狂言迷宮

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梗 概

狂言迷宮

葉子(ヨーコ)が目を覚ますとカプセルの中で、正方形の部屋の天井には漢字が一字「白」と書いてあった。どうしてここにいるのか記憶がない。別のカプセルから恋人の優乃輔(ユーノ)が出てくる。互いの左胸に「三」という字が点灯している。持ち物はタブレット端末がひとつ。白い部屋の四方の扉は開かない。部屋の中央の台にふれると「『刀旦貝里』を並べ換えて三字熟語を作れ」と漢字パズルが出題された。

合成可能な二字は「旦」と「里」で「量」、あとは「量刀貝」三字の並べ替え六通りを試せばよいが、答えが見つからないとユーノが言う。ヨーコが縦書きと気づき、
 
「目
 分
 量」

と台のタッチパネルに指で書くと、四方の扉のパネルが点灯した。天井の字と組み合わせて熟語をつくればいいとユーノが言う。扉のひとつに「髪」と書くと隣の部屋に開いた。「白」の部屋と同じ構造で天井に「髪」と書かれている。だれが何の目的でここを作ったのか。「教育目的さ。昔、父が働いていた」とユーノが言う。それなら、だれが自分たちを閉じこめたのか。台のパズルにユーノが誤答すると、胸の「三」が一画消灯して「二」に変わる。部屋が袋小路になり「白」の部屋に引きかえす。別の扉に「馬」と書いて進む。

「馬」の部屋のパズルを解き扉に「脚」と書いて、さらに隣の部屋に行くとミイラ化した死体が倒れていた。ユーノの父親の絵馬雄だった。胸の「三」は完全に消えていて、ルールを察する。ただの脱出ゲームかと思ったら命がけだった。天井にあるはずの「脚」の字はなく、中央の台にパズルも出題されない。首を傾げ「馬」の部屋に引きかえす。さらに「車」と書いて隣へ行く。

迷宮の探索。問題が難しすぎる。タブレット内蔵の辞書を駆使して進む。外の世界はどうなっているのか。流行し始めていた感染症のワクチンは開発されたのだろうかと話す。施設が七七、四十九の方眼になっていることを突きとめる。外周は壁であり出口はなかった。ふたりのライフは「一」だった。これまでのルートをタブレット上で再確認すると、四十九部屋の中央が天井に字のない部屋だった。字のない部屋の秘密を探るため引きかえす。

その部屋の扉には「馬」の他、さっきまではなかったはずの「雲」と書かれた扉があった。位置的に向こうは確かに「雲」の部屋だったが、開かない。タブレットの電池が切れる。ヨーコが思い付き、隣接する他の二部屋を「納」と「前」にして、中央の部屋に戻ってくる。台のパネルに「出」と書くと「出馬」「出雲」「出納」「出前」の熟語が完成して、地下への通路が現れる。

五十番目の部屋で秘密が明らかになる。ふたりは外のウィルスが消えるまで、絵馬雄により隔離されていたのだ。本当はコールドスリープがとけたらすぐに彼が外へと案内するはずだったが、誤算があり二百年が過ぎていた。五十番目の部屋にはひとつだけ扉があった。ふたりは「口」と書いて、外へと出て行った。

文字数:1200

内容に関するアピール

タイトルの「狂言迷宮」には、「言迷が謎になる」「迷宮というのは(作者の)狂言だった(閉じこめるための迷宮ではなく、守るためのシェルターだった)」といった意味を込めました。問題が難しいのは、外からの侵入防止。絵馬雄の死因はゲームではなく、胸の「三」の消灯は単に電池切れだった。誤解によって物騒な施設に見えていたという設定です。
 
・○、△、□に漢字を入れて三字熟語を作れ。
①○○子 ②△△母 ③□□婆
答え:弟弟子(おとうとでし)、水水母(みずくらげ)、湯湯婆(ゆたんぽ)
 
・○、△、□、×に漢字を入れて二字熟語を作れ。
①○○卆 ②△卆△ ③□□艮 ④×艮×
答え:木枠、砕石、金銀、眼目
 
・「凵子」と「子」の両方におなじ漢字を加えて二字熟語をふたつ作れ。
答え:「因子」と「天子」(天を加えた)
 
などなど、自作の漢字パズルを盛り込みます。ユーノは的はずれな推理をして口論になります。ご期待ください。

文字数:395

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狂言迷宮

葉子が目を覚ますと、カプセルの中だった。ガラス越しにぼんやりと部屋の天井を見上げる。漢字が一字「白」と書いてあった。意識が鮮明になるにつれ、状況が分からなくなる。どうしてここにいるのかの記憶がない。このカプセルは医療設備だろうか。ただ、病院にしては、大きく筆文字で「白」と書かれた天井が異様だった。ゆっくりと上半身を起こし、辺りを見る。ベッドの脇にトイレが付属していた。枕元にアルミパウチのゼリー飲料が並んでいたので、キャップを取ってのどに流し込んだ。かすかな甘さが渇いた身体にしみた。
 ガラスを手で押し上げようとすると、モーターが駆動してカプセルがひらいた。部屋の冷たい空気が流れ込んでくる。カプセルの外に片足をおろし、ふらつきながら立ち上がる。「だれかいますか」と声を出してみるが、返事はなかった。
 部屋は自動車なら二台くらい入れそうな広さの正方形で、四方に扉があった。部屋の対角にもうひとつカプセルがあった。
 部屋の中央には腰の高さほどの台がある。台の天板は五十センチ四方くらいのタッチパネルになっていて、触れると文字が表示された。
 
問題 「刀旦貝里」を並べ換えて三字熟語を作れ。

これはどういうことなのだろう。あまりにも場違いな気がする。混乱しながら、日暮里じゃないしと考えかけたが、先に周囲を確認することにした。四方の扉は自動ドアのように見えたが、押しても引いても叩いても開かなかった。
 もうひとつのカプセルを見に行く。自分が入っていたのと同じタイプらしかった。壁のコンセントにプラグが刺さっていたが、車輪がついているので自走することもできるようだ。近寄ってガラスをのぞき込むと、中に見覚えのある男が眠っていた。恋人の優乃輔だった。ガラスを軽く押すとカプセルがひらいた。顔色は悪いが、ほっぺたに触れると温かかった。「ユーノ」と声を掛けると、まぶしそうに片目がひらいた。「よかった。わかるかな、ヨーコだよ」と耳打ちするが、まだ目の焦点が定まっていないようだ。ユーノの左手首には「三」という字の点灯したブレスレットがはまっていた。よく見ると自分の左手首にも同じ腕輪が装着されていた。
 
「ヨーコ」と頭をふりながらユーノが言う。「ここはどこだ」
「わからない。とりあえず、のど渇いてない?」とヨーコはユーノにゼリー飲料を渡した。
 あわてて飲んだせいかユーノはむせてしまっていた。ユーノが落ち着くのを待つ。一息ついて、ユーノの記憶を確認する。
「十一月だったと思う。たぶんぼくの運転する車にヨーコが乗っていたんだ。親父に紹介するつもりだった。そこへ対向車が突っ込んで来たんだ」
 言われてみると、そんなことがあった気がしてきた。
「交通事故だとしたら、やっぱりここは病院なのかな」
「たしかにこれは何かの治療器具みたいだな」とユーノがカプセルを確かめる。
「そういえば体はなんともない?」
「ああ。そっちも大丈夫か」
「平気。前より調子いいくらいかも」
「あ、そこにあるのタブレットか」
 ワイヤレス充電器から、ユーノがタブレット端末を取り外す。電波が弱いのかネットワークにはつながらないみたいだ。時計は六時を少し回ったところで、日付は一月二十六日だった。
「怖いんだけど、もしかして何か月か寝てたのかな」ユーノにタブレットの日付を見せる。
「電波がとどいてないんだろ。だれの端末か知らないけど、そんな日付当てになるもんか」
「そっか、そうだよね」
「あっちのカプセルにはタブレットはなかったのか」
「うん。これひとつだけだと思う」
「とりあえず、ここを出ないとな」
「ドアは全部閉まってて開かなかった。そういえば、あそこの台のところに変な漢字パズルがあったんだけど」
「心当たりがある。きっと親父の仕業だよ。ふざけやがって。いずれにしても問題を解くしかない。どんなパズルなんだ」タブレットを手に中央の台のところへ移動する。
 
問題 「刀旦貝里」を並べ換えて三字熟語を作れ。
 
「これなんだけど」
「ええと、合成可能なのは『旦』と『里』で『量』だな。あとは『量刀貝』三字の並べ替え六通りを試せばいい。ちょっとそれ貸してくれ」ユーノはタブレットに手書きで候補を列挙していく。「変だな。『量刀貝』、『量貝刀』、『刀量貝』、『刀貝量』、『貝量刀』、『貝刀量』こんな熟語ないもんなあ。合成の仕方を間違えたか」と首をかしげている。
「あ、待って。これって。たぶんそうだよ。分かった。ユーノは間違ってない」
「どういうことだ」
「えっとね。こっちから見てたから、分かったんだ。『貝刀量』を縦書きにすればいいんだよ」台のタッチパネルに指で答えを記入する。
 
「目
 分
 量」

四方の扉のパネルが点灯する。
「目分量とはな。一杯くわされたみたいだ」と言われて、なんだか嬉しくなる。
 扉のパネルにはとくに問題は表示されていない。「これってどうすればいいのかな」
「天井の字と組み合わせて熟語を作ればいい」とユーノが言う。
 なにか確信があるのだろうかと思いつつ、扉のひとつに「髪」と書くと、自動ドアがひらいて隣の部屋に行けるようになった。
 
「白」の部屋と同じ構造で天井に「髪」と表示されていた。カプセルはなかった。
「だれが何の目的でここを作ったんだろう」とヨーコはつぶやく。
「ぼくに言わせれば金持ちの道楽さ。本人は教育目的のつもりだったみたいだけど」
「本人って?」
「親父の絵馬雄。いつもろくでもないことをするやつなんだ、あいつは」
 いろいろ事情があるみたいだ。
「前にも来たことあるの?」
「いや、作ってるってうわさを聞いたことがあるだけさ。完成していたのも初めて知った」
「そうなんだ」ここが教育施設だとすると、あの医療カプセルは何だったのだろう。
「なにを考えているのか、いつもさっぱり分からなかった。ことによると、いまぼくたちはリアリティショーに出演させられてるのかもしれない」ユーノがカメラをさがす。
 そんなことならいいんだけど。もっと何かとんでもないことに巻き込まれたのではないかとヨーコは疑っていた。中央の台にふれるとやはり漢字パズルが出題された。
 
問題 「凵子」と「子」の両方におなじ漢字を加えて、二字熟語をふたつ作れ。
 
「これって何て読むのかな」と「凵」を指差す。
「『かん』だったと思うけど。そうだな」タブレット内蔵の辞書で検索すると「凶凹出凸函」が表示された。
「凶子と〆子とか、そういうこと? どれも熟語にならないみたい。あ、たとえば田とかでもいいのかな」
「なるほど。田子と干子か。田子は田子の浦とかの地名だな。あと、干子はなまこの卵巣を乾燥させたもののことらしい」ユーノが干子の検索結果を見せてくる。
「なんだか、いまいちパッとしない感じだね」
「いいんだよ。親父の作るパズルなんて、こんなもんさ」と言いながらユーノが「田子、干子」を台のパネルに記入する。部屋が急に薄暗くなる。「なんだ? 不正解か」
 パネルに正解が表示されていた。「因子」と「天子」だった。
「ああ!」悔しかった。
「くそっ。なんで田子と干子じゃだめなんだよ」
「うーん。固有名詞はNGとか、そういうあれなのかな。でも、方向性は合ってた。もう少し考えていれば解けてたかも」
「糞親父、問題文に書いとけ」ユーノが台を蹴るにぶい音が響く。
「あれっ、ユーノ。その腕輪」点灯していた「三」の表示が一画消えて「二」に変わっていた。
「ふん。たぶん三問不正解でゲームオーバーってことなんだろう」
「ゲームオーバーってどうなるの」
「さあな」
 台のパネルが入力を受け付けなくなり、三方の扉も反応がなかった。袋小路になったので「白」の部屋に引き返した。「白」の部屋で別の扉に「馬」と書いて進む。また、おなじ作りの部屋だった。全部でこんなのが何部屋あるのだろう。
 
「そういえば、外っていまどうなっているのかな。ちょうど新しい感染症がひろがり始めてた記憶があるけど」
「ああ、フレックルウイルスだっけ。症状は風邪程度みたいだし、別に心配はないだろう。ワクチンももうすぐ開発されるって話だった」
「蚊が多くなって困ったよね」
「ウイルスのせいかどうか知らないけど、あんなに生息域が拡大するとは思わなかったな」
「ハマダラカっていえばマラリアのイメージだったけど、別の病気も媒介するんだね」と言いながら「馬」の部屋の台に触れる。
 
問題 ○、△、□、×に漢字を入れて二字熟語を作れ。
   ①○○卆 ②△卆△ ③□□艮 ④×艮×
 
「これきっと、おなじ記号にはおなじ字が入るっていうことなんだろうな」
 ユーノがタブレットに「羽弱双竹朋林棘」と漢字を書いていく。そっちから攻めるんだ。「卆」とか「艮」とか、単体だとあまり使わないのでは、と思っていたらひらめいた。
「①だけど、こうかな」とタブレットに「木枠」と書いて見せる。
「はやしそつ?」字が汚くて「林卆」に見えたらしい。
「じゃなくて、きわく。『卆』とか『艮』とかを部分に含む漢字を考えた方がいいと思う」
「たしかに。とすると、こんな感じか」こんどは「酔限恨根」といった漢字が並ぶ。
「そうそう。でも、木根は微妙かなあ。固有名詞なら聞くことあるけど」ふたりで知恵を出し合って、台のパネルに「①木枠 ②砕石 ③金銀 ④眼目」と記入する。扉のパネルが点灯してユーノがふうと安堵のため息を漏らすが、なにか違和感があった。
「あれっ、あの扉」とヨーコがつぶやく。パネルが点灯していなかった。
「何だろう」ユーノがふれると字を入力しなくても扉が開いた。

扉の向こうは薄暗い部屋だった。天井に字はなかった。中央の台のそばに人が倒れていた。ユーノが駆け寄って抱き起そうとするが、「ひっ」と悲鳴を上げて尻もちをついた。死体は乾いた音を立てて転がった。
「親父」と言うユーノの声が震えている。
「大丈夫?」あとずさりするユーノをヨーコはうしろから抱きとめる。
「なんで親父がミイラになってるんだよ」
「お父さん、なの?」ヨーコはおそるおそる死体を見に行く。
「間違いない。鼻の頭にほくろがあった」絵馬雄のミイラは苦しそうな顔をしていた。「ぼくはてっきり、親父のいたずらだとばかり。なに死んでるんだよ、糞親父」とユーノが嘆く。
「傷心のところ悪いんだけど、ユーノ。これ見てもらえる?」ヨーコはユーノに絵馬雄の腕輪を見せる。三の字が消灯していた。
「は」ユーノが口をぱくぱくさせる。
「やっぱり、これって三問不正解ってことなのかな」
「ば。こんなのただの脱出ゲームだろ。なんで命がけなんだよ」
「待って。落ち着いて考えよう。どうしてお父さん、ミイラになってしまったのかな」
「そんなのブレスレットに毒かなにか仕込んであるんだろ」ユーノが腕輪を外そうとして腕を掻きむしるが、どうしても取れないようだった。「いやだ。死にたくない」とユーノがうずくまる。ヨーコは腕輪を右手でにぎりしめる。たとえ毒だったとしても、そんなに短時間で人はミイラになるものだろうか。何かがおかしかった。
「すくなくともわたしたちが拉致された理由は、いたずらとかではないみたいだね」
「親父は敵が多かったから復讐かもしれない。とんだとばっちりだよ」ユーノが頭を抱える。
「本人が死んだ後で家族を苦しめるなんてことするかな」
「そういうので喜ぶ変質者なんだろ」
「他の可能性はない?」
「いずれにしても」ユーノの目が血走っていた。「これでもう間違う訳にはいかなくなった」
 この部屋の台にはパズルが表示されなかった。三方の扉も開かない。「馬」の部屋に引き返して、別の扉に「車」と書いて進んだ。
 
「白」の部屋から「白馬」「馬車」「車線」「線香」と来て「香」の部屋。
 
問題 ○、△ 、□、×に漢字を入れて二字熟語を作れ。
   ①○○亦 ②△龍△ ③亦 ④×
              □  ×
              □  龍

問題も全部ユーノのお父さんが作ったのだろうか。だんだん絵馬雄という人物に興味が湧いてきた。
「亦を含む漢字は限られてる。常用漢字だとこの辺りか」ユーノが「赤変恋蛮湾跡」と書く。
「そうすると①は足跡になりそうだね。③はどうだろう」
「蛮虫とかないから恋心だな」
「龍のほうはどうかな」
「たぶん④はわかった。竹籠だ」
「②は」
「たきさんずいじゃないし。常用漢字だと上手く行かない。あ、わかった。朧月」
「なるほど。順調だね。じゃ、書き込みます」

  ①足跡 ②朧月 ③恋 ④竹
            心  籠

扉のパネルが点灯する。が、正面が点灯しない。さっきと違って、扉に触れても開かなかった。
「こっちは行き止まりみたいだな。右折しよう」
「うん」

タブレット内の辞書を駆使して進む。「導」の部屋で間違えて引き返した。文字で地図を記録する。行き止まりのところには■を書いた。
 
 図
■指導
■中
■水
■香線車馬
    白髪
 
「図」の部屋では次の問題が出た。
 
問題 次の○、△を埋めよ。
    巴○易
   月
   △
   木
 
「なんだよ、これ。意味が分からない。問題が難しすぎる。完全に殺しに来てる」とユーノが音を上げる。
「分からないけど、わたしはちょっと楽しくなって来ちゃった」とヨーコはこたえる。
「はあ? もう二問不正解しているんだぞ。楽しいとかどうかしてる」
「いや、命がけなのは困るけど、漢字のパズルだけで、こんなに色々な種類の問題が作れるとか思ってなかった。お父さんすごいよ」
「何がすごいもんか。こっちは真面目に考えてるのに、ふざけた問題ばかり作りやがって」どうもユーノの癇に障ったみたいだ。
「でもパズルって、もともとは楽しむためのものじゃないのかな」
「すいすい解けたら楽しいのかもしれないけどな。パズルの語源は困らせる、悩ませるものものことだぞ。こんなのただの嫌がらせだよ」
 簡単には解けないから、間違う可能性があるから、パズルは面白いのではないか。なんて思ったけれど、逆なでするのはやめておいた。自分にも余裕がある訳ではなかった。
「問題、考えようか。なにか気づいたことある?」
「あー。うう。ひとまず、これ縦の月木は曜日っぽいよな」
「じゃあ候補は火水金土日とか、そういうこと?」
「うーん。横は巴とか易とか、韓国の国旗っぽさがある。韓国の国旗って、太極図の『巴』と占いで使う『易』の卦の組合せだったから」
「なんか東洋思想って感じだね。それで、どうなるんだろう」
「ああ、もう。ひらめきなんか大嫌いだ。なにか根本的に間違ってるのかもしれない」
 こんどはヨーコが考える番だった。
「どうも字の並べ方が気になるんだよね。なんか表の見出しっぽいというか。○、△以外にも空欄を埋めてもらいたがっている気がするんだよ。あっ、ここ肥料の肥が入りそうな気がする。と、こっちは腸だ」ヨーコはタブレット上で空欄を埋めていく。
 
    巴○易
   月肥 腸
   △
   木杷 楊
 
「またやられた。たぶんそういうことだよ。杷ってなんだっけ」
「枇杷の杷だね。これは楊枝の楊。次に埋めたいのはこの四角のところかな」
 
    巴○易
   月肥 腸
   △□ □
   木杷 楊
 
「巴と易をつくりにもつ、月でも木でもない偏ってことか」
「偏とは限らないけどね。巴を含むのは絶把色邑芭とか。易を含むのは錫賜揚。あ」
「把と揚か。曜日じゃなくて手偏だったんだ」
 
    巴○易
   月肥 腸
   扌把 揚
   木杷 楊
 
「となると、○は月扌木を偏としてもつ、巴でも易でもないつくりってことだな」
「ちょっと骨が折れそう。手分けして調べようか」探索結果を列挙して共通部分を捜していく。ロジカルな作業ならユーノも腐らなかった。結果、次の表が完成した。
 
    巴支易
   月肥肢腸
   扌把技揚
   木杷枝楊
 
「オーケー。手偏と支だな。入力しよう」右の扉のパネルが点灯する。左と前が行き止まりだった。「ひやひやした。ここが『図』の部屋だから、そうだな。『画』を書いて『図画』とかにしようか」ところが、扉は入力を受け付けなかった。「なんだ。どうしてだよ」
「ちょっと待って」ヨーコはタブレットで手書きの地図を眺める。「もしかして、こういうときは隣の部屋の影響を受けるのかも」扉に「体」を入力するとこんどは開いた。
 
 ■
■図体
■指導
■中
■水
■香線車馬
    白髪
 
「うへえ。『図』からのつながりだけじゃなくて『導』からのつながりも考える必要があるわけか。先が思いやられる」
「考えすぎると動けなくなるよ。ひとつひとつ解決して行こう」

迷宮の探索を進める。もう四時間が経過している。
 
 ■■■■■■
■図体重大学会
■指導 店 長
■中  頭
■水
■香線車馬
    白髪
 
「長」の部屋の問題はこうだった。
 
問題 「田の○」と「○由」の田と○に漢字を入れて、よく聞く言葉にせよ。
 
「また訳が分からない。『理由』と『田の理』とかってことか」
「うーん。田に漢字を入れるってどういうこと」
「力をくっつけて男にするとか?」
「それだと『加えて』って書きそう。これまで『入れて』は代入なんだよね。あっ、えっ。そういうこと? 由にも田が入ってるからここにも田と同じ字を入れるんだ、きっと」
「どういうことだよ」
「ええと、たとえば『午』と『牛』とか『工』と『土』とか、そういうペアのことを表したいんじゃないかな」
「ああ、でっぱりの分だけ違ってる訳か。とするとたとえば、ウ冠とワ冠みたいな」
「そうだね。全検索は無理だけど、思いつく限り挙げてみよう」
「石と右みたいなのもありかな」
「ひとまずカウントしておこう。ウ冠の漢字、けっこう多いな」
「ワ冠の漢字だけ調べればいいんじゃないか。ワ冠に点をつければウ冠になるんだから、おなじことだろ」
「そうだね。たしかにワ冠の方が少ない」
 ふたり別々に列挙していく。
「ええと、大体こんなところかな。午と牛、工と土、甲と申、胃と冑、石と右、万と方、刀と力、矢と失、冨と富、冝と宜」
「で、あれだな。午の○と○牛の○に入るものは、みたいな感じで探していく。と」
「うん。『午の』ときたら『刻』とか『日』くらいかな。でも『刻牛』とか『日牛』はない」
「他の奴も検討しよう」
 しかし、ふたりでさんざん検索して頭をひねったが、どうしても適切な組合せが見つからなかった。「甲の上」と「上申」、「刀の圧」と「圧力」、「刀の極」と「極力」、「刀の主」と「主力」どれもどこかが決め手に欠けた。考えすぎで頭がぼーっとしてくる。
「ああ、もう、こんどは何を見落としてるんだ」
「わからない」
「だいたい『よく聞く言葉』ってのが分からないよな。『矢の損』と『損失』はどうだ」
「意味が通ると言えば通るけど、ピンと来ない。それが答えだとしたら、どうしてこんな問題を作ろうと思ったんだろう」 
「わかった。ひっかけだ。田には田が入るんだ。『田の事』と『事由』どっちも聞かない言葉じゃないだろ。『田の事すれば畑が荒れる』ってことわざもあるくらいだ」ユーノがまた辞書を見せてくる。嫌な予感がした。止めるのも聞かず、ユーノがパネルに記入する。
 不正解。部屋が暗くなり、ユーノのライフが一になった。
「は? なんだよ、くそ。基準が分からない。なにが正解なんだ」
 パネルには「足の指」と「指定」が表示されていた。
「えっ。あっ。足に点を打つと定になるの? ぜんぜん気が付かなかった」
「反則だろ、こんなの」
「そっかあ。ウ冠の漢字を調べていれば。もしかしたら、見つかってたかも」
「だめだ。もう僕は一問も間違えられない」ユーノが深く落ち込んでいた。

八時間経過。さらに一問不正解して、ふたりともライフは残り一になっていた。疲労が募る中、だんだん全体像が分かってきた。全体として七七、四十九の方眼になっているらしい。途中から外周部に出口があるものと予想を立てたのだが、もうすでに次の「色」の部屋にしか外周が残っていなかった。
 
 ■■■■■■■
■図体重大学会場■
■指導 店 長所■
■中  頭  有■
■水     無■
■香線車馬  明■
 色  白髪一日■
■着付格骨散分当■
 ■■■■■■■
 
問題 「○ん□」と「△ん□」の○、△ 、□に仮名を入れ、それぞれ漢字一字で書け。
 
「ちくしょう。ここに来て新趣向の問題だ」
「こんなのどう調べればいいんだろう」
「『あかさたなはまらがざだばぱ』で十三。十三掛ける五で六十五だろう。『ん』の二連続とか『を』とかはないから、これに『やゆよわ』が入って六十九。二か所に字が入るから六十九の二乗で四千七百六十一」
「人力で探索するのは骨が折れるね」
「タブレットにもそんな検索機能はないよ」ユーノがお手上げのジェスチャーをする。
「あきらめない。ためしに『あ』から順にさがしてみよう」
「はあ」途方に暮れたというようにユーノが頭を振る。「仕方ないか。あんあ、あんい、あんう、あんえ……」そっちから検索するんだと思ったけれど、ひとまず黙っていることにした。「……あんや、あんゆ、あんよ、あんよって漢字あるかな」
「うーん。なさそう」
「……あんざ、あんじ、あんず、あんぜ」
「あんず! 杏は漢字一字で書けるよ」タブレットに「杏」とメモする。「こんどは『○んず』をさがしてみよう」
「了解。あんず、いんず、うんず、えんず、……」こんどは「れんず」と「ぽんず」のところで質問があったけれど、すくなくとも一字では書けそうになかった。
「これで『あん□』と『○んず』が消えた訳か。本当にこの調子で調べるのか」
「うーん。全探索でも一、二時間で答えは出ると思うけど、そもそも候補がすくない気がするね。それぞれ思いつくままに挙げてみようか。だめだったら全探索することにして」
「わかった」すこし離れてべつべつにぶつぶつ言う。藁の山から針を探すような時間が流れる。
「ポンドとインドってどうかな」とヨーコがきく。
「听は一字だけど、印度は二字必要だ」
「そっか」
しばらくして「インチとセンチだとどうだ」とユーノがきく。
「吋はよさそう。糎はおしいけど、センチメートルかなあ」
「反でアンチとか糞でウンチとか」
「だめだめ。他をさがそう」
 やっているうちに、ユーノが「あっ」と声を上げて立ち上がった。「おんなとかんなだ」
「それだ」とヨーコも叫んで立ち上がる。ユーノのがんばりが嬉しかった。パネルに「女」と「鉋」を入力する。

右の扉のパネルが点灯した。左は点灯しなかった。
「くそったれ。予想が外れた。外周部に出口はない」とユーノが肩を落とす。
「まだあきらめない」
「この状況でどうあきらめないっていうんだ」ユーノがうなだれている。「あと十四部屋だけど、もう入れなくなっている部屋もある。全部正解しても出られる保証はない。しかもふたりともライフは一だぞ。分かってるのか」
「あのさ。もしこうなったらって考えてたことがあるんだ。これ見てもらえるかな」
 
 ■■■■■■■
■図体重大学会場■
■指導 店 長所■
■中  頭  有■
■水  ★  無■
■香線車馬  明■
■色  白髪一日■
■着付格骨散分当■
 ■■■■■■■
 
「この星印は。たしかここは、親父が死んでた部屋か」
「そう。ここまで探索してきて分かったんだけど、あんな変な部屋他になかった」
「たしかに最初からうす暗かったけど、それは親父が間違えたからじゃないのか」
「それはそうかもしれないけど、じゃあ、お父さんどこからあの部屋に入ったの」
「あっ」
「四十九部屋の真ん中なのも気になるし、あと天井に字がなかったのも変だった」
「いつから気になってたんだ」
「とくに確信がある訳じゃなかったけど、なんとなく最初から。でも、いまなら行ってみる価値があると思わない?」
「オーケー。もういちど調べてみよう」
 
「馬」の部屋から★の部屋に入ると、さっきとはすこし状況が違っていた。対面に「頭」の扉があったのだ。地図上で向こうは確かに「頭」の部屋だったが、扉は開かなかった。
「他にはとくに何もなさそうだな。どうするんだ」
「うん。ちょっと試してみたいことがある」
 
「車」の部屋へ戻り★の部屋の周囲を「納車」「上納」「頭上」「座頭」「前座」と来て「前」の部屋。
 
問題 「冬吉」の両方に「糸」を加えると「終結」になる。
   「氐大」の両方におなじ漢字を加えて熟語を作れ。
 
「なんとなくオーソドックスな雰囲気の問題だね」
「そうだな。氐がつく漢字なんてそんなに候補があるとは思えない。楽勝だろう」
「低、底、抵、邸、砥、ふつうに使う漢字だとこんなところかな」
「で、それぞれから氐を引いた残りを大に加えると」
「人偏に大とかあるのかもだけど、少なくとも普段使いの漢字じゃないよね」
「まだれに大も見たことないな。手偏、おおざと、石偏、なんだこれ」
「どれも知ってる漢字にならない」
「またはめやがったな糞親父。こんどは何のインチキなんだ」
「待って。冷静に。何か見落としているのかも。探索範囲を広げてみようか」
「そんなこと言っても氐だろ。阺呧茋怟、、知らない漢字だらけだ」
「熟語とか作れそうにないね」ふたりとも途方に暮れる。
「うーん」ユーノがなにかタブレットで検索する。「これさ、もし両方から同じ漢字を引けって問題だったら、氏人とか答えになりそうなんだけどな」検索結果によると、日本古代における氏の構成員のことを言うらしい。
「氏人ねえ。あ、待って」なにかが見つかりそうな気がした。「もしかしたら、ユーノのそれ、すごいひらめきかも。探索範囲、氏を含む漢字に拡大してみたらどうかな」
「へ」ユーノが変な声を出す。「なるほど。なにか違ったものが見えてくるかもな」
 検索すると「氏、昏、祇、紙、婚」が候補に追加された。
「ああ、そっか。見ようによっては昏睡の昏とかも氐を含んでるって思えるんだ」
「うそだろ。じゃ昏から氐を引いて口。口と大を合わせると因で、昏因が答え、いや、そんな熟語はないよな。まだ何か足りないのか」
「ユーノ! ほとんど正解だよ」
「わかった。婚姻だ!」台のパネルに書き込む。扉のパネルが点灯する。「同じ漢字を加えるって、如を加えるのかよ、まじかよ」ふたりで飛び上がって喜ぶ。「それで、どうするんだ」
「もういちど、★の部屋に戻ってみよう」
 
 ■■■■■■■
■図体重大学会場■
■指導 店 長所■
■中 上頭座 有■
■水 納★前 無■
■香線車馬  明■
■色  白髪一日■
■着付格骨散分当■
 ■■■■■■■

案の定、★の部屋の四つの扉に「馬」「納」「頭」「前」が表示されていた。中央の台が点灯している。ユーノは台のところに駆け寄る。
「なんだ。とくに問題とか何も表示されてないな」
「いいんだよ、それで」ヨーコは台のパネルに指で「出」と書く。「出馬」「出納」「出頭」「出前」の熟語が完成して、部屋が震え始めた。中央の台がずれて、下へ行く階段が現れる。
「やった。やっぱりそうだった。降りよう」ぽかんとしているユーノの背中をたたく。
「闇雲に進んでるのかと思ってた。計画的だったんだな」
「言ったでしょ。試してみたいことがあるって」

階段の下も薄暗い部屋だった。天井には「出」の文字があった。四方のドアのうちひとつのパネルだけが点灯していた。そして、中央の台のパネルのそばにスカートをはいたミイラがうつぶせに転がっているのに気付いた。
「やだ」
「またかよ」
 ヨーコがそっと死体を裏返す。
「どうしたんだろう。てのひらが真っ黒。ユーノ、この人、知ってる人?」
「分からない。もうこんなのいやだ。早いところ出てしまおう」
 この部屋のパズルを解こうと、中央の台に触れる。すると「漢字の迷宮へようこそ」と男の太い声がした。「わたしはこの迷宮の支配人タマキです。チュートリアルをはじめます」
 パネルには機内安全ビデオのような映像が流れた。そして、どういう世界観なのか、ランプの魔人のようなキャラクターが、ふたりが既に知っていることを説明しはじめた。たとえば、問題を解けば扉のパネルに入力できるようになることとか、天井と扉で熟語を作れば扉が開くとか、二つ以上の漢字に隣接するときにはその全てと熟語が作れないといけないだとか、固有名詞はNGとか。
「この部屋って」とユーノがヨーコに耳打ちする。
「施設の入口みたいだね」とヨーコはタマキに聞こえないようにささやく。
 タマキの説明が続く。不意に「三問不正解でリタイア。各部屋の床に出現する脱出スライドから、ふりだし、つまりこの部屋に戻ることが出来ます」とふたりの知らないことを言った。「何か質問はありますか」
「はあ??」とユーノがわめく。「いや、死ぬんじゃないのかよ」
「死にません」とタマキがこたえる。ユーノの顔が真っ赤になる。
「それが本当だとしたら、私たちとんでもない勘違いをしてたことに」
「ふざけんな。おれたちがどんな思いでここまで」とユーノが言葉を詰まらせる。どういう訳か分からないけれど、そういうことならユーノのお父さんが死んだのは不正解のせいではなかったのだろう。「ここまでの努力は無駄だったのかよ」とユーノが憤慨する。タマキは沈黙している。
 ユーノの背中に手を置いてなだめるが、ヨーコも気が気ではなかった。結局だれが何の目的で私たちを閉じ込めたのだろう。分からないことだらけだ。
「もういい。こんなところ早く出よう」とユーノが言う。言われてみると、ここが入口なら、べつにパズルを解かなくても外に出られるはずだった。
 ユーノがパネルが点灯しているドアのところへ走っていく。しかし、どうやってもドアは開かなかった。パネルに「口」と書いてみたが、エラーが表示された。他の三つのドアも反応がない。ユーノが何か言いながら膝から崩れ落ちた。
「ユーノ。落ち着いて。タマキに聞いてみよう。何か分かるかもしれない」うなだれるユーノを連れて、中央の台と対峙する。
 
「タマキ。教えて。あそこのドアが開かないのはなぜ」
「この迷宮に関係がないのでお答えでき」
「いいから答えて」
「ドアは暴徒に壊されました」
「暴徒って誰。どうしてそんなことを」
「ウイルスの後遺症で読み書き不能になった者たちです。言葉の壁に阻まれて、この迷宮に侵入できずやけを起こしたようです」
「ウイルスって、フレックルウイルスか」
「はい」
「後遺症とか初耳なんだけど」
「後遺症は感染からおよそ一年後に発症します」やはりかなり長く寝ていたみたいだ。
「そういえばワクチンは?」
「開発が頓挫したようです」
「どうして暴徒の人はこの施設に入りたかったのかな」
「感染者を増やそうとしていたようです」
「どうも知っているウイルスと違う感じがするんだけど、変異したのかな。フレックルウイルスはハマダラカが媒介してたと思うんだけど」
「後遺症のことが分かって、人類はハマダラカを絶滅させました。しかし、ハマダラカ絶滅の直前に変異してヒトからヒトへの感染が始まりました」混乱してきた。どうも時間のスケールが噛み合っていない気がする。
「ごめん。その変異っていつごろのことなんだろう」
「いまから二百年ほど前の事です」
「二百年!?」ふたりが同時に声を上げる。
「はい」ユーノとヨーコは顔を見合わせる。
「でたらめだ。ぼくは信じないぞ」でも、もし本当だとしたら。
「タマキ、教えて。ここにあのカプセルを運び込んだのは誰?」
「カプセルとは何でしょう」
「白の部屋の、ガラスカバー付きのベッド」
「伊能絵馬雄さんです」
「やっぱり親父だったのか。目的は分かるか」
「分かりません。ただ、直前に絵馬雄さんの経営する病院が暴徒に襲われたようでした」
「そっか。そうだとすると。私たちそこへ入院していて、ここへの移送は緊急避難だったのかもしれないね」
「あ」とユーノが言う。
「どうしたの?」
「思い出したんだ。親父が医療カプセルにコールドスリープ機能を付けるって言ってたのを。またいつものたわごとだとばかり思ってた」ユーノが額に手を当てる。なんてことだ。どうやら私たちは本当に二百年後の未来にいるらしかった。「くそっ。それならなんだって親父の奴、こんなに不親切だったんだ」とユーノがつぶやく。「だいたい、なんであんなに問題が難しいんだ!」
「暴徒の侵入を防ぐため、最高難度に設定されています」
「タマキ、いま外はどうなっているんだろう」
「分かりません。ニュースは二百年前で止まっています」
「ここからの脱出方法を教えてくれ」
「わたしはこの迷宮の支配人です。その質問にはお答えすることが出来ません」
「どうしても?」
「どうしてもです」
「ちくしょう」ユーノが台を蹴る。でも、その言い方だと、不可能という訳ではないのかもしれなかった。
「タマキ。絵馬雄さんは、どうして上の部屋で死んでいたのかな」
「絵馬雄さん、亡くなったのですね。死因は分かりません。ただ、侵入した暴徒から逃げようとして、そちらに退避したように見えました」
「そうだ。この死体もその暴徒だったのかな。てのひらが真っ黒だったんだけど」
「はい。仲間割れで死んだようです。てのひらが黒くなるのは後遺症のひとつです。変異後のウイルスに感染すると、すぐにその症状が現れるので、目印になっていました」
「ありがとう」
「質問は以上ですか」
「うん、大丈夫」
「では幸運を祈ります」タマキがそう言って沈黙した。
「ユーノ、行くよ」と声を掛けて、ヨーコは上の部屋に引き返そうとする。
「なんだ。何か分かったのか」
「希望がわいてきた。脱出できる可能性がある」
「どういうことだ」
「絵馬雄さん、籠城なんてできないはずでしょ。食料がないし、カプセルも足りない。だから、たぶんもうひとつ出口があるはずだって思って」
「言われてみると」ユーノの顔が明るくなる。

上の部屋で、絵馬雄の死体をもう一度確認する。さっきは気付かなかったが、よく見るとてのひらが真っ黒だった。
「たぶん、ここに退避したあとで、感染に気づいたんだよ。それで私たちのところへ来れなくなった」
「餓死したのか」ダイイングメッセージも残せず、どんな思いで死んで行ったのだろうか。
「二百年経てば、それはブレスレットも電池切れになるよね」

出口の存在を確信して、未訪問の部屋を探索する。
「入れない部屋とか不正解になった部屋に出口があるんだとしたら」ユーノが弱気だった。
「クリアできないのにゲームが続くなんて変だよ。私だったら、そんな設計にしない」
「あいつは」
「お父さんのこと信じてあげようよ。すくなくともお父さんの作ったパズルは、わたしは信じることができる」
 とは言え、確かにもう行ける部屋は限られていた。「前」の部屋から「期」の部屋に行く。
 
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■図体重大学会場■
■指導 店 長所■
■中 上頭座 有■
■水 納★前期無■
■香線車馬  明■
■色  白髪一日■
■着付格骨散分当■
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問題 「徒競走」はツーペアである。スリーペアの三字熟語を答えよ。
 
「意味は分かる気がする。これはまた、途方もないな」
「走走でワンペア、竞竞でワンペア、あわせてツーペアっていうことだね」
「こんなのどうやってさがせばいいんだ」
「競とか林みたいな漢字、さっき列挙しなかった?」
「そうか」タブレットに触れるが、画面が暗転してしまう。「くそっ、この大事なときに電池が切れた」ユーノが頭を抱える。
「ずっと使いっぱなしだったもんね」
「どうする」
「白の部屋に戻ればまた充電できるんじゃないかな」
「そうだな。ちょうどトイレにも行きたいと思ってたところだ」
 
「白」の部屋で、カプセルのワイヤレス充電器にタブレットを取り付ける。ユーノが用を足す音が聞こえる。ヨーコも自分のカプセルで一息つこうとしていた。こめかみを指で押さえる。私たちがこんなにたくさんのパズルを解くことを、絵馬雄は想像していただろうか。

急速充電の終わったタブレットから、起動音がひびいた。あまり休憩できていないが、もう一息、ここが踏ん張りどころだった。充電器からタブレットを取り外そうとして、首をかしげる。カプセルの操作方法が表示されていた。
「ユーノ、これ見て」
「なんだよ。もうちょっとゆっくり」
「いいから、早く」
 もともとこれはカプセルの操作パネルだったのだ。取り外せばタブレットとして使えるが、取り付けると本来の機能を果たす。そして、メッセージが一件届いていた。画面の端の赤い「一」をタップする。鼻の頭にほくろのある男の映像が話し始めた。
 
「こんにちは。伊能絵馬雄です。深滝葉子さんはじめまして。優乃輔もいるかな。これを見ているということは、わたしの留守中に目が覚めたんだと思う。忙しくしてて、ごめんなさいね。まず、どうしてこんなところにいるのか、訳が分からないと思うので説明します」絵馬雄はミイラと同じ服を着ていた。このあとすぐに暴徒が襲撃したのだと思う。
「きみたちが交通事故で昏睡状態になったあと、フレックルウイルスが変異して大変なことになりました。世界中大パニックになって、病院での安全確保が難しくなったのです。それで、ナノマシン治療中のきみたちを安全なここへ運びました」やはり、そういうことだったみたいだ。タマキとの会話を思い出した。ユーノも神妙に聞いている。
「でも、もう大丈夫。もうすぐワクチンが開発されます。というか、コールドスリープがとけて、君たちの目が覚めたということは、もうウイルスがいなくなったということですね。世界の下水モニタリングの結果なので確実です。これからは何の心配もいりません」絵馬雄は事態終息までの時間を見積もり損なったのだ。二百年、なんという大誤算だろう。
「ここを出たら、隣に農場があるので、そこに待機していてください。コールドスリープ終了の通知が来るので、遅くとも翌日には迎えに行けると思います。それで、この施設からの出方ですが」ふたりとも息をのんだ。
「このカプセルを右に移動すると、ニョキニョキと上へ行く梯子が伸びるので、それで上がってください。天井の上は外です。このボタンを押せば移動できます」なんというあっけない幕切れだろう。最初にこの動画さえ見ていれば、迷宮でもなんでもなかったのだ。どういう感情なのか分からないが、ユーノが険しい顔で小刻みに震えていた。
「そうそう。葉子さん、優乃輔をよろしくお願いします。すこし頼りないですが、悪い奴ではないと思います。あと、ここは色んな漢字パズルが楽しめる教育施設なんだけど、落ち着いたら、ゆっくり遊んで貰えると嬉しいな。ではでは、またあとで」
 
「はあ」とヨーコはため息を吐いた。色んなことが起こりすぎて感情が追い付かなかった。「そういえば、お父さん、苗字違うんだね」
「ああ、うん? ええと、そう。お袋の再婚相手だったから」
「そっか。そうだったんだ。じゃあ、行こうか。紙切優乃輔くん」
 ヨーコが操作パネルのボタンを押してカプセルを移動させると、絵馬雄の言う通り梯子が伸びて天井にマンホールが開いた。陽光が輝いていた。
 梯子に足をかけたとき「あ、ハマダラカ」ユーノがぼそりとつぶやいたので、梯子を踏み外してしまった。
「ええっ。そんな、絶滅したはずじゃ」ヨーコはキョロキョロしながら羽音に耳を澄ます。
「いや、ごめん。そうじゃなくて、さっきのパズルの答え」
「へ?」
「スリーペアの三字熟語、羽斑蚊だよ」
「は? ああっ、ホントだ! すごい。やるじゃん、ユーノ」ヨーコがユーノの背中に張り手をする。
「へへ。やっと自力で正解できた」ユーノの目に涙が浮かんでいた。
 外はどうなっているか分からない。もしかしたら文明が崩壊しているのかもしれない。でも、なんとなく大丈夫な気がした。よく分からない外へ、ふたりは脱出した。

文字数:16000

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