鳥になるには、まだ。

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鳥になるには、まだ。

「木の内側って、死体が詰まってるんだって」

リュウザキは暗い宙に向け、観測装置のピントを合わせるためにいじり続けていた手を止めた。「ピントを合わせる」といっても昔の地球の表現が残っているだけで、実際は船舶AIに指示を出すためのコマンドを打っているだけに過ぎない。ふと、数十年前に聞いたあっけらかんとした声が頭によぎった。確かあの時は大人に隠れて森に二人で向かった時だった。どこまでも暗い空と砂の大地と鉄の船に飽きて、観測船をこっそり拝借して家出したのだった。子ども二人が無理に操縦したところでうまくいくわけもなく、あえなく森に墜落した。這う這うの体で観測船から転がり落ちて、そこで目にした森のあまりの色彩の鮮明さに呆然としている僕に向かってリヒトが言い放ったのだ。

今考えれば、第一声に言うことじゃない。

「もうすぐセットが終わりますが、撮影フェーズに移行しますか?」

船舶AIの声に我に帰った。待たせ過ぎたので音声入力に切り替えられたらしい。音声入力はオフにしたはずだったが。船舶AIの音声程度が邪魔になるとは思えないが、仕事前はできるだけ音を出さないように注意している。

<オーケー。絞りは最大、シャッタースピードは1/15万s、1時間後に備えてくれ>

そう操縦パネルで指示した後音声入力をオフにした。一息つくために椅子の背もたれに背を預ける。

そろそろAIも検診にださなければいけないかもしれない。お世辞にも裕福といえない暮らしにはなかなか辛いが、搭載されたAIと機材とがなければ仕事が成り立たない。

そうだ、救助隊に見つけられるまで、二人で森で過ごしたのだ。

「森」はリュウザキの所属するコロニーにとって唯一の資源だった。森そのものではなく、そこに周期的に現れる宙鳥たちの落としていく羽毛や、雛鳥が巣立った後の巣を集め、中央コロニーに売ることを主なる産業としていた。宙鳥類の中でも故郷のコロニーの森に巣を作る鈴眼目硝子科瑠璃欠子は珍しいらしく、閉鎖的な社会にうんざりして今の仕事に就き、各地を巡るようになったリュウザキは、故郷が中の上くらいの豊かさを保っていたということを知ることになった。

宙鳥写真家の元にアシスタントとして転がり込み、目を回しながらかけだし時代を過ごしていた時も、最初は中央コロニーの大学に進んだリヒトと連絡をとっていた。ただ、遠い星系やら星団やらに遠征するうちに忙しさでそれこそ飛ぶように時間が過ぎ、ぽつぽつだった連絡は徐々に途絶え疎遠になっていた。

やっとかけだしを卒業し独立した頃、リヒトから故郷に帰ったという知らせが来た。どうやら体調を崩して故郷で療養をしているのだという。聞かなくても連絡をしてくる妹からリヒトが中央の大学で准教授になりゆくゆくは教授まで出世するのではないかと聞いていたので、その報告には少し驚いたが、その年から年に一度、故郷の宙鳥の渡りの時期が近くになったら近況報告をするようになった。

技術が発展し、その年に出会った一番美しい宙鳥の写真を添付して送ることができるようになったのはいつのことだっただろうか。

最近記憶力の衰えを感じるようになった。目頭を軽く揉んでみる。

<残り、15分です>

操縦パネルに先ほど音声をオフにしたAIからの通知が出た。

少し肩を回して、軽く撮影用の観測装置を握りしめる。宙鳥の撮影は瞬きより短い一瞬で決まる。だからこそ焦らず、その場所に溶け込んで忍耐強く待ち続ける。待って待って、待ち続けて、最後の心臓の鼓動を止めて、たった一つの煌めきをとらえる。

リヒトから「だましだましやっていた治療がついにどうしようもなくなった」と音声電話での連絡が来たのは昨年の渡りの頃だった。まるで昔のようなあっけらかんとした声で言われてしまい、思わず脱力してしまったのを覚えている。ただ、続けて

「リュウザキに、僕の木に宿る宙鳥の姿を撮ってほしいんだ」

と言われた時は固まった。

故郷のコロニーの森に来る瑠璃欠子にはある習性がある。死を迎えた人の納まった木に宿る実を喰み、その木の枝で巣を作り、その樹上で子育てをして、巣立って行くのだ。だからこそ、故郷では死を迎えたら人は木に納められる。森は祖先から続く大きな墳墓だ。

一呼吸分逡巡して、断ることはできないと理解した。リヒトの最後を撮れるのは自分しかいないと悟ったといえば聞こえはいいが、その木に宿る鳥を見たいというとどめようのない気持ちがあったことは正直に告白しておこうと思う。

リヒトは今年の渡りの少し前に静かに息を引き取って、白く滑らかな美しい木に納められた。

自分も死を迎えたら故郷の森に納められるのだろうか。それともどことは知らない星域で息絶え誰も知らないまま宇宙の藻屑になるのかもしれない。しかしこの時は、この時だけは生きているのが僕でよかったと思った。

黒い宇宙の彼方から淡く光が迫ってきた。

息を止め、レンズを覗き込む。

文字数:2001

内容に関するアピール

『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(川上和人、新潮社)という鳥類学者の方が書かれたすごく面白いエッセイがあるのですが、そこから宇宙を飛ぶ鳥にまつわる人々の話があったら読んでみたいなと思って書きました。

今回の主人公は宙鳥写真家ですが、それ以外にも宙鳥研究者、宙鳥獣医、宙鳥飼育員、宙鳥管理局行政執行官、宙鳥図鑑編集部、宙鳥料理店などなどのエピソードも考えられるかなと夢が膨らみます。

ちなみに鈴眼目硝子科瑠璃欠子の名前の元となったスズメ目カラス科ルリカケスは世界で奄美大島とその周辺にしかいない鳥だそうです。

 

文字数:258

課題提出者一覧