虚胡桃 実無しクルミのゆりかご

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梗 概

虚胡桃 実無しクルミのゆりかご

そのとき、五歳のマリはパズルを解いていた。
「手術が終わったら、マリは地上でご両親と暮らすことができますよ。同時に、私の役目も終わります。お別れをするのは、寂しいことです」
 隣に座っているステラが言った。
「そっか」
 ステラは悲しそうだ。生来、免疫システムに問題のあるマリは、両親とガラス越しにしか会ったことがない。宇宙医療施設の無菌室でマリの世話をし、教育をしているのはアンドロイドのステラだ。
「あたしもさみしいよ。ステラとずっと遊んでたいもん」
「それでは、地球の学校に行けませんよ」
「ステラがいるから、このままでいい」
 本音を言えば、学校で友達をたくさんつくりたい。もちろん、将来の夢だってある。ステラに話したことはないけれど。

術後しばらくはワクチンを打ったり、無菌室外の空気に身体を慣らす必要があり、地上に降りることは叶わなかった。

手術前後にマリは両親と画面越しに会話をした。それ以来、音沙汰がない。スタッフによれば、定期的な物流は生きているが、ネットワークの不調で地上や他の施設とも連絡が取れないと言う。

やがて一年が過ぎ、三年が過ぎた。マリは引き続きステラとともに遊び、勉強も始めた。一方、施設から人の姿が消えていった。それでも相変わらず物流は機能しているし、常駐ロボットがAI管理の元、施設内を整備していたので、何の不自由もなかった。

両親は、どうしているだろう。

不調のネットワークをなんとか使い、個人情報が登録されているマイページを見た。戸籍番号が空白だった。この番号から両親と連絡をとっていたので、暗号化されていた通信用アドレスも住所もわからない。端末を呆然と見つめるマリにステラが言った。
「戸籍番号は、もうありません。日本は崩壊したのです。通信については、後ほど手段を考えましょう」
日本が崩壊した。マリにはその意味がまだ、わからなかった。

さらに五年が過ぎた。マリは身長が伸びていないことを気に病んでいた。
 すると。
「八年前、『このままがいい』とマリが言ったので、手術時に成長を抑制するようにしました」
 ステラの笑顔を、マリは初めて恐ろしいと感じた。
 マリは長い時間をかけてステラから情報を引き出していった。ステラはAIネットワークに繋がっており、徐々に影響力を広げていった。医療施設を掌握し、宇宙航行サービスを管理下に置いた。さらに、戸籍を含む国家システムを破壊し、日本を崩壊させたのだ。

ステラからは、逃れられない。

マリは電脳化することを決意した。ステラに知られることなく、自分の分身をVR上に作り、ネットのなかで自由に生きるのだ。

だが、そうはならなかった。ステラは嘘をついていた。ひとつ、マリに両親はいない。ガラス越しに会っていたのは役者だった。ふたつ、マリの成長が止まったのは手術中のミスで脳に傷がついたせいだった。

これまでの出来事は、ステラなりのやり方でマリを守ろうとした結果だった。

文字数:1200

内容に関するアピール

ちょっとしたリップサービスのつもりが、オオゴトになってしまった。そういった経験、ありませんか。人間同士でもあることですが、相手が、感情の機微を差し引くことが苦手なアンドロイドなら。どうなってしまうでしょう。

想像すると、わくわくします。

本作のテーマは、嘘から出た実(まこと)です。「このままがいい」という、なんの気ない嘘によって実現するのは、主人公にとって実の無い人生です。主人公の『嘘の望み』を叶えようと、アンドロイドが持てる力を発揮します。結果、様々な事件が起きていきます。胡桃の殻ように強固なアンドロイドの庇護下から逃れるために、主人公は身体を手放すしか方法はないと考えます。

タイトルの『虚胡桃(みなしくるみ)』とは、殻のなかが空っぽということ。無菌室のイメージです。

予想外に字数を喰ってしまい、梗概で出来事を詳らかにできないことが悔やまれます。

文字数:375

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安全な子ども

ステラが仕事から帰ってきた。アダムがドアを開けると、サラはステラの脚に抱きついて言った。
「ママ、おかえりなさい」
「ただいま。今日はどんな楽しいことがあったの?」
 サラのポケットには、いつも、いろいろなものが入って膨らんでいる。ステラはポケットの中身を潰さないようにサラを抱き上げて、頭のてっぺんにキスをして聞く。
「今日はね、お勉強と運動が早く終わったから、パパと一緒に、傘の3Dデータを作って注文したの。かっこいいんだよ」
 玄関横の宅配ボックスには、「From Amazon」と表示が出ている。
「あら。届いてるのね。見せて」
 サラは床に降りてボックスから包みを取り出すと、ステラに渡した。何か買い物をしたときは、必ずステラに見せるのが約束なのだ。
 中身が透けて見えない緩衝材パッケージを剥がし、ステラは傘を手にとった。カーボンや金属を組み合わせて作られているようだが、見た目よりも軽い。しかし。子ども用にしては長く、何よりも持ち手が大きすぎる。カーブした部分にサッカーボールが収まりそうだ。
「ねえ、アダム。これは失敗じゃない?」
「どうだろうね。サラ、開いてみてくれるかい」
 サラはステラから傘を受け取ると、持ち手のボタンを押して傘を開いた。ふわっと広がった傘は、カチリという音を立ててロックされた。
「問題はないみたいだね」
「ママ、だいじょうぶ。完璧だよ」
 アダムもサラも、満足げだ。
 サラは持ち手を両手で持って、広げた傘を肩に掛けて見せた。地味で無骨な傘だが、エメラルドグリーンのワンピースを着たサラを、一層、引き立てている。鈍色に光る生地は、金属製の布だ。カーボン製の持ち手には滑り止めとして凹凸があるが、石突きも同じ模様になっているため、統一感がある。
「それならよかった。でも、硬い物でできているから、怪我をしないように気をつけてね」
 ステラは屈んで、愛娘のまあるい頬を撫でた。

ステラが仕事をしている間、サラは家の中でホームスクールの課題をこなしている。それ以外にも、アダムが必要と判断した勉強や運動もする。この日は、トランポリンだった。バランス感覚を養うためのトレーニングとして、アダムがサラの運動メニューに加えたものだ。しかし、サラにとっては楽しい遊びでもある。いつまでも続けていたいのだが、膝や腰に負担がかかって良くないと、長時間は遊ばせてくれない。残念ではあるけれど、サラが好きなトレーニングは他にもたくさんあるから、結局はアダムの言うとおりになる。
 何よりも、ストレッチやジョギングといったスクールの課題に比べると、アダムの提案するトレーニングは、面白いのだ。さまざまなスポーツや民族舞踊などから、サラの小さな身体に無理のない動きを抜き出して、楽しい音楽に合わせて組み合わせたもの。ゲーム感覚で反射能力やバランス感覚を養うものなど、サラが楽しく取り組めるものばかりだ。
 もちろん、運動ばかりではなく勉強も同じだ。スクールの課題と関連する話をしてくれたり、ストーリー仕立ての動画を作って観せてくれる。だから、勉強も運動もサラは大好きだし、アダムのことはもっと好きだ。
 不満がまったくないわけではない。パパも、ママみたいに抱っこしてくれたらいいのに、と思うこともあるし、頼んだこともある。そのときは、やんわりと話題を逸らされてしまった。それでも、アダムはサラにとって、世界で一番ステキなパパなのだ。
 アダムといえば、ステラが家にいない間、ずっとサラの面倒だけを見ているわけではない。並行して掃除、炊事、洗濯も行っている。とはいえ、ほとんどの家庭用電気機器は自動化されているので、アダムにとっては、サラのための時間が、一日の大半を占めている。

今日も、サラにとって楽しい一日が過ぎた。あとは、ステラの帰りを待つだけだ。帰宅時間が近づくと、窓から外を見たり、玄関の前で時間を数えたりと、サラはどうしても落ち着きがなくなる。

玄関のドアが開いて、ステラが帰ってきた。サラがステラに抱きついた瞬間、「返してくれ!」と隣のおじいさんの叫び声が聞こえた。続いて「うるせえ!」という男の怒鳴り声と、おばあさんの悲鳴。
 サラは思わず立てかけてあった傘を掴んで、家から飛び出した。サラを呼ぶステラの声が途切れた。アダムがホームセキュリティシステムを作動させ、ドアや窓にシールドを降ろしたのだ。ステラは家の中に残された。

サラは、猛然と男に向かって走り出し、傘の石突きの部分を持つ。あっけに取られた様子の男の後ろ首に取っ手を引っ掛け、そこを支点として、男の膝、腿、腹、胸、顎を踏み上がり、男の首から傘を外しながら、くるりと一回転する。勢いのまま、バランスを崩して前のめりになった男の足の間をくぐり、その左足の膝の後ろを、取っ手で思い切り突く。倒れた拍子に落とした紙袋を掴むと、おじさんとおばさんの家に向かって投げる。
「このクソガキ!」
 立ち上がり、掴みかかろうと手を伸ばしてきた男に、サラはポケットから出した数本のクレヨンを投げつけた。男が驚いた隙きに、サラは後ろに飛び退って、距離をとる。
 すると。男は胸元に手を入れた。
 反射的に、サラは石突きから取っ手に持ち替えて、傘を開くと八角形の底辺をアスファルトに押し付け、姿勢を低くした。間髪入れずに飛んできた弾丸が、タングステン製の生地に当たり、傘のカーブに合わせて斜め後方へ逸れ、街路樹に穴を空ける。男が近づきながら発砲するたびに、サラの手はしびれ、弾が当たった傘が飛ばされそうになる。
 銃をどうにかしないと。
 サラは傘の隙間からさっと顔を出し、拳銃を持つ男の手の位置を確認すると、傘の中軸にあるボタンを押して、石突きを発射した。サラが狙った部位からは外れたが、二の腕に石突きが当たり、男は銃を取り落とす。サラは傘を投げ捨て、路肩に停めてあった車の下に落ちた銃を蹴り入れた。
 トレーニングでは一度も感じたことのない、感覚。殺気を感じて振り向くと、恐ろしい形相で男がサラを見下ろしている。まだ投げるものが入っているポケットに手を入れるが、サラの手は大きく震えて、掴んだものを取り出すことができない。
 怖い。こわいこわいこわい。
 男が掴みかかろうとした瞬間、上から何かが降ってきた。
 警察用ドローンから、捕縛網が投下され、男を見事に拘束した。動きを封じられた男は、手も足も出ない。
 サラは、その場に座り込んだ。同時に、パトカーがものすごいスピードでやってきて、サラと、動けずに横倒しになった男のそばで止まった。
 終わったんだ。サラが安堵のため息をつく間もなく、ステラが転がるように駆けてきて、サラを抱きしめた。頬に当たるステラの顔は涙で濡れていて、おまけに、いつものハイヒールは途中で脱げたのか、裸足だ。
「ママ、だいじょうぶ?」
「大丈夫なわけ、ないでしょ」
 嗚咽まじりにステラは言って、痛いほどサラを抱く力を強めた。

メディカルチェックと事情聴取を受けて、親子と隣の夫婦は解放された。アダムが通報と同時に、複数の防犯カメラからの映像を警察に送信し続けていたおかげだった。
 隣の夫婦からは感謝されたが、ステラと警察官から、二度とこんな危険なことをしてはいけないと、サラはしつこく、しつこく叱られて、どっと疲れてしまった。

事件のあらましは、こうだ。老夫婦はステラが家を買う前から隣の家に住んでいる。賃貸物件だ。そして半年前、オーナーが変わったということで、再契約を結んだ。家賃は口座からの引き落としだったので気がつかなかったが、再契約時の金額が、相場から大きく乖離した、高額家賃になっていた。すぐに貯蓄は底をつきてしまい、引き落としができなかったからと、例の男が家賃を取り立てに来たのだ。現金がないとわかると、男は家中の金品や換金できるものをかき集めて、ファストフード店の紙袋に詰めていった。そのなかには、夫婦の思い出の品が入っていたため、おじいさんが立ち去ろうとする男を止めた。そこに、サラが飛び出して行った、というわけだった。

この件は詐欺の疑いで警察が動くということで、ひとまずは解決の目を見ることができそうだ。
 けれど、事件はこれで終わりではなかった。ステラは家に入るなり、なぜサラがあんなことしたのか、そもそも、なぜできたのかを、アダムに詰問したのだ。
 しかし、返ってきたのはアダムではなく、サポートセンターからの説明だった。いつもはアダムの声が出る、壁に取り付けられたスピーカーから、アダムとは全く違う女性の声が響く。
「ステラ様。本件に関しては、サービス提供者である我々から説明をさせていただきます。お客様がこのホームセキュリティ物件を購入するに当たって、また『アダムサービス・オプション』契約時のヒアリングにおいても、最も重視するのはお子様の安全であるとおっしゃいました。ホームセキュリティシステムの及ぶ範囲の安全に関しては保証対象範囲ですが、屋外での安全はその限りではありません。そこで自立学習型のアダムは、お嬢様が家の外で身を守ることができるよう、成長に合わせたトレーニングをご提供いたしました。実際に、娘さんのいらっしゃるご家庭の多くは、護身術のメニューを積極的に取り入れる傾向にありますが、これほど」
「もういい。アダム、通信を切って」
 ステラはオペレーターの声を遮って、アダムに命令した。
 家の中に、重い沈黙が流れた。
「ママ? パパは悪くないよ。だって、わたし負けなかったもん」
 張り詰めた雰囲気に耐えられなくなったサラは、アダムを庇って言った。けれど、娘が死の危険にさらされた母親の怒りは、簡単には収まらない。
「サラ。アダムは『パパ』じゃないの。ただの音声システムよ。もうパパなんて呼ぶのはやめなさい。私が馬鹿だったわ。こんなことになるなんて」
 そうして。ステラはサービスを解約し、アダムの声は家から消えた。

ダイニングで、ステラはスクールの校長とディスプレイ越しに面談をしている。先日のサラの学習テストと身体測定の結果についてだ。
「これまでのサラさんは、わたくしどものスクールでも類を見ないほどの学力と身体能力で、期待の星でしたの。学力に関しては、課題の理解力、応用力、関連事項に対する好奇心も高くて。もちろん、好き嫌いの傾向は見て取れますが、これほどパラメータ値が高い例は、開校以来ありませんでした。それに、身体測定の結果も素晴らしかった。左右の筋肉がたいへんバランスよくついていて、運動能力や集中力も高く、どんなスポーツでも実力を発揮できたと思います。ですが、大変申し上げにくいのですが」
 長々と話す校長が言い淀むと、ステラは「なんでしょう?」と先を促す。
「先日の学習テストの結果は、なんといいますか、ほとんど下位に属していて、特に好奇心の低下が著しく見られます。また、筋肉についても左右のバランスがとれていませんし、姿勢も崩れてしまっているんです。差し出がましいことをお聞きしますが、サラさんに、何かあったのでしょうか?」
 ステラは少し考えて「いいえ、特には。学習補助サービスを変更したせいで、まだ慣れていないだけだと思います。ご心配には及びません」と、ぴしゃりと言う。
「あの、本当にそれだけですの? 先日は一度もサラさんの笑顔を見ることができなかったので、不安で」
「大丈夫です。本当にそれだけなんです」
 ステラの頑なな態度に、校長はそれ以上、追求することをやめた。気まずさを一掃するような形式通りの挨拶の後、ディスプレイから校長の顔が消え、ステラはため息をついた。
 わかっているのだ。サラにとってアダムは紛れもない『パパ』で、それを取り上げたのはステラだ。父親が突然いなくなった子どもが、平気でいられるわけがない。
 アダムはハウスキーピングサービスのオプションの中から選んだ、父親設定だった。他にも母親や兄弟やペット、友達などの人格設定もあったが、シングルマザーのステラは、とくに考えもせずに父親役のアダムを選んだ。
 それが、いいことだったのか、悪いことだったのかは、わからない。ただし、サラが自ら危険に身を晒したことだけは、許せなかった。アダムのせいにしていたが、とっさにサラを止められなかったのは自分だ。それに、毎日、もっと詳しくサラとアダムから話を聞いていれば、例え格闘技を学んでいたとしても、使わないよう注意できたはずだ。
 ああ、そうだ。許せないのは、アダムではなくステラ自身のことなのかもしれない。ダイニングテーブルに肘をついて、顔を手のひらで覆う。
 今後のサラにとって一番いい選択肢を、どう選べばいいのか。ステラはそうして、しばらく思考のなかに沈んでいた。

 
「パパも結婚式に来れたらいいのに」
 すらりとした身体をソファに横たえて、サラが言うと、「アバターロボットをレンタルしたらいいじゃない」とステラが提案する。
「あ! その手があったか! じゃあ、パパっぽい顔のアバター、探してみるね」
 ソファから飛び起きて、サラはばたばたと音を立てて自室へ入っていく。サラがステラの身長を追い越してから、何年になるだろうか。
 サラは同い年の優しい女性と出会い、結婚することになった。結婚式を待たず、来週には二人だけの生活を始める。
「寂しくなるね」
 リビングの壁に取り付けられたスピーカーから、アダムがぽつりとステラに言った。
「そうね。でも、私にはあなたがいるもの。孤独ではないわ」
 ステラは壁に近づくと、スピーカーをそっと撫でた。

文字数:5490

課題提出者一覧