見知らぬイモウトとの相利共生

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梗 概

見知らぬイモウトとの相利共生

青年、野々村真一は都会から山奥の村へ越してきた。
 真一が住むことになった寮の寮長は、人里離れたこの村では若い男を狙う動物がいると、真一に警告する。
 やがて、真一の部屋に高校生くらいの女の子がやってくる。
 この女の子は真一の生き別れの妹だと言って真一の家に住みついてしまう。
 真一はその女の子の可愛さに、ついつい同居を許してしまう。

やがて寮長に、女の子と同居していることがバレてしまう。
 真一は必死に彼女が生き別れの妹であることを説明するが、寮長はすべてを見透かしたように言う。
「あれが若い男を狙う動物だよ」と。
 その動物の名は『イキワカレノイモウト』。
 若い女の子のような容姿をした動物で、普段は山に住んでいるが、村に若い男がやってくると家にやってきて「生き別れの妹です」と名乗る。そして、そのまま家にいついてしまうのだ。
 真一はその動物についてさらに聞く。その動物の目的は何なのか?自分はそのまま捕食されたりしてしまうのかと。
 寮長は笑いながら、イキワカレノイモウトは『相利共生』をする動物だと言う。
 アリがアブラムシの出す甘露を舐めさせてもらう代わりにアブラムシのことを守る。このような生物どうしの関係を相利共生という。
 まずイキワカレノイモウトの主目的は毎日ご飯を食べることである。料理自体は冷蔵庫を勝手に開けてイキワカレノイモウトがつくったり、時にはお金を勝手に持っていってイキワカレノイモウトが食材を買ってつくったりする。
 ご飯を食べるのと引き換えに若い男に『癒し』を与えるという動物であるという。
 つまり勝手に冷蔵庫の中身を使われたり、お金を少し使われることを我慢していれば何の害もない動物であるらしい。
 しかし、住みついたイキワカレノイモウトの妹につい悶々としてしまう真一は、どうにかならないかと寮長に相談する。
 寮長は、それならばそういう人のためにイキワカレノイモウトを追い出すために開発された遺伝子組み換え動物がいると紹介してくれる。

イキワカレノイモウトの遺伝子を組み換えてつくった『イジワルナハハオヤ』がやってきて、真一の家に住み着く。
 イジワルナハハオヤは真一の実の母親という設定の動物で、さらにイキワカレノイモウトは自分のコではないという設定を持っており、「妾の子」「あんたみたいな泥棒猫が私の真ちゃんにちょっかいかけないで」とイキワカレノイモウトをなじる。
 事あるごとにイキワカレノイモウトを罵倒するイジワルナハハオヤ。寮はものすごく気まずい空間となり真一は胃が痛くなる。
 寮長は、こうやっていればそのうちイキワカレノイモウトは山に帰っていきますと真一に言う。

あるとき、イキワカレノイモウトのつくったご飯を食べたイジワルナハハオヤは箸を落として涙を流す。「あの人が好きだった味だ」と言い、泣きながら「今までいじめててごめんなさい」とイキワカレノイモウトと泣き合って抱き合う。
 呆然とする真一を前に、2体の動物は「ふたりで実家に帰ります。これからも元気でね」と山に帰っていく。
「ね、山に帰っていったでしょ」といきなり現れた寮長は笑顔で真一に言う。

それから真一の生活に平穏は訪れたが、どこかでひとりの食卓の寂しさを感じるのであった。
 

文字数:1328

内容に関するアピール

生物の「相利共生」に焦点を当てて今回の梗概を書きました。
 相利共生はどちらの生物も得をする一見素晴らしい関係のように見えますが、本当に「得」であるかどうかは本人ではないとわからないのではと。
 そんなことを考えながら、楽しそうなお話を書いてみました。よろしくお願いいたします。

文字数:137

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イキワカレノイモウト

 ビリジアン色の木々たちが立ち並ぶ景色が野々村真一の目に飛び込んできた。ことこととトラックの荷台の上、ブルーシートのかかったタンスに背をもたれながらのんびりと周りを見やる真一。
 本当に、緑ばかりだ。
 これから真一が住むことになるのは、紀伊半島にある山奥の村である。最寄りの駅を聞いたら、一番近い駅でも車で3時間はかかると言われた。つまり真一は恐ろしいど田舎に住むこととなる。
 そんな場所に住むことになったのは、真一がある日会社帰りの電信柱に張っていたポスターがきっかけだった。
「林業作業員募集。月手取り20万円、住居費はこちらで全額負担」
 という文字が目で飛び込んできた。
 真一は高卒で今の会社に入り3年間SEとしてはたらいてきたが、毎日夜遅くまでパソコンと向かい合い、家と会社を往復する日々に辟易としていたときだった。
 真一は思い切ってその電話番号に電話をかけ、すぐに採用が決まった。そして現在、わずかな家財道具とともに、ことこととトラックの後ろに乗っているわけである。
 とんでもない田舎にやってきたが、不思議と真一は嫌な気分にはならなかった。
 むしろ、今までの都会のギチギチとした雰囲気と全く違うこののどかな風景に、ワクワク感すら覚えていた。

「いらっしゃい、確か野々村くんだよね。何もないところだけどこれからよろしくね。ほんと何もないけどなあ。はっはっは」
 そう言って笑ったのは真一がこれから入る寮の、寮長だった。
 真一が入る寮は、寮といってもそんなにたいそうなものではなく、田んぼの横にぽつんと立った3階建の小さなものだった。
 しかも、この寮に住むのは真一ただ一人だけ、寮長ですら近くの一軒家に住んでいるらしい。
 不安に思った真一だが、いざ部屋に入ってみると都会で住んでいた6畳半の部屋よりも広い8畳の部屋で畳も新品の綺麗なものだったので少し安心した。
 寮長は人の良さそうな笑顔で言った。
「いやあ、君みたいな若い人がやってきてくれてありがたい。今、一番若い人でも35歳だから大助かりだよ」
「いやあそんな。それだけ喜んでいただいて僕のほうが嬉しいです」
「はははは、それで済まないのだが、うちの村は本当に不便でね。食材は村の中央にあるマーケットでしか売っていない。若いもの向けの娯楽も本当にない……」
「いえ、大丈夫ですよ。そういう環境だとは覚悟していたんで。そして奇跡的に寮にWi-Fiの回線通っているんで、もうそれだけで十分です」
「そうか、いや野々村くんは本当にイイコだねえ」
 寮長はにこりと笑った。
「そうだ野々村くん」
「なんでしょう?」
「ひとつだけ気をつけてもらいたいことがある」
 寮長は少しだけ真面目な表情をする。
「この村には若い男を狙う動物がいる。それだけには気をつけるんだよ」
「はい?」
「じゃあ、また、何か困ったことがあったら言っておくれよ」
 真一が寮長に何か問いかける間も無く、寮長は車に乗ってどこかに行ってしまった。

 今まで、特に運動もせずに生きてきた真一にとって、林業の仕事はハードだった。
 軽く枝の束をしばるだけで息が切れ、シャツは汗でびっしょりと濡れた。
 仕事場の人は「まぁはじめてはこんなもんや」と真一に笑いかけた。
 真一は夕方過ぎに寮に戻り、シャワーを浴びたあと、ぐだーっと畳に寝転んだ。
 ご飯を食べようにも、起き上る気にもなれずにいた。
 ドンドンとドアを叩く音が鳴った。
 全身疲労カラダをなんとか起こして玄関に行き、扉を開く。
 真一は目を丸くした。
 そこには、中学生から高校生くらいの女の子が立っていた。
「え?君は?」
「……お兄ちゃん」
「え、いや……」
「お兄ちゃんだよね」
 女の子は涙を流し始めた。
「……いや、その、あの……」
 真一は口ごもる。
「お兄ちゃん!!」
 女の子は真一の身体に抱きついた。柔らかくあたたかい心臓の鼓動と、髪の毛のふんわりとした匂いが真一の鼻をつく。
 そして真一の思考は停止した。

 冷蔵庫に買い置きした、ピーマン、タケノコ、牛肉を使い、ごま油で青椒肉絲(チンジャオロース)を炒める音がする。
 フライパンで炒めているのは、エプロンをつけた女の子。先ほど真一に生き別れの妹だと名乗った女の子だった。
 真一はこっそりと携帯電話で、自分の母親に電話をかけた。
「もしもし、母さん」
「真一、どう、山奥で林業しとるらしいけど。身体、大丈夫?」
「はは、少しキツイけど、大丈夫だよ」
「仕事場の人はどう?」
「うん、優しい人たちばかりだよ」
「よかったあ」
 息子の声を聴き、一安心した母の声が聞こえる。
「……、ところでさあ母さん」
「何?」
「僕ってひとりっ子だよね?」
「……何を急に」
「そのお……実は僕に妹とかいないよね……」
「……真一、あなた何言ってるの?」
 真一は母親の声を分析する。その声は触れられたくない確信に迫られたというものではなく、全く素っ頓狂な言葉を浴びせられ、ぽかんとしている様であった。
「え、いや、別に全然……もしかしたらそんなこともあるかなあと思ってさあ」
「……」
「いや、気にしないで、全然気にしないで」
 電話口にぎくしゃくして気まずい雰囲気が流れた。
「あ、とにかく僕は大丈夫だから、それと父さんはいる?悪いけど代わってくれるかな」
 真一は電話の向こうの父にも同じように自分に妹がいるか問いかける。
「真一、お前何を言ってるんだ?」
 電話口がけげんな口調になった。これも何かを誤魔化しているというより、明らかに、変なことを口走った息子に対する不快感が混じったものだった。
 結局また真一はしどろもどろになりながら電話を切った。
 両親ともに全く反応がないことに真一は頭を掻きむしった。
 そもそも両親ともに真面目で浮気や不倫などとは全くの別世界で生きている人間であることはわかっていて、隠し子やらをつくる人間では到底あり得ないことは、真一自身がよーくわかっていた。
 では、あのコは……。
「お兄ちゃんご飯できたよー」
 笑顔の女の子が青椒肉絲を山盛りにした皿を両手に、にこっと笑った。

 青椒肉絲を頬張りながら真一は聞く。
「あのさぁ、君、僕の生き別れの妹だって言ったよね」
「そうだよ」
 女の子は真顔で、青椒肉絲を飲みこんで言う。女の子はその小動物みたいな見た目と相反して、食べ物をむしゃむしゃと咀嚼している。
「……でも、あの……、その……」
 真一はこちらをまっすぐに見つめてくる丸く大きい瞳を前に二の句が継げない。
「あ、そうだ。あの……、君、名前は?」
「お兄ちゃんは、どんな名前が好き?」
「え!?」
「どんな名前が好きなの?」
 予想外の反応に戸惑う真一。
「え、あの、歩美……です……」
 真一は赤面する。それは小学校時代の初恋の人の名前だ。
「じゃあ、歩美」
「えっ!?」
「私の名前は歩美です」
「……」
「よろしくね。お兄ちゃん」
「ああ、うん、よろしくね歩美」
 真一はじっとこちらに降り注がれる「歩美」のきらきらとした視線に心臓の鼓動が速くなる。
 それを誤魔化すようにかき込んだ青椒肉絲は妙に美味しかった。

 歩美は、真一が持っていた大きめのワイシャツを着ていた。
 彼女は着ていたワンピースしか服がなく、当然寝巻きなど持っていなかった。
 ワイシャツ一丁の歩美。細く白い脚がワイシャツから伸びていた。
 そして真一は実に困っていた。
 彼の家にはふとんがひとつしかないのである。
 とりあえず敷かれたふとんを前に彼は呆然とするしかなかった。
「どうしたの?お兄ちゃん」
 歩美は首を傾げながら真一に聞く。
「あ、いや、実はふとんがひと組しかないんだ。……うーん、しょうがない、僕が今日は畳の上で寝るよ」
 真一の言葉に歩美はきょとんと言った。
「え?一緒に寝ればいいじゃない」
「…………えっ!?」
「ん、一緒に寝ればいいんじゃないって……歩美、変なこと言ってる?」
「いやいやいやいや、そんなことダメだよ」
「ダメって……、兄妹で一緒に寝るのって当たり前のこと……じゃない?」
「……いや、でも、ダメだよ。僕は畳で寝る」
 真一は慌てて電気を消し、歩美に背を向け、畳に寝転んだ。
「歩美、ずっとお兄ちゃんと一緒に寝たかったんだけど、やっぱダメだよね」
 背中からすごくさみしそうな声が聞こえたので、真一は慌てて振り返った。
 ふとんの上にぺたんと座った歩美。その目がうるうると光っているのが、暗闇の中でもわかった。
「ご、ごめん。じゃあ、一緒に」
「ほんと!!」
 歩美の顔がパッと明るくなった。
「さぁどうぞお兄ちゃん」
 歩美がまるでステージ上のマジシャンのように、バッと掛け布団をあげ、敷き布団に手招く。
 真一は緊張しながらふとんの中に入る。
 歩美はるんるんと身体を上下させながらふとんの中に入る。
 身体をがちがちにしながら歩美に背を向ける真一。自らの心臓の高まりがあまりに激しく。とても眠ることができない。
 ふと後ろを見るとすーすーと寝息をたてている歩美の顔。その温かい息がうなじにあたり続々とする。
 そしてさくらんぼのようにつやつやとした唇が目線に入る。
「お兄ちゃん……大好き」
 そう寝言を呟き、不意に歩美が真一の背中に抱きつく。真一は固まったまま動くことができない。ただただ、歩美の柔らかくあたたかい感触を背中で感じるしかなかった。

 それから真一と見知らぬ妹の歩美との共同生活が始まった。
 歩美は仔犬のように真一になつき、ことあるごとに身体をすりすりする。そして、真一が疲れて家に帰ると晩ご飯を用意して待っていてくれている。朝には真一を起こしてお弁当を渡しながら「いってらっしゃい」と送り出す。
 そして夜は真一の背中を抱き枕のようにして寝る。
 真一はその繰り返しに、少々寝不足の日々を送っていたが、毎日が楽しくてたまらなく、自然と笑顔になっていた。
「新人の兄ちゃんは毎日ニコニコでいいなあ」
 仕事場のおじさんはそう真一に声を掛けていた。
 真一は仕事帰りに買い物袋をぶら下げた歩美に会った。
「お兄ちゃん、今帰りなの?歩美も今お買い物行ってたところなの」
 歩美は真一の腕にぎゅっと寄りそった。
 照れつつも嬉しい気持ちに包まれる真一。
 そのままふたりは寮の部屋のドアの前までやって来た。
「野々村くんどうも」
 真一は声を掛けられた。目の前にはニコニコ顔の寮長がいた。
 真一は顔から血の気がひき、バッと歩美から身体を離す。
「あの、寮長さん、あの、これはちがうんです」
 真一は必死に釈明をする。
「じゃあ、ご飯作ってるね」
 歩美は焦る真一をよそに部屋の中に入っていった。
「本当にちがうんです。あの……、実は彼女は生き別れの妹なんです。それで急に押しかけてきて居着いちゃって」
 真一は真実を述べたが、その言葉は実に嘘っぽく、言い訳にしか聞こえないことは真一自身が感じていた。
「野々村くん、大丈夫です。すべてわかっていますから」
 うんうんと頷く寮長。
「あの、本当に妹なんです。わかってください」
 真一は誤解をなんとか避けようとさらに言う。
「野々村くん。私は本当にわかっているのです」
 寮長が少し深妙に言ったので、真一は真顔になった。
「以前私は注意したでしょう。この村には若い男を狙う動物がいると」
「……はい」
「彼女こそ、その動物なんですよ」
「……は?」
 寮長の言葉に、真一の目はごま粒のごとき点となった。

 寮長の家。真一の目の前には寮長の他にふたりの人間がいた。
 ひとりはグレーのスーツで身を固めたおじさんであり、ひとりは汚らしいベストとパンタロンのおじさんであった。
「えーと、この方たちは……」
 真一は突如現れたふたりの人物をいぶかしげに見やった。
「左の方は和歌山大学の生物学の教授の高島さん、そしてね右の方は地元の猟友会の石永さんです。これから話すことはあまりにも突拍子がなさすぎて、僕だけが話すととても野々村くんには信じてもらえないんじゃないかと思ってね」
「……はあ」
 真一は寮長の横に座るふたりのおじさんを交互に見やる。
「えーと、まず結論から言いましょう。君の家に押しかけてきた『生き別れの妹』と名乗るモノ、あれはこの土地土着の動物です」
「…………。………………。あの……、それが何を言っているのかよくわからないんですけど」
「あのね。野々村くん。君が人間の女の子だと思っているあの女の子、あれは信じられないかもしれないけど、あれは我が村が害獣指定している、動物なんですよ」
「…………は?」
 真一の目はぐるぐると回る。寮長をフォローするように、和歌山大学教授の高島が助け船を出す。
「野々村さん、彼の言っていることは本当なのです。まだ世間にはおおっぴらに公表されていないことなのですが、この村には10年前ほどから、若い男性を狙う害獣が出始めたのです。それは実に人間に近い姿かたちをしているのですが、ヒトとはちがう生物なんです」
「……」
 真一は絶句する。高島はカバンから出した書類を目の前のテーブルに広げた。
「はじめての事例が起こったのは10年前の4月5日です。村の林業に従事していた山中太郎(仮名)24歳の家に、中高生ぐらいの女の子の容姿をした者が訪れました。その者は『生き別れの妹』を名乗り、彼の家に居着きました。しかし、このような辺境の狭い村です。どこの誰かもしれないものがやってくれば、周りの者が感じる不信感は都会の比ではありません。すぐにその者の身元調査が始まりました。ある日、山中太郎(仮名)の家族がその者の髪の毛を採取し、DNA鑑定をしました。すると恐ろしいことがわかりました。その者のDNAはヒトのそれではなく、山に住むサルとほぼ一致したのです」
「サルですか!?」
「ええ、分類系統学上でカテゴライズするならばテナガザル科ですね。まぁサルとは生態が異なる部分も多く、あくまで無理やりカテゴライズするならばですが」
「……」
 真一は「サル」という言葉のインパクトに後半の言葉が耳に入ってこない。
「それから、我々和歌山大学の研究班が秘密裏にその生物の調査を始めました。まず見た目はヒトの少女、それもかなりの美少女にしか見えないということ。かなり高い知能を持ち、人間の言語や仕草を操ること。が分かり、次々と生態を収集していきました。あっ、すぐに名前もつけられました。その名も『イキワカレノイモウト』です」
「……」
 「そのまんま」ですね。というツッコミすら真一はできないくらい呆気にとられていた。
「『イキワカレノイモウト』は若いヒトの男に寄生する性質を持っています。『生き別れの妹です』と名乗って若い男の家に入りこみ生活を共にしてしまうのです」
「あの、でも、そんな無茶苦茶なことをしても、受け入れる人間って少ないんじゃないでしょうか。だって、いきなり『生き別れの妹です』ってむちゃくちゃすぎますよ」
 ようやく真一は言葉を返した。
「いや、成功率はほぼ100パーセントですね。なぜならばイキワカレノイモウトは美少女の容姿を持っているからです。まぁヒトの男は、美少女と一緒に住めるとなれば多少のむちゃくちゃは受け入れてしまう浅はかな生物なのですよ。とくにイキワカレノイモウトは狡猾なことに配偶者のいない若い独身男性を狙います。配偶者のいない若い独身男性は見た目が美少女ならば、エイリアンだろうが幽霊だろうがアンドロイドだろうが受け入れちゃうでしょ」
「…………」
 これは、真一自身がそうであったため、まるで反論できない。ここで寮長が口を挟む。
「いやあ、でも凄い生物だよねえ。まるで妖怪だよねえ。なんでそういう生物が生まれたのって、僕もたかちゃん……あ、高島教授に聞いたんだけどさ、あ、実はここ高校の同級生なの、しかも同じサッカー部ね、あ、どうでもいいか、ははは。あ、あのね実はこの山にアメリカの遺伝子工学の会社が大きな工場建てたんだけどね、そこでクローンやらキメラ生物の開発やってるって噂があってね、そこがバイオハザード起こしたんじゃないかっていう説が有力なんだけどね、だから、今自治体でその企業に裁判起こそうって話も出てるんだけどね。まぁでも真意ははっきりしないんだなぁ、はは」
 寮長の実にぼんやりとした話に、真一はけげんな目線をあてただけだった。
「それからですよ。村に若い男がやってくるとイキワカレノイモウトが訪れるようになったのは」
「いやあ、だでん今回も野々村さんゆう若い男が来たって分かってたで、寮の前見張ってたけんど。アイツ少しの隙を見て野々村さんに会ってしまったから、しまった思ったんだあ」
 突然寮長の横にいた猟友会の石永が口を開いた。
「え?見張ってたんですか?」
「そだよ。ちゃんと空気銃構えて見張ってただよ」
「え?歩美……イキワカレノイモウトを空気銃で撃とうとしてたんですか?」
「うん、基本奴はサルだからね。サルを追い払うときとかわんないよ」
「いや、でも、わかるんですが、心がもやっとします……。というか、それならば僕がイキワカレノイモウトと会ってからでも追い払ってくれればよかったじゃないですか?」
「そう?じゃあ今から空気銃で撃ちに行くべか」
「いや、今からはやめて下さい!!」
 真一が必死に抑えると、石永はふぅとため息をついた。
「いやあ、でも一度イキワカレノイモウトに会ってしまったらダメなんだよね。空気銃で撃つのは」
「え?どうしてですか」
「俺さぁ、野々村さんがイキワカレノイモウトと会ってるときの顔見たよ。キラキラしていて幸せそうなあの顔。あれ見たらさぁ、その人の前でイキワカレノイモウト撃つことなんてできる?絶対泣くじゃん野々村さん。俺さぁ、絶対悪い奴じゃん。できないよお」
 石永は声を震わせる。真一はそれをぽかんと見ていた。

 真一はいちばん気になっていたことを聞く。
「それで、僕はこれからどうなるのでしょうか?」
「どうなる?というのは?」
 高島が質問に質問を返す。
「僕は歩美に……イキワカレノイモウトにこれからどうされてしまうのでしょうか?」
 真一の頭の中には、隙をつかれて背後から頭をかち割られて、牙をむいた歩美にボリボリと身体中をむさぼり食べられる、ホラー映画さながらの映像が浮かんでいた。
「いや、何もされないですよ」
 寮長はケロッと言う。
「え?」
「むしろ、もうされているというか」
「はあ……」
「イキワカレノイモウト、野々村さん家で毎日ご飯つくってるよね」
「はい」
「で、イキワカレノイモウト、毎日ご飯食べてるよね」
「はい。そういえば歩美、ものすごくいっぱいご飯食べますね」
 真一はもりもり食べる女の子が嫌いではなく、むしろそういう女の子は大好きであったので、むしろ好ましく思っていた。
「それ、イキワカレノイモウトの目的」
「……え?」
「イキワカレノイモウトの目的はただひとつ。毎日ご飯を食べることなの」
「そんなことですか?」
「そんなことって、野々村さん、ご飯を食べることが生き物にとってどれほど重要なことかわかっているのかい?ご飯食べないと生きられないんだぞ生き物」
 生物学教授高島が怒る。
「いや、すみません」
「イキワカレノイモウトは野々村くんをとって食おうなんてしないよ。だってそんなことしないでも毎日ご飯が食べられるんだから。むしろ君が死なないようにするよ」
「相利共生ですよ」
 ふと高島が口を挟む。
「相利共生?」
「アリはアブラムシの出す甘露を舐めさせてもらう代わりにアブラムシの天敵を排除するんですよ。そんな持ちつ持たれつの関係を相利共生というんです。野々村さん、いわばあなたはアブラムシなんですよ。イキワカレノイモウトというアリに甘露を差し出すアブラムシです」
「…………。それで、イキワカレノイモウトは、歩美は代わりに何を」
「それはね、癒しだよ」
 口を開いたのは高島ではなく寮長だった。
「癒し?」
「野々村くん、僕は君の横顔ほぼ毎日見てるけど、すんごいキラキラしているんだよ。輝いているんだよ。それはイキワカレノイモウトのおかげではないのかい」
「それは……そうですね」
 真一は否定できない。仕事しているときも、いつも歩美の顔を思い浮かべながらにんまりと仕事をしていた。
「……で、僕はこれからどうすればいいのでしょう?というか、歩美は、イキワカレノイモウトはどうなるのでしょう?駆除されちゃったりとか」
「いやあ駆除はしないよ。野々村くんが幸せならば、ずっとこのままイキワカレノイモウトと相利共生していて構わないよ」
「そうですか」
 真一の顔は明るくなる。そこに高島が口を挟む。
「一緒に住んで1ヶ月くらい?そろそろ、イキワカレノイモウトが食いだめした栄養分を『イモウト玉』にして、メスや子どものイキワカレノイモウトに与えに山にちょこちょこ行きだすだろうけどね」
「は?」
「いやあ、イキワカレノイモウトは食べたご飯の一部を体内で、栄養分のカタマリにする修正があるんですよ。ちょうどげんこつサイズのね。それを『イモウト玉』って言うんだけど、それを口から吐き出して、それを山で待っているメスや子どものイキワカレノイモウトにあげるんです」
「……ちょっと待ってくだい。色々混乱しているんですけど」
「なので、夜中突然いなくなったりすることがあると思うんですけど、まぁイキワカレノイモウトは寄生主への思いやりに溢れる生き物なので、野々村さんを起こさないようにこっそり行ってくれますよ」
「いや、あの、色々驚きなんですが……、まずここから聞いていいですか。歩美はオスなんですか?」
「ええ、人間の女の子の姿を模して、人間から食事を得る係をするのはオスのイキワカレノイモウトですよ。大体の動物で食料の確保はオスの仕事ですから、まぁ当然といえば当然ですが」
「オスってことは……え!?」
「メスのイキワカレノイモウトって、もっと猿っぽいんですよね。結構けむくじゃらなんですよ」
「……はぁ」
 首を落とす真一。
「野々村さん。なんで落ち込んどるだ。そもそもアレは人外なんだからオスだろうがメスだろうが大した問題じゃねえべさ。人間じゃねえんだからついてるものがついていようがついていまいがどーでもええべさ」
 そう口をはさむ石永。
「ちなみにオスのイキワカレノイモウトの股間の男性器ですが、外見から、人間の女の子にはない不自然な股間の膨らみが現れないように小さくコンパクトになっているんですよ。だから見た目は人間の男性器より、むしろ人間の女性器に近いですし」
「生々しい話やめて下さいっ!!」
 真一は顔を真っ赤にして高島の話を中断させる。
「あっ野々村くん。話を戻すけど、僕たちは君が幸せならばこのままでいいと思ってるんだよ」
 寮長が優しい顔で言う。
「でも、もし野々村くんが、イキワカレノイモウトを追い出したいと思うんだったら僕に言ってください。手はちゃんとあるので」
 そして彼はにっこりと真一に微笑みかけた。

「お帰りお兄ちゃん。遅くて心配したんだよ」
「お兄ちゃんの大好きな豚肉の生姜焼きだよ。山盛りっ」
「お兄ちゃん、たまにはお風呂一緒に入ろうか。背中流してあげるよ」
「お兄ちゃんおやすみ〜。寝るまで手をぎゅっとしていていい?」
 寮に戻った真一を待っていたのは、歩美(イキワカレノイモウト)からのコミュニケーションの洪水だった。
 カノジョの正体を知っている真一にとって、歩美(イキワカレノイモウト)はもっと不気味な存在に映るかと思っていた。
 が、しかし、相変わらず歩美(イキワカレノイモウト)は可愛かった。
 艶々とした黒髪(体毛)も、パッチリとしたまつ毛(体毛)も、相変わらず愛おしかった。
 これが自分に寄生する動物などと、逆に騙されている気分にしかならなかった。
 このままふたりで生きるのもいいか。そう真一は目の前ですーすー寝息をたてる歩美(イキワカレノイモウト)の顔を見て思った。
 時計が12時を指し示す。
 突如、歩美(イキワカレノイモウト)の目がパチリと開かれた。
 真一はギョッとして、寝返りをうち、歩美(イキワカレノイモウト)に背を向けた。
 すくっと立った歩美(イキワカレノイモウト)はとことこと部屋を出た。
 歩いていく、その先は山。
 月明かりしかない道を、歩美(イキワカレノイモウト)はずんずんと歩いていった。

「いやーこの間よりさらにやつれたねえ、野々村くん」
 寮長は相談にやってきた真一の顔を見てそう言った。
「僕はどうすればよいのでしょうか……」
「イキワカレノイモウトのこと?」
「ええ。歩美は夜中、山に行くようになりました。高島教授の言った通りメスや子どもにエサを与えにいっているんだと思います」
「そうかぁ、野々村くん意識しちゃったんだね。改めてイキワカレノイモウトが獣だってことを。それで気味が悪くなっちゃってるんだね」
「いや、違うんです。それなのに歩美は可愛いんです」
「え?」
「歩美が得体の知れない獣だってわかっても、変わらず歩美のことは可愛いくて仕方ないんです。でも、歩美は確かに人間じゃない獣でっていうのが真実で、それなのに彼女が可愛くて愛おしいと思っている僕は異常なんではないかと、悩んでいて」
「まぁどうてえが初めて一緒に暮らした女の子に特別な感情を持つのは当たり前だべさ。オラもどうてえのときに付き合ってた女がすんげえブスだったけど、一緒にいたときはすんげえドキドキしたもんだべさ」
「!!??。あ、石永さんいらしゃったんですか」
 猟友会の石永が突如ふすまをあけて、ひょっこりとちゃちゃを入れた。そしてちゃちゃを入れ終わるとふすまをトンと閉めた。
 一瞬の間の後、真一は口を開く。
「……いやあ、最近悩んで眠れなくなってて、仕事でミスもしまくってて、木を切る仕事なだけにミスをしたら命に関わります。僕ホントどうしたら……」
 寮長は頭を掻きむしる真一を優しい目で見る。そして言った
「野々村くん、イキワカレノイモウト、出ていってもらおうか」
「え、あ、でも、手荒なことはやめて下さい。……それに……歩美を追い出したら、歩美はどうやって暮らすんですか?……歩美がお腹を空かせて……弱って…………、僕はそんなこと耐えられませんよ」
「ふふ、大丈夫。決して手荒な方法じゃない。そして、イキワカレノイモウトには山に帰って元どおり山菜や木の実を食べる生活に戻ってもらうだけだよ」
「イキワカレノイモウト、山菜や木の実食べるんですか?」
「そうだよ。事実、山から降りてくるのは人間の食べる贅沢な食事を求めたいやしんぼうのイキワカレノイモウトだけだからね。ほとんどのイキワカレノイモウトは粗食で、山菜や木の実だけを食べて細々と生活しているよ」
「というか、山にいっぱいいるんですね……イキワカレノイモウト」
「ははは、だから大丈夫だよ、野々村くん。君は優しい男だなあ。カノジョを山に帰すと、確かにカノジョが得れるカロリーは減るけど、それでもカノジョは野生に帰り幸せに暮らしていけるんだよ。そして野々村くんも悩みがなくなる。これが両方にとっていちばんいいことじゃないかな」
 寮長の優しい声に、真一はこくりと頷いた。

「お兄ちゃん、今日のきんぴらはどう?」
「……」
 真一は心ここにアラズといった感じで宙を見やっていた。
「食欲ない?ほら、アーンして」
 イキワカレノイモウトは箸にはさんだきんぴらごぼうを真一の口元に差し出す。
「いやいや、そういうの大丈夫だから」
 真一がハッとして言う。その瞬間イキワカレノイモウトが涙目になったので、慌ててきんぴらごぼうにパクついた。そしてイキワカレノイモウトはパッと笑顔になった。
 真一が気が気でないのには理由があった。
 真一は寮長からの申し出に首を縦に振り、イキワカレノイモウトに山に戻ってもらうための対策をお願いした。
 寮長は微笑みながら「部屋で待っててね。今日中には送るから」とだけ言った。何が送られてくるのかは結局教えてくれなかった。
 気が気でない真一。それに応えるようにバタンと玄関のドアが開いた。
 そこに立っていたのは着物姿の女性。年齢は40代から50代くらいで、その顔立ちはかなりの美人であった。
「……あの……どちら様でしょうか?」
 真一は女性に慌てて近づく。
「真ちゃん、元気だった?」
「へ?…………あの……」
「こんな山奥の村で、心細かったでしょ」
 女性は真一を抱きしめた。
「っ!!!!????あ、いや、あの……その……どなたでしたでしょうか?」
「ふふ、もう真ちゃんったら、実の母親の顔を忘れるなんて、随分薄情なのね」
「え?は?えっ?」
 真一は混乱した。自分の母親は確かにTシャツとゆるーいスエットを着たお腹のダボついたおばさんであるからだ。
「大丈夫、しばらくは母さんがここに暮らしてあげるから心配しなくていいのよ」
「いや、あのお」
 真一が何も言えずにいると、女性は身体を離した。そして、イキワカレノイモウトを睨みつける。
 びくんと身体を震わせるイキワカレノイモウト。
 つかつかと歩く女性。
 女性は手を振り上げて、イキワカレノイモウトの頰にその手を振りおろした。
 パチンと部屋中に響き渡る音。
 呆気にとられて頰をさするイキワカレノイモウト。口をあんぐりと開ける真一。女性が尖った口を開く。
「泥棒猫のコは、やっぱり泥棒猫なんだね忌々しい」
「え?」と声を出したのは真一だった。
「いつのまにかこうやって真ちゃんの家に居着いて、勝手に兄妹ズラして、どれだけ図太いのかしらね」
「あ……、はい……?」と声を出したのも真一。
「ホント、よく似てるわね、あのオンナと」
「その……、あの……」
 真一は狼狽した。恐ろしい表情でイキワカレノイモウトを睨み続ける女性。頰をおさえたまま黙りこくるイキワカレノイモウト。何がなんだか全くわからない。
「野々村くん……野々村くん……」
 緊迫した場、真一は自分を呼ぶ小さな声が聞こえた。
 最初は空耳かと思ったが、「野々村くん……野々村くん……」という声は止まらない。
 声の方向を振り返り真一は驚く。半開きの玄関のドアから寮長が顔を出していた。
 真一は慌てて寮長のもとに駆け寄る。
「あ、無事に第一段階は終わったようだね」
「無事ってなんですか!?そしてなんなんですかあの方は?」
「ああ、あれは『イジワルナハハオヤ』だよ」
「は?」
「イジワルナハハオヤ」
「……」
 真一は直立不動で目が点になる。
「あれはね、遺伝子組換え生物なんだよ。イキワカレノイモウトをベースにしたね」
「え?」
「イキワカレノイモウトのせいで、何人もの若い男の子が骨抜きになっちゃって少し問題になったからね。やんわりと山に帰ってもらうためにね、高ちゃんや和歌山大学遺伝子工学研究所と、日光猿軍団の元調教師の方と一大プロジェクトを組んでね、つくりあげたのがあのイジワルナハハオヤなんだよ」
「はあ」
「ベースはイキワカレノイモウトなんだけどね、年齢設定を少し上にして、さらに寄生主の実の母親という設定にしてある。さらにここが肝なんだけど、イキワカレノイモウトは君と母親が違う、妾の子という設定にしてあるんだ」
「え!?こっちから歩美の設定を勝手に決めるんですか」
「イキワカレノイモウトは実に宿主の空気を巧妙に読んで寄生するだろ。それを利用したんだ。イキワカレノイモウトは、こちらがつくった設定には逆らえない。イキワカレノイモウトはこれから妾の子という設定の中で振る舞うしかない」
「はあ」
「これが第一段階のセットアップ。それがうまくいったようなので一安心だよ。じゃあ僕は帰るから」
「ちょっと待ってください!!」
「ん、何か?」
「え、これ何か解決になってるんですか?僕に寄生する動物が二体に増えただけのことじゃないですか」
「ふふ、大丈夫。第一段階は成功したんだ。そのうちイキワカレノイモウトは山に帰っていく」
「はあ」
「だから安心しなよ」
 肩をぽんぽんと叩く寮長。そしてバイバイとドアが閉められた。
 真一が振り向くと、いまだうつむき続けるイキワカレノイモウト、睨みつけるイジワルナハハオヤ。まだ夜ははじまったばかりだった。

 食卓に並べられた料理。イジワルナハハオヤはそれを細い目で見下す。取りだされた真っ黒なゴミ袋。食卓の料理は次々とその中に放り込まれた。
「ちょっと!!!!何やってるんですか!?」
「何って、生ゴミをゴミ袋に入れているだけだよ」
「やめて下さい。何やってるんですか。歩美が一生懸命つくったのに」
「一生懸命い?どんなに一生懸命つくったものだろうが真ちゃんに生ゴミを食べさせられるわけないでしょ」
 畳ににゴミ袋から溢れた料理が散乱する。
 歩美がとことことやってきて、それをもう一度食卓のお皿に拾う。
「何やってるんだ!!けがわらしい!!」
「もったいないから……」
「もったいない!?それで残飯を漁るのかい?ホントに泥棒猫だね。卑しくてたまらないよ」
「あの…………オカアサン、言い過ぎですよ」
 真一はイジワルナハハオヤをそういう呼び名で呼んだ。
「待っててね真ちゃん、今私がご飯をつくってあげるからね」
 作り笑顔を真一に向けるイジワルナハハオヤ。
「大丈夫、二人分くらいすぐにつくれるから」
 イジワルナハハオヤはわざと「二人分」を大きな声で言った。

 ある日の仕事帰り、ふらふらと歩く真一を寮長が見つけた。その頰は以前よりもこけ、目の下にはクマが見えた。
「真一くん、どうだい調子は?」
「……めちゃくちゃ悪いです」
「うん、だろうねえ。そう見えるよ」
「なら、聞かないで下さい……」
 真一は力なく返事をした。
「イキワカレノイモウトの様子はどうだい?」
「歩美は、ホント落ち込んでいますね。毎日毎日、オカアサンにいびられてますからね」
「そうですか。ではもう少しですね」
 寮長はにこりと言った。
「寮長、そういうことなんですか?」
 真一はムッとした声を出した。彼には珍しく感情的な声でさらにつっかかる。
「そうやって、歩美をいびらせる動物を呼び込んで、いづらくして追い出すって、そういうことですよね?」
「野々村くん、何を怒っているんだい。君がイキワカレノイモウトを山に返したいって言ったんじゃないか」
「でも、あんなやり方だとは聞いてないですよ……」
 真一はしゅんとして言う。
「毎日毎日、歩美がオカアサンにいびられて、申し訳なさそうにうなだれていて、とにかくその場に居合わせなくちゃいけない僕は胃が痛くてしょうがないです。これなら前の方がまだときめきがあるだけマシでした」
「そうかい」
「昨日いたたまれなくなってオカアサンに言いました。歩美をいじめるのはもうやめて下さいって」
「おお、野々村くん、君意外と男気あるんだね。それでどうなったんだい?」
「『真ちゃん、私にそんなこと言うようになって、やっぱりそこの腐ったみかんと一緒に過ごしたのがいけなかったのね』と包丁を持ち出しまして……『そこのオンナと真ちゃんを殺して私も死ぬ』って言い出しまして、で僕が『ごめんさい』と静かに座りました」
「ははは、言うねえイジワルナハハオヤ」
「あの動物、どう考えてもイキワカレノイモウトよりも僕に害悪を与えている気がするんですけど……」
 という言葉を寮長は無視する。
「でも野々村くんも優しいね。イキワカレノイモウトも本当の妹じゃないし、イジワルナハハオヤも本当の母親じゃないのにね」
「本当だろうが嘘だろうが、心は痛みますよ。映画でも小説でも、全部本当のことでもないのに悲しい出来事が起こると心は痛むじゃないですか。同じことですよ」
 さらにそれが目の前に、説得力を持って演じられるとき、それはもはや現実の出来事と変わらないことを真一は実感していた。
「まぁ、なんにせよもう少しだから。頑張ろう野々村くん」
 そう微笑む寮長に、真一は「この人ずるいな」と思ってしまった。

 あるとき真一が家に帰ると、黙々と料理をつくるイキワカレノイモウトの姿があった。
 イジワルナハハオヤはいなかった。
 イキワカレノイモウトは一心不乱に小麦粉をこねていた。
 いつもは真一が帰るとイキワカレノイモウトはぴょこぴょこと彼に駆け寄るのだが、一瞥すらしない。
 やがてイキワカレノイモウトは小麦粉の固まりを平たく伸ばし始めた。
 やがてそれを手にかけてぐるぐるとまわし出す。小麦粉の生地はその遠心力で平たく薄く伸びていく。
 これは……。
 真一は見覚えがあった。テレビで見た世界ピザ職人コンテストの様子。
 そう、イキワカレノイモウトはなぜか手作りピザをつくっていた。
 今まで中華と和風の料理しかつくってこなかったイキワカレノイモウトがはじめてつくった洋風の料理。それがなぜかピザだった。
 平たく伸ばされた薄い生地にトマトソースとチーズが乗せられる。
 それを柄のついた鉄板に乗せ、イキワカレノイモウトは玄関から外に出る。
 いつのまにか外に造られていたかまどに、鉄板に乗ったピザを入れる。
 数分後鉄板を引くイキワカレノイモウト。
 そこにはピッツァマルゲリータがあった。
「あ、お兄ちゃんお帰り」
 ここでイキワカレノイモウトは今気づいた風に真一に挨拶する。
 そして食卓の上にピッツァマルゲリータを乗せた。
 見るからに超力作のピッツァマルゲリータ。だが、真一は思った。どうせオカアサンに見つかった捨てられるのにと……。
 ドアがギイと開いた。
 着物姿のイジワルナハハオヤが立っている。
 真一はびくんと身体を震わせた。
 すたすたと畳を歩くイジワルナハハオヤ。食卓の上のピッツァマルゲリータ。これを見たとき、イジワルナハハオヤの顔色が変わった。
 イジワルナハハオヤは食器をひっくり返さずに、黙って座った。帯の中から静かにピザカッターを出し、ピッツァマルゲリータを切る。ピッツァマルゲリータをひとつ取り、口を開けてにかぶりついた。そして静かに微笑んだ。
「あの人の好きな味だ……」
 は?
 真一はそう思った。
 ふと横を見ると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで破顔しているイキワカレノイモウト。
「お父さんも、お兄ちゃんも、そして……私も、お母さんがつくってくれたピッツァマルゲリータが大好きだから……そして私……お母さんのことも好きだから」
 泣きじゃくりながら言うイキワカレノイモウト。
 いや、僕は……人生でピッツァマルゲリータを食べた思い出がほぼないんだけど、と真一は言いたかったが、言える雰囲気ではなかった。
「ごめんね。今まで。ごめんね」
 イジワルナハハオヤがイキワカレノイモウトを抱く。
「ごめんなさい。私もごめんなさい」
 イキワカレノイモウトがイジワルナハハオヤを抱く手に力をこめる。
 食べかけの手作りピッツァマルゲリータ。抱擁をして泣き合うふたり。
 ナニコレ。
 突如目の前に展開される感動のドラマ。その感動のドラマの舞台設定に全く没入できていない真一は、戸惑いながら立ち尽くすしかなかった。

 「和解」の翌日。
 きらきらとした朝日が差し込む玄関。
 そこには鞄を手にしたイジワルナハハオヤと、肩掛け鞄をぶら下げて、麦わら帽子を被ったイキワカレノイモウトが並んで立っていた。
「真ちゃん。迷惑かけてごめんなさいね」
 イジワルナハハオヤはそう言った。
「私はこのコと……歩美と実家に帰ります」
 イジワルナハハオヤは頭を下げる。それに合わせてイキワカレノイモウトも頭を下げる。
 そしてイジワルナハハオヤは真一に抱きつく。
「あの……」
 どぎまぎする真一。
「真ちゃん、またね」
 イジワルナハハオヤは踵を返して歩いてゆく。
「お兄ちゃん、ありがとう。お兄ちゃんと暮らせて歩美、すごく幸せだった」
 イキワカレノイモウトも真一に抱きついた。
「僕も」
 と小さな声で返した。
「またね」
 笑顔でそう言って、手で小さくばいばいするイキワカレノイモウト。
 イジワルナハハオヤの元に駆け寄り、仲睦まじそうに、ふたりはにこやかに山への道を歩いていく。
 ふたりの姿が小さくなったところだった。
「ね、私の言った通りでしょう」
 そう、口を出したのは、いつのまにか真一の斜め後ろにいた寮長だった。

 それからの真一の生活。
 朝起きる。
 トーストを一枚だけ焼いて、バナナを一本頬張る。
 仕事場に行き汗を流す。
 昼は仕出しの弁当を食べる。
 午後の仕事に汗を流す。
 夕方家に戻る。
 マーケットで買ったカップラーメンをつくり、スマホをいじりながらそれをすする。
 とても静かな生活。
 あのときめきも、あの居心地の悪さもそこにはない。
 ふたりとも元気かな……。
 真一は畳に寝転がり、天井を見つめながら、そう思った。
「またね」
 と言ったイキワカレノイモウトの言葉を真一は静かに反芻した。
 

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