今日だけはアイ・リッスン・トゥ・マイ・ハート
木星人である俺にとって地球人のPKを止めるのは簡単なことだ。地球人に擬態していても。
サッカーW杯16強。後半45分、日本代表神田選手が震える手でボールを置いた。地球人とは身体能力が違う。防げないコースはない。ただ、できれば枠を外して欲しい。目立ちたくないのだ。エイリアンとバレてはいけないから。どうしてこうなったのか。
話は地球に来たその日に遡る。俺は西アフリカのバルンビ共和国にやってきた。歴史的経緯で泥沼化した紛争を調査するためだ。手始めに適当な家に忍び込み、住人を眠らせ、その外見を自身にコピーした。結果的にはこれが人選ミスだった。この男の名はオチエンという。オチエン本人にうろつかれると困るので、冷凍睡眠カプセルに放り込み、山奥に隠しておいた。これには裏話がある。当初適当な洞穴に隠しておいたら近隣住民に見つかり騒ぎになりかけた。俺は隙を見て絶対に安全な場所に移しておいた。
オチエンの自宅に戻ると、ちょうど彼の妻が帰ってきた。ナーネという。ナーネは言った。
「風邪薬買ってきたわ。飲んで寝ておきなさい。まだ顔色悪いじゃない」
言われた通り薬を飲んだ。不覚にも俺は眠り込んでしまった。
目が覚めると地球の度量衡で5時間経っていた。街に出てぶらぶらしていると、突然後ろから猛スピードでサッカーボールが飛んできた。ノロマな地球人なら頭部に直撃しただろうが、俺は発達した聴覚と瞬発力でそれを見事にキャッチした。凄すぎて怪しまれたかもしれないと反省。子供達が集まってきて、口々に「オチエンだ!」と叫び始めた。どうもこのオチエンなる人物は有名なキーパーらしい。すぐにサッカー協会のスタッフがやってきた。
「オチエン選手、何をしているのですか。もう試合の時間です」
俺はスタッフに連行された。こうして木星人である俺は数ヶ月に渡りサッカー選手を演じる羽目になり、あれよあれよとW杯に出場する次第となった。そういう事情である。まあ、自国サッカーチームの躍進が国内情勢の緊張を緩和できるか、試す価値はある。
サッカー選手の辛いところは二つ。一つは自分の姿が地球中に配信されること。絶対に怪しい動きしてはいけない。変に活躍すると注目を浴びてしまう。ドーピング検査とかダルいしね。ただ、勝つ手段は体だけではない。地球人を遥かに上回る知能だ。ボールが来る位置を予想しておけばいい。「FWの選手はキーパーの正面にシュートしてしまいました。焦ったのでしょう」。実況者はそういう。
もう一つの辛い点は、木星との通信端末の扱いである。木星組織から携行を義務付けられているのだが、これを持って出場することはサッカー協会に禁じられた。仕方なくロッカーに残しておくが、本当に危険なことだ。以前、俺が試合に出ている間に、誰かが触った形跡があった。この端末を使えば木星にあるデータベースを見られてしまう。もし間違って地球人が木星人についての情報に触れれば間違いなく大パニックになる。幸い、電波が木星まで行って帰ってくるまで70分のラグがあるので助かった。サッカーが45分でよかった。
ドーピングといえば、なぜオチエンはナーネに風邪薬を買ってきてもらったのだろう。考えてみるとありえない。仮にも代表選手。ドーピング検査に引っ掛かったら大問題だ。絶対にチーム医にもらうはずである。このオチエンという男は本当にサッカー選手なのか。
もう一つ。なぜオチエンを入れた冷凍睡眠機が即座に見つかったのか。迂闊だったとはいえ、人の来ないところに置いたはずだ。思い当たるのはスマホだ。俺は彼を隠した後、彼のスマホを持って帰った。スマホのGoogleマップアプリには足跡が記録されている。例えばナーネならパスキーを知っているかもしれない。
もし本当はサッカー選手でないなら、どの時点でサッカー選手になったのだろうか。ボールが飛んできた時だ。そんな都合よく飛んでくるだろうか。俺を試した可能性は?
最初から怪しまれていたのではないだろうか。俺が風邪薬で寝ている間にナーネがオチエンのスマホを開き、その足跡をたどってオチエンの冷凍体を見つけていたとしたら。その後のことは全てバルンビ人の芝居だったとしたら。
通信端末に触れられたのはあの一回だけである。しかしそれはサッカーが1セット45分だからだ。間には休憩時間がありロッカーに戻れる。だが今日からは違う。決勝トーナメントでは、90分で試合が決まらなければ30分の延長線がある。その間に休憩時間はない。75分間ロッカーには戻れない。もし敵がこの日を待っていたとしたら? 後半開始とともにデータベースに接続したなら、すでに機密情報を載せた電波が地球に向かっている。
足が震えた。神田選手の顔は青ざめている。衆人環視の中、今すぐロッカーに戻るには神田選手がPKを決めるしかない。心臓が早鐘を打つ。
神田選手、絶対に枠に飛ばしてくれ。
文字数:1994
内容に関するアピール
木星人が地球人のふりをしてサッカーワールドカップに出場しているというあり得ない状況を書きました。実は多数の木星人が地球に潜入していて、地球を調査しているという設定です。
『PKのキッカーはプレッシャーで青ざめていているが、キーパーの方は絶対に決めてくれと祈っている』というすれ違いが面白いと思います。
今回もミステリー小説にしました。事態をなめている→回想→違和感を抱く→推理→真相に気づく→焦る、という構造になっています。アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を参考にしました。
前回の指摘ポイントが「タイトルが悪い」だったので、平原綾香の有名曲『Jupiter』のフレーズを使っておしゃれなタイトルを狙いました。
文字数:307