運ばれし者

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運ばれし者

 目が覚めると小学生の群れに運ばれていた。黄色い帽子を被ったちんちくりん達がランドセルをガチャガチャ鳴らしながら、ウイショウイショと懸命に美雪を運んでいる。またか、と美雪は思う。もうこれで十数回目になる。彼らは施錠しているはずの美雪の部屋にどうやってかコソコソ入り込んで、美雪を起こさないようにシーッと人差し指を示し合ってクスクス笑っているのかどうかは定かではないが、とにかく太陽が昇ると同時に美雪を担ぎ上げてマンションを飛び出し、銘々の顔にめいっぱいの朝日を浴びながら成人女性を連れ去ろうとするのだ。八つの黄帽である。その上に美雪が乗っている。重くないのかと尋ねると「重いよ!」「分かるだろそんなことっ」「デブッ!」と叫ばれるのだから訳が分からない。初めて運ばれた時は、なら降りますよと群れの上で身を捩ったものだが、彼らはひゃーと蜘蛛の子を散らすように逃げ去るものだから、当然美雪は落ちてしまう。したたかに腰を打つ美雪。痛くて悲しくなる美雪。路上で呻くこと数十秒、ようやく立ち上がった彼女は、これまで小学生に運ばれてきた道程を寝間着かつ裸足で帰らねばならないことに気付いて愕然とする。以来、美雪は目が覚めて子供たちに運ばれていると気付くや否やすぐに身を捩って着地するように心がけてきたのだが、子供達の第六感とは感嘆せざるを得ないもので、彼らは手の引き際というものをちゃんと心得ているのである。瞬時に手を引く小学生。落下する美雪。逃げ去る小学生。腰を打つ美雪。追いかけようにも腰が痛く、そうこうしているうちに彼らの甲高い笑い声は徐々に遠ざかっていく。この一連の行為を悪質な悪戯だと見なして交番に駆け込む選択肢もないわけではなかったが、毎朝謎の小学生達に運ばれて地面に落とされるんですと神妙な顔つきで話す自分に「ハ?」と聞き返すだろう警察官の眉毛はきっとハの字になっていて、そのワンシーンを思い浮かべるだけで美雪は全てが億劫になってしまう。ウイショウイショと身体が揺れる。回想が途切れる。美雪は剥き出しの腕に肌寒い風を感じている。そろそろ降りるべきかと考えたが、ふと美雪は、もし最後まで運ばれたらどこに行くのだろうと思いつく。いつも途中下車だった。仕事があるので仕方が無いし、もちろん今日も仕事である。スマホがないので分からないが、そろそろ帰って出社の準備をしないとマズいのではなかろうか。ただ、と美雪は思う。ただ、今日の美雪はいつもと違う心持ちになっていて、なんだか今日は仕事を休んでもいい気分だし、彼らの目指す「目的地」を見届けるのも面白いように思えてくるのだ。既に美雪は通りすがりのサラリーマンから困惑した表情で見下される(小学生の身長的にそうなってしまう)ことにも慣れ始めていた。気が付くと駅構内らしきアナウンスとざわめきが聞こえ、先頭の小学生がピピッと鳴らしたモバイルSuicaのタッチ音に従って小学生集団および美雪は改札を通過する。子供達はワッセワッセと美雪を運ぶ。大変なのはエスカレーターが併設されていない長い階段で、彼らは懸命に美雪を支えながら階段を上るしかないのだ。頑張れ、と美雪は思った。思うだけではなく声にも出ていた。頑張れ、みんな頑張れ。美雪の声援に「うるせえ!」「黙ってろっ」「デブッ!」と悪態をつきながらも、小学生は美雪を降ろそうとせずに一段ずつ階段を登っていく。やがてホームへと辿り着き、美雪は働く大人たちにジロジロ見られながら車両の中へと運ばれていく。車両の中は大変混雑していて、電車のなかでひとり仰向けになっている美雪が他のお客様のご迷惑になっているのは明らかだったが、美雪は車両の天井やら無音の広告動画を眺めるだけで一切動じなかった。やがて美雪の視界が電車の天井からホームへ、ホームから駅構内へ、駅構内から空へと切り替わり、揺れ動き、ようやく彼らが立ち止まるまでに二十二分と三秒が経過した。今度こそ小学生は手を引かず、まるで棺桶でも扱うかのように丁寧に丁寧に美雪を地面に降ろした。地面に寝かされた美雪は、ガチャリと玄関の扉が開く音を耳にする。

「ごめんね~ここまで遠かったでしょう?」

 ううんとか遠かったとか重かったとか、子供達が口々に声を出す。

「ありがとね、はい、これご褒美」

 子供達は声にならない声を上げた。我先にと何かを奪い合いそれを手に取り歓喜に震え興奮のあまり絶叫する。頭上で何らかのやりとりがされているのは分かるが、子供達の身体に隠れてしまって何なのかは分からない。

「それじゃあ、もう帰っていいよ」

 子供達は蜘蛛の子を散らすように去って行く。美雪もそれじゃあと起き上がろうとしたが、

「あなたはだぁめ」

 と窘められ、両脇に白く細長い指が差し込まれる。えっ、この指はなに、と思う間もなく美雪はズルズルと暗い家の中へと運ばれて、ガチャリと玄関の扉が閉められる。

文字数:1999

内容に関するアピール

通勤途中、小学生がランドセルを背負って元気に駆け回っている姿を見ることがあるのですが、あのエネルギーの漲った存在に運ばれると楽しそうだなと思ったのが本作を書こうと思ったキッカケです。普通に生きていると寝転がりながら移動することはあまりないと思うので、そういう意味でも面白い視点を提供できたらいいなと思い、短い文字数のなかでも効果的かつ新鮮な場面描写ができるように(且つ自分の文体の良さが出せるように)頑張りました。先日、私の作品を読んでくださったとある方に「小野さんはホラーとか向いていると思いますよ」と言われたのをずっと覚えていて、それが結末に少なからず寄与しているように思います。全体的にあり得ない話だとは思うのですが、ミリくらいならあり得そうな話なので、その線引きが難しいなと感じました。いつか自分も小学生たちに運ばれたいです。

文字数:367

課題提出者一覧