勝手に翼を授かった

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梗 概

勝手に翼を授かった

 火星に移住してきて初めて、地球に戻ることになった。地球に帰還する時には、診断書が必要になる。ハイシーズンで近所のクリニックでは予約が取れなかったので、初めてのところに来た。通された診察室にはベッドと、諸々の器具がある。

 簡単に診断をして、地球の重力に慣れるために負荷をかけていった。身体が火星に慣れきってしまって、かなりふにゃふにゃらしい。これで地球行ったらちょっとまずいかも、とボソリと言われて不安になる。診断書を書いた後、先生からいくつか治療をして言った方がいいと提案された。

「帰還までそんなに時間ないんですけど」

「あ、そうなんですね。じゃあ今日できるプランを持ってきます」

 プランの説明に加えてつらつらとオプションを聞かされても、どうもただのマッサージのようでそこまで必要そうには思えない。微妙な顔をしていたのがばれたのか、先生の言葉に力が籠る。

「や、福村さん! 地球に行っちゃったらできることなんて限られてますから。こういうのは、万が一に備えて諸々しておくのがいいんです」

 頷かないと、また最初からプランの説明をされそうな勢いだ。圧の強さに負けて、一番安いプランを受けることになった。

 

 マッサージをしてもらって、いつの間にか眠りこけていた。ゆっくりでいいですよと言われて、ベッドでうつ伏せになっていたところから起き上がる。なんとなく身体がまだ重い。特に背中がずっしりとしている。

 診察室の壁にある鏡を見た。うつ伏せになっていたから、あごが赤くなっている。

「いい感じです。これで元気に地球に帰れますよ」

 ぼんやりとしていた目が一気に冴える。なぜか自分の背中に翼が生えていた。

「おまけで、翼授けておきましたんで!」

 最近地球で流行ってるらしいですよ、と冗談みたいなことを言われても困る。触ってみると、自分の背中を掻いているような感覚になった。本当に身体の一部になっているようで、肩まわりが今まで感じたことのない方向に引っ張られている。羽を抜くと、ピンセットで眉毛を抜いた時ぐらいの痛みを感じた。

 真っ白い翼がバッと開いて先生の顔を打つ。自分の身体なのにままならない。勝手に羽ばたこうとしているのに、どう止まればいいのか分からない。先生が無理やり翼を折りたたんで事なきを得た。飛べるんですか? と恐る恐る尋ねる。

「羽ばたけるけど、飛べません! 飾りです!」

 やたらと元気のいい返答をしてくる。しかも一度つけてしまったら、取れないらしい。これからどうすればいいのだろうと茫然としながら、一通り翼の動かし方を聞く。もはや何から心配すればいいのかすら分からない。

 隣の診察室から悲鳴が聞こえてきた。破壊音とともに壁が崩れる。隣の部屋には指からビームが出るようになったらしい生き物が、ありとあらゆるものを壊していた。地球のブームが物騒なものでなかっただけマシなのかもしれない。

文字数:1186

内容に関するアピール

 診察室での一場面を書きました。マッサージとか、お医者さんとか、ある程度相手に身体を委ねないといけないところで、勝手に身体を魔改造されているのは嫌だなと思って書きました。火星の設定はざっくりとだけ決めて、コメディっぽく勢いで書きたいと思います。

 

文字数:122

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勝手に翼を授かった

 福村が診察室のベッドから起き上がると、背中がずっしりとしていた。起き上がるのはゆっくりで大丈夫ですよ、という決まり文句には、ちゃんと意味があるらしい。普通に起き上がったら、危うく後ろにひっくり返りそうになった。マッサージをしてもらったのに、さっきよりも身体が重い気がする。地球ってこんな感じだっただろうか。そう思いながら肩を回してみると、関節が鳴った。オロロン星に移住してから、こんな風に身体の重みを感じたことはない。地球と比べるとオロロン星は重力が半分程度しかないから、身体に負荷がかからない。肩こりや腰痛はほとんどなかった。腕を少し持ち上げただけで痛む。腕はそこまで使っていないのに。
 地球に帰る時には『地球慣れ』と言って、重力に慣れるために重力を調整された部屋で簡単なに運動などをしなければいけない。地球に帰る時には診断書も必要になる。地球とオロロン星の軌道が一番近い帰省ラッシュの間は、診断書を求めてクリニックは軒並み予約が一杯だった。仕事の目処が立ったのがギリギリだったせいで福村がいざ帰省のチケットを取ったときには、近くの診療所は予約で一杯だった。探し回ってようやく見つけたこのクリニックとは、あまり相性が合わないのかもしれない。
 地球に帰ったら何をしようかと予定を色々詰めていたけど、この倦怠感のまま旅行をするのは難しいような気がする。首も回してみたけど、緊張して筋が突っ張っているような感覚があって、なんだか気持ち悪い。ベッドの上に座ったまま、福村は医者に不調を訴えた。
「今の時点で身体がかなりしんどいんですけど、地球に帰ったら色々とやりすぎない方がいいですかね。親戚に会いに行くぐらいで留めておいた方が無難ですか?」
 医者が福村の背中に触れた。指で肩甲骨のあたりをやたらと触ってくるからこそばゆい。肩を掴まれて、ぐっと後ろに引っ張られる。痺れるような痛みに、思わず呻き声が漏れた。
「福村さん、今回『地球慣れ』は初めてですよね」
「はい、ずっと帰ってなかったので」
 福村が出稼ぎでオロロン星にやってきたのは十年ほど前のこと。新しい環境で踏ん張らなければいけないと思って、ずっと留まっていた。両親は、福村がオロロン星に移住する前に他界している。帰っても遠い親戚が居るぐらいで、知り合いはいない。皆福村と同じように、違う星へ出稼ぎに行ってしまった。そういうこともあって、中々重い腰が上がらなかった。今回は何人かの知り合いが地球に戻るタイミングが一緒だったのもあって、福村も帰ることにした。
「だったらむしろ良い方ですよ。身体への負担が大きすぎて、起き上がれなくなる人もいますからね」
 景気づけのつもりなのか背中を叩かれた。ペチンという情けない音がやけに部屋に響く。医者が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろうか。呑気にメガネの汚れをシミの目立つ白衣で拭いているけども。もさっとした印象を受けるこの医者は、どこか胡散臭かった。
「福村さんもしかして心配性ですか? それとも質問したいだけ?」
 意地の悪い言い方をする。反射的に、持っている言葉をそのままぶつけそうになって思い留まった。このクリニックにくるのは今回だけにしよう。福村はそう心に誓って首を横に振った。初めて地球に帰るから、聞きたいことが沢山ある。それに、自分の身体の衰えを感じるのは、少しショックだった。
 定期的に帰らなかったのは、ゆくゆくは地球に戻って住む計画を立てていたのもある。十年でこの衰えとなると自分の人生設計プランが急に頼りない。今後この星に住み続けたら、地球で暮らすなんて到底できない身体になっているかもしれない。
 医者はおもむろに机の横に立てかけてあった全身鏡を、福村の方に向けた。
「まーとにかく、地球に着いたらすぐに慣れると思いますよ。安心してください。よっぽどスケジュール詰め詰めにしてる訳じゃなかったら、そのままで大丈夫です。それにほら、イケてる感じにもなったんだし、いっぱい外出歩いてくださいよー」
 鏡の中の自分をまじまじと見る。背中に絵画の天使のような真っ白な翼が生えていた。天使のように見目麗しい人間から翼が生えているから見栄えするのであって、パッとしない中肉中背の自分に付いていると、優美な翼が逆に奇抜に見える。悪夢のような絵面に、福村は思わず悲鳴をあげた。
「何なんですかこれ!」
「おまけです。翼、授けておきましたんで!」
 ニコニコとしている医者に向かって勝手に翼が開く。思いっきり医者の口の中に翼が入った。妙に感覚が伝わってきて気持ち悪い。翼は勝手に羽ばたいて、机に置いてあるものや器具らしきものをなぎ倒していく。
「これどうすればいいですか!」
 指示されたところで調整できるかは知らないが、このままだと飛びそうな気がする。医者は口をモゴモゴとさせてなんとか翼を吐き出すと、福村の正面に立った。
「落ち着いてください! 福村さん。まずは心を落ち着かせることで、翼の動きを止めましょう」
「普通に無理だろ!」
 唾を飛ばしながら福村が叫ぶと、福村の感情と連動しているかのように、勢いよく羽ばたいてしまう。四方八方にぶつかって、布団を破いた時のように羽が宙を舞う。すでに全身筋肉痛なのに追い討ちをかけられて、福村の身体は限界だった。自分の身体なのにままならない。ピシッという音がして、首に激痛が走った。
 結局、医者に無理やり翼を掴んでもらって、なんとか止めることができた。結束バンドのようなもので括ってもらったから、福村が激昂しても部屋をめちゃくちゃにすることはない。いい大人が涙目になっているのは情けないが、誰だって翼が生えたら冷静ではいられないだろう。背中の違和感がひたすら気になった。
「いやぁ、立派ですよね。これつけてたら、めちゃくちゃ目を引きますよ」
 医者は呑気に笑っている。髪の毛には羽が突き刺さっていた。このクリニックの評判がよくなかったのはこのせいだったか、と後悔したところで、また羽ばたこうと翼が部屋いっぱいに広がるだけだった。

 なんとか見つけたこのクリニックの予約は、ほとんどが予約可能と表示されていた。サイトでは一という数字の評価だけなのが怪しい。コメントがあっても『本当にいい加減な先生です。二度と行きません。』としか書いていない。何がいい加減なのかがいまいち分からないままこうして来てしまった。
 いい加減な先生というから、何も言われずにただ施術されて終わるのかと思っていたらその逆だった。医者はどこで息をしているのかと思うほど淀みなく喋った。地球とオロロン星の重力の違いから始まり、施術はどういう風にするのか、身体のどの部位に影響が出てくるのかということを模型を使いながら説明してくれる。ただ、医療用語をふんだんに使ってくるから、福村にはさっぱり理解できなかった。
 延々と説明されるので、最初は何度も頷いていたけど段々面倒になってくる。なんとなく学校の授業を彷彿とさせた。だから、料金表のようなものを持って来て、メニューの上から下までのオプションを事細かく説明し始めた時には、半分眠っていた。前日の仕事が遅くまであって、福村はあまり寝ていなかった。
 しかも要らないですと比較的はっきり断っても、なかなか引き下がらない。
「この温感ジェルを使うと、もう効きが全然違いますから。強張った筋肉ってのはね、熱を使ってゆっくりゆっくり解してあげると良いんです。次の日には身体スッキリ。地球に行ったら筋肉を酷使しますからね。今から疲労を溜めていたらダメですよ」
 はぁ、と答えるしかない。説明が上手な訳でも、喋りに引きこまれる訳でもなかった。ただ粘り強かった。何倍もの言葉で何故必要なのかを延々と説かれると、だんだん煩わしくなってくる。そのオプションの中に翼があったのだとしたら、聞き逃していてもおかしくはなかった。

「これって、地球で飛ぶ用だったりしますか?」
 福村は羽を摘んだ。地球で足を使わないようにする技術だとしたら、まだ救われる。自分の足腰は、少しのトレーニングだけでどうにかなるものではないと判断されたのかもしれない。さっき、勝手に羽ばたいていた時、自分の身体が浮き上がりそうだと思った。そう考えれば、太っ腹なおまけだろう。ただ、小馬鹿にしたような表情を浮かべる医者を見ていると違うらしい。
「羽ばたけるけど、飛べませんよ。飾りです。ここでも難しいんじゃないかなぁ。地球なんかで翼をつけて人間の身体を飛ばすには、相当の背筋が必要ですから。今の福村さんの背筋では、とてもじゃないけど飛べませんね」
「じゃあ何のために、私に翼はつけられたんですか?」
 福村は祈るような気分で医者に尋ねた。一応、何かの意味があって欲しい。後ろに引っ張られるのはこの羽のせいだ。身体の倦怠感も、背中の痛みも半分ぐらいこのせいだろう。
「色違いがよかったですか?」
「話を逸らさないでくださいよ。勝手に翼をつけるんだったら、ちゃんと言ってくれないと」
「言いましたよ。サインも貰いましたしね」
「でも、おまけなんですよね。私の身体ですよ? 勝手に魔改造されても困ります」
 魔改造という言葉がなぜかツボにはまったようで、医者はギャハハと耳につく笑い方をした。しかもいつの間にかほうきで床の掃除を始めている。
「翼って取れますよね?」
「いえ、取れないです。それも契約の時に確認しましたよね」
 医者は、『地球慣れ』の施術前に書いた契約書をめくると、真ん中あたりのページを指さした。よくよく見てみると、確かに翼に関する記載が小さい注釈の中にある。五十ページぐらいある契約書の中からすぐに該当箇所を見つけられるところに、確信犯めいたものを感じる。
 そもそもこのマッサージも、延々と喋り続ける医者に嫌気がさしてオプションとして付けてもらったものだ。粘り強く全部断ってしまえばこんなことにならなかったのかもしれない。後悔が波のように押し寄せてきた。
「地球には、本当に背中に翼生やした人が沢山いるんですかね?」
 福村はポツリと呟いた。身体に翼を生やした姿で知り合いに会うところを考えただけで、彼らの哀れみまじりの冷ややかな視線まではっきりと想像できた。大大大ブームですよ、と呑気に床に散らばったものを片付けている医者の言葉はどうしてこんなに信用できないのだろうか。福村は別に流行に敏感な訳ではなかったが、聞いたことがなかった。
「誰も後悔してないんですかね?」
「どうですかねぇ。まぁ、翼生えてた方がイケてるしねぇ。ないですか? 子どもの頃とか。鳥になりたかったりしませんでした?」
 ニコニコと微笑みを浮かべている医者は、倒れていた全身鏡を元に戻した。鏡がなくても、自分の姿が目に焼きついている。福村はもう何を言っても無駄なことを悟った。
 医者は大きな袋の中身をベッドの上にぶちまけた。ブラシやらなにかのオイルやら、
 翼用に穴の空いたTシャツまで出てくると、今勝手に翼を付けられてしまった悲しみよりも、これからどうしようかという不安が急に湧き上がってきた。見た目の問題が変えられないのは百歩譲って仕方のないこととする。でも、翼はきっと本当に飾りなだけで、実用性は無いどころか、害しかない気がする。
「これ、パッケージの中に入っている、翼のお手入れセットです。きちんと手入れしないと、翼が痛んじゃったりとかするので、気をつけてくださいね。自分のお肌と一緒ですから。お風呂上がりにはしっかりお手入れをお願いします」
 福村は渡された袋をふんだくった。背中にある翼の手入れは一人では難しいだろう。そういう配慮のある長い柄のブラシが、福村にはなんだか憎たらしかった。
 突然、隣の診察室から悲鳴が聞こえてきた。破壊音とともに壁が崩れ落ちる。砂埃が上がり、福村は思いっきりむせた。隣の部屋には指からビームが出るようになったらしい生き物が、ありとあらゆるものを壊していた。真っ黒で毛むくじゃらの生き物を、看護師は半泣きになりながら、必死に止めようとしている。けれど、ビームが当たるのを怖がって及び腰になって捕まえられそうにない。暴れ回っている生き物は、お構いなしに破壊し続けている。
 医者は手伝おうとはせず、「お、指からビームが出るようになって! よかったですねぇ」なんて手を叩いている。ベッドの脚の部分をビームで焼かれた。ガクッと身体がつんのめって、福村はベットから転げ落ちた。
 こういう時に羽でバランスでも取れるようになっていたらよかったけど。というか飛べればもっとよかったけど、そんなことは勿論できない。つくづく使い物にならない翼だった。
 医者の髪がビームで焦げると、部屋には嫌な匂いが漂ってきた。医者はびっくりする風でもなく、チリチリになった髪を丁寧に撫で付けた。生き物が甲高く吠える。ビームで診断書が跡形もなくなった。もう一枚書いてもらえるのだろうか。 
「先生! 見てないで早く止めてください」
 看護師の金切り声に医者はようやく立ち上がった。既に部屋と部屋の間は開放的になっている。医者はビームをうまく避けながら、ポケットからキャップのようなものを取り出した。暴れる生き物の毛を足で踏んづけると顔を保定して、爪からのビームを止めた。まだ興奮状態のようだったけど、ビームが出ないだけで凶暴さが一気に減る。
 くるりと振り返ると、医者は安心してくださいと微笑んだ。
「よくあることなんですよ」
「じゃあ付けなきゃいいじゃないですか」
 当たり前のことを、こんなにも切実に言う日がくるとは思わなかった。ビームはキャップを付ければ出なくなるんだったら、翼もうまく格納できるようになっていて欲しかった。
「今流行りなんですよ。ビーム。星に帰るのに流行から遠ざかってて、オロロン星ダサいとかって思われたら嫌じゃないですか。これは僕が施術をする上で、一番大切にしてることなんです。僕の使命だと言っても過言ではない。オロロン星だって、流行の最先端なんだぞ、と言うことをきちんと証明したいんです。翼もそうです。流行ってるんですよ。ちゃんと流行を取り入れて欲しいです」
 勝手に翼を授けておいて、ただのマッドサイエンティストみたいな言い草はないだろう。福村の喉がぐっと鳴った。騒ぎ立てたところで、流れるように反論される。
 地球でちゃんと翼が流行っていることを願うしかない。もし流行っていたら、翼を切除できる病院が絶対にあるはずだ。このクリニックにはもう絶対に来ないことを誓いながら、福村はのろのろと翼用に穴の空いたシャツに袖を通そうとして、ふと思い出した。ようやく落ち着いた黒い生き物を撫でている医者に向かって羽を突き出す。
「すいません、結束バンド外してもらえますか?」
 とにかくまずは、きちんと服を着替えることだ。

文字数:6009

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