夢の喫茶店

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梗 概

夢の喫茶店

 ――それで、質問はなんでしたっけ
 辻原の低い声で我にかえる。
 十月の終わり、午後三時の喫茶店。タートルネックのニットに無理して取り付けさせてもらったピンマイクが、しきりにノイズを拾っている。だから会議室でのインタビューがいいって言ったのに。胸の内で、もう何度目になるのかわからない文句をつぶやく。
 ――ええと、
 記者としてあってはならないことだったが、質問がとっさに思い出せないことに気がつき、たじろぐ。記憶を辿る加藤の背後に店員が音もなく忍び寄り、水を注いで去ってゆく。なぜだかそれを、飲みたくないような気持ちになっている。
 質問内容を思い出す。
 ――夢についての質問でした。辻原さんがみる夢は、どうして必ず現実になるのか?
 ――なるほど、なるほど、そうでしたね。じゃあ加藤さん、夢と現実の違いはなんだと思いますか?
 インタビュイーは質問に質問で返してきた。まただ、と加藤は思う。
 ――んー、なんだろう。なんでしょうね。醒めるか醒めないかの違い、とか?
 辻原は数秒、色のない目で加藤を眺め、大きく頷く。
 ――そうですね。逆に言えば、覚醒が夢をつくる。つまり、こういうことです。醒めることさえできれば、現実を夢だったことにできる。あ、その水は飲まないでください。
 加藤は持ち上げたグラスをゆっくり卓に戻す。急速に夢が醒めていく。目の前にある液体に毒物が混入されていることを思い出す。
 ――わたしたち「覚醒者」は、覚醒することで現実を夢へと押しやり、新たな現実を引き寄せることができます。そのようにして世界は存続してきました。わたしは、いまから八分後に開始する自らの死を回避するため、二百七十六回ほどこの席で夢から醒め続けています。世界はこのカフェテーブルを中心に何度も書き換えられてきた。加藤さんがわたしに同伴することで生存時間が延びることに気がついたのが七十二回目のとき。以来、お付き合いいただいています。
 加藤は窓外に目を投じた。イチョウの葉が一枚、石畳の上に舞い落ちる。「夢」になってしまったいくつもの現実を思い出す。そこに落下したのは、無数の死体だったこともある。水を運んできた店員が人間ではない確率はフィフティー・フィフティー。喫茶店が歯医者に書き換えられたときは辛かった。厨房の手前にあるエレベーターに逃げ込むのは悪手。待ち伏せられるか落下する。左奥の老婦人はハンドバックに自作の銃を忍ばせている。暴発する確率が最も高く、不発に終わった場合はキレてどこまでも追いかけてくる。どこまでもだ。
 辻原のセーターに取り付けたピンマイクがノイズを拾う。押しやられた現実の呻きだ。このまま夢のほうが増え続けていけば、いずれ夢の重みに現実が押しつぶされ、覚醒することは不可能になるだろう。石畳の上に重なるいくつもの枯葉が笑い声を立てる。加藤は震える指でメニューを捲り続ける。

 

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