◆ 一巡目　スワローズ　高津監督

「それでは、第一巡目選択希望選手を一斉に公開してください」
イヤホンから伝わるアナウンサーの声。
最初にディスプレイに出現した文字列は『横浜DeNA：517fdd37867f3fbf』だった。この暗号化されたメッセージをほどけるかに、ボクらの未来が懸かっている。文字列だけではない。様々な周辺情報、例えば、彼らが誰よりも早くこの情報を出したことに何の意味があるのか。考えて考えて、諦める。今更できることはない。サイコロは投げられた。後は事前に決めてきた通りに動くだけ。『b409432cb056ec42』をチャット欄に書き込む。この文字列は『佐藤選手、神宮球場の熱いファンが待っています』というメッセージのハッシュ値だ。

Zoom画面に並ぶ12球団の監督。その中でもベイスターズ・ラミレス監督の瞳は燦燦と輝いている。彼の高潔な人格は誰もが知るところである。まるでレンガ造りの暖炉のように思いやりに溢れた人物だ。当時に、並外れた知性を兼ね備えている。ボクは知っている。かつてチームメイトだったから。現役時代のラミレス監督は独自の分析で的確に配球を読んでいた。その頭脳と冷静さは監督という大役を任されて以来、ますます発揮されていると言えよう。データを駆使して編成された彼のチームは、毎年好成績を挙げている。ベイスターズにとってこれは驚くべきことだ。彼が来るまで万年最下位だったのだから。
それほどまでに理知的な彼のこと。この2020年プロ野球暗号理論的ドラフト会議でも何か仕掛けてくるに違いない。だから僕は彼を最大限に警戒している。
デュアルディスプレイの片方にZoomを映したまま、もう一つの画面にプロ志望届提出者一覧を表示する。ずっと気になっていたことがある。愛知県立巴川高校のアラウージョ・ホセ・健介選手。ボクはこの選手を知らなかった。それどころか高校も知らなかった。球団のスカウト陣に聞いてみたが、やはり誰も知らない。確かに、今年はコロナ禍で甲子園などアマチュアの大会が軒並み中止・縮小となり、残念ながらアピールの場に恵まれなかった選手は多い。それでも、多少なりと有力な選手であれば、スカウトの耳に入ってしかるべき。スカウトが知らないという事は、指名するレベルの選手ではないということ。そのはずである。それなのに、どうやらあのラミレス監督が熱心に口説いてアラウージョ選手にプロ志望届を出させたという噂が聞こえてきたのだ。一体このアラウージョ選手は何者なのか。はたしてラミレス監督は独自の分析で無名高校のダイヤを見出したのか。

一旦落ち着こう。ベイスターズばかりに気を取られてはいけない。確かにラミレス監督は切れ者だが、チーム力という点で言えば、最大の敵は2020年セリーグを制したジャイアンツ。もちろん怯むことはない。ボクの分析では、今のスワローズには上位を狙える十分な実力がある。では、『上位』とはなにか。目標をどこに据えるか。少しでもいい順位で終えることがゴールなのか、あくまで優勝を目指すのか。その質問はこのように言い換えられる。ボクらにとって、ジャイアンツに戦力が集中したほうが得なのか、むしろ削いだ方が得なのか。
もしジャイアンツの一強になれば、二位以下が団子になり順位上げやすくなる。反対に、戦力が他球団にも分散すれば、スワローズの順位が落ちる可能性も増すが、優勝も狙いやすくなる。
大事なことはどちらか。そんなものは決まっている。優勝しかない。ここからは、どれだけジャイアンツに思い通りのドラフトをさせないかが勝負になる。Zoom越しにジャイアンツ原監督を睨みつけた。原監督はニコニコと笑みを崩さない。随分自信があるじゃないか。

11球団のハッシュ値が既に出ている。残るはホークス。画面の中で、マウスを一生懸命動かすホークス工藤監督。
「円滑に進行しようじゃないか円滑に」
苦笑まじりに原監督が言った。
「すみませんね、ちょっとトラブってるみたいです」
工藤監督も答える。言葉では困っているようだが、どこか余裕に溢れた工藤監督の口ぶり。まさに優勝請負人と呼ばれた強心臓の工藤投手。

◆一巡目　ジャイアンツ　原監督

「すみませんね、ちょっとトラブってるみたいです」
工藤監督の言葉を聞いて、私は笑うしかなかった。「ズルをするな」と言ってやりたいが、とぼけられるだけだろう。騙される人はいないが、嘘をついているという証拠もまた見当たらないのだ。彼の嘘は見え透いている。その嘘の裏で何をしているかも分かり切っている。どうせハッシュ値を解析しているのだ。

ハッシュとは、入力された値を所定の手順でグチャグチャにかき混ぜて出力することだ。入力を原像、出力をハッシュ値という。『所定の手順』をハッシュ関数といい、どのコンピューターで計算しても、同じ原像には必ず同じハッシュ値になる。入力は何でもいい。
例えば、今回のドラフト会議で使われるMD7というハッシュ関数を使えば、「こんにちは」のハッシュ値は768e4e9d2c5475a8、「こんばんは」のハッシュ値は24374452e0a28f2bになる。ここで重要なポイントとして、この768e4e9d2c5475a8から「こんにちは」を逆算する関数は存在しない。
この性質には様々な応用があり、例えば後で公表するデータを事前に予告することができる。予告から『後で公表するデータ』を突き止めることはできない。さらにその後公表されたデータが予告通りだったか検証ができる。

2020年のドラフト会議は、コロナ対策のためリモートで行うことになった。課題はクジ引きだ。どうやってリモートで公平なクジ引きが行えるか、12球団監督で話し合った。
問題は大きく分けて二つある。一つ目は、同時に指名選手を発表するにはどうしたらいいか、二つ目はどうやって抽選するか。
同時に発表とは、全球団の指名が終わるまで、自チームの指名先が他球団に分からないようにするという事だ。例えば、A選手・B選手という二人の有力候補がいたとする。自分が指名する前にどこかの球団がA選手を指名したと分かれば、クジ引きを避けて確実にB選手を確保したほうがいい。このルールでは、後出しが有利になってしまう。そこで、全球団が指名選手をハッシュ値で公表し、ハッシュ値が出揃ったところで指名選手名を開示することにした。
とはいえ、ドラフトの対象であるプロ志望届提出者は300人程度である。ハッシュ値から原像を逆算する関数は存在しないが、様々なハッシュ値を計算してみて原像を探し出すことは可能だ。300人の選手名を順番にハッシュ関数にかければすぐにハッシュ値が一致する選手名を特定できてしまう。これでは意味がない。そこで、一工夫加えることにした。各球団は「○○選手、ともに優勝を目指そう」のように選手の名前が入った『意気込み』文を作り、そのハッシュ値を公表する。こうすれば通りの数が莫大なので原像を割り出される心配もない。
そうはいっても、ドラフト会議で選手にかける言葉の種類なんてたかが知れている。本気で大量のコンピューティングリソースを確保すれば、運よく特定できる可能性はある。工藤監督は今、自チームの指名ハッシュ値公表を引き延ばし、その間にコンピューターを使って解析することで、他球団の指名選手を特定しようと試みているのだろう。

もちろん、私もそんなことは知っていて、既にハッシュ値を解析するコンピューター部隊を整えてある。だが使い所はここではない。他球団の動向に合わせて自分の出方を変えるというのは、球界の盟主にふさわしくない。堂々と一番欲しい選手を指名すればいいのだ。そして、その選手を引き当てるためにこそ、暗号破りを使うべきである。

Zoomをミュートにした工藤監督が、周囲に向かって何か叫んでいる。事前に運営側からは『どんな部屋から参加してもいいが、コロナ対策のため一部屋に大人数が集まるのは避けてください』と言われていた。確かに画面には工藤監督一人しか写っていないが、どう見てもカメラの反対側に大人数が集まっている様子だ。指摘してやろうにも証拠はない。こういうルールの限界を試すところも、トリックスター工藤監督らしい。
工藤監督の口が「アラウージョ？」と動いたように見える。アラウージョ。能力は定かではないが、あのラミレス監督が随分ご執心だったと聞いている。ホークスはベイスターズの指名を解析していたのか？
まもなく、ホークスの指名ハッシュ値がチャットに載った。
「どうも、お待たせしました」
しらじらしい工藤監督の声。続いてアナウンサーが言う。
「それでは、第一巡選択希望の意気込みを開示してください」

東京ヤクルト：佐藤選手、神宮球場の熱いファンが待っています
横浜DeNA：入江選手、e8ja&3k#s,4j9a
オリックス：佐藤選手を絶対獲得するぞ！
阪神：佐藤選手が甲子園のヒーローになる日が待ちきれません
東北楽天：早川選手と心を一つに優勝を目指します
福岡ソフトバンク：最高の環境を用意し笹川選手をお迎えします
……。

各球団の意気込みがチャットに書き込まれて行く。私も『佐藤選手、栄光の巨人軍で新しい歴史を作ろう』と送信。12球団の意気込みが出そろう。念のためそれぞれMD7を計算する。もちろん、すべてのハッシュ値が一致した。
想像していたが、佐藤選手への指名は被った。ジャイアンツ、タイガース、バファローズ、スワローズの4チーム。厳しい戦いに思えるが、私たちには確実に佐藤選手を引き当てる作戦がある。頬が緩まぬよう、唇を固く結んだ。
ところで。
「ラミちゃん、ベイスターズのそれは何ですか？　無意味な文字列のようですが意気込みとは」
私は気になったことを聞いてみた。ラミレス監督は顔色一つ変えず答える。
「はい。ハッシュ値から解析されることを避けるため、ランダムに生成した文字列にしました」
「そりゃ解析対策と言いましても、指名される選手の気持ちをちょっとは考えたらさぁ」
「笹川選手には後で誠実にお話しします」
ラミレス監督は温厚ながら毅然と言い切る。

ラミレス監督の人間性を疑う人はいない。彼が日本に来た時のことを思い出す。残念ながら助っ人外国人選手の中には日本の野球を見下している人も少なくない。そして思ったプレーができなければ、腹を立て、中には勝手に帰国してしまう人だっていた。しかし彼は違った。来日当初こそ日本人投手相手に戸惑っていたが、コーチのアドバイスを謙虚に聞き、熱心な練習で環境の違いを乗り越えたのだ。
ラミレスの実績と人徳は誰もが認めるところであり、助っ人外国人としては異例ではあるものの、引退後に1チームの監督に招聘されたのは当然の事だろう。
そんなラミレス監督のする事だ。何か理由があったのだ。
「まあよいでしょう。抽選に入ろうじゃありませんか」
監督たちが小さく頷いたのを見て、アナウンサーが言った。
「それでは第一回抽選に入ります」

さて、暗号理論的ドラフト会議の二つ目の山場は抽選だ。ここでもハッシュ関数を使う。今度はまず、選手側が意気込みのハッシュ値を発表する。次に各球団がもう一度意気込み文を作り、そのハッシュ値を公表する。出そろったところで、双方が意気込みを開示する。今度は選手側の意気込みの後ろに球団側の意気込みを付け足した文字列を原像にハッシュ値を取る。そのハッシュ値を辞書順に並べる。辞書順とはいわゆる名簿順の事で、0が一番小さく、1,2,3…9そしてa,b,cの順になる。1文字目が被った場合は2文字目、それも被った場合は3文字目、という要領で比較していく。辞書順でもっとも先頭になった球団を当選とする。この抽選方法であれば、球団側も選手側も結果を操作できない。納得いく方法であろう。なお、先ほどの選択希望の意気込みには選手名を入れろという縛りがあったが、抽選の意気込みには選手名を入れなくてもよいことになっている。

ここで佐藤選手がZoomに入った。ただの大学生ではなかった。一目で分かる戦士の顔立ち。精悍。まさに野球に打ち込む姿勢が滲み出ている。この男は絶対にスーパースターになる。私は確信した。ここでクジを外す手はない。
「佐藤選手、それでは意気込みのハッシュ値を公表してください」
アナウンサーの言葉に『はい』と返し、佐藤選手が意気込みを発表した。
佐藤：093d4e5af6c87494
佐藤選手はそう書き込むと、20リットルくらいの息をついた。まあ、プロ野球12球団の監督の前に連れてこられたんだ。硬くなるのも無理はない。少し心をほぐしてあげようと語り掛ける。
「佐藤君、今はご自宅？」
「いえ、大学の会議室です」
佐藤選手がハキハキと答えた。
「ご家族は今一緒に？」
「家族は家のテレビで見ていると思います。今一緒にいるのは監督。チームメートは別室に集まっています」
「チームの皆は何て言っていた？」
「佐藤ならどこでもやっていけると背中を押してくれました」
「まさにね。4球団も指名すると思ってた？」
「いえ、光栄です」
ここでアナウンサーが割って入る。
「それでは4球団は意気込みを公表してください」
タイガース、スワローズが即座に書き込む。私はなるべく緩慢な動作でキーボードに手を置いた。と、Zoomとは別に開いていたSlackに野手総合コーチからのメッセージが入る。そう。時間を引き延ばしていたのはこのためだ。
野手総合コーチ：佐藤選手の意気込みは『フルスイング！』
解析が間に合った！　実に若者らしい、勢いのある意気込みである。後は、この言葉に合わせるとハッシュ値が小さくなる言葉を見つけるだけ。
野手総合コーチ：『夢に向かってはばたけ！』で00264cc01ceb3c4bが出せます。
素晴らしい。0が2つ続いた後に2。これは強い。私は当選を確信し、『夢に向かってはばたけ！』のハッシュ値00264cc01ceb3c4bを書き込んだ。
ややあってバファローズのハッシュ値も公表される。
「それでは佐藤選手と4球団は意気込みを開示してください」
私は二つ三つ頷いてから『夢に向かってはばたけ！』と書き込む。

阪神：甲子園が佐藤君を待っている
オリックス：君はバファローズでホームラン王になる！
読売：夢に向かってはばたけ！
東京ヤクルト：ともに優勝を目指そう

佐藤選手が堂々とした手つきでEnterキーを押す。この後チャットに表示される文字列は、もちろん『フルスイング！』のはずだ。
ところが、そこに載ったメッセージは予想を大きく裏切るものだった。
佐藤：ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih
なんだこれは。慌てて佐藤選手の意気込みをハッシュ関数にかける。宣言通り093d4e5af6c87494。私は頭を抱えた。ハッシュ値被りか。理論上、別々の原像から同じハッシュ値になることはあり得る。だが、それは天文学的確率と言われている。偶然ならあり得ない。偶然出ないなら意図。意図しただけでなく、余程根を詰めて探さなければハッシュが被る組み合わせは見つからない。見つけたということは、この男は本気で探したのだ。同じハッシュ値を持つ組み合わせを。

各球団の意気込みと佐藤選手の『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』を繋げてハッシュ値を取ると
阪神：2893412ad2669bbe
オリックス；a20fefdfa9711a46
読売：2abe7499f481b3bd
東京ヤクルト：fd5c2a65ea03cfe4
となった。
「抽選の結果、阪神が交渉権を獲得します」
無情なる敗北の宣告。どうしてこんなことに。ちなみに、佐藤選手の意気込みが『フルスイング！』であれば
阪神：56a3207e60eab4ad
オリックス：28aae57564b0bdf4
読売：00264cc01ceb3c4b
東京ヤクルト：f8c4881971feaf9e
となり、ジャイアンツが交渉権を獲得できた。

「佐藤選手、この意気込みの意味は何ですか？」
オリックス中嶋監督が聞いた。
「これは、エレナ・マロヴィッチのSF小説『遺失された星の歌』に出てくる宇宙人サフィヤーン・アル・ノーラの言葉で『勇気はいつも君の心にある』という意味です」
絶対嘘だろう。そんな小説あるわけがない。『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』という文字列には何の意味もないに決まっており、たまたま『フルスイング！』とハッシュ値が被る文字列だからここに出てきたのだ。佐藤選手は二つの原像を持つハッシュ値を用意し、保険を掛けていた。なるべく望みの球団に行くために。『フルスイング！』と『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』のどちらを開示したほうがよりいい球団に行けるか、天秤にかけたのだ。

そうか。佐藤選手はジャイアンツを袖にしてタイガースに行く。なんという肝の座った男だ。私の勘が告げている。この男の入ったタイガースは強くなる。

◆一巡目　ホークス　工藤監督

「それでは、第一巡目選択希望選手を一斉に公開してください」
アナウンサーが言い終わるや否やラミレス監督がチャットに書き込んだ。

横浜DeNA: 517fdd37867f3fbf

控えていたスタッフが即座に解析を始める。ホークスの親会社は超大手IT企業である。その気になれば無尽蔵のコンピューティングリソースをつぎ込める。
ここでホークスの作戦をおさらいしておこう。

ホークスとしては、右打ちの内野手と左打ちの外野手が欲しい。目を付けているのは二人。内野の牧選手と外野の笹川選手。さて二人共獲得できるだろうか。ポイントになるのはベイスターズの動向。オレの分析では、ベイスターズが欲しい戦力は右打ちの内野手と右投げのリリーフ投手。ホークスと被るのは右打ちの内野手。特に、牧選手に注目しているとの情報が入っている。
また、ルールとして、ドラフト二巡目は抽選ではなくウェーバー方式となる。ウェーバー方式とは、今期のリーグ戦成績が低い球団から順に交渉権を獲得できる方式だ。今季パリーグ優勝したホークスは最後。対してベイスターズはセリーグ4位。つまり、二巡目はホークスよりベイスターズが先に交渉権を得られる。
それを踏まえると、オレたちにとっての最善手はこうなる。もし、ベイスターズが一巡目で牧選手を指名した場合、ホークスも牧選手を指名し抽選に持ち込む。抽選を外した場合、外れ1位で笹川選手を指名する。
ベイスターズが投手を指名した場合、二巡目には確実に牧選手を取りに来るので、ホークスが一巡目で牧選手を取っておく。
もし、ベイスターズが牧選手以外の内野手を指名した場合、ホークスは一巡目で笹川選手を、二巡目で牧選手を取る。

さあ。ベイスターズの指名は誰なんだ。
既に11球団の指名ハッシュ値公表は終わっている。オレは操作に手間取っているふりをして時間を稼ぐ。
「円滑に進行しようじゃないか円滑に」
ジャイアンツの原監督から苦言が出た。
「すみませんね、ちょっとトラブってるみたいです」
適当に濁す。
画面を睨んでいたスタッフがバッと顔を上げた。オレはマイクをミュートにして叫んだ。
「分かったか？」
「見つかりました。ベイスターズの指名はアラウージョ・ホセ・健介です！」
「アラウージョ？」
誰だそれは。オレは慌てて候補者一覧を見る。愛知県立巴川高校。右打ち。ポジションは内野手。思い出した。ラミレス監督が熱心に志望を勧めていたという謎の高校生。なぜラミレス監督はこんな選手が欲しいのか。ラミレスはこの選手の秘めたる能力を見抜いたのか。いやしかし知名度皆無の選手をわざわざドラフト1位で指名する必要なんてない。何を考えている？
「間違いないのか？」
「はい！　『アラウージョ・ホセ・健介君、ベイスターズで夢を追いかけろ』でハッシュ値が一致しました！」
なら間違いないか。アラウージョは内野手とある。であれば、牧選手は二巡目まで残っている。指名は笹川に決めた。
『笹川選手の輝かしい未来へ、最高の環境を用意しています』のハッシュ値を取り、チャットに投稿した。
「どうも、お待たせしました」
形ばかりの頭を下げると、アナウンサーが引き取る。
「それでは、第一巡選択希望の意気込みを公表してください」
各球団が順に原像を公開していく。

東京ヤクルト：佐藤選手、神宮球場の熱いファンが待っています
横浜DeNA：入江選手、e8ja&3k#s,4j9a
オリックス：佐藤選手を絶対獲得するぞ！
阪神：佐藤選手が甲子園のヒーローになる日が待ちきれません
東北楽天：早川選手と心を一つに優勝を目指します
福岡ソフトバンク：笹川選手の輝かしい未来へ、最高の環境を用意しています
……。

なんだと？　ベイスターズは『アラウージョ・ホセ・健介君、ベイスターズで夢を追いかけろ』じゃないのか？
慌てて手元でハッシュ値を確認してみる。
なんと、『アラウージョ・ホセ・健介君、ベイスターズで夢を追いかけろ』でも『入江選手、e8ja&3k#s,4j9a』でもハッシュ値が517fdd37867f3fbfになった。ハッシュ被りか！　一般にハッシュ被りが起こる確率は超低確率と言われている。その砂金のように低い確率の中からベイスターズは、ハッシュ被りが起こる名前の高校生を探し当てたのだ。そして、そのために、そのためだけに、アラウージョ・ホセ・健介君にプロ志望届を提出させたのだ。オレたちがベイスターズの指名を解析すると見込んで。ここでオレの大失敗に気づく。オレたちは自らの策に騙され『ベイスターズは牧選手以外の内野手を指名する』と誤認したため、オレたちは一巡目で牧選手を指名しなかった。そこが彼らの狙いだったに違いない。ベイスターズは一巡目で入江選手を指名し、二巡目で牧選手を指名する。お目当ての選手を二巡目まで取られないようにするための罠を貼ったのだ。
恐るべしラミレス監督。

◆一巡目第二回　ジャイアンツ　原監督

「それでは、一巡目第二回選択希望選手のハッシュ値を公開してください」
第一回の抽選に敗れたのは私たちジャイアンツと、スワローズ・バファリーズ。
3球団が第二回の指名に入る。

山下か平内か、それが問題だ。どちらも右投げの好投手。速球派でリリーフに向いている点も似ている。ただし、山下は高校生で平内が大学生。事前の分析では、スワローズとバファローズも同じタイプの選手を必要としている。3球団の指名は確実にこの二人に集中するだろう。どちらも素晴らしい能力を持っている。比較すると、やはり大学生だけあって完成度は平内が勝るが、潜在能力を推し測ると、最高到達点は山下がやや上回るように映る。
他球団の動向に合わせる必要はない。欲しい方を取るだけ。私は『山下君、ジャイアンツでプロ野球の歴史に名を残そう』のハッシュ値を計算する。
オリックス：ce420f531c882e5c
東京ヤクルト：ce420f531c882e5c
こちらのハッシュ値1bec9d5a731a32f0を送信しよとしたとき、2球団の書き込みが重なった。時刻だけではない。内容も。
「これは何ですか？」
私は二人を画面越しに睨みつける。
「たまたまです」
スワローズの高津監督が言った。
「たまたまの訳はないでしょう。裏で談合しているんじゃあないですか？」
威圧する声を出して高津監督を詰める。
「そんなことしてもメリットが無いですよ。もし談合して同じ選手を指名するなら、別のハッシュ値になるようにそれぞれ別の意気込みを用意します。わざわざ疑われることをする理由はないです」
言われてみればそうだ。一旦飲み込んで偶然だったと考えよう。たまたま二球団の指名が被ったとして、それは山下と平内どちらなのか？　もしジャイアンツと二球団の指名が被れば当選の確率は1/3になる。それなら、2人が選ばなかった方を選んだ方が得だ。
2球団には大きな共通点がある。監督が新任者という事だ。前シーズンは不本意な結果に終わり、来期に向けて新しい監督を招き臨んだこのドラフト会議。つまり、監督への期待が低い。誰もがチームの再建に少しの時間が必要と納得している。この状況なら、即戦力の大卒より伸びしろの大きい高卒を選ぶのではないか？　私は、スワローズとバファローズは山下選手を指名したと踏む。それならば。私は『平内君、ジャイアンツでプロ野球の歴史に名を残そう』のハッシュ値を投稿した。

◆一巡目第二回　スワローズ　高津監督

「一巡目第二回選択希望の意気込みを開示してください」

読売：平内君、ジャイアンツでプロ野球の歴史に名を残そう
スワローズ：山下選手、ともに優勝を目指そう
オリックス：山下選手、ともに優勝を目指そう

バファローズと指名が被ったのは、偶然であり、打算でもあった。オリックスとは利害が一致すると思ったからだ。どういうことか。ジャイアンツは山下選手と平内選手の二択で迷っていたが、ボクの見立てでは山下選手の方がよりいい選手である。バファローズも山下選手を欲しがっていた。ここで抽選の確率が1/3になるより1/2になる方がいい。だから、ボクらとバファローズの指名が被ったところをジャイアンツに見せたかった。そこで、最も安直な意気込みを選んだ。「○○選手、ともに優勝を目指そう」は、今日運営から配られた『ドラフト会議のしおり』に載っていた例文そのままである。重なるとしたらこれしかない。そしてまさに心が通じ合ったのだ。大きな偶然の下には小さな必然が積み重なっている。これぞプロスポーツの醍醐味といえよう。
「ジャイアンツが平内選手の交渉権を獲得します」
アナウンサーの声に、原監督が大きく頷いた。この大げさなリアクションも計算のうちだろう。気持ちを察するに、原監督にとってはこのドラフト会議は最高の結果とは言えなかったはずだ。それでも彼は大喜びする姿を見せた。テレビの向こうにいる選手にその姿を見せてあげた。そこに意味がある。こうやって自然に演じられるところが、名将たるゆえんだ。

「山下選手の抽選に入ります。山下選手は意気込みのハッシュ値を公表してください」
「ちょっと待ってください」
その時、バファローズ中島監督が割って入った。
「この抽選方法ですが、不正の余地があると思います」
「というと？」
髪を七三に分けた端正なフリーアナウンサーが問い返す。
「選手と他球団が結託する可能性があります。例えば、球団側は事前に意気込みを選手に伝えているかもしれません。その場合選手は、事前に良いハッシュ値が出る意気込みを調べておくことができます」
「確かにそうですね」
アナウンサーの眉が寄る。
「何か案はありますか？」
「はい。まず双方の球団が意気込みのハッシュ値を公表します。出揃ったら、双方の意気込みを開示します。ここで、自分の意気込みの後ろに相手の意気込みを繋げた文字列を自分の原像とします。そのハッシュ値が辞書順で早い方を当選とするのはどうでしょう。これであれば、誰かに結果を操作されることはありません」
「確かにいい案に思えます。高津監督いかがですか？」
「スワローズはそういった不正をしないので、中嶋監督が気になさる必要はありませんが、確かにバファローズが不正をする可能性を考えると、その案に賛成です」
中嶋監督は涼しい顔で答えた。
「では決まりですね」

「それでは両球団、意気込みのハッシュ値を公表してください」

オリックス：1a01fb183b5752c0

バファローズはすぐに出した。後はこちらの意気込みを決めるだけ。何にしようか。それが球団の命運を左右する、一巡目最後の勝負になる。それにしても難儀なドラフト会議になったものだ。少し思い返してみる。タイガースが交渉権を獲得した佐藤選手の話は面白かった。裏方に聞いたのだが、佐藤選手は『フルスイング！』『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』の二種類の原像を持つハッシュ値を用意することにより、抽選結果を多少操作する余地を得たそうだ。結局、ジャイアンツとタイガースの二択からタイガースを選んだという。確かにその方法は使えそうだ。あいにく、時間が無いので今から複数の原像を持つハッシュ値を探すことはできない。
いや、そうでもない。目の前にあるではないか！
まさに天啓。ボクは佐藤選手が使った093d4e5af6c87494をチャットに書き込んだ。このハッシュ値には二つの原像がある。だから、中嶋監督の開示した意気込みを見てから勝てる方を選んで開示すればいい。こちらだけ2回くじを引けるようなもんだ。中嶋監督、この勝負、頂きました。
「両球団、意気込みを開示してください」

オリックス：光り輝く明日に向かえ

この意気込みに勝てる方を出せばいい。手元で計算してみる。

『フルスイング！』の場合、
スワローズ：『光り輝く明日に向かえフルスイング！』→736459fada9ab553
オリックス：『フルスイング！光り輝く明日に向かえ』→2b14292773ba12c2

『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』の場合、
スワローズ：『光り輝く明日に向かえZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih』→68173fc4bdb6f674
オリックス：『ZCc BTQKz WtNJ ELFEiwH pWfXjF VM pQih光り輝く明日に向かえ』→04de33009b23ee5c

どちらなら勝てるか。何度も読み返す。何度も。なぜだ。どちらでも勝てないではないか。恐る恐るパソコンのディスプレイを見る。Zoomの向こうの中嶋監督がうっすらとほほ笑んだ。その視線はなぜかボクをまっすく突き刺したように感じられた。
まさか、ハメられた？　中嶋監督はボクが093d4e5af6c87494という二つの原像を持つハッシュ値を使うことを見越してこのルールを提案したのか。それだけではない。この短時間でのことだ。中嶋監督は、佐藤選手が使った作戦を知った時から、ボクがどちの原像を出しても勝てる意気込み部下に探させていたに違いない。なんという先見の明。なんという組織力。中嶋監督、恐ろしや。こんな監督に率いられるチームは、必ず強くなる。

ボクは確信した。2021年の日本シリーズはスワローズ対バファローズになるだろう。