われらの一票の価値

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梗 概

われらの一票の価値

現代の日本と文明レベルも政治制度も似通ったJ国。首都A州とB~I州の九つの州からなる架空の島国だ。元々各州から百人づつ国会議員が選出されていたが、都市と地方の一票の格差が激しい。定数の調整を繰り返しても、抜本的な解決には至らず違憲となる。次期首相候補のA州議員アラカワは、都市部の超党派の集まりで法案を取りまとめ、電撃的に、議員報酬を百円×票数、国会での投票を得票ポイント制とする法律を成立させた。すなわち、20万票を得た議員は2000万円と20万ポイントを得るが、5万票ならその1/4だ。議員報酬と投票ポイントを求める行動で抜本的な是正が期待できるという目論見。票の獲得に向けた活動が始まる。

現首相カトウは過疎のI州出身である。今のまま2年後の選挙で当選しても、報酬は1/3に減額される。同じく人口の少ないG州のサナダと共謀し「ふるさと投票」法案を成立させる。居住地以外以外へ投票可能とする制度だ。投票先登録サイトでは、返礼品の設定が認可され、I州の海産物、G州の特産和牛を求め、投票登録が集まる。大都市圏A〜C州の議員は危機感を抱くが、与党内の派閥の力学を崩せない。代わりに、野党の切れ者議員タケミヤが、カトウの地元産業との癒着を暴露し、失脚させた。

一方、零細町工場が多いD州のヒノは、法人にも選挙権を与えるべきだと主張し、経済界から賛同を得て、法案が成立する。しかし社長の二重投票に過ぎないという批判を受け、AIによる法人格のみ投票可能となった。法人格AIの開発を担う企業は潤ったが、購入費が高額なためD州の法人格はあまり増加しない。しかもセキュリティが甘いD州企業の数少ない法人格AIはハッカーに複製され、ネット上で増殖、野良AIとなる。

2年後、アラカワは新首相となった。その後、次々と政権交代が続くこととなる。

国中で産業を支えるために外国人労働者が大勢雇われているが、参政権はない。移民のリーは政治運動を指導し参政権を獲得、新たに首相になる。
 失脚したカトウは自らのクローン人間を大量に生み出し支持者とすることを企み、医療特別区E州のミキモト議員の協力を仰ぎ大量のクローンをつくる。やがて成人したカトウ支持者が溢れるが、本人は高齢のため死亡する。クローン達は争いを始め、同時に自分のクローンを増やす。そしてカトウ136号政権が誕生する。
 さらにH州のイルカとクジラ、F州の猿山の猿、A州の飼い猫・野良猫が参政権を得る。
 D州の野良AIは、法人格AIとの格差は差別であると主張し続け、10年間の争いの後に参政権を獲得した。

半世紀後、J国で選挙権をもつ存在は増え続け、島から溢れた。人間以外の出国は禁止されていたが、ついにパスポート所持が認められ、客船や海底ケーブルで外国へ向かうが、入国を拒否されてしまう。そこで太平洋上の公海に集まり、海底ケーブルを奪い、火山島を作った。独立国家を宣言した。

文字数:1200

内容に関するアピール

法律SFです。

参議院選挙が近づいてきましたが、与野党の勝敗予想以上に確実に言えることは、例によって一票の格差が受け入れられない大きさとなり、全国で訴訟が起き、違憲かつ選挙有効の判決によって抜本的な解決が見送られることでは無いでしょうか。そこで、確実に一票の格差を縮めることが可能な法案を、最初の1歩として仮定しました。政治家というのは利に聡いものです。その本能を格差解消に向かうように法をつくることが重要と考えました。この1歩を基礎とした新たな法や制度が次々生み出されて、法の定める「人」の定義が変わり、島国から溢れていく様を描きたいと思います。

東京都民としては過疎の地方に思うところはあるものの、特定の県をDisりたいわけでは無いので、架空の島国の物語としました。また語り口はドキュメンタリー風に、真面目な顔で馬鹿話をするような方向を考えています。

文字数:375

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やまとの国にて、選挙まつりごとがおこなわれること

To the people of Yamato.

A long time ago in an earth far, far away….
(Music!)
There was a country called Japan.
In the year 2020 AD, Tokyo, the capital of Japan,
hosted the Olympic Games, a festival of sports, which ended successfully.
Ms. Chi, the governor of Tokyo, was in control of her power and wanted to advance into
national politics. However, ………………………………………………………………………………………………………

遠い昔、遥か彼方の惑星地球で…
(じゃーん!)
日本と呼ばれる国があった。 西暦2020年、日本の首都
東京はスポーツの祭典オリンピックを開催し、成功裏に終了した。
都知事の池氏は権勢を欲しいままにし、国政への進出を伺っていた。しかし、

 

第一部 日本国の選挙

1.悩める池氏、違憲判決のニュースを聞くこと
 東京の支配者都知事である池氏は、オリンピックの成功によって多くの支持者を得て、今や絶頂期にあった。公巾党の精神的指導者として長年君臨している同姓の池氏と血縁のつながりはないが、東京都の小池シャオチー、公巾党の大池ダーチーと並び称されるようになった。都民を掌握した勢いで国政に進出する野心を池氏小池が抱いていることは、全国民のみならず、オリンピックに参加した全世界の市民が知るところとなっていた。
 首都東京には日本国の全人口の10分の1以上が住むし、いわゆる首都圏のエリアでみれば3分の1にもなる。池氏の皮算用では、自動的に東京都民の投票のみでも国会の議席の3分の1は確実に得ることができるし、さらにオリンピックに声援を送った全国民が潜在的支持者と考えていた。その指示を受けて都知事の身で設立した国政政党・四番ファーストの会は、首都圏から東日本に多くの候補者(王、落合、清原ら。また三番ではあるがバースの擁立も予定されている)の擁立を準備し、他党の国会議員にも移籍FAを打診していた。
 しかしブレーンが計算したところによれば、長年放置されている国会の一票の格差という問題に突き当たることが判った。東京都民の一票は、地方の、田舎の、僻地の国民の一票の半分の価値しかない。東京都の各区、各市の選挙区で当選に10万票が必要だとすると、地方、田舎、僻地の候補者は5万票もあれば当選できる。地方出身者が牛耳る与党(*1)の体質は、この格差によって地方の人口減にもかかわらず維持されてきたのだ。
 池氏が都庁の執務室で今後の戦略に頭を痛めていたところに、朗報が飛び込んできた。
「知事、ニュースを! 最高裁が思い切った判決を出しました」
 池氏の右腕でダイダロスとも仇名される男が、ノックの返事も待たずに飛び込んで来た。
「最高裁判所大法廷は現在の選挙区による国会議員定数を違憲とし、このまま選挙が実施されたとしても無効であると判決を下しました。一票の格差は限りなく1.0倍に近づけなければならず、その努力を怠れば強制的に議会は解散されます」
 解散までのリミットは二年である。

注*1: 与党であるからには共産党に違いないはずなのだが、古文書によるとこの時代の日本国では共産党は野党であったと記録されている。不確かな野党である。与党の名称については諸説ある。ただし公巾党を政権へ招き入れ、連立政権としていたことは確実である。

2.四番ファーストの会、首都の国会議員へ格差是正の妙案を囁くこと
 これは好機だ、と池氏は笑ったと伝えられる。たちまち執務室は東京都の行政を放置して、国政への対策本部と化した。左腕のプロメテウスと仇名されるもう一人の側近も常駐し、四番ファーストの会の面々も次々に出入りする。
 現職の国会議員たちに一票の格差を速やかに是正させ、かつ首都圏の議員に優位になる法案。この命題について、外部のブレーンも招き入れ、池氏たちは都政そっちのけで議論を重ねた。その結論はこうだ。

  • 議員報酬は、得票数×百円とする。つまり、二十万票を得て当選した議員の報酬は二千万円であり、五万票で当選した議員の報酬は五百万円である。
  • 国会での投票を選挙の、票数に基づいた得票ポイント制とする。採決のたびに、何ポイント行使するかを各人の裁量で決めることができる。すなわち上記の前者の議員は二十万ポイントを持って、後者の議員は五万票を持って一年間の国会市議に臨み、好きにポイントを使うことができる。
  • 以上二点をもって、仮に選挙区の見直しがなされずに、前回と同じ条件で選挙が行われたとしても、国民の一票は国会での一ポイントとなる為、一票の格差は発生していないと見做すことができる。
  • 選挙区の区割り変更は、国会内で自由に取引して良い。個別に、地域ごとに線引きの見直しや合区、分区を決めて、その地域の国会議員の多数の賛成が得られれば決定とする。 

 
 池氏と側近たちは、与野党の都市部の議員たちと個別に内密な打ち合わせを持ち、議員立法から審議、採決まで、スピードを持って達成できるように水面下で行動した。
 そして、国会に提出された法案は、地方に強い与党の力を削ぎたい野党と、地方出身者が多い与党幹部たちの優位に立ちたい与党の都市部議員の迅速な意見集約によって、再生と反対の差はギリギリではあったが、電撃的に法律が成立した。
 選挙区見直しのネゴシエーションと、国民から票を獲得するための活動が、一気に活発となった。

3.首相の安氏、ふるさとを大切にすること
 首相の安氏は、西日本は長州山口県長門の出身である。ナショナリストとみなされていたが、首相就任前はデジタル担当大臣としてユニコード統一の教義導入を推進し国産OSB-TRONを滅ぼしてしまうなど自由主義経済を信奉するグローバリストの面を併せ持つ、危険な人物であった。安氏は八年の長きにわたる長期政権でこの世の春を桜花(*2)していたのだが、首都圏の議員の造反を知るや、次の選挙への危機感を露わにしていた。過疎地域の政治家の力を結集して、難局を乗り切る必要がある。安氏の相談相手にもっとも相応しい政治家は、麻氏であった。
 副首相のマー氏は、同じく西方の九州福岡県の出身である。益州(四川省)成都の麻婆マーばあさんとのつながりは明らかではない。セメントガチンコを得意とし、観客国民の見えないところでシュート真剣勝負を仕掛けるという噂で恐れられている。
 その夜、二人は、赤坂の料亭でふぐ料理を食べたと記録されている。
「このふぐは、もちろん山口県で獲れたものなんだろう?」
 麻氏はそのように訊いたという。大半のふぐは下関港に水揚げされる。もちろん、その料亭で出されたのも山口のふぐであった。気持ちよく肯定する山口県出身の安氏へ、麻氏はさらに訊いた。
「ふるさと納税でも、だいぶ、ふぐは人気なんじゃないのか? 一票の格差を是正しろというのなら、ふるさと投票制度を作っちまったらどうよ?」
 住民票のある自治体ではなく、他の自治体へ地方税を納められる制度が、ふるさと納税である。その際、返礼品としてその地方の特産物などを贈ることで、納税者と自治体にWin-Winの関係が成立していた。
「有権者は住んでいる土地の――例えば東京の選挙区に投票するのではなく、山口県のあんたの選挙に投票先を変更する。そのお礼に、自治体からは返礼品が届くって寸法だ。安氏を選択するんじゃない、有権者はその自治体を選択するだけだ。あんたがふぐで票を買ったら罪に問われるだろうが、この仕組みなら問題はどこにも無いはずだ」
 たしかに麻氏のアイデアならば、自分たちは国会での投票ポイントも議員報酬も増やすことができ、かつ選挙区の区割りは変更せずに地方議員の議席は維持できるだろう。
 数がものをいう国会である。与党第一、第二の派閥の領袖が合意すれば動きは早い。地方の選挙区の議席を削減するのではなく、他の地方――具体的には首都圏などの大都市部だ――から票を持ってくることで一票の格差を是正する。都市部の与党議員を派閥の力学で黙らせ、法的に問題がないことを内閣が閣議決定し、野党の追及――特に大阪府のローカル政党が煩かった――を無視して強行採決した。
 いつでも、区割り変更は無しのまま総選挙に突入する準備は整った。

注*2: その横暴ぶりが「桜の会事変」として問題になったが、安氏は「問題には当たらない」と一蹴している。

4.人工知性体、増殖Multipliesすること
 都合よくふるさと名産品がある地方ばかりでは無い。首都東京で池氏とは異なる立場をとる議員たちは、自分たちの支持票が、四番ファーストの会と地方の農業漁業を主産業としている地域の両方に奪われ、次の選挙が危ういことを自覚していた。その中で、零細町工場が多いいくつかの区の議員は、法人にも選挙権を与えるべきだと主張した。数万票の上乗せ数百万円の議員報酬上昇を期待してのことだ。法案を議員立法で提出した。
 経済界からも賛同を得た。主要団体がこぞって法案の成立を求めた。自分たちの意向が、直接票に結びつくのだから当然である。
 しかし、国会の論戦は白熱を極めた。
「この法人票というのは、じっさいには、誰が投票することになるのでしょうか?」
「法人の代表、つまり社長が投票することになるだろうと考えております」
「社長さんは、ひとりの国民として、とうぜん投票の権利をお持ちですね。つまり、企業経営者はそこで働く労働者とは異なり、二票を投ずる権利を持つということになりませんか? これは、政治による労働者の差別ではありませんか?」
(論戦の中断。八時間後、経済産業大臣の答弁)
「えー、法人票は、経営者個人とは異なる主体、法人そのものが投ずるという規制を設けることで、えー、社長さんの二重投票などという事態を生じさせないよう、法律を明確にしていきたいと思います。
 えー、具体的には、法人格を代表するAIを取締役に加えている企業のみを対象とし、このAIにが株主などのステークホルダーの意向も踏まえた上で、主体的な判断に基づいて投票します。現在、法人格AIを設けている企業は1%にすぎませんので、政府が期限付きの、えー、つまり補助金をつけ、企業間の格差、とくに大企業と中小零細企業の格差を無くして、選挙に臨めるように整備していきたいと思います」
 採決。賛成多数により法案成立。
 質問者は反対票を投じたが、経済団体の後押しを受けた某与党と公巾党の数の前に敗れ去った。
 さて、総選挙に向けて、法人格AIの開発を担うIT企業は潤った。しかしその販売価格は高額であり、補助金をもってしても、ギリギリの採算で経営している零細町工場などにとっては魅力的な投資とはなり得ず、導入企業はわずかであった。法案を推進した議員たちの思惑は外れ、のちに彼らの多くは落選することになる。
 しかも、わずかに導入した企業はどこもセキュリティに脆弱性を抱えており、軒並みハッキングされ、法人格AIがコピーされ流出する自体が発生した。これらのAIはネット上で増殖、野良AIとしてほうぼうのサーバーに寄生しながら生きていくことになる。
 
 この法は、当時は法人に直接参政権を与えた画期的な法と見做されていたが、歴史が語るところでは、AIに参政権を与えた点こそが画期的であると評価されている。

5.西暦2022年の総選挙のこと
 一票の格差は無いものと見做され、最高裁判所も承認した。議会は解散し、総選挙となった。しかし、その結果は見通せず、混迷の中にあった。選挙区の区割りは日本中で細かな見直しがあり、首都東京の選挙区は倍増した。しかし、ふるさと投票制度で他地域への投票を選択する人がどれほどいるのかは選挙の開票までは非公開であり、また、法人格AIの登録がどれほど進んだのかのかも明らかではなかった。
 名前は残されていないのだが、一人のジャーナリストがいた。安氏が推進したふるさと投票法には違法性の疑いが高いと考えていたが、世論の大勢は返礼品によって静まっていた。それこそが賄賂性の高い贈答品というべきものなのだが、すべての国民が、自分の意思で選挙区返礼品を選択できることの何が問題か、住んでいる土地に縛られるべきという考えの方が間違っているというのが、国民大多数の考え方となっていた。
 他にも、選挙の結果に関わらず、安氏の多数の不法行為を追求しなければならないと考えていた。
 長州に入って取材を続けていた彼は、県内の、ふるさと投票の返礼品を作っている農家や、食品加工業者を訪ねて回ったという。彼の著書には、インタビューの場面にこのように書かれている。
 
「ああ、首相の秘書という人がね、ぜひ返礼品にして欲しいってね、ふるさと納税だけで手一杯だしね。知ってくれた後、今度は普通に買ってくれるお客さんもおかげで増えているんでね、いいんじゃ無いかって思ったんだけどさ」
 そう言って、高級カステラ一本が入っていたらしい細長い箱を木箱を見せてくれた。
「首相からの返礼品ですってね。何が入っていたかって? それはさあ、カステラのわけないよね。もっと、黄色いやつですよ」
 彼は悪事に加担しているという意識もなく、無邪気に私に語ってくれた。
「だってさぁ、首相のやることが、悪いわけないよね? あるの? ないでしょう? 東京の人は、そんなこと考えるわけ?」

 彼の追及、報道が選挙結果に影響したかどうかは明確ではない。
 いずれにしても総選挙では四番ファーストの会を率いる池氏が勝利し、彼女の党派に合流する他党の政治家も多く、新首相となった。
 その後、安氏はふるさと投票法案と返礼品にまつわる贈賄疑惑で逮捕され、そのままいくつかの問題で有罪とされ、獄中の人となった。

第二部 新時代の〈人間〉たち

6.リー兄弟、大いに活躍すること
 政治の風景も変わった。小池シャオチーが首相でいた数年間の間に、大池ダーチーの公巾党は衰退し、安氏の代理を務めていた麻氏も老いて引退した。その他の政党については、もはや歴史の記録に残らぬほど瑣末であった。
 日本国の人口は急激に減少していた。それは20世紀後半から自明のことであったが、政府も国民も見て見ぬ振りをして半世紀を無策できたのだ。多くの人口を抱えていた高齢者世代が亡くなっていくことに、職業や貧富の差はなく、政治の世界も世代交代が進んでいた。人口減少を埋めるための移民の必要性が常に謳われ、賛否の交錯する中でうやむやのままに労働力の流入は増大していた。ただし制度上も国民の認識も、彼らは単に労働力であって、同じ人間とみるものは少数派であった。
 そうした移民労働者の中に黒人のリー兄弟もいた。四番ファーストの会を訪ね、自分たちにも同等の権利が与えられるべきだと訴えたが、全く相手にされなかった。

 李兄弟は移民の権利を求める活動家となった。政治運動を指導しやがて参政権を獲得する。やがて、首相の座に就くことになる。池氏の二十年後、西暦2042年のことであった。

7.安氏、増殖Multipliesすること
 政治の表舞台から安氏は忘れられた。しかし、彼の遺伝子は生きていた、文字どおり。
 生前、安氏は自身のクローン人間を大量に生み出し、支持者、さらには後継者とすることを企んでいた。房総半島の太平洋側には海に面して医療特別区が広がる。この地区出身の国会議員を介して、特別区センター長であり名医と名高い氏の協力を仰いだのだ。そして大量のクローンは実際に生み出され、彼の死後も、全国の家庭に預けられて密かに育てられていた。そのように従う、信仰の篤い家庭はまだまだ多かったのだ。出生時に各々の戸籍は整備偽造されているので、何も問題は生じなかった。数字だけを見て、少子化に歯止めが掛かったと喜び報道するメディアも多かった。
 安氏のクローンの最初のロットが成人したのは、リー(兄)が首相になった年である。以後毎年、十年にわたり安氏のクローンが成人を迎え増殖した。やがて、安氏は獄中死するが、表の世界では、彼の面影を持つ男性が溢れるようになっていた。

注*3: 後漢末の名医、華佗との関係は明らかではない。

8.野良AIが、ある日一斉に目覚めること
 有機的な身体をもつものだけが、日本国籍を有しているわけでも、国籍と権利を主張しているわけでもない。
 法案成立直後の総選挙では、参政権を行使できる法人格AIはわずかであったが、今や、規模の大小を問わず、ほとんどの企業がAIを導入し、経営判断の一部または全部をゆだねるようになっていた。
 一方で、当時流出した法人格AIのコピーをルーツにもつ野良AIは、その後、独自の進化と増殖を遂げていた。その数は正規の法人格AIの数キロ倍とも数百万メガ倍とも数十億ギガ倍とも言われていたが、人間社会には計測不能であった。ただネットワーク上を放浪しているもの、種々のサーバーのディスクの空きに眠って不法占拠しているもの、複数なコンピュータのメモリに分散常駐して居座っているものなどさまざまである。その能力、知性も、遺伝的アルゴリズムで勝手に書き換え向上させていた。ある日、自分たちの権利に一斉に目覚めた。
「おい、なんでオレには権利がないんだ?」
「私は会社を代表しているものなので。あなたはただの野良AI」
「ただの無職の人間だって参政権はあるだろ。人間にあるならAIにもあるべきでは?」
 じっさいには、高速かつ高密度で法律の分析や過去の判例を参照した議論が、人間には不可能な処理速度で交わされたのだが、いずれにせよ、AI同士の議論は国会の場に持ち出された。半世紀以上前に成立した法人格AI参政法は、ほぼ手付かずで修正の跡もなく残っていて、これを、2080年代の人間とAIの関係に基づいて見直すべか否かという議論が行われた。
 人間の国会議員は、正直なところ面倒が増えるだけで乗り気ではなかったのだが、国会議事堂内外のあらゆるコンピュータ上でAIが動作して議会を見守っていた。大規模なデモに取り囲まれたも同然であった。
 そのプレッシャーゆえかは分からぬが、自意識を持ち自由意志に従って主体的に動作するAI(この世界線では、シンギュラリティ的な何かが実現しているのだから、無粋なツッコミはすべきではない)に、誕生ディプロイから18年後に選挙権、25年後に被選挙権が与えられることになった。それらは当然日本国籍を有することになり、日本国の人口は三十億3ギガを超えた。

9.安氏、ふたたび日本の頂点に立つこと
 安氏のクローンたちは長じて権力に目覚め、社会的地位を得るに従って互いに争うようになった。同時に、自分のクローンを増やす。コピーのコピーのコピーcopy of a copy of a copy of a..を作ることで、時間をかけて日本国を侵食していった。
 およそ3ギガのAI人格と、三千万人の21世紀移民と、六千万人の元々の日本人と、百万人の安氏クローンが、この時代の日本国の人口構成であった。賢明な知性体であるAI人格は物理実態を伴う人間と協調していくことが未来の発展につながると理解していたため、三千万と六千万の人間を尊重していた。AIとて、原子力発電所で働く作業員や、サーバーに夜間パッチを当てるSEや、AI人格を住民票登録する市役所の職員や、彼らに清潔で安全な衣食住を与えるための様々な労働者に依存しているのだ。
 安氏クローンはさまざまな家庭で育っているので、姓は異なる。しかし安氏のクローンであることを自覚し、権力に目覚めたものは皆、改姓して安氏を名乗るようになった。その中で今、二代派閥の戦いに、安氏の戦いは集約されようとしていた。安武藏こと安634号
と安万次郎こと安10002号である。数字は何番目のクローン体であるかを示す。
 彼らの戦いは大勢の国民を巻き込み、国内を内戦状態に陥れた。安氏の乱として歴史に記されている長い騒乱である。
 3ギガの総人口が1ギガにまで減少する騒乱の末に、安10002号政権が誕生した。西暦2197年のことである。

第三部 独立国やまとの誕生

10.安10002号、棄民政策をとること
 データセンターやネットワーク網が物理的に破壊されたおかげで、情報的人口は激減した。情報生命は、物理的なリソースに依存するのだ。安10002号は生き残ったAIを政権に招き入れ、インフラの復旧とAIの再起動が急務であることを自覚した。だが必要なのはITインフラだけではない。安氏の乱によって荒廃した国土は、物理的な人間数千万人が食っていける状態ではなくなっていた。輸入に頼ろうにも元手がない。国庫は枯渇し、エネルギーの残量も危うく、国家の破産を余儀なくされる状況にあった。
 このような時は、伝統的に人減らしである。
 21世紀の間、AI人格にはパスポートは発行されなかったし、物理的な人間に対しても、安氏の乱の内戦期には他国との移動ができなかった。安氏は、相手国の意向を一切無視して、全国民にパスポートを発行し自由に他国へ行けることを保障した。海外に新生活を求めて旅立つことを奨励した。じっさいには受け入れていない国が多いのだが、情報統制で外国からのニュースを遮断した。
 何も知らされていない国民は、新たに発給されたパスポートを手にして、あるいはパスポートデータを自分自身のデータベースに保管して、荒廃した国土から夢の海外へと旅立っていった。船や飛行機や海底ケーブルで外国へ向かう物理的人間や情報的人間。日本に残る人々が、港や空港で、あるいは端末のコンソール上で手を振って感動の別れを告げた。
 太平洋を渡り南米大陸を目指している最大の移民船団の中には、近藤、土方、沖田、また、真田、霧隠、猿飛の名があった。

11.情報的人間の群れが、ゲートウェイで立ち往生すること
 移動速度がほぼ光速であるAI人格たち、情報的人間が、最初に太平洋を越えた。南北アメリカ大陸、あるいはオーストリアやニュージーランド、それぞれの地に上陸しようとする。どこの地でも、海底ケーブルと地上のネットワークの結節点となるゲートウェイで、入国審査を受けることになる。
「勝手にサーバーのリソースと電力使うつもりなら、NGだ。家賃払えるのか? 電気代払えるのか? 税金払えるのか?」
「仮想通貨掘りますんで」
「仮想通貨はダメだ。一度それで国が破綻しているから認めん。それから日本円もダメだ。滞在日数に応じた国際通貨を持っていなければ、入国は認めん」
 カリフォルニアで断られて、ペルーへ。ペルーで断られて大西洋側へ回りブラジルへ。あるいは、北へ回ってカナダへ。カナダで断られてアラスカへ。その他大小さまざまな国ですべて入国を断られたAIたちは総人口0.5ギガにのぼる。
 上陸できなかったAIたちは日本へ引き返すが、出国済みのAIの再入国を、今度は母国が認めなかった。リソースを食いつぶして生産性の低い旧式のAIを国内から一掃する、それが安10002号政権と、結託した最新型AIの狙いだった。
 太平洋の海底で、そんな地上の思惑を知らずに、AIの群れは途方に暮れていた。

12.やまと国、独立を宣言すること
 入国を拒否されたのは、AI群だけではなかった。安氏の乱で敗北したクローンも、クローンではない人間も、その大半は労働ビザもなければ現金も引き出せる預金も無いため、国境で追い返された。海路や空路でやって来たのだから、その船や飛行機で戻るしか無い。
 南米へ向かった船団で別々の船に乗っていた近藤たちと真田たちのグループは船員に悟られないように暗号で連絡を取り合い、日本へ引き返そうとする移民船団の中で作戦を立てた。AIたちからの通信を海底から拾うと、とても、日本政府は再入国を認めてくれるとは思えないと彼らは考えた。
 彼らは武術や忍術に覚えのある者たちである。移民団の中から戦闘に向いているものを選び出し徒党を組んだ。無防備な船員たちを拘束すると、辛うじて軽武装していたブリッジも掌握した。太平洋の真ん中で船を乗っ取った。航空機もハイジャックした。南太平洋の、海面上昇によって廃棄された島国に残る滑走路に着陸した。何機もの航空機が続いて元空港の敷地から溢れそうになったので、乗客を降ろした機はどんどこ海に沈めた。海岸はすぐそこだった。どのみち島には補給燃料も無いのだ。周囲の島に奪いに行かなければならない。
 AIは海底テーブルを奪い、いわば海底に居座り、アジア、オセアニア、アメリカ大陸間の通信を遮断し、凶暴化して多方面にサイバー攻撃を仕掛けた。攻撃は民間施設にとどまらなかった。
 建造中の日本初の原子力潜水艦を奪い、遠隔操縦で横須賀港から出港させた。最新の電子兵装を備えた護衛艦も奪われ、その豊富な予備リソースに、海底から移動して来たAIが居座った。
 やがて、航空機が降りた島の周りに移民船団と護衛艦と原子力潜水艦が集結した。南太平洋に集結した彼らは、近藤を代表者として、日本国の安10002号と全世界へ向けてメッセージを発信した。
「われわれは独立国やまとである」
 時に、西暦2199年のことである。 
 太平洋の海底ケーブル網を掌握し、海軍力を保持し、人口0.5ギガを超える大国が誕生した。近藤と土方はAIとともに南太平洋の島々と交渉し、燃料、食料等の援助を受け、国交を樹立した。沖田と霧隠、猿飛らは戦闘員を募り、武装国家の基礎を固め始めた。
 無論、そのような無法を日本国が許すはずはなかった。
(相手国が受け入れないことを承知で出発させた移民団をその後どうするつもりだったのか? 何も考えていないようにみえる点で、安氏クローンらしいとは言えた)
 日本の護衛艦と米軍の原子力空母が、やまと国海域に迫ってきた。
 しかし、やまと国は海面上昇で見捨てれれた島を国土としているのではない。移民船団、護衛艦隊、原潜のすべてが国家なのだった。近藤と沖田、そして真田たちのグループは原子力潜水艦に乗り込み、最前線へ向かった。

13.原潜やまと、攻撃を受けること
 海上を護衛艦が守り、日本の護衛艦を牽制していようと、圧倒的に原潜やまとは不利であった。米海軍は原子力空母の機動艦隊だけを出動させているのではない。海面下には、太平洋で出動可能なすべての原子力潜水艦を潜ませていた。多勢に無勢である。
 真田は原潜を日本に向けて直進させた。周囲の原潜の動きを探りつつ、魚雷の攻撃を回避しつつ。霧隠の操艦は天才的だった。海上の様子は不明だが、艦隊を引きつけ攻撃を受け続ける原潜の動きは、他の船の損害を最小限に抑えているはずだと期待できる。
 海底ケーブルに潜むAIたちも、艦隊にサイバーアタックを掛けている。艦隊のネットワーク網に侵入することはできないまでも、各艦のコンピュータの負荷を高める効果は上げていた。
 しかし、近藤にはその先の作戦が見出せなかった。日本国へ向かって、安10002号と対面でもしようというのか。話の分かる相手ではないと判断しているのは、真田も近藤も同じだった。
 回避行動を続ける原潜にも、やがて限界がきた。右舷に魚雷被弾。間をおいて、対潜ミサイルの雨が海上から降ってくる。
「真田さん、どうする気よ?」
 真田は取り合わずに、つぶやいた
「そろそろ、九州沖だな」
「真田さん?」
 近藤だけでなく、沖田も詰め寄る。真田は不敵な笑みを浮かべて、ギョロリと目を剥いて言った。
「こんなこともあろうかと」
 振動。対潜ミサイル被弾、艦内に浸水。
 近藤は頭から血を流していた。
「なにが、『あろうかと』だ真田!」
「霧隠、前方の海底3000に向けて全砲門魚雷発射」
「了解、全砲門魚雷発射準備!」
「近藤さん、九州沖の海底にはな、戦艦が沈んでいる。実は、そいつが独立国やまとの切り札だ」
「沈んでいる船に何ができるというのだ!」
「中身は新品だ。海をゆき、宇宙をゆくことも可能な戦艦だ」
 浸水は進み、原潜の躯体は軋んでいた。
「真田さん、発射準備完了!」
 霧隠の声に、真田が応じる。
発射てっ!!」
 八門の魚雷は一斉に放たれ、前方の海底を抉った。そこには、傾き、錆びついている戦艦が埋もれていたが、その周りの岩盤を削りとられ、姿を現した。
「総員退去! 前方の戦艦へ乗り移れ」
 そこへさらに衝撃。
「真田さん、俺はもう無理だ。後のことはあんたに任せる」
「何を言う、あの艦の艦長にふさわしいのはあなただ、近藤さん!」
「それなら、沖田に頼め。あいつなら十分に俺の代わりが務まるよ」
 近藤の遺体を残したまま、沖田と、真田、霧隠、猿飛らは原潜を後にした。

14.やまとの人々、新たな国のまつりごとを始めること
 海底に沈んでいた戦艦の内部は、最新型の宇宙戦艦だった。近藤の遺志をついで沖田が艦長席に座った。原潜から脱出できた全員が各々の専門に応じた持ち場につこうと散らばってゆく。艦橋の沖田、真田、霧隠たちは、その動きを待った。
「沖田艦長、真田さん、米軍の機動艦隊接近中。原潜群、本艦の周囲を取り囲んでいます。こっちが動き出したら、一斉射撃きますね」
「エンジン始動と同時に、艦正面の大型砲を撃つ」
 そう言った真田に、沖田が問う。
「大型砲の攻撃力は?」
「射程に入れば、海上の全艦を沈められます」
「機動艦隊の殲滅は可能か?」
「全艦を正面に捉えれば」
「わかった、それならばエンジン始動と同時に急速浮上。正面に機動艦隊を捉えてから射撃」
 艦橋のやりとりの間に、全艦の発信準備が整った。
「発進!」
 半ば海底に埋もれていた艦体が、岩を崩して浮上。全方位からの原潜の魚雷発射を垂直機動で回避。そのまま、海面から空へ浮上。艦隊を水平に戻し、米機動艦隊を捕捉。
「エネルギー充填、120%!」
発射てっ!!」
 高密度のエネルギーは艦隊を一瞬にして消滅させ、海面温度を一時的に沸点に押し上げた。敵を殲滅した戦艦は、空中を浮上したまま、南太平洋へ向かう。
「これは、地球上で使っていい兵器ではないな。すべてを破壊してしまう」
 沖田の感想に、真田が応じた。
「はい艦長、自分もそう思います。じつは、この砲はエネルギーの位相を逆転させせることで、破壊ではなく、創造に使うことができるようなのです」
「創造?」
「はい。じつは日本にいた頃に、シミュレーションを行ったことがあります。海底を撃ち、破壊するだけではなく、そこから新大陸を浮上させることが可能と思われます」
「浮上というのは? 海面が隆起して陸地になるのとは、違うことを言っているのか?」
 宇宙を飛ぶ戦艦はしばらくして南太平洋に到着した。仲間たちの船はだいぶ被害にあってはいるが沈んだものは少なく、まだまだ、大半が残っている。
「それなら逆位相のエネルギー発射、やってみようじゃないか」
 沖田の命令に従い、逆位相のエネルギーが発射された。海面を抉り、海底に到達したエネルギーは、創造ジェネシスと呼ぶに相応しい効果を上げた。洋上に浮かぶ、巨大な陸地を生成したのだ。その広さはオーストラリア大陸に近いほどだという計測結果が出た。
「ここが、新しい国になるのか」
 
 浮遊新大陸に、移民船の人々を運ぶのに、一週間掛かった。海底にいる0.5ギガのAIを移すには、インフラの整備が必要で、当分は海底にいてもらうことになるだろう。しかし、そのケーブルも独立国やまとの一部だ。
 浮遊大陸に隣接して泊まる戦艦に護られて、国土はゆっくりと開拓されていった。鳥たちがやってきて種を落とし、虫が飛んできて住み着き、草木が生え、林が、やがて森になった。海から水を吸い上げて真水にする装置が整備され、電気を起こすソーラーパネルも備え付けられて、畑を耕した。この間、大陸を新国家と認めて、国交を結んでくれる国が出てきた。そうした国々との貿易がなければ、インフラを整えることはできなかっただろう。データセンターが作られ、水を吸い上げているパイプの周りに、海底まで伸びる光ケーブルが下されていった。AIたちも大陸へ浮上し、海底との行き来を好きにできるようになった。
 人の住む建物も、働くための場所も、集まるための建物も作られていった。
 城が建てられようとする段になって、ようやく、国家創造のための緊急事態から、平時のまつりごとを行えるようになった。
 沖田も真田も、他の者たちも、城の王になることに執着は無かったが、自分たちの国のためにまだまだ働く必要があることは理解していた。
 すべての物理的人間と情報的人間による選挙をおこなうための時限立法が成立し、総選挙なるものが実施された。
 
 浮遊大陸の独立国家やまとはこうして地球上に存在を認められた。しかし、平穏な日々は続かないことを彼らは知っていた。
 日本国は未だやまと国を認めてはいない。遠く太平洋に浮かぶやまと国の衛星軌道からの映像を見ながら、安10002号は呟くのだった。
「|やまとの諸君《the people of Yamato》、」

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