ひらかれた世界と、そのbot

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梗 概

ひらかれた世界と、そのbot

ミツキは大学を卒業してから都内の写真スタジオに勤めている。スタジオを足がかりに写真家として生きていくつもりだったが、任される仕事は肌の補正や風景のモザイク加工などの編集作業ばかりであり、生活は単調でつまらない。

東京という街は住んでいるだけで消耗していく。時間も、余裕も。それを自覚しながらミツキは仕事と生活を手放すことを選べない。

ミツキは【けしき】と名付けられた招待制のチャット・サーバーを運営している。既存のチャットソフトサービスを流用した簡易的なもので、サーバーチャンネルには、一切のテキストが投稿することができない仕組みになっている。ユーザーに許された機能は一日に一度、たった一枚の景色の写真を投稿することだけだった。

サーバー内の全てのユーザーは、同じ名前と同じアイコンを共有する。つまり誰が、どの景色を上げたのかを判別する方法はない。ただ一日一枚の写真を垂れ流すためだけにある、無為なサーバーだった。

不思議と【けしき】サーバーには人が途切れたことがない。日本のユーザーがほとんどで、たまに外国の景色らしい投稿もある。宣伝なんてしたこともないのに、微々たる増減は繰り返されるが、平均して50人くらいの規模でサーバーは安定し続けている。釘付けにされる生活の内側で、穏やかに運用される【けしき】はミツキの安息地だった。

ある日を境にして、【けしき】にGoogleMapのスクリーンショットらしい景色の画像が投稿されはじめる。毎日決まって、制限がリセットされる0時きっかりに、それは世界のどこかを切り取って【けしき】に貼り付けられる。サーバーへの接続周期からしても、その投稿者が人間ではないことはミツキから見て明らかだった。意図はわからないが何らかのアルゴリズムに従って、それは【けしき】に溶け込もうとしている。

通常、不審な動きをするユーザーは、定住ユーザーによって自浄作用が働く。たとえばテキスト情報を入れ込んだ画像を投稿したり、撮影者の自撮りを投稿したり、【けしき】の不文律を解さないユーザーだとか。しかし一向に、そのbotは排除されようとはしなかった。

ミツキはbotの投稿する景色から、それが一体、地球上のどこで撮られたものかを推測を立てていく。いくつかのコツを掴めば、写真一枚から撮影地点の座標を特定することは難しい技術ではないし、それを遊びとして競う人だっている。

ひとつひとつ、これまでのbotの座標をマップ上にピン止めしてみる。方角や画角はてんでバラバラだが、ミツキはそこに規則性を垣間見る。botの遍歴はまるで、人間とおなじ速度で旅をしているように見えた。

ミツキにはこれからbotの行く先の推測を立てることができた。利根川の中流、そのあたりのどこか。ミツキはその日、botが辿り着くだろう場所に先回りをして写真を撮って【けしき】へ送る。その夜、ミツキはbotの写真を見ることなく眠る。

文字数:1198

内容に関するアピール

ワン・シチュエーションというテーマを想像するとどうしても絶海の孤島とか、雪の山荘みたいなイメージが浮かんでしまう。しかし抗えない状況に落ちこぼれた状態がワン・シチュエーションであるとするなら、穴ぼこに落っこちたような生活の循環も十分、シチュエーションだろうと思う。

閉鎖された生活の中でも、GoogleMapひとつで、たとえばイタリアの名前も知らないような田舎の景色と接続できてしまうのは少し不思議な現象だろうと日頃から思っている。世界はとっくに、かなり記録されてしまっている。

ジオゲッサーとか、開かれすぎたインターネットへのアンチとしてぽつぽつ生まれているDiscordサーバーみたいなミクロ・インターネットのこと、ゲームのオープンワールドみたいなものを、ミツキの実在する世界と織り交ぜて書けたら良いと思います。

文字数:356

課題提出者一覧