銃と裁き

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銃と裁き

夜遅く、土間に兄が運び込まれた。服も髪もすでに整えられていた。顔色をなくした兄の傍らにしゃがみ込んで、黙って紺色の上着の袖をしばらくつかんでいた部屋着の兄嫁は、胸に置かれた小さな銃に手を伸ばした。
「姉さん、それは僕の役だ」
「二十歳になったばかりで、争いのきらいなあんたにできるの?アリ」
 私と十違いの兄嫁は私を見上げた。
「いきさつはなんでも、このひとを殺したジェムにやり返しに行くことには完全な正当性があるし、銃もそれを認めてくれるわ、行かないことがむしろ不当よ」
 私は、明日銃をもってジェムのところに行くよと答えた。すぐにジェムに伝わるだろう。兄を運び込んだ男たちは、まくったシャツの袖を戻して帽子をかぶりなおし、一人はあまり無理をするなよと言って、家を出て行った。
 朝、土間の兄はへんな匂いを放ち始めていた。
 家を出ると、道路までの狭い敷石から数羽の鳩がとびたった。毎朝兄嫁がパンくずを播くのだが、今朝は鳩たちはあてが外れたのだった。
 ジェムは駅前の、彼の事務所にいるはずだ。歩くうちに、兄の友人のひとりが足早に寄ってきた。
「お前が行くのか、お互いに銃を向ければあとは腕だけだ、大丈夫か」
 曲がり角ごとに標識がある。
      銃は判断する 銃は解決する
 銃による解決が推奨されていた。コストも時間も少なくて済むのだ。
「隠れて狙え、今回はおまえに分がある、銃もそう判断するだろう」
 彼は去りしなに私の肩を叩いた。私は、銃がそう判断しないとき自分はどうするだろうとふと思った。
 お互いに狙うのであればお互いの覚悟の上になるが、そうでなければ撃たれても仕方のないものにだけ銃は機能する。人間を見張る人工知能ネットワークはすべてを見ても、なにもしない。人間の行動自体には介入せず、求められた時だけ正当性を判断する。機能するのは判断を求めるものの持つ銃である。
 兄に呼び戻されるまで法律を学んでいた私は、ひとびとが集まり主張しあい常識や法規に従って信頼のある者たちが判決をくだした、昔の社会を思った。名目上そのシステムは生きていても今は誰も使わない。血の代償はわかりやすいが、判例はそこには積まれない。
 駅前の建物の前に何人か立つうちのひとりは昨日私に声をかけた男で、手伝おうかと訊いた。私は手を振って断わった。安い四層コンクリート鉄筋雑居の狭い階段を三階まであがる。ジェムの事務所の入り口には錠はかかっていなかった。薄暗い狭い待ち合い室の奥の曇りガラスに中扉がある。ゆっくり押して入ると、デスクの向こうに頭髪の薄い小太りの中年男が座り、銃をこちらに向けていた。
「アリ、これは爺さんの代からのいきさつで、おまえにはなにも含むところはないんだ」
「でも、ジェム、あんたは僕の兄さんを殺したろう、僕はなにもしないわけにいかないよ」
「銃はどうした」
 私は上着の内側から銃を出し、ジェムは頷いた。
「俺たちは、やりあうしかない、おまえの兄さんを殺したことはすまないと思っているよ」
「僕は、あんたを殺したいと思ってるよ」
 私は、銃をデスクに放り出した。
「だから、今までも含めて、僕たちは裁きを受けようじゃないか、銃を使わない裁きをみんな忘れてしまった」
「お前は何を言ってるんだ」
 私はジェムにゆっくり寄り、ジェムの表情は、怪訝から驚愕、そして理解できないものに対する恐怖にかわった。間近の私をジェムは見上げ、銃を私の体に押し付けて引き金を引いた。銃は反応しなかった。
「銃を持たないなんて、卑怯な」
 私はジェムの目の前まで私の顔を近づけた。酒臭いジェムは口を開けたまま震え始めた。
 昼近くに、保安担当の判事がやってきた。太って元気そうな年配の判事は首を振った。
「銃を使わない裁きか、懐かしい、私はとうにお役御免のつもりだったんだが」
「いろいろと終わりにしたいんだよ、銃に頼らず人間の力でね、権利として保証されてる」
「人も集めなければいけないし、銃に撃たれないだけでは足らんのか」
 判事はつぶやく。壁際に座り込んだジェムをそのままに、デスクの銃を拾い上げて私は判事と階段を下りた。路上の人だかりから黄色い外出着の兄嫁が進み出て私の手の銃をひったくった。
「臆病者」
 兄嫁は私に銃を向け引き金を引いた。発砲はなく、向けなおしたところで轟音が響き、倒れる私を判事が支えてくれた。兄嫁の後ろ姿を見送りながら判事は言った。
「兄さんの復讐を銃で行わないお前に対する彼女の怒りにも正当性がある、命を奪うほどではないにせよ」
 私が家に帰るまでに彼女は去るだろう。私は足の痛みをこらえ判事に声を絞り出した。
「彼女の正当性はいま満たされた、あとは、きっちり銃なしでけりをつけよう」
「面倒なことを言うじゃないか、けっきょくお前さんは銃に頼るのが正しいと思うようになるかもしれんよ」
 判事は苦笑して、私の傷の手当てを始めた。

 

文字数:1989

内容に関するアピール

判断能力のある銃に頼る世界で銃に頼らない変な男の話です。若気の至りかもしれません。平和な日本で考えてこの社会は「ありえない」わけですが、理想的な法治社会も、たぶん「ありえない」わけです。雰囲気や登場人物の考え方があまり日本ではないので人名もいまの日本ではないようにしました。長くするほどぼろが目立つのでこれくらいの長さに向いていると思います。

文字数:171

課題提出者一覧