から床に向かって照明があてられていて、その光で床の木目は白くなってみえづらくなる。ライトは指向性があるから狙った場所だけを明るくして、それ以外の床は暗いままにできる。これを調整してアクリルが設置されている場所だけを明るくなるようにしておくんだ。光が強くてアクリルがあるかどうかなんて分からなくなる。浮き上がる前と浮き上がった後では少しだけ光量の調整が必要だけど、それも事前にプログラムしておいた。それに加えてSFジャズセンターのコンサートホールはこの仕掛けにとって都合がいい。ステージが一番底になっている場所にあって、ほとんどの観客はそれを上から見下ろす形になっている。照明でアクリルを隠したとしても真横から見られたらバレてしまう。でもステージの構造上それが起こらないようになっているんだ」浮き上がる瞬間で照明が明るくなっていたのはそれが原因だったのかと私は思った。
「これが事件の真実の全てなのかもしれない。セシリア、君はこの話を信じるかい?」説明に納得しかけていた私はその質問によってあっけにとられ、一瞬言葉を失った。一体どういうことなのだろうか。ニールスはロバートの顔を見てにやにやと笑っている。
「オレはステージに仕掛けをした。だけどバンドが浮き上がったのはすごい演奏をしたからだと思っている」ジョナサンが「イエス!」と叫んだ。私はその言葉の意味が分からず困惑している。
「考えてみてくれ。もしもすごい演奏をしていないのにバンドが浮き上がったらどうだろうか。誰もその話を信じてくれないし、おもしろくないじゃないか。オレはバンドが演奏をする前にステージの仕掛けを動かす条件を決めた。観客たちが演奏に熱狂して全員立ち上がったらバンドを浮き上がらせる。それが条件だった。そしてあの日、ジャズ・ブレイン・パッセンジャーはとてつもない演奏をして見事観客たちは全員立ち上がって叫んだ。だから、バンドが浮きがあった理由はすごい演奏をしたからなんだ。オレはこのバンドを有名にして、ジャズシーンに熱狂をまきおこしたい。マーケティングと話題作りのため、そしてステージの仕掛けがあったからジョナサンやケンドリックは浮き上がったのかもしれない」そう言ってロバートはジョナサンとケンドリックを順番に見た。「だけどオレたち音楽家が作り出す真実は別のものなんだ。それは音楽の中にある。オレたちが鳴らす音とそれを聞いてくれるオーディエンスだけが真実なんだ。バンドが浮きあがった理由はすごい演奏をして観客が感動したからなんだよ」
私はまだ言葉を失ったままだった。ロバートの顔を見れば、バンドを浮き上がらせる、そのためだけに仕掛けに大金を注ぎ込んだのが分かった。バンドがすごい演奏をして浮き上がったらおもしろいだろ? 話し終えたロバートの顔はそういう表情をしていた。
*
二ヶ月後、ジャズ・ブレイン・パッセンジャーのファーストアルバムが発売された。あの曲は、私の期待通り三回目のテイクが収録されていた。そのほかの曲もストレードアヘッドジャズの素晴らしい演奏ばかりで、そのうち二曲はジャズファン以外も確実に好きになるだろう曲だと私は思った。私はバンドがもっと有名になってくれと祈りながらアルバムのレビューを書きブログにアップロードした。レビューはSNSで少しだけ話題になり、ロバートもそれをシェアしてくれた。
私がアルバムをかけながらミルクを紙パックから直接飲んでいたとき、私はまたもやロバートに質問をし忘れていたことを思い出した。あなたが作ったバンドは今後どのような活動をしていくのでしょうか。しかし、私はもうその質問はどうでもいいような気がしている。
*
1877年12月4日、アメリカ、メロンパーク。
男たちに見守られる中、一人の男がテーブルの上に置かれた機械の円筒の部分に、そなえ付けられている針をおろした。男は円筒の一端に付けられたクランクレバーを回しながら歌を歌う。そのあと男は円筒を開始地点まで回転させて戻し、今度は反対側の針をおろした。そしてもう一度クランクレバーを回しはじめるとその場にいた誰もが驚いた。
「メリーさんの羊……」
機械から男が歌った歌が聴こえてきたのである。男の名前はトーマス・アルヴァ・エジソン。エジソンが開発した蓄音機がはじめて機能した瞬間である。エジソンの名はこの蓄音機の発明によってたちまち知れわたることになり、メロンパークの|魔術師と褒めそやされた。エジソンは蓄音機が秘める可能性にすぐに気づくことはなかった。彼は蓄音機の主な用途は販売用の口述を録音することだと予測していた。蓄音機は、最低限の機能を持ち、音質は悪く、一分程度の録音時間しかなく、扱いには細心の注意と技術が必要な機械として長い間放置されることになる。エジソンはこのとき、のちに自身最大の発明となる次なる大きなプロジェクトに取り組もうとしていた。白熱電球の開発と電力システムの構築である。
エジソンがふたたび蓄音機に取りかかりはじめるまでに、電話の発明者であるグレアム・ベルとそのいとこチチェスター・ベル、同じく発明家のチャールズ・ティンターらが蓄音機を改良したグラフォフォンと呼ばれる機械を開発していた。彼らはこれらの機械を協力して改良しようという提案をエジソンにしたが、エジソンはそれを断った。エジソンは彼らを自分の発明を盗んだ盗人だと考えていた。エジソンは蓄音機の改良でいくつかの失敗を経験したあと、蓄音機には娯楽機器の用途としての未来があることに気づいた。
1910年までにエジソンは、蓄音機の録音部分であるシリンダーを大量生産する工程を完成させていた。やがて蓄音機レコード業界は大手三社が争う状況となり、コロムビア社とビクター社は現在も知られる薄いディスク状のレコードを開発した。このレコードは再生時間と保管のしやすさに優れ、エジソンの開発した円筒型のレコードを追いやった。
1910年にはすでにレコードがアメリカの一般家庭に普及していた。音楽の中心地は未だミラノ、ロンドン、パリにあり、取り扱われる音楽はクラシックやオペラであった。1920年、ジャズの初のミリオンセラーのレコードが生まれた。当時のアメリカでは第一次世界大戦の特需によってシカゴ、デトロイトの工場に労働力が不足し、百万人を超える黒人が南部から移動してきていた。そこで所得を得た彼らによってディキシーランドジャズのマーケットが形成されたのだ。
ジャズが白人にもヒットするようになり、ポピュラーミュージックは急速にジャズを取り込んでいった。しかしジャズはエジソンの趣味には合わなかった。彼が扱うレコードレーベル、エジソンレコードでは、クラシック路線を保ちそのシェアを落としていくことになる。しかし皮肉にも、エジソンの名前が冠され社長も務めたこともある会社ゼネラルエレクトリック社が扱うビジネスが、ジャズをさらに普及させることになる。ラジオ放送である。しかしその話は長くなるのでここではやめておこう。
古来から音楽において、曲を残すための様々な技術が開発されてきた。その試みの結晶が現代では楽譜という形で伝わっている。現在聞くことができる中世以降の音楽は、なんらかの形で楽譜に残されたものであり、楽譜に残されなかった数々の音楽は失われてしまった。口承で伝えられる音楽や即興で演奏される音楽は全て失われる運命にあったのだ。エジソンが開発した蓄音機は、楽譜を介さず音そのものを残す技術であった。それは即興演奏の技術にも革命をもたらした。1940年代、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが完成したと言われているビバップと呼ばれる演奏スタイルの発展にも大いに影響を与えた。ビバップはモダンジャズとよばれるジャズの新たなムーブメントを生み出すことになる。ミュージシャンは何度でもレコードを聴き直し、偉大なミュージシャンたちの演奏技術を学ぶことができた。
エジソンが蓄音機に記録したのは空気の振動である。音楽は空気の振動を通じて記録される。しかし、矛盾するようではあるが音楽とは空気の振動ではない。音楽とは、無限の彼方からあふれくる現実そのものが鳴り響くことである。音楽を愛することは現実を愛することである。
文字数:17254