梗 概
風が知らせる石の記憶
下層階級の人間は名前でわかる。何よりも長命を願う彼らは、鉱物の名を子供に付けるのだ。
現在、人間が群れ住む土地の時間は、二つに分かれている。時間を変える植物、時軸果の加速減速操作に成功したからだ。
二つの時間線は、場所だけでなく人間を分断している。
幹線地域は資産を持つ上流階層が生活する。高価な減速時軸果が計画栽培されている。時間はゆったりと、永遠を手に入れたように遅く進む。そこでは時間は人の幸福に奉仕するためにある。とはいえ子供たちの通う学校の敷地には加速時軸果が植えられている。子供たちは知識や教養や思考の技術を頭に詰め込まれ、親より老化するほどの時間を過ごす。しかし大丈夫。金さえ出せばテロメア移植を受け、長寿は約束される。
支線地域は人口の密集した下層地域である。時間は常に加速している。福祉対策として無料の加速樹公園があり、安い加速葉巻が出回っている。自分の時間を売って稼ぐ者たちは、望んでこの場所に住む。加速効果無しには生活が成り立たないからだ。働くほどに老い衰える彼らの労働は単純で重く、生活する人間の感情の波は激しい。
互いの線域は出入り自由だ。しかし時間契約の雇われ仕事や観光を除いて、階層移動(転線)はまず無い。破滅による転落か、才能による上昇を除いては。
藍銅と仲間は、楽師として高級クラブに呼ばれた。観光客の目にとまったのだろう。
祖父の石墨は、転線の好機だと喜ぶ。
グラファイトは若い頃一流楽団で演奏したことがあり「音楽は時間を支配する創造物だ」と語る。しかし現在の祖父は古い曲を繰り返し聞くだけで、体に埋め込まれた時線量計はこの二十年間に四十年分を過ごしている。余命はわずかだろう。
仲間の滑石と方鉛は流行の〈心地よいコード〉を〈泣かせるフレーズ〉で演奏しようとしている。今一番複製されている藍鉄の楽曲のように。ヴィヴィアンのレコードジャケットに藍鉄の文字は無いが、支線界隈の人間は皆、この毛並みのいいシンガーが転線を果たした鉱物世界の人間だと知っている。
もうひとりの仲間であり、バンドのリーダーである輝水鉛は、タルクたちには反対だ。この世界で育った人間のアドバンテージは、速度だけで驚異の速度を上流階級の人間に叩きつけたい。それがモリブの考えだ。
三人とも目標は自分たちの演奏が円盤になり、リピートされ続け記憶されることだ。
アズールは普段のジャムのように、その場の空気が求めている進行で演奏したい。時間の流れを変える瞬間かあると感じるからだ。しかし口で説明できない。
彼らは普段より加速葉巻を決め、約束の期日までの時間をたっぷり手に入れ、練習した。意見がまとまらない分、いくつもの演奏スタイルを手に入れようとした。
彼らが時間を手に入れることは、時間を失うことである。短い期間に、彼らは少し老けた。
招かれた楽屋には別のグループもいる。悠揚迫らぬ物腰なのに皮膚は子供のようだ。
タルカの曲とモリブの主導する曲を弾く。客は緩慢に拍手した。
次の年若い(と見える)グループの演奏。それは旧知のフレーズをずらし続け即興でアレンジし、恐ろしく脱線しながら再び主旋律に戻る。楽譜に従わない演奏に観客は沸く。彼らはアズールたちを手招きし、即興演奏に誘うが、モリブは挑んで一分と保たず、ガレナは乗れていないことに気づかず客に不興を示され、タルクはステージに出ない。アズールだけが初めての演奏に乗り、その先を行くアレンジを披露できた。
ステージで時間を支配している感覚。
クラブオーナーはアズールだけを誘う。上流階級の客は、有り余る時間を持ちながら時間を惜しんでいる。同じ楽曲をリピートすることは時間の無駄で、一回性だけを求めているのだと言う。レコードは廃れライブだけが価値を持つようになっていると。
アズールは若いグループに加わりたいと申し出る。階層が違っても受け入れて欲しいと。
彼らはアズールに正体を明かす。彼らは幹線地域の人間では無く正常な時間の流れの本線域の人間なのだという。本線で生きる人間は少ないが、時間を恣意的に動かさないで生きることで時間感覚が研ぎ澄まされるのだ。ただし本来の時間線では無限の焦りや退屈があると言われ、アズールは恐れる。
一度は支線地域に戻ったアズールだが、祖父は楽団に入ったことなどなかったのだと知る。嘘の記憶をリピートし続けていたのだ。
アズールは本線への移動を決意する。
文字数:1860
内容に関するアピール
時間の速度を変える植物を考えました。
場所によって時間の流れが違っていたとしても、最近まで証明はできなかったはずです。まして時間の変わる割合が少しだったら気づきもしません。
厳密な計時能力を人間が手に入れるまで見逃されていた、異能の植物が存在する、という世界の出来事を書きます。
奇妙な生き物の設定
時軸果:柑橘系落葉低木。仕事が進むリラックスハーブとして、あるいは時間感覚を狂わせる麻薬として用いられてきた。生体の時間認識に作用するのではなく、物理的な時間を加速するのだという証明がなされたのは、二十世紀に入ってから。厳密な計時法が無ければ一日が二十五時間になっても気づかれない。この木の周囲で機械式時計の針が不自然に進んでも時計の狂いと思われていたのだが、水晶時計の出現によって、時間が加速していると判明する。原生地一帯では二十分間に二十一分経過していたという。
時軸果の葉や実は食べるほどに空腹に襲われ、早く疲れる。このため現生地の草食動物は恐れ、この木に近寄ることさえ無かったと伝えられる。
命名は日本書紀に書かれた「非時香菓」に因む。これは常世国に生える、永遠の生を与える果物で、匂いを嗅ぐだけで寿命が伸びる(時間が得られる)とされていた。
現在では時間を加速だけでなく減速もするように品種改良されている。
日常生活では私がぼんやりしている間に、人は私の何倍も勉強したり働いたりしているように思えることがしょっちゅうです。みんな私と何が違うのでしょう。まあ勤勉さの違いなのでしょうが、怠惰な私には不思議に見えます。
そしてたまに(自分にとって)大きな仕事を完遂した後には、あの時なんであんなに働けたのだろうと思ったりします。自分が不思議。
体感としての時間ではなく、物理的な時間の経過が人によって違うのではないか。
そんな時間への(というか自分への)不安を小説化したいと思いました。
文字数:810
風が知らせる石の記憶
石墨は幼い頃、違う名前で呼ばれていた。けれど幼名が何だったかは失われてしまったし、成人してからも悪名を得て名前を変え続けた人間だ。だからずっと後年の、年老いて死んだ時の名前でこの人間を語ることにする。
ずっと昔、この人間が生まれた頃。
石墨の家は、集落の者にとって笑い話だった。そして時には怪談だった。あの橘の木に囲われた家に近寄ると、誰も働く気を取られてしまう。いつまでも仕事が終わらなくなる。そんな風聞だ。 なにしろあの家は火を灯すことが無いのだからな。明かりが外に漏れないのでは無い。日が落ちると同時に全員が眠ってしまうのだ。子供ならともかく夜なべ仕事をすべき大人さえ、日が昇り切るまで起きない。一日の半分を寝入って過ごすのだ 。
そこまでは笑い話。怠け者の瘴気に当てられたとして片付けられる。
話が続く場合もある。
その上、あの家には年寄りがいない。年を重ねた者は居る。しかし六十になっても腰が曲がらない。誰も老けない。しかもそれはあの家の血統では無いのだ。あの家に縁づいて入った者もみな年を取らなくなる。石墨の母は自分の老母と(あるいは近隣のだれそれと)同い年だ。日中は村の他の者と同じように田畑に出て同じように働く。けれどその姿を誰が老人と見るだろう。水々とした肌。濁りのない目の強膜は冴え冴えと白く、地味な丸髷に結いつぶしても髪は底光りするように黒い。口を開けば唇の隙から覗くのは髪と同じ漆黒。鉄漿に染まるお歯黒の歯は一本も欠けが無い。なにしろ石墨を産んだのは五十歳だという。周りの五十歳の人間を見てみろ、たれも老人だろうに。
それを子供たちは、寝物語に聞かされる。子供は言う。
じゃあいっぱい眠れば年を取らないのかしら?
うん。だから早く床に入ってお眠り。
大人は子供を寝かしつけたいのだ。しかし子供は言う。
じゃあ大人こそいっぱい、たくさん、眠ればいい。年を取るのが嫌だって言うのは、大人だけだよ。
そうだなあ。
本当にそうだと思いながら、大人は子供を寝かしつける。
それから一晩中働いて、わずかでも稼ごうとする。どの家の大人たちもそうなのだ。村はずれの一軒、橘の木に囲われた石墨の家を除いては。
そして己の胸の内に語りかける。けれど、と。
けれど、長く生きているどころか、あの家の人間たちは、人の半分しか生きていないのではないか?
石墨が記憶している限りでは、物心ついた頃は、国替えがなされたばかりだった。と言っても国の名は変わらず、為政者がそっくり入れ替わっただけだ。新しい憲法が公布され、外国の文物の流入が自由になったと伝え聞いたが、それで石墨の周りの世界は急に変わるでもなかった。
ただ次第に、物が金に替えられる世の中になった。学校が作られたのはそのためだ。読み書き算盤は稼ぐ元手になるから。
村一番の地主が土地を提供し、山持ちが木を切り出し、金のない者は地ならしや大工仕事の手伝いをした。男手の無い家は炊き出しをし、働き手のいない無一物の家は、形ばかり雑穀や萎びた青物を持ち込んで何とか体面を保った。
石墨はそれをつぶさに見た。
村内の子供らもみな、自分たちの通う学校が建てられる場所に集まってはいた。しかし子供らは大人の働きを横目に、ひがな一日遊び駆け回った。その中で石墨だけは大人のしどころを観察するのが好きだった。多分、同い年の子供たちから一段下に見られているせいもあったろう。一番背が低く、言動も幼かったから。
石墨の家族は子供が学校に入ることを恐れていた。そこは世間の時間で年齢を測られ、きっちりと囲われる場所だったからだ。
それまでも年回りで区切られる儀式はあった。幼い頃は帯解(※おびどき。七五三の旧称)や十三参り(※数え十三歳の子供が虚空蔵菩薩から知恵を授かる)。成人すれば祭りの村役。老齢になれば古稀の祝い。家の者は同年の者たちと比べられる度に、侮蔑や驚嘆、時には羨望の嘆息を受けた。
家の者は代々笑われながらもやっかまれて来たのだ。しかしそれはどれも一時で済むことばかりだった。
閉ざされた場所で暮らす者たちはお互いを知り抜いている。そこでは世間が狭いからこそ、人間は誰もが異質な存在だということが身に染みている。どの家にも醜聞があり、どれほど恵まれて見える人間にも不幸があることを、広い見聞を持たないながらに知っている。自分と異なる人間をあげつらいもするが、それはどうしようもないことを笑い飛ばすためだ。石墨の家の者たちは周囲の人間から異端と看做されながらも親愛を示されてもいた。どうしようもない異質さを抱えていようと、お互い似たりよったりの部分の方が大きいこともわかっている。生きるに精一杯の貧農の村で、敵対する必要の無い者はそのままに置かれていたということだ。
しかし何年も続けて同年の者たちと過ごすとなると話は違うだろう。石墨の家族は誰もそのような経験をしたことが無かった。他家から縁付く者はこの家の風評を知って入ってくる。耐えられなければ去る。学校というところは違う。自分たちには合わぬ時間の物差しを当てられ続け、成長を比べられることを、家の者たちは恐れた。
子供が理解できない異端者として扱われることと、家の秘密が暴かれること。その両方を恐れた。
案の定、学校という場所に囲われた石墨はよく笑われた。彼は宿題を家でしこなすことができなかった。
就学して数ヵ月後、教室では熱意を持って学ぼうとする石墨が成果を上げられないことを教師は怪しみ、居残りさせた。それまで叱られ続けた生徒は、教室で粘り強く、かつ明晰に課題をこなした。
ここに至って、教師は石墨の家を訪ねた。
詳細は伝えられていないが、教師は石墨の母の謡に感嘆し、その後度々村はずれの家まで足を運ぶようになったようだ。
「時を忘れるほどの喉だった」教師は後々語った。「全く、いい音曲は時の流れを変えてしまうと思った」
尋常過程を卒えて高等小学校に進むに当たって、石墨は教師の家に寄宿することになった。家は教育にふさわしくないと母が泣きついたのだと噂された。当時、知性目覚しい生徒や不憫な子供を教師が引き取り寄食させるのは珍しいことではなかった。
生家を出た石墨は急に体格が向上し、学業優等表彰を受けた。そして再び家に帰る事は無かった。
家は燃え尽きたのである。
家の傍に社があり、灯明の不始末なのか乾いた風の吹く年の瀬に火の手が上がった。集落の男手が石墨の家の井戸を汲み尽くしてその火を止めた。しかしその間風下であったのに、石墨の家を囲む橘の木々は全く延焼する気配が無く、白く弱々しい花も熱に萎びる様子がなかった。
男たちはこの家に近寄った時の常でひどく疲れ、のろのろとしか動けなかった。そうして庭に入り水を汲む時には頭も働かず、火の手に間近いこの木に水を掛けなかったのである。もっとも社の火は完全に消し止められたのだから、彼らの落ち度では無かった。数時間後に橘が発火したことこそ異常だったのだ。
まるで火が着く時間を間違えたように石墨の家は燃えた。日が落ちてからの火事は目立ち、集落の人間は再び集まった。そして不思議な現象を目の当たりにした。
炎は垣根の橘からである。生木だから早く燃えないのではあろう。
しかし、それは全く火事に見えなかった。炎の膜が敷地をぐるりと取り囲み球になっている。まるで無患子の果汁を藁茎に浸けて吹いたしゃぼんの玉のような、奇妙な火だった。誰もそれをくぐることはできず、じれったいほどゆっくり燃え続けるのを人々は恐懼のうちに見つめた。橘の枝葉はとろとろと焼かれ続けた。
やがて橘の枝葉が燃え木の命が尽きると、炎の膜は消えたが火は勢いづいた。家が燃え出し、もうひとたまりもなかった。井戸の水は枯れていたからまともな火消しもできなかったろう。
そうして燃え尽きたのは苫屋だけではなかった。宵の口であったけれど、この家の常で全員が寝入っていたから。
一家は石墨を残して絶えた。
その後教師は地元の篤志家に口を利き、石墨は書生となり、高等師範に進んだ。
後年、肉親が死に絶えたことで運が開けたようなものだと悪口された石墨は、目尻裂けるほどに相手を睨んだ。が、そのくせ自分でも同じことを口にすることがあった。
「確かに俺はあれで、運が開けたのだ」それは何かに思い屈し痛飲した折で、石墨は無惨に唇を歪ませた。
「俺はお化け屋敷から出られたわけだ。玉手箱の土産も持って」
石墨が語る土産とは、桐の手箱に詰めた橘の実だった。小さく固い、食べられもしない蜜柑。家を出る時、手慰みに詰んだものだった。
それが後年、鄙の村から一代で身を起こし今太閤と呼ばれた人間の唯一の財産だった。
柑橘類は原種に近いほど、特殊な性質を残している。食用改良種の蜜柑ではこの性質は失われている。
一年中芽吹いて花が咲き、実を結ぶのである。
柑橘類は落葉樹であるから光量の減る秋には盛大に葉を落とす。けれど原種は真冬になっても枝に葉を残している。四季を通じて観察すれば、この木は寒暖に対応しているだけで、一年中同じ時間を過ごしているのだと思うだろう。
新芽と枯葉、花と実が年中同時に枝についているのだから。
時軸果は時間攪乱生物である。一般には柑橘系樹木の局地進化例と思われているが、実のところ柑橘類の原種に近い。しかし時間の進行を変化させる生体機構はもとより、進化系統も怪しいままで種の出自は確定しない。
時間攪乱は、一説には人新世以前の不確定世界に適応した特性なのだともいわれる。生物が意識を持つことによって時間線が統一された現世に取り残された特異例が時軸果なのだと。
一説には異星の珪素生命体との混合種ではないかともいわれる。時軸果は窒素系でなく珪素系の根粒細菌を持っていることが発見されたからだ。珪素は化学変化の速度が遅すぎて細胞の基材として窒素より劣る。珪素を生体に取り込むために化学変化速度を促進する生物が異星から到来したのだと仮説する者がいたが、それは冗談として世間に流布した。確かに生体の時間が遅くなれば化学反応に要する時間が相対的に早くなる。根粒細菌を養う土中では時間の変化が観測できないことからこの説は一定の説得力を持っていたのだが、珪素利用はだいぶ後に獲得した性質だと見なされた。個体周辺の時間を遅らせる能力の獲得が先でなくては珪素利用はできないからだ。珪素を取り込むことによって細胞を強固にし食害を無くしたのは時間攪乱よりも後から獲得した特質であるから、異星生物説は退けられた。
種の由来はわからないが、時間の速度を操ることで時軸果は他の異能も得たようであった。特に太陽光利用の効率が高いC4植物のエネルギーサイクルを持つことこそ、時軸果が現在まで生き残った最大の理由だろう。自然林の中で、太陽光を争う植物一本一本の分け前は少ない。日照時間中は急いで生命活動し、相対的に長時間光を浴びる。日が落ちれば時間を遅くする。光エネルギーを得られない夜の時間を相対的に縮めるのだ。この両方によって成長を早めたことがこの木の生存戦略であった。
田舎の高等師範を一七歳で卒業した石墨は、期待された教師にはならず、農業試験場に奉職し、経済植物の採取と栽培に従事した。
教師に引き取られて育った石墨が学校勤めよりも食糧増産に関わる公職に就いた理由は一つだった。石墨が成年になる頃、世界では戦火が拡大していたのだ。徴兵されことの無い生き方を選び、自分を育てた恩人に長く報いようとしたのである。
しかしやがて、石墨はこの仕事により大きな目的を見出した。
機密性の高い桐の手箱は開けられ、中身は取り出された。
時軸果は試験場で密かに、というより堂々と栽培された。柑橘類の希少種と称して。新種同定もせず本職の傍ら誰にも怪しまれず石墨は時軸果を育て、研究を続けた。
同時に石墨は様々な有用植物を改良した。十年かかる交配を五年でやってのけるという評価を得て、石墨は試験場の所長にまで出世した。
石墨は時軸果を利用したが、世に出す気はなかったのかも知れない。
俗世は戦争に明け暮れ、戦火は拡大し続けて世界大戦と言われる大事に至っていた。戦争は石墨が時軸果を育てるきっかけともなったが、同時にこの生物を隠す理由にもなった。世に出せば軍事利用されることを石墨は危惧した。
ダイナマイトは危険なニトログリセリンを安全に扱い、死者を無くす目的で作られた。しかしダイナマイトが人類史上最大の死者を生んでいることを誰もが知っていた。
しかしやがて、石墨は時軸果の秘密、先祖伝来の秘密を、世に知られる道を進むことになった。
石墨の勤める農業試験場は取水の用から湖のそばにあったのだが、広大な湖は航空機の飛行訓練にも都合が良い。近くには空軍基地が作られていた。訓練機が落下しても被害少なく救命の可能性が高い場所だから、それは偶然では無かったのだろう。
時軸果によって石墨が脚光を浴びることは必然だったと言えるのかもしれない。
有翼航空機でなく、飛行船の実験飛行が行われたことも偶然ではなかった。大量物流を空輸で行うには、当時ガス式飛行船が最適な手段だったのだから
そして飛行船実験には失敗が、 しかも壊滅的なそれが つきものだった。
試験場の低空で飛行船が爆発し、周辺一帯に被害が及んだ。しかし試験場は無傷だった。爆発時に飛行船を観察した人間は多く、その証言は一様でありながら異常なものだった。
試験場が半球形の防護壁に囲われていたというのである。
爆発と同時に機体は飛散したが、試験場の上に巨大な椀を伏せたように破片が避けて落ちた。遅れて飛行船のガス袋、巨大で軽い気密布が、破れてひるがえりながら舞い落ち、試験場をよけてサラサラと滑った。滑りながら半球形の輪郭をなぞったので、目撃した者たちはそれこそが新兵器なのだと思い込んだ。
爆撃を完璧に避ける見えない防護壁があるのだと。
ここに至って、石墨は時軸果の特性を白状することになった。事故後すぐに召集を受け、聞き取りされたのである。
石墨は正直に話した。時軸果は光エネルギーに反応する。爆発時の強烈な光を受け、それを光合成に使えるように薄めたようとした、つまり時間を引き伸ばし遅らせたのだと。
軍部ははじめ信じなかった。当然と言うべきだろう。飛行船の事故証言は偶然に過ぎず、試験場の所長は事故に錯乱して世迷言を言っているのたと判断された。
石墨は信じられなかったことで安心したが、試験場の職を退くこととなった。
お役所仕事の常で、爆発事故後の聞き取りは早かったが軍部からの返答は数ヵ月後であったから、石墨はうまく立ち回った。
退職までの期間に試験場内の時軸果を全て根回し(※根回しとは本来、巨木を移植する際に適切な根切りを行って枯らさぬよう養生をすることである)し、どこかへ運び去った。
更に残った土壌は焼却殺菌されて、後には橘が植えられた。
石墨が去っても試験場の職員で嘆く者は少なかった。が、さほど時を経ず次々と退職者が出た。石墨が自前の会社を起こしたからである。
品種改良の腕で所長を勤めた石墨は、実際のところ植物より人間を見ることが得意だった。職員の多くは石墨に好意を持ち、恩さえ感じていた。
石墨の行跡に不明な点が多いのは、身近な人々に好かれていたからだとも言える。石墨を知る者ほど背任に協力し、口を閉ざした。
数少ない証言では、石墨は職を辞す以前に最大の研究成果を完成させていたという。時軸果のⅠ型Ⅱ型分離である。
Ⅰ型の近くでは時間が早く進む。外界の時は遅く感じ、仕事が進むから時間稼ぎができる。
Ⅱ型は時間の進みを遅くする。碁盤を囲む仙人を眺めるうちに時代が過ぎ去る伝説ほどの力は無いが、真の意味で時間が稼げるのはこのⅡ型だ。Ⅱ型の近くにいれば、あたかも年を取らないように外界から見られるだろう。
時軸果の時間攪乱性を固定し、新しい職を探した石墨が起こしたのは、意外にも土木建築の会社だった。
きつい条件で初めて請け負った治水工事を、石墨は難なくやり遂げた。石墨の監督する現場でセメントはたちまち硬化し、働く者はなぜか短時間にいくらでも働けると言い合った。給金を他の現場より払ってもらえたから労働者たちはぞっくりと疲れても喜んだ。
いくつかの工事を仕切り、某所の軍事基地を仕上げた時には一夜城を築いたと言われ、石墨は再び軍部から接触を受けた。
石墨は市井に打って出て、やりすぎたのである。
生きるに十分な富を得た石墨は、贅沢の喜びを知った。それから、人を思うままに使い、国土の光景を変える喜びも。
息を潜めるように育ち、長じては誰も知らない楽しみに没頭し、そうして世界に向き合えば、自分は無限の可能性を握っていた。
石墨は軍に尋問されようと、逃げるつもりはなくなっていた。
駆け引きには危険がある。しかし自分を利用価値がある人間だと信じさせればいいのだ。
時軸果以上に価値のあるものを石墨は考えつかなかった。
司令部もそうだろう。
相手が強欲であるように石墨は願った。
強欲な相手は相手の不正を見逃してでも、価値を取る。
石墨の願いは叶った。在郷軍司令部の東部司令官は、飛行船爆発事故の目撃証言を知らず、ただ治水工事に画期的な手腕を持つ、おそらくは新技術を独占している石墨と手を結ぶつもりでいただけだった。
農業試験場のいきさつに口をつぐんでいても良かったが、石墨はのうのうとそれを話した。相手を値踏みするためである。
時軸果の秘密を共有するためには、過去のいざこざを織り込める豪胆さ、ないしは強欲さが必要だった。石墨は全てを話した。
司令官の反応は石墨にとって予想外だった。
ある提案 という名の命令 をされて、石墨は受け入れた。
射爆練習場は過去に採掘され尽くした採石場で、山中であるのに周囲に植物は無い。やがて大音声が轟くのだろうが、今は鳥の声、虫の音さえ無い。
この殺伐たる広場に、石墨は座っている。
ただ隣に据えた蓄音機だけが慰めだ。
手回し蓄音機のスピーカーから聴こえるのは、石墨が関係を持つ声楽家の曲だ。
退屈な時間が長いだろうと覚悟した石墨は、しかし時間を進めてやり過ごそうとはしなかった。
司令官の提案に応える自信はあるが、それでもこの場に限って失敗があるかもしれない。失敗したら石墨は命を落とすだろう。
せめて感覚を研ぎ澄まし、楽しんで時を過ごして待ち受けたい。その思いで蓄音機を持参した。
最高の歌手が最高の演奏で吹き込んだ時間が、再生されている。
多分、と石墨は思う。
自分は時間を操っていると考えているが、この歌手はこの素晴らしいレコードを残すことで時間を支配したと考えているのではないか。
石墨は会うたび自分に金をせびるのに、いつも驕慢なこの歌手が好きだった。見惚れるくらいに自分の欲望に正直だったから。
耳は歌唱を捉え続け、目は正面を見続けた。そろそろ準備がいいようだ。
司令官が座る隣で、将校が合図の手を上げた。
石墨は遮光眼鏡を掛けた上で目をつぶった。
足元には時軸果の鉢植え。
ポケットには時軸果の実。
閃光が踊って、爆音がした。
続いて起こったことを石墨は見られなかった。ただ聞こえる音は歪んで絶え、ゆったりとした振動を感じた。
司令官からは、照明弾の後の威嚇射撃が全て弾かれ、しまいには石墨に向けて撃たせた銃弾も当たらないとだけ見えた。
終了後、銃弾は半円の線を描くように地に落ちていた。すべて潰れた金属の粒と化している。
半時の後、司令官は石墨を軍用車の隣席に座らせていた。
「無敵の防御壁だ。時間を移動させるとはまさしく超兵器だ」
「いいえ」と石墨は答えた。
「無敵ではありません。光は透過します。光学兵器には耐えられない」
時軸果は光を受けてから反応するのだ。
「光学兵器? 夢物語だ。百年先だろう」
司令官は間違っていた。
その実現は二十年後で、もう違う戦争だった。とっくに退役した司令官が関わることが無かったという点では二十年も百年も変わらないのだが。
石墨は軍に協力して時軸果の樹液を提供したが、それは戦争の終結を早めはしなかった。時軸果の防御機能は生木にしか無く戦場の屋外に置けるものではなかったし、一時戦闘力が高まっても、その分兵士は疲れたからだ。
石墨が目論む国土改造にこそ、時軸果は役立った。
軍部の後ろ盾を得て、石墨は思う存分に働いた。山を削り川を埋め、道を通し摩天楼を建てた。それは国中の景観を変えることであったから、後の時代から振り返れば内戦の狂気のようだったろう。
戦場ではない世界を戦場に変えることにおいてこそ時軸果は力を顕にしたのだ。
時軸果の樹液を噴霧した軍需工場は驚異の生産性を示した。競争の世界に生きる者や時間に追われる者は何とかしてこれを手に入れようとした。もっとも競争もせず時間にも追われない者がいるのかはわからないが。
在郷司令官は陸軍中将にまで上り詰めたし、石墨は巨富を得た。
戦争終結時には、おびただしい時軸果が培養され備蓄されていたが、それはいくらでも欲しい者がいた。
「平和な世界でこの木は人間にどれほどの福音をもたらすでしょう」
そう語る者は多く、みな自分の時間を自由に伸ばしたり縮めたりできるのだと夢見た。
そんなことにはならないと見抜いているのは、石墨の他には僅かだった。
安全な使い方も考慮され尽くさぬまま、時軸果の培養は誰にも止められない苛烈さで進んだのだ。
石墨は世間に顔を晒すことを極端に嫌がり、それは時軸果熱が盛り上がるうちには不思議がられた。戦争の終結を味わう人間は、希望や激しい感情に突き動かされる。石墨は夢を実現する実業家という熱狂で見られたのだ。人類を時間の桎梏から解き放つ英雄だ。
その世評に乗って、石墨の部下が何人も時代の寵児に祭り上げられた。彼らは自分こそが時軸果の発見に、培養に、品種改良に、決定的な貢献をした人間なのだとほのめかした。世間も彼らを、権力より夢に邁進した英雄的人物とみなし賞賛した。
石墨はフィクサーに過ぎず、実際的なアイデアや働きは自分がしたのだと言わんばかりの者もいたが石墨はそれを咎めなかった。
石墨は王宮のような住居を建て愛人と贅沢に暮らしているのだと噂された。
何人もの歌手が、音楽家が、俳優が、彼の宮殿に招かれたと噂された。
その幾らかは事実だった。石墨は時軸果で世を変えたいと思いはしたが、自分の手を離れて変わる世には興味が持てず隠遁していたのである。
石墨の偉業を称える世界で、石墨は自分と世界が遊離するのを感じていた。
かつて自分が建築や巨大工事に執着したのは、自分が世界に影響を及ぼしているという圧倒的な感覚からだった。その間、石墨は権力欲に満たされたのではなかった。常に時間の流れが自分とずれていることを感じてきた石墨にとって、自分が世界と繋がっているという感覚は何よりも大切なものだった。
しかし今、世界中で知られる人間になって石墨は、自分と世界が切り離されたように感じるばかりだった。
やはり、時軸果はダイナマイトなのだと石墨は思っていた。人を守るために作り直されても、人はうまく使えない。
なぜなら石墨自身も時軸果をうまく使えなかったからだ。
石墨は世間から醜聞を囁かれる立場になった頃には、もう老人の年齢だった。しかし見てくれは壮年だった。その落ち着きと人に命令し慣れた佇まいが無ければ青年で通ったろう。時間を稼いで来たから。切り詰められる時間を切り詰め、守銭奴が金を貯めるように時間を貯めて来た。
しかし。
それが何になったろう? 石墨には今や理解し合える人間がいなかった。
恩人たちにはできる限り尽くしたが、彼らは既に泉下だった。自分の子供時代を知る人々は世に無いのだ。そして自分の生き方は友人や情深い恋人を持てないものだった。
時軸果に救われる人間がいたとしても、それは石墨ではなかった。
石墨は時軸果を世に放つ時、自分がやらなくても誰かが必ずやると思った。それが百年先か十年先かの違いだけだ。
できるだろうと思ったことを、人間は必ずしてしまう。それが自分だっただけだと、石墨は思いたかった。
厚顔な元部下たちの強欲さは石墨をむしろ慰めた。傲慢で自分の欲望に邁進し、ただすばらしい音楽を提供してくれる音楽家にこそ、石墨は共感と愛を感じた。しかしそんな関係が長続きするはずは無かった。美しい音楽を生む者たちのある者は失速し、ある者は石墨の助けを不要とするようになり、そしてただ去っていくことだけは一様だった。
しかし石墨をもっとも苦しめた人間は彼らではなかった。石墨に感謝し、情で返そうとする者を受け入れられなかったことこそ、石墨を苛んだ。
自分の時間を空っぽにして人間に凶器を与えたものが、幸せになっていいとは思えなかった。
顔や姿の見かけは壮健な人間だが、いまや石墨の中身は惑乱する病者だった。どこも痛んでいないのに、常に痛みを感じる者になっていた。
やがて石墨の危惧した通り時軸果は広まって、もてはやされた部下たちは全世界から非難を浴びるようになった。
時間しか持たない者が時軸果で時間を加速すれば、一時競争に勝ち人を出し抜くかもしれない。しかし老いてしまう。時間を減速して長く生きられるのは限られた富裕者だけだった。
怨嗟に満ちた世界で、石墨は全てを投げ出した。住む場を転々とし、名前を変え、蓄財さえ大切にしなかった。
世界の時間線は三つに分かれたのである。人間たちもまた分断された。
現在、貧者が住む土地には、Ⅰ型時軸果が植樹されている。人々は自ら望んで、できる限りその近くに住もうとする。より働きより稼ぐために。長く働こうとする貧者は自分の持ち時間をすり減らし、年若くして老人のようになり、短命に一生を終える。
国は福祉として、Ⅰ型樹を植え、Ⅰ型葉巻や吸引剤を極めて安価に供給している。多くの人々は長寿に憧れながら短命となる生活を求めるのだ。
けれどそれはありふれたことでもある。多くの人間は健康に憧れながら酒を煽り、痩身に憧れながら菓子を貪り、金を欲しながら使い果たし、知性に憧れながら学ばない。
人間の大半は時間を求めながら、命を縮めている。
彼らは数多く感情の波激しく、もっとも人間的に生きていると思っている。
一方豊かな者たちはその資産をはたいてⅡ型時軸果を手に入れる。豊かな者たちの土地では、時間はゆったりと流れる。永遠を手に入れたかのように人々は悠然としている。そこでは時間は人の幸福に奉仕するためにあるようだ。しかし当然ながら、その豊かな土地であくせくと時間を稼ぐ者もいる。
雇われる者は必ずⅠ型錠剤を与えられる。豊かな者の生活を支える雑用係たちは必要だ。貧者のせわしい地域から富者の時が止まったような地へ足を踏み入れる彼らは、どれほど身仕舞いを整えようと、身ごなしでどんな身分かわかってしまう。自分の時間という唯一の財産を捧げているのだから。
そうしてまた、子供たちの通う学校の敷地にもⅠ型時軸果が植えられている。子供たちは、豊かさを享受するために知識や教養や思考の技術を頭に詰め込まれ、親より老化するほどの時間を教室で過ごす。しかし成人する前にテロメア移植を受け、老化は防がれ、長寿は約束される。
彼らは豊かに長く生き、自分たちの生き方こそ時間を支配していると思っている。
貧しい者たちは多く、豊かな者たちは少ない。しかしそれよりも僅かなひとにぎりしか存在しない人々がいる。
正常な時間の流れで正常に働き、社会や人を動かしている人々だ。彼らの仕事は複雑で高度だから、ただ時間をかければいいというものでは無い。彼らは必要とあらば時軸果の溶剤を服用するが、多用することを警戒している。自分たちが極めて少数であることを知りながら、彼らは自分たちこそ正常な人間だと思っている。
三つの時間線域は、全く出入り自由だ。しかし一時の雇われ仕事や観光を除いて階層移動(転線)はほとんど無い。
地上の時間を共有しながら、彼らの断絶は深い。
老いた石墨は、貧民街に暮らした。貧しい土地に住む人間は何よりも長命を願い、鉱物の名を子供に付けるようになっていたから、石墨はその風に倣って生涯最後の名を得た。
そこでは石墨が真に稼いだ物 若さと長命 はすぐに潰えた。石墨と同い年の人間は世に稀だったが、石墨の見た目を年より若いと感じる者はいなくなった。
僅かに残った財で、次々と身寄りのない子を引き取った。それは今は無き者への恩返しであり、世を変えた罪滅ぼしでもあったろう。
石墨は引き取った子供たちを音楽に親しませた。そして子供の中に秀でた者がいると楽器を与えた。
「音楽は時間を支配する創造物だ
彼は子供たちに自分の事績を明かさなかった。
「おじいちゃん、若い頃何をしてたの?」そんな質問をされると、石墨は決まって嘘をついた。
「俺がしてきたことなど決まっているだろう」
「なあに?」
「ああ。俺は音楽しか知らない」
それから夢を見る目をする。子供は……騙されただろうか?
「昔俺が歌うと、時間を忘れると言ってくれた人がいてな」
石墨の言葉は嘘ではなかったのかも知れない。
「こうして老いさらばえても、」
石墨は遠くを見る。石墨は子供らの奏でる、消え去る音を聴く。
「音楽は不滅だ」
石墨は夢を見、夢を聴く。誰も知らない石墨だけの場所を思って。
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