計数動物園

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梗 概

計数動物園

たかしは夏休みの課題で生き物を作らなければならなかった。設計した生き物を自由に放って遊ぶことができるゲーム「計数動物園」で、夏休み明けにトーナメント方式によるバトルを開催すると担任教師は言った。

さて、どんな生き物を作ろうか。たかしは考えた。たかしはゲーマーだったため、ルールをハックするのが好きだった。たかしは「生き物を作る生き物」を作ることにした。ただ、無から有を作るのは難しい。そこで「既存の生き物の設計図を編集できる生き物」を作ってみた。もっとも入手しやすい「既存の生き物」の設計図は自分だったため、たかしはたかし自身の設計図を編集する生き物を作成した。もちろんこれはゲームなので、あくまでバーチャルな生き物だ。たかしは夏休み明けのバトルトーナメント「計数動物園」に向けて、自分の端末内で、自分の設計図を編集し続ける生き物の育成(品種改良)を進めた。

夏休みが明けて「計数動物園」が実施された。たかしが作った生き物は、他のクラスメートが作った生き物を圧倒した。たかしは生き物を「群体」として設定していた。計数動物園にアップロードできる生き物は1プレイヤーにつき1種のみだったが、個体1体に限るというルールはなかった。無限に個体数を指定することはできないので規定の最大値に生き物の個体数を設定していた。道具の持ち込みも制限されてなかったので、衣服や武器(兵器)、戦闘機を持ち込んだ。トーナメントでは細菌型の生き物など手強い相手もいたが、結局たかしの生き物が優勝した。

優勝後、担任教師から「計数動物園」はただのバーチャルなゲームではなく、実際の島国を舞台としており、実体とリンクしていることが告げられた。生き物や道具は科学技術で実体化されていた。たかしは、削除しなければと教師に伝えた。実体とリンクしているなら削除機能もリンクしているはずだ、と。たかしが削除しようとした時、たかしが作った生き物は「計数動物園」をハックして削除できないようにした。被創造物が創造主を超えた。教室は既にパニックになっていたが、その時はじめてたかしは恐怖を感じた。本当に自分には制御できないのだと。

そこでやっと担任教師は「計数動物園」を消し去った。たかしはわけがわからなかった。

これはもともとは生物やプログラムの授業ですが、万が一の場合には倫理や道徳の授業に差し替える予定でした。今が万が一のケースです。

「計数動物園」の外側には「メタ計数動物園」があり、その外側にも何重もの保険がかけてあります。不測の事態が生じた時には「計数動物園」とその外側数層を削除するよう設計されています。現実場面では失敗やゲームオーバーは許されないので、このような安全策を施しました。大人になるまでに安全圏で失敗を繰り返して現実に備えましょう。

その後たかしはゲーマーであることをやめなかったがプレイヤーからプラットフォーマーになることを決意した。

文字数:1200

内容に関するアピール

自分が生き物の創造主になれたとして、自分にとって一番興味深い生き物は、創造した自分でも予測がつかない生き物だ。そのような生き物の一つとして自己の設計図を編集する生き物を考えた。さらにつけ加えれば、編集を繰り返して造像主を超える(脅かす)ような生き物だ。そのような時、創造主はもはや高みの見物はできない。

ゲームや現実社会でもルールをハックする人間が出てくる。ルールを守っている人間からするとチート(ずる)に見える。そのような場合、ゲームであれば開発者がゲームバランスを調整(ソフトをアップデート)する。現実社会であれば法を整備する。

しかし、ルールハックにバランス調整が追いつかない場合、どうなるのか。それを今回、思考実験してみた。

生態とは本来、自然環境下での生き物の振る舞いのことだ。一見すると、課題から逸脱して見えるかもしれないが、人間も自然の一つなので人工的な環境下での振る舞いも生態であるはずだ。

文字数:400

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計数動物園

 学校に行きたくない。ワタルは自室で昼まで寝ていた。教室にいることが苦痛だった。ある時を境に学校に行けなくなった。学校に行くのを辞めると,朝,起きても何も新しいことは起きないし,状況は悪くなることはあっても良くなることはない。だからぐずぐず昼まで寝ているのだ。昼まで寝て過ごすという生活は,いつまでも続けられるわけではないが,ワタルは小学3年生だったので,毎日がその繰り返しでも当面は問題なかった。両親も嫌なら行かなくて良いという考えだった。それに小学校に上がってからずっと会ってない。

 その日もいつもと変わらないはずだった。充分寝たはずなのに,まだ寝たりなくて,ベッドの中でくすぶっていた。眠りと目覚めの境い目で,「いつまでもこんな状態は続かないんだよ」という「自分の声」に耳を塞いでいた。いつものことだ。そんなことは十分わかっている。わかってはいても実行に移すのは難しいのだ。

 しかし,その日はいつもと違って,ワタルにはその自分の声を,塞いだ耳から素直に聞き取り,素直に実行することができた。何かが合わさるタイミングがあったのだ。そのタイミングは,待っていれば必ず誰のもとにも平等に訪れる種類のものだ。ただし,それをキャッチする人と逃す人とがいる。ワタルはたまたまキャッチできた。

 ともかく,ワタルは何かのスイッチが入り,だらだら寝て過ごすことをやめる決心がついた。ワタルはそれ以降,寝て過ごさない生活を送るようになった。

 その日,ワタルはベッドから立ち上がり,カーテンを開け,窓を開けた。部屋の空気を入れ替えた。この部屋に風が通るのはとても久しぶりのことだった。シーツを替え,かけ布団を干し,散乱しているゴミを袋に入れ,時間をかけて丁寧に部屋を掃除した。それは機械に全部任せてしまえばよかったが,自分でやらなくてはいけないと思ったし,やりたい気持ちになった。普段は無精だが,やるときは徹底的にやるタイプなのだ。そして,髪を自分で適当に切り,シャワーを浴び,丁寧に身体を洗った。下着姿のまま冷蔵庫に残っていたミネラルウォーターを飲み,ヨーグルトを食べた。どちらも消費期限ぎりぎりだった。タンスの中から最初に目についた服を選んで着た。洗濯かごの中身を洗濯機に入れて洗濯機を回した。それから近所の土手に出かけた。

 土手には土手にしか吹かない種類の風が吹いていた。夏の終わりを予感させる夕方特有の,体の中まで洗い流すような涼しい風だ。その風がワタルを通り抜けて行く。不要なものがパラパラと剥落し,背面に流されて行く。斜面を降りると回りの建物が土手に遮られて見えなくなり,空が一段と広く高くなったように感じる。お椀の中の一寸法師が空を見上げると,こんな感じだろうか。

 川の下流,ワタルから見て右手の方には水門が見える。水門は開いていた。川の水は遮られることなく下流へ流れていた。鴨が彼岸と此岸の中央で群れを作って水面をたゆたっていた。流れに逆らわず,しかし,流されないように,同じ場所にとどまっていた。群れの最後尾の鴨が下流の方に押し流されそうになると,その鴨は羽ばたいて飛び上がり,群れの最前列に移動する。その繰り返しの循環をただ眺めていた。

 土手の外にはポニー小屋があり,そこから飼育員が土手の中にポニー1頭を連れてきていた。土手の中にある柵の入り口で子どもたちを一人ずつ順番にポニーに乗せていた。親子連れが昼の最後の時間を暖かく大切に過ごしていた。ポニー小屋のポニーにはそれぞれ名前がついている。ワタルはこの地区に住んで3年目なので,この土手に通ううちに彼らの名前をすっかり覚えてしまった。柵に写真と名前が貼ってあるのだ。今日はゴマが来ていた。ゴマは毛色のごま塩が名前の由来だということが見てすぐわかる。

 ポニーもそろそろ帰る時間だ。3歳くらいの女の子が空を見て「夕焼け小焼けだねー」と父親に向かって言った。父親は「そうだね。夕焼け小焼けだねー」と繰り返した。ワタルは土手の斜面に座って川を眺めた。もう鴨たちはいない。対岸の方をずっと眺めて,何かがやってくるのを待っていた。それはもうじきここに必ずやってくる。そしてそれは意識して見逃さないようにしなくてはならない。それは注意の隙間を大胆に通り過ぎていくからだ。風が少し冷たくなる。日が暮れ始め,空がオレンジと紫に二分されていく。夕方と夜の境い目のひととき。川のこちら側の空が夕方。向こう側が夜。ワタルはまだ夕方の側にいた。

 ワタルが部屋に戻ると,さっき自分が片付けた部屋が待っていた。自分の部屋じゃないみたいだ。洗濯機から中身を取り出し,室内に干した。本当は家事なんて全て機械に任せてしまえばいいんだけど,そうすると結局は寝たきりになってしまう。もう寝たきりにならないためにワタルは家事をする。PCを立ち上げ,今まで先延ばしにしていた作業に取りかかった。その作業というのは夏休みの宿題だ。学校からは登校しなくてもいいから宿題はやってくれと言われていた。小学生のほとんどが夏休みの宿題を先延ばしにする。ワタルもその一人だ。自分で勝手に必要以上にハードルを高く設定し,「今はまだハードルに達していないから」と作業に着手するのを先延ばしにするのだ。ハードルが高いからこそ,それに向けて少しずつ手をつけていけばいいのに,手をつけるのを先延ばしにする。もしかしたら,手をつけるのを先延ばしにするために,ハードルを高く設定しているのかもしれない。そうすれば気乗りのしない作業を当面はやらずに済むし,いい訳もできる。

 先延ばしの呪いが溶け,ワタルは宿題に手をつけた。宿題に取り掛かっている間,身の回りを整理するよう心がけた。髪も美容室に切りに行った。担当の美容師に頭の形と髪質を正直に申告し,あとはお任せしますと伝えれば,いくつか向こうの質問に答えるだけでよかった。もともと美容室は苦手だったが,たまたま担当してくれた美容師が相性が良かったのか,会話も苦痛でなかった。質問攻めにしてくるタイプではなく,共通の話題を自然にみつけ,自分から話すタイプだった。ワタルの方が聞き役になり,相づちをうったり感想を述べたりするだけで良かった。人の話を聞いている方が気が楽だった。

 それまでは宅配で送られてくる食事ばかりだったが,スーパーで買い物をし,自炊するようになった。スーパーに通ううち,どこに何があるかわかるようになり,一筆書きのようにスムーズに買い物ができるようになった。簡単なレシピをダウンロードし,朝昼晩の3食について数種類のメニューを覚え,それをローテーションした。

 夏休みが終わるまでに宿題は完成した。出来映えはあまり良くなく,提出するのをためらうくらいだが,最低ラインはクリアできているはずだ。とりあえず提出してしまった。提出した後で思ったことは,ハードルを下げたことを割り引いて考えたとしても,提出する前に思っていたよりも,実際に提出すのは簡単だということだ。恐ろしいのは現実そのものではなく,イメージの方なのだ。ありえないイメージに怯えて,本来自分を脅かすものではない現実を見ることができなくなってしまう。ワタルが学校にいけなくなったのもそういうことだったのかもしれない。それはさておき,宿題に関しては,何かの偶然が働き,自分のイメージにとらわれて現実をみないというパラドックスからワタルは抜け出すことができた。

 

 ワタルは担任が怖い。学校に行きたくないのはクラスメイトではなく担任が原因だった。担任は教室にあまり顔を出さない。良く言えばあまり生徒に介入せずに主体性,自主性に任せてくれると言えるが,実際は生徒を同じ人間とは見なしていないのだ。その教室は特別なクラスで,「動物舎」と呼ばれる「離れ」にある建物にあり,正式名称を「飼育室」という。そこで長く前任を務めた教員が,動物を使った実験をしていたことから,そのような名前がついた。現在の担任が赴任すると,担任はわざわざ自分のクラスの教室を飼育室に指定した。国立の小学校なので建物や部屋の名前は簡単には変えられない。そのため,今も動物舎,飼育室の名前が残っている。「俺たちは担任のモルモットとして今も動物舎で飼育されている」というのがクラスの間でのジョークだ。実験台にされてきた動物たちの幽霊が出る,という噂もある。

 その小学校には教員一人ずつに研究室が割り当てられていた。担任の研究室は「母屋」の建物の4階にある。「母屋」と「離れ」から構成されているこの小学校は,建て増しが何度かなされたために入り組んでいて,迷路のようになっていた。最初は「離れ」は文字通り「母屋」から離れていたが,建増しの繰り返しで,母屋に取り込まれた。迷路という表現は大げさではなく,実際に新入生や下級生が毎年迷子になった。特に母屋と離れ間の移動は,同じフロアでもいったん上の階に上がって移動してからまた降りる必要がある箇所がいくつかあった。

 

 ワタルが担任の研究室に行くのは年に数回だ。学校に行かなくなってからも,これだけは免除されなかった。建物の中は同じような廊下と部屋ばかりで角を曲がると方向感覚を失う。廊下の脇にはたいていいつもプラスチックケースが積み上げられている。ケースの中には何が入っているんだろう。

 ワタルは足音を立てないように担任の研究室のドアの前に立ち,来客で面談中でないか耳をそばだてる。PCのキーボードを叩く音だけがかすかに聞こえる。自分がここでノックをすることで,担任の作業を中断させてしまうのだ,と思うと,ノックするのが躊躇われる。大丈夫,本当に中断されたくない作業は約束の時間の直前にやったりはしない。深呼吸して躊躇いをどこかにやり,ノックをすると「はいはーい」と明るい声がする。

「ワタルです」と彼は部屋に入った。担任はPCから顔を上げ,キラキラした笑みを浮かべて,「どうぞ」とワタルに椅子を勧めて,ミーティングテーブルに移り,肘をたてて指を組んで身を乗り出した姿勢を取る。

 

 ワタルの担任はフレンドリーな教員として有名だ。決して誰かの悪口を言ったりしない。いつも明るく元気良く振る舞っている。学内の雑務だけでなく,学外の地域の役員やそれにまつわる仕事も断らない。とても忙しくしているのに,仕事はそつなくこなしている。あり得ない量に思える仕事をこなす姿から,担任は実は2人いるという説が出回るほどだ。生徒には自分のことを自分から語ることはあまりない。背中で語るタイプと評する生徒もいるが,ワタルは単純に生徒は担任の眼中にないだけだと思っている。

 教員というと権威とか押しつけがましさとか,そういうイメージがあるかもしれない。担任には全くそういうところがない。一般企業でもばりばり仕事をこなしそうなイメージだ。廊下にゴミが落ちていればそれをひろう。外見にも気を使っている。ネイルや靴もピカピカにしている。人格的にも隙がない。徹底している。ワタルはそれを怪しむ。

 

 ミーティングテーブルで向かい合ったワタルに担任は「私って娘から『お母さんは偽善者だ』って言われたことあるのよね〜」と明け透けに語る。偽善らしく見えてしまうことすらオープンにしてしまうのだ。人生にもゲームの攻略法みたいなものがあって,ごく限られた人たちだけがそれを見つけることができて,あるいは初めから知っていて,担任もその限られた人たちの一人なのではないかと思えてくる。

「それで,どうしたの?」と担任はさらに身を乗り出した。ワタルの話を聞きたそうなポーズを取る。本当にワタルの話を聞きたいのではなく,こういうときはこういうポーズを取るのが最良の一手だと知っているから,その最良の一手を完璧に指しているのではないかと,ワタルは思った。もしかしたら担任は本当はただのとても良い人なだけで,ワタルの考えがねじくれているだけなのかもしれない。いや,そう思う自分の方がねじくれていると相手に感じさせることこそが,担任の「恐ろしい最良の一手」なのだ,とワタルは思った。

 ワタルは担任が恐い。他の生徒は担任が優しいと感じるようだが,ワタルには彼ら(彼女ら)の感性がわからない。なぜ彼らは自分たちがにこやかに失望されているのがわからないのだろうか。

 ある日,担任はワタルの恐れを感じ取ってか「ワタルさんって何を考えてるかわからないのよね〜」(担任は男女関係なく「さん付け」で呼ぶ)と給食の席でワタルに言ったことがある。お互い様だ,とワタルは思った。だからワタルは担任と二人きりになるのが苦手だ。

 

「夏休みの宿題を先生にメールで提出したら,私の部屋に来なさいとのことでしたので,伺いました」

「そうだったわね。リマインダに時間とあなたの名前しかなかったから,何の用事か忘れちゃった。そうね,なんだったかしらね」

 

 担任はこれからあなたをテストすると言った。VKテストを知っている? と言いながら答えを待たずにワタルの指先にクリップをつけた。おそらくそのクリップは無線でPCにつながれている。これでワタルは指先から発汗や脈派などの生理的指標も測定されていることになる。この状態で何か質問されたら,動揺しているかどうかくらいはわかってしまう。

 

「VKテストってフォークト・カンプフ・テストのことですよね。確か,パブロフ研究所で感情移入度や性格特性を測定するために開発された検査で,フォークトが開発し,カンプフが改良を加えた心理検査のはずです」

「良く知ってるわね」

「学校にいけなくなってから,映画ばかり観ていて,気になった作品の原作に出てきました。ちょうど読みかけだったので」

「それがどんな心理検査なのかちょっと説明してみてくれるかしら。資料を見ながらでも構わないから」

「このテストでは,社会的状況を記述した文章がいくつか提示されます。そして,その状況に置かれたときに自分がどのように振る舞うかについて,できるだけ早く言葉で表現することが求められます。つまり反応時間も測定される訳です。例えば質問ナンバー3の項目は,『きみは誕生日の贈り物に子牛革の札入れをもらった』という文になっています。被験者はこの状況に置かれたときに自分だったらどのように振る舞うかをできるだけ早く言葉で答えていきます」

「感想も教えて」

「僕が面白いと思うのは,このナンバー3の質問項目みたいに,ある世界の人間からすると特に感情を動かされない文章なのに,別の世界の人間にとっては感情を動かされる文章が入っているところです。別の質問項目みたいに,腕にスズメバチが這っている,という文だったら誰でも心が動くのに」

「それで,あなたはナンバー3の項目に対して感情が動かされるのかしら? そしてあなただったら何と答えるのかしら?」

「先生はどうですか?」

「質問返しはずるいんじゃない?」

「VKテストは言語的反応よりも生理的反応を重視するテストです。だから,僕がここでどう言葉で回答しようと関係ないはずです」

「もうあなたの生理的指標はモニターしてるわよ」

 ワタルはため息をついた。モニターしているといってもPCは背後の机にあり,このミーティングテーブルにはディスプレイはない。

「さあ答えてみて。反応時間も測っているから。あなたは誕生日の贈り物に子牛革の札入れをもらった」

「嬉しいです。贈り物をくれた人にありがとうって言うと思います」

「つまらない回答ね。ここは話を合わせて『絶滅しかけている貴重な牛の子どもの革を使った札入れとは,なんて残酷なんだろう!』って答えるところじゃない。子牛革に反応しないなんてそれじゃネクサス6型どころか旧式じゃない」

「それがVKテストの本当の作成者の意図だと僕は思っています。つまり,原作時の現代の人間は血の通わない旧式のアンドロイドみたいなものだってことです。この場合,『子牛革』に対して読者は何も反応しないけど,動物が絶滅しかけている作品世界ではとても残虐な表現ということになっている。作者はきっと,読者は作品世界でいうところの,感情が動かないアンドロイドなのだ,ということが言いたかったのだと思います」

 自分は何を言っているんだろう,とワタルは思った。

「先生は僕を人間かアンドロイドか鑑別したいんですか?」

「いいえ,ただあなたのことをテストしたかっただけなの」

「それで何かわかりましたか?」

「何もわからないわよ。こんなんでわかるわけないじゃない。テスト自体が嘘なの。というより検査のためのテストではなく合格かどうかのテストだったの。そして,このテストを最後まで受けることができれば合格,受けられなければ不合格,ただそれだけ。良く合格できたね。まあだいたいの人は合格するんだけど,中には思わせぶりなテストに耐えられなくなって,受験を拒否したり中断したりするのよね。そういう生徒は,不合格にすることになっているの。ごめんね。私にもテスト実施を拒否する権限がなくて。不快に感じたら本当に気の毒だなって思う。あなたは合格よ。夏休みの宿題,良くできていたわよ。引き続き学校には来なくていいから,課題は提出してね。あと年に数回は私と面会ね」

 

 研究室のある母屋を出て建物を振り返った。増改築を繰り返して離れを取り込んだ母屋。生き物みたいで好きになれない。ワタルは正門に向かった。緑あふれる美しいキャンパス。芝生に座ったり横になったりしてくつろいでいる生徒たち。演劇部の発声練習や軽音サークルの楽器の音,誰かのかけ声,そういう音がキャンパスの空気を作り出している。ワタルはキャンパスの一員という気がしない。それはワタルが学校に通わなくなったからだ。周囲の情景が遠くに感じられる。でも,そんな中,一人で歩くのは気が楽で,そんなに悪くない。キャンパスはジョギングコースがあるくらい広い。歩いているとおなかがすいてきた。

 担任のテストでワタルは消耗していた。何か甘いものが食べたい。タルトがいい。実際にどうなっているかは知らないが,手間がかけられているように見える甘い食べ物が食べたかった。デパ地下に行こう。学校を出ると急に現実の世界に戻った気がする。学校は異質な空間だ。そこに居続けると現実感覚を失う。

 

 デパートに入ると涼しく透明感のある香りがする。1階はたいてい化粧品売り場だ。ワタルはこのデパートの1階の匂いが好きだ。自分自身が何か高級なものになった気がする。デパートの1階みたいな香りがする香水があればいいのに,と思う。

 地下に降り,洋菓子コーナーを見渡す。洋梨のタルトをホールで買った。そのままエレベータで上層階の飲食フロアに行き,吹き抜けの近くの休憩用のテーブルにつき,ホールのタルトを手づかみで頬張った。テストで消耗しきっていた。周囲を気にする余裕はなかった。美味しい。味の世界に没頭する。目を閉じてさらに味の世界に集中する。酸味と甘みのある洋梨が風を作る。パイ生地とクリームが確かな足場とそこで踊るための音楽を提供する。ワタルはそのイメージを堪能する。

 

「ワタル」という声が聞こえてイメージが消失する。味の世界が唐突に終わる。反射的に身構える。目を開けると女の子がテーブルの向かい側に座っていた。髪は黒くストレートで,薄く自然な化粧をしている。大きな濃いめのサングラスをかけて,フリルのついたシャツとスカートを着ている。

「ワタルだよね」と彼女は言った。「私はクラスメートのヒナ。学籍番号8793番のH」と言って,彼女はサングラスを外してテーブルの上に置いた。

 ヒナは両手を膝と膝の間に挟むような姿勢でワタルを見た。ワタルはムンクの「思春期」の絵を連想した。芯はあるが不安定な内面。その不安定さが見ているこちらに伝わり,不安定さが同期する。優しく包み込みたくなると同時に,少しだけ力を加えて強度を試したくなる。

 ワタルは目を閉じるのを諦めたが,タルトに集中し,最後まで食べ続けた。食べ終わって手と口を拭いても,ヒナはまだそこにいた。テーブルの上のサングラスは消えていた。

 しばらくしてもヒナはまだそこにいるので,ワタルは仕方なくこう言った。

「ここでヒナとお話することはできないんだよ。他の生徒と学校以外の場所で会うことは校則で禁止されているからね。偶然,見かけたり,すれ違うのは仕方がないとしても,これ以上はルール違反になってしまう。誰かに見られて告げ口でもされたら罰則を受けかねない。せっかく登校の免除をもらったばかりなのに」

「そんなこと知ってるよ」とヒナはワタルの腕を取って手をつなぐ。お互いの手の暖かみや湿り気が伝わり合う。触覚センサー同士がふれ合う。

「こういうのがまずいんでしょ?」

「その通りだよ」

 ワタルは手をほどいて席を立って歩き始めた。ヒナは構わずついてくる。

「ワタル,ルールって何のためにあるんだと思う? 昔の人たちはたいてい掟破りなのに,その子孫がちまちまと窮屈なルールを作って行く。ワタルは掟破りな祖先と窮屈な子孫だったらどっちがいいの?」

「自由になれるんだったら祖先になってみたい気はするけど,実際は窮屈な子孫に過ぎないかな。というか子孫にすらなれてるかどうかわからない末端というのが正確な表現かな」

「なんか思ってたのと違うな。ワタル,ゲームをしよう。勝負の結果がどうなってもゲームにつきあってくれたらもう付きまとわない」とヒナは言った。

「わかった」とワタルは言った。

 二人は再びテーブルについた。

 

「それで何をするの?」とワタルは尋ねた。

「夏休みの宿題はやった?」

「やったよ」

「あれさ,コンピュータ上でデジタルな動物を作る宿題だったじゃない? あのアプリ,対戦機能もあるんだよ。私と対戦しよう」

「いいよ。勝ち負け関係なしだったよね。一回勝負ね」

 ワタルとヒナは端末をつきあわせて,アプリ「計数動物園」を立ち上げて,通信した。

「対戦ステージはどこにする?空想のステージでもいいし,バーチャルな地球のどこかを座標指定してもいいし」とヒナが尋ねた。

「じゃあ学校にしよう。僕らが通っているあの学校のキャンパス。といっても僕は登校してないけど」 

「もちろんいいよ」

 二人はステージを学校に指定し,それぞれが作った動物をそこに放った。

 ワタルが作った動物は人間だった。

 ヒナが作った動物は火の鳥だった。

「なんで人間にしたの?弱そう」とヒナは言った。

「対戦機能を使うつもりはなかったし,宿題で100点を取る必要ないし」

「ふうん。ワタルは学校に来てないから知らないかもしれないけど,宿題の提出率って15%くらいなんだよ。だから確かに宿題を提出するだけ偉いかも」

「それで宿題や課題を提出するだけで僕は登校が免除されているのか」

 

「さて,それじゃあ対戦しますか。その前にちょっとステージを整理するね」と言ってヒナは母屋と離れのある校舎を火の鳥で焼き払い始めた。ヒナの火の鳥はスクールバスくらいの大きさで,クチバシから体長の3倍くらいの炎をビームのように吐き出している。炎が当たった場所から校舎はグニャリと曲がって崩壊を始めた。ワタルが作った人間は現実世界の人間と同じサイズだった。巻き添えを食わないように火の鳥の後ろ側に回って,校舎が焼き崩れていくのを見ていた。火の鳥は翼をひろげて人間を守ってくれていた。翼には熱を通さない効果があるのか,ワタルの人間はダメージを受けなかった。

「この羽を持ってて。熱のダメージをキャンセルする効果があるから」と言って火の鳥は飛び上がり,念入りに校舎を焼き払った。瓦礫も残さず徹底的に校舎を焼き払った。レーザーのように焦点を調節して炎を吐き,周囲の樹木にはほとんど影響を与えなかった。火の鳥の飛翔を人間はただ見上げていた。

「これで,よし,と。ワタル,本当に私と戦う?」

「勝ち負け関係なしでしょ。戦うよ」

「やっぱり勝ち負け関係ありにする。私に勝たないとダメ。先生に告げ口して登校免除を取り消してもらう。無理やり体を触られたって言う。上の人たちがどっちを信じるか」

「戦うよ」

「本当に?」

「うん」

「まいったな,これじゃあ私が勝っちゃうな。それじゃあ私も困るし。あなたが私に勝つポイントは一つだけ。弱点をつくこと。動物を作るのに弱点を設定する項目があったよね。弱点は知られた時点で負けになるから直接は言えないけど,ヒントはルール破り」

 結論から言うと,ワタルはヒナに勝った。人間が火の鳥に自ら近づき,手を触れた時,火の鳥は消滅した。相手に触られるというのが火の鳥の弱点だった。

「人間の弱点は何だったの?」

「それは言えない。弱点は知られた時点で負けになる。ヒナは先生に言われてここに来たんでしょ。きっと夏休みが明けて2学期になっても,この宿題は続く気がする」

「ま,その通りだよ。夏休み明けに『計数動物園』を使ったバトルロイヤルゲームが始まる。私はチュートリアル役というわけ。でもあのクラスで宿題出したの今回も15%くらいだし,チュートリアルで勝ったのはもっと少ないんじゃないかな。まだ育成する時間もあるし頑張ってね。先生は『ワタルは消耗してるだろうから楽勝よ』って言ってたんだけどな。ヒント出さなければ楽勝だったんだろうけど,なぜかあなたを勝たせたくなったんだよな。実は,私,宿題,出せなかったんだ。その代わりにこのような役をおおせつかったの」

 

 帰り際,ヒナはワタルの手に触れて言った。

「タルトのホールを手づかみで食べるってどんな気持ちがするものなの?」

「実際にやってみればわかるよ」

 ヒナは笑った。ワタルも笑った。

「一人でやる勇気ないから,今度つきあってね,ワタル」

「いいよ」

 二人は離れた。

 

 ワタルが自室に帰り,メールを確認すると担任からメールがあった。

「2件あります。1件目は,夏休みの宿題のことです。あの後,さっそく手続きをしておきました。審査は合格で,あなたは登校しなくていい。基本的には私がOKを出せば,それが覆ることはないけど,改めてご報告です。2件目は,2学期のことです。2学期の課題は夏休みの宿題の延長でも構いません。ヒナから聞いていると思うけど,よかったらそのことについて検討してみて下さい」

 ヒナが言った通りだった。

 ワタルは2学期の課題について数日,考える時間をもらった。ヒナと対戦した後,ワタルは学校に行ける気がしてきていた。課題を出さずに学校に通う選択肢もあるなと思った。ワタルは近所の土手に行き,斜面を降りて,空を眺めた。地平線の近くの空を火の鳥が飛んでいる。夕方が終わり,夜が訪れる。火の鳥も消える。

 ヒナからメールが入る。

「2学期の計数動物園バトルロイヤル,対戦参加者はワタルを含めて6人の予定だって。6人とも人間を作って育成中だって。ホモ・サピエンスじゃないヒト属を作ってる人もいるから,正確には6種類のヒト属のバトル。ワタルも出るんでしょ。楽しみにしてるね」

 ヒトが6種類もいたら自分のには名前をつけないといけないな。ワタルはポニー乗り場の柵に貼られた名前入りのパネルの方を見て,ゴマにしようと思った。

 ワタルはヒナに「今からタルトを食べに行こう」とだけ返信した。

文字数:11018

課題提出者一覧