蝗の王

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梗 概

蝗の王

 胤井斉時は「その増幅された無意味な動きは資本主義経済における労働者の肉体を役割から解放する抵抗のアティチュード」と国際的に高い評価を受ける舞踏家。

 彼はウィルスの蔓延によって1週間で人類が滅亡するゾンビ映画「死霊の週末」への出演が決まる。撮影は進み、胤井が何万人ものゾンビの群衆に追いかけられる本編の抜粋動画が宣伝をかねてネット上でアップされるが、そのシーンがあまりにリアルなので話題を集め、動画サイトで数千万回再生される。もちろん群衆はアニメーターによって描かれたCGだが、リアルさの秘密は胤井の身体にあった。彼ら彼女らは

 

1、隣り合うものよりも前に出る

2、隣り合うものたちと一定の距離を保つ

3、他のものたちとの平均によって進む方向を決定する

 

という3つの規則によって胤井を中心に動くように設計されている。身体の各部位が同時に複数のリズムを刻むことができる胤井に影響を受けた群衆は個々に微妙に異なる癖を獲得した。

 撮影の数ヶ月後、胤井は完成披露試写会で久しぶりにキャストやスタッフと顔を合わせるために会場に向かうが、そのために朝の通勤ラッシュの電車に乗ってしまう。彼が乗った一番後ろの車両にすし詰め状態だ。

 しかし、数十分経っても、電車は一度も止まらず走り続け、一度も駅に止まらないので、周囲はざわつき始める。ある者は文句を言い始め、子どもたちはトイレに行きたいと言い、赤ん坊は泣き叫び、サラリーマンは会社に遅刻の連絡を入れるために電話をかける。車内のどこかで喧嘩のような声がして、硬いもの同士がぶつかる鈍い音がなる。何が起きたのかを確かめるために胤井は人混みをかき分け、前方に移動するが喧嘩の主は見つからない。

 やがて数時間が経過するが、列車は一向に止まらず、ある者は失禁したり脱糞したりしはじめる。それに腹を立てた別のものが暴力を振るうようになる。胤井は状況を確認しようと前の車両に進んでいく。彼はそこで病気で苦しむ者、酔っ払って吐いている者、若者から席を奪おうとする老人、赤ん坊から席を奪う若者、化粧をする若い女、食べ物を散らかす者、痴漢、強姦魔、スリ、強盗、通り魔、露出狂、大きな声で独り言を言う者、様々な者に出会う。そして、ある車両で最初に衰弱して亡くなった乗客に出会う。やがて、乗客たちは食べ物を分け合い、火を炊いて暖をとり、寄り集まって眠り、共食いによって秩序を取り戻し、日々をしのぐようになる。

 一番前の車両に着く頃には数ヶ月が経過しており、電車の中には墓が立てられたり、派閥ができたり、結婚したものや子どもができたものもいる。一方で車内のいたるところに遺体と排泄物が溜まり、虫が飛び周り、衛生環境は最悪の状態を迎える。そしてとても久しぶりに列車は止まる。目的地に到着したからではなく、巨大な地震が起きたからだ。

 開いた列車のドアから降りた胤井と生き残った乗客は、久しぶりに出るそとで大量の倒壊した家屋と、巨大な活断層を目の当たりにする。彼と生きている乗客と亡くなった乗客のバラバラの身体は瓦礫の上を「群衆の三つの規則」を守りながら移動し、やがて胤井を中心にそれぞれに微妙にバラバラな癖の動きで踊り始める。それは遠くからは一つの大きな生き物に見える。誰かが彼らをイナゴ人間と名付ける。

文字数:1350

内容に関するアピール

アメリカではラボから逃げ出したイナゴが田畑を食い荒らす可能性があるため、イナゴの研究は禁止されており、その生態について不明な部分が多くあります。パニック映画のヴァーチャルな群衆をイナゴの生態に重ねることはできないかと着想して書き始めました。

参考資料:

https://wired.jp/2013/12/28/as-one-vol8/

文字数:165

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「蝗の王」

1.

 

 「きっと、あなたにも見えています。見えているものの中にだけ世界は存在します。」

 

 胤井さんは私たちの前にやってくる。胤井さんは身長165センチ、体重65キロ。年齢は60歳になるかならないか。真っ白なおかっぱ頭で、こめかみから顎、口周りにかけて白いヒゲがもさもさと生えていて、眉毛が真っ白。もっさりとした白い茂みのような顔の真ん中に大きな鼻、真っ黒で大きくて少年のようで少女のような瞳がうるうると黒真珠のよう二つ輝く。いつも着ている全身を包む分厚いコートが今日は暗い水色をしている。右手でマイクを掴み、左手でそのケーブルを処理しながら奥のほうからやってくる。茶色い樹でできているようにも見える少し硬い革靴は彼が歩くたびにキュッ、キュッとリノリウムの床に擦れて音を立てる。舞台の幅は10メートルくらい、奥行きは真っ暗に霞んでそのうち向こうが見えなくなるけれど、少なくとも7メートルはありそう。キュウリをかじるみたいに、口の中に入りそうなほどマイクを顔に押し当てて、「それじゃあ、やります」と少し恥ずかしそうな声で開始を告げる。

 舞台の奥にチカチカと照明が点滅し、四角い大きな窓が4つ現れる。ぷしゅーと音がしてその一つずつが開くと、その窓は私たちもよく知っている電車の扉だとわかる。ドアが開くと胤井さんも口を開く。

「むむむ息子。息子を探していました。」

 そこは、駅のプラットフォーム。胤井さんはきょろきょろあたりを見回し、いかにも間に合っていないという感じでどたどたとヴァーチャル映像のヴァーチャルな列車に乗り込む。手と足はちぐはぐに動く。脳が右手を上げろと言えば左足が上がり、左足を上げろといえば頭が下がるといったふうに不恰好な動きをサイレント映画のヒーローみたいに演じる。しかし完全に設計されたその動き、さらにそれを自己破壊しようと上乗せされる動きをプロのダンサーの客たちはうまいなあ、と嘆息する。

「今日は、映画の試写会に行く予定でした。僕はその映画に出ていました。本当に短いシーンだけ。追いかけられる役です。息子と一緒に行く予定でした。列車の中はすごい人混み。僕が急いで階段を降りてホームに着くとちょうど、列車もホームに到着している。車体が向こうに向かって走っていくのを、停車位置に並んだいくつもの列の人が待っている、まま待っている、待っている、どこまで追いかけても人が途切れてくれない。列車の扉が開いて、人が降りてくるののと乗り込むののが押し合いへへへし合いになって、ホームの上を覆う人だかりが、きっと上からららみ見たら列車に向かう人と、列車から離れる人が縞模様になってべべべろんと互い違いにじ地面のひょひょ表面が剥がれるみたいにして動く、僕も仕方がないので、ごごごめんなさいをしてぶつかり、ながら、列車に乗り込む。全部で乗っているのが250人くらいの10両編成で2500人よりちょっと少ないくらいかな。それをの乗せて走る走る列車の中では当然、座席にも座れないので、座れないと思った時に息子がいないのに気がつく。

息子を探しています。

息子の特徴ですか。

覚えていません。

息子がどんな服を着ていたか。

息子がどんな顔をしていたか。

息子がどんな色をしていたか。

息子がどんな大きさをしていたか。

覚えていません。

ただ、息子の特徴ですか。

それは、彼は、数を数えます。

この車両に乗っている人はだいたい250人くらい。身長を全部集めると320と数メートルになります。体重を全部足すと、1万3000キロ近くになります。体脂肪率の平均が大体20パーセントぐらいだとすると3000キロくらいの脂肪が取れることになります。息子は数を数えます。そこからいくつ石鹸が作れるだろうかと数えます。」

 胤井さんが列車の扉を通ると舞台の上は列車の中になり、彼の周囲に棒人間たちが描き込まれる。棒人間たちは次々と肉付けを施され、アニメーションになり、紙粘土の人形のようになり、その上に皮膚や、シルクやコットンやエナメルがガラスでできたそれぞれのアウトウェアのテクスチャが貼り付けられていく。オペレーション席で、アニメーターが事前に用意しておいた素材を組み立てているみたいだ。「満員電車」の立体映像が出来上がっていく。彼の言っていることが正しいのならその数はちょうど200人ぐらいだろう。

「ある人は太っています。」

 というと胤井さんの体の重心が変化するのがわかる。腰の位置が変わるし、足にかかる体重の量も変わる彼はそうして自分の体に他人の体を降ろす。すると乗客の一部が本当に太り始める。

「ある人はやせています。」

 というと、それと反対のことが起きて、その場に痩せた人たちが現れる。

「重心は右側にありますか」と聞かれれば、群衆の一部の重心は右側に傾き、「左側にありますか」と聞かれれば、別の群衆の重心は左側に傾く。それから、

「ケータイ電話を開いていますか。スマートフォンですか。ガラケーというやつですか。首から下げていますか。カバンに入っていますか。ポケットに入れていますか。持っていませんか。首のうしろを緊張して掻いている人がいますか。腰に手を当てて胸を張っている人がいますか。腕を組んでいますか。座っている人は貧乏ゆすりをします。さっき乗り込んできた首から色違いの水筒を下げたお姉ちゃんと弟の小学生ぐらいの姉弟は歩くのが速いです。ゴムでできたシューズがキュッ、キュッと鳴り、大人の足の間を抜けて前の車両に向かうのを水筒の紐を掴んで母親らしき人が引っ張って止めます、止めている。お母さんは肩から本物かどうかわからないヴィトンのハンドバッグをかけている。そうでない人はショルダーバッグをさげている。隣の20代くらいの背の高い男はリュックを前に背負っている。シャツの腕をまくっている、サラリーマンは金属製のブリーフケースを股に挟んでいる。車椅子に乗っている人がいる。杖をついている人がいる。妊娠している人がいる。単語帳で単語を覚えている高校生が妊娠している人に席を譲る。ベビーカーを引いている。赤ちゃんが乗っている。赤ちゃんはふてぶてしい顔をしている。週刊少年ジャンプを読んでいる。ポケットに入るサイズに折りたたんでいる新聞紙を読んでいる。次の駅で乗り遅れる、そうになる、人がいるのを二人組の女子高生が呼んでいる、乗り込んで列車が発車する、息がぜいぜいと切れているけれど、落ち着いたあとになっている、と彼女たちは退屈している、ので退屈しのぎに中吊り広告を読んでいる。『アルコールフリーでいこう』『今夜はハイボール』『その借金、借りすぎていませんか』、週刊誌の見出しに最近亡くなった芸能人と後続と女性アナウンサーと政治家と最近逮捕された芸能人の名前が踊る。脱毛と発毛と英会話と転職と海外旅行と恋と睡眠とダイエットとマイナスイオンドライヤーを呼びかける広告を読み上げるけれど、それが全く聞こえない人には聞こえない。聞こえない人たちはイヤホンを耳に当てて音楽を聞いている。パズルのゲームをしている。リズムゲームをしている。」

 ものの十数分で誰でも見たことのある、乗ったことのある満員電車が出来上がる。胤井さんの体が彼らにいちいち生命を与え、彼の体からトレースされた一人一人の群衆は一人一人の動きの癖と重心と生命のリズムを獲得していく。

「僕は今でも息子を探している。私には癖が多く、彼らにも癖は多い。癖のなくなるところに息子はいる。息子の癖は3つしかない。一点をじっと見つめる。手を何度も叩く。呪文のように同じ言葉を唱える。『きっと、あなたにも見えています。見えているものの中にだけ世界は存在します。』。その呪文が聞こえれば息子のいる場所がすぐにわかる。息子のいる場所ではリズムが止まる。」

 彼の声と、群衆の運動、リズムは急に止まる。

「爆発が起きる。」

 列車の進行方向である下手の方で巨大な爆発音。列車の動きが停車する。

 

 今、思えば、爆発の音があったときにすでにあなたは会場の中に私を見つけていた。ざわざわと群衆たちが騒ぎ始める。爆発のしたほうに不安そうに顔を向けて、その原因を小声で予測しあっている。あなたはざわめきの向こうから私のほうを見ている。すでにこちらに向かっている。私はそれに気がつかなかった。列車のアナウンスが入る。ただいま先頭車両でトラブルが発生したため列車、一時停止しております。原因を究明し次第、発車いたします、お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけします、と告げる。

「列車の中で一人の赤ん坊が泣き始める。スーツやブラウスやワイシャツを着た人たちは一斉に電話をかけて、電車が止まったとか、遅刻しますとかいったことを話し始める。止まった電車の中で何人かの人の重心がさっきとは別のものになり、ある鼓動はさっきよりも遅くなり、ある鼓動はさっきよりも速くなる。」

 胤井さんの周囲に再現された群衆たちはそれぞれ本当にばらばらの心拍数を持っているように見える。それはあまりにありふれた、むしろ馴染み深い光景だし、今私がいるこの会場の客席だって同じことが言えると思っていたけれど、そんなにとても複雑なものをゼロから組み立てられることが本当にできるのだろうかとも同時に思う。だって、今舞台の上に本物の人間は胤井さんしかいない。圧倒されていた。すでにもう演目に飲み込まれていた。

 だから、あなたが今はもうすぐそこに来ていたことに気がつかなかった。

 あなたは私の背中をぽんと叩いたかと思うと、びくっと体を震わせた私を安心させるために今度は優しい笑顔を作り、ごくごく短い言葉で食事に誘った。食事と言っても会場の入り口にたくさん建てられた多くの店のうちのどれかに入ろうというのだった。あなたはいつも言葉をほとんど使わない。あなたは先に刊行されたこの演目の戯曲を隅から隅まで読んでいるから、この後、なにが起きるのかちゃんとわかっている。あなたは、吐き気を催すような事態になる前にさっさと食事を済ませてしまおうと提案した。

 

***

 

 今となってはやる側ではなく、ただの観客になってしまった私にとってもコンテンポラリー・ダンサー胤井斉時という人は大変大きな存在だったので、今年の「EASTERN EXPERIMENT」に彼が自分の「季節」の被災体験を元にした三日三晩ぶっ続けの演目を上演するというのはこれ以上ない大ニュースだった。演目は「蝗の王」という題名だった。

 胤井斉時は、私にとって、私たちにとって学生の頃から、いや、もっと昔の彼がまだ30代の後半ぐらいだった頃から世界的に有名なダンサーだったけれど、それはあくまで私たちにとってだけで、職場の同期の同僚みたいな人にだって胤井さんの話をしてわかってもらえるようになったのはやっとここ3年ぐらいのことだった。

 職場の人たちとか、おじさんの上司は胤井さんのことを「あのゾンビの人」と呼ぶ。数年前に製作された「死霊の週末」という感染症のせいで一週間で人類が滅びるというハリウッドのゾンビ映画で、唯一日本人キャストとして出演した。胤井さんはほんの2分ぐらいの出演シーンで、何千人ものゾンビに追いかけられるというだけの役なのだが、その部分を使った予告動画が動画サイトに出回ると、彼の逃げる動きと、追いかけるゾンビたちの動きがあまりにも生々しいということで話題になった。

 そのゾンビたちは全部、本物の人間を集めて演じたのではないかという噂もできたが、どこの映画にもそんな予算はないし、やはりそれはアニメーターが描いた映像効果に過ぎなかった。それはこのような規則に従うように設計されていた。

 

1、隣り合うものよりも前に出る

2、隣り合うものたちと一定の距離を保つ

3、他のものたちとの平均によって進む方向を決定する

 

 ただ、彼らの中央を走る胤井さんが、身体の各部位のリズムをばらばらにして動かすことができるという特異な体質を持っているおかげで彼らは別々の動きのリズムや癖を獲得するようになった。今見れば、動画の再生回数は700万回くらいになっている。胤井さんはその動画が話題になったせいで、朝のワイドショーで取り上げられたり、それをパロディ化したコンセプトのテレビCMに東京都知事と出演したり、深夜のトーク番組とか、ラジオとか、衛星放送の特番に出演して、ダンスに興味のない人達にも知られる「あのゾンビの人」になった。

 しかし、映画は公開されなかった。「死霊の週末」はアメリカとオーストラリア、中国に3ヶ月遅れで日本公開されるはずだったが、主演俳優と監督の来日に合わせた試写のイベントが行われるその日に「季節」と呼ばれる自然災害が始まった。今となってはその災害「季節」は、東日本大震災と並び称される一つのこの国の節目になった。

 試写会場に向かうために乗った列車に1ヶ月半、閉じ込められていた胤井さんは、なんとか生還した後、そこで体験した出来事をもとをなにかの記録に残そうとした。

 岐阜県の山奥のキャンプ場を借りて毎年開かれるライブパフォーマンスの芸術祭「EASTERN EXPERIMENT」でそれを上演しようと持ちかけたのは、メディアアーティストの長澤湊さんだった。芸術祭のキュレーターからオファーがあった時、「ゾンビ映画」で話題を呼んだ胤井さんとコラボレーションがしたいと長澤さんが提案し、「蝗の王」の企画が始まった。

 上演に先立って二人が協力して書き下ろしたテキストは1冊400ページ、2段組、全4巻からなる超大作。私はまだ1巻の半分も読めていないけれど、あなたは出版から今日までの2年間にもう隅から隅まで読み込んでいた。

 キャンプ場の入口に並んだ即席のフードコートで私たちは、買ったばかりのタイカレーを食べながら、座る場所もないので、キャンプ場の中を歩いてどこかにいるはずの長澤さんに会って話を聞こうということになり、今頃先頭車両の爆発でゆっくりとパニックが広がっていくシーンを上演中の中央野外劇場の横を通り、奥のキャンプファイヤー広場へと続く小道に入っていく。小道の脇に丸太でできた1メートルぐらいの塀で囲まれた小さな広場があり、ちょっと木の部分はささくれて、金属の部分は錆止めが剥がれて、怪我しそうなくらいに古びた遊具、回転木馬やジャングルジムやシーソーや雲梯、あとはよく見るけれど、ちゃんと名前の言えない馬の乗り物とか、上からロープが垂れ下がって登るためのものがあって、古びている割に子どもがたくさん遊んでいてそれなりに賑わっている。

 歩いている間もあなたはほとんど喋らないし、私はあなたが喋らないことに慣れてしまっている。奥の半野外の劇場ではジョージアから来た劇団が女性だけのキャストでショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス婦人」を翻案したものを上演している。比較的体格のいい白人の女性たちが横並びになって、一人ずつマイクを持って何かのプロテストをしている。もしかしたらそれはラップなのかもしれない。私には聞き取れない。英語でもスペイン語でもフランス語でもない言語が話され、日本語の字幕が彼女たちの頭上にある大きなブラックボックスに投影されている。

 立ち見の観客の一番後ろに長い黒髪を全て後ろになでつけた、眉毛の薄い中年男性がいる。長澤さんだ。あなたが長澤さんに声をかけると、長澤さんは恥ずかしそうに笑い、左手に持ったハートランドを飲みながら、隣にいる誰かに「蝗の王」を作るまでの苦労話をしている。

 私は人に酔って先に演目が終わる前に先に会場を抜け出し、迷った挙句、その会場の隅にあった売店でキャンプ用の椅子をおそらく定価の1・5倍くらいの値段で購入する。「マクベス」がいつのまにか終演して、日が暮れている。森の奥にある地平線のすぐ上のところだけに赤紫色の細い線を残して残りの空はほとんど真っ暗になっている。森の小道の隅々に設置された流線型で半透明の容器に隠れて設置されたLEDの電球たちが光り始める。私はあなたと別れて、胤井さんたちの舞台にまた戻る。別れる直前、あなたは疲れてきたのか、時折立ち止まって、小さく繰り返し手を叩いている。

 

***

 

  あなたは、インドネシアから来たVRの影絵を見ると言って、それがやっている会場に通じるゴンドラ乗り場に向かっていった。
メインステージに戻ると暗くなったせいで客席というか芝生の上で、座り込んだり、ビニールシートを敷いて寝転んだりしている人はだんだんまばらになってきていたが、それをかき分け、前のほうに行くと、私たちがいない間に胤井さんたちが乗っていた列車はもう動き出していた。本当は動いたすぐ後に「伝令係」がやってくる。戯曲だとそうなっている。あなたがさっき教えてくれた。「伝令係」は前の車両で起きたことをみんなに吹聴するためにやってくるのだけど、一方的に喋るだけで質問しても答えてくれないし、そういうところは列車の中でよく見かける独り言を言う人たちによく似ているので、爆発がなかったら誰も彼のことを相手にしなかったかもしれない。
 昔、ヨーロッパの地下鉄でテロがあったでしょ、と言われてもありすぎたのでどれのことかわからない。そこで使われたTATP爆弾というのがあって、2ちゃんねるに製造法が書いてあって、材料はトイレ用洗剤と漂白剤とアセトンといって、全部薬局で簡単に手に入る。近所のドラッグストアに行ったら、アセトンだけ見つからなくて、ありますかって白衣を着た薬剤師らしいおじいさんに聞いたら、レジの足元にある真っ赤なラベルが貼られた透明な液体の入った瓶に「揮発性」と書かれたものを取り出したので、こんなの売って本当にいいんですか、って聞き返したら、いいよ、これ灯油だからって言って、買ったら全部で千円ちょっとしかしなかった。調合自体はそこそこ難しいけれど、そういうことなので原理的には、今国でも爆弾を簡単につくることができて、今こうしてヤケを起こした誰かが爆発させたら、けが人も亡くなった人もいるという話だったけれど、事実確認をするために電車はちょっと止まって、すぐ近くの駅で彼ら彼女らをおろして、救急隊員と、消防隊と、警察官に乗り込んでもらうはずだった。
 その頃、本当は東京湾沖を北東の方角に逸れていくはずだった強い熱帯性低気圧、台風28号が東京都を直撃し、接近に伴って都内は強い雨と風に飲まれ、到着する前に救急車はスリップして横転する。発車前の列車に取り残された人達はどどどどどと、どもりがちのマシンガンのように打ち付ける窓の雨音に不安を募らせる。横殴りに降る雨の中を、アパートの屋根のパネルが剥がれて風が強すぎるせいで紙みたいになった、さっきまで家屋の一部だったものふわふわと風に吹き飛ばされ、別のもう少し小さいコンクリート製のアパートに当たり、火花を散らして火事が起きる。
「あわわわわわ。」
と、その光景を目にして思わず開いた主婦の口を真似して胤井さんは、隠しきれないショックを観客に示してしまう。ざわめく車内で何人かの乗客は携帯電話で動画を撮影する。
 列車は次の駅で止まる。環状線なので、バターになるまでは走り続けることができる。
「列車が止まると、一斉に人が降りて先頭車両を目指しました。ぼぼ僕は鈍いので出遅れてもたもた人ごみについていくと、たくさんの人の頭の向こうに真っ黒に焦げた車両の頭が見えました。
前の車両のほうに押し寄せる波と反対向きに流れる波があり、その中では怪我をして血を流した人で、腕や足に上着をまいたりしたのが担がれて流れていきました。彼らを追いかけて、人ごみのながれなりに地上にのぼり、改札から外に出ようとしたが、改札にはシャッターのようなものがおりて出口を塞がれていました。」
 一度、力づくで物事にあたってよいことになると、一番人数の多いスーツやワイシャツ姿のサラリーマンたちが活躍する。手当たり次第のものを使ってシャッターを壊そうとしたが、結局うまくいかない。大体、駅に落ちている一番硬いものと言っても彼らの靴ぐらいだった。階段からプラットフォームにかけては家族や職場と連絡を取ろうとする人が溢れて、電波がなかなかつながらなかったり、電池が惜しくなったりして、そのうちの多くはしばらく試して諦めた。止まりっぱなしの列車の中に戻った者もいた。胤井さんも、改札が塞がれているせいで、少なくともこの駅から降りられないことがわかると、列車に戻って、発車を待った。しばらくして、なんのアナウンスもなく扉が閉まり、ふたたび列車は発車した。空が曇っていたので正確な時間はわからないが、お昼すぎくらいだった。
 それから列車は丸三日間走った。誰もそんなことは予期していなかった。最初の数十分間、乗客はいつ次の駅に停まるのかと、家に帰ることを心待ちにしていたが、3時間くらい走り続けると、多くの客はこのままずっと列車が止まらなかったらどうしようかと気をもむようになった。胤井さんと同じ車両には70人くらいが乗っていた。
 先頭車両の運転席は爆弾で完全に壊れてしまっている。胤井さんと何人かの、多分みんな20代の後半から30代前半くらいまでの計8人くらいの男が一番後ろの車両にいるはずの車掌に会いに行こうと言って、隣の車両に移ろうとした。一つ後ろの車両との連結部分の扉を開くと、酷い異臭がした。そこには誰かが用を足した跡があった。男たちがそれをまたいで隣の車両に移ると、その車両の男たちが胤井さんたちを止めた。もめ始めると、胤井さんには、すぐにどちらが味方かわからなくなった。後ろの車両まで通るのがダメなら、車掌が生きているか彼らに確認してくれるように頼んでもみたが、応じてくれなかった。
 帰りには列車の連結部分は行き以上に異臭を放っていた。元の車両に戻ってから窓を壊して外に便を捨てることができるように穴を開けようという話になった。誰かが、トイレが備えてある列車だってあるという話をした。少なくともここにはないのだ。ないものの話をしても仕方がなかった。男たちの中にテレビ局で番組の美術を作っている者がいて、彼の持っている金槌で何度か叩いて窓を壊した。各々、ビニール袋か何かに催した便を包んで、その窓から放り投げた。使っていないときはゴミ袋を裂いて広げたものをガムテープで貼り付けて、塞いでいた。
 9月の終わりくらいだった。その日はまだ昼間は30度近くになってもおかしくなかったが、その日は日が沈むとひどく冷え込んだ。不思議なことに冷房だけは列車の中で効き続けた。効きすぎるくらいだった。そのせいで、夜になると病院に行くつもりで列車に乗ったと言っていた老夫婦の男のほうが体調を崩してうずくまって動かなくなった。女のほうに年齢を聞くと70代の後半で、男は痩せていたが血圧が150を越えることがあるということだった。次の次の日の早朝、男は亡くなっていた。胤井さんたちの食料も尽きかけていた。男の大学生のうちの一人が、死んだじいさんを食べられるんじゃないかと口にした。その3時間後に久しぶりに列車は次の駅で停止した。

 

***


最初の死人が出たのは21:30ごろで、上演が始まって11時間経過し、それはまだ3ヶ月のうちの最初の4日間しか描いていなかった。
 列車が駅に着いたところで私は会場を後にして歩き始めた。もぎり用のゲートを抜け、真っ暗な車道の脇を持ってきた懐中電灯の明かりを頼りに歩みを進めた。前後数メートルおきには他の来場客もいるようだったのでそれほど危険ではないし、懐中電灯さえなくても良かったかもしれない。
予約した民宿はコンクリートの3階建で、受付のところには3人くらい子どもがいて、ピコピコと何かの新しいゲームをやっていた。エプロンを着けた、一番年長らしい女の子に自分の名前を告げると2階の予約した部屋の鍵が渡され、タオルは大浴場にありますと言われた。
 部屋は6畳ほどの畳部屋で真ん中に机。座布団はなく、押入れに二人分の敷布団があった。荷物を降ろした後に着替えとタオルと携帯用のお風呂セットを持って降りて行く。
 大浴場の女湯のロッカーには私ともう一人子どもを連れた女の人がいて、目と口と鼻の穴が大きくて、肌が白くてもちもちのまだ20代後半かもしれないくらいの女だった。服を脱いだらお尻が一番大きかった。子どもは男の子で「あみちゃんは? あみちゃんは?」と何度も黄色い声を上げる。それは妹かなにかの名前だろうか。私は他意なくちらっとそちらを見ると、男の子と目があった。お母さん譲りのくりくりした目ともちもちした肌のかわいい子だった。4歳ぐらいだろうか。
 そのお母さんのほうがでっぷりしたお尻を湯舟に浸からせる様はなかなか荘厳で、女の私でもというか、むしろセクシャルであること以上に根源的な生命の躍動が彼女の脂肪の一房一房から震えて伝わってくるような気がした。だから、彼はきっと幸福な子どもだった。私と同い年ぐらいの女の二人連れが後から入ってくるまで私は彼女の身体に見惚れたい欲望に駆られながら、そちらのほうをちらちら覗いていた。
 湯から上がって部屋に帰るまでに携帯を開いてTwitterで、夜中の公演の様子を確認した。

 

***

 

 胤井さんたちはやっとたどり着いた駅で降りて、そこが比較的大きめの施設だったので、改札内にある飲食店をカフェも、居酒屋も、そばもパスタも、ピザも回転寿司も、土産物屋もキオスクも片っ端から食糧を漁った。
 それは他の車両にいたグループも一緒だった。同じ境遇にある者たちは40代の男性が多く彼らはそれほど積極的な情報共有を望まなかったが、それでも別の車両でも老人が亡くなったこと、赤ん坊が亡くなったこと、喧嘩で30代の男が一人亡くなり、殺した側の男が別の何人かによって私刑にされたこと、死体は放置されたり、胤井さんたちと同じように窓から投げ捨てられたこと、その情報のどれ一つ真偽の確かめようがないことがわかった。タイムライン上に流れてきた写真に亡くなった子どもを抱き上げる母親の写真があり、それを見て大浴場で見た親子を思い出して胸が悪くなったので慌てて画面を閉じた。
 布団に入って寝る頃には、あのTwitterの写真は大浴場で見た親子本人たちだったような気がしてきて、悪い夢を見そうだったが、幸い一日中歩き回って身体がぐったり疲れていたのでその日はぐっすり眠った。

 起きる頃にはその親子の話が自分が見た夢なのか、舞台の話なのか区別がつかなくなっていた。わからないことはわからないままにしておきたいので、あえて確かめることさえしない。朝には胤井さんたちは、また列車に乗っているだろう。

 

2.

 翌日、私は午後2時に目が醒める。
 合計12時間近く寝ていたことになる。せっかく三日間の通しのチケットを買ったのに「蝗の王」のかなりの部分を見逃してしまったことは大変悔やまれた。
あなたは、昨日と同じところで屋台スペースの真ん中のごみ収集ゾーン近くのテーブルの横で立ったままソーキそばを啜っていた。椅子はないんだ。寝過ごしたことについてあんまり落ち込んでいるように見えたらしくて、あなたは私にもソーキそばを奢ってくれた。あなたは、「蝗の王」を見ていたわけではなかったけれど、出版された戯曲は4巻分全て一字一句違わず覚えているということだったので、私が見逃した分を教えてくれようとした。それはたくさんのどもりや言い澱みや、コミュニケーションの糸口を探すための実質の意味を持たないたくさんの言葉でできていた。あなたは繰り返し淀みなく一定の速さで話して、淀みそうになると一度黙り、一点を見つめて手を叩いた。78回の「ねえ」と46回の「あのさ」と29回の「ちょっと」と8回の「やっぱり」と97回の「ああ」を繰り返した。それは一字一句正しく出版された本に書いてあることだった。
 数分聞いて、冷静に考えれば今からでも上演中の作品を見たほうが良いことにやっと気がついた。あなたには要約はできなかった。あなたは本当に戯曲を正しく覚えていたし、丸々それを再現することもできたけれど、決して要約はできなかった。私とあなたが試みているのは作品そのものの途中からの輪唱みたいなもので、これをやっていたら、追いつく前に作品は終わってしまう。
 食べ終わると、私はまたステージまで歩いていく。あなたはそれについてきてくれる。ステージに向かってたくさんの人だかりができ、一方でステージから急いで去って行く集団もいる。前の方に行くと何人かの人の話し声が周りから聞こえ、あれは、とか、だろうね、みたいな今、目に見えているものを分析しようとする言葉と同時に行くつかの短い悲鳴みたいなものも聞こえる。
 中心の列車の中のバーチャルな人だかりの真ん中で比較的若い大柄な女性が小さな子どもを掲げている。子どもの頭がぐったりしているせいですぐにその子が亡くなっていることに気がつく。
 母親は子どもを食べていた。それは作られた映像だから可能なことなのかもしれないが、彼女は野菜を優しく齧るみたいにほとんど音を立てずにその子の小さな足をたいらげていた。まずもちもちした指の短い左足に取り掛かり、かじったあとから血が溢れないように休まず太もものあたりまで進むと、おしゃぶりみたいに小さくて未熟なペニスを一口でふくんだ。ナプキン自分のカバンから取り出して亡くなった左脚の付け根の部分をそれで止血すると、今度は右脚に取り掛かった。小さなペニスを食べ終えたあと口を拭うときに初めて女の顔が見えた。彼女は私が昨日、温泉で見かけた尻の大きな女だった。

 私が寝ている間、三日ぶりに胤井さんたちが降りた駅には食べ物が豊富にまだ残っていたが、それでも改札は前の駅と同じように封鎖されていた。それで、列車に乗っていた人たちはその駅に残る者ともう一度列車に乗る者に分かれ、食糧を分け合った。胤井さんたちと一緒に列車に乗った人たちは全部で400人くらいいたが、それも3〜4のグループに分かれていた。胤井さんたちは7両目と8両目に陣取る70人ぐらいの一番人数の少ないグループになった。前のグループは比較的力の強い20〜40代の男が権力を持ち、食べ物を管理し、トップダウン方式で統制を敷き始めているということだった。
それから1週間、列車は一度も止まらなかった。次第に食料がつき始めた頃、例の「伝令係」がやってきた。伝令は前方車両で衰弱して亡くなった赤ん坊を若い母親が自ら食べたというニュースを伝えた。その後、そのグループは彼女を「聖母」と崇める宗教的な秩序を築き始めており、預言者と呼ばれる男がグループの指揮をとった。

 

***


 舞台は、いつ止まるかわからない列車の中で食糧と体力を温存するために列車の床の上をゴロゴロしながら無為に過ごす人々を上演し続けた。彼らは「うう」とか「ああ」とか、たまに「やっぱり」とか「あのさ」みたいなことだけを話す。

 その間に観客の数はかなりまばらになってきていたが、そうしたものをずっと見ていると人間が人間ではない、より原始的な動物に、または動物ですらない植物にゆっくりと変態しようとしているかのように見えた。

 

 子どもを食らう女のシーンは、彼女がそれをするところを見たという伝令係の報告として上演された。その凄惨な光景を見るために人がまた集まり、私も結局そうした群衆の一部に加わったわけだが、人目をひくハイライトでだけ観客の注目を集めるのが胤井さんの演目の本意ではないだろう。彼は本来、意味や目的から解放された運動の増幅こそ慈しむ作家だ。
 骨はどうしたのだろうとかも思うが2時間くらいをかけて彼女はその子の爪と歯以外の全ての部位を食べてしまった。その頃には再び夕方になっていた。
 それから、前方の武闘派の集団が食べ物を分けるように交渉にやってくる。彼らは交渉が決裂し次第、力づくでことに応じるつもりだったので乱闘になる。聖母の食事シーンの後はその大乱闘目当ての客が会場に詰めかける。人ごみの中に私たちは長澤さんを見つけ、声をかける。
 3人で合流して話しているうちに、あなたと長澤さんは、別の演目を見に行きたいと言う。ゴンドラに乗って湖の見える野外ステージでアメリカのダンスカンパニーが上演する、石油の代わりに遺伝子コードがプリントされたトイレットペーパーが噴出する氷山の探検に向かう掘削隊を描いた即興劇だ。私は長澤さんに聞きたいことがあったので、同行することに同意する。
 6人乗りのゴンドラには20歳前後の大学生と思しき3人組が乗り合わせ、向こうは関西弁で、ゴンドラが上がっていくと夕日が綺麗だとか、高所が強いだとか、ずっと騒いでいた。私は長澤さんに声を潜めて相談した。

「長澤さん、お聞きしたいことがあって」

「胤井さんのやつのこと?」

「はい。あの、赤ちゃん食べる女の人いますよね。私、昨日、見たんですよ。」

「何を。」

「だから、あの女の人を。」

「昨日も出てましたっけ。」

「いえ。私、会場の外の民宿に泊まってるんですけど、そこの地下に温泉があって、その温泉に浸かってたんです。息子さんを連れて。」

「はあ。本当にその人でしたか。」

「間違いないです。」

「間違いないか。あの、群衆の人達はどうやって作ってるんですか。」

「顔とか見た目とかは素材があるんです。そういうアニメのシミュレーション・ソフト用の素材というのが普通はあるんだけど、実はこれは都内の駅で実際に稼働している監視カメラからデータを集めて、架空の人間を再現していったんです。同じような年齢とか性別、服の特徴のある人を分類、識別するソフトウェアを作ってそれで平均値をとって一応架空の人間をつくっています。だから、実際の特定の誰かによく似た人間が出てくる可能性もとても高いし、そうであったとしてもあの人達は複数の誰かの平均値なので、決して特定の誰かではない。答えになってますか?」

「でも、あの女の人は私が温泉で見た人でした。それにあの人はそういう『平均的な』見た目の人じゃない。」

「というと?」

「お尻がとても大きいんです。」

「はあ。」

 長澤さんは、私のことをまるで相手にしていないようすで呆れていた。頭の中は氷山から吹き出すトイレットペーパーの演出でいっぱいに違いない。

「じゃあ、質問を変えます。胤井さんの息子さんもそういった平均値からできた人口人間なんでしょうか。」

「君、出版された戯曲、読んでないでしょ。息子は出てこないですよ。」

「最初に、息子を探している、っていうセリフがあるじゃないですか。それなのに息子は出て来ないんですか。息子さんの特徴も詳細に述べられているのに。」

 あなたは小さく音を立てないように手を叩き始めた。ゴンドラは山沿いに流れる小川を挟むちょっとした渓谷を見下ろそうとしていた。私はあなたの動作に気づく。あなたは少しだけ閉所恐怖症だったね。それでストレスを感じているのかもしれない。

「あれには答えはないですよ。胤井さんだって明確にそれがなんだという話をまったくしないし、聞いてもはぐらかす。今回の上演自体がその回答だと言ってもいいくらいです。解釈だよ。ある意味では、あそこにいるアニメーションで実際の人物みたいにされた群衆みんなが胤井さんの子どもたちだって言ってもいいんです。あの人達には胤井さんの身体の動きを一つずつモーフィングしたものを、それぞれにプログラムしてありますから。」

「そんな。でも、私は温泉であの人を見たんです。」

「僕だって君を見ているよ。」

「どういうことですか。
「『きっと、あなたにも見えています。見えているものの中にだけ世界は存在します。』」

 あなたがそう言い終えるか終えないかで、ゴンドラはターミナルに着こうとしていた。

 

 長澤さんが、「蝗の王」のクライマックスはこの湖を使うのだと教えてくれた。私はその掘削即興劇に興味がなかったので、みずうみの周りにはぐるっと一本だけ舗装された道と、そこに流れ込む小川に二本の橋がかけられていたが、周囲に電灯は立っておらず、きっと夜になれば真っ暗になるだろうと思ったので、日が完全に落ちる前に私一人で、さっさとゴンドラに乗って下に降りた。

 

 「蝗の王」は胤井さんのダンスシーンが始まろうとしていた。胤井さんと一緒に籠城していた70人は前の車両からやってきたグループが要求した通りに彼らに食糧を分け与えることができなかったので、一方的に制圧されてしまう。そこで被害に遭う、何人目かとして胤井さんが殴られたとき、彼は立ち上がって、もう一度倒れる。そして、彼は一人で立ち上がっては倒れるを繰り返す。

 直立した人がまっすぐ倒れることはできない。必ず恐怖が生じ、倒れる軌道が斜めにそれ、顔が地面に直接ぶつかることを避けたり、手をついてしまったりする。胤井さんは決して手こそつかないが、また斜めに傾かずに倒れることもできないので、何度もその倒れるのを試していく。

 ここでは演出のための舞台上に一度胤井さん一人だけが残され、彼が倒れるたびに、その倒れた後の角度が傾いた斜めのバリエーションと同じ数だけ人間が生まれていく。胤井さんが倒れた分だけ、そこには新しい人間が生まれるのだ。その数が100人になり、200人になり、300人になると、胤井さんは歩き始める。

 胤井さんの歩き方は右足と左足の歩幅がばらばらになるようにされ、右腕と左腕が別々のリズムで振られる。そして腰が胴体とは別のリズムで上下し、それとは別のまたゆっくりしたリズムで胸が前後に揺れる。先ほど生まれた数百人の人達は、胤井さんの動きを真似ようとするが、それができないので、みな不完全な動きになる。胤井さんの動きの種類がばらばらであるために、その動きのどこを真似ているかでそれぞれにグループが生まれ、グループごとに別々の方向に向かって歩き出していく。やがてそれぞれのグループは舞台から降りて客席へと侵食しはじめ、観客はそれを避けたり、そこに混ざったり、彼らに触れてみようとしてみたりする。どうしてこのようなことが可能なのだろうか。そもそも彼らはホログラフなので、どこかから投射しているに違いないはずだと周囲を探してみてもその位置は見つからない。ホログラフであれば触ることができないはずだ。私もまた別の誰かにぶつかる。その人は生身の人間であるらしい。

 そして、気がつくと目の前に胤井さんがいる。少年のように少女のようにうるうると輝いた胤井さんの黒い瞳がこちらを見つめ、目の前でまったく表情を変えずに、身体はひたすら回転している。彼の身体は決して大きいわけでも、なにか特別な曲芸ができるわけでもないが、なんというか、とりわけへこたれない。

 彼の表情や彼の身体は痛みに対してリアクションをすることなく、その前身が表情を持たず、何かの欲望を示さず、こうしてアニメーションにされると、彼の身体が複数の人間に分割されていくことがわかる。彼の表現はそうしたどこかで誰かが受けた痛みの解放である。彼は別の誰かの痛みのために身体を差し出し、こうした表現の場に立ってその傷ついた肉体をドキュメントして、ここで映像のように再生しているようだ。

 多くの身体は強すぎる痛みの前に簡単に壊れ、もう二度と再生しなくなってしまう。胤井さんはそんな強い痛みも受け入れる。もう二度と動かなくなってしまった身体に代わり、彼はもう一度立ち上がる。

 立ち上がるとその顔は私のすぐ前にある。水色のレインコートを着ているから胤井さんだと思うけれど、それは胤井さんではなくあなたである。私の顔のすぐ前にあなたの顔がある。目を覚ます直前に私は、実はあなたは胤井さんなのだと確信する。遠くで四つ打ちのリズムが聞こえる。どこかの時代から私のことをダンスミュージックが誘いに来ていた。そうか、私は目を覚ましたのだ。私は知らず知らずのうちに眠りに落ち、あなたと胤井さんを混同するような夢を見ていた。しかし、そのおかげでわかったこともある。その夢は必ずしも現実離れしていないのだ。

 

 目が覚めると、私はキャンプ用の折りたたみ椅子の上で眠っていたことがわかった。そして、先ほどの野外ステージではなく別の場所に移動していた。周囲ではガレージのような金属製の大きな建物の屋根の下にDJセットが組まれ、その周囲でたくさんの人が踊っている。さっきのリズムは大きな音になって私を取り囲む。このコンクリートと金属の駐車場のような建物の外に広がる、布製の屋根に水が溜まって端っこで柱に留まっている留め金がはずれ、ざばんと水が落ちる。屋根の外では大雨が降っている。ここで踊っている私たちだけが雨以外の音を聞いている。

 少しずつ冷静になる頭で、私は胤井さんが目の前であなたに切り替わるのは夢だったともう一度思い出す。私がした確信とは、あなたが胤井さんの息子だということだ。

 

 私は自分が眠りすぎた時間を戒めるために踊り出す。三日間の演目を全て見るためにここまで着たはずなのに、私はあまりにも会場を離れ、あまりにも演目を寝過ごした。でもそもそも、三日間もぶっ通しでパフォーマンスを見続けることなどそもそもできないはずだ。私は何をしにここに来たのか。これが人生なら、眠る時間をもったいないと思うほどバカなこともないな。そう思いながら、考えるのをやめるためみたいに踊る。開き直って、時間について損得勘定することも貧しいと思いながら踊る。私はこの人ごみの中に胤井さんを探す、長澤さんを探す、あなたを探す。胤井さんがあなたを見つけたらこの踊りは終わるのだ。

 

 食料は最初の1週間でほとんどなくなり、列車の中には保存用の設備もないので、十分な量があったとしてもそもそもそのくらいの日数のうちに多くのものを食べきらなければならなかった。あとは、亡くなった人の身体の肉を食べるか、自らの排泄物を食べるかという選択を迫られ、胤井さんたちの中でまず最初に、大学生の男の子が肉体が腐ってしまう前にというのを理由にして、夫の後を追って亡くなった老婆を食べ始めた。中には口にする者と口にしない者、それに耐えかねて排泄用の窓から列車の外に身投げして感電死する者、行方不明になる者も現れた。単純に衰弱してなくなる者もおり、電車の中で死ぬとそういう者から順番に他の者に食べられていった。

 前の車両から食料を奪いにくる連中に対抗するために胤井さんはなにかの「信」によって空腹を紛らわすことが重要だと考え、周囲の人間に踊るように促した。しかし、胤井さん一人が踊り続け、他の者は続かなかった。踊ることで体力は削られるが、夢中になれればなにもかもが忘れられる。そう言っても誰も聞かなかった。しかし、実際に踊ることを続けてみると少しずつ効果が出た。胤井さんが促すよりも、彼が踊る方が効果があった。何人かが踊り始めたのだ。彼が踊るのを見たものから順番に、頭の中で好きな音楽を流しながらそれぞれが好きなようにめちゃくちゃに身体を動かす人が増えていった。

 彼らは前の車両から他のグループがやってくるときもコミュニケーションをとろうとせず、彼らと話すことをやめて踊るようになった。はじめのうちは、相手を怒らせ、一方的に食べ物を奪われたり、殺されて食べ物にされたりした。しかいs、相手のグループの一部にもそうして踊ることが伝播するようになった。あの預言者のグループは自分たちのセクトに正式に踊ることを禁止し、胤井さんのことを恐れた。

 やがてみんなが踊るようになった。踊っている間はコミュニケーションも食事も排泄も関係なくなった。無我夢中で身体を動かし、その間は敵味方もなくなり、自分と他人の区別もなくなった。やがて、胤井さんと生き残った者たちは亡くなった者たちの屍体の山の中で踊るようになった。最後にそこに加わったのはあの宗教グループの預言者だった。彼は自分が最後に例の最初の赤ん坊を食べた「聖母」を食べて生き残ったことを悔やんでいた。預言者は、最後に胤井さんたちのダンスに加わった。踊ることはなにも差別せず、誰にも何も与えず奪わなかった。それゆえに最後に彼らを救った。私の前に預言者が踊り狂ってやってくると、彼は長澤さんにそっくりだった。預言者は長澤さんだった。

 やがて列車は止まる。大きな地震が起きて、横転する。時刻は朝の5時だ。上演も3日目、最終日の朝にさしかかっている。胤井さんはまだ生きている。私は列車から生き残った人達が這い出てくるのを、朝まで残っていた他の観客たちと一緒に見届けると会場を後にした。

 三日目の朝日が昇る頃には、もうこの催し全体の観客と例のアニメーションの観客が混じって区別がつかなくなったように見えた。それでもみんな今日の夜には自分の家に帰るのだ。私は、宿まで歩く足取りが重くて、近くにあったベンチに腰掛けて少しだけ休んだ。少しだけのつもりだったがそのまま眠り込んでしまった。

 

3.

 目が覚めると天井には煌々と照りつける巨大な灯体がいくつもキャットウォークに吊られていた。見覚えがある。ここ2、3日ではなく、もっと昔に見た懐かしさがある。起き上がると4つのバスケットボールのゴール、緞帳が下りたままのステージ、そして独特のあのテカテカしたフローリングが目に入り、そこがどこかの体育館だとわかる。体育館に入るのなんて何年ぶりだろう。
 フローリングの上にはいくつかのキャンプ用テントと段ボールを継ぎ接ぎしたモニュメント、あとは青いビニールシートが敷かれている。青いビニールシートの上に仰向けに寝ていて近くにも同じような大勢の人がいる。まるでどこかから避難してきたみたいだ。死んだようにぐったりと寝ている人たちの中には掌をいっぱいに広げたくらいの大きさの名札をつけている人もいる。
 あたりを見回すとすぐに、あなたがやってきて、会場出口近くのベンチで寝ていた私をここまで運び込んだのはやっぱり、あなただと教えてくれる。そして、ここは廃校になった後公共施設として利用されていた小学校の一部を利用した、この辺りで一番安上がりな宿泊施設だと教えてくれる。
 笑わないあなたの顔を見ると私はほっとする。冷静になった頭で、あなたが胤井さんの息子でもあることを考える。あなたが胤井さんの息子なら、いや息子たちの一人なら、それはきっとあなたがホログラフであることも、あなたがあの演目の終演と同時に消えてしまうかもしれないことも意味するだろう。あなたはそのことを知っているだろうか、知らないとしたら、私はあなたにそれを伝えるべきなのかを今、迷っている。
「ねえ、朝まであれを見ていたの。踊ったんだ。知ってる?」
あなたは首を振る。立ち上がると髪が乱れていること、結局朝まで踊っていたあの晩にシャワーを浴びていないことを思い出す。外には簡易シャワーと仮設トイレがあることが知らされる。すでに正午を過ぎていて、今から宿に着替えを取りに戻れば、フィナーレに間に合わない。私は泣く泣く諦めて、汗臭い格好のまま湖へ向かう。あなたは石鹸ならたくさんあるよ、大丈夫だよ、僕が作ってあげる、と慰めてくれる。
 ゴンドラ乗り場に着くと、とても混雑している。乗るのを待っている間、もし終演と同時にあなたが消えてしまうのなら、私が知っているあなたはなんなのだろうと疑問に思う。もしそうなら、あなたは「季節」の最中に亡くなった被災者の一人なのだ。私は一つも思い出せないくらい昔からあなたのことをよく知っている。あなたが消えてしまった後、この思い出も消えてしまうのかと思うと涙が出そうになる。この思い出が嘘の偽物かもしれない可能性に今からでも涙が出そうだが、あなたに悟られまいと平静を装う。
ゴンドラに乗って頂上に着くまで15分、途中で見えるどこかの企業の保養地の宿泊所の敷地に入り、特設のテニスコートを横切っていく胤井さんたち一行が視界に入る。

 

***

 胤井さんたちが乗っていた列車は1ヶ月半ぶりにどこかの駅の近くに止まった。震度7の大地震が起きたためだ。生き残った100人前後の人々は、なけなしの力で窓を工具で砕いて降りて、線路に触れないように一番近い踏切まで歩いた。

 そのときに初めて半壊した先頭車両を見た。タイヤ以外の部分がえぐられたみたいになくなっていて、むき出しのまま何日も走らされた内装はソファも、床も剥がれて中身がむき出しになっていた。最初にこれを爆破した人はなにを考えていたのだろうか。健康だったらそういうことにも思いが至ったかもしれないが、もう誰もそんなことを考えなかった。

 街の中を車は走っていたが、人はほとんど見かけなかった。道路には折れた木の枝や、建材の一部、どこかから飛んできた看板やゴミが散乱し、歩けるものではなかったが、彼ら以外に歩く者はほとんどいなかった。
 胤井さんはあの手も足も胸も腰もバラバラのダンスを始めた。すると他の者も同じように踊り始め、目につくあらゆる施設に侵入した。鍵が開けっ放しになっている民家に上がり込んだり、コンビニやスーパーや牛丼屋やうどん屋や薬局や喫茶店に片っ端から侵入し、腐っているものもそうでないものも、食べ尽くした。
 時折現れる、彼らと同じ境遇の浮浪者は彼らの奇妙な動きに釣られて残らず仲間入りを果たし、そのうち何人かは衰弱や、食中毒で命を落とし、仲間の食糧となった。信号機が全く機能していなかったので自動車は舗装がされている道路という道路を無尽に走り、しょっちゅう事故を起こした。事故車両は彼らの襲撃の標的となり、彼らの持ち物も、事故死した者の死体も食べ尽くした。
 電気がないので夜は真っ暗になった。真っ暗になると進むべき方向がわからないので胤井さんたちは踊り狂った。走ったり、歩いたりといった動作と違って、踊るときは移動の方向性がない。

 

***


 フィナーレは夜のダンスになり、胤井さんたちは日暮れと同時に湖にたどり着く。湖の向こう岸には彼らの故郷があるかのように彼らはそこに立ち、向こうを眺める。そして、日暮れと同時に踊り始める。演出のために地面のところどころにブルーライトが灯り、間接的に光り始める。
 気がつくと私たちは踊りに呑まれ、あなたはいつのまにかいなくなっている。きっとあなたもどこかでこれを踊っている。私はあなたにさよならが言えなかったことを悔やんでいる。
 オープニングと同じである胤井さんがマイクを右手で握り、左手でコードをさばいている。マイクを口に押し付けて話し始める。
「生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない、生きていたくない。」
 言葉が刻むリズムは次第に速くなる。私たちはリズムをやがて無視し、それぞれの癖で踊り始める。私たちはノイズそのものになる。
「こんなに汚くて、こんなにくく臭くて生きていたくない。はは唾を吐いて洟をたらして必死に胸を張り、腰をふ振る、一生懸命なあなたの顔にはは吐ききき気がするから生きていたくない。生きることをもっと軽いことにしてください。神さま、かか神さま、神さささまはおいしいですか。どのあたりがおおおいしいですか。ももですか、か皮ですか。味付けはどうしましょう。今、塩と醤油を持ってそちらに参ります。料理の腕はずいぶん上がりました。食べて食べて食べてきました。今度は私たちがあなたをさささばく番です。今そちらに参ります。だんだん体調が悪くなってきました。震えが止まりません。頭が痛い痛いです。歯が痛い痛いです。お腹が痛い痛いです。どどこもももかしこももも痛くて、もうどこももも痛くありません。こうして動かしていないと自分がなくなってしまいそうでやややめられなくなってしまう。一つ気をつけているのは同じことを繰り返さないこと。少しでもそれを避けるようにこれを繰り返している。これでもリズムに乗らないように気を遣ってるんですよ。繰り返したら、自分がなななくなってしまいそうです。助けてくれとは言いません。教えてくれとは言いません。ただ命をもう少し大切でなくしてほしい。私たちにはあまりに重すぎる。尊厳を捨てた私たちはこんなに軽やか。今のほうが格好いいでしょう。私たちの価値は自分で決めますから。」
一息に言うと胤井さんは下を向いてぜいぜい言い始めた。
「そうだ、私は息子を探していましたね。
癖のなくなるところに息子はいる。息子の癖は3つしかない。一点をじっと見つめる。手を何度も叩く。呪文のように同じ言葉を唱える。『きっと、あなたにも見えています。見えているものの中にだけ世界は存在します。』。その呪文が聞こえれば息子のいる場所がすぐにわかる。息子のいる場所ではリズムが止まる。

息が切れました。ぜいぜい言ってます。息が整ったら終わりです。」
湖の前で胤井さんの息が切れていた。疲れていた。息を整えるためにあたりをくるくると回る。その動く円が小さくなると少しずつ人が消えていく。彼の乱れた動きの分だけ彼らは存在している。息が切れたら終わりとは、出演者が彼一人きりになったら終わりなのだ。
 あなたももうすぐいなくなる。あなたは胤井さんの息子だ。だってぴったり彼が言う特徴に当てはまるのだもの。あなたは動作を繰り返し、あなたの息は切れない。あなたは誰よりも癖のない人だった。
 胤井さんの周りに残った人はあと数人になった。残りは一般の観客だ。人が減ったせいで、最後にあなたを発見することができた。ここから20メートルくらい。胤井さんの周りから一人、また一人と消えていく。最後にあなたの顔が見たいと思って私は気がつくと走っていた。私の息は乱れた。胤井さんの息が整った。湖の前には彼一人しかいない。マイクを掴んでこう言った。
「終わりです。」
 最後の台詞を聞くことはできなかった。
 消えたのは私のほうだった。

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