梗 概
こびと
ある朝、嶋津タダシが自宅のアパートで目覚めると、左腕にこびとがいた。
小指の先ほどの背丈で、服は着ていない。顔が大きく、面影はタダシと似ている。まばたきの間にこびとは消え、タダシは寝起きの幻覚だと思う。
タダシは35歳で独身。職を転々とし、いまは怪しげな中国語教材を電話で売りつける会社にいる。出勤早々、年下のマネージャーに叱責されるタダシ。謝る彼の視界に動くものがあり、見るとこびとが左腕の上にへばりついていた。よそ見をしたとして、さらにタダシは叱責される。
退勤後、築35年のアパートで、自殺した飼い主を猫が食べたというニュースを見ながら弁当をつついていると、再びこびとが左腕にあらわれる。今度は一人ではなく、小さなちゃぶ台を挟んで女性のこびとと一緒だった。その顔が別れた恋人に似ていることに気付いたタダシは苛立ち、こびとの顔を右手の指先で弾く。
すり抜けるだろうという予想に反し、こびとの首は飛び、血を撒き散らした。タダシが叫ぶと同時にこびとはまた消える。
「幻覚……?」
つぶやくも、指先には肉の感触がまだ残っている。
それからもこびとは毎日あらわれた。別の女こびとと一緒にいたり、友人や子どものこびとと遊んだり、小さな車を乗り回したりしていた。恋人、友人、家族、金。いずれのこびとも、タダシにはないもの、手に入れられなかったものを持っていた。
ことごとく、殺した。
指で圧し潰した。頭を捻じ切った。爪で切り刻んだ。そのたびに快感が走るのを感じた。ストレスが苦にならなくなり、順調に仕事をこなすようになった。
だがある日、上司がタダシに退職を勧告する。
「独り言が増えて怖いと、社員から苦情が出ているんです」
食い下がるタダシは、ふと窓に映る自分の全身に、こびとがびっしりとたかっているのを見る。叫び、服を脱ぎ、肌を擦る。潰しても潰してもこびとは湧いてくる。爪をたてると皮膚はめくれ、肉のかわりにあるのはギチギチに詰まった集合住宅、その部屋ひとつひとつで自分そっくりのこびとが家庭を築いている。指を突っ込んで掻き回す。だれのものともわからない無数の悲鳴。強い力で床に押さえつけられ、タダシは意識を失う。
その夜、ニュースが流れる。
急増する奇行事件と変異型トキソプラズマの関連を報じるものだ。トキソプラズマは猫を終宿主とする寄生虫で、主な中間宿主であるネズミの樹状細胞に寄生しドーパミンを生成、自ら猫に食べられるような行動をとらせることが研究で知られている。
ヒトにおいてもトキソプラズマ感染による性格の変化が報告されていたが、因果関係は究明されていなかった。変異型は人の脳でも活発にドーパミンを生成し、幻覚と激しい自傷を促す。症状が現れた人は一刻も早く病院へ行くようニュースは告げる。
しばらくの後、退院したタダシはハローワークにいた。トキソプラズマのワクチンは存在しないため抗精神薬による対症療法を続けていた。相談ブースの椅子に座り、タダシは自殺した飼い主を猫が食べたニュースを思い出す。
退院以来、なぜか野良猫が異常に懐いてくるようになった。
深呼吸する。大丈夫、薬は効いている。あれから幻覚もみていない。自傷しようなんて気持ちもない。
「ええと、嶋津さんですか?」
やがてやってきた相談員の中年女性、その顔いちめんに無数のこびとがしがみついているのをタダシは見る。
こびとが一斉に嘲笑する。
その声は盛った猫の叫びに似ている。
文字数:1400
内容に関するアピール
寝付けない夜、どうしようもなく怒りが湧いてくることがあります。
それは特定の誰かに向けたものではなく、なにか、自分のこれまでの人生、選択というか、あるいは世界全体、生きることそのものに対するというか、あんまり自分でもその正体がよくわからないのですが、それでもよくわからないまま、ただひたすら何かを憎みたいと思ってしまう時があるのです。
ありませんか?
そういう、紙やすりのような殺意にイメージに形をあたえてみた結果「こびと」という生物が生まれました。
自分がかつて失った幸せを鼻先で延々と突きつけてくる、自分そっくりの生き物。殺したくなりませんか? わたしはなります。憎しみそのものというより、憎しみの対象を具現化したといったほうがいいのかもしれません。八つ当たりのために生み出されたと思うと、若干かわいそうな気もしてきます。
さすがに存在としてリアリティがなさすぎるので、説得力をもたせるために変異トキソプラズマによる幻覚症状という理屈をもたせました。トキソプラズマに感染した人間はリスクを怖れなくなる、危険への反応が鈍くなるといった特徴を持つ傾向にあると、実際に報告されているそうです。
文字数:490