からくり人体

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梗 概

からくり人体

職を失い、自分の部屋で無為な時間を過ごしていた男がいた。この男は、暇にあかせてよくわからないポーズを一人でとっていた。その時、ガチャリと音がした。体を触ってみると男の体の一部分が外れてしまった。男は奇跡のような偶然で、まるでからくり箱のように自らの一部分を外す方法を見つけ出したのだ。男は何気なくそのことをブログに書き、そのまま放置して忘れてしまった。初めはだれも見向きもしなかったが、誰かが一度同様のことを成功させると、瞬く間に広がり、SNSだけでなくテレビや新聞などメディアを席巻した。

 しかし、パーツの分解による事件が起きたことをきっかけに、行政が規制に乗り出す。法整備は着々と進むが、すでに広まってしまった技術を止めることは難しかった。そこでパーツの分解は免許制の形をとることにした。個人の間で広まるよりも、企業ごとに制限をかけたほうが規制しやすいと考えたのだ。規制されたパーツ分解の技術は、美容店や健康マッサージ店に回収された。手首から先を外し、寝て待っているだけでネイルが完了する店、腰や肩など特定のパーツを外し、特別製の振動器でほぐしたり溶液につけることで症状を緩和させる店などが現れた。それらの技術は社会に溶け込んだ。
 
 技術が定着して数年がたったころ、世間を揺るがす事件が発生する。美容・健康の総合プロデュースを提案する企業の代表が、裏で宗教団体を運営し、パーツ分解の技術を使って信者を集め始めた。特別な施術をすると勧誘し、次第に高額な商品を売りつける。結果、誰にも気づかれないうちに、企業利益と信者数をとてつもないスピードで拡大させることに成功した。社長兼教祖の久間洋子は秘書である佐渡桔平とともに、ある準備を進めていた。二人は信者のなかから、特定のパーツが美しい女性を集めた。二人の目的はただ一つ。それらのパーツを洋子に集め究極の美を達成することだった。試行錯誤の末その目論見は実現した。だが、時を同じくして彼女に捜査の手が迫っていた。パーツを奪われた被害者の訴えにより警察が動き出したのだ。究極の美を手に入れた洋子は、周囲を圧倒しながらも悠々と逃走を図る。その途中、パーツの適合がうまくいかず、彼女の体はバラバラにはじけ飛んでしまった。
 
 男がはじめて体を分解する方法を編み出す数時間前、彼の目の前に奇妙な男が現れる。彼によれば、人類の祖先が誕生する際に仕掛けを入れたのは自分で、これから数年後に発生する事件の原因を断つために過去にやってきたのだという。未来からやってきた男は、これから起こることを説明し、男の脳を操作して特定の行動をとれないようにしたうえで、記憶を消した。

文字数:1099

内容に関するアピール

肩がひどく凝っているとき、外してもみほぐしたいと考えたことはありませんか? これはそのような妄想から生まれた話です。とんでもないことが起こっても、人は案外生活の一部にしてしまうものです。かつて家に置いてあった固定電話、ラジオ、CDコンポ、テレビやビデオデッキなど大量の家電がスマホに収まっているのに、今では驚きも薄れて慣れてしまいました。だから魔法のような技術が発見されたとして、人の生活はそんなに変わらないんじゃないかな、なんて思っています。それとは別の話なんですが、この内容を考えているとき魔法陣グルグルのことを考えていました。面白いですよね、グルグル。

文字数:279

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からくり人体

・某日深夜二時

一つ、話を聞いてもらいたいんだがいいかな?
 ああ、そのままでいい。どうせ大した話じゃないんだ。……ん? おれが誰かって? まあそんな事どうだっていいじゃないか。どうせここには盗られるものなんてなにもないだろう? 
 ……それで納得するのか。……いや困ることはないが、もっとこう、慌てふためくとかそういうことを予期していたんでな。……ふん、肝の据わったやつだ。だからこそ、あんなことになったのだろうが……。いや、こっちの話だ。
 ここ、座っていいか? しかし汚い。足の踏み場もないとはこのことだ。
 ……すまんな。これは踏んではいけないものだったか。踏んではいけないものを部屋に無造作に置いておくのが悪い……ああ、そうだったな。おれが勝手に押しかけているのだから仕方ないか。ふん、あまり居心地はよくないがここで話させてもらおう。しかしなんだな。ここは客に茶もださないのか?
 ……早く話せか、良いだろう。あまり時間はかからないはずだ。どんな態勢でもいいが、最後まで聞いてくれるとありがたい。

からくり箱って知ってるか?
 寄木細工なんて名でも呼ばれているが、木の箱の内部や表面に仕掛けがあって、一定操作をしないと開かない箱のことをいう。単に開くものもあれば、ばらばらになるものもある。これから話すのは、そういう話だ。
 前もって言っておくが、これから言うことを決してやってはいけない。
 とはいえ、やるなと言われればやりたくなるのが人というものだから、しっかり間違った情報を混ぜておく。
 さて、前提を説明したところで、具体的な話に移ろう。
 まず、立った状態で足をそろえ、両手をまっすぐ上げる。この時、両手の指を伸ばし、親指は真後ろに向いていなければならない。そして、右にゆっくりと体を傾けていく。だいたい十五度ほど曲げたら止め、そこから首を動かし、左に顔を向ける。 右手だけ降ろし、体にくっつけたら、指先が正面になるように腕を上げる。右手を握り、親指が上になるように手首を回す。そして元に戻す。これを三回繰り返した後、親指を下にして指先を伸ばす。今度は左手だ。指先を天井に向けたまま肘を曲げる。目の位置と肘が同じ高さになったところで右を向く。ここからが難しい。左足をゆっくりと上げ、ひざの関節を九十度に保つ。体がぐらついてはいけない。あと少しだ。
 足首から先を足裏が後ろに向くように伸ばして戻す。これを三回続ける。三回目と同時に両手を左右に広げる。広げたとき、手のひらが正面を向いていることが望ましい。左足を地面に戻しながら、両手を正面にまっすぐに伸ばす。この時、両手の手のひらは地面と平行になっていることを確認してほしい。そして、右手を上に、左手を下に動かし、右手は正面に掌が向くように耳の横で停止し、左手は後方に掌が向くようにして体に密着させる。
 覚える必要はない。どうせやっても何も起こらないのだからな。
 とにかく、このような過程を、休みを挟まず一定時間内に正確に行う。
 するとどうなるか。体のたがが外れる。
 今まで感じたことのない違和感が体を襲う。しかし、これはすぐに慣れる。動けなくなるわけでもないし、なんというか、ゆるむ、というのが正しいかもしれない。
 さて、ここまで聞いて、一体何の話をしているのかと思うだろう。変な動作の工程を羅列して、それが何になるのかと。
 これをな、誰からも教えられず、正確にやってのけた男がいる。まったくもって奇跡としか言いようがないことが、なぜか起きた。偶然とは恐ろしいものだな。

・ある男

その男は、狭い一人暮らしの部屋で、万年床の上で変な動きにいそしんでいた。
 おそらく、日頃の運動不足が気になっていたのだろう。男は三十に手が届くにもかかわらず、仕事もせず、わずかな貯蓄を食いつぶしながら一人で生活していた。
 少し前には仕事があった。いわゆるブラック企業というやつで、終電間際に帰るのが当たり前だった。そんな生活からようやく逃げ出す決心がついたわけだ。
 男に危機感はなく、時間ばかりがあった。はじめのころはゲームをやったり、ネットカフェで漫画を読み漁っていたが、それも半年ほど続けると飽きてしまった。
 たった一人でいると、普段は考えないことが気になるものだ。これまで体形など気にしたことがなかったのに、怠惰な生活で積み重なった腹の贅肉をどうにかしなければと思うようになった。
 かといって、外で運動したいとは思えない。ジムに通うなどもってのほかだった。
そこで、試しにヨガなどというものをやってみようという気になった。
 男はヨガがどんなものか知らない。
 木のポーズという名称だけは知っていたが、それ以外はさっぱりだ。だから頭に思い浮かんだポーズを適当にとってみることにした。
 これが案外面白い。
 まるで子どもの頃に戻ったようだった。人前では絶対にやることのないポーズを恥ずかしげもなくやることは、男にとって解放感をともなう娯楽でもあった。
 体に負荷がかかる動作を意識して、ゆっくりと手や足を動かしていると、じんわり汗がふき出してくる。一日一時間から二時間、これを毎日やるだけで、男を悩ませていた倦怠感が、嘘のように吹き飛んだ。
どうやら男にとってそれらの行動は、精神面でも健康面でも良い効果をもたらしたようだった。
 そんな生活を一か月ほど続けると、ある時、ガチャリと音がした。
体に響くその音に驚いて、男は体のバランスを崩して布団の上に座り込んでしまった。
 何かがおかしい。もしかすると関節を痛めてしまったのだろうか。
 だが、一切痛みはない。
 男はひとまず、下を向いた視線の先にある左足のふくらはぎを触ってみた。目に見えるような異変はない。だがすこし“ゆるい”気がする。
しばらくふくらはぎを触っていると、急にふくらはぎが外れてしまった。
 男は驚いた。
 だが、衝撃は長くは続かなかった。
男の性質であったかもしれないし、長い空白期間のせいで感情がさびついてしまっていたのかもしれなかった。
 とにかく、ふくらはぎが外れた。
男はふくらはぎを持ち上げていろんな角度から見てみる。血は出ていない。断面に筋肉の繊維のようなものが見えるが触れてもつるつるしているだけだ。
 しばらく眺めまわした後、男はふくらはぎをもとの場所に戻す。するとピタッとはまり、元通りになった。
 その日から、男の生活に目的が生まれた。
 いったい何をどうしたら、ふくらはぎが外れるなどという馬鹿げた現象が発生するのだろうか。
 さまざまな要素を検討した結果、どうやら直前までやっていた、ポーズに鍵があるらしいと気づいた。。
 男にはには時間と根気があった。
 食事とトイレ、数日おきのシャワー以外はすべて、記憶をたどりながらポーズを再現することに費やした。
 試行錯誤は、数か月続いた。
 たまに外に出て食料や日用品を買いに行く際にも、男の頭には常にポーズのことがあった。
 あの角度がちがうのではないか。手の広げ方が悪いのではないか。男の病的な執着が、記憶の扉をこじ開け、長い時間をかけて、一連の動作を結びつける。
 ついに男の目的は達成された。
 ガチャリと音がして、男は歓喜の雄叫びを上げた。時間は夜中、薄い壁を通して男の声が聞こえたようで、隣の部屋から壁を叩く音がした。
 男は布団に座り込み、ふくらはぎに触れた。
 ゆるんでいる。
 そっと取り外し、床に置いて眺めてみると、これまでの苦労が報われた気がして、男の顔から笑みがこぼれた。
 ふくらはぎが外れるということは、別の部位も外れるのではないか。
 男は新たな目的を見つけて喜んだ。体は数か月前よりも引き締まり、顔には生気が満ち満ちていた。生きがいを手に入れた男は、もはや外に出ることを苦にもしなくなっていた。
 試しに肩に触れてみる。やはりゆるんでいる。何度か動かしていると見事に肩の筋肉部分が外れた。
 男は肩をもとに戻し、布団に身を横たえた。
 長い間取り組んできたことが、ようやく報われた。男はここ数年感じたことのない充実感を得て、心置きなく眠りをむさぼった。 
 翌日から、男は履歴書を書き始めた。
 まるで憑き物が落ちたように、男はポーズをとることをやめてしまった。
 男にとって、体の部位が外れてしまうことなどどうでも良かった。男が求めたのは方法の発見であり、体から部位を取り外すことではなかったからだ。
 男にはやる気が満ち溢れていた。何かが達成できたという思いがやる気につながったのだろう。
 一応、発見した一連の動作は、スマホのメモアプリに書き込んでおいた。再現性も確認済みだ。脚の一部が外れ、肩の一部が外れる。となれば当然、別の部位も外すことができると考えるのが自然だ。だが、男の興味はすでにそこにはなく、膝から先、肘から先が外すことができると確認できると、その先を研究することはなかった。
 就職活動は思いのほかうまくいった。空白期間のことは当然聞かれたが、自信に満ちた男の表情に、たいていの職場で歓迎された。
 就職が決まり、余裕ができたころ、男はブログを書き始めた。
 それは体の一部を外す方法を記したものだった。
 暇つぶしのつもりで始めたブログだったが、どうせ誰も読まないだろうという思いと、一方で、自分だけが知っている事実を誰かに知ってもらいたいという欲求が拮抗していた。
 ひとまず全行程の詳細な記述と、注意点を書き終えてみた。
 しかし、反応らしい反応はなく、仕事が忙しくなってきたこともあり、男は、自分が書いたこともすっかり忘れ、新たにできたアウトドア趣味に精を出すようになった。
 男はここで退場する。キャンプを楽しむ男には、同じ趣味を持つ友人ができ、変なポーズをとることも、ブログを書くことも、必要がなくなってしまったからだ。

それからしばらく、何事も起こらなかった。
 おれが思うに、男が選んだブログというのが良くなかった。当時の主流はやはりSNSと呼ばれるものであったし、ブログはあまり読まれることはなかった。
 男のブログが見つかったのは、書かれて一年以上経過した後のことだった。
 そのブログは、とあるサイトのテンプレートに沿って書かれていたもので、書いた時には新着欄で見たものもいた。
 だが、閲覧数は圧倒的に少なかった。変なポーズをとると何かが起こるなんてブログをみて、本当にやろうなんて思うやつがいると思うか? その通り、いなかった。
 だが、世の中には物好きもいる。一年越しに発見されたブログの工程をそのままやってみたやつがいた。そいつは体の曲げ方が甘かったのか一度では成功しなかったが、何度かやってみるうちに成功し、例のガチャッという音を聞いた。
 それで、腕を片方外してみたわけだ。
 物好きは驚いた。あまりに驚きすぎて、同居人の家族にその叫び声が聞こえて危うく大騒動に発展するところだった。そいつは学生だったんだな。
 んで、その学生がどうしたのかっていうと、腕が元に戻って一安心してから当然のようにSNSに書き込んだ。本当は動画も貼りたいところだったが、さすがに抑制が効いて辞めた。
 だがその投稿をきっかけにして、少しずつ、体のパーツを外してみるやつがじわじわと増え始めた。
 爆発的に認知度が高まったのは、やはりあれだ。腕の先をのせた写真を上げたやつが現れてからだ。投稿は瞬く間に拡散され、発見者の男のブログとともに、世間の一部ではあるが大勢の目にさらされることとなった。
 飛びついたのは若い世代だった。パーツ外しという名称で爆発的なブームとなり、瞬く間にSNS上の話題を席巻した。ネットニュースで特集が組まれ、やがてテレビや新聞にも波及する。
 情報が拡散する速度ってのは恐ろしいもんだな。数人しか知らなかったパーツ外しが、数日後には数千万人の人間が知るところとなった。
 で、どうなったかというと、大人が騒ぎ出した。そんな訳の分からないもの危険に違いない。今すぐ辞めさせろ! ってわけだな。
 だが、できるようになったのだから仕方ない。パーツ外しはやり方さえ知っていれば、時と場所を問わず、特別な器具なども必要なく、何度でもやることができる。
 SNSで大人が騒げば騒ぐほど、若い世代、特に学生は、自分たちだけに許された特権でもあるかのように、パーツを外し、そして写真を投稿した。
 美しいパーツにはファンがつく。いわゆる映えというやつだ。例えば脚を丸ごと載せて、その曲線美に対して「いいね」がつく。女子高生は競ってパーツの写真を投稿し「フォロワー」や「いいね」の数を競った。
 それだけのことが起きても、世の中は何も変わらなかった。SNSに投稿されるものが、パフェから足や二の腕に変わっただけだ。
 実際、パーツを外して写真を撮る以上のことを、当時人は思いつかなかったんだよな。有効活用法などなく、ただ、外す方法だけが拡散されていく。それだけのことだったんだ。
 ある事件が起きるまでは……

・高田壮太

高田壮太という少年がいた。
 少年は中学生で、十四歳の少年が背負いがちな業を背負っていた。彼は世界を憂いていた。自らの周囲の状況が、彼にとってのすべてであり、身の回りで起こった理不尽こそが、すなわち世界の理不尽だった。
 頭のいい少年ではあった。それが良くなかったともいえる。
 だいたいこのぐらいの年ってのは、どうにもならないことを考えたり、慣習に対して疑問を持ったりするものだが、彼は世界のあらゆる事象に対して憤っていた。
 世界には戦争があり、飢餓があり、人々が苦しんでいる様子はネットを通していくらでも見ることができた。壮太は自分の力の及ばないところで巨大な力がうごめいているような気がして、自らの未熟さを呪った。
 だが結局は、彼は普通の中学生でしかなかった。世界の理不尽が、そのまま彼の思い通りにならない現実と直結していた。
 彼には友だちが一人いた。橋本優真といって、とてもおとなしい少年だった。優真はいつも壮太の話を聞いていた。
「ぼくはね。人が生きる意味ということについて考えているんだ。まったく世の中というのは不公平だと思わないか? 人には生まれ持った絶対的格差が存在する。例えば、両親の用意する環境だったり、本人の能力であったり。みんな、努力で何でもできるなどと言っているけれど、そんなのは噓だ。せいぜい状況を改善することしかできない。だとすれば、人の運命は生まれた時点で決まっている。別に頑張る必要なんてないし、なるようになるしかない。でもそれって、生きている意味があるんだろうか? 自分で自分の状況を変えられないのなら、動物と変わらないじゃないか」
「そうだねえ」
「その動かしがたい事実を知っているとしても、ぼくは自分を変えたいと思っている。変えたいと願うことすら、運命に含まれているのかもしれないが、自分と周囲の状況を可能な限り把握し、そのうえで何を変えることができるのかを考えたい。だからぼくは、より多くのことを知らなくてはならないんだ。配られたカードでしか未来を決定できないのであれば、カードのことをまず知る必要があるとは思わないか?」
「うんうん」
 優真は壮太をからかっているわけではなかった。彼は優真の言葉を真剣に聞いていたし、自分では考えたことのない遠くの世界に思いをはせている壮太を、純粋に尊敬していた。
 壮太は自覚していなかったが、彼は明らかに優真に依存していた。優真がいるからこそ、彼は自らの言葉に意味があることを確信し、いずれ自分そのものを、世界を変えることができると信じていた。
 壮太がパーツ外しの方法を発見したのは、夏休みに入ってからだった。夏休みの宿題を早々に終わらせ、やることといえば、優真を本屋に連れまわすことしかなかった彼は、ネットで見かけたパーツ外しの方法を紹介する記事にひどく衝撃を受けた。
 壮太は優真を部屋に呼び、すぐにその方法を試して見せた。変なポーズを見られることを恥ずかしいとも思えなかったし、優真もまた、自分の知らない未知の儀式を厳粛な気持ちで見守っていた。
 そして、得意げに右腕を外して見せると、優真は眼を見開き、小さく叫び声をあげた。
「そんなことをして平気なのかい?」
「ああ平気だよ。これはとんでもない技術だ。いろんな人がなぜこんなことになるのか話し合っているけど、まだ答えを出せた人はいないんだ」
「でも、見てられないよ。痛くないの?」
「痛いものか。こんなのたいしたことないよ。それよりも、これは人を閉じ込めている人の身体そのものの問題に迫る技術かもしれない。人は自らの体を持っているからこそ自己を認識できる。パーツを外すことができるということは人間の根幹を揺るがす革命的な発見なんだ。この外したパーツは、ぼくであってぼくではない。このことがどんなにすごいことかわかるかい?」
 それから、壮太はさらに別のパーツも外そうとしたので、優真は一度見たから十分だといって、慌てて止めた。彼にとってはパーツを外すなど夢にも思わないことで、怖くて仕方なかった。
 壮太は優真の言葉を聞き入れ、二人で本屋に出かけた。いつもより上機嫌の壮太の様子を見て、優真は不安になった。彼の予感は当たっていた。壮太はパーツを外すことで、何かができるという妄想にとらわれつつあった。
 壮太は毎日のようにネットに入りびたった。彼が見ていた怪しげなサイトのなかには、自ら外したパーツを祭壇に掲げて病を治そうとするものや人知を超えたパワーを得ようとする人々の記事もあった。
 だが、それでも、壮太はしばらく正気を保っていた。優真が彼を現実世界にとどめていた。
 しかし、ある時、あってはならない転機が訪れる。優真の父の転勤が決まり、彼は別の県へ引っ越すことになった。
 壮太は優真からそのことを聞いたとき、目の前が真っ暗になったように思った。それまでは、優真がいることが当たり前で、彼がいるということについて考えたことがなかった。
 数か月後、優真は転校した。壮太は最後に彼となにを話したかは覚えていない。すべては夢の中のようで、優真が連絡するよ、と言っていたことだけは覚えている。
 そして、壮太は自らの考えの中により深く閉じこもるようになった。
 壮太はこれまで以上にパーツの分解にのめりこんだ。
 彼の情報源の大半はネットで、しばらくはニュースサイトやSNSを巡回することで満足していたが、次第にそれだけでは飽き足らず、今ではあまり流行らなくなった掲示板サイトを見るようになった。
 掲示板に集まった人々は、体のどこまでを分解できるかについて、議論を戦わせていた。
 人には危機察知能力がある。たとえ腕や足を外すことができたとしても、それ以上の、例えば腹部や頭部、脊椎など人体にとって不可欠な部分を外すことはできなかった。やろうとしたところで、体がそれを止めるのだ。
 問題は、いかにしてその限界を見極めるかだ。足を外し、そこから、五本の指を分解したもの。ふくらはぎを筋肉ごとに分解したもの。度胸試しをするかのように、その掲示板では写真や動画が投稿され続けていた。自らの体を実験体にする無謀なものは数少なくはあったが、そこに人々が集まり、少しずつ情報が蓄えられていった。
 そこに、壮太もいた。
 彼は掲示板に新たな分解方法を発見した匿名の投稿者に賞賛のコメントを送りながら、自分自身の体について研究を進めた。
 そのようなことに集中するあまり、壮太は学校で、家庭で孤立し始めていた。
 優真を失ったのと同時に、彼は自分の考えを受け入れてくれる存在を失った。壮太にとって優真はあまりにも大きかった。だが、そのことを、家族はもとより、本人すらも気づくことはなかった。
 彼は孤独だった。孤独であるということに誰も気づかないほどに孤独だった。
 壮太は部屋でよく独り言をつぶやくようになった。たった一人の部屋で、自分の腕を外しながら、ずっと、誰にも届くことのない考えを垂れ流し続けていた。
「そう、そうなんだよ。すべては身体論の問題なんだ。人は、自分の体を自分の所有物のように考えているけれど、本当は違う。人は自らの体を永久に所有することはできず、体は体として厳格な物体としてそこにあるだけなんだ。人は思考をする。だが、人は時として、思考がそれ自体で完結していると勘違いしている。すべては体から得られた情報により思考がかたち作られ、存在すること自体が、体の存在に依存している。だから、ぼくたちは世界との適合に常に違和感を感じている。パーツ外しによって、人は人という存在そのものについて考える機会を得た。これこそが、ぼくが次のステージに向かうために必要な工程だったんだ」
 壮太はある日我慢しきれなくなって、日々入り浸っている掲示板にそのことを書き込んだ。パーツの分解こそが、人を次の段階に導くものだと長文で書き込んだ。
 今まで彼のことを勇気づけ、常に先を言っていたパーツ分解に関して議論し続けてきた投稿者たちは、きっと、自分の言葉に耳を傾けてくれるものと信じていた。
 だが、そうはならなかった。
 彼らは壮太の言葉をあざけった。
“痛、なんだよこいつ。きめえな”
“なんだよ身体論って、酔ってんじゃねえよ”
“パーツ外しごときで偉くなったつもりの馬鹿”
 その時、壮太を成り立たせていたものが、ついに崩壊した。
 これまで話してきたように、彼を追い詰める要素など何もない。生活において、なんの苦労もしたことのない、中流家庭の普通の少年だった。ただ、彼の性質が、崩壊に近いところで絶妙なバランスをとっていたというだけだ。
 壮太は日に日にやつれていった。食事がのどを通らず、パーツの分解で外した腕は、みるみるうちに棒のように変化していた。パーツのことばかりを考え、食事すらまともに取らず、人ともしゃべらず、ひたすら自分の世界に閉じこもっていた。
 彼は常に独り言を言っていた。部屋を暗くし、テレビもパソコンも何もつけず、ただひとり、何事かを呟いていた。
「ぼくという人間が、次のステージに上がるためには、なにか思い切ったことをしなければだめだ。とても悔しいことだけれど、ぼくには経験も知識もなにひとつとして持っていない。でも、待つことはできない。ぼくはこのままでは駄目なんだ。今のままだったら、次のステージに行く前に、ぼくはおかしくなってしまう。おかしくなる前に、ぼくは自分をすべて破壊し、また新たに世界を作り直さなければならない」
 翌朝、彼の家の庭から火の気が上がっているとの通報があり、消防車が向かった。
 そこには、右腕以外の外せる限り外せるすべてのパーツが外された壮太の残骸が転がっていた。彼の傍らには燃え尽きたチラシの山らしきものがあり、その上に焼き焦げた体の一部が無造作にばらまかれていた。
 壮太は自らの体からの脱却を図るため、パーツに火をつけたのだ。体の分解は長時間行っても問題はないことは発見されていたが、その時初めて、体から切り離したパーツを傷つける事例が生まれた。
 彼は衰弱し、やがて息を引き取った。

まあ、なんつーか、若さってのは怖いもんだな。
 別に大したことがなくたって、若いってだけで世の中のどうでもいいことに頭を巡らせ、考えなくてもいいことを考える。少年がやらなくても、いずれ別の誰かが、何らかの事件を起こしていただろうな。
 少年の事件があってから、ついに行政が動き出した。自由な分解を禁止したってわけだな。しかしだ。別に禁止したからと言って、家のなかで勝手にやってるってことをどう禁止しろっていうんだ。
 だが、案外、抑止力は働いた。法の力は偉大ってな。
 それに、少年のことが、大々的にニュースになったことも大きかった。友人のいなかった彼のために、遠方に引っ越した優真少年までもが担ぎ出されてな。のちに、全容を解明した書籍も発行された。それほどに衝撃が大きかったわけだ。
 もちろん、パーツ外し関連の事故ってことは起きないわけじゃなかった。学校という閉鎖された空間では、いじめの過程でポーズを取らされ、パーツを外され、傷つけられ、隠される事例が相次いだりもした。
 ごくまれな事例だが、パーツを外したままそれを忘れて、自ら踏んづけるとか、そんなずさんな管理からくる事例だってないわけじゃなかった。
 でもそれは、交通事故や餅をのどに詰まらせる件数よりはずっと少なかった。
 とはいえ、便利そうな新たな技術が発見されると、それが犯罪に使われるってのはよくある話だ。パーツ外しだって、なにか悪いことに使えそうじゃないか?
 だが、考えて見て欲しい。パーツは外せるだけで、その時点では特に有効利用法はない。もしこの技術が、戦時下のような人権が無視されるような時代に発見されたのなら、もっと多くの研究が積み重ねられ、利用する方法を見つけることができたかもしれないが、人権がなにより優先される社会では、うかつに他人のパーツに触れるわけにはいかなかった。
 先に紹介したように、結局はSNSに自分の美しいパーツを投稿していいねを稼ぐか、無謀な若者が限界を目指すことくらいにしか役に立たない。だからそもそも犯罪に利用できるものではなかった。
 仮に、パーツに価値を見出した人間がいたとする。悪いやつ、あるいは組織がいて、被害者からパーツを奪おうとする。しかしここで問題が発生する。パーツを外すには、あのややこしいポーズをとらせる必要があるわけだ。そんな信頼感や強制力があるならば、パーツをはずすよりもっとまずいことをやらせることができそうなものじゃないか。
 パーツ外しは、コストの割にリターンが少なかった。そんなわけで、パーツ外しによる事件や事故などというものは、壮太少年の事件以降、ごくわずかに発生はしたものの、大きな事件に発展することはほとんどなかった。
 で、パーツ外しが規制された話に戻るんだが、国は何をしたかといえば、免許制度の採用だった。
 事件の情報が広まる一方で、SNSのごく一部のユーザーたちは、パーツ外しの有効性を見出していた。それがパーツ揉みだ。自分で自分の体をもみほぐすのは角度の問題で困難な場合も多いが、パーツを外せばその問題が解決する。
 まとめサイトやSNSでは、パーツの外し方を懇切丁寧に説明し、そのうえで、分解したパーツをもみほぐす方法を掲載した。これが案外好評で、じわじわとそのやり方が広まりつつあったわけだ。
 事件のこともあり、国としてはパーツ外しの全面禁止を進めたいところだったが、やめろと言われても、有効活用法が見つかった以上、やるやつはどうしたって現れる。
 そこで、国が推し進めたのが免許制度の採用だった。
 分かりやすい例でいえば、ふぐ料理みたいなもんだ。釣りに行ってみると分かるが、ふぐってのは案外釣れるんだよな。だから、誰だって調理することができるわけだが、素人が捌くと完全に毒を取り除くことができない場合がある。そこで免許制度というわけだ。
 そのまま放っておけば民間療法で事故に発展しかねない状況だったものを、免許制にすることで、企業側に技術を独占させる。個人に規制をかけることよりも、企業に規制をかけたほうが何倍も管理しやすいってわけだな。
 実際、パーツ外しは金を生み出しそうな鉱脈ではあった。商売を立ち上げたいってやつが殺到し、各地で免許取得講習会が開かれた。人間ってのは金が絡むとうまく進むもんだ。
 とにかくそれで、パーツ外しは社会に溶け込んだ。
 まだなにも、具体的なことは解明していない。安全かどうかだけは何度も検証されたようだが、それ以前のなぜそうなったかについては誰も理解できなかった。しかし、たとえ理由がわからなかったとしても、役に立つのは仕方がない。
 まあしかし、人間の世界なんて言うものは、案外そんなもんだよな。これまでの文明ににおいても理由はよくわからないが、しかし役に立つから使っている技術、なんてのはざらにあったからな。
 免許制になって以降は、ブームも相まって、街にマッサージ店や美容店が乱立した。もともと立っていたそれらの店舗も、パーツ外しサービスを取り入れざるを得なくなり、技術は完全に人々の生活に定着し、当たり前のものとなった。
 マッサージはなんとなくわかるにしても、美容にパーツ外しを使うってのは体感として分かりづらいかもしれないな。
 例えば、自分が女性であると想像してほしい。ネイルに行きたくなったが長い時間座っているのも面倒だ。だが、パーツ外しができれば快適になる。手首の先を預けて寝ていればそれで施術が完了するし、さらに、預けている間に、まつげのエクステやヘアカラーなど別の施術だって受けることができる。
 施術側にとってみれば、同一方向から作業するよりも、手首を外して方向を変えながらしたほうが圧倒的にやりやすい。専門のスタッフを雇いやすくなったことで、美容サロンは次第に総合的なサービスを展開するようになる。肩から指の先、足の付け根から足指の先まで限定の施術ではあったが、痩身エステだって一緒に受けられるようになった。
 一方、マッサージ店も隆盛を見せた。こちらは女だけでなく、男の需要も高かった。日々の仕事で負荷のかかりやすい肩から背中の筋肉だけを外し、専用の機械でもみほぐすサービスは好評だった。しばらくすると、溶液につけることで症状を緩和させる店なども現れた。
 パーツ外しによる経済効果はすさまじいものだった。実際、景気にいい影響を与えることがわかると、それまでうるさかった中年から高齢者にかけての新技術になじめなかった人間たちも、しぶしぶ受け入れざるを得なかった。
 すべては収まるところに収まったが、おれはさ、あんまり納得していないんだよな。
 最初のころは正直、ワクワクしたもんだ。壮太少年が言うように、パーツ外しによって人類は本当に、次のステージに向かうものだと思っていた。やりようによっては、パーツを外して改良したり、人間の形そのものを考える機会にもなったはずだ。 
 実際、そこまでいかなくとも、もっと多くの研究者による研究が進められ、パーツの分解が人にとって別の価値を与えることだって可能性としてはあった。
 しかし、残念ながらそうはならなかった。誰もがわからないと蓋をして、金が儲かるならと思考を放棄した。結局のところ、それがその時点での人々の限界だったのかもしれない。
 なにもかも早すぎたんだ。

・久間洋子

それから数年間は、交通事故よりもずっと低い数字で発生する事故を除けば、パーツ外しに関する事故は何も起こらなかった。
 事故は起こらなかったが、同時に、パーツ外しに関する画期的な発見も、また起きなかった。
 大学の研究機関で組まれた予算は少なく、エビデンスを集めることは困難だった。その原因となるのは、行政や大学関係者の冷淡さだった。すでに広く普及している技術に関して、これから先のビジョンのないものを、わざわざ予算を割いてまで研究する必要はないという合理的な判断だった。
 だが、一方で、隆盛を極める美容業界では、大学や研究機関から人員を集め研究チームを作り上げることに余念がなかった。海外で評価の高い化粧品や施術機械を仕入れることでしか、新たなムーブメントを作ることができなかった業界にとって、日本独自のサービスはのどから手が出るほど欲しかった。
 事実、パーツ外しに関するサービスは、出せば出すほど儲かった。美や健康を求める人々は、パーツごとに刺激方法を変えるなどした新たなサービスに飛びつき、美容サロンは高額な施術機器を金をいとわず導入した。
 免許制度の施行以降、急成長を遂げた企業があった。バブル状態となっていた美容・健康サービスを提供する企業は、淘汰が進み、五年もたたずに巨大企業が台頭した。
 巨大企業の名はエウプロ。他の追随を許さぬサービスの幅広さ、そして優秀なスタッフによる施術が好評となり、瞬く間に市場を独占した。
 エウプロの代表、久間洋子は、自他共に認める美の伝道者として、あらゆるメディアに登場し、自らを広告塔とした戦略で一躍時の人となった。長らく不況であった女性向け美容雑誌が活況を呈したのも、彼女のおかげといっても過言ではなかった。
 洋子は選ばれた会員だけが出席できる集会でこう言った。
「仮に私の前に、私の美を疑うものが現れたとします。それでも私の美は揺るがない。それは、私がこの顔、この体を持っているからではありません。私は自分の美を信じ、そして、確信しているからです。人それぞれに美があり、それぞれに美の道が存在していることを。ここにお集まりの方々で、自信が持てない方、人と比べて苦しんでいる方。ご安心ください。あなたの美は、何者かが別の尺度で測ることなどできない。あなたの道は、あなたが開拓するほかないのです。もしも自分の道に迷われていたとしたら、私たちはありとあらゆる手段を使ってお手伝いします。それだけが、私たちの願いです」
 洋子は秘書の佐渡桔平とともに、美の思想を世界に広めようとしていた。それが自分たちの使命だと信じていた。
 それはまるで宗教の教祖のようだった。実際、エウプロの金集めのやり方はは悪徳宗教団体のそれと大差ないものだった。ただ、意識の高さという点ではどちらかといえばビジネスセミナーに近かった。洋子は怪しげな団体の宗旨にありがちな宇宙や神、その他オカルト的な諸々の概念を一切排した。
 パーツ外しは科学的な理論が解明されていなかったため、神秘的な要素や神に結び付け、多額の賞品を売りつけようとする怪しげな団体が続出した。だが、エウプロは違った。金を出せるものは男女変わりなく、搾り取れるだけ搾り取る。一方で、金を出したものへの美や健康の恩恵を与えること忘れなかった。
 巨大化したエウプロの技術は他の追随を許さず、施術を受ければ、高い確率で痛みが緩和し、美容の効果が認められた。金持ちから多く奪い、貧しいものは少量の金額で美と健康を与えた。
 事業を拡大し、資金を獲得した新興企業には、儲け話を持ちかける胡散臭い企業や人物が群がるものだ。だが、それすらもエウプロは一切はねのけた。美こそが価値観の最上位であり、金儲けなどはどうでも良い。美を実現するために必要な金は自分たちで稼ぐ。それだけのことだった。
 エウプロの思想は、どちらかといえば、超人思想に近いものだった。神や超常の力のような実在の証明が困難なものではなく、美という目的のために自らの体を磨き上げる。エウプロは他社との差別化を図るサービスとして、美に対し真摯に取り組むものだけを選び特別会員制度を設けた。それは選民思想に近い絶対的な規律によって組織されていた。
 表向きは美容業界の雄。裏では集金に執着しているものの、ストイックな思想を持つ一団体でしかない企業を、誰も咎めることはできなかった。SNSで会員に配られるアジテーション文が特徴的だとネット上で話題になったこともあったが、それは所詮「意識の高い痛いやつ」を面白がること以外の何物でもなかった。
 会員たちは、世間に見咎められることなく、その結束を深め、美に対する高い意識を持ち続けていた。そして、会員が一万人を超えたころ、洋子と桔平は、ついに彼らの目的を叶えるために動き始めた。
 まず彼女は、会員の中から、美しいものを選抜した。美形である必要などはない。腕や肩、足、それらパーツ外しにより取り外し可能な部位を厳正な審査により選び出し、彼女のもとに集めた。
 もともと、洋子にはモデル経験を持つなど、胴体部分のスタイルに自信があった。彼女はさらにその先を目指すため、美しい腕と足を求め、選抜した会員にありとあらゆる施術を施し、美容トレーニングを強制した。
 誰も、文句ひとつ言うものはいなかった。すべては究極の美を達成するために、洋子こそが、是界で最も美しい存在となり、その存在のもとで、究極の美を享受する。彼女たちの思いは一つだった。
 完全な美を手に入れる準備がようやく整った。
 いよいよパーツを移植する日、久間洋子は施術室のベッドに身を横たわらせていた。彼女はつけていたアイマスクを外し、ベッドのとなり立つ佐渡桔平に声をかけた。
「わたしの夢がようやく叶う。今までよく尽くしてくれて、ありがとう」
「わたし、じゃない。わたしたち、と言ってくれ。洋子の夢はおれの夢でもあるんだから」
「そうね……でも、わたしたちの夢のために、彼女たちには悪いことをしてしまっているのかもしれない」
「いまさら後悔なんてするな。一緒に会社を興そうと話し合った時から、周りのことなんて気にしないと決めたじゃないか。ここで引き返すことなんてできないぞ」
「分かってる……ただ、手術の前でちょっと不安になっているだけだと思う」
「安心しろ。準備は出来るだけしてきたじゃないか」
 二人は長くともに歩んできたが、決して男女の関係にはならなかった。二人は戦友であり、ともに頂点を目指すパートナーだった。かつては芸能界を目指し、タレントとマネージャーの関係であったこともあったが、事務所の倒産で路頭に迷いかけたころ、事業を起こすことを志した。
 施術はごく短時間で行われた。選ばれた女性たちから集めた体のパーツを入念にほぐし、施術台に乗せられた洋子の体に慎重に取り付けていく。彼女はその時、桔平と二人で夢を語り合った時のことを思い出していた。
 コネでも何でもない、ただ美だけが評価基準の純粋な世界。芸能界にはついぞ見出すことのできなかった理想郷。洋子が信じた自分の美、桔平が信じた彼女の美を、誰もが認める世界を作ること。
 その二人の夢の第一歩が、今、叶おうとしていた。
 施術が完了し、洋子が施術台から降りると、桔平が全身鏡を持って立っていた。
 洋子の口から思わずため息が漏れる。そこには、彼女の理想とする美、そのままの身体が見事なまでに再現されていた。すらりと伸びる肢体は、非の打ちどころのない肉付きで、なだらかな稜線が肩や骨盤の骨格と交わり、絶妙な輪郭を構成していた。
「これで、わたしたちの夢がかなったのね」
「ああ、しかしここはゴールじゃない。ぼくたちはこれから、ぼくたちの美を世界に広げていかなくちゃならないんだ」
 洋子は自らの体の感覚をひとつひとつ確かめた。パーツの移植によって、違和感がないわけではなかった。ポーズをとったときに現れる「ゆるむ」感じが、持続しているような気がするのだ。
 だがそれも、完全な美を目の前にしてみれば、些細な問題でしかなかった。
 洋子は姿見で、桔平は自分の眼で、二人が夢見た理想の美を目の当たりにし、しばし金縛りのような状態になっていた。完全に時が止まり、永遠がそこに存在しているかのようだった。
 だが、桔平のスーツから聞こえる着信音で、静寂は破られた。端末を耳に当てた彼の表情が次第に硬くなる。
 彼は端末を耳に当てたまま、
「警察に密告したやつがいる」
 といった。
 桔平の脳裏にさまざまな思考が駆け巡る。洋子のために集めたパーツの持ち主は、すべて彼女の信奉者であり、裏切りなど起こり得るはずはなかった。だが、もしも、同じ業界から送り込まれたスパイのような人間がいたとしたら……
「そう」
 しかし、洋子は何の反応も示さなかった。それは、他人のパーツを統合した副作用なのだろうか。あるいは完全な体を手に入れたことによる慢心だったのだろうか。
 洋子は桔平が社員からの連絡を受けている間、施術室を抜け出した。桔平は洋子がいないことに気づくとすぐに探したが、彼女の姿は消えていた。
 桔平は頭を抱えた。相手は本気だった。警察は彼らのやっていることをすべて把握していた。すでにこの建物は、警察に囲まれているかもしれない。だが、彼はその時、すべての思考を放棄し、街に飛び出した洋子のことを思った。
 洋子は街に出ていた。体に布一枚だけをまとった彼女は、現代に現れた女神だった。皆、彼女のことを見ていた。彼女の体から放たれる何かしらの力が、通行人や運転者の目をくぎ付けにしていた。
 ビルの立ち並ぶ大通りを、彼女は踊るように歩いていた。
 誰も、彼女の格好ややっていることについて、疑問に思うものはいなかった。今この世界で、あらゆる道義を超えて、彼女こそが正しさを体現する唯一の存在であった。
 車が止まり、街が洋子のために停止した。すべてが動きを止めた世界で、彼女だけが優雅に歩き続けていた。
 その時、彼女に異変が生まれた。
 立ち止まり、小刻みに体が震え始めた。洋子は必死に震えを止めようと、腕で体をかき抱く。だが、それでも震えは収まることはなかった。
 街の時が動き出す。
 皆、洋子の異変を察知して、偉大なものに対する尊敬のまなざしから、異物が混じった怯えに変わった。
 彼女は大声を上げた。声にならない叫び声が、街を支配した。
 洋子の体はばらばらにはじけ飛び、そして、周囲の人々の叫び声がこだました。

 

・某日早朝四時

……というわけだ。割とうまく伝えられたんじゃないか。特にセリフのところなんかな。演技を勉強したわけじゃないんだが、なかなかのもんだろう? ……どうした? さっきから顔色が良くないが。たしかに人体がバラバラになるなんて恐ろしい話だ。実際あのあと、元の自分のパーツすら戻らず、女は死んでしまった。やはり見切り発車ってのが良くなかったと思うな。
 さて、もう気づいていることだろうと思うが、お前が最初にパーツ外しの方法を見つけ、ブログにそのことを書いた男だ。おれはその後に起きたすべてのことを観測し、そして、この場所に戻ってきた。予定通りであれば、あと一時間ほどで、お前が例のポーズをとることになっている。だがそれも、おれが現れた時点で大きくずれていただろうがな。
 ……なにをするつもりか、だって? なかなか核心を突いてくるじゃないか。もっと余裕を持ったほうがいい。おれが話したことに対する感想とか、雑談とかやってもいいんだぞ。……まあ落ち着けって、別に取って食おうというんじゃない。さっきまでの堂々とした態度はどこへ行ったんだ。
 ……おれか。自分のことを話すのはあまり好きじゃない。おれのことは宇宙人だろうが未来人だろうが、なんと思ってくれてもかまわない。残念ながら羽根は持っていないから、天使だの悪魔だのと断言できないのがつらいところだ。
 ただ一応、なぜここに来たかだけは説明してやろう。パーツを外せるようにしたのは、実はおれなんだ。人という種が現れる直前にな、ちょっとしたしかけを施したんだ。理由なんて簡単だ。面白いからさ。しかけが見つかって、種がその枠を超えた存在になるきっかけを与えることができれば面白いと思った。
 だが、すでに話した通り、あんなものにしかならなかった。つまらない。まったく、人間ってのはそう簡単にはこれまでの生活習慣や自分たちが設定した枠組みってものを超えられないもんだ。
 仕組みが見つかるのがあまりにも早すぎた。結果、ひどく面倒なことになって、上のやつらに目を付けられそうになっている。これでいい方向に進んでいれば、おとがめなしの可能性もあったんだがな。下っ端のつらいところよ。
 で、これからお前の脳を弄る。痛くはないさ。これから一生、例の動作ができないようにするのと、おれの話したことと、おれの存在自体を忘れてもらう。……おっと、逃げようとしても無駄だ。すでにお前の体は動かなくなっているはずだ。悪いが少しの間じっとしておいてもらおう。
 ……そう怯えないでくれよ。おれだってこんなことはしたくなかったんだ。でも、人間だって良くない。パーツ外しをもっと安全に有効活用できていれば、記憶を消す必要はなかった。
 ……話した理由? 確かにすぐに脳を弄ることだってできなくはない。でも、そうだな。自分でもあまり考えてなかったが、全部を消す前に誰かに話しておきたかったからだろうな。おれはいつも見るだけで、話す機会があまりなくてな。今日は楽しかったよ。
 最後に、何か言いたいことはないか? ……ひどいことをいうなよ。全部忘れて元通りになるだけじゃないか。悲しいのはむしろおれのほうさ。おれの存在も、やってることも、誰にも知られることはないんだからな。おれが思うに、お前にはまだ、世の中と交わることのできる力を持っている。まあ、この言葉自体も忘れてしまうわけだが、頑張ればいいと思うな。
 ……そりゃあ、おれはお前じゃないんだし、好き勝手言うさ。人がどうこうできるのは自分だけで、他人に何を言われたってどうでもいいだろう。パーツ外しのやり方を研究してる時のお前は、こんなところで腐ってるような人間じゃないと思った。ただそれだけさ。
 じゃあま、そういうことで。話を聞いてくれて、ありがとな。

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